銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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27.「不可能という名の墻壁」

『よく覚えておきなさい、シャーロット。ダランディーバはただ魔力を固めただけの剣じゃないんだよ』 

 

『私たちアーヴェントは魔力を色んな道具に変えられる。弓矢も、槍も、思い通りに造ることが出来る』

 

『なのに魔剣だけ、ダランディーバという名前がついている。これにはちゃんとした理由があるからなんだ』

 

『シャーロットがもう少し大きくなったら教えてあげよう。魔剣の秘密はとっても危険なものだからね』

 

『いいかい、ダランディーバは人を傷つけるための道具だ。だけど決して弱い者いじめに使ったり、欲望のために振るったりしてはいけないよ』

 

『守るために使いなさい。自分の命を、自分の大切なものを、苦しむ人々を守るためだけに使いなさい』

 

『どんな時もアーヴェントの誇りを忘れないように。人を思い遣れる優しさを忘れないように。……お父さんとの約束だよ、シャーロット』

 

 

 

 

 仮定の話。体の一部と思えるほど馴染み親しんだ武器を手に持つ、戦闘訓練を積み重ねた兵士がいるとして。

 刃物を振った経験も無い丸腰の素人が、真正面からたった独りでジャイアントキリングを成し遂げるにはどうすればよいか。

 

 答えは三文字。不可能だ。

 フィジカルも、技術も、得物も、ありとあらゆる手札において圧倒的に勝る存在に土を着けるという所業は、もはや英雄の武勲に等しい。

 

 古来より人類はそういった強敵に対し、数をぶつけることで辛くも乗り越えてきた。

 怒り狂う千を生きた古竜。世を蝕む邪悪なる魔物。人の意など微塵も介さない、天災という名の土着の殺意。

 

 グイシェン・マルガンと戦うということは、即ち同等の絶対的な壁を意味している。

 

「ぜぇえええあッッ!!」

 

 先鋒を担うはシャーロット。心臓機能を活性化させ、魔剣にありったけの魔力を注ぎ込む。

 純黒が深淵を増す。魔の激浪が衝撃を伴って放散し、土埃をもうもうと舞い上げた。

 少女は跳ぶ。高く、高く、天を目指す(ハヤブサ)のように。

 

 宙で旋転、足元に魔法陣を展開したシャーロットは、空を蹴り抜き一直線に墜落した。

 隕石の如き絶大な速度を纏い、腕を組み仁王立つグイシェンの頭上へ猛進する。

 帯びた勢いを殺すことなく、肩から腹にかけて撫で切るように、会心の黒剣を叩き込んだ。

 

 ────ガラスが砕けるような高周波。

 

「躊躇が見えるな」

 

 平坦な声。

 魔剣の一閃をまともに喰らったとは思えないほどの、平然を示す鈴の声。

 グイシェンは巌の如く不動のままに、背後に着地したシャーロットを紅紫の眼で一瞥していた。

 

「振り抜く直前に力を御しただろう。戸惑いが刃を著しく鈍らせていた。貴殿、人を斬るのは初めてか?」

「ッ……!? 冗談でしょ、無傷!?」

 

 万物干渉という人智超越の異能を孕む純黒の魔剣に、切り裂けないものなど存在しない。

 むしろ両断してしまわないよう、皮膚一枚で済むべく出力を抑えたほどだ。

 勝利条件は血の一滴で、命ではない。命まで奪う必要はない。 

 

 それが甘えだったと思い知らされた。

 ダランディーバは間違いなくグイシェンをばっさりと切り捨てたはずだ。

 なのに掠り傷ひとつ植えることはおろか、衣服に綻びすら生まれてもいない。

 どころか刃は三分の二ほど砕け折れ、魔力の粒子となって虚空へ溶け消えてしまっている。

 

「だらァァ──ッ!!」

 

 咆哮爆発。ヴィクターは光を失っている左目の死角から飛び掛かり、龍颯爆裂拳の絨毯爆撃を叩き込んだ。

 間髪入れず肉薄する。がら空きの脇腹へ向けて腕を引き絞り、渾身の正拳を杭の如く解き放つ。

 

 ガギンッ、と。およそ人体を殴打したものとは考えられない、鋼鉄の塊でも殴りつけたかのような反動がヴィクターを迎え撃った。

 

 衝撃は腕へと跳ね返り、肩に伝播し、痛みとなって萌芽。表情筋に苦悶の皺を刻み込む。

 だが中枢神経に痛覚を処理する余裕は無い。大岩に亀裂を植えるほどの一撃を受けながらビクともしないグイシェンの異常な頑強さに、驚愕で塗り潰されてしまっていた。

 

「何を惚けている。来い」

 

 停止していたヴィクターの時が、凛と響く女の声で再起動した。

 

 反射的に足を放った。裏腿を蹴り抜き即座に旋転、遠心力を存分に乗せた回し蹴りを延髄へ叩き込んだ。

 シャーロットも応じて動く。

 剣を振り抜き斬撃三閃。一切の加減なく振るわれた純黒の凶刃が、急所めがけて変幻自在に襲い掛かる。 

 

 止まらない。終わらない。慢心は無い。

 

 男は咆え、肉弾という嵐を撃ち放つだけの破壊と化す。

 女は猛り、千紫万紅の魔法を紐解きながら、血に眠る万雷の王威を饗応した。

 

 熾烈なインパクト。爆発する砂塵。山を撫で切る衝撃の薙刀。

 

 並みの人間なら絶命は免れられない疾風怒濤の坩堝。

 その渦中に佇みながら、なお武聖の肌に傷の文字は一画も無く。

 

「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」

「どうなってやがんだ……!? 頑丈なんてもんじゃねえ! まるで海を殴ってるみたいに、ケシ粒程度の手ごたえすら感じられねえ……!?」

 

 全力を出したはずだった。我武者羅なまでに滅多打ちにしたはずだった。

 

 汗を吸った衣服の微かな重しがズシリと骨へ響くくらいに、限界まで稼働させられた肺臓があまりの過酷さに悲鳴を上げて、心臓が今にも爆発しそうだと慟哭するほどに。 

 抑えつけてきた疲労や蓄積し続けてきたダメージが息を吹き返してしまうことも考慮せず、持ちうる全てをぶつけきったはずだ。

 

 だというのにグイシェンは沈黙の最中で腕を組み、微動だにせぬままに、到来する絶え間なき集中砲火を凌ぎきった。

 

 血の一滴どころの話ではない。

 たかが薄皮一枚が、まるで惑星そのものを相手にしているかのような堅牢ぶりで。

 

「終いか?」

 

 空気が揺らぐ。

 日輪に焦がされた陽炎のように。

 

「では、こちらから行くぞ」

 

 ──破裂。

 その現象を説明するのに、他の表現は皆無だった。

 

 パァンッ!! 突として未知が爆ぜ。 

 限界まで空気の詰まった袋を思い切り叩き割ったかのような轟音が産声を上げたかと思えば、ヴィクターの姿が無と消えていた。

 

「え」

 

 一拍遅れて、巨大な水切り石が水面を飛び跳ねるような絶叫が複数回。

 ゆっくりと、油の切れた機械のように振り返れば。

 湖面で遊ぶ、波紋と思しき円環の名残たち。

 

「ヴィッ────!!」

「余所見をしている場合か」

 

 全身の産毛から叱責されたかと錯覚した。

 脊髄を稲妻の如く駆け抜ける悪寒。一際強く跳ね起きる心の臓腑。

 無意識に体が動いていた。シャーロットは前方へ向けて、黒魔力で編んだ三重の盾を展開していた。

 

 須臾。その全てが霧散し消える。

 不発ではない。下から突き上げるように放たれた一発の寸勁が、アーヴェントの守りを諸共粉砕し塵芥へと変えたのだ。

 

 拳の勢いは毫末(ごうまつ)も衰えず、吸い込まれるように鳩尾へと突き刺さる。

 

「がッッッふッッ!?」

 

 筆舌に尽くしがたいインパクトの激流が、体内を貫通して背から弾けた。

 内臓の悉くを掻き混ぜられたかのようだった。あまりの痛撃に意識がホワイトアウトし、一瞬遅れて焼けつくような神経系の阿鼻叫喚が体の隅々まで蹂躙した。

 

 胃内容物を丸ごとひっくり返しそうになる。

 根性論でそれを堰き止め、崩れ落ちそうな身を鉄杭の如く打った足で繋ぎ止め、奥歯を砕かんばかりに食いしばりながらダランディーバを展開した。

 

「ぜァァァああああああああああああああッッッッ!!」

 

 刺突。寸分違わず喉元めがけて解き放つ。

 金属音。女の柔肌も貫けず、純黒の剣先は砕かれる。

 

 即座にダランディーバの魔力密度を極限まで圧縮、現在可能とする最高硬度の刃を再生。

 拳という名の槌で釘を打つように、柄の先端を殴り抜けた。

 

「貫け!! 貫けえええええええッ!!」

 

 打つ。打つ。打つ。 

 何度も。何度も。何度も。何度も。

 

「……筋はいい。剣捌き、身のこなし、歩法、呼吸法、魔力操作。どれも洗練されている。何年もの修練に身を費やしたがゆえの賜物なのだろう」

 

 シャーロットの拳が止まったのは、耐久の限界を越えた魔剣が断末魔と共に崩壊を迎えた時だった。

 

「だが足りぬ。決定的に才覚が無い。力の使い方は知っているようだが本質を知らん。指南書を修めた程度では、この私に傷をつけることは叶わぬ」

「はッ、はぁっ、は、ぅ……!!」

 

 魔力が底を尽きかけていた。

 ただでさえ魔物(カプディタス)との戦いで著しく消耗していたのだ。万全とはほど遠かった残弾は、先の攻防でほぼ完全に空となった。 

 枯渇した魔力を補おうと心臓が破れそうなくらい働いているのに、それでも供給が間に合わない。

 

「ちくしょう……! 動けっ……! 言う事聞きなさい、このっ……!」

 

 魔力欠乏による猛烈な虚脱感が、血肉に代わって体の中へ詰め込まれたかのような感覚。

 手先は震え、視界に星が瞬き、燃えるような呼気で喉が焼け付いて声が出ない。

 泣き言をいう膝に拳で喝を入れるも、腕に力が入らず片膝をつく。

 

「終いか?」

 

 絶望が問う。

 残酷なほど克明な、絶対的とすら思えるほど、隔絶された格の違いを見せつけて。

 それでもまだ、矮小十把が抗うのかと。

 

「う……ぐっ……!」

 

 魔剣を出す余力は無い。魔法も無論。

 ならばとただ足掻く。拳を打つ。蹴撃を見舞う。

 届かない。綿を叩くような、力の抜けた柔らかな音が響くのみ。

 

「……別れの時だ、アーヴェント。貴殿の名は泰平への礎として永遠に祀られることだろう」

 

 グイシェンの右手がシャーロットの喉を鷲掴んだ。

 少女の体が赤子のように軽々しく持ち上げられていく。

 

 シャーロットは腕を叩いて抵抗する。だが絡みつく五指は鉄の首輪のように頑強で、解ける隙など消しクズ程度も存在しない。

 的確な頸動脈への圧迫が血流を断ち、視界が暗転を始めていく。

 

「安心しろ、苦痛は生まん。ただ安らかに眠るがいい」

 

 グイシェンの左手が槍の如く、貫手の形へと整えられて。

 

 次の瞬間、水を纏った巨大な空気弾がグイシェンの頭部を直撃した。

 

 凄絶な破裂音が響き渡る。バケツをひっくり返したような水の弾幕が肌を打つ。

 一度ではない。二度、三度、豪速を伴って襲い来る妨害工作に、グイシェンの視界が塗り潰された。

 

「だァァらァァ──ッ!!」

 

 雄叫びが刹那を切り裂き、湖面を穿って飛び出すように、ヴィクターは三聖と激突した。

 かつてエマとの戦いで垣間見せた、文字通り目にも止まらぬ疾風迅雷。

 弧を描き跳躍するヴィクターの拳が、グイシェンの側頭部へと命中する。

 

「むっ」

 

 それはほんの僅かな変化の到来。

 どれだけの猛襲に晒されようとまるで意に介さなかったグイシェンが、一発の拳でよろめいた。

 

 無傷なのは変わらぬまま。しかし攻撃が通った初めての瞬間で。

 何が切っ掛けだったのか──思考を割く暇はなく、翻るように着地したヴィクターは、グイシェンからシャーロットを奪い取って離脱する。

 

「すまん、遅くなった。無事か、シャロ?」

「けほっ、けほっ、こんなの、どうってこと、ないわよ。あなたは? 派手に……ぶっ飛ばされてたけど……っ」

「全身バラバラになりそうなくらい痛え以外は問題ねえ」

 

 20mほど離れた先の岩陰にシャーロットを降ろし、グイシェンへと視線を遣る。

 女はその場を動かず、ヴィクターが逃げた先を見つめたまま、腕を組んで仁王立っていた。

 待っているのだ。王手を覆した先の出方を。

 

「さっきの見たか?」

「うん、ぼやけてたけどバッチリ見てた。ようやく一発通ったわね」

「あんだけぶち込んでほんの少し怯ませた程度だがな。だが大きな一歩だ。あいつは無敵の怪物なんかじゃない。何か絡繰りがあるぞ」

「ええ、血の一滴くらい吐かせてやれるわ。絶対できる」

 

 ポーチから最後の水薬を取り、互いに封を切って飲み干す。

 

「彼女の異常な頑強さ、十中八九マルガンの白魔力だと思う。じゃなきゃダランディーバを弾くなんて出来っこない。何度か斬った感じ、魔力の薄いベールに覆われてて、触れた衝撃を完全に無力化してるみたいだった」

 

 アーヴェントの黒魔力があらゆる自然法則に縛られず一方的な干渉を成すエネルギーなら、『白薔薇の聖女』から継承されたマルガンの白魔力は、天地万象と融合し己の支配下におく万物調和の異能である。

 

 炎も、水も、雷も、地も、全て統べり意のままに。

 ひとたび宰領となれば対象の増減強弱も自在とする超常を守りに使えば、身に降りかかるあらゆる影響をゼロに還すような荒業すら可能となるのだ。

 

 ただし、それはあくまで机上の空論に過ぎない。

 例えるなら飛来する銃弾を白魔力という剣で的確に相殺し、叩き落とすようなものである。

 あれほどの乱打を見舞われながら「空論」を成し遂げたグイシェンは、別格という言葉では生温い真正の怪物と言えるだろう。

 

「突破する方法はあるのか?」

「わからない。魔力操作も総量も別格過ぎて、正攻法じゃどう足掻いても敵わないと思う。私の全力をぶつけても破れる気配がまるでなかった。グイシェンの魔力流動を解析して、あなたの一撃が届いた条件さえ割り出せれば……」

「要するに、時間を稼ぎながらしこたまブチ込んでみりゃいいんだな」

 

 膝に手を突き、ヴィクターは立ち上がる。

 

「長くは持たねえと思うが、どれくらい必要だ?」

「5分──いや、3分。3分だけちょうだい」

「了解。何とかする」

 

 威風と共に待ち構えるグイシェンへ向けて、一歩。

 

「作戦会議は済んだか?」

「あってないようなもんだがな。さぁ第二ラウンドだ、行くぜ三聖ッ!」

 

 

 いつだって分の悪い戦いだった。

 拳を交えてきた敵は、どれも格上の相手だったから。

 

 シャーロット、エマ、ザルバ、カースカン──ヴィクターより劣っていた弱者は一人もいない。侮れた相手など記憶の何処にも存在しない。

 小手先の機転が功を奏し、更には悪運も相まって、どうにかこうにか戦い抜いてこれただけに過ぎなかった。

 

 シャーロットには敗北している。エマには一度殺されている。ザルバには決闘のルールで救われた。カースカンは命運を賭けた小細工が実を結んだからこその勝利だった。

 

 自分でも幸運な男だとヴィクターは思う。

 もし何かが食い違っていたら、運が味方しなければ、そもそも生き延びられてすらいなかっただろうと。

 

(今回ばかりは悪運なんざ通用しねえ。駆け引きだとか小細工だとか、そんなもんで埋められる溝じゃねえ)

 

 これまで戦ってきたどの猛者よりも、グイシェンという女は別格だ。

 次元が違うなどという話ではない。もはや同じ人間かと疑うほどに、あらゆる能力が狂った領域に存在している。

 湖を跳ぶ水切り石にされた時、ヴィクターは如実なまでに実感した。

 

 蹴られたのだ。ただ一発、薙ぎ払うようにして蹴り飛ばされた。

 本来なら180㎝近い男が何十メートルも吹っ飛ぶほどの蹴りをまともに受ければ、人間など真っ二つどころか五体全てが爆散する。 

 

 グイシェンは伝える運動エネルギーを、湖に着弾した際の衝撃もふくめて計算し、人智を越えた身体能力と即座の魔法でコントロールすることで、ヴィクターを五体満足のまま遥か遠方へ吹き飛ばすだけに留めていた。

 これがどれほどの神業か。身をもって味わった人間にしかわからない。

 

「貴殿の名は確か、ヴィクターと言ったか?」

「ああ、そうだ。三聖サマに覚えてもらえるとは光栄だぜ」

「ヴィクターよ。王の腕を宿す贄の男よ。貴殿に関するデータは諜報員の報告より拝見している。記憶を失っているというのは本当か?」

「本当だ。俺は『ヴィクター』になる以前の自分を知らない。だがそれがどうした? もしや俺を知ってるってのか?」

「いや、随分と不思議に思えてな。不気味とすら言えるか」

 

 女の眼が細まっていく。

 なにか、得体のしれないモノを目にするような怪訝さを孕んだ眼差しで。

 

「貴殿、私の蹴りを咄嗟に庇っただろう。アレが見えていたのか?」

「まさか。無意識だったさ」

「だろうな。しかしだからこそ奇妙なのだ。貴殿は仮にも武聖の一撃に反応してみせた。記憶の無い──裏を返せばまともな鍛錬を積んだ経験もない貴殿がだ。体を古傷まみれにするほど修練を刻んだあの少女は、何が起こったのかすら理解していなかったというのに」

「……何が言いたい」

「とぼけるな。己の異質さに自覚はあるだろう。少なくとも、私の眼には極めて歪な存在に映る」

 

 紅紫の隻眼に、魂魄の底を射貫かれるような錯覚。

 

「本来戦士とは、たゆまぬ修練の上に経験を積み重ね、年月をかけてゆっくりと形作られゆく地層のようなもの。長い時を経て重厚さを増し、実戦という研磨剤をもって磨き上げられた珠の精神こそが恐怖を克服させ、脳髄に冷涼を与え、死地に活路を切り開く。だが貴殿にはその過程が無い。ぽっかりと空洞なのだ」

 

 グイシェンの言葉の、ひとつひとつが。

 ヴィクターも知らない自分自身の深奥を覗かれ、(まさぐ)られているかのような心地だった。

 

「にもかかわらず、歴戦の雄に匹敵するほどの戦士としての素養が備わっている。……貴殿、命の奪い合いで恐怖を感じた経験が無いだろう。違うか?」

「……」

「それは異常だ。恐怖を感じぬ生物など存在せぬ。この私とて例外ではない。我らはただ、恐怖を我がものとする術を知っているだけに過ぎない。恐れを知らぬということは、生きておらぬのと同義なのだ」

「もう一度言うぞ。何が言いたい」

「……その眼だ、ヴィクター。カースカンとの戦いでも見せたその眼……燃える星々の炎のようで、溶けることを知らぬ氷塊のようでもある。我が問答に微塵も己が揺らいでおらん。不動を成すその柱の如き信念、いいや、記憶を失ってなお根付く狂気の正体が知りたいのだ」

 

 組んでいた両手を降ろす。

 片腕を背に。片腕を前へ。

 ヴィクターへ向けて、手を招く。

 

「言葉は不要。来い」

「言われなくてもッ!!」

 

 応じ、男は一直線に駆けだした。

 出し惜しみは無い。腕の力を解放、稲妻の足を体得する。

 視界がスローに、時間の流動が緩慢に。仁王立つグイシェンの腹部へ、雷の如く正拳を打つ。

 

 一度では終わらない。まるで怯みもしないグイシェンが、嫌というほど拳の無力を証明している。

 ひたすらに打つ。ただ殴り抜けることのみに没頭する。

 無敵の城塞へ、小さな針で穴を穿とうとするように。

 

「おおおおおおおおおああああああああああああああッッ!!」

 

 間断なく放たれる神速の連打。

 幾重もの残像を曳く無限の拳を、持ちうる全てを、一切合切叩き込んでいく。

 

 それでも。それほどまでに奮戦しても。

 まるで砂漠を延々と殴り続けているかのような、底の知れない手応えの無さ。

 

(これでも届かねえってのか……!? ならもっと早く! もっと強くッ!!)

 

 早く。速く。迅く。

 強く。剛く。勁く。 

 打つ。撃つ。撲つ。

 

「っ」

 

 その時だった。

 

 腕が焼き切れそうなほど限界を越えて、ありったけを食らわせ続けた果ての僅か一発。 

 手応えに変化があった。ただ一発だけであったが、深くめり込むような感触が鮮明に拳を伝わって来たのだ。

 

 相も変わらず、グイシェンには出血どころか苦悶の色すら見当たらない。まるでダメージを感じられない。

 だがヴィクターは見逃さなかった。

 驚天動地と広がった、冷酷な鉄面被に揺蕩う波紋を。

 

「ヴィック! 彼女の守りのタネが分かった!!」

 

 劈くように鼓膜へ届く少女の声。

 ヴィクターは一時戦線を脱し、グイシェンとの間合いを測りながら耳に意識を集中させる。

 

「グイシェンを覆う白魔力のベールは衝撃を受けた時、ほんのごく僅かな一瞬だけ(ひずみ)が出来てるの! それを貫いた瞬間だけ攻撃が通ってる! 最初に当たった一発は、浴びせた水と同時にパンチが重なったからなのよ!」

「つまりどうすりゃいい!?」

「まったく同じ場所をまったく同じタイミングで攻撃して! それが唯一の抵抗手段になる!!」 

 

 皮切りに、背後から一条の弾丸が空を裂いて飛来した。

 それはグイシェンの肩に着弾すると、一抹の火花を散らして消える。

 

 圧縮した極細の黒魔力を、シャーロットが指鉄砲より射出した即席の魔弾だ。

 威力はない。速度に偏重を置かれている。

 少女に残された僅かばかりの魔力で、グイシェンの防護壁に歪みを生じさせることを目的としたものだった。

 

「私に合わせて! 思いっきりブチかましなさい!!」

「合点承知ィッ!!」

 

 時の流れが再び澱む。

 ヴィクターの視界が遅延を来たし、スローモーションの世界へと飛び込んだ。

 

(カースカンで消費した時間は20秒! この力を使えるのは40秒だけだ! 血の一滴でいい! 残り40秒で、一滴の勝利を搾り出すッ!!)

 

 疾駆する。飛び進む弾丸に合わせ、中段正拳突きの要領で抜き手を放つ。

 命中。漆黒の手槍が女を射貫く。

 グイシェンの体が、衝撃と共に後退した。

 

「効いてる! 通ってるわ!」

「駄目だ、全然浅い! 当たった瞬間力を逃がされた!」

「……我が守りの秘を破るか、アーヴェント。見事なり。土俵に立つ資格はあるようだ」

 

 

 ゆらり、と。

 女を中心に、陽炎の如く歪曲する大気の渦。

 

 結ばれていた腕が解かれ、自由の身だと遊泳する。

 それは円を描きながら、在るべき場所へと舞い戻るように形を成した。

 

 迎撃姿勢すら垣間見せることも無かったグイシェンが、初めて武の構えを露にしたのだ。

 

「相手にして不足なし。この武聖に牙を届かせてみせよ」

「だァあああああらッッしゃあああああああ──────ッッ!!」

 

 男の咆哮が大気を震わせ、呼応するが如く無数の魔弾が放たれた。

 それはまるで意志を持つ豪速の生物であるかのように、変則的に軌道を捻じ曲げながらグイシェンへ一斉掃射を浴びせかける。

 

 それら全てが着弾し、蛇行とフェイントを交えながら叩き込んだヴィクターのソバットも突き刺さった。

 されど有効打はなく。人の形をした雲を相手にしているかのような、空虚な感触だけが伝わってくる。

 

(これでもノーガードを解かねえってのか!? どこまで化け物なんだよこいつはッ!?)

 

 グイシェンはまるで防御の素振りを見せなかった。

 ほんの少し揺れ動くだけ。ただそれだけで、白魔力の守りを突破して到来する痛打を、最小の動作でいなしていた。

 

「千変万化の攪乱。半盲を突いた死角からの奇襲。呼吸の合致。良い水準でまとまった連携だ。即席にしては目を見張る完成度だな。互いをよく知っているからこその芸当か」

「ッ!!」

 

 刹那、轟烈を添えた一閃がヴィクター目掛けて襲いかかった。

 

 反射的に体が動く。寸前で地を蹴り離脱する。

 肉薄。まばたき程度の極微の狭間で稼いだ距離を抹殺された。

 来襲する死神の鎌が如き踵落とし。ヴィクターは身を翻し、紙一重をすり抜ける。

 

 次の瞬間。ヴィクターの意識がコンマ数秒、完全な闇に塗り潰された。

 

「ご、ぶッ!?」

 

 明けた視界に映ったのは、足元に咲きほこる純白の花。

 そこまで経ってようやく、腹に壮絶な拳を受けたのだと知る。

 体が崩れ落ちかけて──ヴィクターは根性論でそれを繋ぎ止め、身を跳ね上げるようにして立て直した。

 

「ごほっ、ぶふっ!! ァが、か、かそく、加速ッ!!」

 

 口から零れる真っ赤な命を唾と絡めて吐き出しながら、ヴィクターは力のスイッチを踏みしめ、緩やかな世界へと身を投げていく。

 だが。

 

「ッッッ~~!?」

 

 心臓を捩じられたような、筆舌に尽くしがたい激痛がヴィクターを襲撃した。

 胸を中心に血管がビキビキと張り詰めていく。今にも破れそうなほど膨張した赤黒い筋が、皮膚へ放射状に広がった。

 

 力を酷使し過ぎた影響だ。代償を支払わねばならない時が来たのだと、克明なまでに理解した。

 これまで一分以上の使用を決行したことはない。この身がどうなるかなんて見当もつかない。

 気を抜けば今にも千切れそうな細胞たちの慟哭が、もうやめろと本能に訴えかけてくる。

 

(これ以上は限界か……!! だがッ!!)

 

 ここで限界を越えなければグイシェンには届かない。

 世界の頂点に立つ怪物へ一矢報いるために必要なのは、犠牲なき勝利などという甘えではない。

 

「根ッッッ性ぉぉぉぉッッッッ!!!!」

 

 全身の皮膚に裂け目が走る。激痛が紙へ沁みる水滴のように広がっていく。

 血は霧状に背より吹き出し、男を瞬く間に朱へ染め上げた。

 それでもなお眼光衰えぬ獰猛は、さながら戦に己を視た鬼が如く。

 

「────」

 

 グイシェンが動く。緩やかな世界の中であろうと恐るべき速度を誇る、無双の乱打が飛び交った。

 躱す。躱す。躱す。

 躱すたびに命が削れていく感覚がする。吹き上がる血霧が炭のようなどす黒さを増し、ヴィクターの周囲を漂っていく。

 

 ────知ったことか。

 

 変幻自在に迫撃するシャーロットの魔弾に合わせ、幾重もの抜き手を打ち放つ。

 何度も。何度でも。頂点到達者の肌を引き裂くその時まで。

 

「視野が狭いな」

 

 突如として聴覚を蹂躙する、隕石が墜落したかのような轟音波。

 同時にヴィクターの真横を、正体不明が恐るべき速度で通り抜けた。

 

 グイシェン自身ではない。 

 彼女は拳を振っただけだ。

 無空を翔けたのは、星の大気を纏めて引き千切り投げたと言わんばかりの拳圧だった。

 

(!? 何を狙って──)

 

 意図を読もうと脳を練る前に、重々しい物体が派手に地を転がった異音が響いて。

 矛先に何があったかを思い出し、末梢に至る血潮が凍結した。

 

「ッ」

 

 振り返らない。

 振り返れば最後、グイシェンは間違いなくヴィクターに終幕を齎すだろう。

 だから。だから。

 

「グイシェンッ!!」

 

 拳を握る。

 霊峰を踏みしめる。

 溢れゆく紅血の滂沱を黙殺する。

 

 

 決意を咆えよ。

 意思の灯火に血を焼べよ。

 

 まだ終わっていないと、己の魂に檄を飛ばして。

 戦うまで。命ある限り。

 

「うううおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああッッッ!!!!」

 

 火蓋は切られ、最後の戦いが始まった。 

 限界を超越した能力行使。ヴィクターは雄叫びと共に両腕(りょうわん)を振り抜き武聖に挑む。

 だが短絡的な軌道では、グイシェンの身に掠めることすら許されない。

 幾度放てど矛は虚を穿ち、空振るたびに血塊を吐き落としていく。

 

「……もうよい。終いだ。決着はついた」

 

 鈍る体。霞ゆく意識。秒刻みで失われていく力。

 勝敗は明白だった。

 武聖でなくとも、誰の目に見ても明らかなほど、ヴィクターは限界を迎えていた。

 

「矮小十把がよくぞここまで抗った。幕引きの(とき)である。戦士よ、眠るがいい」

「勝手に終わらせてんじゃねえよ」

 

 手刀を振りかざしたグイシェンに向けて、ヴィクターは歯を剥きながら豪快に笑った。

 笑みに隠された意図を見抜けず、武聖の動きが瞬刻の狭間に縫い留められる。

 

 それをヴィクターは見逃さなかった。

 勢いよく血を噴いた。唇から零れるほど溜まっていた己の血液を、グイシェンの顔面へ霧状にして噴きつけたのだ。

 

 真っ赤な煙幕が隻眼から視覚を奪い去る。

 想定外の一撃にグイシェンの手刀は虚空を薙ぎ、ヴィクターの拳が返し刀を解き放った。

 

「眼を塞いだ程度でこの武聖を出し抜いたつもりか。甘い」

 

 乾坤一擲はいとも容易く食い止められた。

 視界を潰されているにも関わらず、グイシェンはまるで見えているかのようにヴィクターの拳を払い除けたのだ。

 

「!?」

 

 違う。

 払ったのは拳ではない。

 

 龍颯爆裂拳。万物干渉の黒腕が成した空気の砲弾。

 グイシェンにわざと攻撃を払い除けさせ、守りを手薄にさせるためのデコイだった。

 

 だが無意味だ。例えグイシェンの虚を突いたとしても、ヴィクター独りでは白魔力の守りを破れない。

 それを覆す最後のピースは、光陰の如く到来した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはグイシェンに手向けられた言葉ではない。

 必殺をまともに受けながらも、再び立ち上がったシャーロットへの喝采だった。

 本命は空気弾でもヴィクターの拳でもない。限界を越えた少女の放つ魔弾だったのだ。

 

「──っ!!」

 

 魔弾と鉄拳。二つの決死が狙うは一点。

 痛ましい傷痕を刻まれている左目めがけて、吸い込まれるように二人の紫電が炸裂する────!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一手及ばず、と言ったところか」

 

 

 

 それでも、三聖には届かなかった。

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