銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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45.「異端なる獣」

「『朧々たる城塞(カストラム・オカルトゥス)』──これで一帯は隔絶された。誰ひとり中の様子を知ることは無い」

 

 漆黒の医師が握るのは、捻子くれた金属の杖だった。

 それは太古より魔法使いの象徴として在った無二の友。超常の則を従える指揮者の証明である。

 

「『従え、燦然たる刃が仔らよ(ルクスフェルム・セクウェーレ)』」

 

 光が叫ぶ。嵐に爆ぜた雷霆のように。

 光が堕ちる。落屑しゆく流星のように。

 (まなこ)をまばゆく貫かんばかりの煌々の破壊が、たった一人の少年に向けて一斉に解き放たれた。

 

「だァァららららぁああああああああ──────ッッッ!!!」

 

 血潮を滾らせ、少年は怒号と共に迎え撃った。

 ありったけの拳を放つ。迫り来る光の刃をさばき、砕き、叩きのめして道を拓く。

 だが無尽蔵に等しい光の大豪雨は、どれだけ抗おうとも晴れる気配など微塵もない。

 

 落としきれなかった光刃が肩を滑走するように滑り抜けた。

 焼けた鉄を肉に押し込まれたかと錯覚するほどの激痛がヴィクターを襲う。血肉が焦げる刺激臭が鼻を転げ回り、奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。

 

「君の力、いまだに原理が分からないな。魔法を殴り壊したり掴んだり……どういう理屈だ? その腕の包帯の下に星の刻印でもあるのかな」

 

 イシェルが操る光の刃は、人間など簡単に骨ごと焼き切るほどの灼熱と鋭利を秘めている。

 にもかかわらず、ヴィクターは生身で殴り返す。無論一切の負傷も無く。その異常性は医師(イシェル)の瞳に驚愕の満ち潮をもたらすには十分だろう。

 だが、未知の能力に対する警戒心はヴィクターも同じだ。『転血』という常軌を逸した攻撃方法の正体がまるで明かされないからだ。

 

 ゆえに腕の力を発動し、緩やかな時の世界で豪速をまとう判断に舵を切れない。

 あれはヴィクターの敏捷性(スピード)を飛躍的に向上させるが、無敵になったわけではないのだから。

 

(クソ、この猛攻じゃ近づこうにも近づけねえ! かと言って無理やり突っ込んで転血を食らったら……いや、()()()()()()()()()()()! 重要なのはタイミングだッ! なにか発動の予兆さえ掴めれば────)

「『稲妻よ(トニトルス)』」

 

 雷鳴が轟く。

 掲げられたイシェルの杖──魔法使いの象徴に、怪物の如き雷電が招かれる。

 

「『水よ(アックア)』、『大樹よ(アルボス)』、『焔よ(フランマ)』、『地よ(テラ)』──『従え、空と地の精霊の名において(エイクァーエルタス・セクウェーレ)』」

 

 詠唱は森羅万象に号令を下し、本来混ざり合うはずの無い五つの属性を圧縮させる。

 (ことわり)の埒外に踏み出したそれは、極彩色の膨大なエネルギーとなってイシェルの頭上に実りを成した。 

 黒衣の腕がゆっくりと落ちゆき、杖の先がヴィクターをぴたりと捉えて。

 

「『敵を穿て、勇ましき五界の徒よ(フォルティベリトゥス・イゴニミスタ)』」

 

 ──イシェルを中心とする極大の魔方陣から、産声と共に顕現する巨影がひとつ。

 現れたソレを形容するなら、大蛇の形をした災厄か。

 

 五属性全ての魔力を触媒に創造された見上げるほどの巨体。それはまるで燃え盛る津波であり、肥大しゆく生きた落雷であり、海を食う大地のようだった。

 反発しあう属性が絶えず悲鳴を上げて破裂し、調和しあう属性が融け混ざって癒合する躰は、まさしく異形の(いびつ)そのもの。

 相反し結合するという矛盾を超えて生誕した、この世のものではない怪物が光と共に現れた。

 

「冗談だろ、こいつはッ……!?」

 

 オーウィズから教わった魔法学の一端が、異形の正体を解き明かさんとヴィクターの脳裏で躍動する。

 

 魔力とは生物の心臓や豊かな自然が生み出す生命エネルギーの総称であり、それは時に精霊や妖精、亜種の小人(コロポックル)のような命となって形を成すことがある。

 この魔法の根源的理論はそれだ。魔力が持つ命としての性質を利用し造り出された、即席の人造生命なのだ。

 

 術者の魔力を糧に生まれ、主命のままに絶大な破壊を馳走する虚像の獣。

 人は、それを召喚獣と呼んだ。

 

「■■■■■■■■──────!!」

 

 大気が破裂したかと錯覚するほどの、命なき獣の雄叫び。

 途端に全細胞が警鐘を鳴らし、本能が逃げろと間髪入れず訴えかけた。

 刹那。嵐に匹敵する風の暴威が一帯を薙ぎ払うと、ヴィクターを芥のように大空へと攫い上げてしまった。

 

 ただの風ではない。竜巻の如く合切を吹き飛ばす恐るべきエネルギーの奔流は、雷を孕み、灼熱を纏う蹂躙の権化だった。

 爆熱と轟雷の大演武が、ヴィクターを完膚なきまでに八つ裂いていく──!

 

「がッッああああああああああああああッッ!!?」

 

 熱風が皮膚を焦がし、稲妻が臓腑を搔き毟った。筆舌に尽くしがたい激痛に全身を殴られ、視界がバチバチと白熱化していく絶望的な音響が頭蓋を揺らす。

 呼吸が出来ない。方向感覚が消し飛ばされる。巻き込まれた石つぶてが皮膚を裂き、血潮が竜巻に入り混じっていく。

 

 それでも、少年の思考は崩れぬままに。

 

()ってえ! クソ痛ってえしバカ熱ィ! けどッ、先生に俺を殺す気はないのなら! ただ痛めつけようとしてるだけだ!!)

 

 イシェルの目的は殺害ではない。悪人のみを裁くという執念のもと、ヴィクターの命を奪うことだけは決行出来ない。

 大仰な魔法のオンパレードだが、全て抑えられている。そうでなければ、今頃ヴィクターは破砕機にかけられた家畜のように挽肉と化しているだろう。

 

(それにこんな冗談みたいな召喚獣、いくら先生が腕の立つ魔法使いでも一般人の領域を超えてる! 五属性を全力全開で一気にブッ放せるわけがねえ!)

 

 黒魔力という既存の法則に囚われないイレギュラーを操るシャーロットですら、五つの魔力を一挙に操作するなんて技は不可能だ。

 卓越した魔法技能を持っていたとしても、あくまでイシェルは一般人。常識を逸脱した魔法の裏にカラクリが存在するのは自明の理。

 

 考えられるとすれば、イシェルは医者だ。ならば薬理にも精通しているはず。

 となるとこの大技の源は、恐らく薬物による一時的強化(ドーピング)か。

 あの長い嘴状のマスクに魔晶石や植物の粉末でも忍ばせて、無理やり魔力を底上げしているに違いない。

 

 しかし、薬による魔力上昇効果はあくまで一時的なものだ。永続的に引き上げられるわけではない。

 それは肉親を食らう禁忌でしか成し得ないものだと、ヴィクターはよく知っている。

 

(つーことァ、この召喚獣は見掛け倒しのハリボテ! 中身が詰まってないんだ! 見た目よりずっと脆くて不安定なはず! ──だったらッ!! 力の核をブッ叩けばッ!!)

 

 拳を開き、鉤爪のように指を曲げて力を込める。

 万物を掌握する王の腕へ、燃え滾る闘志の焔を宿す。

 

「おおおおおおおォォあああああああああああああああああッッ!!」

 

 咆哮一陣。ヴィクターは己を翻弄する嵐を掴むと、力任せに引き千切った。

 腕に灼熱が、轟雷が絡みつく。ズバヂィッ!! と落雷のようなエネルギーの絶叫が爆発した。

 今にもヴィクターを呑み込まんと暴れ狂う奔流を捻じ伏せ、拳に纏わせたそれを、乱気流ごと吹き飛ばさんばかりに召喚獣へと殴り放つ。

 

 さながらそれは、狂飆(きょうそう)の徹甲弾。

 大蛇の召喚獣の喉元を穿ち抜き、巨体を大きく仰け反らせた。

 

「よっしゃあ一発命中!! ンでもってえ、まだまだブチかますぞコラァッ!!」

 

 召喚獣が怯んだ影響か、渦潮のような乱気流が弱まった。

 その隙を逃さない。再び嵐を引き裂いて拳に纏わせ、一気呵成に叩き込んだ。

 

 爆ぜた。爆ぜた。爆ぜた。

 莫大な召喚獣の力を逆に利用した龍颯爆裂拳は、はりぼての巨獣に無数の風穴を抉り抜き、砂塵と共に光の粒子へと消滅させた。

 

 途端、自由落下。ヴィクターは空気を掴み、減速することで軽快に着地する。

 一部始終を目撃していたイシェルは呆気にとられ、言葉の在処を喪っていた。

 

「……まさか、ゼノアニマを破るとは。君の(ソレ)は何だ? 見たことも聞いたこともない」

 

 イシェルからしてみれば、ヴィクターの行動は驚愕の一言に尽きるはずだ。

 理解不能な力で強引に嵐を打ち破り、あまつさえ召喚獣を破壊したその不可解は、魔法に精通するがゆえに色濃く異端となって映りこむだろう。

 

 少年を殺すつもりはなかった。傷つけて、恐怖を植えて、戦意を削ぎ落とし行動不能にする──そのための召喚獣(ゼノアニマ)だった。

 ゆえに手心は加えた。だが生半可にしたつもりなど微塵もない。

 ゼノアニマの嵐はヴィクターを完膚なきまでに痛めつけたはずだ。医師としての知恵が徹底的に計算し尽くした、人体ダメージを最小限に留めながらも最大限の苦痛を味わわせる方法で。

 

 なのにこの血濡れの少年は、未だ瞳を濁らせていない。 

 普通なら立っていられるはずがないのに。痛みと恐怖の楔が、四肢を縫い止めるはずなのに。

 

「……能力じゃない。真に驚くべきはその精神か。いくら加減されていると理解しても、嵐に飲まれながら機転を利かせるなんて並大抵じゃないよ。肝が太いなぁ、若いのに大したもんだ」

「そいつはどーも! じゃ、図太いついでに転血とやらのタネを聞いても!?」

「もちろん、駄目だ」

「ッスよねえ!!」

 

 光が煌めき、夜を駆ける。

 それは意志を持つ彗星のような無軌道を描いて、四方八方からヴィクターめがけて襲い掛かった。

 

「だらァッ!!」

 

 砕く。砕く。砕く。

 右から、左から、背後から。音を裂くように到来する静謐な凶器を正確無比に叩き落していく。

 光の粒子が舞い散った。

 きらきらと無邪気に踊るそれは、まるでご機嫌な朝霧のようで。

 

(──待て)

 

 気付き。

 釣り針が脳裏を引っ掻いたような、そんな錯覚。

 

()()()()()()()()()()()()……!? 指向性を失った魔法は空気に溶けて消えるはずじゃッ)

 

 例外はあれど、魔力とは単一で存在できるエネルギーではない。ヒトの血、水、土や鉱石、空気といった媒体を必要とする。

 豊かな自然のように魔力濃度の極めて高い飽和空間でもない限り、魔法としての()()()を失った魔力はすぐに霧散してしまう。

 

 だからこれは、あり得るはずが無いのだ。

 砕いたはずの光の矢が、雪原を踊るダイヤモンドダストのように残存するなんて。

 

「この粒子、まさかッ──!!」

「手で口を覆ったところでもう遅いよ。『燦然たる刃の子(ルクスフェルム)』は既に君の体内へと潜り込んでいる」

 

 ヴィクターの胸中に萌芽した危機感を掬い上げるように、イシェルは淡々と言い放った。

 

「お察しの通り、この光の粒ひとつひとつが極小の術式だ。呼吸を通じて血に混ざり、術者の意のままに血液を操作する……それが転血の本質だよ。本来は医療用なんだが、まぁ、用途を誤れば害に変わるのは薬と同じさ」

「っ……!」

 

 先ほど彼は荒事が苦手だと口にしていた。

 

 それは戦闘経験の乏しさからくる不慣れへの自覚だ。しかしイシェルは聡明な魔法使いである。欠点を克服せずして、悪への復讐などという大それた行動は起こさないだろう。

 

 恐らく、そうして生まれたのが『転血』の正体だ。

 第一陣の光の矢や召喚獣のような分かりやすい脅威を使わずとも、分散させた微粒子状の術式を吸い込ませれば、生殺与奪の決定権を強引に奪い取ることが出来るのだから。

 

「君のその腕輪……フォトンパスだったかな? 魔法の干渉を防ぐとは言っていたけど、万能じゃないよね。恐らく呪い(アナテマ)概念干渉(カース)の類だけで、魔法が引き起こす二次的な物理現象は遮断できない」

 

 ヴィクターの重々しい無言が肯定を露わにする。

 図星も図星だ。全ての魔法を断つなどという常軌を逸した力なら、召喚獣の攻撃などそよ風に等しい些事だったことだろう。

 

 フォトンパスはあくまで道具だ。それも魔力を原動力とするマジックアイテムである。

 他の魔法使いと違い、魔力というエネルギーを供給出来ないヴィクターは、必然的に機能を魔力貯蔵管(バッテリー)が許す範囲に制限されてしまう。

 それに例え使用者がシャーロットであっても、ある程度魔法を弱めるに留まるのみだ。全てを掻き消すわけじゃない。

 

「つまり、君の勝機は完全に潰えた」

 

 自らの心臓を親指で指しながら、イシェルは診断を告げた。

 それはある種の余命宣告だった。指をひとつ弾けば最後、ヴィクターは無数の刃に体内を喰い破られ、切り裂かれることになるのだから。

 

「もう降参してくれないか。これ以上傷つけるのは本望じゃない。昨夜の傷だって、まだ癒えてないんだろう? そんなボロボロの体で転血なんか受け止めたら、死にはせずとも後遺症が残ってしまう。分かったらさっさと帰りなさい。手遅れになる前に」

「先生が殺しを止めるってンなら、すぐにでも」

「ヴィクター君……!」

「つかよ、このままじゃ手遅れになっちまうのは先生の方だろ」

 

 拒絶と共に、ヴィクターは砂利と血の入り混じった唾を吐き捨てた。

 

「本当のあなたなら、イシェル・マッコールなら。俺の安全と自分の意志なんて、天秤にかけることすらしなかったはずだ。そうやって揺れちまってる時点で、いつか必ず先生は『善人』を手にかけちまう時が来る。自分の信念を歪めちまう瞬間が!」

 

 右肩に鋭い痛みが走った。

 ぬるりと背に伝う生温かい感触。皮膚が裂け、新鮮な()が零れたか。

 転血の部分発動──牽制の意志は明白だった。

 

「ぐっ、ぅ……! ほら、痛めつけることに躊躇が無くなってきてるだろ……! 最初は光の矢で威嚇するだけでも、たじろいだハズなのに!」

 

 それでも、例え五臓六腑を引き裂かれても。

 ここで退くわけにはいかないと、ヴィクターは力強く青い芝を踏みしめる。

 

「分かってンだろ、今のあなたがッ! 憎んで憎んでしょうがない外道に堕ちかけてることくらい! そんな先生をッ……!! 放っておけるわけねえんだよ!!」

「私は覚悟と信念をもってこの道を進むと決めた。だが生憎、理想主義じゃあない。『善人』の命を奪う──その線引きさえ超えなければ、多少の損耗はやむなしだよ」

「覚悟……? 信念? ならその手は何だ! ずっと震えてることに気付いてねえのか!?」

 

 言葉を叩きつけられたように、イシェルは重さを伴う沈黙に圧されるまま下を見た。 

 震えていた。少年の言う通り、杖を握る手がすすり泣く赤子のごとく。

 

「先生、もう止めろ……! 今のあなたは自分を拒んでるみたいで、見ていられない……!」

 

 自覚した途端、強張った手からズキズキとした痛みが伝わって。

 無意識の内に相当な力を入れていたのか、杖を握る黒い手袋にうっすらと鉄臭さが滲んでいた。

 

 左手で右手を包み、揉み解す。

 視線を手に吸い寄せたまま、小さく吐息。

 

「……ただのストレス反応だよ。荒事は苦手と言ったろう? 不慣れな喧嘩で筋肉が無意識に緊張した結果だ。的外れだね」

「いいかげん誤魔化すなよ、イシェル・マッコール」

 

 鷹の如く鋭い気迫で、少年はマスクに隠された復讐者の目を睨みつけた。

 それはひとえに、男が嘘のベールで心を覆い隠していると悟ったがゆえに。

 

「なぁ先生。今のあなたに、本当に覚悟と信念なんてあるのか? こんなことを繰り返して、本気でご家族の弔いになるとでも思ってるのか!?」

「思っているからこうしてる。何度も言っただろう? 悪をひとつ消すたびに、世の中の景色はもっと美しくなる。悲劇の予防を重ねた数だけ、私と同じ痛みを味わう人も減る。説得は無駄だよ」

「だから、()()()()()っつってんだろ! それだけは絶対にあり得ねえんだ! だってよ先生、本当にそれが正しかったら! あなたのご家族は愛する人の居場所が無くなっても喜べる、薄情な人間になっちまうじゃねえか!」

 

 一拍。

 時計が息を止めるような、空白。

 

「……なにを、急に」

「その美しくなった景色とやらにあなたが居ないのに、弔いになるのかって聞いてンだよ」

 

 傷だらけの少年は、強く一歩を踏み出した。

 復讐に燃える悪鬼は、ほんの少しだけ後退(あとずさ)った

 

 ──初めから違和感はあったのだ。

 イシェルは自らの理想と執念を物語るが、亡き家族の言葉を、あるはずの残された想いを、口にしたことは一度もなかったのだから。

 

 死に別れの果てに残された人間は、胸の内に死した人々の『生きる想い』を抱くことが出来る唯一の存在だ。

 

 あの人が生きていたら何て言うだろう。今の自分を見てどう思うだろう。

 悲しむだろうか。幸せを願うだろうか。背中を押そうとしてくれるだろうか。それとも怒るだろうか。

 そんな亡き者たちの魂が胸にあるから、命ある者は身を裂かれるような別れの痛みを受け止められるようになる。

 歯を食いしばって、心の中に託された想いに力を借りて、精いっぱい未来に踏み出していくのだから。

 

 当然、それはイシェル・マッコールの中にもあるはずだ。

 なのに彼は徹底的に、死者の魂に想いを馳せようとしないでいる。

 まるで後ろめたさの陰を認めまいと、目を背けているかのように。

 

「俺は亡くなったご家族の代弁者になるつもりなんて毛頭ない。最愛の人を失った苦しみと痛みは、あなただけの物だから」

 

 寄り添うように、支えるように、ヴィクターはイシェルの内側に踏み込んでいく。

 無礼なのは百も承知で。心の傷を抉る蛮行であることも呑み込んで。

 

「けど、ちょっとは考えるんだよ。あなたをそこまで憎しみに衝き動かすほど愛していたご家族は、きっと素敵な人だったから。今のあなたをみて納得なんてするはずがないって、どうしてもそう思っちまうんだ」

「たらればは無意味だ。死者は語らないし、考えない。彼女たちは憂う権利すら、悪に奪われたんだから」

「そうやって目を背け続けるのか、先生。亡くなった人の想いをこの世に生かすことが出来るのは、遺されたあなただけの力なのに」

 

 厭わず突く。イシェルが最も嫌うだろう、古傷の膿を。

 ここでイシェルの奥底に触れなければ、取り返しのつかない未来になると確信しているがゆえに。

 

「もし俺が的外れな世迷言を言ってると思うなら、あなたのその口で斬り捨てて欲しい。今の自分に家族は納得すると。想い馳せることは無意味だと。一番の理解者である先生が断言するなら、俺はもう何も言わない」

「……喋り過ぎだよ。状況を分かっているのかい」

「言えるはずだ。死者の想いが無意味だと、本気で思っているのなら」

「ヴィクター君……!!」

「言えよ、言ってみろ!! イシェル・マッコール!!」

 

 

 

 

 

 ぶしゃ、と。

 生肉の塊が弾けたような、みずみずしい残響。

 

 

「っ──」

 

 緊張が解けた手の中から、呆気なく杖が地に落ちていく。

 

「……、……?」

 

 熱を帯びた吐息が鼻から抜けて。

 不思議と、息が途切れ途切れになって。

 少しだけ、視界の靄が晴れた気がした。

 

 どくどくと巡る血潮の音が耳を衝く。こんなに働いていたのかと驚くほどに。

 まるで生の感覚を取り戻した亡者のような、目覚めに似た錯覚だった。

 

 けれど。

 熱を得た血が再び凍りつくような光景を前に、イシェルの瞼は閉じることを放棄した。

 

「ヴィクター君!」

 

 血濡れの少年が倒れていた。

 刃物で思い切り引き裂かれたように皮膚が割れ、中身がめくれている。

 腕や足の一部は外から骨が見えるほど肉が花開いていて、あふれ出る夥しい血潮が小さな湖を生んでいた。

 

 惨状の原因は、疑いようも無く自分自身。

 一切の加減も無い転血の発動が、一人の少年の体をここまで壊し尽くしたのだ。

 善人を手にかけてしまう瞬間が来る──そう突き付けられたばかりだったのに。

 

(なんて馬鹿な真似をっ、たかが子供の言葉に惑わされて、こんな衝動的にっ……! とにかく止血だ、出血が多すぎる!)

 

 落とした杖を拾い上げ、急いでそばに駆け寄った。

 裂傷部位と出血量から損傷した血管を識別。右脇の動脈が最も重い損傷と判断した。

 治癒魔法を施そうと倒れ伏す少年に杖を当てる。

 

 その時だった。

 

「!?」

 

 イシェルの腕が大蛇に囚われたかの如く、突如自由を奪われたのだ。

 原因など言うまでもない。眼前。虫の息の少年だ。

 もはや指一本動かすことすら叶わないはずのヴィクターが、イシェルの腕を掴み取っていた。

 

(何故動け──、ッ!?)

 

 培ってきた知識が告げている。

 この男はもう立ち上がれない。体の大部分を破壊され、失血は致死量にまで至っている。肉も骨も腱もズタズタだ。この負傷を抱えた状態で動けるものか。

 だが目の当たりにした不可解の仕掛けは、決して根性論などではない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 まるで時が逆行しているかのように、体中に開かれた傷が瞬く間に塞がっていくではないか。

 理解できなかった。理解できる(よし)もなかった。

 こんな現象(もの)はイシェルの頭に存在しない。治癒力に乏しい基人(ヒューム)がここまで急速的に組織を再生させるなど、最上位の治癒魔法や千年果花の霊薬でも使わなければ不可能だ。

 

(待て、千年果花……? そういえば星屑ヶ原から霊薬を持ち帰ったとダモラス老が言っていたが、まさか!?)

 

 考えられるとすれば、腕のフォトンパスという道具か。

 もしあの水晶状の腕輪に薬が仕込まれていて。それを任意に注入できるとして。

 転血を食らった瞬間、即座に投与を実行していたとしたら。

 

(彼は一度転血を受けている! 警戒と対策を練るのは必定! だがッ、()()のではなく()()()ことを前提としたのは────!)

 

 彼は肝の据わった男だ。恐るべきゼノ・アニマの脅威にまるで怯まず、的確に弱点を撃ち抜いてみせた精神力は常軌を逸しているといっていい。

 彼は洞察力に優れた男だ。ダモラスがどこか誇らし気に語っていたことが思い起こされるように、出会って間もないイシェルの本質を見抜いた確かな『目』がそなわっている。

 

 つまり、彼は想定していた。

 自分が瀕死の重傷を負えば、()()()()()()()()()()()()と。

 

 全ては確実なる虚を穿つために。

 彼は医者(イシェル)の『信念』を信じ抜いたのだ。

 

「ッッッ────―!!」

 

 全力で振り払わんと抵抗する。

 だが動かない。ヴィクターの五指が、喰い込んだ牙のように捕らえて離さない。

 

 およそ重傷を負った人間のものではない怪力に、冷たい汗が額に滲んだ。 

 いいや。イシェルの背筋を這う怖気の源泉は、あれほどの痛みと死への肉薄を味わいながらも、まるで弱まることを知らない少年の瞳に対してか。

 

「先、生」

 

 骨肉のきしむ唸り声がした。

 握り固められた鉄拳が、イシェルへと狙いを定めた音だった。

 

「──『銀鏡たる守護よ在れ(プロテゴ・リフレクタ)』!!」

 

 あらゆる物理衝撃を鏡のように跳ね返す魔法の盾を、即座に展開せんと杖を振るった刹那。

 包帯に巻かれた拳の一撃が突き刺さって。

 まるでガラスが殴り割られたような盾の絶叫と共に、いとも容易く破壊された。

 どころか杖を叩き落とされ、魔法使いとしての武装を奪われて。

 

「だァらァあああああッ!!」

 

 暗血色のレンズに映りこむは、砲弾の如き男の拳。

 勢いは衰えることを知らず、吸い込まれるようにイシェルの右頬へと突き刺さった。

 

 





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