不老不死とは、長らく死を恐れる人類にとって、恋焦がれる高嶺の花であった。
しかし断言する。一人の少女は断言する。
長く生きることは決して甘露などではなく、死ねないという束縛は、永遠に苦しみ続けることと同義であると。
賢者オーウィズ。外なる宙より現れた十の災い──
現存する唯一無二の不死鳥因子移植実験成功者。生命の危機に瀕すると再生の炎によって肉体を再構築し、新たな体となり生まれ変わる
類稀な頭脳をもって自ら不死を体得したオーウィズだが、しかし望んで死を克服したわけではなかった。
生きなければならなかった。死を捨てなければ星を
それを成し遂げられるのはオーウィズを置いて誰一人として存在せず。力持つ者は相応の責任を伴わねばならないのだと、苦渋の決断を迫られた果てに。
少女は、永遠という名の呪いに囚われた。
肉が裂け、骨が砕け、臓物を暴かれようとも、その体は何事も無かったかのように蘇る。
少しだけ。ほんの少しだけ形を変えて。
心が痛み、屈辱に塗れ、絶望に食い潰されようとも、その体は決して逃げることを許さない。
少しずつ、ほんの少しずつ歪みが増えて。
気付けば、不死身になる前の自分はどんな姿だったかも忘れていて。
気付けば、オーウィズという
狂いたくとも狂えず、終わりたくとも終われずに。
生きて。生きて。生きて。生きて。
弱き人々を守るために。壊れそうな世界を救うために。星を奪おうとする底なしの悪意を退けるために。
懸命に、懸命に、生き続けては戦ってきた。
しかし不死者とは、賢者とは、完璧という存在とは程遠く。
数多の失敗を、無限の傷を背負い、呑み込み、吐き下し、無理だと叫んで、それでも逃げられないから這いずって。
いつの日かただ聡かっただけの少女は、壊れることを奪われた英雄となった。
けれど。それでも。
曲げられた鉄板の折れ目は二度と平らにはならないように、『オーウィズ』の中に蓄積され続けた不死ゆえの宿痾は、未来永劫彼女を
男も。女も。子供も。老人も。
幾つもの、分け隔ても無い、望まぬ終わりを見届けてきた。
救えなかった人がいる。手放さなければならなかった人がいる。
天才は全能ではない。オーウィズは完璧ではない。
あの日。あの夜。あの場所で。助けてと叫ぶ声を、伸ばされた手を。
掴み損ねた数だけは、幾度肉体が真っ新に生まれ変わろうと、焼印のように残っている。
◆
「というわけで、本日よりアーヴェント宗家の執事長を務めさせていただくことになりました、イレヴンと申しまス! つまり貴方がたコロポックルズはワタクシの奴隷もとい部下! 汗水たらしまくる下っ端でございまス! さぁお分かりになったらワタクシを楽させるために馬車馬の如く粉骨砕身で働きなさーイ!」
「…………」
「アレー? すっごく剣呑な雰囲気。初対面の挨拶は元気よくすれば花丸100点だって本に書いてあったのニ! 詐欺著者野郎の家にはナメクジ一億放ってやりまス! プンプン!」
特に黄昏の森に住まう彼らは、迷い人を親身になって導き救うような穏やかさで有名だ。『禁足地』に住まう亜人種の代表、良き隣人と言っても過言ではない。
そんな十人の
ヒエヒエである。いつも見ているだけで温かくなるような笑顔をニコニコと携える幼気な住人が、まんまるな瞳を吊り上げ、口をへの字に曲げて、中には髪を逆立てながら牙を剥き「ヴゥゥッ!」と威嚇音を放つ者までいる始末だ。
気の弱いノノは涙を浮かべ、傍のエルルにしがみついて震えていた。
最も血の気の多いエルルはノノを守るように片腕で抱き寄せながら、モップをイレヴンに突きつけて立ち向かおうとしている。
「もの凄く穢れた匂いがする。おまえなに?」
「禍々しい気配。腐りきったどす黒い魔力」
「おぞましい。おぞましい」
「おまえ嫌い!」
「あぅぅ、怖いよぉ」
「泣いちゃだめ! 勇気を出して、わたしたちでお家を守るんだから!」
「そうだそうだ。今こそ報恩の時だ」
「二人に救われた命。ここで報いるべき」
「クロウデとお嬢様を守れー!」
「かかれーっ!!」
「ホホホホ。脆弱な森の原住民風情が、ワタクシに立てつこうなど笑止千万! よろしイ! 縦社会の厳しさというものを身をもって味わわせてやりまヌワ──────ッッ!?」
「良~い茶葉だねえこれ。コクの深い濃厚な香りなのに口当たりは爽やか。柑橘のフレーバーがお茶特有のクドさをまろやかに仕立てて後味にツヤがある。風味に潤いすら感じるよ」
「でしょでしょーっ! いきつけのお店で買ってるんですけど、特に好きな銘柄で。凄く美味しいですよね」
「ああ、ボクも気に入ったよ。いやしかし、千年も経てば嗜好品の質なんて比べ物にならないほど向上するものだなぁ。技術の進歩に好奇心を掻き立てられてやまないよ。後で成分を分析させてもらおう」
あの一件から実に七日。ようやく立ち直れたらしく、はれて館に訪れてきたオーウィズとのお茶会を兼ねた情報交換が行われていた。
シャーロットとオーウィズ、二人きりの小さな懇親だ。厳密にはイレヴンや
ヴィクターはリリンフィーと共に揃って席を外していた。というのも、リリンフィーの虚弱体質がためである。
オーウィズは現代魔法理論の祖として名を轟かせる偉人の中の偉人であり、かつて
名を知らぬ者など生まれたばかりの赤子程度と謳われるほどのビッグネームであり、本来こうして和やかにお茶を楽しめるような相手では断じてない。
シャーロットですら、初対面時はガチガチに緊張して凝り固まってしまったほどだ。
気を抜けば強張り過ぎた神経がプツッと切れてしまいそうだったあの感覚は、いまだ記憶に新しい。
こうして平静でいられるのも、例の一件を経て「あの賢者様にも残念なところがゲフンゲフン人間味に溢れた一面があるんだ」と、親近感を湧かせられたからこそである。
だがしかし、例え黒歴史を全世界に公開されたショックで泡を吹いて倒れようが大物は大物。
体の弱いリリンフィーをいきなり会合などさせてしまえば、冗談抜きに緊張で心停止させてしまいかねない。
心の準備を済ませてからということで、リリンフィーは後回しになったのである。ヴィクターは預かり係だ。
閑話休題。
千年の時を経て目覚めたオーウィズに、現代の情報を把握して貰うため、シャーロットが伝えられるものは全て伝えた。
今の社会模様に始まり、島で起こった出来事や、天蓋領との確執、記憶を失ったヴィクターについてなどなど。覚えている限り隅々まで。
反面、オーウィズから開示された情報は少なかった。せいぜい特殊な波動エネルギーを冥脈に乗せて
千年近くアーヴェントとの関りを断ち、霧の奥に潜み隠れながらミイラのようになってまで一体何を行っていたのか。虚数三次元構造体の演算とは何なのか。終ぞ教えてもらえず仕舞いである。
いわく、「内容を知られては意味がなくなる」とのことだった。
ひた隠しにされると気になってしまうのが人間というものだが、申し訳なさそうに口籠るオーウィズを見て、グッと好奇心を抑え込んだ。
「……ご家族のことは気の毒だったね。何の力にもなれなかったことが歯痒くて仕方がない。せめてイレヴンの覚醒が間に合っていたら……」
「お気になさらず。もう終わったことですから」
「……強い子だね、君は」
カップの中身を飲み干して、オーウィズは言葉を慎重に探るように言う。
「その、ちょっとした提案なんだが」
「何でしょう?」
「ボクに出来るせめてもの弔いを、というには少し語弊があるんだけれど。ええと、もし君が良ければなんだが……もう一度会えるとしたら、ご両親に会ってみたいかい?」
「──え?」
問われた質問を咀嚼出来ず、しかし受けた衝撃の大きさに、思わずカップを落としてしまいそうになった。
言うまでもなく、両親はとっくの昔に死んでいる。
エマに隠されていたリリンフィーとは違う。間違いなく、この手で遺骨を埋葬したのだから。
ならばオーウィズが言っていることは、つまり蘇らせるということか?
死人を? 有り得ない。いくら賢者の名を冠する魔法使いでも不可能だ。
オーウィズほどではないとはいえ、魔法というものがそこまで万能ではないことは、シャーロット自身もよく知っている。
「先に言っておくけど、蘇らせるわけじゃあないよ。死亡直後ならまだしも、時が経った死者を蘇生させるなんてボクでも不可能だ。……でも魂だけなら、冥脈から一時的に呼び出して対話することが出来る」
述べられた言葉たちを反芻し、はやる胸を抑えながら、冷静に努めて問いを返す。
「……交霊術、ですか?」
「有り体に言えばそうだね」
「ですが、その」
「机上の空論だと言いたいんだろう?」
オーウィズはお菓子を盛られた皿の中から、カラフルなクッキーをひとつ口に放り込んだ。
「君は亜人進化論、ひいては魔力因子の法則について知見はあるかい?」
「……はい。魔力には宿主の性質や記憶を宿す、因子という記録媒体が備わっているって話ですよね? それが
「その通り。心臓が生み出す魔力という名の生命エネルギーには、宿主の経験や性質を記憶する力があるんだ。言ってしまえば遺伝子に近いかな」
通常の進化論で考えた場合、例えば
両種とも遺伝的に異なり過ぎている。意図的に交雑させたとしても、生物として成立しようがないのは語るまでもないだろう。
それを可能にしたのが魔力因子という存在だ。
雌雄の生殖を経て子に伝えられる性細胞が内からの遺伝子とするならば、因子とは完全な外部からもたらされる外からの遺伝子である。
大怪魚の海に住まい、彼らを狩り喰らって生きて来た文明の人々は怪魚の因子に順応して
竜の墓場を住処とし、竜種の魔力に曝露され続けた人々の子孫は
このように、世界中の亜人種は因子に適応するという形で、新たな人類として確立されていった存在なのである。
「ここで重要なのは、魔力は宿主の性質を覚えるという点だ」
ポットからお茶を注ぎ、カップに口を着ける。
暖められた吐息を空気に解きほぐしながら、賢者の名を冠する女は続けていく。
「対象人物の遺物と、それに所縁のある人間の魔力因子を触媒に冥脈へ検索をかける。冥脈には死して還った生物たち全ての
淡々と、さも容易であるかのように、眼鏡の奥の瞳でシャーロットを見据えながらオーウィズは言った。
理屈は分かる。シャーロットも数々の魔法を学び習得してきた人間だ。彼女が口にした論が如何様な筋書きなのか、最低限理解出来ているつもりはある。
けれどそれは、素人感で捉えたとしても即座に不可能だと断じられるような、儚い夢物語でしかないのだ。
例えばの話。星を一周するほど巨大な川に一匹だけ魚が住んでいるとして、それを狙って釣り上げることは可能だろうか?
これはそういう話だ。あまりに非現実的過ぎるがゆえに、机上の空論として片付けられてきた魔法なのだ。
にも関わらず、オーウィズの言葉に虚勢は無い。
確固たる自信と共に示される力強さは、まるで雨音に混じるジャズのように鼓膜の奥へと沁み込んだ。
微塵も言い淀みのないその姿勢に、本当に可能としてしまうのではないかという、幽かな希望さえ生まれてしまうほどだった。
「魂をこの世に呼び戻すという行為は、時に死者の眠りを妨げる冒涜だと揶揄されることもある。ボク自身、そういった倫理観に抵触する外法であることは重々承知しているつもりだ」
再びクッキーの山をつつく。
一枚。二枚。重苦しい話題の苦さを、菓子の甘みで帳消ししようとしているように食んでいく。
「その上で問おう。君はご両親に会いたいかい? 伝えられなかったこと、伝えたいこと、そう言ったものを打ち明けることで、癒える傷もあると思うんだ」
「……私は」
喉に物が詰まったみたいに、答えを絞り出すことが出来なかった。
両親に会いたいか? そんなの会いたいに決まっている。
言いたいことなんて、胸の奥底に積もり過ぎていて吐きそうなくらいだ。
家族を失って辛かったこと。色んな出会いがあったこと。
苦しいことも多かったけれど、嬉しいことも少しずつ増えたこと。
新しい一歩を踏み出せるようになったこと。妹が生きていたこと。信頼できる友人が出来たこと。館に家族が増えたこと。
何より、今まで育ててくれた二人に、精一杯の感謝を伝えたい。
言いたいだけじゃない。言って欲しいことだって沢山ある。
頑張ったねって、偉かったねって、一言で良いから褒めてもらいたい。
そうしたらきっと、シャーロットは受け取った宝物を抱き締めて、これからも頑張っていけるだろうから。
けれど。
「私は、会いません」
水で濡れた若葉のようなオーウィズの緑の瞳を、真っ直ぐと見つめながら首を振った。
「会いたい気持ちはあります。本音を言えば、とても会いたい。会っていっぱい話がしたい。けれど今の私は、まだ両親に顔向けできるほど一人前ではありません」
「……」
「会えるとしたら、もっと立派になった私の姿を見せたい。リリンもです。健やかに育ったあの子の姿を見せてあげて、私たちを守るために失われたお父様とお母様の命は、決して無駄ではなかったのだと伝えたいのです。心から安心して、眠ってもらえるようにしたいのです」
少女が紡いだ、どこまでも真摯な言の葉たち。
それを噛み締めるようにオーウィズは瞳を閉じながら、カップに口を着け、雅な紅茶の香りを胸に満たした。
「立派だね。若いのに、本当に立派な子だ。君のご両親もさぞ誇りに思うことだろう。野暮なことを聞いてすまなかった」
「いえ、そんな。頭を上げてください。両親に会えるかもしれないだなんて、私も本当に嬉しかったんです。やっぱり博士は凄いお方なんだって、改めて実感しちゃいました」
「くっくっ。ああ、本当に良い子だねえ君は。ますます気に入ったよ」
そこで話は変わるんだが、とオーウィズは座り直すように言葉を投げながらクッキーを摘まんだ。
「シャーロット君。ボクを雇ってみる気はないかい?」
唐突に突き付けられた本日二度目の衝撃に、思わず呆然と固まった。
雇う?
自分が? 彼女を?
賢者と謳われた英雄の一人を? 普通逆では?
シャーロットの中でバグが発生した瞬間だった。予想だにもしないぶっ飛んだ申し出に、脳がこんがらがって機能不全を起こしてしまう。
「実は今日の本題はそれでねぇ。契約と言うと仰々しいが、同じ島に住まうもの同士、ぜひ協力し合おうと思って相談に来たんだよ」
驚天動地のあまり宇宙の真理を垣間見た猫の如く蕩け散らかしたシャーロットを「くっくっ」と愉快そうに眺めながら、オーウィズは続ける。
「あそこでイレヴンをふんじばってるコロポックルたちのように、ここで働かせて欲しいのさ。と言ってもボクはデスクワーカーでね、肉体労働はからっきしだ。代わりに事務仕事と、教育関連を任されよう。どうだい? 悪い話じゃないと思うんだけど」
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい! 話が急すぎます! 賢者様を雇うだなんてそんな、無茶です!」
「堅苦しく考えないでくれよ。雇用とは言うが、立場はあくまで対等さ。その方が気が楽だろう?」
「十分重責なんですけれど!?」
「まぁまぁ。ボクを使えたら色々便利だぜ? 例えばホラ、聞いた話じゃ禁足地遠征帰還届も、カプディタス発生に伴うコロポックルたちの被害状況報告も済んでいないんだろう? 違うかい?」
「うっ」
図星を突かれ、目を泳がせてながらたじろぐシャーロット。
述べられたレポートの提出は、ギルドに所属する『禁足地』遠征資格保持者に伴う義務である。
帰還から一月ばかり猶予はあるものの、超過すれば罰則を貰いかねない。
命を落としやすい治外法権の危険地帯に人が赴くことを許可する都合上、生死の確認を主としてどうしても必要な工程なのだ。
加えて帰還した者が蓄積する報告という名の情報源は、今後『禁足地』へ向かう人々にとって命綱となる場合もある、疎かにしてはならないとても重要な仕事である。
シャーロットも軽んじていたわけではない。単純に時間も人手も無かったせいだ。
そこに来てこの鶴の一声。畏れ多さといった一身上の都合を除けば、これ以上になく魅力的な提案なのは認めざるを得ないだろう。
「そういった雑事諸々を引き受けようじゃないか。初対面時は見苦しいところを見せてしまったけど、これでも優秀なんだ。遠慮なく使ってくれたまえよ」
くっくっと、声を殺して笑うオーウィズ。
しかしそうは言っても、安易に首を縦に振れないわけがシャーロットにはある。
オーウィズほどの傑物が力になってくれるというなら、これほど心強いものはない。ぜひとも手を取りたい。むしろ懇願する勢いだ。
しかし、しかしだ。最上級の魔法使いに対し、シャーロット側が対価として払える報酬なんて何処にある?
無い。何も無いのだ。伸ばされた手を受け取りたくとも、苦虫を嚙み潰してでも断らざるを得ないのだ。
そんなシャーロットの苦渋を綺麗さっぱり両断するように、オーウィズは屈託なく微笑んで言った。
「安心したまえ、お金は要らない。そんなもの、幾らだって稼げるからね」
「え?」
「ボクが要求したいのは、君がラボに持ってきてた竜の涙石と、この館の空き部屋一室、書斎、食堂の使用権利。あとは妹さんの──厳密には『純血』のアーヴェントの研究許可だね。……ああ、誤解しないでくれたまえ、何も非道な人体実験をさせろと言っているわけじゃない。データの少ない妹さんをきちんとボクの手で分析して、不安定で人の身に余る『純血』の力を安定化させる手助けをしたいのさ」
妹を研究したいという申し出に条件反射で突っぱねそうになったが、オーウィズの補足を耳にして頭を冷やした。
今一度、示された条件を脳裏で噛み砕いていく。
竜の涙石。それはいい。貴重品ではあるが、必需品ではない。
むしろそれで賢者の頭脳を借りることが出来るならお釣がくるくらいだ。
館の使用許可。それもいい。空き部屋は幾らでもあるし、書斎も半ば死蔵に近いほどの蔵書が眠っている。活用してもらえるなら、本も喜ぶことだろう。
妹の研究許可。今しがた聞いた話の限りでは問題ない。
オーウィズの言う通り、黒魔力の『純血』は非常にデータが乏しい。
この先どんな不測の事態がリリンフィーに降りかかるか未知数であることを鑑みた場合、きちんとデータを蓄積して解明を進めれば、もしかすると『純血』による虚弱体質を克服するか、良化させる手段が見つかるかもしれない。
ざっと考えただけでもメリットばかりの提案だ。損失なんてゼロに等しい。
それでも決断に踏み込めないのは、ひとえに
「……とても魅力的な提案ですが、率直に言います。本当の狙いは何でしょうか? いくらなんでも、私にとってあまりに利益しかない交渉です。まだ出会って間もない私たちに、どうしてそこまで?」
「端的に言えば、償いに近いかな」
「償いとは?」
「君のご先祖様にさ」
苦笑と共に答えたオーウィズには、どこか仄暗い陰があった。
「イレヴンから聞いたよ。今の時代じゃ、アーヴェントは世界を支配しようと目論んだ逆賊として伝えられているそうだね?」
「……はい」
「それは誤りだ。彼らは世界征服なんてこれっぽちも考えちゃいなかった」
きゅうっと、胸が締め付けられるような錯覚。
けれどそれ以上に、隙間から春風が迷い込んでくるような、微かな温かみが萌芽していく実感があった。
ああ。だって。
例え歴史上の大罪人と揶揄され続けて、辺境の島に追いやられたような没落を辿っても。
アーヴェントは、自分のルーツは、魔を払う気高き戦士であったのだと。そう信じ続けてきたシャーロットにとって、オーウィズという生き証人の言葉は、どれだけ慰めになることか。
「全滅してしまったことは確かだ。だがマルガンのせいじゃない。アレン=アーサーの手引きでもない。ましてや聖女の思惑でも」
「では、どうして?」
「……すまない。それは言えないんだ。この世には、
排水に口を着けたように険しい表情。
オーウィズの内に湧き上がるグズグズとした感情の悪露が、水面へ浮かぶ水泡のように表情へ現れていた。
それを紛らわすためか、オーウィズは内ポケットからマビキ草の巻き煙草を取り出して火を着けていく。
「詳細は話せないが、当時アーヴェントは未曽有の危機に見舞われていた。冗談でも何でもなく、ある日突然、一夜にして全滅寸前まで追い込まれかけたんだ」
ツンと清涼感のある、ハーブのような紫煙がくゆる。
「ボクは僅かな生き残りをこの島に避難させたが、全員は救えなかった。見殺しにせざるを得なかったんだ。……中には、君より幼い子供なんかもいてね」
ふと、シャーロットは気付く。
煙草を挟む指が、幽かに震え始めていたことに。
「助けてくれと懇願する声を、この子だけでもと縋る親の手を、ボクは払い除けて────」
「博士、無理をなさらず。顔色が真っ青ですよ」
話が進みゆくにつれて、さぁっと血の気が引き下がり、死人のように蒼褪めていた。
煙に紛れる瞳の裏で一体どんな光景が再生されているのかは分からない。
けれど、
「ああ……はは。気を遣わせちゃったか。我ながら情けない限りだな、ごめんよ」
「大丈夫です。博士の気持ちは、十分伝わりましたから」
シャーロットには今の一幕で十分だった。
詳細は語られずとも、オーウィズが敵意や悪意を潜めていないことへの証明にはなったから。
むしろ
例え辛い決断の果てに犠牲を生んでしまっていたとしても、これは、これだけは、この場で伝えておかねばならないのだと。
「私にはとても想像もつかない、大きな苦悩があったかと存じます。けれど、博士。あなたのお陰で、アーヴェントは今もこうして生きているのです。それを忘れないでください。あなたの尽力は無駄などではなかった。あなたが背負った決断と苦しみは、決して過ちなどではなかったと思います」
オーウィズの手に、そっと自分の手を重ね合わせる。
寄り添うように、シャーロットは紡ぐ。
「現代当主として我が先祖に代わり、偉大なる英雄に心から感謝と敬礼を。私たちを守ってくださって、本当にありがとうございました」
「──っ」
オーウィズは驚きに目を見張って、時が止まったかのように静止した。
「博士。私の方からもお願いをさせてください。どうか、私たちの力となっていただけませんか?」
一拍、二拍。
送られた言の葉の束を抱き締めながら、ほんの少しだけ瞳を潤ませて、オーウィズはくしゃっと微笑んだ。
「……ああ、ああ。もちろん。喜んで」
◆
「やぁやぁ。千年ぶりだねぇ、陛下」
館の地下。薄暗い石の階段を降りた先、『純黒の王』の亡骸が眠る霊廟にオーウィズはいた。
かつての魔王との戦いで仕えた主に会いたいと、シャーロットに願っての会合だった。
「出会い頭になんだけど、一服良いかい?」
ヒトガタに刳り貫かれた暗黒のような異形の骸を前に、オーウィズはまるで久しく再会した旧友と対するような気さくさで、マビキ草の煙草に火を着ける。
「……アーヴェントが生き残ってくれていて本当に安堵したよ。お陰でフェーズ3は達成だ。あなたの献身が実を結んだんだ。一番の懸念材料を排除できたことを祝おうじゃないか」
指を弾き、小さな金属製のボトルと器を手元に召喚する。
封を切れば、濃い酒精が顔を出した。
トクトクと器に注ぐ。透き通った酒で満たされたその杯を、捧げるように遺骸へ供えた。
「聞いたかい? この時代じゃアーヴェントは逆賊として扱われているらしい。政はマルガンが握っているそうだけど……何の意図があってそんな風に改竄したのか興味があるよねぇ。近々調査してみようと思う」
オーウィズはボトルを掲げ、独り乾杯の音頭をとる。
ぐぃっと一口。焼けつくような酒の疾駆が喉を滑って腹に落ちた。
「しかし安全確実と思われてたこの島も、どうやら間一髪だった様子じゃないか。まさかポータルを突破する異能者が現れるだなんて、思いもよらなかったよ」
熱い、熱い、空気を焦がさんばかりの白煙の吐息が、ふぅと口から旅立った。
「アーヴェントに悪意を持つ存在は自動で弾くようプログラムしてたんだけどなぁ……どうやら能力で自分の頭を弄って、自発的に悪意を抱かないよう改造を施していたらしい。狂気の沙汰だ、まったく」
スキットルを仕舞い、マビキ草に口を着ける。
「ヴィクター君のお陰だ。彼のお陰で、アーヴェント絶滅という最悪の想定は覆された。……だがそれはそれとして、あの少年は何者なんだい? 初めて見た時は驚いたよ。髪色や背格好は違うけど、
煙を吸う。
涼やかな香が満ちていく。
ふくんで、吐息。
「島にいきなり現れたと言うが、彼の出現はボクの手筈じゃない。そもそもプランに存在しなかった。……であれば、あなたの独断かな? 陛下」
うっすらとした白の名残が、暗闇を悠々と泳いでいく。
オーウィズは目を細めながら、どこか遠くを眺めるように虚空を見た。
「千年待った。千年も仕込んだ。もう十分だ。ならば駒を進めようじゃないか」
王に捧げた杯を取り、飲み干すことの叶わぬ主に代わって空にする。
アルコールが血流を巡る感覚。ふわふわと微睡むような浮遊感。
それもすぐに冷めてしまう。特異体質がゆえの弊害か。
「世界を救うにはあなたの力が必要だ。あなた無くして、ボクたちの完全勝利は約束されない」
踵を返し、背を向ける。
靴音を響かせながら、霊廟の出口に向かって歩く。
「必ず蘇らせてみせる。そして今度こそ、魔王との戦争を終わらせよう。この時代を、これからの輝かしい未来を生きるあの子たちのためにも、絶対に。そのためならボクは千の死を迎えようとも諦めないさ。……だからもう少しだけ、ここで待っていておくれ」
重々しい石造りの扉を開き、最後に一度だけ、玉座に眠る主の亡骸を一瞥して。
来たるべき