銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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31.「凶兆の夜嵐」

 遥か空の彼方。さらにその先の隔絶境界。

 断絶された次元の狭間、白亜が一面を覆い尽くす異様な空間に、唯一無二の色として存在する城塞があった。

  

 天蓋領。世の均衡と安寧を保つために存在する統括機関。

 

 その第三セクター。またの名を魔法技術特進開発区と称される、最新鋭の研究が昼夜を問わず行われているエリアを、隻眼の武聖グイシェン・マルガンは靴音を響かせながら歩いていた。

 

(相変わらずテーマパークのような場所だな。訪れるたびに様相がガラリと変わる)

 

 魔法研究の先陣を突き進むこの地区は、技術水準が地上文明と比較しておよそ50年以上、下手をすれば100年近く先に到達しているとすら囁かれる、魔法の果ての魔法を拝める特区である。

 

 様々な最先端技術の試験運用が行われている関係で、何らかの試作品(プロトタイプ)と思わしき奇怪な品々や、グイシェンにはよくわからない珍妙な発明品がそこらじゅうに散見されるエリアなのだ。

 

 現在進行形でグイシェンの周囲をふよふよと飛び回る、液体金属で出来た目玉のようなゴーレムや、顔が浮かび上がる異形の壁はきっと何かの産物なのだろう。

 

『スタッフの負傷を確認。スタッフの負傷を確認。登録者名、グイシェン・マルガンの左腕欠損ならびに軽度の失血をスキャンニングしました。医療用ナノゴーレムおよび生体置換ヘルススライムの使用許可を申請します』

「いや、いい。治療はこの先で行ってもらう予定なのだ」

『すでに叡聖様より指令を受諾しております。義体移植の前準備として、処置を行わせていただきます』

「ふむ、叡聖殿が……? ならばよろしく頼もう」

『かしこまりました。これよりオペレーションを実行します』

 

 ただよう液体金属の目玉は、おそらく災害救助用に設計された自律型医療ゴーレムなのだろう。

 金属の一部が変形し細かな粒となって分離しつつ、中から黄色の液体が詰まったシリンジが現れた。

 創傷部分に癒着して生体組織を補完しつつ、治癒術式の付与を行うヘルススライムと呼ばれるものだ。

 

 グイシェンの左肩周りの布を、ピンセット状に姿を変えた液体金属の粒たちが丁寧に剥がしていく。

 露わになる切断面。鬼人(オーガ)の血によるものか、既に血管は閉じられ皮膚が再生し始めていた。

 

 ひやっと冷たい感覚。ヘルススライムが塗布されたらしい。

 痛みは無い。表面を黄色いアメーバが粘々と這い回って、患部全体を保護するように覆っていく感覚だけが伝わってくる

 

『処置が完了いたしました。先へお進みください』

 

 離れていく目玉を尻目に、グイシェンは鍔の広いとんがり帽子のマークが刻印されたパネルへ手を触れた。

 

「叡聖の間へ」

 

 足元の魔方陣が起動音と共に輝き、光の柱がグイシェンを包み込んだ。

 座標移動による転送魔法。行先を指定して立っているだけで目的地まで運んでくれるとは便利なものだと、グイシェンは光の膜が消えるのを待つ。

 視界が晴れ、そして。

 

 

「叡智ッ! 叡智ッ! 叡智ッ! 叡智ッ!」

「………………」

 

 

 待っていたのは、珍妙な雄叫びを張り上げながらものすごい勢いでバーベルを操るブーメランパンツ一丁のチョビヒゲ筋肉ダルマだった。

 右目まで失明するかと思った。

 

「叡智ッ! 叡智ッ! 叡智ッ! 叡──やや? これはグイシェン嬢。お早い到着で」

「…………つかぬことを聞くが叡聖殿。貴殿は一体何をやっているのだ?」

「無論、叡智を鍛えておりましたとも」

 

 総重量500kgはかたいバーベルを軽快に扱うブロンドチョビ髭の男は、むんっ、とブッとい上腕二頭筋を盛りあげながら自信満々に言い放った。

 

 筋トレと叡智に何の相関があるのか。頭が宇宙(コスモ)に包まれたグイシェンだが、世界最高の頭脳にして類稀な魔法技能を持つ頂点到達者、叡聖の言葉に偽りはないはず。

 なんだかよく分からないが「なるほど」とうなずいた。

 

「叡智とは鍛え上げられた頭脳にこそ宿るもの。そして脳とは、ニューロンの皺に書を刻み、見聞を叩き込み、幾度も思考を繰り広げることで磨かれゆく珠であります。筋肉もまた然り。過酷な鍛錬の果てにしか生まれ得ない鋼であることは、武聖であるグイシェン嬢こそよく理解されておりましょう」

「まぁそうだな」

「つまり脳とは筋肉であり、筋肉とは叡智なのであります!!」

 

 ぴしゃーん。グイシェンに衝撃という名の雷が落ちた。

 

「そう、なのか? そうなのか」

「そうですともッ! つまり即ち要するにッ!! 天蓋領第三セクターにて世を豊かにすべく数々の新魔法理論を日々導出し、テクノロジーレベルを百年先まで躍進させたと名高き稀代の大天才にして至天の賢人! そう! 我が輩ことヴァイスダム・エイブラハムが筋肉を搭載すればイコール全身が頭脳!! かの賢者オーウィズをもしのぐ叡智にまで届くというのは必然でありましょうやッ!!」

 

 渾身のモストマスキュラー。瞬間的に体感室温が千度またいで万度に爆発する。

 怒涛の勢いに翻弄されたグイシェンは、「つまり私は武聖であり叡聖でもあるのか……?」と脳を焼かれていた。

 

「さておき、貴女がここに来たのは失くした左腕の件ですな? 叡智を鍛えながら千里眼搭載片眼鏡で戦いの様子を拝見しておりましたので、予見してすでに義手を作っておきましたぞ」

「話が早すぎて助かる」

「五百年に一人の大天才にして遍く宙の知恵を頭蓋に収めた男とは、そう! 我が輩ことヴァイスダム・エイブラハムですゆえ!」

 

 太陽フレア級スマイルとアブドミナルアンドサイの大盛定食。グイシェンは生まれて初めて、光景というものにカロリーが存在するのだと知った。

 

「しかし、いざ肉眼で拝むと……いささか目を疑いますな。まさかあのグイシェン嬢が腕を奪われるなど。他でもない貴女ならば最後の一閃も躱せたでしょうに」

「いいや。不可能だった」

 

 断定。

 まるで言い淀む気配もなく。グイシェン自身が、あれを避けることなど万に一つもありえないと切って捨てた。

 

「あの瞬間、私の肉体は完全に動作を停止していた。認めたのだよ、アーヴェントの少女に気圧されたという現実を。私の裏を完全に掻いた時点で、彼女の勝ちは決まっていた」

「……準魔王級(デミ・マグニディ)との戦いで左目ごと脳を貫かれてさえいなければ、少なくとも腕を失うなど……」

「結果は結果だ。敗北に御託を並べるつもりはない」

「……左様ですかな。ならば我が輩も口を閉ざすとしましょう」

 

 ヴァイスダムはさっそくグイシェンの義手装着に取りかかる。

 パチンと軽快に指を打ち鳴らすと、部屋の奥からゴリマッチョな巨漢というかヴァイスダム自身を模した照り輝く銅像たちがポージングと共に現れた。

 

「それでは御覧に入れましょう! カモァンミュージック!!」

 

 唐突に流れ出すハードロックな音楽にノりながらグイシェンを取り囲むマッスル像軍団。

 一人の像が手に持つそれは、素人目に見ても非常に精緻な設計のもとで開発されただろうと一目でわかる、近未来的に洗練された金属製の義手であった。

 

「最硬と最軟の性質を併せ持つ夢の金属アダマントに、魔力伝導率120%を誇るミスリル鉱を独自のブレンドで混ぜ合わせることにより完成した超合金ッ! オリハルコンの義手にございますれば!!」

「おお……これは……!」

 

 絢爛と輝く王冠のような存在感を放ちながら、さながら深窓の令嬢を彷彿とさせる淑やかさをまとう義手の登場に、グイシェンもその輝きを目を開いて広く受け止めた。

 

「失礼ながらデザイン性の無い無骨なものが来るかと想像していたが……思わずため息が漏れるほど美しいな。滑らかで、それでいてシャープで、気品がある。洒落た彫刻も華美過ぎない飾りも良い」

「最大限に機能性を搭載しつつ女性のニーズもしかと射貫く神の所業……流石我が輩ことヴァイスダム・エイブラハムやはり天才であったか。では失礼して」

「銅像じゃなくて貴殿が作業するのか……」

「神経接続は非常に高度な技術ですゆえな。あのゴーレムらはエキストラです」

 

 演出担当ムキムキゴーレムたちは、鳴り響く音楽にリズムを合わせながら一列に並んで退場していった。

 いいかげん出で立ちが不適切と判断したか、ヴァイスダムが指を弾くと、ブーメランパンツ一丁の装いが端正な軍服姿へと早変わりする。

 

「……ところで、叡聖殿は私の戦いを眺めていたと言ったな?」

「左様ですな」

「あれは私とドラゴレッド卿しか知り得ぬはずの極秘任務だった。なぜ貴殿が把握していたのだ?」

「最果ての地に住まう不死鳥のさえずりをも聞き逃さぬ地獄耳と謳われた我が輩こと、そう、ヴァイスダム・エイブラハムに隠し事は不可能とだけ」

 

 数多の魔方陣を展開し、己の指先と義手をリンクしながら、遠隔操作で微調整を行いつつヴァイスダムは得意気に言った。

 

「しかし奇妙な任務でしたな。暗殺者を雇った上に三聖まで出動させたかと思えば、心臓の強奪を命じるどころか見逃そうなどと……流石の我が輩も困惑いたしましたぞ」

「思惑があるのだろう。これまでも理解し難い命令を下されたことはあったが、無意味だったことは一度として無い。此度もそのはずだ」

「おっしゃる通り。ですが、ふむ……やはりホッとされていたようですな」

「? 何がだ?」

「悪戯に命を奪わずに済んだことです」

 

 関節部の調整を終え、神経接続に取り掛かる。

 ヘルススライムで覆われた傷口にぴったりと張り付く金属板をあてがい、義手を近づければ磁石に吸い寄せられるように引っ付いた。

 

「我が輩の情報が正しければ、心臓の代替案の模索を卿に申し出たのは貴女自身だと」

「……」

「正鵠ですかな?」

「……たとえ逆賊の子孫だとしても、弄ぶように人命を損なう行為は天蓋領の在り方に反すると思っただけだ。我々は万民の盾である。アーヴェントとて例外ではない」

 

 ()()()()エマの報告文書に目を通したグイシェンは、水面下でドラゴレッド卿が事実上のアーヴェント抹殺を企てていることを知り、直談判を行っていた。

 

 封印の中で眠る『白薔薇の聖女』を復活させることは、恒久的な世の平和のため、天蓋領の悲願であることは知っている。

 それにはどうしてもアーヴェントの心臓が必要だということも。綺麗ごとでは済まない、手を汚さねばならない歴史の暗部なのだとも承知している。

 

 だが報告に記されていた目も当てられないような虐殺は、必要な犠牲と謳うにはあまりに多くの血を伴い過ぎていた。

 ここまで手を汚す必要性が本当にあったのか。千年前とは違い、劇的に魔法技術を進化させた現代において、本当に『純血』のアーヴェントでなければ成し得ないものなのか。

 

 なにより民草の盾として存在する天蓋領が、大義のためとはいえ殺戮を良しとするのは存在意義に矛盾しているのではないかと、一抹の疑念を抱いたがゆえの提言だった。

 

「だがな叡聖殿、あのお方が私の言葉で心変わりしたような素振りは無かったぞ。あれはなんというか……私の反対をあらかじめ予見していたかのようだった」

「ほう? では、ドラゴレッド卿は最初から心臓強奪を保留する腹積もりであったと?」

「そのように感じた。むしろ私が口添えするのを待っていたとでもいうような……」

 

 ドラゴレッド卿は天蓋領においても謎多き存在だ。

 三聖ですら謁見することは稀であり、直接的な命令を下す場面をのぞいて、表に姿を現す機会は非常に少ない。

 

 そんなドラゴレッド卿への数少ない共通認識として、聖女復活のため長い時を費やし続けてきた人物であることは周知されている。

 あくまで風説だが、天蓋領が発足された千年前から目的を果たすために暗躍を続けていた最古参という噂もあるほどだ。

 

 いずれにせよ、聖女の復活に対し並ならぬ情熱を持つ人物なのは間違いない。

 そんな彼が如何なる理由をもって、悲願達成を目前に手を緩めたのか。傍から見れば強烈な違和感を覚える行動だ。

 

「……ふむ。ふむふむ。ふむふむふむ」

「叡聖殿、どうされた?」

「実に奇妙だと思いましてな。いえ、ドラゴレッド卿もそうなのですが、アーヴェントらを取り巻く状況が」

 

 神経を義手とリンクさせる。

 ビリッと雷に這われたような痛みが駆け巡ったが、グイシェンの顔色に変化はない。

 

「我ら天蓋領が血眼になって探し求めながら、足取りすら掴めなかったアーヴェントの存在。それが千年の節目にして唐突に発見されたばかりか、理論上存在すら危ぶまれた『純血』まで生誕しているという現状。奇跡と呼ぶにはあまりに重なり過ぎているとは思いませぬか?」

「……」

「文字通り千載一遇のチャンスと称するほかありませぬ。手段を選ばずして事に当たるのが自明の理。しかし肝心のドラゴレッド卿は魚を泳がせるような真似ばかり。別段、心臓を回収する方法に手をこまねく必要も無いというのに」

 

 ヴァイスダムの発言はもっともだ。

 

 アーヴェントを反逆者と捏造し、重要指名手配として騎士団に討伐を命じるなり、より確実性を持たせるならば剣聖を出動させるなり、やりようはいくらでもあった。一切の抵抗も与えず捻り潰すなど造作もないことだ。

 

 エマを単独潜入させた件もそうだ。アーヴェントの隠れ里を見つけたのならば、『人錬の刻印』による洗脳を用いて一気に雪崩込めばそれでよかった。

 

 あとは『サンプル』を回収して、天蓋領で熟成させれば済む話だ。

 獲物をむざむざ自由にさせる理由など微塵も無い。放置すればするほど、不確実性は増したはずである。

 もし仮に希少な『純血』のアーヴェントが病で亡くなりでもしたら、目も当てられない失態だったことだろう。 

 

 なのに、ドラゴレッド卿はまるで決断を早まらなかった。

 

「どころか敵に塩を送るように駒を動かしている。単独で刺客を送り込むという点を一貫してね。迎撃される可能性を高めるばかりか、経験を蓄積させればそれだけ彼らの力は肥大します。事実、貴女との戦いでアーヴェントの少女は覚醒した。これではまるで、わざわざ乗り越えさせるための試練を与えているかのようだ」

「……ドラゴレッド卿はわざと彼らに力を蓄えさせているとでも?」

「根拠も無い推測ですが。少なくとも、我が輩の眼にはそう映ります」

 

 思い当たらない節が無いわけでない。

 

 ドラゴレッド卿はグイシェンに裁定を命じた。力及ばぬなら心臓を抜き、値するなら見逃せと。

 もし、ドラゴレッド卿がアーヴェントの虐殺に反対されることを予期していたとして。()()()()()()()()()()()()()()()()としたら?

 

 あの裁定は天蓋領が彼らを試すのではなく、手加減の枷をはめた三聖との──世界最高戦力との戦闘経験を積ませるための模擬戦だったのではないか?

 

「だとすれば……何のために……?」

「そこまでは測りかねますな。謎を暴くには材料が足りなさ過ぎる。現段階で述べられることがあるとすれば、理由はさておき、ドラゴレッド卿にとって真に必要なのは心臓単体ではなく、彼らそのものということです。それもある程度の困難を乗り越えられるほどの力を着けた……という修飾がつきますが」

 

 ただ、とヴァイスダムは付け加えて。

 

「最も気になるのはあの少年です。報告によれば、少年が現れてからアーヴェントの状況は激変した。千年の節目に都合よく現れ、『純黒の王』の腕を持つに至った彼の存在は、一見すると不可解なドラゴレッド卿の行動と何か関係がある特異点なのかもしれませぬ」

 

 済みましたぞ、とヴァイスダムは豪快なサイドチェストと共に接続作業を終えた。

 

 動作を確認すれば、驚愕なことに腕を失う前となんら変わらない感覚で左腕が稼働するではないか。 

 それだけではない。生身では不可能な関節の動きも可能としている。

 手首や肘関節が回転するのは造作もなく、魔力を籠めれば紋様が輝き、磁励音と共に嵌めこまれた魔石が共鳴を始めるのだ。

 

「素晴らしいな。紋様と魔石に基礎魔法の術式を付与しているのか。オリハルコンの魔力伝導率もあいまって、無詠唱でも強力な魔法を扱えそうだ」

「他にも少量のエネルギーで山ひとつ吹き飛ばせる小型分子崩壊弾ディザスターミサイルも搭載されておりますぞ」

「それは外してくれ」

「なんと……!? この浪漫をお分かりでない……!?」

 

 哀しみのダブルバイセップス。謎の筋肉発光にも心なしか陰りが見える。

 誤射でもしたら大変だろうと呆れたが、セーフティは掛けてあるとのことで、強力な魔物との戦いで是非使って欲しいと丸め込まれた。

 

「それはそれとしても、流石はヴァイスダム殿。叡聖の名に恥じない一級品だ。幾ら払えばいい?」

「お代は結構ですぞ。代わりと言ってはなんですが、試作品ゆえモニタリングをお願いしたく。あと血液を少々」

「血か? 何に使うつもりだ?」

「我が輩の叡智を更なる高みへ至らせるために必要なのであります! 鬼人(オーガ)とマルガンの混血であるグイシェン嬢の血液には秘められた叡智の階段が隠されていることは間違いないと真理の果てに手を届かせた男と名高き我が輩ことそうヴァイスダム・エイブラハムには」

「……叡智の探求もほどほどにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、嗚呼、見つけた。遂に見つけたんだ」

 

 陰鬱な空気が充満する暗室。

 爛れた肉欲の残香が這う淫靡の中で、一人の男が滂沱の涙を流しながら嗤っていた。

 

「カースカン。君は最期にとても素晴らしい仕事をしてくれた。ありがとう。本当にありがとう。お陰で僕の、この生まれながら背負い続けてきた罪の汚穢を、浄化してくれる真の英雄が見つかった」

 

 三日月のように裂けゆく口。糸を引いて枕に沁み込む銀の液。

 ケタケタと不気味に破顔する男の狂相は、まるで祈りを捧げ続けた敬虔な信徒が、神の降臨を目の当たりにしたかのような心酔ぶりで。

 

「揺るぎない信念。曇りなき正義の心。不屈の精神。そして悪を憎む暴力。どれをとっても……解釈一致だ……! 君に逢う日が待ち遠しくて狂いそうだよ。こんなにも、こんなにも、人へ恋焦がれる日が来るなんて夢みたいだ!」

 

 ベッドへ縛り付けた物言わぬ華奢な少年を抱き寄せる。

 ソレに偶像を投影するかのように、男はねっとりと首元へ舌を這わせると、猛獣の如く噛みついた。 

 

「ヴィクター。ヴィクター。嗚呼、なんて力強くて、甘美で、神々しい響きだろう……! はやく僕を見つけておくれ。囚われの城の深奥まで、僕を探しに来ておくれ」

 

 食い千切る。肉が、血管が裂ける。中身が暴れ狂うように散って踊る。

 猿轡の下からくぐもった悲鳴が波濤して、痙攣と共に静かになった。

 

 ぐちゃぐちゃと音を立てながら肉片を咀嚼する男は、筋張った繊維の塊をなんの躊躇いもなく呑み込んで。

 

「そして、嗚呼、僕をその手で裁いておくれ。我が愛しき救世主様」

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