銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

26 / 55
26.「お断りだ」

 通称「騎士団」。それは天蓋領を最高機関に据え活動する、治安維持・魔物討伐を主な役割とした唯一無二の公正実力組織である。

 

 田舎に駐在する保安官のような末端を含めた場合、構成人数はゆうに数百万まで上るとされ、秩序を正し魔の脅威から民草を守護する存在として日夜活躍している。

 

 そんな騎士団の頂点に君臨する極致の猛者こそが、時代を支える無双の豪傑──三聖なのだ。

 かつて『純黒の王』や『白薔薇の聖女』と共に魔王の脅威から世界を守ったとされる、三人の英雄になぞらえて生まれたこの特権階級は、それぞれ武術、剣術、魔法に最も秀でた人材が代々継承していく最強たる者の称号である。

 

 しかしただ強いからというだけで名を拝せるほど、三聖とは野蛮な称号ではない。

 強者というだけなら世に幾らでも存在する。三聖が三聖たる所以とは、英雄の業を成し遂げた破格にこそ重きを置かれるのだ。

 

 未曾有の天変地異の解決。準魔王級以上の『次元侵襲体(ディメンダー)』の討伐。時代を数世代躍進させるほど顕著な技術革命的功績。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。即ち、ギルドが定めた七階位の最上級『星冠級(アステル)』を受勲した者だけが、三聖を名乗ることを許されるのだ。

 

 

(三聖……武聖ですって……!? なんでそんな大物がこんなところに!?)

 

 山頂までようやく辿り着いたシャーロットは、火口の深部、世界樹の根元にて竜と立つ謎の女を目撃し、咄嗟に身を隠しながら彼女の様子を伺っていた。

 

 読唇により辛うじて解読できた言葉によれば、彼女はずっとシャーロットたちを待ち構えていて、しかも世界最高戦力の一角と名高い規格外の怪物であるらしい。

 

 なにかの冗談かと思ったが、そんな疑念は一瞬にして吹き飛んだ。

 何故なら彼女はアーヴェントと対を成す存在──『白薔薇の聖女』より力を授けられし、マルガンという血族だったからだ。

 天蓋領はマルガンが全権限を手中に収めている統括機関である。メダリオンの出所といい、状況からして正真正銘本物の三聖である可能性は濃厚だ。

 

 シャーロットの心臓を奪いに追い打ちとして放たれたのか。それとも何か別の目的があるのか。

 魔物を討伐したことについて礼を述べていた奇妙な発言からも、少しばかり気色が異なる。

 

 

 ただ、もっと奇妙な点がひとつ。

 グイシェンがこちらに気付いている様子がまるで無いのである。

 

 唇の動きをよく観察すれば、同じ言葉をずっと繰り返していることに気がついた。

 たまに謎のポーズを取ったり、立ち位置の調整っぽい動きをしている。

 

 一人で。

 誰に言うでも見せるでもなく、一人で。

 まるで口上の練習で暇潰しをしているみたいに。

 

「…………ヤバい奴かもしれない」

「ああ確かにヤバいな。ボディラインの出にくい服なのにこの距離でも抜群ダイナマイトっぷりがわかる。ありゃ世界最高戦力級で間違いねえ」

「どこ見てんの突き落とすわよ猿」

 

 脇腹に肘鉄がぶっ刺さり、不埒な猿はゴロゴロと岩肌を転がった。

 

「彼女が本当に三聖なら私たちに気付かないはずがないし……ブラフ? にしてはヘンテコリンね」

「本当に気付いてないんじゃないか?」

「そんなまさか」

 

 言ってる傍から、今度は竜の頬をよーしよしと撫で始めた。

 そもそもあの竜は何だ。もしかして世界樹の主なのか。

 プライドの高い竜がおいそれと触れ合いを許すとは思えない。しかしまるで動じないどころか受け入れてさえ見えるのは、星の頂点捕食者をも従わせる実力の持ち主だという証左なのだろうか。

 

 幾許かの時が過ぎると、巨大な相棒も退屈になったのか、大きな欠伸と共にとぐろを巻くように眠ってしまう。

 

「揺さぶって起こそうとしてるぞ」

「全然起きないわね」

「猫に構って貰えない飼い主みたいになってんな」

「あれ、たぶん世界樹に住んでるドラゴンだと思うんだけど……」

 

 このままでは埒が明かないので、とりあえず火口を下っていく。

 

 お椀状に抉れた山の口内は、不思議なことに緑豊かな花園だった。

 赤一色の黄昏の森とは対を成すように、一面中が白い花弁で埋まっている。

 中央部にはコバルトブルーの湖が存在し、その畔から世界樹が天を衝くように伸びていた。

 

 凛とした銀糸髪の麗人と、まるで夜空が命を得たかのような、漆黒の躯体に星と煌めく鱗を持った美しい竜が眠る光景は、幻想を現世へ落とし込んだように神秘的だ。

 

「待ちわびたぞ。純黒の末裔と無銘の贄よ」

 

 二人を視認すると、濃緑色の厳めしい礼服に身を包んだ猛禽のような眼差しの女は、腕を組み白亜の外套を靡かせながら儼乎(げんこ)たる声で空気を震わせた。

 

「アンタが三聖か?」

「カプディタスの討ば──ほう? この私を知っているか。フフ、私も有名になったものだな」

「いえ、さっき物陰であなたの独り言を読唇させてもらったの」

「…………」

 

 グイシェンは小さく三度瞬きをした。

 

「……どこで?」

「あっちだな」

「ん? 彼方(あちら)の上か?」

「そうそう」

「ふむ。なるほどな。そうであろうな。気付いておったとも。貴殿らの把握能力を試させてもらったのだ」

「ちなみに嘘だぜ」

「………………………………………………」

 

 無論、騎士団の頂点到達者にして『星冠級(アステル)』を冠する当代の英雄、グイシェン・マルガンはこの程度で動じることは無い。

 曇りなき鉄面皮に一片の波もなく、凛とした冰の表情を貼り付けている。鋼鉄の精神たる証明だろう。

 耳が朱に染まっているのは誤差である。

 

「すぅーっ…………紹介が遅れたな。我が名はグイシェン。天蓋領第二騎士団団長にして三聖が一柱、武聖グイシェン・マルガンである」

「ゴリ押したわね」

「本当に三聖か?」

「本当だ。昨年襲名したばかりだが本当に武聖なのだ。巨大隕石を落としたり、頑張ったんだぞ」

「……お菓子持ってるけど、いる?」

「頂こう」

「本当に三聖か??」

 

 姉心がくすぐられたらしいシャーロット。クッキーを手渡すと、グイシェンはそそくさと口に放り込んだ。

 

「んむ。しっとり甘く美味である」

「でしょ。自信作よ」

「ほほう、中々の腕前ではないか。かくいう私も菓子作りが趣味でな。この前はペンギンさんケーキを焼いたのだ」

「えっなにそれ気になる」

「収拾つかねえから後でいいな!?」

 

 妙な雰囲気に飲まれ、ガールズトークに興じつつあった二人はハッと居ずまいを正す。

 ヴィクターは咳払いして、紅紫色の隻眼に瞳を合わせた。

 

「率直に言うぞ。()()()()()() 名前や肩書を聞いてるんじゃねえ。どういう立ち位置の人間かってことだ」

 

 グイシェンの言動と今までの状況。このふたつを照らし合わせれば、どう足掻いても顕在化してくる違和がある。

 それを真正面から叩きつけるように、ヴィクターは言った。

 

「俺たちを襲った男は天蓋領が差し向けた刺客だった。んでもってお前は天蓋領の一員、しかもお偉いさんときてる。矛盾してるぞ。魔物の討伐に礼を言う筋が噛み合ってねえ。どういう腹積もりだ?」

「貴殿の言い分はもっともだ。それには少しばかり込み入った事情があってな」

 

 グイシェンは述べるための言葉を組み立てるように瞳を閉じて、薄く開きながら言った。

 

「貴殿らの命を狙ったこと、それについては弁明の余地も無い。知っての通り、天蓋領は彼女の心臓を欲している。……だが彼奴が魔物を投入するなどという蛮行は、我々も想定外だったのだ」

「なに?」

「あれはカースカンの独断だ。誓って我々の差し金ではない。彼奴に魔物の芽などという、禁忌を横流しした第三者の仕業なのだ」

 

 嘘を言っている眼ではない。

 そも、ここで嘘を並べ立てるメリットなど彼女にはない。

 けれど。

 

「だとしたら何で止めなかった!? お前はコロポックルたちが惨殺されていくのを、指くわえながら黙って見てたってことに変わりねえじゃねえか!?」

「救出したくとも、不可能だったのだ」

 

 微塵も揺るがなかった鉄面皮が、初めて愁いを帯びたように蔭を落とした。

 

「私に与えられた任務のひとつはカースカンの監視だ。だがあの男に直接干渉することも、ましてや気配を悟られることさえも堅く禁じられていた。この手で処罰することが出来なかったのだ」

 

 拳が固く握られていく。

 血管が浮き上がり、筋張るほど力を込められた拳。手袋に覆われた震える五指の隙間からは、薄い赤の軌跡が滲んでいた。

 

「彼奴がカプディタスを発芽させた時、辛うじてメダリオンを仕込むまでが限界だった。星の刻印が空間隔絶と共に親機とのアクセスを遮断した影響で、爆弾を起動することさえ叶わなかった。助けを請う民の声に応えられなかった私に代わり、貴殿らがそれを果たしてくれたのだ。故にこそ礼が言いたかった」

 

 波風の少ない表情からでも十二分に伝わるほどの、悔恨と無力感、無上の感謝を乗せた声色だった。

 血が昇りかけていたヴィクターのほとぼりが、水に晒されたように冷えていく。

 

「改めて謝意を示そう。カプディタスの討伐、誠に大義であった。尊ぶべき大勢の命を失ってしまったが、生存者が救われたのは貴殿らのお陰だ」

 

 グイシェンは敵だ。それは間違いない。

 シャーロットの心臓を狙う組織の一員で、きっと拳を交えなければならない仇敵となるだろう。

 けれど、非道な悪ではないこともまた、彼女の確かな真実なのだ。

 

 権威としても最高位に君臨する三聖ですら拘束されるほどの強力な不干渉命令。察するに、天蓋領トップからの勅令によるものか。

 邪悪から世を守護することを信念に掲げる騎士が、魔物に蹂躙されゆく民草の様を黙って見届けることしか許されなかった屈辱は、想像を絶する痛みに違いない。

 下された命令と騎士道精神の板挟みにあったグイシェンの心情は如何とも測りがたい。少なくとも、彼女を無為に糾弾するのは間違っているか。

 

(調子狂うぜ。いっそ極悪人だったなら割り切り易いってのに)

 

 今まで相対してきた天蓋領の刺客は、どれも目的のためなら手段を選ばない外道だった。

 グイシェンは違う。相容れない立場ではあるが、彼女には慈愛の心がある。英雄の称号を冠するだけの高潔さがある。

 その匂いを感じ取ったからだろう。敵対関係を理解しながらも、シャーロットが初対面でも警戒を和らげたのは。

 

 どうにも居心地の悪い、むず痒くなるような沈黙が場を支配する。

 打ち破ったのは、恐る恐る声を絞ったシャーロットだ。

 

「えっと、結局あなたは敵なの?」

「……左様。その事実に異論はない」

 

 打って変わって、剣吞な空気が一帯を漂う。

 

「だが、貴殿らの選択によっては未来は変わろう」

 

 瞼を閉じ、白い息を落としながらグイシェンは言った。

 

「課せられたふたつ目の任務は裁定だ。ここまで辿り着いた貴殿らの力を見極めよとのことだった。力及ばぬならば心臓を奪い、()()()()()()()()()()()()()と言われていた」

 

 告げられた言葉の意味を、二人はまるで理解することが出来なかった。

 だって、こんなの。言うまでもなく決定的に矛盾じている。支離滅裂といっても過言ではない。

 

「……どういうこと? 私の心臓を狙ってて、あなたみたいな大物を差し向けてるのに、わざわざ見逃す機会を与えるっていうの? 意味がわからないわ。天蓋領の狙いは何?」

「複雑だが同感だよ。私も命令の意図をはかりかねている。あのお方の掲げる大義を一心に思うなら、残酷だがここで貴殿の命を奪うのが必然だ。しかし彼はそれを良しとしていない。昔からどうにも、あのお方の考えは読めぬ」

「あのお方?」

「ふぅむ。当事者である貴殿らには知る権利があるか。私に命令を与えたのは天蓋領が首領、ドラゴレッド卿である」

 

 ドラゴレッド卿。その名を胸に刻み込むように唾を呑む。

 名前だけならシャーロットも耳にしたことがあった。表には決して姿を現さず、騎士団を含む様々な機関を介し、世を統率する実質的な支配者である。

 

 謎が脳細胞に渦を巻く。

 まるで糸口の見えない情報の数々に、二人は眉をしかめて困惑を示した。

 

 シャーロットの心臓を狙い、世界救済を掲げるのは天蓋領──それも最高権力者による直々の勅命だった。

 彼は暗殺者を仕向けたばかりか、三聖という切り札を早々に切った。

 にも関わらず心臓を奪うことに消極的で、場合によっては見逃せとさえ命じる始末。

 

 謎。謎。謎だ。

 直接命令を下されたグイシェンですら紐解けぬ指令の真意に、二人の理解が及ぶはずもない。

 

「……だがしかし、あのお方は思考を放棄するような愚者ではない。影ながら幾度も世界を救って来た功績がある。我々には、彼に尽き従うべき大恩がある」

 

 言葉を皮切りに、地鳴りが薙いだかと錯覚するほどの波濤が突如として巻き起こった。

 山が轟々と嘶いていた。震え、慟哭し、凪の湖に狂い悶えるような時化が生まれ、大気が凛冽を抱いたように零落した。

 

 地殻変動などではない。竜の暴走によるものでもない。

 むしろ竜は到来した異変に目を覚まし、グイシェンを一瞥すると翼を広げて飛び去ってしまう。

 

 地異の原因はグイシェンだ。

 たった一人の女から放たれた、何倍もの重力を架せられたかのような重苦しさが、霊峰の全域を一瞬にして制圧したのである。

 

「ぐぉっ……!?」

「っ……!?」

 

 血管を引き絞られ、口の水分が一瞬にして干ばつするほどの常軌を逸したプレッシャー。

 滝を吐く汗腺。次いで心臓が発狂した。

 絶対的捕食者を前にした小動物のように、全身に酸素を循環させ、逃走に対し万全を期そうと暴れ始めたのだ。

 

 しかし、巡る血潮は驚くほど冷め切っている。

 細胞ひとつひとつが凍結したかのような震えに抱かれる悪寒の前に、煮える血の熱が悉く奪われていくのを如実なまでに実感した。

 

「私は貴殿らを一個人の人間として気に入っている。その力、勇気、砕けぬ信念を目撃している。手荒な真似はしたくない」

 

 先ほどまでの柔和な雰囲気とはまるで異なる圧迫感。

 本当に同一人物かと疑うほどの冷厳さに、幾重もの脂汗が滑走していく。

 

「どうだ。今までの禍根は水に流し、我々と手を取らないか?」

「……!? なん、ですって?」

「あのお方はそれも良しとしている。心臓を抉り出す以外の道を、悲願を達成する新たな術を、ともに模索しようではないかと。無論、我が名のもとに貴殿らの庇護も約束しよう」

 

 紅紫の玉眼に陽が宿る。

 白銀に輝く魔力の威が、隻眼に燦然と煌めき奔る。

 

「理解出来ぬのは承知の上だ。我が要求、正気と思えぬ道理を欠いたものであろう。しかし、これは貴殿らの安全を確保するための、無理を押し通した譲歩なのだ」

 

 燃え盛る太陽のようだった。

 見ているだけで網膜から脳髄を焦がされそうな、相対するだけで身を焼き潰されそうな、日輪の如き威容を体現する絶望的なまでの重圧が、二人の膝をへし折ってしまう。

 

「余計なしがらみを捨て、慎重に答えを選択せよ。枝分かれた未来への岐路は此処に在ると心得るがいい」

 

 ゆっくりと差し伸べられる、純白の手袋に覆われた手のひら。

 二人を見下ろす、白銀の陽を綴じた隻眼が、静かに答えを待っていた。

 

 無意識に受け取ってしまいたくなる。全細胞が従えと喚くのを感じている。

 ここで屈しろと叫ぶ声がする。この女には絶対に勝てないと、逆らうだけ無駄なんだと、切実な訴えが幻聴となって耳を打つ。

 

「──」

 

 シャーロットはヴィクターの方を見た。

 彼もまた、少女の瞳を探していた。

 

「シャロ」

 

 互いの視線が交わって。ヴィクターが小さく頷いて。

 シャーロットは膝に力を入れながら、振り絞るように立ち上がって前を見た。

 

「お断りよ」

 

 乾いた音が木霊した。

 グイシェンの手が、強く跳ね除けられた音だった。

 

「水に流せ? しがらみを捨てろ? 何様のつもりなの。人の大切なものを壊して、奪って、さんざん辱めておいて。都合よく私たちと手を取り合おうだなんて、よくもそんなクチが利けたわね」 

 

 須臾の空白に無音が成る。

 静寂というベールに包まれた霊峰には、少女の声しか響かない。

 

「言ってたわよね。命令のせいでコロポックルたちを見捨てざるを得なかったって。私たちを庇護するだなんて大口叩いてるけど、あのお方とやらの意見が変わったら躊躇なく殺すってことでしょ。バカにすんな! そんなことも分からないくらいマヌケじゃない! あなたの殺気に心折られて思考停止に陥るほど、私たちは弱くない!!」

 

 歯を剥き、豪気と睨み、招来した魔剣を突き付けて、少女は魂の底から咆哮を張り上げた。

 気を抜けば花園の肥料へと潰されそうな覇気を食い破る、凛と鳴り渡った怒声に呼応し、ヴィクターもまた立ち上がる。

 

「そういうこった。俺たちはテメエらの軍門にはくだらねえ。どんな理由があろうとも、虐殺を良しとする集団の手は取らねえ。交渉は決裂したとお偉いさんに伝えてくれ」

 

 戦意高揚と男は笑う。

 魔剣へ純黒の拳を添えて、三聖に向け叛逆を示す。

 

「……我々とて非道な手段は本懐ではない。だが綺麗ごとで済まない局面は存在する。必要な犠牲もある」

「私の家族を、コロポックルたちを必要な犠牲だったなんて言わせない。そんな言葉で片付けるなんて、絶対に認めるもんですか」

「今一度選択の意味を考えよ。世界を敵に回すに等しいその言動、後悔しないと断言できるか?」

「後悔? ──するに決まってるでしょ、そんなの」

 

 突き付けた魔剣を降ろし、純黒の刃を地に立てる。 

 柄から離した五指を、そっとグイシェンに見せつけた。

 震えていた。古傷まみれの手のひらは、三聖という頂点に抗う恐怖に震えていた。

 

「あなたは強い。私たちが力を合わせても、きっと足元にも及ばない。そんな怪物が天蓋領にはうじゃうじゃいる。敵に回して、怖くないわけない」

「────」

「でも、でもね。後悔なんて、どの道を選んだってするものでしょう。私はそれをよく知っている」

 

 シャーロットは普通の人間だ。

 血筋が特別でも、高潔な精神を抱いていても、数多の魔法を操れても、彼女はただの人間なのだ。

 あの時ああしていればと枕を濡らした夜なんて数えきれない。失敗なんて山のように積んできた。躓くことなんて幾らでもあった。

 

 だからきっと、この選択も、いつか後悔する日がやってくる。

 グイシェンの手を取っていればこんなにも苦しむ必要はなかったかもしれないと、悔恨の涙を流す時が訪れる。

 

 けれど。それは彼女の手を握ったとて同じことだ。

 いいや。きっとその手を握ってしまえば、振り払った未来よりも遥かに深く、取り返しのつかない悵恨(ちょうこん)の海で溺れ死ぬことだろう。

 

 ならば、シャーロットの意思は巌の如く揺るがない。

 乳白の歯牙を堂々と見せつける少女の笑みは、心の芯に絡みつく恐れの触手を振り払うほど強く、強く、眩く咲き誇っていた。

 

「私は自分が納得できる道を選ぶ。後悔なんて覚悟の上よ」

「……それが貴殿の選択か」

 

 決意の矢文を受け止めて、グイシェンは静かに瞼を閉じた。

 水に落とされた一滴のミルクのように、薄く薄く広がる微笑。

 

「不思議なものだ。そう答えてくれてホッとしている自分がいる。私の虚仮威(こけおど)しに屈さずいてくれたことへの喜びとでも言うべきか。流石はアーヴェント、我らマルガンと対を成す魔滅の騎士よ。反逆者の血筋とは思えぬほどの気高さ、私は心から敬意を表そう。……残念だ。貴殿とは違った形で出会いたかった」

「ええ、私も。立場や境遇が違ってたら、きっと良いお友達になれたでしょうね」

「そうだな。茶のひとつでも嗜みたかったものだ」

 

 それは今、叶わぬ夢の散華と成った。

 一個人としての私怨はない。ただ、相容れない存在であるがゆえの壁がある。

 

 アーヴェントとマルガン。標的と仇敵。

 互いの意は決定的に擦れ違う。ならば必然、剣を取り合わねばならない。

 手を組んで和を解するには、あまりにも時が遅すぎた。

 

「単刀直入に言う。貴殿らに一切の勝ち目はない」

 

 それは傲慢ゆえの宣告ではない。

 残酷なまでにれっきとした現実を、歪めることなく告げただけに過ぎない。

 

「だが私に課せられたミッションは裁定だ。死合いはせん。ただ貴殿らの覚悟を見定めさせてもらう。不足ならば心臓を頂く。力を示せば、此度の死は帳消しとする」

 

 星の核に放り込まれたかのように、場の大気圧が急転直下と増大する。

 身が竦み上がる。産毛が逆立ち、(かんな)が神経をガリガリと削り取ってくるかのような度し難い幻痛が襲いかかる。

 魂が逃げろとけたたましい警鐘を打ち鳴らした。刹那の狭間でも気を緩めれば、足が勝手に後ろへ向かって駆け出してしまいそうだ。

 

「私に傷を植えてみるがいい。この体に一滴でも血を流せたなら、貴殿らの勝利を認めてやろう」

 

 それでも、二人に後退の二文字は無い。

 あるのはただ、絶対強者へ抗わんとする決意のみ。

 

「力を示せ。証明せよ。此処で敗北の土を舐めるようなら、世界に抗う資格は無いと知れ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。