銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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28.「血に闢き咲けや 千祖の華よ」

 尽力はした。 

 持ちうる限りの一切を振るって、美しい花園に血反吐を浴びせることも厭わずに、極限を越えて立ち向かった。

 

「ごぶっ、ふ、ぅぅ」

 

 結果は凄惨たる有様だ。

 風に吹かれるタンブルウィードのように草花の絨毯を転がって力尽きたヴィクターは、指先ひとつ動かすことすら叶わない。

 

 シャーロットも同様だった。疲労とダメージが蓄積しきった体に、ダメ押しと言わんばかりの大砲の如き拳圧をまともに喰らってしまった。

 もはや「無事」を探す方が難しい。3分の休息で回復した魔力も、とうに絞り粕と化している。

 

(強すぎるっ……次元が違う……たった血の一滴が……こんなにも遠いなんて……)

 

 血が詰まって満足に空気も吸い込めない鼻腔に代わり、肩で息を繰り返す。

 ぺたり、と崩れるようにへたり込んだ。

 力が入らない。気力はあっても肉体が精神に追いついていない。

 

(頭……くらくらする……重い……心臓が……痛い……)

 

 視界が白濁し、平衡感覚を支える柱がぐらぐらと揺れている。一度でも瞼を閉じれば、そのまま花園に倒れ伏してしまいそうだ。

 耳もほとんど聞こえない。キーンと遠退くような耳鳴りと、微かな心音がトクトクと鼓膜を撫でていた。

 

(届かない……何を……どうしても……)

 

 認める他に無い。

 パワーも、スピードも、テクニックも、グイシェンはあらゆる面において二人を凌駕している。

 

 これが三聖。これが英雄の境地。

 別格などという言葉が生温く感じるほどの、圧倒的実力差。

 たった薄皮一枚を裂くことすら、まるで巨山そのものを相手にしているかのようだった。

 

「誇りに思え。この武聖の守りを打ち破った、ただそれだけの些事とて大業である」

 

 倒れ伏したヴィクターのもとへグイシェンが向かっていく。

 ゆっくり、ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながら、軍靴を奏で死が迫る。

 

「…………」

 

 シャーロットはグイシェンではなく、茜色の空を仰ぎ見た。

 日没を控え、月の支配が空を満たすまでの逢魔が時。

 沁みるような黄昏でぼやけた瞳を焼き直すように、夕闇の瀬を眺めていた。

 

 

 ──よく覚えておきなさい、シャーロット。ダランディーバはただ魔力を固めただけの剣じゃないんだよ。

 

 ──私たちアーヴェントは魔力を色んな道具に変えられる。弓矢も、槍も、思い通りに造ることが出来る。なのに魔剣だけ、ダランディーバという名前がついている。これにはちゃんとした理由があるからなんだ。

 

 

 濁る池のように澱んだ脳裏を過ったのは、意外にも父からの言葉だった。

 ダランディーバ。脈々と受け継がれ続けた黒魔力が成す魔剣の銘。

 彼は言っていた。誇り高き漆黒の刃には、シャーロットの知らない真髄が眠っているのだと。

 

 それを教わることは、終ぞ叶わなかったのだけれど。

 

「……お父様」

 

 告知だ、と思った。

 記憶の蓋から呼び覚まされたこの思い出には、きっと何か意味がある。

 亡き父が守ろうとしてくれているのではないかと、朧に揺蕩うシャーロットの意識は、追憶から届けられた愛の欠片を受け止めていた。

 

(お父様、教えてください。魔剣の秘密を教えてください。私には分からない。土壇場で真骨頂を目覚めさせるなんて、私には出来ない)

 

 グイシェンの評価はもっともだ。シャーロットには才能が無い。

 戦闘なんてからっきしだ。ただアーヴェントの家系に生まれたというだけの少女でしかない。

 積み重ねてきた知恵と経験が、心を支える血の覚悟が、足りない部分を無理やり補ってきたに過ぎないのだ。

 

 シャーロットは才能という言葉が、吐き気を催すくらい大嫌いだ。

 しかし忌み嫌っているからこそ、どうしようもない凡才だからこそ、そんな自分を変えようと努力し続けた人間だからこそ。

 頂点に手を届かせる最後のカギが才能だということを、腸が煮えくり返るほど知っている。

 

 閃きなんて無い。咄嗟の機転なんて生まれない。付け焼刃の新技を都合よく窮地で思いつくはずが無い。

 ずっとそうだった。気が狂いそうなほど脳に刻み付けた数多の書物や、何十何百何千回と繰り返してきた型稽古の中から、場合に応じて取捨選択を続けてきただけだ。

 

 それがまるで通用しないなら、グイシェンに傷をつけるなんて、どうやったって不可能じゃないか。

 

(…………よし。泣き言終わり)

 

 少し前までの自分なら、そういう風に諦めを見つけて、きっとここで折れていた。

 信じていたモノに裏切られて、信じていた努力が泡と消えて、何もかも駄目だったと塞ぎ込んでいた時のシャーロットなら、沈黙の終末を受け入れていた。

 

 今は違う。

 シャーロットの努力は無駄なんかじゃなかったと、示してくれた人がいた。

 お前は間違っていなかったんだと、絶望の淵から引っぱり上げてくれた人がいた。

 

(あなたは私を救ってくれた)

 

 ヴィクターはもう戦えない。

 カースカンとの死闘で消耗し、臨界を超えた王の力に身を焼かれ、グイシェンの猛打をまともに受け止めたその体は、不屈の精神を持つ男であっても身動ぎひとつ叶わない。

 

(だから今度は、私があなたを守るから)

 

 立ち上がる。 

 正真正銘、最後の力を振り絞って。

 

 

 ──守るために使いなさい。自分の命を、自分の大切なものを、苦しむ人々を守るためだけに使いなさい。

 ──どんな時もアーヴェントの誇りを忘れないように。人を思い遣れる優しさを忘れないように。

 

 

 かつて交わした約束が、少女の骨子を優しく支えた。

 大丈夫、君なら出来ると、父の手が背中を押してくれているようだった。

 

 深く。

 息を、吸って。

 

「洛陽……剣を捧ぐ……」

 

 意思を(うた)に。

 魔の則を紐解く。

 

「無窮分断つは、不壊の刃」

 

 エスカトンノヴァは使えない。絶対的に魔力が足りない。

 シャーロットは血潮に残された幽かな魔力を、薄く、長く、淑やかな柳のように反り返らせて引き伸ばした。

 

 それは両刃の大剣ではなく、片刃に一心を注いだ細身の刀。

 光を吸う黒曜の刃を常闇より迎え入れ、シャーロットは柄を握りしめる。

 

 構える。

 何千、何万と繰り返し続けてきた型のままに。

 

「王威とは、この一刀に在りて」

 

 瞳を閉じて研ぎ澄ます。

 血を。感覚を。魂を。

 刀身一体となるように、魔剣へ心血を注ぎ込む。

 

 血脈に流れる魔力の底へ意識を沈める。

 純黒が秘めたる最奥の領域へ、辿り着いたことの無い未知の果てへ。

 積み重ねてきた力を信じて、少女は静謐に踏み込んだ。

 

(リリン)

 

 想う。

 凍った時の深海に眠る最愛との未来を。

 

(ヴィック)

 

 捧ぐ。

 命を賭して救ってくれた恩人への報恩を。

 

 

 

 実る。

 

 

 

 千年もの長きに渡り脈々と受け継がれた、誇り高き王の血統へ。

 振りかかる不条理な運命を跳ね除けんと、一心不乱に貫き続けた泥臭い過去が、絢爛たる果実を結ぶ。

 

 

 遠い、遠い、波瀾に満ちた回り道の果てに。

 塵は積もり、幾度も踏み締められながら、力強く芽吹きし双葉。

 眠り続けた蕾のほころびは此処に告げられた。

 少女は今、この瞬間をもって開花を成す。

 

 

「剣よ、彼の嘆きを救いたまえ」

 

 

 其は──千を越えた果ての花。

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