──さんざめく日を照り返す雪原のような、
(……どこだここは?)
霞む目を擦りながら、ヴィクターは漂白された世界に眉をひそめた。
辺りを見渡す。しかしこんな、上下の感覚すらドロドロに溶かされそうな純白の空間に覚えはない。
無論ながら、自分がどうしてここに居るのかなんて見当もつかない。
ヴィクターの記憶は寝床に就いたところで途切れている。
然るに、きっとこれは夢なのだろう。
埃一つどころか、境界線すら曖昧な白紙の世界だなんて、酷く不気味な夢だと口を曲げる。
「ッ」
ふと。
静電気のような痺れが、頬を掠めるように走り抜けて。
次の瞬間。皮膚という皮膚を粟立たせる正体不明のざわめきが、波打つように訪れた。
総毛立つとはまさにこの事か。小さな毛穴ひとつひとつの存在が、感覚としてハッキリと知覚できるほどの悪寒だった。
度し難い悍ましさは皮下組織、筋肉、骨髄、果てには神経にさえ浸透し、全身へ連鎖爆撃の如く殺到する。
原因は分からない。何がこの得体の知れない寒気を招いているのか、ヴィクターには見当もつかない。
ただひとつだけ、確かなことがあった。
遺伝子の深淵に眠る、『野生』の恐怖を呼び起こされるほどのナニカが近くに在る──それだけは、絶対の確信をもって断言出来た。
脊髄反射で振り返る。
右、左と、周囲一帯へ隈なく視線を滑らせていく。
何も見つからない。どこをどう見ても、真っ新な世界が広がるだけだ。
純白の平野は相も変わらず境界線すら存在しない。あるのは上下感覚までも掻き混ぜられる虚無のみで。
ならばこの、魂を薄皮から少しずつ引き剥がされていくかのような怖気の根源は、一体どこから────?
「…………」
無意識だった。
まるで、糸に操られる人形にでもなったかのように。
上を。
見た。
「────!?」
瞳の中央に映り込んだソレは。
まるで悪夢という存在そのものが、形を持って顕れたかのような。
「なんっだよ、ありゃあ……!?」
頭上。遥か彼方の天蓋に
正体不明。胡乱の影。曖昧模糊の具現。
どんな言葉を使えば
平たく言えば、磔の死体。
ヒトの形をした巨大な何者かが包帯と鎖で雁字搦めに拘束され、純白のミイラにされていた。
重力を無視して浮かぶソレの背後には、人の髪で編まれたようなロープ状の物体が無数に伸びて絡みつき、異形を吊るし上げている。
胸の中央には、不吉な赤い霧を放出する杭のような凶器が打ち込まれていた。
それはまさしく封印だった。
素人目でも直感的に理解するほど厳重で、異常なほど重厚な封印だ。
『──時は満ちた』
地獄の果てから響く怨嗟の呻きのような重低音が、磔にされた純白のミイラから吐き落とされるように到来した。
声が鼓膜にすり寄っただけで、極寒の地に立たされたような冷感が容赦なく襲い掛かってくる。
呼吸が嵐の如く搔き乱される。ヴィクターという少年を構成する全細胞が、あのミイラに対して警鐘をこれでもかと打ち鳴らし始めてしまう。
『
ミイラの頭部が動く。
癒着しかけのカサブタを無理やり剥いでいくかのような、生理的嫌悪感を招く異音をブチブチと引き連れながら。
『人の子よ。汝は呪いを解かねばならぬ。忌々しき呪いの責め苦より、無辜の魂を解放せねばならぬ』
口以外の躰を隙間なく埋め尽くしていた包帯の一部──眼球に相当する部分が、朽ちゆく枯れ木のようにメキメキと音を立てて裂け始める。
一際強くバクッと裂けたかと思えば、闇が姿を現した。
闇には瞳が在った。鬼火のような青い灯火が揺らめいて、ヴィクターへぴたりと照準を合わせたのだ。
それはまるで、星踊る銀河を抱き留めたような
『残された時は少ない。邪悪の裏に隠された真実を暴き出し、疾く日の下へ曝さねばならぬ。それが汝の果たすべき第一の使命、宿業と知るがよい』
──言葉を皮切りに、それは不意の中で訪れた。
足場の感覚が跡形も無く消失したのだ。
いきなり空へ放り出されたかのような浮遊感が、ヴィクターの背筋をゾワリと駆け抜けて。
「うぉ────」
視線を下へ。そして驚愕に目を剥いた。
白妙の世界が、殴り割られたガラスのように崩壊を始めていたからだ。
足場が消えていく。底の無い闇が顔を覗かせる。
体の支えが突如消え失せ、瓦解する白紙の空間と共に、暗黒空間へと放り出されてしまう。
「────うぉああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!?」
力の限り叫ぶ。ばたばたと手を動かす。けれど落下は止まらない。
平衡感覚は滅茶苦茶に破壊され、どこを向いているのかすら曖昧と化し。
奈落の底へ、呑み込まれるように墜ちていった。
『悪とは常に闇に非ず。善性の皮を纏い、日の元に潜む化生もいよう。心せよ人の子よ、善性を妄信するべからず』
それでも異形の声だけは、まるで耳元で囁かれているかのように、鮮明に鼓膜を貫いて。
『
◆
「……酷い夢見だった」
レバー1つで温水が無尽蔵に注がれる文明の利器に心身を癒され、ヴィクターはさっぱりとした表情で浴場を後にした。
箱型の魔法道具に衣服を投げ込み、時計型のダイヤルを回してボタンを押し込む。じゃばじゃばと水の流れる音がして、ガタゴト揺れ動き始めた。
なんでも洗濯箱という道具らしい。ボタンを押すだけで衣服が自動で洗浄されるという優れモノだ。
温水シャワーといい本当に便利だなと、懸命に働く箱をぼんやりと眺めながら思う。
──湖で目を覚ましてから早くも7日。姉妹との三人生活にも馴れ、館のことや
端的に言えば、この世界は魔法で溢れている。
心臓の拍動が生み出すものや、樹木に水に鉱石といった豊かな自然の結晶に宿る生命力、即ち魔力に術式や言霊を用いて指向性を与え、物理現象として昇華させる
魔法は人々の生活の根幹に根差し、日々の営みをより豊かなものにしている。
この洗濯機やシャワーもそれだ。詳しい原理は分からないが、魔法理論を基に造られた道具なのだという。
(使えば使うほど便利さを実感するぜ。俺も魔法使えたら良かったんだがなぁ。シャーロットたちが羨ましい)
ヴィクターから言わせれば魔法は万能の技術だ。火を簡単に起こせるに留まらず、電気なんかも指先一つで生み出せてしまう。
それだけに、魔法が使えないヴィクターは一抹の憧れを抱いていた。
技量云々の問題ではない。
(魔力は心臓から自動的に作られるから、生き物は例外なく魔力を持つんだってシャロは言ってたけど、俺にゃこれっぽちも無いなんてなぁ。実は死んでるとかないよな? 俺)
ヴィクターのような事例は非常に稀らしい。というより聞いたことが無いという。
姉妹揃って信じられないものを──それこそ動く死体にでも出くわしたような驚きっぷりだった。
しかしながら、例え魔力があったとしても、誰も彼もが全ての魔法を使えるわけではない。
人には先天的な魔力の『属性』があり、それによって得意な魔法も違ってくるのだ。炎の魔力が濃いものは火炎魔法を上手く扱える……といった具合にである。
加えて、魔法とは学問だ。正しい術式、正しい詠唱、正しい魔力操作の習得が必須な技能である。
一朝一夕でマスターなんて出来ないし、一般的な魔法は道具で補完が効く。
そういう風に自分を納得させて、ヴィクターは「まぁそのうちなんとかなるだろ」と魔力問題を脇に置いた。
(しっかし、早く起き過ぎちまったなぁ。まだ全然暗い)
空は白みを覚えつつあるものの、まだ日の出も拝めぬ早朝だ。
今日はシャーロットの狩りを手伝う予定である。しかしいくらなんでも流石に早い。
かといって眠気も皆無となれば、じっとしてる性分でもないヴィクターの足が、自然と動き出すのは自明の理だった。
(散歩でもするか。あまり館から離れたこと無かったからな、ついでにどんなもんか見ておこう)
館を出る。草場を踏む。
ざぁざぁと笑う木々の声。髪を吹き抜ける朝の風。さっぱりとした青臭さ。
森のど真ん中に立地するだけあって、自然の抱擁とでも言うべき爽やかさが身を包んでくれる。
それになにより、面白いものが目に映った。
「おー、精霊か。色とりどりの蛍みたいで綺麗だなぁ。今が活動時間なのか? 早起きの得ってやつだなこりゃ」
ヴィクターが子供のように目を輝かせる理由は、薄明を漂う光の球体たちにあった。
赤、青、黄、緑──風光明媚な火の玉がふよふよと宙を舞い、森の中を踊っているのである。
精霊。自然界の濃厚な
森や川、海と言った命溢れる地に多く、逆に荒廃した死地や開発地帯では数が減る。
その性質ゆえ、精霊とは自然が豊かな象徴なのだという。
「にしても凄い数だ。日の出前だってのにこんなに沢山……」
石ころ程度の命の光が、掴み取れそうなくらい泳いでいる。それだけ自然が濃い証だろう。
それもそうだ。なにせこの地は、シャーロットとエマ以外に人間の存在しない、大洋に浮かぶ
島とは言うものの、半日歩いて一周できるような小島ではない。
少なくとも昔から住んでいる姉妹が、「私たちも島の一部で暮らしているだけで全貌は全く知らないの。両親から入ったらダメって口酸っぱく言われて、一度も踏み入ったこともない深奥もある」というだけの規模はある。
しかしそうなってくると、当然のように疑問は浮かぶ。
絶海の孤島という完全に隔絶された環境で、なぜここまでの文明レベルを発達・維持させることが出来たのか? どうやって血を繋ぐことが出来たのか?
いくらなんでも彼女たちの衣装や装飾、そのほか日用品の類は自給自足で賄うなど不可能だ。
便利な魔法道具の数々もまた然り。供給の伝手が必要なのは自明の理だろう。
遺伝子の問題もそうだ。近親交配を続けたとしても、千年も血脈を紡ぐなど、どう考えたって有り得ない。
その答えもまた、魔法道具にこそあった。
彼女たちがポータルと呼ぶ、長距離転移装置がこの島に存在する。
それは海を越えた何処かの街に繋がっているらしく、時たま利用して文明や人を取り込んできたのだとか。
(理屈も原理もよく分からんが便利なもんだ。まるで隠れ里だな、この島は)
館から30分ほど森を歩いて、流れる小川を下った先。
河口近くの砂浜から、海を割るように突き出た石橋があった。
先端部には巨大な魔方陣が刻まれている。これがポータルだ。
アーヴェント特有の魔力を独自に検知して発動する仕組みらしいので、残念ながらヴィクターには使えないのだが。
(……ん? あの人影は)
ふと。空が白んできたせいか、浜辺で動きまわる影が遠目に映った。
シャーロットだ。髪を1つ結びにした少女が、何やら一心不乱に大きな物体を振り回している。
滅茶苦茶な動きではない。型に嵌められたような一定の所作を、ぶれることなく何度も何度も繰り返している。
(ありゃなんだ? 何を振り回して……壺か? 壺だ、間違いねぇ。しかも口から砂が零れてる。砂をギッチリ詰めた壺を振り回してトレーニングしてんのか)
彼女の小さな手には不釣り合いなほど巨大な壺の口をしっかりと掴み、弧を描くように振り回していた。
ひとつを両手で持っているのではない。片手でひとつずつ、ただでさえ重たい壺を決して離さず掌握している。
一見腕を鍛えているようで、真に注目すべきは背から足腰にかけて──即ち体幹だ。
全くブレていない。恐らく毎日のようにこの鍛錬をこなし続け、その細いシルエットからは想像もつかないほどの膂力を手に入れているのだろう。
目撃するのは初めてではない。
この7日間、彼女が暇を見つけては修練に励む様子は垣間見ていた。曰く、アーヴェントとしての嗜みらしい。
しかしまさか、日の出よりも早く活動しているのは完全に予想外ではあったが。
しばらく見惚れていると、シャーロットが壺を置いたかと思えば、何もない空間から漆黒の剣を出現させた。
魔法だ。以前も見たことがある。ダランディーバという、純粋な魔力で構築された由緒正しい魔剣らしい。
シャーロットは剣の柄をとり、振るう。
何度も、何度も、何度も、何度も。
ただひたすら、撃ちこみ続けるように同じ所作を繰り返す。
遠目からでも解るほどに、武としての気品がそこにあった。
目を奪われるほど流麗で、
幾千幾万も繰り返してきたであろう洗練された剣の軌跡──昇る日を背に披露されるその演舞は、まるでひとつの物語のようで。
見惚れるな、というほうが無理だった。
「────」
どういうわけか体の芯から疼きを覚える。
辛抱堪らず、ヴィクターは砂浜を駆け出した。
「おーい、シャロ!」
「! あら、おはよう。ずいぶん早起きね」
声をかけると、シャーロットは墨染の魔剣を消滅させながら振り返った。
「ちょいと夢見が悪くてな、起きちまった。シャロこそ早起きだな」
「ん。まぁ、日課でね。これをやらないと、一日が始まった気がしなくて」
「毎朝か? スゲーな、だからあんな綺麗な剣捌きが出来るのか」
「……へっへー、そうでしょそうでしょ。アーヴェントの末裔たるもの、日々の研鑽こそ欠かせないものなのよ」
得意げに、けれどちょっぴり照れ臭そうに少女ははにかむ。
「何千何万回も繰り返したからこそ出来るんだろうなって感じの流麗さだった。絵になるほどってのはああいうもんなんだなぁと思ったよ」
「フフーン! もっと褒めなさいもっと」
「ああ、シャロは凄いぞ! 努力家! 達人級! 超絶美人! お前こそ最強だ!」
「あーはっはっは! 当然のことだけど、悪い気はしないわね!」
顎に手を当て、おてんばなお嬢様のように高笑い。
カラッとした表情だが、本当に随分な時間を費やしていたらしい。
砂浜には無数の足跡がついていて、それは遥か奥まで続いている。きっと最初に走り込みをした名残だろう。
なによりひんやりと涼しい気候なのに、幽かな湯気を帯びるほどの汗水が、少女の努力を証明していた。
しかし流石に疲れが出たか、ふぅっと吐息を漏らしつつ汗を拭う。肌にピタッと張り付く衣はどこか煽情的で艶やかで。いやいや邪な目はダメだと視線を逸らす。
それに気づいたシャーロットは、意地悪そうにニヤリと笑った。
「なーにえっちな目で見てんの、このスケベ猿」
「は? は!? 見てないが! 男だからって常にそう言う目を向けてると思ったら大間違いウキよ」
「ふーん……? 正直に言えばご褒美をあげる、って言ったらどうする?」
「誠に申し訳ございませんでした!!」
「あっははは! 素直でよろしい! まっ、こんな空前絶後の美少女相手じゃ仕方ないわよねーっ。正直者にご褒美よ、ハイそこに落ちてた海藻」
「騙したなテメエ……ッッ!!!!」
「血涙流して海藻かじるんじゃないわよバカ。フフン、身の程を知りなさいっての」
「ちくしょう健全な青少年の純情を弄びやがってッ……。ぐすん、いいよいいよ、もっとダイナマイトなエマに慰めてもらうから」
「は? あんたエマに欲情したわね死になさいエロゴリラ」
「すまん今のは全面的に俺が悪かったって砂ギチギチの壺どうやって片手で振り上げてんの!?」
◆
生活を共にして、シャーロットという人間のことがだんだん分かってきた。
少々高慢ちきかつ自信家ではあるが、間違いなく善人で、高貴を自称しながらも竹を割ったようにサッパリしてて、同時に相当な努力家である。
己を追い込むように肉体を、魔獣の肉を欠かさず喰らって魔力を、書を漁り未開の叡智を探究することで、日々教養を鍛えている。
シャーロットの一日の大半は、鍛錬に費やされていると言っても過言ではない。
自分なら倒れてもおかしくないハードワークだと、ヴィクターは感心を通り越して畏怖すら覚えるほどだった。
そんな少女の一幕には、食糧調達の魔獣狩りも含まれている。
「やったー! 今夜の晩御飯はイナズマオオヅノウサギーっ! このウサギね、お肉に柑橘っぽい爽やかさがあってメッッッチャ美味しいのよ。稲妻みたく速くて捕まえるの難しいから、滅多にありつけないんだけど」
「嘘つけ! あんな速いの一撃で仕留めやがった癖に! 弓上手すぎるだろ!」
「何言ってるの、あなたがちゃんと開けた場所に誘導してくれたからでしょ。つまりこれは二人の成果! ハイターッチ!」
魔力で造り出した黒弓を撃ち、雷を操る角を生やした兎を仕留めたシャーロットは、豪気に笑ってヴィクターの手を叩いた。
少女は鍛錬だけでなく、自分が消費する魔獣の狩猟や、畑の管理まで悠々とこなす。
休息という概念すら存在しないのかと疑うほどの日々だ。にもかかわらず、弱音を吐いたり怠けたりした場面は一度も見たことが無い。
その根底に根差しているのは、彼女が幾度も口にする「アーヴェントの末裔としての矜持」にあるらしい。
ただし、
「しっかし、あなた走るの早いし体力もあるのね。その筋肉が見掛け倒しじゃなかったお陰で、美味しいご飯が食べられるわ」
「ああ、初めてこの肉体に感謝したぜ。自分でも驚くほどスイスイ動くし疲れないんだこれが」
「いやホント良い体してるわよ。引き締まってて、起伏があって、服ピッチリしてるから余計に。特に胸板………………へへ、ねぇ触っていい?」
「気高きアーヴェントの末裔は死んだって顔してるぞ。良いけどお代は等価交換だからな」
「わかった。けど、寂しくなるわね」
「二の矢つがえて始末しようとしてんじゃねーよ!!」
両腕をピンと張り上げて降参を示すヴィクターに、シャーロットはくくくと嚙み殺すように笑いながら弓を解いた。
シャーロットは自称王族の末裔で、それに相応しい振舞いをすることが殆どではあるが、根っこは悪戯好きの普通な少女で間違いない。
少なくとも、この7日間で垣間見たお転婆っぷりや冗談好きな一面から、ヴィクターはそう評している。
「ん? おいシャロ、群青色に明滅してるキノコが生えてるぞ。なんだこれ面白いな。意外と食えたりするか?」
「群青色……? うげっ、それマナヨドミっていう珍しいけど猛毒のキノコよ。絶対触っちゃダメだからね、胞子吸っただけで魔力の循環不全引き起こすから」
「起こすとどうなる?」
「死にはしないけど、血反吐はいて全身の血管破裂しそうな激痛に一晩のたうち回るわね。昔興味本位で試したことがあるんだけど、死ぬかと思ったし治ったあとお母様に怒られて死んだわ」
「何してんだお前……」
「よし、血抜きオッケー。あとは帰ってエマに渡すだけね、お疲れさま。はいこれお水」
「お、ありがとさん」
冷えた水で喉を潤す。ッかぁーっと声が飛び出て来た。
体を動かした後の冷や水は格別だ。命を充填しているような気持ちよさがある。
「いやー、にしても一緒に来てくれる人がいるってだけで助かるわ。獲物の誘導もそうだし、この森たまーにヤバい魔獣が出るのよ。複数人だと遭遇したとき対処しやすいから、安心安心」
魔獣とは、マナの濃い環境で長年生きた動植物が、何らかの形で魔力を操れるようになった存在だ。
その性質から知能も高く、種によっては非常に危険な存在となる。
反面、魔獣の素材は捨てるところが無いとされるほど重宝され、特に肉には魔力を強化する作用があるとはシャーロットの弁だ。
だから毎食欠かさず食べているらしい。朝から胃もたれしそうな大量の肉を食べていたのはそのためだったようだ。
「さ、帰ろ。まだまだやることは沢山あるからねー」
「次は何を手伝えばいいんだ?」
「
霊廟? と、聞き慣れない単語に思わずオウム返し。
「私たちアーヴェントが、純黒の王の力を引き継ぐ一族の末裔という話はしたわね?」
「ああ、何度も聞いた」
純黒の王。曰く、アーヴェントの遠い祖先にあたる人物である。
かつて滅びかけたという世界を救った英雄らしく、その高潔な精神と大いなる力を、アーヴェントはみな信仰しているのだとか。
シャーロットが日々鍛錬を重ねているのも、常に善性であろうとするのも、純黒の王に対する敬意の表れなのだ。
「そんな私たちにとって始祖とも言える純黒の王、陛下本人が眠っている場所こそが霊廟よ」
言葉の意味を理解出来ず、一拍。
遅れて、瞬き。
「……ほ、本人!? ってことはつまり王墓ってわけか!?」
「端的に言えばそうなるかな」
ヴィクターはぎょっと瞠目し、口の端をわずかに引き攣らせた。
これから向かうというのは、いわば彼女のルーツだ。
血筋に誉れを抱くシャーロットにとって、霊廟がどれほど神聖な場所かは想像に難くない。
そんな格式高い場の掃除を、部外者のヴィクターが任されるのだ。
重責と緊張感に息を呑むのも無理はない。
「い、良いのか? そんな大層なところに俺なんかが踏み入って」
「そんなに肩ひじ張らなくてもいいわよ。私はね、あなたが泉に現れたのも何かの縁だと思ってるの。きっと何か理由がある。
そう吐露する少女の瞳は、どことなく喜しそうに輝いていた。
シャーロットは家族愛で満ちている。妹のエマはもちろん、両親も、その身に流れる血統も、脈々と受け継がれてきた歴史の数々も、それら全てを愛している。
そんな少女が抱く
(……きっとシャロの両親はとても温かで、愛に溢れた人たちだったんだろうな。そういう家族のもとで育たなきゃ、こんな風に血を大切には思えない)
自分の血の歴史を知って欲しいと願う少女の、嘘偽りない微笑みだけで、ヴィクターは彼女がどういった善人なのか、一層理解を深めた気がした。
それと同時に、なんだか光栄にまで思えてくる。
「そういうことなら是非やらせてくれ。シャロのご先祖様への挨拶と、助けてもらったお礼も兼ねてな」
「そう言ってくれて嬉しいわ。じゃ、帰って一息ついたらさっそく行きましょ」
「おう、案内頼むぜ!」