銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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46.「憎悪を騙る愛の男」

 重い、重い、重く鮮烈な衝撃。

 鋭い痛みが、久遠のように男を貫く。

 

 

「ッッ、ぐ、ぅ!!」

 

 恐るべきインパクトが頭蓋を揺らした。

 マスクを吹き飛ばされ、新鮮な空気が肌を撫でた。

 嘴に詰めていた魔力素材の吸入源を失い、心臓がさらに速まっていく感覚が生々しく血潮に響いた。

 

 

(……殴られるなんて、生まれて初めてかもしれないな)

 

 時間の流れが遅く感じる。 

 酷くゆっくりと、しかし確実に、体が崩れ落ちていくのがわかる。

 

 なんとなく、このまま倒れたら起き上がれないような気がした。

 気力の問題ではない。あれほど固執していた『悪』への憎悪まで、ぽっきりと折られてしまうように思えたのだ。

 

(ああ、ヴィクター君。君は正しい。この眼には眩し過ぎるくらいに。私は妻と娘から……逃げていたんだ)

 

 想いを生かせるのは遺された人だけ。

 その言葉が、矢のように突き刺さって抜け落ちない。

 

 患者の命を生かすために、イシェルは数えきれないほどの病と戦い続けてきた。

 それはただ肉体の生命活動を維持するためだけの行いだったのか。骨肉が、血潮が、臓腑が、正しく機能するように調整するだけの仕事だったろうか。

 

 違う。

 医者が生かすのは細胞の塊ではない。医者(イシェル)が生かすのは人の命だ。

 

 病に苦しむ人々を救い、もう一度生きる希望を芽吹かせること。それこそが治療の本懐にあたる。

 患者だけではない。家族もそうだ。愛する肉親を失う恐怖を拭い、幸せを取り戻す手伝いをする。

 それがイシェルの見出した、病と闘う者としての在り方だった。

 

 心臓を患い、迫る死の足音に泣いた孤独と恐怖は今でも鮮明に想起できる。

 一人の医師に救われ、自分の人生を歩めるのだと知った時の喜びと感動は、なにものにも代えがたい宝物だ。

 あの地獄があったから、イシェルは生きる喜びを知った。あの奇跡があったから、医者になる道を選んだのだ。

 

 だからイシェルは、患者の心に寄り添う医師であろうとした。

 助けを求める声があれば全力で応えた。どんな僻地にでも飛んでいった。

 完治したと診断を下せるまで、なにより患者が本物の人生を取り戻すまで、力を惜しんだことは一度もなかった。

 医者が治すのは、人だから。心を持った人間だから。

 

 

 救えなかったこともある。

 技術の限界。患者の容態。あらゆる不幸が重なって、命を取りこぼしてしまう瞬間は決して少なくはなかった。

 安らかに眠る遺体の傍で、張り裂けそうなほど泣き腫らす遺族の背中は、どれだけ年を重ねても耐えがたい苦痛だ。

 

 

 ああ。

 ()()()()は、果たしてどうだっただろうか。

 薄暗い部屋の中心で。嘘みたいに真っ白な布で顔を覆われた、二度と目を覚ましてはくれない二人の眠りを。

 どんな風に、見届けていただろうか。

 

 鉛のように。

 記憶が重い。

 

(……涙は……出なかったなぁ)

 

 思えばあの時から、家族を失った事実に眼を背けていたのかもしれない。

 棺に花を添えた時も。火にくべられる二人を見送った時も。どこか遠くから傍観しているような、現実感の無い空虚さだけが心にあった。

 

 イシェルという男の歯車がわらを噛んだように回らなくなったのは、きっとその瞬間からだ。

 いいや。家族を奪った男を倒したあの日から、イシェルの何かが狂っていた。

 

 

 

『いってらっしゃい。お仕事、しっかり頑張ってね』

『ぱぁぱ! はやくかえってきてねぇーっ!』

 

 

 

 今も、狂ったままだ。

 

 

「ぐ、ぅぅ、ぅ……!! うぅおぉおおッッ!!」

 

 

 地に足を杭撃って踏ん張りとどまる。

 倒れそうだった上体を精神で持ち堪え、跳ね上げるように体勢を立て直す。

 顔の血管が今にも切れそうだ。食いしばった歯から血が滲んでいるのが分かる。体の奥が無性に熱くて、火を吐きそうな激しさが蠢いている。

 

 火花が散る視界。揺れる意識。

 地震でも起きたかのように不安定な頭を、自分の(もも)に光刃を滑らせた痛みで無理やり抑え込んでいく。

 

 バタタッ、と。青い草葉を鉄臭さが塗りたくった。

 

「……認めるよ。家族のことは考えないようにしていた。一度でも想いを馳せたら重みに潰される。それが、怖かったんだ」

 

 手の甲を突く、冷たい感覚。

 雨粒が。ぽつりぽつりと。

 

「妻と子を喪った夜。私は家族の救命より暴漢を叩きのめすことを優先してしまった。変わり果てた二人を見て、もう助からないなんて思い込んで、頭が真っ白になって……衝動的に。今まで数百人の命を救ってきたはずなのに、もっとも重要な局面で治療優先順位(トリアージ)を見誤った。これは完全な()()だ」

 

 口の中の血をツバと共に吐き捨てる。

 怨嗟の赤が、雨水に薄れて消えていく。

 

「妻も娘も私にはもったいないくらい出来た家族だった。彼女たちならきっと、仕方なかったと宥めてくれるかもしれないと思えるほどに。だが、だが、彼女たちの魂へ寄り添う資格なんてどこにある? 妻子を見殺しにしたも同然なこの私に。なぁ、どこにあるって言うんだよ」

 

 イシェルは、鬼気迫る執念と共にヴィクターを睨んだ。

 

「そうだとも、ああそうだとも! 私は逃げていた! 考えないようにしていたさ! 屁理屈をこねて、大義なんてもので掻き消して! 彼女らの遺志を受け止めようとしなかった! 受け止めてしまえばっ、現実を納得するしかなくなるからだよ! 私が家族を殺したんだとッ!! そんなのっ、納得出来るわけないじゃないかぁッッ!!」

 

 右腕に雷を宿す。それは一振りの稲妻の剣をイシェルに与えた。

 無理やりな魔法発動が柄を握る指を焼き、バチバチと骨肉が悲鳴を轟かせる。

 

「私たち家族が何をしたんだ!? ただ穏やかに暮らしていただけだ! なのにあんなっ、あんなにも呆気なく……!! ほんの少し前まで生きてたんだぞ!? 娘は託児園を卒業したばかりだったのに!!」

 

 指を焼く苦痛なんてもはや露程も感じない。

 イシェルの歪んだ信念が、憎しみで己を焼き潰す限り。

 

「鳴りやまないんだよっ……!! 仕事に行く私を見送った二人の、最期の言葉が……っ……ずっと……ずっと……!!」

 

 けれど。その声は、叫びは。

 身を八つ裂く苦しみと痛みを、どうしようもなく掻き鳴らしていた。

 

「……ずっと囚われていたんですね。それほどの自責と憎しみの茨に」

 

 対するヴィクターは、ただ穏やかにイシェル・マッコールを見つめていた。 

 憐れむでも、悲しむでも、怒るでもなく。ただ静かに。

 言の葉が実らせた慟哭を、受け止めているかのように。

 

「悲運を背負う人を減らすための悪の予防策。それも疑いようのない本心だった。でもそれ以上に、先生は自分の犯した()()を認めることが出来なかった。だからご家族を失った時のように、悪を裁くことに救いを求めたんだ」

 

 ──イシェルの心を歪めたのは悪のみに足らず。自分自身が犯した取り返しのつかない過ちもまた、腐敗を誘う悪疫だった。

 本当は家族を助けられたかもしれないという、答えのない永遠の呪い。ある日突然人生を奪った、悪に対する尽きることのない憎しみ。

 心優しかった一人の男を狂わせた、忌まわしき診療録がそこにある。

 

 全てはただ、愛深きゆえに。

 

「……初めて人を殺したのは、私から何もかも奪った男だった。心神喪失で移送された病院先を突き止めてね。そうしたら奴は、自分を担当していた女性に乱暴を働いていることが分かった。妻の最期と強烈に重なってさ、一気に血が昇ったんだ。その晩、転血で心臓を破裂させた。別に何の感慨もわかなかった」

 

 雨が降る。

 大粒の雫が、ぽつりぽつりと音を立てて。

 

「二人目はならず者を使って弱者に恫喝を繰り返し、不当な負債を背負わせていた個人金融。三人目は若者に違法薬物を売りさばいていたドワーフ。どいつもこいつも、救いようの無いロクデナシの屑ばかり」

 

 黒ずんだ雲が月を覆う。青ざめた夜が完全な闇に覆われる。

 その中にただ一筋、イシェルの雷剣のみが暗黒を喰らう。

 

「命を救うのはとても難しい。何をどうしたって取りこぼしてしまう瞬間がある。それでも医者(こっち)は繋ぎ止めようといつも必死だ。なのに奪うのは、驚くほど簡単なんだ」

 

 暗く冷たい夜雨は好都合だった。

 今の自分は、泣いているのか笑っているのか分からないくらい、ぐちゃぐちゃな酷い顔をしているんだろうから。

 

「私が一人治す間に、悪はその何倍も人生を奪える。たかが数百人救った程度で喜んでた自分が馬鹿みたいに思えて、分からなくなってしまった」

 

 くしゃり、と。湿った草葉を踏みしめて。

 

「だからさ、膿のような奴らを殺して、もっとたくさんの人生を救えたら……私が犯した過ちにも、家族にも、少しは意味が生まれるかなって、思ったんだ」

 

 肉が焼けることも厭わず。痛みを甘く受け止めることを選んで。イシェルは両手で、雷の剣を力強く握りしめた。

 もうこの道から退くことなど叶わないのだと、漆黒の意思を少年へ突き付けながら。

 

「許せないよ、世に蔓延る悪どもが。何よりも自分自身が。私は病巣(わたしたち)を取り除くことでしか、二人に報えない」

「それは違う!」

 

 透き通るような否定の言葉が、稲妻よりも強く(いなな)いた。

 

「自分で言ってただろ、()()()()()()()()()()()()って! 何年も何年も、誰よりも誰よりも人の病に向き合ってきたあなたが諦めちまうくらい、どうしようもない状態だったんだって! 先生は誤診なんかしちゃあいない! いきなり人生ぶち壊されて心を病んじまった、一人の父親がいただけなんだよ!」

「知った風な口を利くなぁッ!! 君に何が分かる!?」

「わかるさ! 医者(じぶん)の魂ズタズタにしてまで愛する人の死に意味を持たせようとした人間がッ! 狂っても忘れなかったほど深いあなたの愛が! ご家族の死を絶対に間違えないことくらいッ!!」

 

 それはまるで、暗雲を破く陽射しのような。

 イシェルに絡みつく悔恨と憎悪のしがらみを払い除ける、力をもった言の葉の光。

 

 けれど。

 

「もう遅いよ……私はッ……もう戻れない……! 三人も殺したんだ、この手で! 命を救ってきたはずの手でっ! 例え悪人だろうとも、人の命は誰かに支配されるものではないと分かっていたのに! だったらもう、最期までやり通すしかないんだよ……!! この血に染まった手で、悪疫を消し潰すしかッ」

「──先生。あなたが命を狙ったゴブリンの男を覚えてますか」

「ッ」

「彼は確かに盗みを働いた。でもそれは重い病に伏した友達を救うために、貧しい身の上で薬を手に入れようと必死だったからなんだ」

 

 ──心臓に刃を突き立てられたかのような錯覚。

 

「あいつのやり方は良くなかった。でも、斬り捨てられますか。悪だなんだと単純な一言だけで。その先に生まれるご家族の死の意味に、納得できるんですか」

 

 少年はゆっくりと、包帯に巻かれた拳を水平に上げた。

 

「戻れるよ、先生。あなたはまだ、医者にだって父親にだって戻れるんだ。一人じゃ無理だってンなら俺がいる。俺があなたを引っぱり上げてみせる」

 

 半身を逸らし、腰を落とし、構えを取って。

 強く、強く、何者にも砕かれんと示すように、金剛の意志を握り固めて。

 

「言っただろ、ぶん殴ってでも止めるって」

「────ははは」

 

 瞬間、稲妻の剣が太陽に匹敵せんばかりの閃光を解き放った。

 魔力が迸る。磁励音に似た波動が草葉を揺らす。漆黒の医師を中心に起きた爆発現象は、彼の者が持つ刀身を天を衝かんばかりに引き伸ばした。

 

 稲光の雄叫びを爆ぜて猛り狂うその姿は、まさに黄金の龍が如く。

 イシェルは龍の尾を掴む腕にありったけの力を込めて、全身全霊の一刀を振り下ろした。

 

「おおおおおおおおおッッッッ!! だァあああああああらッッッッッしゃああああああああああああああああああああああ────ッッッ!!!!」

 

 迎え撃つは巌の鉄拳。

 大きく下から振りかぶり、空を穿たんと天空へ弾けた少年の拳は、迫り来る金色の稲妻を喰い破らんばかりに衝突した。

 

 刹那、大気の破裂が巻き起こった。

 

 金属同士が衝突したかと錯覚するほどの耳を(つんざ)く音の津波。

 芝生に波濤がなみ打ち(はし)る。拳と刃の鍔競り合いが火花の大豪雨を噴き散らす。

 産み落とされた凄絶なインパクトは、狂瀾怒濤と夜の闇を無慈悲なまでに引き裂いた。

 

 力は拮抗。互いに退かぬ死線の渦中。

 勝負の分け目は、砕けぬ意思の果てに在り。

 

 

 然らば。

 灰生まぬ焔に、敗北の道理は一片も無し。

 

 

「イシェル・マッコール。あなたに憎しみは似合わない」

 

 パァンッ、と。

 硝子が命を終えたような悲鳴が散って、稲妻の剣が光の粒へと溶け去って。

 

「目ェ覚ましやがれよ馬鹿野郎──その悪夢、ここで終わらせてやるからなぁッ!!」

 

 

 音も砕けた静謐の最中、イシェルは幽かな微笑みと共に瞼を閉じた。

 この夜を駆ける流星が、とても眩しかったから。

 

 

 

 

 

 

「君はどうして……私のためにそこまで……?」

 

 芝生に仰向けで倒れ込んだままのイシェルが、掠れた声で呻くように問いを投げた。

 

「友達の女の子を裏切りたくないから……って、君は言っていたけれど……それでも……一貫して私を()()()ことに尽力したのは……性善説があってこそだ……。人殺しの私に何故……最後まで情を貫けたんだ……?」

「何故って言われても……先生が良い人だから?」

「……は?」

 

 少しだけ頭を持ち上げて、イシェルは驚いたように目を開いた。

 草葉の絨毯にどっかりと座って肩を揉むヴィクターは、逆にきょとんとした表情。

 

「私は……人殺しだぞ……? 良い人だなんて、そんな馬鹿なことが」

「ンなこと言ったら俺だって間接的に一人の命を奪ってる。ちょっと前にとんでもないクソッタレとやり合いになって、その時に」

「……!」

「俺、先生みたいに頭良くないんで、善だ悪だって線引きがイマイチ分かんないんです。キッカケさえあればどっちにでも転ぶものだって思ってるくらいで」

 

 ──かつてのシャーロットは、イシェルの言う『悪』に堕ちかけた人間だった。

 しかしエマとの死闘の果てに血脈の鎖から解き放たれたシャーロットは、今や一人の少女として暮らしている。

 あの時なにかの食い違いがあれば、シャーロットはヴィクターを生贄として命を奪い、暗澹の底へと転落していたことだろう。

 

 武聖グイシェン・マルガンは、ヴィクターとシャーロットの()()のために遣わされた天蓋領の刺客だった。

 しかし彼女は虐殺を良しとせず、アーヴェントの心臓を奪う主命を受けながらも、三聖という臣民の盾としての役割との矛盾に葛藤を抱いていた。

 いわく、敵だが悪人じゃない。シャーロットが出した結論だ。

 

 だから人は善悪の二元論で語れないものなんだと、ヴィクターはぼんやりながら考える。 

 

「病院にいた時の先生はすっげー眩しかった。患者からも仕事仲間からも、信頼を置かれていた大きな柱だった。爺さん(ダモラス)も言ってましたよ、あなたほど患者のために命を削ってる医者はいないって」

 

 

 殺人鬼の正体に気付いたあの夜、ヴィクターはダモラス夫婦に介抱されながらイシェルの素性を訊ねていた。

 出てくるものは賛辞と感謝ばかりだった。陰ったものはひとつもない、真っ白で美しい言の葉の束だ。

 多忙にもかかわらず遠くまで面倒を見に来てくれる誠実さ。患者が納得と安心を得るまでとことん付き合ってくれる真摯な姿。どんな難病も最後まで諦めない不屈の心。

 まさに医者の鑑だと、太鼓判を押すように彼らは言った。

 

 病院で影から見ていた時も、二人の評価を裏付けるような光景だけがそこにあった。 

 誰一人として無下にせず、壁を作らず、決して驕ることなく、ただひたむきに病と闘い、患者を守ろうとする白衣の戦士。

 その大きな背中には、一人の男として憧憬を抱いたほどだったのだ。

 

「俺はまだ青二才のガキっスけど、大事なのは心の在り方だと思うんです。道を踏み外してしまった先生も、人間性まで失くしちゃいなかった。それだけです」

「……ははは。まったく、完敗だよ」

 

 イシェルの声から、瞳の奥から、粘ついた暗い澱みが消えていた。

 過去を乗り越えただとか、そんな大層なものではない。彼の抱える傷は大きなものだ。これだけはどんな名医であっても治すことは難しい。

 

 でもきっと、もう大丈夫だろうとヴィクターは思うのだ。

 鉄茨のように絡みつくしがらみから解放された安らかな微笑みは、前にも見たことがあったから。

 

「……あっ。そうだ先生、ひとつ聞きたいことが────」

「お前たち! そこで何をやっている!」

 

 ヴィクターの声を遮るように、聞き慣れない男の声が駆け抜けてきた。

 

 反射的に振り返る。途端、目を刺すような光が網膜を突っついた。

 人だ。手にカンテラを持っている。それも視界が白くなるほど強烈な、きっと光魔法を内蔵してる特別なものだ。

 

 手で光を遮りながら注目すると、夜闇を照らすカンテラを掲げているのは、どこか身に覚えのあるシルエットだった。

 かっちりとした紺色基調の礼装に身を包んだ一人の青年である。胸元のバッヂには白薔薇と聖女のマークがあった。

 それは彼が騎士団の一員であるという、無二の証に他ならない。

 

「大きな爆発音があったと通報を受けたぞ! 二人ともその場で大人しく──お、おい、なんだその怪我は!? ここで何をしていた!?」

「ああ、まってくれ。騒ぎの原因は私だ。彼はたまたま巻き込まれただけだよ。全て話すから、杖を下げてくれないか」

「な、なら両手を上げてこっちに来い。妙な動きはするなよ」

 

 膝に手を突き、「あいたた」と呻きを漏らしながら、イシェルはゆっくりと起き上がった。

 そのまま両手をあげて無抵抗を示しながら、騎士団の青年へと投降していく。

 

(……ん?)

 

 イシェルの背を見届けていたヴィクターは、ふと腕のフォトンパスが何かを訴えていることに気がついた。

 矢継ぎ早にメッセージが送られているのだ。送信元はオーウィズとシャーロットらしい。通知を伝える小さな振動が、ぶるぶると手首を震わせている。

 

 考えてみればもう真夜中だ。しかもレントロクスへ向かってから一切連絡を入れていない。

 これはまずいか、と無意識に頬が引き攣る。

 

(あちゃー、めちゃくちゃ心配させちまってるな……。夜も遅いし、フォトンパスを通じて俺の生体数値(バイタル)を見てるはずだから、今ごろ血相変えてるかも。悪いことしたな)

 

 念のためフォトンパスを起動し、水晶盤をなぞってメッセージを掘り進んでいく。

 やはりというべきか、『大丈夫?』『また失血のシグナルが送られてるんだけど』『返事をくれ』と身を案じる言葉が大量だ。しかも現在進行形で新たな通知が届けられている。まるで洪水である。

 

 ヴィクターは魔力回路を持たないがために、他の使用者と違って視界に情報を反映するような機能が使えない。

 ゆえに手動で確認や返信をするしかないのだが、ヴィクターはどうも魔道具というものが苦手だった。いまいち操作に慣れないでいる。 

 今も指先一つで丁寧に丁寧にメッセージを読もうとしては、誤操作で画面を閉じたりと四苦八苦だ。

 

 やっとの思いで一番過去の未読履歴を掘り当てたが、何やら様子のおかしい文が飛び込んできて、ヴィクターはきゅっと眉をひそめる。

 

『生体情報からして、悠長に返信する余裕がないのは把握している。だから返事は要らない。ただどうか、機を見てこのメッセージを読んで欲しい』

 

 オーウィズからのものだった。

 どうにも怪訝な雰囲気だ。思わず水晶盤をなぞっていた指が止まるほどに。

 

『君は昨晩、ポータルでブーゴ君だけを送り届けて館に帰らずそのまま消えた。ボクたちに相談もなく、島にも帰らず、二夜も続けて戦闘状態になっているのは、絶対に見逃せない敵の正体が事を大きくさせたくない相手、つまり君の知り合いだったからなんだろう』

(ん? は? ちょっと待ておかしいぞ、なんだこれ)

 

 オーウィズの推測が──ではない。むしろ的を射ている。

 殺人鬼の正体がイシェルだと知ったヴィクターは、オーウィズやシャーロットの介入を避けるためにあえて相談の道を選ばなかった。

 それは彼との戦いが命を奪い合う死闘ではなく、説得に重きを置くがゆえだ。

 

 1対多数の状況なんて作れば最後、イシェルは絶対に心を開かない。人の魂に根付く闇は、公に晒されることを何よりも嫌う。

 これはイシェルとヴィクターの問題だ。二人だけの対等な空間があって初めて対話は成立する。

 互いの中身をぶつけ合う場を設けなければ、イシェルを救うことは出来ないとヴィクターは考えていた。

 

 だから、問題はそこじゃない。

 ()()()()()()()()という一文が問題だ。

 

(馬鹿な、俺は確かにブーゴと一緒に家に帰った。みんなには後で話すって約束して、それで)

 

 ザザ──と、記憶という砂の城を熊手でゆっくり削られるような、脳の奥に響く異物感。

 冷や汗が伝う。瞳孔が開く。

 言葉で表せない気持ちの悪い感覚が、口の中の水分を奪っていく。 

 

 

『君が戦っているのはきっと殺人鬼(アマルガム)だね。もしそうだったら、敵の職業が何かを見定めて欲しい』

(職業、って)

『一連の殺人事件にはどうしても点と点が繋がらない不自然さがあった。一方は自殺に見せかけられた巧妙な手口。もう一方は証拠こそ無くとも、事件性そのものを隠す気はない荒いもの。被害者も一貫性のない無作為なものと、洗えば真っ黒な経歴ばかりの悪人に絞られたもので二分されている。一つの事件に二つの色。恐らく、君は後者の殺人鬼と戦っているはずだ』

 

 胸の中がざわざわと騒ぐ。

 読み進めていくたびに、不正咬合のような無視しがたい違和感を拭えなくなっていく感覚。

 

『初めは知能犯の承認欲求がわざと事件発覚に導いているのかと思っていた。けれど違ったんだ。信じ難いことだが、これは同時期に全く別の殺人事件が重なって起きていたものなんだよ』

 

 フォトンパスをなぞる(スクロール)手が止まらない。

 

『騎士団が暴けないのも無理はない。あれは自殺に見せかけた殺人じゃなくて、()()()()()()()()()なんだ。アマルガムは直接手を下さずに被害者自らに命を絶たせた。それもあえて殺人を匂わせるために、奇妙な状況を産み落とさせる常軌を逸した手口で』

 

 止められないまま、ヴィクターの中に降り積もっていた真実の一端が、少しずつ顔を覗かせてくるような錯覚。

 

『ライアン君ら三人に仕掛けられていた記憶操作でピンと来たんだ。被害者は皆、星の刻印に精神を操られて自殺に追い込まれたのではないかと。だが問題なのは、精神干渉法は魔法であれ異能であれ、ある程度の発動条件を必要とすることだ。例えば全くの無警戒。警戒心という心の守りが失せた状態だ』

 

 ──かつてエマがアーヴェント一族の精神や記憶を操れたのは、彼女の持つ異能力の性質によるところが大きい。

 人錬の刻印は触れた人間の肉体を自在に操る力。それを応用し、エマは脳の海馬や頭頂葉の電気信号を直接いじることで認知機能を操っていた。

 

 しかし、人間の精神とはそう容易く篭絡できるものではない。事実シャーロットは自力で二度も打ち破っている。

 例え魔法の心得の薄い一般人相手であっても、警戒した人間の心を魔法ひとつで崩すなんて真似は不可能に近い。

 

 裏を返せば。

 相手に信を置いた無防備な心であれば、精神干渉の難易度は劇的に下がる。

 

『つまりアマルガムは、出会ったばかりの他人だったとしても、容易く懐に入りこめる状況を作りやすい立場の人間だ。ある日突然、家を訪ねてきても不審に思われない役回り。この社会で全幅の信頼を置かれている仕事はなんだ? 答えはただひとつ』

「────騎士団だ」

 

 天蓋領が有する、この世界唯一の公正実力組織。

 三聖を筆頭に据えられた臣民の盾にして、魔を払う泰平の刃。

 

 そう。大抵の人間は騎士団に無二の信頼を置いている。

 薬屋の老婆がそうであったように。

 

 

 

「なぁ、君」

「ん? なんだ、質問はこちらが済んでからにしろ」

「通報があったという話は本当なのかい?」

 

 背後で事情聴取を受けていたイシェルの声が、やけに鮮明になって鼓膜を打った。

 

「当然だろう。何故そんなことを?」

「いやね、『朧々たる城塞(カストラム・オカルトゥス)』がまだ消えていなかったものだから、ちょっと気になってさ。知ってるだろ? 外界と空間を隔絶する魔法だよ。もちろん音も光も外に漏れることはない」

「────」

「それに騎士団は二人一組行動のはず。見たところ一人だけのようだが?」

「何が言いたい」

「例の殺人事件、まだ解決していないよね。このピリついたご時世に爆発騒ぎなんて、もっと人員を寄越すものだと思うんだが……君、()だい?」

 

 

 言葉は火蓋を切るように、イシェルの周囲一帯が『燦然たる刃の仔(ルクスフェルム)』の産声を響かせて。

 ぐち、と。仏頂面に塗り潰されていた青年の口が、一転して三日月に裂かれ始めた。

 

 

 だがしかし、ヴィクターの全神経を駆けずり回る雷管を弾かれたような警告は、イシェルに離れろと絶叫を張り上げていた。

 

「どけぇ先生ッッ!! そいつから離れろォォおおおおおお────―ッッッ!!!」

 

 時の緩む加速世界に突入し、騎士団を名乗るナニカへ龍颯爆裂拳を叩き込まんと振りかぶって。

 瞬間。深海の底へ突き落とされたかのような暗黒が、ヴィクターの視界を塗り潰した。

 

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