銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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39.「あたりまえという名の憧憬」

 リリンフィー・ウェンハイダル・アーヴェント。8歳。

 倍近く年の離れた姉がいる。将来の夢はお医者さんになること。

 

 先天的に体が弱く、彼女の半生はベッドの上だけが世界の全てだった。

 歩くだけで息は詰まり、心臓が痛んで目が眩む。食事もほんの数口で内臓が拒絶する。たびたび襲われる発作のせいで、引き裂かれるような激痛や高熱にうなされるなど日常茶飯事。

 強烈な悪夢を見てパニックを起こし魔力が暴走、『純血』のもたらすパワーで自室を半壊させたこともあった。

 

 あの頃を考えれば、今は天国のようだとリリンフィーは思う。

 

 まだ満足に歩くことは出来ないが、浮遊椅子を使えば好きに移動できるようになった。

 食事量も見違えるほど増えたし、逆に薬の量は減った。何を口にしても砂を味わうようだった舌は随分と彩り豊かになって、栄養補給が楽しみに変わった。

 

 なにより体力が段違いだ。熱が出てもほんの微々たる程度で、少し眠ればすぐ治る。

 激しい運動は難しいものの、コロポックルたちとカードやボードを使って遊べるようになった。それだけでも革命が起きたに等しい。

 

 千年果花の霊薬は、まさしくリリンフィーを生まれ変わらせた。

 世界樹の花蜜に含まれる強力な薬効がエマの呪いを解いただけでなく、持って生まれた望まぬ枷まで緩めてくれたのだ。これが想像以上の恩恵だった。

 

 それもこれもシャーロットが命を賭けて、狂暴な魔物や三聖という恐るべき実力者に打ち勝ったからなのだとリリンフィーは知っている。

 ヴィクターが内緒話のように明かしてくれたことは記憶に新しい。しかし当の姉は知られたくなかったようで、珍しく彼に怒っていたが……。

 

 それでも、真剣な表情で「姉貴の頑張りを忘れずに覚えててくれ」と言ったヴィクターに頷き、決して忘れてはならないものなのだと心の宝箱に仕舞い込んでいる。

 

 リリンフィーにとって、シャーロットは大好きな自慢の姉だ。

 

 世界一の姉だと思っている。病に苦しんでいた時はいつも傍に居てくれし、退屈なベッドの世界を、絵本やお話、摘んできた草花で美しく彩ってくれていた。

 両親を亡くした時も励ましてくれた。自分だって辛いはずなのに、そんな気持ちをおくびにも出さないで、何よりも誰よりもリリンフィーのことを案じていた。

 

 食い扶持を稼ぐために毎日汗水垂らして働いていた姉が心配だったし、嬉しかった。何も出来ない自分が惨めだったし、穀潰し同然の身を恨んだこともある。

 

 姉の負担になることが耐えられなくて見捨てても良いとお願いしたら、生まれて初めて頬をひっ叩かれたのは今でも鮮烈な記憶の一部だ。

 二度とそんなことを言うなと本気で怒られて、涙ながら力いっぱいに抱きしめられた時、声を枯らして泣いた夜をリリンフィーは生涯忘れない。

 

 そんな唯一の肉親が、またしても自分を救ってくれた。リリンフィーにとって、シャーロットはこの世の誰よりも偉大で尊敬するヒーローだ。

 

 だからリリンフィーは、今の暮らしでも十分すぎるくらい満足だった。

 新しい家族。健やかになった体。何より笑顔の増えたシャーロット。

 これ以上は何も望まない。望んだらバチが当たってしまうと思うほどに。

 

「ねぇリリン。お出かけしてみたい?」

 

 そんな思いとは裏腹に、シャーロットは今日もリリンフィーに優しくしてくれる。

 お昼ご飯を食べながら唐突に提案された申し出も、そんなプレゼントのひとつだった。

 

「おでかけ?」

「うん。ダモレークに」

 

 ダモレーク。話にはよく聞いている。姉やヴィクター、ひいてはコロポックルたちも懇意にしているという港町である。

 田舎ながら活気に賑わう、美しく素敵な町だとのことで、リリンフィーは土産話を聞くのが大好きだった。 

 

「なになに? どうしたの急に?」

「ほら、私やヴィックはよく行き来してるでしょ? 最近はコロポックルたちも。リリンだけずーっと島に居るから、たまには気分転換でもと思ったのよ」

「うーん……行けるなら行きたいよ。でも……」

 

 喜びと同時にちょっぴり寂しい気持ちも出てきて、しゅんと目を伏せてしまう。

 落とした視線の先には、言うことを聞かない自分のか細い足があった。

 

 シャーロットやヴィクターの協力もあって、リハビリは順調に進んでいる。しかしまだ十全に動かせる段階ではない。浮遊椅子が無ければ、たった数歩程度が限界だ。

 完治まで長い目で見た方がいいとはオーウィズの弁だった。滅茶苦茶になった神経の修復と再起動、筋肉や骨組織の発達を待たなければならず、こればっかりは時間に頼るしか方法がない。

 

 こんな体では、たかがお散歩だろうが姉の大きな負担になることは想像に難くない。それが悩みの種だった。

 

 問題は足だけではない。リリンフィーの魔力は『純血』の黒魔力なのだ。

 この世に二つとない超特殊な形質であり、何の拍子にアーヴェントだとバレてしまうか見当もつかない。

 

 リリンフィーを取り巻く状況は複雑だ。『純血』のアーヴェントを狙う刺客がどこに潜んでいるかも分からない上、いざという時に足手まといになってしまえば、シャーロットを危険に晒してしまう。

 それは大好きな姉と遊びたいという、強く揺れ動く子供心を抑えつけるには十分過ぎる動機だった。

 

 しかしリリンフィーの心配などシャーロットにはお見通しだったらしく、「心配しなくて大丈夫」と優しく頭を撫でられて。

 

「ダモレークは安全よ。賢者様が頑張ってくれたお陰でね。それに万が一に備えて、あなたの魔力を隠す方法も見つかったの」

「ボクのシガレットと同じものを服用すればいいのさ」

 

 噂をすれば、シャーロットの背後からひょっこり現れたのは灰色のウルフカットだ。

 枝垂れた前髪と眼鏡の二層から、山羊のような翡翠の瞳を得意気に輝かせているオーウィズである。大盛りのクリームと分厚いパンケーキが乗ったトレーを大事そうに抱えていた。

 

「賢者様?」

「やぁやぁリリンフィー君、久しぶりだねえ。元気にしてたかい?」

 

 カラコロとえくぼを作りながら、オーウィズはシャーロットに了承を貰いつつ二人の間に着席した。

 

 久しぶりという挨拶通り、最後に顔を合わせたのは実に数日も前になる。

 というのも、七日におよぶ徹夜明けの果てに眠りに就いた彼女は、三日近く目を覚まさなかったからだ。

 

 目覚めたら目覚めたで眠り過ぎた反動かグロッキーになり、元気になるためと称して謎のカラフルな栄養剤を注射した結果、何の副作用か体が虹色に光って鼻血が止まらなくなり……。

 そんなこんなで二日間の療養を経て、ようやく元通りになったというわけだ。

 

「お体はもう大丈夫なのですか?」

「もちろん平気だとも。しかし君たちには迷惑をかけたね。不死に胡坐をかいて無茶してしまうのがボクの悪い癖だ。絶対真似しちゃダメだぞ?」

「できませんよぅ……。でも、ご無事で何よりでした。心配したんですからね? 次はメッですよ!」

「優しいなぁリリンフィー君は。労わってくれたお礼にパンケーキをあげよう」

 

 クリームを絡めた一切れを差し出され、リリンフィーは雛鳥のように口で迎え入れる。

 コック長会心の出来だと噂のパンケーキは、やっぱり甘くて蕩けるようだ。

 

「だよねだよねぇ、美味しいよねぇ。ボクもお気に入りなんだ。蜂蜜とクリームでヒタヒタになった生地が特に好きでさ」

「そういえば賢者様、ずっとパンケーキ食べてますよね」

「以前ヴィクター君が連れて行ってくれたカフェで知ってから虜なんだ。毎日食べても飽きな……あっ」

 

 しまったという顔。己の失態をありありと悟った目の色だった。

 オーウィズの視線に座っているのは言わずもがな、シャーロットである。

 

「? なんです?」

「いや、その、本当に他意は無いんだよ? 彼が気を利かせてご馳走してくれただけで……件のカフェも君のためにリサーチしてた所らしいから、ある意味下見に付き合ったというかだね」

「何故急に早口で言い訳を……?」

「だってほら、大切な彼を取ったと勘違いされたら困る」

「──は? はぁーっ!? なななっ、何言ってるんですか!? そもそもあいつとはそんなんじゃないですし!! べっ、別に二人がお茶したくらいで何か思ったりしません!!」

「でも一瞬とても怖い顔してたじゃないか!」

「しーてーまーせーんー!!」

 

 耳まで真っ赤に染め上げて、テーブルから身を乗り出さんばかりに憤慨するシャーロット。ばんばんっと叩かれたテーブルの弾みで紅茶が跳ね、クロスに小さなシミが生まれてしまった。

 お行儀が悪いよおねえちゃん、と妹に諫められれば、しゅんと縮こまって大人しくなる。全く可愛らしい生き物だとリリンフィーは生暖かい顔。

 

「そっ、そんなことより! リリンですよリリン!」

「あ、ああそうだね! コホン。ええと、ボクが愛煙してるシガレットがあるだろう? 君も同じものを服用すれば隠せるから、気兼ねなく出かけても大丈夫という訳なんだよ」

 

 胸ポケットからハーブシガレットを取り出し、くるくる指で遊ぶオーウィズ。彼女がいつも匂い消しと称して吸っているものだ。

 なんでも内在魔力の属性を()()()()薬らしい。小人(コロポックル)の魔眼のような、他人の属性を判別する力を防ぐことが出来るのだとか。

 

「あぅ……でもわたし肺が弱くて……煙を吸うと具合が悪くなっちゃうと思うんです……」

「心配ご無用! サプリメントタイプを作っておいたからね」

 

 と声高に言って取り出したのは、薄ピンク色の小さなケースだ。

 中に錠剤が入っている。これがハーブシガレットと同じ成分の薬らしい。

 

「こいつを1錠、1日2回飲めばいい。あとは髪を魔法で染めれば変装も大丈夫さ。気兼ねなくお姉さんと遊びに行けるよ」

「! ほ、本当ですかっ。賢者様ありがとうっ!」

 

 受け取ったケースを大事そうに抱えて、リリンフィーは心の底から咲いたような笑顔を見せた。

 

 リリンフィーは前提として子供だ。同年代よりは少しばかり達観しているかもしれないが、まだまだ遊びたい盛りの甘えたい盛りである。

 自分の特異体質や諸々の障害を克服できるのなら、もちろん遊びたいに決まっている。

 小人(コロポックル)やヴィクターが外出するのを羨しく思っていたのは、紛れもない事実なのだ。

 

 そこに思いがけない贈り物が降ってきた。こんなに嬉しいことが他にあるだろうか。

 幸せで、幸せで、身も心も温かくなるほどに。

 

「そういうわけだけど、どう? 久しぶりに」

「うん……うん、行きたい! ううん、絶対行く! えへへ、楽しみ……!」

「その意気だとも。子供にとって遊びとは終生の宝だ。美しき宝箱を作りたまえよ。──ああそれと、二人にもうひとつプレゼントを用意してある。是非活用してくれ」

 

 

 雲一つない突き抜けたような晴天。気温はちょっぴり高めだが、ほどよい風が良い塩梅を生んでいる。絶好のお出かけ日和といっても過言ではないだろう。

 リリンフィーは純白の髪を黒に染め、鍔の広い帽子とワンピース、ピンクのポーチを身につけて、シャーロットに浮遊椅子を押されながらダモレークの景色を味わっていた。

 

 清潔で麗らかな石造りの町並み。瑞々しく活気に溢れた市場の喧騒。

 陽射しをキラキラと照り返す小川の水面。橋を駆ける子供たちの笑い声。道路を行きかう(キャルゴ)独特の駆動音。

 

 新鮮。鮮烈。驚愕。感動。興奮。 

 あらゆる感情が激流のように胸を流れ去り、「わぁ……」「わ……わわ……!」と言葉にならない感嘆となって口から零れた。

 目を輝かせながら小さく手を動かして、食い入るように港町を眺め続ける姿は年相応の子供らしい。

 

 はしゃぐ妹の微笑ましさについ破顔したシャーロットに気付いて、リリンフィーは少し照れたように指先をもじもじと交わらせた。

 

「だってだって、お昼の景色を眺められるのがとっても新鮮で……!」

 

 過去の数少ない思い出の中では、宵から夜にかけての()をシャーロットと出歩いた記憶しかない。

 人混みと日差しを避ける必要があったからだ。昔のリリンフィーにとって、昼間に歩くというただそれだけでも命がけだった。

 

 だからだろう。目に映る全てが宝石のように美しく感じるのだ。太陽の下で、人々の営みが渦巻く中で、一員として居られるということが眩しいほどの感動を呼んだ。

 

「ねぇおねえちゃん、あれなに? とっても良い匂い」

「セーダンのお店ね。生クリームとかジャムにアイス、果物なんかを薄い生地で巻いたお菓子よ。食べたい?」

「うん!」

 

 小さな屋根付きワゴンのような店だ。背後には熊を模したキャラクターがセーダンを食べているイラストが描かれた(キャルゴ)が控えている。移動式の売店らしい。

 

 シャーロットが浮遊椅子の向きを変え、店の前へと連れて行く。

 するとカラフルなストライプの衣装に整ったヒゲがポップな店主が、すぐにリリンフィーへメニューを渡してくれた。

 ワゴンの傍にも表は飾られているが、リリンフィーから見え辛いことを察してくれたらしい。

 

 少女ははやる気持ちをそわそわと表しながらも、絵を見るだけで優しい甘さが舌に伝わってくるお菓子のイラストに目を滑らせた。

 ミックスベリーとクリームのセーダン。リリンフィーの両目がぴたりと吸い付く。

 

「おねえちゃん、これっ。これがいいな」

「ミックスベリー&クリームと、ダブルチョコをひとつ」

「まいど!」

 

 スマイルと共に、薄く引き伸ばされた円盤状の生地が手を触れずして宙を舞った。

 火魔法の術式を内蔵した反重力加熱コンロだ。実用性よりパフォーマンスに重きを置いたそれは、出来上がるまでの時間をエンターテインメントとして華やかに飾ってくれる。

 

 無邪気に拍手を沸かせてリリンフィーは喜んだ。

 くるくる踊りながら香ばしく色づいていく円盤。スムーズな身のこなしでクリームや果物を乗せ、見るものを圧倒する手捌きで完成させゆく猪人(オーク)の店主はまるで宮廷手品師のよう。

 

 そうして見事に出来上がったセーダンを、リリンフィーは両手でしっかり受け取った。

 目を輝かせ、恐る恐る一口。

 

「! !! !!!」

「ふふ。こーら、慌てると喉に詰めるわよ」

「喜んでくれておじさんも嬉しいよ。また来ておくれ」

 

 お釣りと一緒にチケットを添えられた。どうやら割引サービスらしい。

 

 店を後にした二人は、川沿いを歩きながら散策を続けていった。

 途中、大通りで見知った店がシャーロットの目に留まる。

 ダモレークきっての衣服店(アパレル)こと、スワンクロークだ。

 

「ねえリリン、折角だから寄っていかない?」

「衣服屋さん?」

「そうそう。服だけじゃなくて靴も化粧品も置いてるところよ。どう?」

「うん! 見たい見たい!」

 

 言うが早いか、リリンフィーは肘置きにある半球状のコントロールパネルへ手を添えると、シャーロットを離れてふよふよ店内に吸い込まれてしまった。

「おねえちゃんはやくー!」と、興奮を隠しきれないソプラノが響く中、シャーロットは慌てて追いかけていく。

 

「ちょっと、勝手に行っちゃダメだってば! というか意外に早いわねその椅子!?」

「えへへー。だってだって、このお店すっごく素敵なんだもん」

「うわ可愛い許した──じゃない。逸る気持ちはわかるけど、一人で先走っちゃ危ないから気をつけなさい。いいわね?」

「ごめんなさーい。……でもわたし、たまにおねえちゃんが心配になる」

 

 おかしい。はしゃぐリリンフィーの愛らしさに無条件降伏しかけたのを鋼の意思で持ち堪え、妹を諫めて姉の役目を果たしたというのに微妙に呆れられてしまった。シャーロットは小首を傾げる。

 

 さておき、兎にも角にも衣装である。

 レディースコーナーへ突入した二人は、クリーム色にライトアップされた瀟洒な空間を堪能していく。

 

「ねぇリリン見て見て、このワンピース素敵じゃない?」

「うぁー可愛い、すっごく好き! こっちのスカートと合わせたら良い感じかも……! あっ、このカーディガンもいいなぁ」

「折角だから試着してみましょうよ。着換え手伝うからさ」

 

 幾つか目星を着けた服を手に試着室へ向かおうとすると、察した店員が荷物を持って同行してくれた。

 礼を言いつつ、シャーロットはリリンフィーに手を貸して立ち上がらせ、ゆっくり中へと入ってカーテンを閉める。

 

 手すりのような補助さえあれば、立つだけならリリンフィー1人でも可能だ。

 幸い備え付けがあったため、それに掴まっている間、シャーロットが素早く着替えさせていく。

 するといつの間にか魔性の天使が降臨していたとは、他ならぬ実姉の談である。

 

 トップスはベージュのシャツワンピースに紺色のブレザーを羽織り、ボトムスは白妙のプリーツスカートとワインレッドの革靴を。

 全体的に淑やかで少々背伸びした雰囲気だが、しかしだからこそ、リリンフィーという素材の味が遺憾なく発揮されると言えよう。

 

 元々線が細くスラッとしていて、幼いながらに足が長く見える彼女には、少し大人びた服装の方がよく似合うのだ。

 

 リリンフィー自身の繊細な雰囲気と年相応の幼気(いたいけ)も合わさって、ガーリーな清楚さに小悪魔チックな艶やかが絶妙に融合された結果、どこに出ても恥ずかしくない可憐な少女が出来上がった。

 

「うー。どう、かな。変じゃない?」

「は? 可愛すぎてキレそうなんだけど」

「なんで……?」

 

 文句のつけようがない。姉贔屓を抜きにしても麗しいが過ぎた。

 仮に彼女が学校へ通っていたなら、男子連中など丸ごと骨抜きにされていただろう。

 確信せざるを得ないほどに、その浮世離れした端麗っぷりは恐るべきものだった。

 

 キレそうになった。嫉妬ではない。リリンフィー最過激派であるシャーロットの頭脳が、妹に言い寄る男を想像して血管という血管を弾けさせそうになっただけである。

 間一髪「リリン可愛い」で思考を埋め尽くし一命を取り留めた。つまり致命傷だった。

 

「も────っ、最高で最高で熱出ちゃいそうなくらい綺麗よリリン! ぶっちぎりの世界一じゃない! かわいいかわいい!」

「大袈裟だってば恥ずかしいよぉ……。でも、この服大好き。とっても素敵。ありがとうおねえちゃん、大切にするね!」

 

 鏡に映る自分の姿を見て、それがまるで別人のように綺麗に思えて、リリンフィーは頬を赤らめながらはにかんだ。

 

 今までは寝巻を兼ねたような、動きやすい服装しか着る機会など無いに等しかった。精々シャーロットが買ってくれたものを屋敷の中で使う程度だろうか。

 

 けれどこの服は、シャーロットと一緒に自分の意思ではじめて選んだものだ。

 

 不思議な心地だった。ただ衣服を身につけているだけで、温かい気持ちになるのは初めてだった。

 綺麗になった自分に浮かれているのかもしれない。けれどそれ以上に、誰かと一緒にショッピングしてお洒落を楽しむというような、年相応で当たり前の幸せを噛み締められることが何よりも嬉しかった。

 

「決めた。今日はこの恰好のまま遊ぶ! せっかく一緒に選んだんだもん、おねえちゃんにいっぱいいっぱい見て欲しいな。……えへへ、ちょっぴり浮かれすぎちゃってるかも」

「お姉ちゃんは幸せ過ぎて寿命なんじゃないかと思えてきました」

「大袈裟だってばぁ……。ところで、おねえちゃんは新しい服買わないの?」

「私は大丈夫。今の服が気に入ってるのよね」

「……あーなるほど! おにいさんに買ってもらったからだね」

「!? ちっ、違う!! そんなんじゃないから!!」

「嘘だ―。すっごく大事にしてるのわたし知ってるもん」

「リーリーンー!!」

 

 これ以上刺激すると噴火しそうだ。活火山状態になった姉から逃げ出すように、きゃーっ! と笑い混じりに叫びながらリリンフィーは浮遊椅子に乗って試着ゾーンを後にした。

 が、呆気なく追いつかれ、頬をモチモチこねられてしまうのだった。

 

 

 

「えっ、なにあの二人超可愛くない?」

「うわほんとだオーラやっば。やーん車椅子の女の子お人形さんみたーい」

「姉妹かなぁ? お姉さんも足なげーし顔良すぎだし……」

「てか車椅子じゃなくて椅子浮いてね?」

「マ? 飛ぶ椅子とかマジ欲しいんだけど」

 

 

 店を出てしばらく。あちらこちらから視線を感じるようになった。

 すれ違えば振り返られ、風に乗って男女問わず興奮気味の内緒話が聞こえてくる。無論自分たちについてだ。

 

 幸いネガティブなものはないが、リリンフィーはまさか自分が注目の的になるなど夢にも思わず、照れて小さくなってしまう。

 

 一方のシャーロットはご満悦の極みである。それはもう鼻歌が聞こえてきそうなくらい気分上々だった。

 

「フッフッフッフ、誰も彼も圧倒されちゃってるじゃない。まっ、こんな星冠級美人姉妹を目の当たりにすれば必然の結果! 仕方のないことよねーっ、アーハッハッハ!」

「うぅ、すっごく見られてる。わたし変じゃないかなぁ?」

「何言ってるの、むしろ見せつけてやるくらい堂々としてなさい。……と、言いたいところだけど」

 

 おもむろに浮遊椅子を止められ、小さな慣性がリリンフィーの体を通り抜けた。

 どうしたのかと顔を上げれば、心配そうに覗き込む姉と目が合って。

 

「大丈夫? 緊張して気分悪くなったりしてない?」

 

 おでこにひんやりと冷たい感触。シャーロットの手が触れていた。

 

 いくら体力が増したとはいえ、昔のリリンフィーは大勢の人気に当てられただけで弱ってしまうほどの虚弱体質だった。

 それを知っているがゆえの懸念なのだろう。実際疲れのせいか、どうにも熱っぽさを感じていた。

 

 きゅっと、胸に小さな焦りが芽生える。

 せっかくのお出かけが自分の不調で中止になってしまうこと、それだけは避けたいと思うからこその焦りだった。

 

 だからリリンフィーは「大丈夫」と微笑み返す。しかし、シャーロットの目にはそう見えなかったようで。

 

「うーん、ちょっと疲れちゃったみたいね。あっちの公園で休憩しましょうか」

「あぅ……ごめんなさい」

「こら、謝らないの。久しぶりの外出なんだから疲れやすくて当然じゃない」

 

 慈しむように髪を優しく撫でる、柔らかな手のひらの感触。

 大好きな感触だ。体の奥からトクトクと多幸感が溢れてきて、すぐに元気になれるから。

 

「それに疲れたっていっても、限界じゃないんでしょ?」

「うん。少し休んだら大丈夫だと思う。」

「決まり。じゃあ、休憩が終わったら博物館に行くわよ! まだまだ遊ぶぞー!」

「ほんと!? うれしい!」

 

 思わず声が上ずって、小さなガッツポーズが出た。

 昨晩町の地図を読んだ時、強く興味を惹かれたのが、ダモレーク博物館だったからだ。

 

 寂れた漁村から港町に変わったこの地の歴史編纂を主軸に、近海に生息する水産資源などが展示された、博物館と水族館を合体させたような施設らしい。 

 リリンフィーは魚が好きなのだ。もっと言うと、実はヘビや虫のような冷血動物が好みだったりする。どことなく親近感が湧くのである。

 

 期待に胸が膨らむものの、興奮してガス欠になっては元も子もない。

 まずは一休みすべく、公園を一望できる木陰の休憩ベースに辿り着いた。

 

 浮遊椅子からベンチに座り直したリリンフィーは、水筒を手に取って喉を潤す。

 冷たい水が体の隅々まで沁みるようだ。太陽が真上に佇むこの時間帯は格別に気持ちがいい。

 

「丁度いい頃合いだし、お弁当にしましょ。コック長に作ってもらったの」

「やったー。ふふ、お外でご飯食べるの夢だったんだ」

 

 亜空間ポーチから出て来た大きなバスケットには、彩り豊かなサンドイッチが。

 シャーロットはロースハムと葉野菜、トマトを挟んだものを。リリンフィーはチーズ、コーン、オニオンのサンドに手を伸ばして──

 

「こんちわーっ、美味しそうなもん食べてますね」

「これお姉さんが作ったの? やば、めっちゃ上手じゃん」

 

 ──聞いたことも無い男の声から、遮られるように手が止まった。

 

 ビクッと肩が跳ねる。予期せぬ事態に、サッと血が冷えるような錯覚に襲われた。

 声がした後ろを振り返れば、いつの間にか複数の若い男がベンチを囲むように集まっているではないか。

 

 理解が追いつかず、リリンフィーの手が不安の行き場を探そうと姉の方へ彷徨っていく。

 受け止めるように手を添えられた。シャーロットの大丈夫だと安心させる意志が伝わってくる。少しだけ安堵。

 

 対する男たちは、怯えるリリンフィーへ弁明するように手を振った。

 

「ごめん、怖がらないで! さっきそこの通りで見かけた時、スゲー美人だと思ってさ。思わず追いかけちゃったのよ」

「お姉さんモデルとかやってる? こんな田舎に住んでる人じゃないでしょ絶対。撮影で来たの?」

「小っちゃい子は妹? 可愛いねー!」

 

 一瞬刺客の類かと警戒したが、どうも一般市民らしい。

 それも若者だ。年はシャーロットとそう変わらないだろうか。

 

 どれもこれも奇抜ではないが遊び慣れた服装をしていて、セットされた髪はバッチリ染められている。

 種族は基人(ヒューム)森人(エルフ)蜥蜴人(リザードマン)と様々だが、一貫して若く浮ついた雰囲気の連中だった。

 

 なにより人当たりの良さそうな笑顔は一見気さくそうにも窺えるが、裏にうっすらとギラついた獣性が垣間見えるのだ。

  

 もはや一目瞭然だ。目立ち過ぎたか、とシャーロットは小さく吐息。

 ひとまず引っ込み思案な妹が怯えないよう、出来るだけ身を寄せて庇いにいく。

 

「ごめんなさい、この子体が弱いの。知らない人相手だと緊張しちゃうから遠慮してもらえる?」

「大丈夫大丈夫ー。俺ら、誰とでも仲良くなれるのが長所なんで!」

「オレたち子供好きだし。なんならもうダチだし? ねー?」

 

 頬が引きつる。まるで退く気配が無い。

 どころかリリンフィーの前に回って膝を折り、目線を合わせて笑いかけてくる者もいた。逃がすつもりはない様子だ。

 

 あっさり折れてくれればまだ不幸中の幸いだったものの、この手合いは面倒だ。短期決着が無難かと、シャーロットはほんの少し語気を強める。

 

「悪いけど妹から離れてくれる?」

「大丈夫だって。妹ちゃん良い子だし、怖がってないもんね? お名前は何ていうのかなー?」

「足が悪いのに頑張って偉いねえ。皆で遊び相手なったげるよ」

「お姉さん不自由な妹さん相手して大変っしょ? オレたち手伝うからさ、一緒に遊ぼうよ。荷物持ちしてもいいよ」

「────────」

(あ、まずい。おねえちゃん怒ってる)

 

 リリンフィーは小さく唾を呑んだ。

 なにせ姉の手に血管が浮いている。それはもうビッキビキに。今にも暴れ出そうとするのを抑えているかのように。

 顔を見た。笑顔だった。ただしニコニコの接待顔。目が全く笑っていない。

 

「別に大変じゃないから結構よ。気持ちだけ受け取っておくわ。この後も予定あるしね」

「えーいいじゃん。人数多い方が絶対楽しいって!」

「妹ちゃんもそう思うでしょ?」

「あぅ、あの……えっと……」

 

 パキゴキッ、という異音。

 シャーロットの指の骨が唸り声を上げたものだった。

 リリンフィーはどんどん強張っていく姉の腕にしがみ付いた。もはや男たちに恐怖はなく、カウントダウンに入った姉を止めるための行動だった。

 

 そんなリリンフィーの内情など露知らず、彼らは能天気に笑うのみで。

 

「お姉ちゃんに甘えてるーかわいー」

「大丈夫だよーオレたち怖くないよー」

「優しく言っても通じないみたいだからハッキリ言う。邪魔。お呼びじゃないのよ。失せなさい」

 

 百万カンデラの眩しいスマイルから放たれた刃物のように鋭い言葉に、思わず呆気に取られて言葉を失う男たち。

 

 茫然自失の衆を余所に、シャーロットはあわあわ混乱するリリンフィーを流れるように抱きかかえて浮遊椅子へと座らせた。

 大丈夫よと頭を撫でながら、さっさと公園を立ち去るべくシャーロットはグリップに手を掛ける。

 

 が、しかし。

 

 椅子の反重力術式を起動させた瞬間、シャーロットの時が静止した。 

 背後からボソボソと惨めたらしく吐かれた捨て台詞が。聞き捨てならぬ言の葉の矢文が。シャーロットの鼓膜を音速でブチ抜いたからだ。

 

 調子に乗ってんじゃねえぞブスーだの、ちょっと下手に出りゃ気取りやがってアバズレがーだの、そんな罵倒は些細な問題だ。

 相手にされなかった負け犬の遠吠えでしかない。気に掛ける価値も、噛みつき返す必要性もない。

 

 だが。だが。

 ロクに歩けもしねえ不良品なんか表に出すな──この侮辱だけは、どうしようもなくシャーロットの逆鱗に触れた。

 否。堪忍袋が切れたと言ったほうが正しいか

 

 思えば最初から鼻についたものだ。内気なリリンフィーに礼儀も弁えず距離を詰めて圧をかけ、遠回しに負担呼ばわりする始末。

 挙句の果てに不良品だと。リリンフィーのことを、ハッキリとそう言った。

 

「────」

 

 前提。シャーロットは非常に家族愛の強い少女である。

 その想いは両親を亡くした地獄を経て、何もかも失ったと絶望した果てに、唯一取り戻せたリリンフィーという光によってさらに強固なものとなった。

 

 必然。許せるわけがなかったのだ。

 これは一線だった。例え軽はずみ程度の暴言であろうが、絶対に踏み込んではならない一線なのだ。

 

 ましてやリリンフィーの体を──望まずして刻まれた呪いの疵を、何も知らない人間から貶されて頭に来ないほど、シャーロットは大人ではない。

 

「ごめん、ここで待ってて。ちょっと話つけてくる」

「お、おねえちゃん? 乱暴はダメだよ」 

「分かってる」

 

 ベレー帽をリリンフィーに預け、親指で示して木陰に移動を促したシャーロットは、ゆっくりと男たちの元へ歩み寄っていった。

 

 空気が歪むような重圧。魔力も何も由来しないソレは、純然な怒気が見せた蜃気楼か。

 異様な雰囲気と共に戻ってきた少女に、男たちは一歩後退る。

 

「な、なんだよ」

「構って欲しいんでしょ? 気が変わったから相手してあげる。ゲームをしましょう。一人でも勝ったら私のことを好きにしていいわ。どう?」

 

 一瞬、空白。

 耳から入ってきた情報が処理されゆくと、男たちは思っても見ない申し出に揃って口角を吊り上げた。

 

「好きにして良いって、言葉通りの意味?」

「ええ」

「意味分かって言ってる?」

「当たり前じゃない。二言は無いわ」

「……くく。ああ分かった、いいよ。何すンの?」

「腕相撲」

 

 飛び出した嘘のような提案に、全員がぽかんと口を開いて。

 一拍遅れた大爆笑が、公園中に響き渡った

 

 狼の群れに飛び込んできた兎。男たちの目にはまさしくそう映ったことだろうか。

 絶好の好機到来。もはや下卑た下心を隠そうともせず、ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべながらシャーロットを取り囲んでいく。

 

 このチャンスを逃がす手があろうか。獲物がむざむざ巣に飛び込んできたのだ。牙を潜める捕食者など存在するはずもなかった。

 

「おいおいお姉ちゃん大丈夫? オレ蜥蜴人(リザードマン)だぜ?」

「腕相撲って本気で言ってるのか? それとも介護疲れでおかしくなっちゃった? 基人(ヒューム)の女が無謀にも程があるだろ」

「ごちゃごちゃ五月蠅いわね。受けるの? 受けないの?」

「イイよー、やろうやろう腕相撲。後で泣いても遅えからな」

「あっち行こうぜ。丁度いい台があるからよ」

 

 

 その後。腕相撲で錐揉み回転する謎の集団が目撃された。

 

 

 ああなったシャーロットは止められない。リリンフィーはそれをよく知っている。

 しかし腕相撲程度で済ませているのは、まだシャーロットに理性が残っている証拠だろう。

 

 思うが儘に力を振るえば騎士団沙汰になるのは必然。ゆえに、煮えくり返った腸の落とし所としてアームレスリングを選んだ。きっと大事にはならないはずだ。きっと。

 

 ぐぎゃるぶぎゃるとかいう嘘みたいな悲鳴と共に豪快に回転して吹っ飛ぶ男たちへ心の中で合掌しながら、リリンフィーは視線を公園へと滑らせた。

 

 砂場や遊具で遊んでいた子供たちが、いつのまにかシャーロットと男たちの行く末に注目していた。

 中にはボールをぎゅっと抱きしめて、「ゴリラ……?」と固唾を飲みながら迫真の眼差しで見守る男の子もいる。

 

 時間にして数分あまり。全員薙ぎ倒された。

 何故か湧き上がる拍手と歓声。手を振って応える姉。

 「クソッ、どうなってんだよ!」「なんつー怪力だこの女!」と、土を舐めた男たちが悪態と共に立ち上がる。

 再び挑戦状を叩きつけて、リベンジマッチが始まってしまった。

 

 しばらくかかりそうだなと苦笑。食べかけだったサンドイッチを取り、はむっと一口。

 

 ふと。一陣の視線が髪を撫でた。

 

 釣られるように右を向く。

 公園中の子供たちがシャーロットに注目する中、リリンフィーをじっと見つめる黄金の双眸と目が合った。

 というかほとんど真隣に居た。全く気配も感じさせず、いつの間にか浮遊椅子の傍へ立っていたのだ。

 

 少年だ。背格好からして、年はリリンフィーと同じくらいだろうか。

 だがその風貌は公園の中で際立って浮いている。あまりにみすぼらしいのだ。まるで家無し子のようで、微かに饐えた異臭が鼻を突いた。

 

 ボロボロのフードを目深く被っているせいで顔はよく見えない。

 しかし暗い中でもはっきりと金色に輝く瞳だけは、その存在をはっきりと誇示していた。

 

「……」

「えっと、こんにちは?」

「…………」 

「……あの。どうしたの、かな?」

 

 無言。ただただじぃっと、穴が開くようにリリンフィーを見つめている。

 いや、もしかしたら見ているのはリリンフィーではないのかもしれない。手に持っているサンドイッチが欲しいのかと、フードの少年とサンドイッチを交互に見やった。

 

 よく観察すれば、少年のシルエットは異様に細かった。

 虚弱体質なリリンフィーと変わらないくらい細い。いくら幼いとはいえ、男の子でこれは異常だ。

 もしかすると何か事情があって、食べるものに困っている子なのかもしれない。

 

「た、食べる?」

「…………」

 

 ちらり。差し出したサンドイッチに少年の目が泳いだ。

 しばしの沈黙が間を挟み、少年の手がそっと伸ばされる。

 

 長袖から覗く腕は、うっすらと蒼銀の体毛に覆われていた。

 獣人系の種族らしい。ほんのり獣臭さがあったのもそのせいだろうか。

 

 リリンフィーは伸ばされた手に応え、サンドイッチを譲渡する。

 すると少年はそばのベンチに勢い良く座り込んで、がつがつとサンドイッチに齧りつき始めた。

 

「お腹減ってたの?」

「……」

「いっぱいあるから食べていいよ。あっでも、こっちはおねえちゃんのだからダメ」

「……」

 

 バスケットを差し出せば、少年は夢中になってサンドイッチを頬張った。

 両手に持って交互にかぶりつく姿に、よほど空腹だったんだろうかと切ない気持ちになる。

 

「お水もあるよ。いる?」

「……ん」

「どうぞ。美味しい?」

「……うまい」

 

 たった一言だが、初めて少年の声を聴いた。

 夜風のように透き通った声だ。なんとなくもう一度耳にしたくなるような、涼しくて静かな声だった。

 

「……ごっそさん。ウマかった。ありがとよ」

「よかった! それね、うちのコックさんが作ってくれたんだよ。凄いでしょ」

「……オマエ、金持ちの子か?」

「えっ。うーん、どうなんだろう? 普通だと思う」

「……普通なもんか。メシも服も上等だ。その椅子だって見たこともねえ」

「そうかなぁ」

 

 小首を傾げたものの、思い返せばお金に困った話なんて聞かない。蓄えも贅沢したとて響かない程度にはあるという。

 何より賢者オーウィズが住んでいる。そう考えると確かに普通ではないし、富んでいることは明白か。

 それもこれも両親を亡くしてから東奔西走し続けたシャーロットの努力の結果である。つくづく自分は恵まれているのだと再確認させられた。

 だったら将来は絶対恩返しするんだと心に決め、そっと胸に手を当てる。

 

「うん、そうかも。そうだよね。貴方のおかげで大切なことに気付けたかも。ありがとう」

「……は? 急にどうした。変な奴だなオマエ」

「えー? 変じゃないよぅ」

「変だろ。空飛ぶ椅子に乗ってるし、見ず知らずの小汚えガキに笑顔で飯まで……変人だ」

「むぅ、変じゃないもん」

 

 頬を膨らませて威嚇する。ぷにっと指で突かれて空気が漏れた。

 カラカラ笑われたので、おかえしに脇腹を突っつき返す。ビクッと仰け反った姿が面白かったので、両者相討ちとなって終戦した。

 

「ところで、貴方のお名前は? わたしはリリ──」

「……()()な。オマエ」

 

 脈絡も無く唐突だった。少年がおもむろに鼻を鳴らしたかと思えば、リリンフィーの言葉を遮りながらぐっと距離を詰めてきたのである。

 

 予期せぬアクションに思わず声が詰まり、肉体全ての動きが停止した。

 しかし少年はまるで構うことなく、リリンフィーの首元に顔を埋めるのではないかと思うほど近づいて、スンスンとしきりに鼻を鳴らし始めるではないか。

 

「ふえっ。えっ? なになに? 止めてっ、なにするの?」

「…………」

「匂うって、クサいってこと? うう、やだ、離れてよぉ」

「血だな……血に混じってる……? 昔嗅いだことがある……これは……万癒薬(エリクサー)……の……」

 

 ガバッとばねのような勢いで顔を上げた少年と目があった。

 フードが反動で大きく捲れ上がり、不明瞭だった素顔が白日の下に曝け出されていく。

 

 金色の月のような瞳があった。蒼みを帯びた銀の髪があった。星砂のように白い肌があった。

 しかし何より目を惹いたのは、頭頂部にぴょこんと生え揃ったもふもふの耳だ。

 それは紛れも無く獣人種──狼人(ワーウルフ)の特徴に他ならず。

 

 少年は信じられないものを目の当たりにしたように大きく広げた瞳を、ゆっくりと閉じながら再び開いて。

 決心をつけたように、重い唇を紡ぎ出した。

 

 

「……オマエ、オレと一緒に来い」

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

「頼むよ姐御! 話を聞いてくれぇ!」

 

「俺たち完全に惚れちまったんだよ! 格闘技齧ってるんだけど、あの体捌きは並のモンじゃなかった! 手も足も出ないなんて初めての経験だったんだ!」

 

「お願いだ、この通り! 舎弟にしてくれよ姐御ぉ!」

 

「だぁぁぁ────っ!! しつッッこいうるッッさい黙りなさい!! 舎弟なんかいらないって何度も言ってるでしょ! というか何だ姐御って!?」

 

「頼む姐御! 一生のお願いだ!」

 

「パシリでも何でもしますからぁ! 貢ぎますからぁ!」

 

「美人で強い達人にシゴかれたい!」

 

「本気でシバき回すわよこのナンパ男ども! 負けたんだからさっさと潔く散りなさい!! 私はこれから妹と用事が────リリン?」

 

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