銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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36.「影の匂い」

「君がリリンフィー君だね? 話は聞いてるよ。ボクはオーウィズ、仲良くしてもらえると嬉しいな」

「はわわ。はわわわ。はわわわわ」

 

 時は移り、晴れてリリンフィーと顔合わせの時がやってきた。

 

 オーウィズとイレヴンが正式に館の一員となったことへの歓迎会も兼ねられ、盛大に飾り付けられた巨大ホールに一同が介している。かつて館の住人たちが、パーティの際に使っていた大広間だ。

 そこかしこに点在する純白のクロスで覆われた円盤状のテーブルには、豪勢で色彩豊かなご馳走の博覧会が開催され、ホール中の食欲を掻き集めていた。

 

「さぁ刮目なさい、狂乱なさイ! ご覧に入れますは日の出前から仕込み手がけた最強の料理軍団! ひとたび味わえば即昇天間違いナシの傑作選にございまス! 卑しい豚のように食って健康的に肥え太りやがりなさーイ!」

「なさーい!」

 

 意気揚々と宣言したのは、イレヴンとコック長小人(コロポックル)である。

 ファーストコンタクトは取っ組み合いになっていた彼らも、どうやら和解の道に辿り着いたらしい。

 ふんす、と二人揃って得意気に胸を張る自信に偽りはなく、口にすれば目を輝かせずにはいられない文句なしの出来栄えだった。

 

「う~~んめえ~~っ! 滅茶苦茶ウマいぞこれ! イレヴンお前まともな料理出来たんだなぁ、見直したぜ」

「当然でス! なにせワタクシ、炊事洗濯掃除なに一つまともに出来ない生活力クソ雑魚ナメクジのミレニアム干物女を介護し続けてきたベテランですからねェ!」

 

 どこからともなく飛んできたペンがイレヴンの側頭に突き刺さった。

 

 クソ痛ってえデース! と悲鳴を上げる執事を余所に、コック長たちも楽しんでほしいと仲間の小人(コロポックル)が料理をもって詰めかけ、和気藹々と盛り上がっていく。

 

 その一方、オーウィズの前でガチゴチに緊張し「はわわ」しか喋れないゴーレムと化しているのはリリンフィーだ。

 

「あ、あ、わたしっ、リリンフィー・ウェンハイダル・アーヴェントと申します! よよ、よろしくお願いしましゅ! はぅ、嚙んじゃった……」

「くっくっくっ。こちらこそよろしく。ああしかし、雪の妖精みたいに可愛らしい子だね。これは将来が楽しみだ」

「でっしょー流石博士リリンの魅力を理解してらっしゃるそうですもう世界一可愛いんです毎日見てて飽きないくらい何なら毎朝お顔を見るだけで一日頑張れる力が漲ってくるしなんだろう天使かなってでも間違いじゃないと思うんですよねほんとそれくらい可愛いくて良い子だし綺麗だしどこに出しても恥ずかしくな」

「姉の方はヤバいねえ」

「駄目ッスよ博士。こいつドがつくほどのシスコンなんで、妹のこと褒めると丸一日トリップに巻き込まれちまって手に負えねえんだ」

「誰が厄介シスコンモンスターお姉ちゃんですって!?」

「ちょっと自覚してる節あンじゃねえか!」

「わたし、凛としてるおねえちゃんがカッコよくて好きだなー?」

「うんわかったぁ」

 

 駄目だコイツもう手遅れだ。ふにゃふにゃ笑顔で妹全肯定なシャーロットは、もはや救えないものだと天を仰ぐヴィクター。

 

 しかしながら、姉の熱烈な愛情を上手く流しつつ手綱を握るこの妹。無邪気なようで実は結構な策士なのではないかと、幼気に隠された強かさの片鱗に感心を覚える。

 

「あのあの、オーウィズ様! わたしオーウィズ様のお話が大好きで……ご迷惑でなければ、この本にサインを頂けませんかっ?」

「ゴフッ──失敬、持病の吐血でね。たまに出るんだ、気にしないでくれたまえハハハハハ。ああ、サインだったね? もちろん書いてあげるとも。ボクが子供の頼みを無下にするわけないだろう?」

 

 リリンフィーから恐る恐る差し出された己の黒歴史に、手早くサインを描いていくオーウィズ。

 ペンを走らせる手が震えていたのをヴィクターは見逃さなかった。強く生きてくれと、心の中で合掌を送る。

 

 賢者本人の直筆サインという、この世に二つとない宝物を手にしたリリンフィーは、年相応に目をキラキラと輝かせながら大事そうに本を抱き締めた。

 幼い少女の屈託ない笑顔を守れたならば血を吐いた甲斐もあったと、オーウィズはキリキリ痛む胃を黙らせつつ気合で微笑む。

 

「さ、さておき、君もよろしくねヴィクター君。何か困った事があったら遠慮なく頼ってくれたまえよ」

「マジすか? なら魔法の勉強を教えて欲しいッス! 俺、魔法は使えないんですけど、やっぱ基礎くらいちゃんと学んでおきたいんで……」

「そんなことで良いのかい? お安い御用だとも」

「あーっ、おにいさんズルい! わたしも! わたしもお勉強教えて欲しいですっ!」

「ご迷惑でなければ私もぜひ。賢者様直々の授業だなんて、受けないわけにはいかないわ」

「くっくっ。では近々講義を設定しよう。いやぁ、また教鞭を振るえるだなんて腕が鳴るね。楽しみにしていてくれたまえ」

 

 三人揃ってやったー、と喜びをハイタッチで共有する。

 魔法理論体系の祖であるオーウィズ直々の授業など、どれほどの大金を積んだとて叶うことのない屈指の贅沢である。喜び度合いは青天井だった。

 

 ヴィクターは魔法を使えないが、だからと言って知らなくて良いというわけではない。

 魔法と関わる機会など、これからも自ずとやってくるからだ。

 

 今までシャーロットに頼りっぱなしだった知識部分を自分でも補えれば、いざという時に彼女の負担を減らせるはずである。学んでおいて損は無い。

 

 ひとまず文字を読み続けても眠くならないように特訓しなければ、と密かに決心を固めていると、オーウィズがふと何かを思い出したようにポンッと手を打って。

 

「ああそうだ。ヴィクター君、明日の予定は空いてるかい?」

「? 特に何も無いッスけど」 

「それは良かった。じゃあラブラブデートと洒落込もうじゃないか!」

 

 ヴィクターは飲みかけのフルーツジュースを全部噴き出した。

 

 

 後日。オーウィズの有言実行のもと、ヴィクターはいつもの港町へと繰り出していた。

 

「おおー、ここが港町ダモレーク……! なんとも美しい町並みじゃあないか」

 

 ポータルの出入り口に使っている路地裏を浮足立ちながら飛び出して、飛び込んできた景色を味わいながら感嘆の声を漏らすオーウィズ。

 

 現代初めてのお出かけというのもあって気合が入っているのか、それとも意外とお洒落好きなのか。アンニュイな探偵少女風の衣装から一転、パリッとした出で立ちへと変貌していた。

 

 いつもの眼鏡は変わらず。チェスターコートをブラウンから紺に変え、インナーを真っ白なブラウスに、スカートとストッキングをダークグレーのパンツへと交換している。

 シャーロットより小柄な背丈と中性的な容貌が相まって、ダウナー系の美少年へと化けていた。

 

「デートって、ただギルドまで案内するだけじゃないッスか。誤解招くようなこと言わないでくださいよー」

「くくっ、ちょっとした冗談のつもりだったんだがね。まさかシャーロット君からあんな可愛らしいリアクションを貰えるとは思わなかったよ」

「勘弁してくださいって。あの後大変だったんスからね」

 

 ヴィクターは隣でクスクスと笑う、波乱を生んだ元凶をジトッと睨みながら口先を尖らせた。

 

 というのもシャーロットである。あの発言でちょっぴり拗ねてしまったのだ。

 

 無論、オーウィズの冗談を鵜呑みにしたわけではない。彼女がそこまで思い込みの強い人間でないことは、ヴィクター自身よく理解している。

 あれは何と言うか、頭では分かっていてもモヤモヤを抑えられないというような具合だった。

 

 オーウィズの誘いに横槍を入れる筋合いなんてシャーロットにはない。別に気にする理由も無い。けれど何となく、二人きりで出かけさせるのは面白くない。そんな感じでプンスコしていた。

 つまるところヤキモチである。恐らく本人に自覚は無いだろうけれど。

 

 一応「また今度出かけようぜ」とフォローしたものの、「私そんなチョロくないから」と突っぱねられてしまった。

 ビビアンのもとで修行を積んだつもりだったが、女心とはかくも悩ましく難しい。

 

 その後「今の私かなりめんどくさかったかも」と内省を零したシャーロットが、「そうかも」とリリンフィーにクリティカルヒットを貰って轟沈してしまい、蘇生させる方に手間取ったのは内緒である。

 

「というか何で俺? ギルド関連はシャロの方が適任だと思うんスけど」

「ああ、妹君のためさ。姉と二人きりで相談する時間が必要だったんだよ。女の子は何かと入り用だからねぇ、年頃ともなれば尚更だ。道案内だけなら君でも可能だろう?」

「よく分かんないけど、とりあえず今は男子禁制だから俺をチョイスしたってことっスね。でもイレヴンは? そんな状況ならアイツ放っておくの不味いでしょ」

「ノープロブレム。ボクが戻るまで姉妹と接触しないよう命令しておいたから。普段はアレだが、契約は反故にしないタチだ。その点だけは信用できる」

 

 へえ、と納得を漏らしつつ、車道側の道を歩く。

 

 他ならぬイレヴンの主──正確には所有者なのかもしれないが、とにかく長い付き合いのあるオーウィズが言うのなら間違いないのだろう。

 得心の行ったヴィクターだったが、「その点だけは信用できる」ということは他は一切信用できないのでは? と思い至って顔を引き攣らせた。

 

「まぁそれとは別に、わざわざ君を連れ出した理由はある」

「?」

「率直に言えば、君がボクを疑っているからだね」

 

 朧に光る山羊のように水平な翠の瞳が、眼鏡越しに心中を覗き込むようにヴィクターを見た。

 

「誤解しないでくれたまえ、責めているわけじゃないよ? ただ、君が警戒心を解いてくれていないという事実を述べただけだ。その訳も理解しているとも。突然現れた賢者を名乗る怪しい女なんて、裏切り者(エマ)の経験を踏まえれば疑って当然の帰結だからねぇ」

「……裏を返せば、博士もまだ俺を信用しきれてないわけだ。理由もなく島に現れた正体不明の記憶喪失男ってのは、博士の立場から見たら相当怪しいモンでしょう?」

「くっくっ、察しが良い。そう! つまり今日の本題は、お互いのことをよく知るための親睦会ってわけなのさ。ギルドに寄るのは効率の一環だよ」

「うわ面倒くせえ人だ」

「えーっ!? なんでなんで!? どうしてそんな罵倒が飛び出してくるのさ!?」

「要するに博士、同じ島で過ごす者同士仲良くしたいってだけなんでしょ? 滅茶苦茶回りくどいじゃないッスか」

 

 もし本当にオーウィズが潔白を証明したいのであれば、最も怪しいイレヴンをこの場に同席させ、敵意が無いことを示したはずである。

 危害を加えさせないよう口約束で拘束したから大丈夫、なんて言い分は、例え賢者を冠する者の口から出た言葉であっても──否、大仰な肩書を持つ者の言葉であるからこそ、信用を勝ち取るにはあまりに不十分な説得力だ。

 

 それでも丸め込めるとオーウィズが踏んだのは、そもそもヴィクターから向けられている怪訝の強さがさして脅威でもなければ、今後の生活で支障になるレベルでもないと理解しているからに他ならない。

 

 姉妹だけの時間が必要だったというのは本当だろう。

 それと同じく、疑いを晴らしたいというのも、ヴィクターという未知の存在を品定めするためという目的も、きっと本心に違いない。

 

 けれど、そんなことは別に堂々とヴィクターに宣言する必要もないはずで。

 それこそ仲良くなったフリをして諜報に徹すれば、オーウィズほどの人間なら『欲する答え』などすぐに捻り出せるに決まっている。かつてエマがそうしたように。

 

 つまりオーウィズは、「お互い友達の友達みたいな関係でちょっと距離あるけど、同じ館で過ごす仲間なんだから早く仲良くなりたいな」と言いたいだけなのである。

 

「わざわざ面と向かって『お互い腹の内を探り合おうね』なんて言う奴いないっスよ。何か裏があると思わせぶっておいて、実は何も無いと見た!」

「ぐっ……反論の余地が無い……! でもしょうがないだろー!? 遊びの誘い方なんて教わったことも無いんだから!」

「いやいや、友達(ダチ)の一人くらい博士にも居たはずでしょ? ンなの適当にあそび行こうぜくらいのノリで良いんスよ────あっ」

「……………………」

「すんません、いやほんとすんません、悪気は無かったんスよぉ! だから、えっと、涙目のまま無言で睨まないで欲しいなー、なんて!?」

「…………いーもんいーもん。どうせボクは陰の者だもん。くくっ、ああそうさ、そうだとも! ボクは友達なんて一人もいない、お出かけの誘い方も知らない千年物のビンテージ喪女なんだよ! アッハッハッハッハ、どうした? 笑えよ」

「あっ、あーっ! 実はあっちに良~い感じのお洒落なカフェがあるんスよねぇーっ! 前から気になってたんすけどこの機会にどうっスか!?」

 

 グスグス嗚咽を漏らし始めたオーウィズの手をひっぱり、街路樹立ち並ぶ石造りの町を歩いていく。

 道路を行きかう(キャルゴ)たち。町中をせせらぐ水路の歌。かかった橋の上を通り過ぎれば、グリーンカーテンに囲われた喫茶店が見えてきた。

 

「へぇ。これはまた趣のある」

「お洒落っしょ? まぁ俺も初めて来たんスけど」

 

 白い屋根。アンティークで渋い木造の壁。しかし近寄りがたい雰囲気はなく、植物の鮮やかな緑と温かいオレンジ色のランプが店頭を飾り、老若男女を問わず出迎えてくれる素敵なお店だ。

 硝子越しに覗くと、中には人の姿がチラホラ。幸い混んでいる様子は無さそうなので、ヴィクターはオーウィズを連れて飛び込んだ。

 

「目をつけてたのかい? 中々センスあるじゃないか」

「昔、町中の店を片っ端から調べたことがあったんスよ。ここもそのひとつで」

 

 店員に人数を告げ、店の奥にエスコートしていく。

 ガラス窓から外を一望できる角席だ。周辺のテーブルに人はおらず、会話を聞かれる心配も無い。

 ふかふかのクッションが敷かれた椅子に腰降ろしたヴィクターは、メニュー表を取りオーウィズへと手渡した。 

 

 料理やドリンクの名前がずらりと並ぶお品書きには、どれもエルフ風と銘打たれていた。

 エルフ風とは、文字通り森人(エルフ)の食習慣を主軸に、大衆向けとしてアレンジされた絶賛流行中の料理である。

 新鮮な果物や野菜、卵をふんだんに使ったヘルシーで栄養満点な献立が売りであり、美容健康に気を遣う人でも遠慮なく楽しめるコンセプトが人気を博しているという。

 

「好きなの頼んでください。ここは持ちますんで」

「え? いいよぉ、お金ならいっぱいあるし。両替商で金貨を換金出来たからね」

「いやいや、よく考えたら俺さっき考えなしに酷いこと言っちゃったんで……お詫びさせてください」

 

 ヴィクターが示す反省とは、オーウィズの身の上に対する失言だ。

 

 彼女は不老不死の人間である。寿命は無く、老いもない。病や怪我で絶命したとしても、青い炎で肉体を再編成し蘇ってしまう。

 言い変えれば、親しい存在は必ずオーウィズより先に死を迎えるということだ。

 今までも、これからも、彼女は常に看取る側にしか立つことが出来ない。

 

 そんな彼女へ友人云々の存在を当たり前のように宣うなど、あまりに浅慮でしかない失言だったと気がついた。ヴィクターはそこを省みたのだ。

 当の本人は気にしていない様子だったが、場の空気を下手に重くしないよう、真正ボッチを取り繕ってお茶を濁した可能性もある。本当にボッチな可能性もあるが。

 

 さておき、事の真偽は重要ではない。ヴィクターの失態を自虐でフォローさせてしまったならば、大なり小なり償いをせねば筋が通らないと考えた。

 

「……ふぅん? なら、お言葉に甘えちゃおっかなぁ」

 

 その意図を理解したのか、それとも別の思惑か。オーウィズは眼鏡の奥で掴みどころのない微笑みを浮かべながら、メニューに視線を滑らせた。

 

 初めて目にする名前の群れが好奇心をくすぐるのか、「これはなんだい?」「こっちはどういう食べ物なのかな?」と興奮気味に質問を繰り返していく。

 悩んだ末に「蜂蜜湖のパンケーキセット」を注文すると、ほんのり湯気を漂わせながらふかふかの太陽のような焼き菓子がやってきた。

 

 手慣れた手つきで運ぶ熟練スタッフの腕前でも、ほんの僅かな慣性で揺れ動くほどふんわり柔らかな二枚の生地。

 白磁のプレートに段々重ねで座る姿は愛らしく、ちょこんと被ったバターアイスの帽子が熱でじわりと溶けだしてゆく光景は、否応もなく食欲を刺激する。

 皿は少し奇妙な形をしていて、ソースか何かを添えるのか、端の方に小さなポケットが存在していた。

 

「わ、わ、フワフワだ、可愛いなぁ。食べるのがもったいない」

 

 平時は隈で縁どられたハイライトに欠けるオーウィズの瞳が、眼鏡の奥でキラキラと輝きを増した。

 

 喜びように気をよくしたか、壮年のスタッフが銀食器のピッチャーを軽やかに取り出して、黄金の蜂蜜をアイスの上からたっぷり降り注がせていく。

 するとどうだ。溶けたアイスクリームと混ざり合って、乳白の運河が生れ落ちたではないか。

 

 極上のソースはパンケーキを伝い、皿底のポケットに魅惑の湖を作っていく。

 これが蜂蜜湖の由来かぁと、二人は興奮気味に感嘆の声を唸らせた。

 

「ああなんて美味しそうな……! 目覚めてからギャップに驚かされてばかりだけど、特に食べ物は素晴らしいね。本当に目を見張る進化だよ。文明の潤いを計るのに最適な指標は庶民に浸透する食文化だが、まさかかつて貴族でも口に出来なかったようなご馳走を楽しめるなんて……良い時代になったんだなぁ」

 

 どこか感慨深そうな眼差しで、両手にナイフとフォークを握り締めながらパンケーキを眺めるオーウィズ。

 頬を綻ばせながら堪能していくその姿は、見た目相応の少女のようだった。

 

 

「…………」

「どうしたんだヴィクター君。あっちに何かあるのかい?」

「……いや、気のせいッス。それより、ギルドには寄らなくて良いんで? めっちゃ寄り道しまくってますけど」

「ああ、大丈夫。まだ事務所の営業時間に余裕があるからね、ギルドは最後で構わないよ。さてさて、次はあっちの方を見に行きたいな」

 

 カフェを発った後、二人はぶらぶらと町の中を散策していた。

 

 まず役所で地図を入手。それから図書館、交通機関のステーション、水路を巡り、港、市場、公園などなど、オーウィズの足が向かうままに歩き続けること数時間。 

 立ち寄っては何らかのメモを取り、時たま虚空へ文字を描くようなジェスチャーをしながら、オーウィズはふむふむほうほうと納得や感心の声を漏らしている。

 

 ヴィクターには彼女の心中は読めないが、とりあえず満足している様子なので良しとしていた。

 

「いやぁ素晴らしい、この町はファンタスティックなことばかりだね! ボクの知る時代とは何もかも一線を画している。感動に打ち震えるようだよ」

 

 まるで春風が音色になったかのような、心の踊りようがルンルンと乗せられた声。

 

「町は美しく活気に潤い、多種族社会を前提とした配慮が隅々までいきわたっていて、インフラは充実し、水は清潔。食はただの栄養摂取ではなく、美味を追求するゆとりを持っている。何より子供がみんな笑顔だ、ちゃんと福祉も行き届いているんだろう。この治世ぶりには恐れ入った!」

 

 今にも拍手喝采を町中に響かせんばかりの賞賛の嵐。

 歓喜の底から込み上がってきた眩しい笑顔で、足取りを弾ませながらオーウィズは言った。

 

 どうやら町を観察して世の繁栄具合を確かめていたらしい。満足のいく調査結果だった様子で、この上なく上機嫌になっていた。

 

「サンプルがこの町だけだから一概には言えないが、片田舎でこの豊かさなら、少なくとも館で見た資料と世相が乖離している線は薄いか。うんうん、よきかなよきかな」

「やっぱ博士の時代って……その、相当凄かったんスか?」

「一本の雑草より身元不明の死体を見つける方が簡単だったよ」

 

 歴史が正しければ、オーウィズの生きた時代は人類史上最悪の大災に見舞われた暗澹の時だ。

 

 激動の坩堝を生き抜き、人類の存続と繁栄を賭けて戦ってきただろう彼女の目には、ヴィクターが見る光景よりも強く輝いた、鮮やかな景色で満ち溢れているに違いない。

 それは紛れもなく、彼女の慈しむような微笑みが証明していた。

 

(本物の笑顔だ。心の底から嬉しそうに笑ってる。魔王なんて化け物と戦って未来を掴もうと藻掻いた人だ、きっと平和な未来の光景が本当に本当に嬉しいんだな)

 

 ヴィクターは現在(いま)を生きる人間だ。過去は伝聞でしか知らない外野に過ぎない。

 百聞は一見に如かずと言うように、伝聞と実体験では解像度に雲泥の差が生まれる。

 

 けれど、青空の下でハミングを奏でながら心弾ませるその姿は、オーウィズという人間が歩いた足跡を垣間見せてくれる小さな窓のようで。

 

魔王(マグニディ)の災禍は読むだけで気分が悪くなるほど惨いもんだった。それを乗り越えなきゃいけなかった博士の苦難は想像もつかねえ。だってのに、この時代に生まれたかっただとか、平和ボケに辟易するみたいな妬みも嘆きもなく、純真に祝福を手向けている。……諦めなかったからだ。願っていたからだ。ひたすらに、平穏な世界が訪れることを望んでいたからなんだ)

 

 オーウィズは一見すると、掴みどころのない霞のような女だ。

 

 小柄で中性的な容貌。癖毛気味な灰色のウルフカット。翡翠を湛える山羊のように水平の瞳。

 ほの暗いながらも何処か陽気で、浮世離れしているようで人間臭く、型破りっぽくも常識がないかと言えばそうでもない。

 

 端的に言えば怪しさの塊だ。仮に第一印象だけで彼女と信頼関係を築けるかと聞かれたら、10人中8人は首を振ってしまうだろう。

 

 けれど、本当の彼女はこんなにも。

 

(綺麗で、尊敬できる人なんだ)

 

 ヴィクターは彼女の中に、確かな不屈の柱を見た。

 逆境の茨に縛られようとも、苦痛の過去に囚われようとも、決して挫けることのない強靭な精神。

 幾多の傷を負ったとしても、誰かの幸せを心から願い喜べる、そんな眩しい情景を。

 

「っと、そろそろ切れる頃合いか。一服良いかい?」

 

 腕時計に目を遣って、オーウィズはいそいそと懐から煙草を取り出した。 

 彼女が愛煙している特製のハーブシガレットだ。本人曰く、厳密には煙草に似ているだけの()()()()らしい。

 

 手慣れた仕草で咥え、スマートに火を着けていく。その一連がちょっぴりかっこいいと羨ましくなった。

 漂い始める清涼を孕んだ白い蒸気を感じながら、そういえば一体何の匂いを消しているのかと尋ねてみる。

 

「ボクは少々魔力が特殊でね。そのせいでコロポックルのような魔眼持ちには酷く奇特に見られてしまう。下手に怪しまれるのも厄介だろう? だからコレで中和しているというわけなん────」

「コラ────ッ!! 子供が煙草なんか吸ってんじゃねぇぞ────ッ!!」

 

 背後から突然、極大の怒声が爆発した。

 あまりの音圧にぶん殴られ、二人揃って電気を流された魚のように肩を跳ね上げながら仰天模様で振り返る。

 

 鬼の形相で走ってくる大男がいた。

 ドドドドドドドドドッ!! と猛々しい跫音を掻き鳴らし、恐ろしく砂塵を巻き上げながら迫り来る姿はまさに怒り狂う雄牛のよう。

 

 あまりの迫力に跳び上がって「へっ、えっ、なんだいなんだい!?」とヴィクターの背に縋りつくオーウィズ。

 一瞬ヴィクターも身構えるが、謎の突撃男の正体を把握して緊張を緩めた。

 

 何せかつて世話になった、仕事先の親方だったのだから。

 

「お、親方!?」

「おう坊主、久しぶりだな! 元気してたか!? オヤジが会いたがってたぜガッハッハ!! っと、んなことよりこっちで小せえガキが非行に走ってた気がしたんだが……?」

 

 鋭く目を細めながらキョロキョロと辺りを見回す親方。

 ヴィクターは「あー」と灰色の声を漏らして頬を引き攣らせながら、そういえばドがつくほどの嫌煙家だったなこの人と、背後にすっぽり隠れているオーウィズに意識を向けた。

 

 誤解とはいえ見つかったら面倒そうだ。親方の煙草嫌いは筋金入りで、ダモラスも渋々従ってしまうほどである。

 とは言っても、このままでは直ぐにでもバレてしまうのは自明の理だ。

 

 しかしそんな杞憂は、空気に溶けた煙のように消え失せた。

 というか、オーウィズが消えていたのである。

 

(ここだよ。まだ君の後ろにいる)

(博士!? えっ、姿が見えねえんですけど……!?)

 

 尻目に確認するが、目の錯覚でもなんでもなくオーウィズは見えない。

 声だけがうっすら聞こえる状態だ。

 

(『透明化魔法(ヒアリン・ヴェルム)』さ。ふふん、凄いだろう?)

(凄いッスけど、早く何処かに移動しないとあんま意味ないッスよ!)

(無理だ。無詠唱のまま粗雑に即興したせいで動くと半透明になっちゃう。彼とエンカウントするのは非常に面倒くさそうだからね、しばらくじっとしておくことにするよ)

 

 皮切りに、オーウィズは黙りこくって存在感ゼロに徹していく。

 

 何だかおかしなことになって来たが、あの一瞬で魔法発動の痕跡すら匂わせることなく完璧に姿を消すとはやはり大魔法使い、伊達ではない。と、ヴィクターは半ば現実逃避気味に再認識する。

 

「おかしい。忌々しいクソッタレ不健康悪魔の匂いがしねえ。でも確かに見たはずなんだよなぁ~っ! こーんな小せえガキンチョがよぅ、プカプカ煙ふかしてやがった衝撃の光景をよぅ! おい坊主、お前見てねえか!?」

「あー、えーっと、多分気のせいじゃないっスかねー? あはははは」

(おい何だその大根っぷりは!? ちゃんとしたまえよ、怪しすぎるだろ!)

「いーや、この俺がヤツの気配を間違えるハズがねえ! きっと近くにいるはずなんだ! くんくんくんくんくん…………臭う、臭うぜ。ほんの微かに草と紙の焼ける匂いがするッ! どこだ……どこだぁ……? ここだぁ────ッッ!!」

「ひゃあああああっ!?」

 

 眼光一閃。親方の眼が獲物を見定めた獅子の如く獰猛に光り、丸太のような両腕が砲弾の如く解き放たれたかと思えば、ヴィクターの背後にいたオーウィズを正確無比に鷲掴んだ。

 

「な、なななぁっ!? なんで分かったんだっ!? 匂い物質も完璧に遮断して、意識誘導ですぐ興味を失くすよう仕向けたのに!?」

「おおっ、本当に居やがった! 透明になる魔法なんて初めて見たぜ、凄えじゃねーかガッハッハ! だがこれしきの小細工で俺のセンサーを欺こうなんざ百万年早いのよ! どうだ、恐れ入ったかチビスケ!?」

「理解不能、意味不明、滅茶苦茶だ! 理に適ってない!」

 

 巨人に囚われた小人のように持ち上げられ、ぎゃあぎゃあと悲鳴を上げるオーウィズ。

 ヴィクターは誤解だと訴えるも、宿敵(タバコ)を前にした親方は完全に頭に血が昇って聞く耳を持とうとしない。

 

「おう小僧お前ぐらいの年の()()ならカッコつけたくなる気持ちは分かるけどな子供はあんなもん吸っちゃいけねえってルールで決まってんだ何より煙草は害にしかならねえ成長も阻害しちまう本当にカッコよくなりてえなら自分を虐めるんじゃなくて肉食って野菜食ってバシバシ鍛えて筋肉着けりゃいいんだよ筋肉は良いぞ強くなれるしモテるし見栄えも良くなるいいとこ尽くめのバーゲンセールだところでお前ちゃんと飯食ってんのか棒きれみてえに細っこいじゃあねえか!?」

「すごい早口で喋る!? いいから降ろしてよーっ! 誤解なんだよーっ!」

「おう、降ろしてやるぞ! だが残りの煙草は没収だ、全部出さなきゃ家に帰さねえからな!」

「きゃっ!? ちょっ、どこ触って……!?」

 

 恐ろしい速度の有無を言わさぬボディチェック。

 入念かつあっという間に施され、予備を含めて保有していたハーブシガレット三箱を取り上げられてしまう。

 

 ──その時だった。

 

「あなた」

 

 ぶるり。厳寒の冬将軍に身を撫で切られたような寒気が、親方の背後より訪れた鈴のような声と共に襲いかかったのだ。

 まるで声の形をした氷に閉じ込められたかの如く、親方は顔色を零度まで蒼褪めさせながら、パキンと硬直してしまう。

 

「大声を上げて何を……なさっているのです……?」

 

 氷結させた声の主は、おっとりとした雰囲気の女性だった。

 腰まで伸びたサラサラと美しい栗色の髪。泣き黒子がチャーミングな海色の瞳。ゆったりとしたドレス風ワンピースでさえ隠せない豊満さ。

 小柄でありながらピンと伸びた背筋と立ち昇る覇気が、幼気さより淑やかで強かな印象を纏わせていた。

 

「お散歩の途中でわたしを置き去りにしたかと思えば……まさか見ず知らずの()()に乱暴を働いていただなんて、ねぇ?」

「ビ、ビアンカ? 違うんだ、これはこの小僧が煙草を────」

「あらあらまぁまぁ。挙句の果てには可憐なレディを殿方だと勘違いする無礼まで。うふふ」

「えっ、レディ? この小僧が?」

「あなた」

 

 五臓六腑からぞっとするような微笑み。

 それはもう、怒りの矛先を向けられていないヴィクターですら縮み上がるほどに。

 

 今まで血で血を洗う死闘を繰り広げてきたが、ここまで鮮烈で凍てつくような恐怖を感じたことは無かった。

 元来笑顔は威嚇の機能を持つというが、納得に納得を厚塗りして三段重ねする勢いである。

 

(お、おっかねえ~……! 親方の奥さんか? てことは爺さん(ダモラス)師匠(ビビアン)の娘? えっ、全然似てねぇんだけど!?)

 

 深層の令嬢を彷彿させる容姿や佇まいは似ても似つかない。親方がいなければきっと分からなかっただろう。

 が、筋骨隆々の大男相手に一歩も引かないどころか圧倒する芯の強さは、豪放磊落なビビアンと通じるものを感じさせた。

 

「なるほど、子供が非行に走っていると勘違いして……ごめんなさい、主人が大変なご迷惑を。ほら、あなたも謝りなさい」

「すまなかったお嬢さん、この通りだ!」

 

 粛々と頭を下げるビアンカと呼ばれた女性。

 平伏するのは、顔面を百万匹の蜂に襲われたジャガイモみたいにされてしまった親方である。

 

 この世界は男性より女性の方が魔力量は多いとされ、身体強化魔法の存在も相まって、見た目からは想像もつかないパワーを発揮する女性がまま見られる。シャーロットがその筆頭だろう。

 が、流石にソニックウェーブを発生させる往復ビンタは驚天動地でしかなかった。自業自得とはいえ合掌を手向けざるを得ない。

 

「い、いや、誤解が解けたなら良いんだ。ハーブシガレットも返してもらったし。というか大丈夫かい? 骨格から変わってる気がするんだけど」

「いつものことです。この人は後先考えず行動することが多くて……。ですので、煮るなり焼くなりお好きなように。腹を切らせても構いませんから」

「そこまでしなくても……うう、目が本気だよ……」

 

 ちらちらと救援を求める眼差しに、ヴィクターは仲裁という形で助け舟を出した。

 親方は誤解による正義感が先走ってしまったゆえのアクシデントで決して悪意は無く、オーウィズも特に糾弾するつもりはないと、双方和解という形で落ち着かせる。

 

「まったく。あなたの正義感は素敵な美徳ではありますが、時として目を曇らせるのが困りものです。今回は相手方がお優しい方だったから不問で済んだこと、ちゃんと肝に銘じてくださいね?」

「反省します……」

「是非そうしてください」

 

 しゅんと縮こまる親方。

 なんとなく普段からこんな感じなんだろうな、という空気感が伺えて、ビアンカには頭が上がらないらしいことが容易に想像出来るようだった。

 

「ところで、そちらの方はヴィクターさん……で合っていますか?」

「アイアイマム!」

「恐ろしく屈服が早いな君は」

「こんな形でお会いすることになってお恥ずかしい限りですが、わたくしビアンカと申します。両親から話はかねがね。その節では父が大変お世話になりました」

「いやいやそんな。むしろ俺の方こそ、ご両親にも親方にも世話になりっぱなしで。お陰で大事な友達(ダチ)の妹が治ったんだから、感謝してもしきれないくらいですよ。今度改めてお礼に伺いますんで、よろしく伝えててください」

「はい、たしかに。ふふ、聞いていた通りの好青年さんですね。お会いできて嬉しく思います」

 

 先ほどまでの凍った茨のような雰囲気は失せ、おっとりと上品に微笑むビアンカは良家の令嬢のようだ。

 しかしよく考えてみれば、この港町ダモレークの発展を開拓期から支え続けたというダモラスの家は、町の名の由来になったほどの由緒ある家柄である。お嬢様というのは間違っていないかもしれない。

 

 

 一悶着も片付いたところで、ビアンカはぺこりと一礼し、親方を連れて踵を返していく。

 と。何か言い残したことがあったのか、踏み出した足をまた返しながらビアンカは言った。

 

「ああ、そういえば。ヴィクターさんは確か、この町には住んでおられない方でしたね?」

「あー……そうっスね。ちょっと離れたとこで暮らしてます」

「でしたらどうかお気を付けを。もう耳にしているかもしれませんが、近ごろ物騒な話が多くて……」

「物騒な話?」

「殺人鬼だよ」

 

 オウム返しに答えたのは、腕を組みながら神妙な表情を浮かべる親方だ。

 殺人鬼。不意に飛び出た物々しいワードに、ほんの少し体に力が入る。

 

「最近変死体が発見される事件が後を絶たなくてな。しかもここ数日だけで数件ってレベルの頻度だ。初めは魔獣か魔物が出たんじゃないかと持ちきりになってたんだが、どうも騎士団の連中は人間の仕業だと睨んでるらしい」

「それで殺人鬼と。うへえ、確かに物騒だな」

「ふぅん……? 興味深いねえ。騎士団が調査してるなら、提携先のギルドでデータを閲覧できないかな?」

新聞(ニュース)程度の情報なら可能かもしれませんが、奥まった詳細部分までは流石に難しいかもしれませんね」

「そういや坊主と彼女はどういう関係なんだ? 透明になるなんてスゲー魔法使えるやつ、生まれて初めて出会ったぞ」

 

 一般的に魔法とは、正しく修めなければ使役することもままならないれっきとした学問である。

 生活に必要な基礎的な魔法は教育機関で教わるものの、それ以外は総じて専門分野の領域と言っていい。

 

 ましてや透明化魔法など、その道の高等教育機関で数年を費やさねば体得不可能な技術レベルだ。

 それを無詠唱かつ発動痕すら見せずに展開して見せたのだから、親方の目には大層な驚きと共に映ったことだろう。

 

 さておきどう答えたものかと、ヴィクターは頭を悩ませた。

 

 無論、オーウィズだなんて馬鹿正直に答えるわけにはいかない。かと言って友達というには、こう見えてかなり年上なんですと誤解を解いた弁明に矛盾が生じてしまう。

 シャロの家族だとでっち上げても、年の離れた友人の家族をわざわざヴィクターが連れて歩いている意味が分からないだろう。

 

 ぽく、ぽく、ぽくと考えて。

 

「あー、この人は俺の叔母さんです。最近こっちに引っ越してきて、近場を案内してたんスよ」

「え~っ? こんなうら若い乙女を叔母さんだなんてひっどーい。自分の兄妹を忘れるとか最低だぞっ? えへへ、ヴィクターお兄ちゃんの妹の()()ですっ、よろしくね~きゅるるんっ!」

「博士さぁ……」

「おい、本気で鳥肌立てて気味悪がるヤツがあるか。失礼だぞ君は」

 

 いきなりキャピキャピ声で語尾に星が飛びそうな喋り方をされたら誰だってそうなる。

 咄嗟に嘘を吐いたヴィクターにも非はあるが、親方夫婦も苦笑いだったため3対1でオーウィズの敗訴が決定した。正義は勝つのである。

 

 

 

 お開きになって、当初の目的地だったギルドの方角へと歩き始めることにした。

 

「ヴィクター君。ボク疲れた。もう歩けない」

「ええ……」

 

 はずだったのだが、行脚再開から数分足らず。突然オーウィズが音を上げて、そばのベンチに座り込んでしまった。

 ぐでっと背もたれに体重を預ける姿は、まるでやる気のないスライムである。

 

「いやね? ボク的には頑張った方だと思うんだよ。万年モヤシ女がさぁ、お日様を浴びながら一日中歩き回ったんだぜ? これは表彰されて然るべき偉業だよ偉業。その上ゴリマッチョに乱暴されてもうガス欠通り越してスクラップだね。歩けない。ボクは一歩も歩けないぞー」

「はいはい、もう目の前なんだからあと少し歩きましょうねーおばあちゃん」

「虐待だーっ! 若者に虐待されてる! こんなの世間が許さないぞ! ……というか君、大分ボクの扱い雑になってきたよね? 今サラッと老人扱いしたな?」

「難癖やめてください。偉大な魔法使い様を無下にするわけないでしょ? ほら行くぞババア」

「ほら! ほらぁ! ババアって言った! 言っただろ今!? バッチリ聞こえたもんね! あーあー繊細な乙女心が傷ついちゃったーもう動けないーうえーん」

 

 渾身の大根ウソ泣きを披露しながら、ベンチと一体化するように齧りつくオーウィズ。

 もう面倒くさいので引き剥がして連れて行こうかとしたが、どうにも様子が変だとヴィクターは一度冷静になって考える。

 

 傍目から見て疲労の色は濃くない。多少疲れているのは本音だろうが、この緩やかな坂を十数メートル登ってしまえばギルドに着くのだ。その程度なら問題ないはず。

 

 ならば何故、ここに来て急に我儘を言い始めたのか? 

 

(少なくとも博士は無意味にこんな真似をする人間じゃない。つーことは必然、意図があるはず。何が狙いだ……?)

 

 思い当たる節があるとすれば、ひとつだけ。

 カフェを後にしたぐらいからか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ボクはここで休憩してるからさ、代わりにギルドまで行って来てくれないかい? この封筒を提出して、メモに書いてある物を調べてくれるだけでいいから」

 

 有無を言わさぬ勢いで、オーウィズはメモ紙をヴィクターへと突きつけた。

 チラリとオーウィズの目が泳ぐ。それが示した方向は、今なお薄っすらと感じる視線の根元に他ならず。

 一人になりたがっているのだと、ここでヴィクターは勘付いた。

 

「……疲れが取れるまで待ちましょうか? 一人だとほら、心細いでしょ?」

「ボクを誰だと思ってるんだい? 全然平気さ。むしろ一人の方が気楽でいいよ」

「本当に良いんスね? 勝手にどっか行かないでくださいよ」

「誰が徘徊老人だ!」

「一言も言ってねえだろうが!」

 

 交渉してみたが、頑として動きそうにない。完全に単独で対処する腹積もりらしい。

 ヴィクターとしては一人にさせたくないのが本音だ。いくら彼女が賢者を冠する大魔法使いでも、みすみす危険に晒すような真似はしたくない。

 

 しかしこのまま平行線で話を長引かせれば、相手に気付いたと勘付かれてしまう可能性もある。

 それを避けたいのだろう。オーウィズの瞳が『早く行け』と強く訴えているように感じて、ヴィクターは渋々メモ紙をポケットに捻じ込んだ。

 

「すぐ戻ります」

「悪いね。我儘に付き合ってくれたお礼はするからさ」

 

 ヴィクターは努めて冷静を装い、坂を普段通りの歩調のまま上がっていく。

 その背が小さくなった頃合いに、オーウィズはパチンと指を弾きながら、ゆっくり腰を上げていった。

 

 

 

 

「調べれば調べるほど感心することばかりだったよ。今日この町を観察して尊敬の気持ちが一層強くなった。まったく大したもんだ、君たち天蓋領の働きぶりは」

 

 陰気な空気が立ち込める、薄暗く埃っぽい路地裏の奥。

 オーウィズはハーブシガレットに火を着けながら、袋小路で立ち尽くす女と対峙した。

 

「政治経済、インフラ整備、教育および技術革新、種族間における文化的緩衝、土地開発や魔物対策……ざっと並べただけでめざましい業績の数々だ。おまけにそれを可能とするほどの独裁的権限を持ちながら、種族ごとの小国や勢力を弾圧することなく均衡を保ったまま存続させていると来てる。感慨無量だよ。君たちのトップ──ドラゴレッド卿とやらはとんでもない傑物だ。この豊かな町がその証明の一端だろう」

 

 女の出で立ちは、ごく普通の一般市民のソレだった。

 種族は基人(ヒューム)。年齢は三十代ほど。人当たりの良さそうな垂れ目の丸顔で、少し着古された雰囲気のある服装を身につけている。

 

 本当に、どこにでも居そうな普通の女性だ。

 事実、さっきまで無地のバッグを片手に町中で買い物を楽しんでいた。

 

 ()()()()()()()彼女が炙り出され、こんな人気の無い路地裏に居座っているのは、無論オーウィズの仕業に他ならない。

 

「そんな優れた知恵と力を持った人物が、組織がさ、出来ないワケが無いんだよ。ヴィクター君たちが刺客(エマ)を退けた日から黄昏の森に到着した日時を逆算して、おおよその活動地域を割り出す程度の些事なんてさ」

 

 紫煙、舞踊。

 煙と共に、オーウィズは歩む。

 

「ほら、彼ら公共交通機関(ペガサス便)を使ったそうじゃないか。ダイヤルがきちんと整備されてるなら、計算も簡単だよねぇ?」

 

 女は答えない。

 答えることが、出来ない。

 

「だから彼を連れて町を歩き回ったんだ。君たちに見つけてもらうために。ヴィクター君、目立つだろう? 両腕に包帯を巻いた大柄の男なんて特徴の塊でしかない。目印にはぴったりだよね。で、アーヴェントの予測活動地域を調査するために張り込んでいた君は、ちゃんと発見してくれたわけだ」

 

 女は石像の如く硬直していた。

 僅かに震えているが、それはまるで渾身の力を込めて必死に動こうと抵抗している残滓のようで。

 指先一つまともに動かすことすら叶わず、ただ立ち尽くしたまま、鼻先まで迫ったオーウィズを見つめ続けることしか許されない。

 

「いつの間に術をって? 町を歩きながらスペルをバラ撒いてたんだよ。そうして肉体の支配権を奪った。なに、安心したまえ。別に取って食おうとしてるわけじゃない。痛めつけようとも思ってない。残酷なことは嫌いなんだ」

 

 煙を吐き、ハーブシガレットを消滅させたオーウィズは、女の頬をそっと両の手で包み込んだ。

 

「ボクは情報が欲しいだけさ。パンフレットなんかじゃ手に入らない、ナマの天蓋領の情報が。まぁ君も末端だろうから、そんな大した代物は期待してないが」

 

 眼鏡のレンズが、奥に潜む山羊眼を鈍く歪めて爛々と透かせ。

 刹那、オーウィズに変化が巻き起こった。

 

 ざわざわと灰色の髪が蠢き始める。

 それは意志を持つように躍動し、引き伸ばされたわずか数本の髪が女の顔に張り付くと、目の隙間から頭の奥に潜り込んでいくではないか。

 

「抵抗しない方がいい。今、君の視神経を通じて脳にアクセスしてるところだ。下手に動くと失明するよ」

 

 オーウィズも瞼を閉じ、沈黙の中に意識を沈める。

 女の脳から奪取した情報を解析し、選別を行っていく。

 

「ふぅん……ふんふん……なるほどね……まぁ下っ端じゃこんなものか。近隣に潜伏してる仲間の数は……3人ね。本部への報告はまだか、よしよし。連絡手段は……耳の通信端末。へぇ、今はこんな道具があるんだ。ハイテクだなぁ」

 

 頬から手を離し、右耳に指を這わせる。

 ピアスを模した端末へ触れると、それを包囲するように小さな十二角形の魔方陣が展開された。

 陣を構成するルーンがひとつひとつ分離していき、端末の中へと吸い込まれていく。

 

 サブリミナル・スペル。無意識下から脳に干渉するオリジナルの術式だ。町中に仕掛けたトラップの正体がこれである。

 

 オーウィズはそれを人間の可聴域外の音波に変換し、通信端末を介することで派遣された諜報員全員の記憶を改竄、さらには潜在意識にヴィクターたちの追跡記録を破棄するよう命令を書き込んでいった。

 

「よーし終わり。協力ありがとう、持ち場に戻ってくれて構わないよ」

 

 目の間から灰色の髪が抜け、オーウィズの両手が離れていく。

 女は虚ろな目を湛えたまま、ふらふらと茫然自失に路地裏を後にした。

 

 記憶を弄った影響で少しばかり朦朧としているが、じきに正気へ戻るだろう。

 ヴィクターのことも、オーウィズのことも、ここで起こった何もかもを忘れ、港町ダモレークの調査結果は標的を発見できずという報告で片付けられることになる。

 

(これで当面の間は安全だろう。まぁ島を独力で見つけ出した彼ら相手じゃ、時間稼ぎにしかならないだろうが)

 

 しかしオーウィズの推測が正しければ、仮にこの町を利用していることが露見してしまったとしても、天蓋領がすぐにアーヴェントの心臓を狙いに来ることは無いはずだ。

 女の脳を見て、その確信がまた一歩強まった。

 

(彼女はドラゴレッド卿に対して強い忠誠心を抱いていた。魔法で拘束してなきゃ目を失ってでも逃げようとしてたくらいに、強固な覚悟を抱くほどの忠誠だ)

 

 それは洗脳によって植え付けられた養殖の忠義ではない。

 ただ純粋にドラゴレッド卿という人物を────ひいては、天蓋領という組織そのものに大きな信を置いているがゆえだ。

 

 当然だろう。オーウィズが世を離れてから約千年、発足された天蓋領の働きは完璧に等しいものだったのだから。

 

 あらゆる制約に縛られない絶対的な権力を手にしながら、独裁政治による一方的な圧政など微塵も敷かず、世論の操作や洗脳教育も施さず、世界中に暮らす数多の種族たちが手を取って平和に暮らせるよう均衡を保つという、絵空事を成就させた偉業。

 

 貧困も差別も、オーウィズの知る時代とは比べ物にならないほど減っている。

 かつては翼や角、体毛、鱗の有無に肌の色、体の大きさなど、あらゆる『個性』が格差を生み、争いを生んでいたものだった。

 魔王と言う人類共通の敵が現れるまでは──否、現れてからしばらくも、くだらない諍いは絶えなかったほど種族の確執は根深いもので。

 

 それを解消し、文明社会を潤わせ、魔物への対策も十全とくれば、もはや非の打ち所のない理想的名君であることは疑いようも無い。

 部下からの信頼は、青天井であって然るべきと言えるのだ。

 

(そんな人物がアーヴェントの心臓を狙いながら、わざわざ打開の余地を与えたり、手を引くような真似をしたり……ねぇ)

 

 だからこそ、ドラゴレッド卿の行動は不可解極まりなく。

 だからこそ、天蓋領が直ちに手を出して来ることは無いと踏んだのだ。

 

(天蓋領の目的はアーヴェントの心臓だけじゃない。ただ奪うだけじゃ駄目なんだ。時期か、熟れ具合か。とにかく別の要因を必要としている。それが整うまで、直ぐには手を出してこない)

 

 推理の発端となったのは、あの二人が黄昏の森で体験した出来事のチグハグさにある。

 

(天蓋領は黄昏の森に暗殺者と三聖を仕向けた。一見すると盤石の布陣を敷いたようにも見える。だが暗殺者はさておき、武聖グイシェンに関しては完全に二人を見逃す前提で配置されていた)

 

 血を流させれば見逃すという、腕試しとしか捉えようのない奇妙なシチュエーション。

 ドラゴレッド卿という存在が考えなしの阿呆でない以上、何か意図を孕んでいるのは明白だ。無意味に不利を被る必要など、天蓋領には存在しない。

 

 叡聖ヴァイスダム・エイブラハムが導いた推測までは、オーウィズも同様に辿り着いている。

 他に見えてくるものがあるとすれば、何故ドラゴレッド卿はグイシェンという切り札を、撃退されることを前提条件に据えるかの如く差し向けたのか、という点だ。

 

(……仮に心臓ではなく、彼らに関する何らかの要素が重要なのだと仮定して。三聖をけしかけた真の目的が、撃退させることそのものだったとしたら?)

 

 オーウィズは自らこう例えた。暗殺者(カースカン)と武聖グイシェンを同時に展開したその様相は、まるで盤石の布陣を敷いたようだと。

 

 これは客観的視野角からの結論だ。

 はた目から見れば、実力のある星の刻印持ちと頂点到達者という、過剰戦力を投入しているようにしか映らないという事実の一端だ。

 

 天蓋領が全力で二人の命を奪いにかかった。そのようにして第三者の目に映り込んだ状況は。

 ()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()というファクターを噛ませた場合、少しだけ違った顔が見えてくる。

 

(あの二人はベテランの暗殺者を返り討って、三聖の腕まで奪い取った。聞くに武聖グイシェンは、恐ろしく防御に秀でた達人だという。そんな実力者に土を着けたという事実は、裏に対して絶大な抑止力となっただろうね)

 

 カースカンはヴィクターに言っていた。アーヴェントの心臓には、一生を遊んで暮らせるほどの莫大な懸賞金がかけられているのだと。

 裏社会の情報網は凄まじい。かつては与太話でしかなかったアーヴェントの存在は既に実在とされ、欲に目を晦ませた外道が虎視眈々と狙っている状況にあるだろう。

 

 しかし、汚職に塗れた闇の業界に生きる者は、まずリスクを重んじる。

 死と隣り合わせの生活を送るがゆえに、命あっての物種という言葉を最もよく理解しているのは彼らなのだ。

 必然、大抵の者は無用な危険を避けるため、分不相応な依頼など受けはしない。

 

 恐らく大多数は、三聖の腕を捥ぎ取った怪物など狙おうとも考えないだろう。

 仮に襲ってくるとしても自惚れた半端者のチンピラか、考える頭の無い馬鹿だけだ。そんなものは二人にとって敵ではない。

 

(つまりドラゴレッド卿は、外野から見れば全力で潰しにかかったよう立ち回りつつ、実際は三聖を退けさせて二人の実力を脚色し、()()()()()()()()()()()()手配した……ということになる。懸賞金までかけておきながら、マッチポンプで指名手配を潰したんだ)

 

 理解不能──浮かび上がった一文が、頭を過って虚空に消えた。

 

(こんなしちめんどくさい真似をする理由が分からない。掲げる目的と矛盾してる。本気で狙ってますよ、なんてアピールをしておきながら、どこの馬の骨とも知れない輩に獲物を奪われないために()()()()()しておくだなんて。誰に敵対姿勢を見せつけている? どうして遠回しに保護するような真似を? そのくせ、二人の実力が基準を満たさなければ躊躇なく命を奪うくらい容赦が無いのは何故だ?)

 

 まるで盛大な嘘を吐いているようだと、オーウィズは感じていた。

 そして嘘を成功させる秘訣とは、ほんの少しの真実を織り交ぜることにある。

 

 もし二人に三聖を下すほどの実力が備わっていなければ、心臓を奪っていたのは本当だ。

 その『真実』を添加しつつ、与えた試練を二人が乗り越えたならば、彼らは「三聖を倒した化け物」という庇護を自動的に得られるよう仕組んでいた。

 

 結果、ドラゴレッド卿は本気で心臓を獲りに行ったけれど、相手が思いのほかに強くて失敗した──なんて『嘘』が燦然と貼り付けられたのである。

 

 であれば当然、新たな疑問が浮上する。

 

 ドラゴレッド卿がそんな『嘘』を吐く必要があったのは何故だ? 

 行動と真意の齟齬を狙ってまで、『本音』を隠したかった相手とは一体誰なのか?

 

(……どうやら天蓋領とやらも、一枚岩では無いらしい)

 

 ナニカが居る。

 ドラゴレッド卿の裏には、正体の一端さえ掴めない未知の存在が居座っている。

 影の匂いを、オーウィズは仄かに感じ取った。

 

「うーん、現時点じゃこれくらいしか分かんないや。まだまだ情報が少な過ぎる。……さ、ヴィクター君と合流しなくちゃね」

 

 オーウィズは大きく伸びをしながら、靴音と共に路地裏から姿を消した。

 

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