銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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42.「呪われたゴブリン」

「クソッ、ひったくり野郎め。一体どこに行きやがった……?」

 

 奪われたイシェル・マッコールの鞄を取り戻すため、ひったくりが逃げたであろう路地裏に突撃したヴィクターだったが、しかし犯人の姿はどこにも見当たらなかった。

 あるのは閑散とした行き止まりだけだ。建物に囲まれた袋小路で、逃げ場など何処にも見当たらない。

 

(エマやカースカンみたいに道具(アイテム)でも使って座標転移(テレポート)したか? いや、だとしたら魔法の発動痕が光になって見えたはずだ。それにそんな魔法が使えるってンなら、わざわざ走って路地裏に逃げる理由がねえ)

 

 空間座標の転移は高い技術と能力を必要とする高位魔法だ。無計画な転移は使用者を土中や建造物の壁中などに誤転送させ、容易く死に至らしめてしまう可能性がある。

 そのような事故を防止するため、空間魔法の個人使用は原則禁止とされており、実行する際は安全な始点と終点を定めた道具を介する場合が多い。特別なオベリスクで転送先を設定する島のポータルのような具合だ。

 

 つまり、ひったくりが空間魔法などという高尚なものを使うとすれば道具以外にはまず有り得ず、仮に持っていたとしても、あらかじめ行先を設定されてある道具ならばカバンを奪ったと同時にテレポートするはずなのだ。

 それをしなかったということは、わざわざこの袋小路に入った理由があるはずだとヴィクターは踏んだ。

 

(よじ登るにしちゃ壁が高すぎる。ああでも、リザードマンとかだったなら行けるのか? いや、それにしたって登った形跡がねえ。となると……)

 

 見上げていた視線を下に降ろしていく。

 その先にはマンホールがあった。路地裏の奥にひとつ、ぽつんと鎮座する重々しい金属の円盤だ。

 言うまでも無く、ダモレークの下水道に通じる出入り口である。

 

「下か」

 

 まさかとは思った。しかしいざ近づいてみれば、蓋をズラした真新しい痕跡があるではないか。

 溝に指を引っ掛ける。持ち上げてみるとすんなり開いて、暗い地下に続く縦孔がぽっかりと姿を現した。

 

「うげっ……流石に冗談キツイぜ」

 

 降りるのは簡単だ。穴に溶接された梯子を使えば子供でも侵入できる。

 だが問題は別にあった。下水道の入り口ならば当然の如く、夥しい数の不快害虫がびっしりと来訪者を歓迎するわけなのだから。

 こんな道を使って逃げたのかと、顔がしかめっ面に歪んでいく。しかし手掛かりからして、ここに逃げた以外には考えられないならば。

 

(シャロなら悲鳴上げて焼き払いそうな光景だな……。でも先生に絶対取り返すって啖呵切ったんだ、虫如きでへこたれるかっ! 根性ッ!!)

 

 もし見つけられなかったらすぐ引き返せばいい。気合で骨子を塗り固め、カサカサと蠢く虫たちを足で払い除けながら、梯子を使って暗闇の奥へと潜っていった。

 中は意外にも悪臭の類は感じられなかった。せいぜい埃っぽいだけである。下水道ならば近隣の生活排水全てが流れ込んでいるわけで、とてもじゃないがまともに呼吸出来るような環境ではないはずなのだが。

 

(よく考えてみりゃ、あのマンホールは蓋も古いし目立たない路地の端にあった。もしかして今は使われてない旧下水道みたいな場所なのか?)

 

 腕時計に手を伸ばし、スイッチを押し込んでフォトンパスを起動する。

 リストバンド状に変形した液晶を指で叩き、光源モードを選択した。するとフォトンパスから浮遊する光球が生み出され、暗かった旧下水道にランタンのような明かりをもたらしてくれた。

 

(俺には魔力がねえから、皆みたいにずっとは使えねえ。魔力石のストック(バッテリーの残量)には気をつけねえと)

 

 ポケットの中の魔石の数を指の感触で確認しつつ、足元に気をつけながら闇の中を歩いていく。 

 不気味に反響する靴音だけが存在する世界。汚水の流れていない水道の脇を沿うように作られた通路には、ヴィクターのものではない足跡が埃の上にしっかりと刻み込まれていた。

 

 こんな場所を頻繁に人が出入りしているとは考え難い。ますますひったくり犯が逃げ込んだであろう確信が強まっていく。 

 だが同時に、何故このような所に逃げたのかという疑問が浮かぶ。

 犯人は追い詰められた末の苦肉の策で地下への逃避行を選んだのではない。まるで慣れ親しんだ帰路を辿るかのように、自ら望んで薄暗い旧下水道へと飛び込んだのだ。

 どこか隠れ家のような場所に通じているのか。はたまたヴィクターには及びもつかない思惑があるのか。

 

(……ん?)

 

 ふと。水路の行き止まりが見えてくると、何やら奥で小さな明かりが漏れていることに気付く。

 光の源はドアだった。旧下水道の最奥、突き当りの壁に設置されたドアだ。古錆びて赤茶色になったドアの覗き窓から、柔らかい暖色の光が差し込んでいるのだ。

 

 足音を、息を殺して近づく。

 距離を縮めるごとに声が聞こえてきた。複数人だ。焦りをふんだんに孕んだ野太い怒鳴り声が、ドア越しにくぐもって反響しているではないか。

 

『一体なにを考えてるんだど!? おおおっ、女の子を攫ってくるなんて! いくらなんでも度が過ぎてるど!』

『そういうオマエだって医者からカバン盗んで来てンだろうが!! 自分のこと棚に上げて説教かましてンじゃねえよクソデブ!!』

『うぐっ……そっ、それは、そうだけどもっ! でもっ!』

『分かってるだろ!? ホルブを治すためにはもう時間がねえ、四の五の言ってる場合じゃねーんだってことくらい! だからパクッて来たんじゃねえのか!? オレだってそうだ、コイツの血からは万癒薬(エリクサー)の匂いが────』

「オラァッ!!」

 

 自然と体が動いていた。イシェルの鞄を盗んだ犯人がいて、しかもどうやら女の子が囚われているらしいと来れば、もはや黙っていられる道理など欠片も存在しなかった。 

 曇った覗き窓から状況を把握。ドアの直線状に攫われた娘らしき影が居ないことだけを確認したヴィクターは、渾身の力でドアを蹴り破った。錆びついた鉄のドアを轟音と共に吹っ飛ばし、握り固めた拳で牽制をかけるように作業員休憩室と書かれた部屋に突撃する。

 

「おいコラァッ!! 大人しく盗んだもんを返しやが────あ?」

 

 鼻息を荒々しく吹き散らし、怒れる雄牛の如く飛び込んだヴィクターの全神経が急停止した。

 無理もなかった。頭の中を隅々まで焼き尽くさんばかりの、絶対に有りえるはずの無い光景が、あまりにも堂々と広がっていたのだから。

 

「リリン、フィー? 何でお前がここに」

「あっ、おにいさん!」

 

 よく見知った幼い少女がいた。

 太陽を知らない玉の肌の女の子が、空の蒼を綴じた瞳をぱちぱちさせている。変装のために魔法で染めていたはずの黒髪は、雪を梳いたような白妙に戻っていた。

 それは見間違えようも無く、リリンフィー・ウェンハイダル・アーヴェントそのもので。

 ああ、でも、何故だ。今頃はシャーロットと一緒に町で遊んでいるはずのリリンフィーが、なぜ小汚いソファの上で縮こまっている? 

 

「だ、旦那? もしかして、ヴィクターの旦那だど?」

 

 ヴィクターが困惑を問うより先に上がったのは震える声。窟人(ゴブリン)の男だった。緑色の肌と頭頂部にちょこんと乗った松明のような髪が特徴的な小太りの男が、驚愕に目を剥き額をびっしょりと汗で濡らしながら、真逆に干上がりきった喉から呻き声を絞り出していた。

 

 既視感が脳裏を駆け抜ける。

 なんとなくだが、この男に見覚えがあったのだ。

 

「お前、ブーゴか?」

 

 記憶の蔵をひっくり返すと、やはり昔会った事があるようで、名前が口から滑るように飛び出てきた。

 あれは確か、シャーロットと初めてダモレークに行った日のことだ。彼女がヘアサロンに行っている間、暇を持て余していたところを空腹で行き倒れていたこの窟人(ゴブリン)──ブーゴを発見し、食べ物を与えたというのが事の顛末である。

 

 わけが分からなかった。リリンフィーがこんな場所に居るのは無論ながら、それにブーゴが関わっていることも、先ほどの会話からイシェルの仕事道具を盗んだ犯人で間違いないことも、全てが理解不能だった。

 

 かつての第一印象で言えば、ブーゴはとても盗みを働くような人間ではない。もし軽はずみな行動を起こすような男だったなら、空腹で倒れる前に騎士団の世話になっていたはずだろう。

 

 現にブーゴはリリンフィーとヴィクターの関係性を察したのか、顔を蒼褪めながら口をぱくぱく空回りさせ両手を必死に動かしている。それは後ろめたさからくる焦りではない。誤解だと懸命に訴えるようなせわしなさだった。

 

「あああっ、あの、その、旦那、これは違うんだど! 信じてもらえないかもしれないけど、この子がここにいるのは事故みたいなもんでっ!」

「……一旦落ち着け。んで順を追って話してくれ。嘘だけは吐かないでくれよ」

「誓って! 誓って嘘は言わないど!!」

 

 必死に首を縦に振るブーゴに免じ、一旦のクールダウンを設けた。

 どうやらブーゴはリリンフィーの件に関わりは無いらしく、見知らぬ狼人(ワーウルフ)の少年に事情を聞くべく詰め寄っている。

 彼らの話が済むまでの間、ヴィクターは混乱しているリリンフィーへ寄り添うように隣へと座った。

 

「一体何があったんだ? シャロはどうした?」

「えっと、えっと、ごめんなさい、わたしにも分からなくて。あの子に突然連れて来られて……おねえちゃんとはぐれちゃったんだ。フォトンパスも動かないの」

 

 視線を自分の腕に落とすリリンフィー。そこには不思議なことに、真っ黒に染まったフォトンパスがあった。

 まるで息絶えてしまったかのように、腕輪型の通信機は一切の反応を示さずにいる。

 

(壊れてるのか……? あの博士が作った道具が、こんな簡単に?)

 

 フォトンパスは水晶のような見た目に反し、非常に頑丈な作りをしている。

 一度オーウィズに耐久テストと称して殴って欲しいと頼まれたことがあったが、全力で叩き壊そうとしてもビクともしなかった。

 

(なのに故障したってのは多分、リリンフィーの魔力が原因か。いきなり連れ去られてびっくりした拍子に、漏れ出た黒魔力で焼かれたのかも)

 

 リリンフィーに宿る純血の黒魔力は、物理・魔導を問わずあらゆる法則性に縛られない一方的な干渉を強いるエネルギーだ。

 この独裁の権能は、例えオーウィズであろうとも完璧に対処することは出来ない。対黒魔力機構のセーフティは組まれてあるが、せいぜい力を弱めさせる程度だ。

 

 それが何の意味も成さない程度に、リリンフィーの宿す力は強大なのだろう。

 恐らくほんの少し漏出した程度だろうが、フォトンパスを壊すには十分だったに違いない。髪染めの魔法が切れているのも、余波を受けたのだろうと推察出来る。

 

「あっ、でも、二人を怒らないであげて! なんだか事情があるみたいなの」

「事情?」

「けほっ、けほっ……うん。お友達が病気だとか聞こえたんだ」

 

 少し咳き込んで、しかし平静に振る舞いながらリリンフィーは経緯を語る。

 千年果花の霊薬でずいぶん体が丈夫になったとはいえ、この不衛生な環境では負荷が強いらしい。 

 小さな背中をさすりつつ、胸ポケットからハンカチを取り出して渡す。マスクとしては心もとないが、無いよりはマシだろう。

  

(しっかし、こんな訳の分からない状況に巻き込まれたってのに冷静だなぁ。流石はシャロの妹か)

  

 まだ8歳の子供にも関わらず、アーヴェントの系譜であることを悟らせる肝の据わりようである。内心感心しながら、ヴィクターは自分のフォトンパスに手を伸ばした。

 

 シャーロットに連絡を試みたが、画面には『通話中』の文字が浮かぶだけで繋がらない。

 やむを得ず、リリンフィーが体調を崩さないか注意しつつ二人を待った。

 

 やがて話が済んだのか、汗をかいたブーゴと目を潤ませて歯を食いしばる狼人(ワーウルフ)の子供が並んでやってきた。

 

「ヴィクターの旦那、それとリリンフィーちゃん。今日は本当に申し訳なかったど」

「…………」

「なに黙ってんだライアン! お前も早く謝れだど!」

「……ごめん、なさい」

 

 頭をブーゴに押し下げられ、ライアンというらしい狼人(ワーウルフ)の少年が()()()を嚙み潰すように謝罪を吐いた。

 

 しかし、姿勢が引っかかる。心から納得していない様がありありと伝わるライアンの姿は、まさに大人の理不尽さに歯痒さを味わわされた子供のそれだ。

 小さな拳に筋を立てて、ぼろ切れのような服を強く強く握りしめる彼の胸には一体何が渦巻いているのか。ヴィクターにはどうにも気になって仕方がなかった。

 

 騎士団に突き出すのは簡単だ。既に証拠は嫌になるほど出揃っている。

 だがその前に、彼らが早まった真似をした事情を聞いておきたかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点も含めて。

 

「聞きたいことが二つある。ひとつはブーゴ、お前が先生から鞄をひったくったワケを。もうひとつは、彼女(リリンフィー)をここに連れて来た理由だ。何故こんな真似をした?」

「仲間の病気を治すためだ」

 

 うつむきながらぼそりと口にしたのはライアンだった。

 再び沈黙した彼に代わり、継ぎ足すようにブーゴが言う。

 

「オラたちは色々あってここに流れて来た身なんだど。オラとライアンともう一人、ゴブリンのホルブの三人で暮らしてただ。だけどホルブが病気になって、治すための薬が必要になったんだど」

「……オレがその女の子を連れて来た理由はそれだ。彼女の血から万癒薬(エリクサー)の匂いがした。ホルブにはもう時間が無い。ほんの少しでも可能性があるなら、それに賭けたかった」

「オラたちは飯を買う金すらロクにない浮浪者だ。薬なんか買えっこない。満足に治療を受けさせてやることも出来ない。仕方が無かったんだ。他に方法が無かったんだど」

「だからって、盗みを働いたり人を攫ったりってのはダメだよな」

 

 ヴィクターは腕を組んで息を落としながら、嗜めるように言った。

 

「事情は分かったが、先生は大事な手に怪我を負った。彼女(リリンフィー)は凄く身体が弱い。下手したら死んでたかもしれねえんだぞ」 

「っ、それはもう本当に、本っっ当に申し訳ありませんでしたど!」

 

 話を聞いた限り、病気の仲間とやらはかなり危うい状態にあるらしい。

 それに焦って手段を選ぶ余裕が無くなったというが、だからと言って誰かを害して良い理由にはならない。それとこれとは話が別だ。

 

 金が無くても役所に行けば補償はある。仕事ならギルドに幾らでも転がっている。そうした先で病院の戸口を叩けば解決だった。たったそれだけで、誰も不幸にならずに済んだはずだ。

 

 そもそもこんな不衛生な場所に住んでいれば、病気のひとつやふたつ貰ってしまうというものだろう。

 

 だが、しかし。

 

「違う! あれはただの病気なんかじゃねえ……! 病院に行って寝りゃ治るような、風邪だとか流行り病とはわけが違うんだよ……!!」

 

 慟哭のようなライアンの怒声が両断し、部屋の中を跳ね返った。

 ふーっ、ふーっ、と荒い息が空気を震わす。油ぎった前髪から覗く少年の黄金の瞳には、行き場の無いやるせなさで満ちた褪せ色が浮かんでいた。

 

「あれは呪いだ! 魔物に変わっていく呪いなんだ!! 医者なんかに診せてみろ、すぐ騎士団にチクられてホルブが殺されちまう!! 何も知らねえ奴が知った口きいて説教なんかしてんじゃねえよ!」

「落ち着けライアン、二人に当たるのは筋違いだど!」

「うるせえ!! オレだってっ、オレだって分かってるよ、そんなことっ……!! クソッ!」

 

 ぎりっ、と食いしばる歯の悲鳴が聞こえそうなほど腹立たしさに塗れた表情だった。

 ライアンはリリンフィーとそう年の離れていない子供だ。感情の制御がまだ未熟な面はある。だがしかし、それを差し引いても異様と言える焦燥っぷりだ。

 

 魔物に変わっていく呪い。確かにライアンはそう口にした。

 黄昏の森で辛酸を舐めさせられた魔物(カプディタス)の記憶がよみがえる。星を穢す不浄の権化にして、命ある者の天敵。森に住まう小人(コロポックル)たちを貪り喰らい、シャーロットを追い詰めた正真正銘の化け物だ。

 

 あんな醜悪で悍ましい、この世のものではない存在が関わっているというのか。

 そう思うと、神経に火を着けられたようなピリリとした緊張感がヴィクターを駆け抜けた。

 

 魔物は騎士団にとって最優先討伐対象だ。時に()()にされて魔物に作り変えられてしまった哀れな被害者は、正義の刃にかけられることもあると聞く。

 リリンフィーの言う通り、どうにものっぴきならない事情が彼らを取り巻いているのは確からしい。

 

「病気の子って、どこにいるの?」

 

 疑問を投げたのはリリンフィーだった。空色の目でしっかりと二人に向き合って、ヴィクターの服をつまんで勇気を貰いながらそう言った。

 応じるようにライアンが指差したのは部屋の奥──仮眠室と書かれたドアだった。

 

 不穏な気配がする。ヴィクターはざわつく己の勘に眉をひそめながら、ドア越しに中を覗き込むようにじっと見つめた。

 魔物になる呪いなどという物騒な言葉を耳にしたせいではない。傍から見て異様な空気を感じるのだ。

 

 ドアの隙間から一切の光が漏れておらず、ここと違って暗闇なのが外からでも分かる。中に人がいるにしてはおかしい。

 音が漏れやすく響きやすい環境なのに、まるで気配が感じられないのも妙だった。仮に寝ているとしても、これだけ騒いで何のアクションが無いのも怪しく思えてくる。

 不気味で無機質な雰囲気が、ドア越しにぬるりと伝わってくるようだった。

 

「……ブーゴ。そのホルブって奴を見せてくれないか?」

「えっ? ど、どうする気だど?」

「何もしないさ。ただ状況を知っておきたいだけだよ。もしかすると、治せる病気かもしれないからな」

「っ!? それは本当だど!?」

「言っておくが約束は出来ないぞ。ただ、不可能でも可能にしちまいそうなスゲー人を知ってる。賭ける価値だけは保証するぜ」

 

 魔物は災厄と同類だ。いいや、むしろこの世のものではないぶん自然災害よりタチが悪い。

 いたずらに命を奪うことだけを目的とする怪物。そこに意志も論理も無く、ただ目の前の生命を食い潰すだけの悪逆である。

 

 彼らがその理不尽な不幸を被り、仲間を想う心と騎士団の処遇との間で板挟みになって追い詰められていたのならば、その苦労が少しだけ報われるくらいなら許されるはずだと、ヴィクターは思った。

 

「……分かった。お見せするど」

「おい本気か!? こいつが騎士団だったらホルブが殺されるんだぞ!? 嘘かもしれないのに信じるのかよ!?」

「いや、旦那は騎士団じゃないど。もしそうなら出会い頭にオラたちをしょっ引いてる。そもそもオラたちが逆らえる立場か? どの道詰んでるんだ、このままじゃ何も変わらねえ。旦那は良い人だ、見ず知らずのオラを助けてくれた。オラは旦那を信じる」

 

 ブーゴはヴィクターを先導し、ドアノブへと手を掛けた。

 

「ひとつだけお願いがあるだ。ホルブを怖がらないでやって欲しいんだど」

「分かった」

 

 一拍の間をおいて、暗闇へと足を踏み入れる。

 ブーゴは電気を着けようとはしなかった。ドアを開けて作業員休憩室の明かりを招き入れるだけだ。

 

 けれど。

 それだけで十分なほどに、直視し難い光景は網膜へとこびり付いた。

 

繧ェ繝槭お縺ッ隱ー縺??」

 

 それは、本当に人が発していい音なのだろうか。

 もはや声などという枠組みに当てはまらない、腹の底から生理的嫌悪感を引きずり出す悍ましい濁音を放つ物体は。

 人という存在を忘れかけた、醜い肉の塊とでも呼ぶべき異形だった。

 

 ベッドの上に横たわる、かつて窟人(ゴブリン)だったもの。

 小太りなブーゴとは違い細身で、恐らく背丈もやや高い。代わりに鷲鼻が特徴的である。

 しかし彼について分かる身体的特徴は、たったそれだけだったのだ。

 

 顔の右半分は巨大なイソギンチャクに寄生されたかのように無数の触手が生え伸び、それらひとつひとつが意思を持つように蠢いている。先端にはネオン灯のように輝く眼があった。うぞうぞと不揃いに身をくねらせながら、不意に訪れたヴィクターへとぴったり照準を合わせている。

 

 口はまるでヤツメウナギのように捲れ上がり、びっしりと白い歯で覆われていた。本来生えるはずの無い頬肉や硬口蓋にまで大小様々な臼歯が芽吹き、永遠に嚙み合わさることの無い残酷な歯ぎしりを奏でているのだ。

 右腕には眼球や口、鼻といったパーツが不規則かつ無数に発生していた。腕の形そのものはもはや人のソレではなく、肉で作られた木の根とでも言うべき歪さだ。

 

 この醜悪さ、この度し難さ。強烈な見覚えがある。

 黄昏の森を襲ったカプディタスと全く同じ、この世にあってはならない禁忌の具現そのものだ。

 

 思わず眼を背けたくなる惨たらしい有様に、ヴィクターは喉が干上がっていくような錯覚を覚えた。

 幼いリリンフィーにだけは見せまいと、ドアを自分の背で覆って視線を遮るように立つ。

 

「一体何が……彼の身に?」

「旦那と初めて出会った七日ほど前のことだど。最初は顔に出来た小さなコブだっただ。それがどんどん広がって、あっという間にホルブを侵して」

「■■■■■■■■!!」

 

 突如、獣のような唸り声が粘液を撒き散らして炸裂した。

 出て行けと怒鳴り散らすように放たれた名状し難い咆哮を受けて、ブーゴは「す、すまねえホルブ!」と慌ててドアを閉める。

 

 閉まり切る直前、ヴィクターはこちらを睨むホルブが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()身を縮めているのが見えた。

 

「……それからホルブはああなった。引きこもって出て来なくなっちまったんだ。飯も食わねえし、水も飲まねえ。ずっとずっとあのままだ。ただ弱っていくだけだ」

 

 言いながら、ブーゴはヴィクターへ向き直ると、おもむろに床へと膝をついた。

 倒れ込むように手もついて、額を床にこすりつける。我武者羅な懇願を示すブーゴの姿勢に、思わずヴィクターはたじろいでしまう。

 

「お願いだ旦那! ホルブを、ホルブを助けてやって欲しいんだど!!」

「……ブーゴ、お前」

「自分勝手なことを言ってるのは分かってる! 滅茶苦茶なのは百も承知だ! でも、本当に可能性があるのなら、恥を忍んでお願いしたい! 盗んだものは返すし、騎士団にも自首する! オラの人生全部捧げてもいい! 召使いにでも何にでもなるからっ────ホルブを、助けてくれ……!!」

 

 

 

 ブーゴとホルブは元々、『禁足地』で生まれた亜人だった。厳しくも豊かな森の中で育ち、窟人(ゴブリン)の村でひっそりと生きて来た。

 

 村での暮らしは、文明的な現代社会とは縁遠い原始的なものだった。夜が明ければ男は狩りで日々の糧をつなぎ、女は家を守り、定められた村の掟に従うまま働き、日が暮れれば森の精霊に祈りを捧げて床に就く。

 

 毎日毎日がその繰り返し。けれど別に不満は無かった。無くて当然だった。それが彼らにとっての普通であり、足りるを知って満たされる彼ら窟人(ゴブリン)の日常だったから。

 

 そんな二人に転機が訪れたのは、村の外から珍しい客人がやって来た時のことだ。

 

 男は『禁足地』の恵みを求めてやってきたという探索者だった。危険な夜の森で迷っていたところを、偶然窟人(ゴブリン)の村を見つけて飛び込んだのだとか。

 彼は村に滞在させてもらう代わりに、外の世界の様々なものを村人へと与えた。食べ物、書物、道具、そして森の外の世界の話を。

 それらは全てブーゴたちにとって、未知の刺激で満ち溢れた人生最大の革命だった。

 

 これまで食べて来たどんなご馳走も霞んでしまう食べ物や、色彩豊かで躍動的な挿絵と共に綴られた心躍る物語、見たこともない摩訶不思議で便利なアイテムの数々に、雄弁に語られる外の世界の壮大な話。

 

 好奇心の強い若者であったブーゴたちに、文明の灯火はあまりにも眩し過ぎた。

 それはまるで依存性を孕む薬物のように、ブーゴたちは男の持つありとあらゆるものにのめり込んだ。魅力的だと強く感じた。

 そして同時に、村での生活が途端に窮屈だと感じるようになってしまった。

 

 外の世界は楽しい。外の世界は美しい。外の世界は自由だ。

 一度思い込めば止まらない。憧れを追い出すことはもう叶わなかった。

 男が滞在したわずか数日足らずの時間だけで、ブーゴたちは村の外に焦がれるようになったのだ。

 

 そんな折に投げかけられた、「一緒に来るかい?」という鶴の一声。

 うなずく以外の道などあろうはずもなく。掟破りだのなんだのと野次を飛ばしてきた村の老いぼれなど構うはずもなく。

 二人は鳥籠から放たれた鳥のように、男の後を着いて村を飛び出していった。

 

 

 

 

 

 ────ザ──────

 ザザ────ザ────ザ―

 

 

 ■■────■■■■■■──────―■■■■──■────―

 

 

 

 

 

 

 いたい。

 くるしい。あつい。

 きもちわるい。

 たすけて。いやだ。

 だれか。

 

 

 ────■■■──■■■■■──―

 

 

 

 気がついた時にはどこかの町の下水道に横たわっていた。

 頭がぼーっとする。記憶が雲みたいにふわふわだ。けれど、夢見心地にしては最悪な気分だ。

 

 確か男に連れられて、村を出て、それで。

 ええと、どうなった?

 

 分からない。思い出せない。

 そばに二人の人間が転がっている。眼を背けたくなるくらいボロボロだ。

 一人は幼馴染の窟人(ゴブリン)で、もう一人は確か、ライアンとかいう狼人(ワーウルフ)の子供だったか。

 いつの間に知り合ったのか分からない。けれど彼の名前は記憶にある。知り合った過程の部分だけが、霧に呑み込まれたみたいに不鮮明だ。

 気分が悪い。まるで自分が自分じゃないみたいに。

 

 

 ああ、けれど。何故だろう。

 胸の奥から湧き出てくるマグマのような衝動が、いいや、強迫観念のようなものだけは、自分の中ではっきりとした輪郭を感じられる。

 

 ────()()()()()

 

 アマルガムに見つかるな。

 アマルガムという言葉を口にするな。伝えるな。

 アマルガムに関わった時、次は絶対に、必ず自分の命は終わりを迎える。

 

 

 心しろ。刻み込め。例え口が裂けても絶対に言うな。何が何でも関わるな。

 アマルガムにだけは、呪われた善悪の混沌にだけは見つかってはならない。

 誰も信じるな。誰にも見つかるな。

 誰の目にも当たらないようひっそりと生きていけ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 待て。

 そうじゃない。違う。

 

 違う。違う違う違う、それじゃ駄目だ。そうじゃないんだ。

 誰かに伝えなければ。誰かに止めてもらわなければ。

 大勢の命が失われる前に。もうこれ以上、誰も犠牲になんかさせないために。

 

 アマルガムを、あの最悪の怪物を、誰でもいいから止めてくれ。

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