銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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52「悪夢の終わり」

 刺されるような光が止んで、焼け付いた視界がぼんやりと解像度を引き上げてきた。

 ふらり、ふらり、頭が赤子のように揺れる。船酔いに似た悪寒が喉の奥でとぐろを巻いて、口を覆った。

 吐いた方が楽だったけれど、気合でこらえて頬を叩く。

 

「シャロ、いるか?」

「ええ」

「無事か?」

「誰に言ってんのよ」

 

 語気とは裏腹に褪せた少女の声がとどく。

 音は下から。ほんの少し目線を傾けると、足元でへたり込んでいるシャーロットの姿があった。

 一瞬で胃を絞る不快感が上塗りされた。慌てて手を貸そうとするが、「大丈夫」と汗ばんだ微笑みでふられる。

 

「ほんとに大丈夫、ちょっとしんどいだけ……。たぶん博士とあなたの魂に同時接続したから、疲れちゃってるんだと思う」

「あれか、ボディアクセスなんちゃらとかいう」

「そそ。少し休めば動けるから……っというか、それより!」

 

 少女の頬が湯に放られたカニみたいになる。

 立てないせいか、ぺしぺしと鏡のような石床を叩いていた。

 

「さっきの! さっきのやつ! あ、あれってどういう」

「うぐっ……に、二度は言わねえって」

「はぁ!? ふざけんなっ、もっかい言ってよもっかい!」

「わかった、わかったから落ち着けって! でもとりあえず全部片付いてから! な?」

「う~……絶対だからね! 絶対よ絶対!」

 

 すごいめつきである。獲物を見定めた猛禽類とはこのことか。焦らすような真似をしたのは悪手だったかもしれない。

 だが致し方ない。うつつを抜かしている場合ではないのだ。解決すべき問題は、まだ山のように残っている。

 

 全てが終わったら……は、少し早いか。ちょっぴり心の準備が必要かもしれないけれど。ああ、意識した途端、今まで感じたことのない緊張感に胸を引き絞られるけれど。

 いつかは必ず。絶対に。

 

「えーっと……取り込み中のところすまないが、いいかい?」

「っ、先生!」

 

 割って入った声から背中を叩かれたみたいに振り返る。

 苦笑いで柱にもたれかかるイシェルがいた。場違いな気恥ずかしさに殺されそうになるけれど、ふと彼が死の瀬戸際にあったことを思い出してそれも消える。

 

「意識が戻ったんスね! ってか大丈夫ッスか!? 体が刃物まみれになってましたけど」

「見た目ほど酷くはないよ。……それよりアマルガムだ。すまない、逃してしまった」

「謝らないでください、無事でなによりッス。後は俺が片付けますから。奴はどこに?」

「あの柱の階段だ。どうやら逃げに徹するつもりらしい。あの男は何かを取りにいって、この精神世界ごと私たちの魂を消そうとしている。()()()()()()()()()()

 

 言われて、頭の片隅で明滅する奇妙な感覚に気づく。

 体験したことはないが、おそらくフォトンパスの精神同調(ボディアクセス)に近いものだった。

 

 アマルガムの思考が読めるのだ。あの男がこれから何をしようとしているのか、朧気だが理解できる。

 心淵の刻印。他者の精神と干渉・同化し操る能力。今までは一方通行の支配だったが、逆にアマルガムの心が覗けるようになっていた。

 

 星の刻印は長所と短所表裏一体の能力。恐らくこれが心淵の刻印のデメリットか。

 心を持つ相手においては無敵の能力だが、一度覆せばアマルガムの思考を一部共有できるようになるのだろう。

 つまり、奴はあらゆる優位性(アドバンテージ)、労した策の数々を一気に失ったに等しい。

 

「シャロ、ここで待っててくれ。先生を頼む」

「……ん。無茶しないでね」

 

 アマルガムが逃げた先に足が動く。

 しかし踵を返したところで、少女の声が「待って」とヴィクターの歩みを縫い止めた。

 

「気を付けて。あの男、私と同じ黒魔力を使ってる。油断しちゃダメよ」

「は? あいつがアーヴェントだってのか?」

「ううん。けど、直接見てわかった。感じるの。彼は間違いなく──冠接ぎの器を持ってる」

 

 

 ◆

 

 それを手に入れたのは偶然だった。

 

 親を殺し、奪った商家としての人脈(コネ)を使い、さらに裏社会の深くまで市場を拡大せんと手を伸ばしていた時期だ。

 とある闇市の商人が、いわくつきの物体をあつかっているという噂を耳にした。

 

 聞くに、ソレの出自は不明。製造方法も不明。

 確かなことは、ずっと昔から人々の手を転々としてきたことだけ。

 

 光を吞むようなリングに心臓のごとき赤い玉石がはめこまれた、闇をも喰らう純黒の指輪だった。

 身につけたものの命を奪うそれは、不思議なことに主を(うしな)うと必ず商人のもとへ戻ってくるのだという。

 まるで真の持ち主を求め、さまよっているようだと彼は言った。

 

(アレと出会った瞬間、運命だと直感した。()()()()()()()、アーヴェントの王が残した遺産なのだと一目でわかった)

 

 指輪は魔力を持たない。正確には、測れないといったほうが正しいかもしれない。

 この世のどんな計測器具だろうと判定できない未知のエネルギーをはらむ道具。ゆえに誰もその正体に勘付く者はいなかった。

 

 だがアマルガムは違った。己が純粋悪だからこそ気付けたのだと思った。

 それはかつて人類根絶を目論んだとされる虐殺者、『純黒の王』の遺産なのだと、巡り合うべくして巡ったのだと肌身で感じたのだ。

 

(あの指輪は私に力をくれた。人の心を操るだけの刻印が、街ひとつぶんの魂を掌握できるほどの力を)

 

 指輪は人の身では扱えない。だからアマルガムは精神世界に指輪を封じ込めた。

 空間の核となるように。力の恩恵を授かれるように。触れずして自身と接続させるように。

 

(指輪)を使えば、今まで捕らえた2314の魂へ一気に干渉できる。生殺与奪も思いのまま!)

 

 特殊な指輪を制御するため、アマルガムは精神世界の断層を何重にもおおって管理している。

 柱の階段は(ロック)のひとつだ。一枚一枚ベールを剝がしていくように、()を目指して進まなくては『制御盤』にはたどり着けない。

 

 そうして着いた終着点は、中央に石柱がひとつ鎮座するだけの空間だった。

 

 奇妙な形の柱だった。人の手が空に焦がれて伸びたまま、志半ばで石化してしまったかのような形をしている。

 石の手に収まるのは小さな指輪だ。浮いている。鼓動のようにエネルギーを明滅させる不思議な金細工が施された、光を食む純黒のリングだった。

 

 頬が吊り上がる。

 石柱へ触れる。まるで聖夜に贈り物をもらった子供のように目を輝かせて。

 

 

「僕の期待を裏切ったことを後悔するがいい。君の脆弱な正義が、多くの命を奪う絶望を味わわせてやる」

 

 

 一拍。脈打つ心臓のような波が石柱を中心に狭間を泳いだ。

 それは指輪という核を通じて、捕らえた魂に毒牙をかけた無慈悲の号令に他ならない。

 

「饗宴の時だ、ヴィクター!」

 

 悲鳴が聞こえる。響いてくる。

 どんどんどんどん大きくなって、老若男女の金切り声が玉座の間を走り回るように反響する。

 

 きっと今頃、アルボルット地方のいたるところで不審死体が断末魔の産声を上げていることだろう。

 能力を通して伝わってくる。命の終わり、最後の刹那が、この空間に搔き集められてくるのを実感する。

 ひとり、ふたり、ごにん、じゅうにん──大人も子供も男も女も分け隔てなく。絶対的に平等で慈悲なき悪意が、花畑のように咲いて嗤っている。

 

 引き裂いた魂から垣間見る光景は絶景の一言に尽きた。

 逢瀬の最中、突然倒れた恋人を前にうろたえる混乱と焦燥の表情。

 晩餐に舌鼓を打ちながら息を止めた子供を必死に呼び起こそうと揺さぶる親の顔。

 道端で倒れた人間を介抱しつつ騎士団を呼ぼうとする青ざめた通行人。

 

 嗚呼、罪なるかな。罪なるかな。罪なるかな。

 祝福すべき虐殺の潮騒が、アマルガムに満ち満ちていく。

 

「嗚呼、聴こえるよ、感じるよ、見届けているよ、みんな! うふ、ふふふ、ははははは、あっはははははははははは!! 冥脈にすら還さない! 皆殺しだ! この僕を失望させれば如何なる厄災が降りかかるか、死をもって思い知るがいい! 不出来な正義しか生まない世を呪って無間の地獄へ落ちていけええええええ──────はっはははははははは!!」

「落ちるのはてめえ独りだ。クソッタレが」

 

 ──石柱に座していた指輪が忽然と姿を消した。

 

 アマルガムは何もしていない。

 一瞬、ほんの一瞬、影のようなナニカが前をよぎった。そして指輪を奪い去った。文字通り目にも止まらない速さで。

 

 ああ、しかも。何かが変だ。

 痛い。痛みを感じる。激痛だ。

 顎をめちゃくちゃに砕かれたような鋭い衝撃が、ゆっくりと嬲るように襲いかかった。

 

「がッッッッ!? ば、あがッッッッ!?」

 

 錐揉み回転して吹っ飛んだ。情け容赦なく地面に叩きつけられた体は蹴られたゴム玉のように跳ね転がって、石柱の玉座に衝突して木っ端微塵に粉砕した。

 

「あが、ご、ぉあ」

 

 気づけば床と視線が平行になっていた。

 吹っ飛ばされていたと自覚したのは、さらにその数秒後だった。

 

「うぐ、ぉおおおおおお……!!」

 

 血反吐で床を汚しながら、腕に力を籠めて上体を起こす。

 頭が痛い。割れそうだ。生暖かくて鉄臭い液体がべっとりと顔を覆っている。

 

「なぁ王様。あいつに引き裂かれた魂をもとに戻してくれ。あんたの力ならそれが出来るはずだ。まだ間に合うだろ? 頼む。奴の思い通りになんかさせないでくれ」

 

 ぐらぐらと揺れる意識の狭間、しかしその荒波の中でもハッキリと男の声が聞こえた。

 明確な異変を感じる。()()()()()()()()()()()()()()異常事態を。

 まるで開いた傷を縫合するように、バラバラにしたはずの魂が元の姿へ戻っていくのを感じるのだ。

 

「魂は完全に囚えたはずだ、どうやって心淵から……! あの医者といい、今回はイレギュラーばかり起こる」

 

 怒りとも困惑ともつかない、ミンチのようにぐちゃぐちゃな激情で震える体を叩き起こして、砕けた顎を力技で治しながら振り返る。

 目を剝いて、歯を剝いて、声を絞った。

 

「だがそんなことはどうでもいい……! それよりもッ、どうして君が指輪を使えるんだ!?」

 

 両腕を包帯に覆われた男。刻印の力に敗北し、心を折られたはずの偽善者。

 その手の中に、大罪人の指輪が収まっていた。

 

 しかも当の本人に異常はない。

 王の魔力を内包する指輪なのに。触れただけで魔力回路は侵食され、心身に異常をきたし、肉体は目も当てられないほど破壊されて即死するはずなのに。

 ()()()()()()()。ヴィクターの魂は、触れたそばから粉々になって消えるはずなのだ。

 

(まさか、まさかカースカンが口走っていた『純黒の王』の腕とは真実だったのか!? ばかな、荒唐無稽にもほどがある!!)

 

 ただの妄言だろうと気にも留めていなかった。あらゆる物質に干渉する腕の力は、星の刻印によるものだろうと決めつけていた。

 だってありえるはずがない。すり切れるほど読み返した聖女の書には、王は滅ぼされたと明確に記述されてあった。あらゆる史書でも同様だ。

 

 アーヴェントは滅びた。『純黒の王』は勇者アレン=アーサーと白薔薇の聖女によって倒された。それは紛れもない歴史上の事実のハズだ。

 そうでなくては王の遺産になど巡り合うわけがない。そもそも王の腕を持つ人間など存在するものか。

 

 だがしかし、そうでなければ目の前の光景に答えが出せない。

 カースカンが正しくなければ、あの男が指輪に触れても五体満足で、あまつさえ力を引き出せた現象に説明がつかない! 

 

「その腕はっ、ほ、本当に王のものなのか……!? どこで手に入れた!? なぜ生きていられるんだ!?」

「答える必要はねえな」

 

 大罪人の腕。かつて世界を私欲のもとに滅ぼそうとした愚王の腕。

 それをあろうことか、アマルガムを裁くはずだった正義に宿っているなんて。

 

 

 ──ザ──ザザ──ザ──

 

 

「どこまで……僕をコケにすれば気が済むんだ、君は」

 

 体中の血管が引き千切れたかと錯覚した。

 血肉を燃やさんばかりの怒りが、はらわたにトグロを巻く感覚なんて初めてだった。

 ああそうだ。初めてだ。アマルガムは生まれて初めて、裏切りへの失望と憎悪を知った。

 

 脳髄が、殺意の泥に沈む。

 

「くれてやるよ、そんなもの。もはやどうでもいい。ああ、魂だって解放してやるさ」

 

 悪夢の終わりを告げるような、ひび割れゆく世界の悲鳴が轟いた。

 城の天井が乾いたクッキーのようにばっくりと割れる。

 精神世界の崩壊が始まった。核を失ったせいだ。大黒柱を壊された家屋のように、力の支点を失って不安定化している。

 

「だが、だが、君だけは殺す。必ず仕留めてくれる。この僕の期待をソデにした罰だ、けがれた忌み王の眷族め。生まれたことを後悔するほどの苦痛を与えて殺してやる」

「勝手な野郎だな、てめーは」

 

 呆れを隠すこともなく、ヴィクターは冷めた眼ざしを手向けながら言う。

 

「哀れだよ、アマルガム。お前は本当に()()しか生きる道がないんだな。罰を望みながらとことん利己的で、誰かを害することでしか生きられない。お前ほど救いようのない奴は初めてだ」

(ぼく)にはそれしかないんだッ! 真なる英雄の手で滅ぼされる結末だけを望んで生きてきた! だがそれを君が奪ったんだ! たかがトラウマなんかに敗北して! 鋼鉄の正義を歪ませて! やっと解放されるはずだった悪逆(ぼく)を見捨てた! 僕は裁かれる権利さえ失ったんだぞ!」

「失った痛みを嘆くってンなら、どうして人の苦しみを理解してやれなかったんだ。誰よりも心というものに寄り添える力を持ちながら」

「なにをいまさら、僕は(ぼく)だぞ。薄ら寒い」

「そうかい。とことん吐き気がする」

「他人事だな。君だって同じだろう? 世界のどこかで暮らしてる顔も知らない誰かさんの不幸なんざ興味はないはずだ。人は生まれながら、自己以外におそろしく冷酷になれる動物なんだよ」

 

 ヴィクターはもう、かつて恋焦がれた白く輝く真の英雄ではない。

 心の弱い、惰弱で蒙昧な凡百だ。アマルガムがもっとも嫌う半端者だ。

 ゆえに突きつける。さも自分は関係ないと言わんばかりの正義ヅラに、己と同じ穢れた人間の一味でしかないという醜悪さを。

 

「僕は罪の写し鏡、僕は君の心に巣食う闇そのものだ。一度信念を折った君の正義に価値など無い! しょせん同類に過ぎんクソにも劣る下等生物が、澄まし顔でお高く止まってんじゃないぞッ!」

「だぁーから、極端なんだよテメーは。白か黒かでしか人を見てねえ。いや、見ようとすらしねえ。言っとくけどな、お前は悪だとかンな大層なもんじゃないぞ」

「なに?」

 

 細胞が動きを止めたような錯覚が、アマルガムから全ての動きを奪った。

 

「人は冷酷になれる動物? 顔も知らない誰かの不幸に興味はない? 本当にそうかな。少なくとも俺は知ってるぞ。身元もわからねぇ怪しい男の命を救ってくれた人を。会ったこともない女の子を助けるために力を貸してくれた人たちを。誰かの命を繋ぎ止めるために血のにじむような努力をしてきた人だって……俺はたくさん知ってる」

「──くだらない! 実に稚拙な戯言だヴィクター! これ以上失望を重ねてくれるなよ、君のいう善人の一人は殺人鬼に堕ちただろう!? 唾棄すべき偽善だ、ハリボテに過ぎやしない!」

「それを言うならボロボロの体でお前に立ち向かった先生の行動はどう説明する? 家族を奪われた復讐のためじゃない。これ以上犠牲を出させないために、お前を止めるために戦ったんだ。まぎれもない勇気の証明じゃねえか。そいつは都合よく無視するのか?」

「愚者は詭弁を吐く口だけはよく回るものだな……!!」

「なぁ、アマルガム。人はどっちにでも変われるんだよ。正義だとか悪だとか白黒だけの単調な世界じゃない。決めつけてるのはお前だ。悪事を働く自分に酔った男の妄言でしかない」

 

 

 裂けゆく悪夢の中心で、少年は拳を握り固めた。

 断固とした決意を燦然と照らし出すように、瞳に宿る光芒がアマルガムを射貫く。

 忌々しくも、勇ましき者の片鱗を瞠目するほどに。

 

「思想が歪んで偏った過激な人間。お前を表すのはそれだけで十分だろ。……来いよ道化(ピエロ)。いい加減、てめえの三文芝居にゃうんざりだ」

「────殺す」

 

 魔力を練る。研ぐ。先細らせる。

 前髪に隠された左目が輝きを放つ。

 生まれ持った天然の術式、『心淵の刻印』が唸りを上げる。

 

 精神世界の中核はヴィクターの手に渡ったが、能力を奪われたわけではない。

 他者の経験を自らに上書きする力も、心を読む力も、欠けることなく健在だ。

 もう試練などという加減はいらない。捕らえた魂のストックによる無限再生(うしろだて)を失った今、手段を選んでいる暇はない。

 

 だから、全てを発動させる。

 

「『心淵(アビスフォビア)()賜るは冒涜者の才覚(スクウィズ ザ パペット)』」

 

 注ぐ。注ぐ。注ぐ。

 顔も覚えちゃいない誰かが積み重ねてきた知恵を、経験を、修練を盗む。

 何十年何百年もの血と汗の結晶をすり潰し、己に上塗り、重ね、凝縮して、アマルガムを全知全能の怪物へと進化させていく。

 

「もう加減はしない。これは試練じゃない、一方的な誅罰だ。君の全てを奪いつくしてやる! 後悔する時間さえ」

「ごちゃごちゃうるせえ奴だな。威勢のよさだけで勝ってきたのか?」

 

 ──嗚呼、本当に愚かだヴィクター。心を持つ生きものが、心を操る存在に勝てるわけなどないのに。

 

 もはや滑稽にすら感じる。この男はアマルガムの真髄をまるで理解していない。

 今まで数多の勇気ある正義たちを心淵に堕とし、戦い、全て葬り去ってきた。

 腕自慢の戦士。剣の道こそ人生と言い切った剣士。数百冊の魔導書を脳に綴じた魔法使い。そろいもそろって『白金冠級(プラチナ)』以上の猛者どもだ。

 

 だがアマルガムを罰するには至らなかった。誰一人として。

 

 理由は簡単。アマルガムは人の心を読めるからだ。

 防心術で心を守ろうが意味はない。どれほど腕の立つ実力者であっても、アマルガムにはかすり傷ひとつ着けることすら叶わず生涯を終えてしまった。

 すべては、己の弱さを克服できぬ脆弱さがゆえに。

 

(だから探してたんだ。真に心の強い絶対の正義を。僕の力に屈しない黄金の魂を。己に巣食う闇すら叩き潰せるほど強固な信念を持つ者だけが、この(ぼく)を討つ資格がある)

 

 ヴィクターは一度心を折った。折れ目のついた鉄板はもう二度と平たく戻ることはない。

 ゆえに、彼の未来は敗北を宿命づけられたも同然だ。

 

(どんな手を使おうが無意味だ。君の手の内はすべて見えている。君を殺すための道筋も)

 

 踏み込んでの正拳突き──光刃で弾きそのまま心臓を貫く。

 光刃を叩き落とし蹴りを見舞う──反射魔法で衝撃をかえし足を砕く。

 ならば『純黒の王』の拳で反射魔法ごと殴り抜け────

 

「──あ?」

 

 まて。おかしい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

「おい、どういうことだ? なぜ僕の心が読めている!?」

「……気付いてなかったのか。お前の能力、一度破ればお前の頭が覗けるようになるみてえだぜ」

「っ!?」

「今まで誰にも負けなかったことが仇になったな。無敵ってのも考えもンだ」

「…………それがどうした! 心を読まれる不利(ハンデ)を相殺したところで、この身に無尽蔵の能力(スキル)があることを忘れたのかッ!! 僕はなんにでもなれる! 剣豪にも、武術の達人にも、大魔法使いにだって」

「博士はお前を頭の切れる男だと評価してたけど、どうやら違ったらしい」

 

 うんざり色に濁された胸中を隠すことなく、ヴィクターは目を細めながら頭を掻いた。

 

「かかってこいっつってンだろ。どれだけ頭を覗き込もうが結果は変わらねえ」

 

 血管が破裂しそうだ。

 鼻の奥から鉄の匂いがする。唇が震える。ここまでの怒りを覚えたのは生まれて初めての経験だった。

 

 望みを叶えてやることにする。

 思考を読み、彼の打つ行動を解析し、対処に最適な能力(スキル)で潰す。それだけだ。

 勝てるはずがない。手札はアマルガムの方が多いのだから。

 

 なのに。

 そのはずなのに、どうして勝ち筋が見えてこない。

 

(刺突、切断、絞首、粉砕、圧殺)

 

 ダメだ。突破される。

 

(炎魔法、水魔法、樹魔法、雷、地、金属)

 

 壊される。かわされる。阻止される。

 どれだけ卓越した技を駆使しようと、どれほど緻密な術式を用いようとも。

 

「なぜだ……なぜ、なぜ」

「お前の弱点は戦闘経験の希薄さだ」

 

 最後は必ず、ヴィクターの拳が届く未来がみえる。

 

「お前は人から奪った力をゴーレムみてーに規則正しく振るうことしかできない。一方的に心を読める状況なら十分だったんだろうがな。弱い者いじめしかしてこなかった報いだ」

「黙れ……! この世界の僕は神に等しい存在だッ! 出来損ないの偽善者に、この(ぼく)が敗れるものかァッ!!」

 

 全魔力を開放、『賜るは冒涜者の才覚(スクウィズ ザ パペット)』をもって得たあらゆる魔法を絨毯爆撃の如く解き放つ。

 破壊の大渦だった。大火が、津波が、土砂が、稲妻が、たった一人の男を潰すためだけに空間を埋め尽くし、大質量の暴威をもって襲いかかった。

 

 だが、破壊の目指す先にヴィクターの姿は既になく。

 蜃気楼のように消えた少年は、一息の内にアマルガムの隣に立っていて。

 ありったけの力を込めて引き絞られた拳はただ一点、アマルガムへと照準を定められている。

 

 ──光が爆ぜた。

 

 燦然たる刃の仔(ルクスフェルム)。医師の頭から奪い取った無尽蔵の光刃を、少年を囲う檻のように展開。

 間髪入れず地魔法を発動、ヴィクターの尋常ではない敏捷性を奪うべく足場を砂の城のように崩壊させた。

 宙に放り出されれば最後、少年の魂は『燦然たる刃の仔(ルクスフェルム)』によってサイコロ状の破片へと加工される。

 

「だァらあああああ────ッッッッ!!!!」

 

 瞬間、ヴィクターは躊躇なく足元めがけて拳を振り下ろした。

 殴ったのは空気だ。空気を殴り飛ばしていた。

 凄まじい衝撃波が怒号のように爆ぜた。拳を中心に解き放たれたインパクトは、光刃の包囲網をまとめて吹き飛ばしてしまう。

 

 それだけではない。衝撃はヴィクターに推進力を与え、大きく宙に打ち上げた。

 転移魔法で距離をとったはずのアマルガムに、正確無比に着弾する軌道を描いて。

 

「愚かだなヴィクター! 逃げ場のない空中を選んだのは悪手だぞ!」

 

 口を三日月に引き裂き迎え撃つ。

 風魔法を発動、音速を超える真空弾を無尽蔵に生成し、散弾の如く一斉に浴びせかけた。

 

 対するヴィクターは迫りくる殺意の軍勢に拳を打ちつける。何度も、何度も、残像の尾を引く鉄拳の機関銃で相殺せんと空を裂く。

 衝突、爆砕が起こった。

 およそ大気を殴りつけたものではない、ガラスの壁が破城槌に喰い破られたようなけたたましい絶叫が突き抜ける。

 空間の断末魔と共に衝撃の波が駆けた。それはもろともを連れ去る嵐のように、風の魔法を粉々に破壊してしまう。

 

 だがミサイルの如く飛来するヴィクターの推進力は奪った。

 落下した先から態勢を整えられる前に足場を崩す。今度こそ無間の奈落へ追放してくれる。

 

(──ダメだ! 速すぎる!!)

「おおおおおおおおおおおおおッッッッ!!」

 

 崩れはじめた足場を蹴り、闇に吞み込まれゆく瀬戸際を駆けて、雄叫びと共に男が迫る。

 アマルガムは刻印の(リソース)を切り替えた。精神世界の崩壊を加速させるのではなく、かつて奪った達人たちの能力を身に宿し再現するために。

 

 ()()に打って出た。

 

 退きはしない。迎撃を構える。一直線に突き進んでくるこの男を、真正面から粉砕してやる。

 金属魔法を発動。高名な魔法使いの脳から盗み取った、金属のいばらを蛇のごとく操る術式がうなりを上げた。

 

 アマルガムの背に白銀の魔方陣が花開く。巨木のように頑健な鉄大蛇の群れが飛び出していく。

 まるで自我を持つような縦横無尽の無軌道。アマルガム自身ですら予測不能な金属のヒュドラは、主が定めた獲物を喰い破らんと恐るべき速さで這い寄った。

 

 だがかわされる。すり抜けられる。

 電光石火の敏捷性と圧倒的な身体能力で、掠れば丸ごと人をミンチに加工する殺意の波を、あの男は乗り越えてくる。

 

 ──肉薄。

 

 アマルガムは拳を弓引く怨敵を目前に、両の手へ白銀に輝く直剣を二振り召喚した。

 (はさみ)のごとく胴を分断せんと振り抜く。

 当たらない。刃を視認した瞬間、ヴィクターはあろうことか指の力だけで両刀とも白刃取って食い止めた。

 

 想定の範囲内だ。思考を読むまでもない。

 計画通りだ。この上なく順調過ぎるほどに。

 

 彼の両手は塞がった。彼の武器である王の腕が。

 だがアマルガムには()()()()も残っている。

 

「かかったな」

 

 何かが(くう)を縫った。鋭く細長い、無数の人骨を繋ぎ合わせたクモの足のようなナニカだ。

 それはアマルガムの背からずるりと糸を引きながら生え伸びると、人の骨肉などまとめて抉り砕かん凶悪な切っ先で脇腹めがけて喰らいつかせた。

 

「考えを読まれようが関係ない! ()()()()()()()()()()()に誘導するだけのこと! 君の行動を制限するくらい赤子の手をひねるより────」

 

 ──否。当たっていない。

 

 ヴィクターは銀剣を掴んだまま地を蹴り飛ばしていた。あろうことか逆立ちの要領で身を跳ね上げ、豹のような身体能力で、不可避の一閃から紙一重をくぐって逃れたのだ。

 ぬめりを帯びた凶器が虚しく空ぶる。

 入れ替わって、遠心力を存分に引き連れたかかと落としがアマルガムの脳天に墜落した。

 

「か、ふっ」

 

 ばぢんっ。視界が弾けた。真っ赤に染まった。

 割れる。頭が割れる。いや、ひょっとすると脳が零れたのではないか。

 錯覚せざるを得ない、鈍痛などという表現では生ぬるい、頭蓋を真っ二つに砕き割られたかの如き激痛に魂を喰い破られそうになった。

 

 ぐらりと平衡感覚の諦念が聞こえる。意識の糸がギチギチと悲鳴を上げている。

 それすら許さないと断ずるように、豪速をともなう鉄拳が間髪入れず襲いかかる──! 

 

「だぁぁあああらァァあああ──────―ッッッッ!!!!」

 

 神速のラッシュがアマルガムを蹂躙した。

 津波だった。拳の津波だ。苦痛を感じる暇も無い。一撃一撃がまるで砲弾の如き鉄拳が狂瀾怒濤と襲いかかり、アマルガムは嵐にさらわれた子供のように軽々と吹っ飛ばされた。

 

 

 ──ザザザ──ザ──ザザ──

 

 

「かかったなと、言っただろうが……!」

 

 もはや原型を留めぬ顔貌に加工され、血飛沫の軌跡を残しながら(くう)を舞うアマルガムは。

 しかしなおも筋書き通りであると、崩れかけの笑みに嘲弄を深く刻みこんだ。

 

「たかが心を覗けるだけで僕を出し抜けるとでも思ったのか!? この人心掌握の王を! 刻印の弱点くらい知っていたよ、()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 ああそうだ。心などすべて偽りだ。

 

 ヴィクターを仕留めるために企てた作戦も、濃厚な殺意さえ捏造された虚像に過ぎない。

 自らの精神に細工を加え、さながら潮の流れを無理やり捻じ曲げるように偽の独白(モノローグ)を読み取らせた。

 

 常人ならば自我を保つことすら曖昧になる力技だ。精神の改竄など発狂を招いても不思議ではない。

 だがアマルガムにとって、自らの意識を焼いた鉄を打つように捻じ曲げるなど造作もない。

 

「君の命なんてどうでもいい! 他の有象無象など知ったことじゃない! だが君は僕から希望を奪い去った。なら(ぼく)は、それを上回る絶望を与えてやるのさ!」

 

 アマルガムが吹っ飛んでいく先には、ぽっかりと大口を開けた空間のひずみがあった。

 崩壊しゆく精神世界の亀裂に紛れて現れたそれは、現実の肉体へと魂を送り返すための出口で。

 

「礼を言うぞヴィクター! 君のお陰で労せずしてこの場所まで辿り着けた! 君が僕を導いたんだ、大殺戮の饗宴へなぁっ!!」

 

 

 ──世界が反転する。

 渦潮のような亜空に吞まれ、アマルガムは凱歌の如き高笑いを引き連れて現実へと帰還を果たしていく。

 

 

 瞼を開けて初めて訪れた感覚は、夜露の香水独特の青くささだった。

 体中が痛い。節々が老朽化した木造家屋のようにきしむ。精神世界で受けたダメージの一部が反映されているせいだ。

 

「この体はもういらない」

 

 息を吸うだけで胸に電気が走る体を無理やり引き上げるように起こし、スーツの内ポケットに手を突っ込む。

 取り出したのは結晶のようなナニカだった。夜中であっても闇を吞むような暗い色をしている。

 そっと耳元に近づけると、結晶の中から歯ぎしりとも呻き声ともつかない歪な音色がこぼれていた。

 

 魔物の芽だ。禍憑きを引き起こす災厄の種だ。

 肉を食み、血を啜り、この世ならざる魍魎へと命を作り変える冒涜の堕とし仔を封じたカプセルへ、アマルガムはまるで我が子のように慈しみを籠めて指を這わせる。

 

「特等席で見ているがいい。あの夜景が悪夢の海に沈むサマを」

 

 結晶を握り砕いた瞬間、爆ぜた臓物のように腐臭をまとう赤黒い粘液が飛び散った。

 それはまるで巣を見つけた鳥のように、アマルガムの体の中へ瞬く間に潜り込んで。

 

 刹那、花が咲いた。

 

 アマルガムの背を内側から破るように産声を上げたソレは、さながら肉と骨で出来た醜悪なラフレシアだ。

 獣の金切り声とも赤子の悲鳴ともつかない耳を腐らせる汚濁を撒き散らす化生は、アマルガムの肉体を急速に侵食し、禁忌の邪悪へと作り変え始めていく。

 

 ブーゴたちに植えた、ほんの欠片程度の芽とはわけが違う。

 羽化に人肉を喰らうような『触媒』は必要ない。刻印の能力をフル稼働させ、魂への侵食をシャットアウト。

 己が肉体を魔へ差し出さんとするように変異を受け入れた。

 

 ──『心淵の刻印』は精神を操る能力。己の魂さえ無事であれば、肉体などひとつにこだわる必要はない。

 (スペア)なんていくらでもいる。このまま町に降りて、健康そうな人間を乗っ取って、あとは身を隠すだけ。

 

 突如出現した魔物相手に、平和ボケした愚物どもが対処など出来るはずがない。

 訳も分からぬまま貪り食われる腑抜けきった民草を背に、新たな救世主を探す旅に出よう。

 

「ハハハハハハハハハハ!! 大ッ殺戮だ!! 男も女も子供も老人も! 全員不浄の供物としてくれる!!」

 

 

 ──パキン。

 

 

 不意に頭の中を跳ねたのは、熱湯を注がれた氷が亀裂を走らせたような異音。

 次いで。右腕の感覚が消失した。

 

「え」

 

 ()()()()()()()()()()

 

 太陽が寝静まった真夜中であっても朧に輪郭を映す、闇を吞むような漆黒の剣。

 魔物の変異とはまるで異なるナニカが、アマルガムの右腕から地を裂いて生え伸びる樹木のように現れたのだ。

 

「な、ん」

 

 腕はある。なのに剣が生えた箇所の感覚がない。

 水分を全て奪われたミイラのように萎んで、今にもぽとりと落屑しそうだ。

 

「なんだ、これは!? か、からだが動かない!? なにがっ……!?」

 

 パキン。またも異音が体に響く。

 体を裂いて剣が飛び出す。パキン、パキンと唄を奏でて、胸、足、背、腹、顔、大小様々な黒剣がアマルガムを覆い始めていく。

 

「っ、ば、バカな、この力はっ、この魔力はぁっ!?」

 

 悲鳴が夜を搔き混ぜた。アマルガムではない。生まれようとしている魔物の断末魔だ。

 骨肉を苗床にすくすくと育ちつつあった禍憑きが、毒を盛られた赤子のように苦しみ始めていた。

 

「まさかっ」

 

 アマルガムを冒していたはずの魔が、あっという間に消滅した。

 さながら免疫に追いやられた病魔のように。灰に変わって夜風にさらわれ無へと還った。

 

「……知っていたよ。俺の命を直接狙って来ないことくらい。お前みてえな救いようのない馬鹿が最後に選ぶのは、徹底した嫌がらせだってことくらいな」

 

 ──夜明けの(とき)

 山々の背から黎明の篝火が世界を照らした。

 焼かれるようなオレンジを背に立ち上がる影が、アマルガムを逃がすまいと包み込んだ。

 

「心なんざ読むまでもねーんだよ、下衆野郎の考えることくらいよォーッ!」

「ヴィクター……! 仕込んだな!? あの連撃(ラッシュ)の最中に、僕に王の加護を与えたんだな!? 指輪の力を使って禍憑きを封じるための加護を!」

「気になるんなら俺の頭を覗くといい。得意なんだろ」

「ッッ……!!」

 

 口の奥から鉄の味がする。

 食いしばり過ぎた奥歯がギリギリと呻いていた。

 

 謎だ。不可解だ。意味が分からない。

 だってヴィクターの思考は常に読んでいた。アマルガムが仕組んだ()()()()にまんまと踊らされて、脱出の手助けをしていたのだ。

 

(企めるはずがない! もし僕に指輪の力を差し向けようと考えたならすぐに分かる! どうやって能力の網をくぐり抜けて──)

「俺ァもともと考えて動くタチじゃあねーんだよ。だから作戦を立てるンだ。本番であーだこーだ考えなくて良いように」

 

 体が動かない。

 影を地に縫われたみたいに、指ひとつ動かせない。能力さえもまともに発動できずにいる。

 許されているのは口と目だけだ。魔力の流れがぐちゃぐちゃで、指先に火の玉ひとつ出せるかどうかも怪しい。

 ゆっくりと歩み寄るヴィクターを、ただ瞳に映し続けることしか出来ない。

 

「お前は人の嫌がる真似をする天才だ。俺への憎悪がダモレークに向かうだろうってのは簡単に予測できたさ。だったらどさくさに紛れて精神世界を脱出しようとするはずだ。必ず俺を利用してな。人心掌握に長けた悪党が選ぶのは、敵のプライドを最も踏みにじる方法だ」

「っっ……!!」

「お前には逆立ちしたって心理戦で勝てやしないよ。()()()()()()()、騙されていい! てめーから『冠接ぎの器』さえ奪えればそれでいい! あとは流れに身を任せるだけだ、余計なことは考えねぇ! それでお前を出し抜けるんだからな!」

 

 

 敗因という名のブサイクな顔料を、体中に塗りたくられたような気分だった。

 

 信じられるか。この男は、思考を捨てたのだ。

 考えを読む怪物に対抗するため、まるで命令を書き込まれたゴーレムのように、あらかじめ叩き込んだ作戦という命令に機械的に従う()()()()で、不要な情報を頭から切り離して戦っていた。

 

 ふざけるな。そんなの机上の空論だ。

 人は考える。ゆえに人は在る。それはどんな状況だろうと変わらない。

 例え極限の状況であったとしても、人間の脳髄はその場を生きるために必ず思念をこねる。

 だからこそ、アマルガムは数多の達人や魔法使いの命を奪ってこれたのだから。

 

 紙一重の判断が生死をわけるあの状況で。余分を捨てて思考を絞るなんて真似が本当にできるのか。

 アマルガムの作戦(あたま)を読んで、それに対策を示していた時でさえ、()()()()()()最初から予期していたから雑念を払えたとでも? 

 

「~~~~ッッ!!」

 

 

 敗因は()()()()()だ。

 王の腕の力でも、王の指輪でもない。どれほど強大な力があったとて、持ち主が活かせなければ何の意味もないのだから。

 

 山のような岩をも砕く怪力も、万を超える書を頭蓋に収めた魔法使いの御業も、心を持つというただ一点だけでアマルガムの前に散った。誰もこの(ばけもの)を止められなかった。

 

 それを克服したこの男には、力を磨くだけの老いた能無しどもとは異なる決定的な違いがある。

 平和ボケした今の世界からは消えてしまった、かつて白薔薇の聖女と共に世界を救うべく戦った英雄たちと同じ、純粋無垢な戦士としての素養が──

 

「違えよ。お前は自分が勝てる相手としか喧嘩しなかっただけだ。救世主だなんだと(うそぶ)きながら、結局いたぶる人間を選んでいた。正真正銘、ただの卑怯モンでしかない」

 

 精神世界を脱した今、もうアマルガムの頭は覗けないはずなのに。

 思考を両断する否定の言葉は、巌のように力強く。

 

(嗚呼、君は、そうか、やはり僕の解釈は正しかった! 君はっ、君の魂はまさしくっ……!)

 

 拳が迫る。

 流星の如く尾を引いて、裁きの鉄槌が振り下ろされる。

 

「勇者────」

 

 直前だった。

 握り固められた拳がアマルガムを屠る寸前。豪速を引き連れた一閃が、ぴたりと動きを止めたのだ。

 拳圧で生じた風が、前髪をふわりとすくい上げた。

 

「……お前に奪われた人生は片手じゃ効かねえ」

 

 抜き身の刀のような眼光が、アマルガムを撫で切るように一瞥する。

 

「お前が流した禍憑きのせいでコロポックルたちは仲間と故郷を失った。ブーゴたちは命の危険にさらされた。何より先生は、てめえのくだらないママゴトに人生を丸ごとぶっ壊された」

「そうだ、全ては(ぼく)が招いたことだ。なぜ迷う? さっさとトドメを刺せよヴィクター! 今の君になら、この僕を裁く資格がある!」

「だがそいつは()()()()()()()()()()だろう? お前の思い通りになるのは心底気に入らない」

「──まて。ヴィクター、やめろ、考え直せ! それだけは口にするんじゃあないッ!!」

「お前に慈悲の気持ちなんざ欠片もねえし、このままタコ殴りにしたってちっとも心は痛まねえよ。だが、それじゃダメだ。お前は騎士団に引き渡す。……法と秩序の裁きを受けろ、アマルガム」

 

 ──嗚呼、もう。本当に。

 君は一体、どこまで失望させれば気が済むのか。

 

「うんざりだ……うんざりだぞヴィクター! 君にはほとほと愛想が尽きた! 後ろを見ろマヌケがァあああああ────ッッ!!」

 

 刻印の宿る(みどり)の瞳が爛々と輝く。

 王の指輪に魔力を阻害された中、針の穴に糸を通すように緻密な魔力操作で掴んだ最後の能力発動。

 矛先には、未だ横たわるイシェル・マッコールの肉体があった。

 

「医者の肉体を乗っ取った! 指一本でも動かせばこいつの心臓を破裂させる! 『転血』なら一秒も要らない! べらべらと能書き垂れる暇があれば僕を始末しておけば良かったものをなぁッ!!」

 

 指輪はアマルガムから大きく力を奪い去った。だが人間一人を操る程度ならば造作もない。

 イシェルから奪った知識をもとに血中へ極小の魔方陣──『燦然たる刃の仔(ルクスフェルム)』を発現させていく。

 さながら爆薬の信管のように、ほんの一息で命を奪う準備を整える。

 

「選択だ。僕にかけた指輪の加護を解除しろ。そうすれば医者は重症で済ましてやる。僕を追えば確実に手遅れで死ぬ! ここはお互い痛み分けと行こうじゃないか!」

「────」

「馬鹿だよヴィクター、本当に君は大馬鹿だ! 僕を殺せる最後のチャンスだったのに……! 恨むなら下らない反骨精神でチャンスをふいにした己の浅はかさを恨むがいい!」

「指輪の加護……? 何言ってんだ、加護なんか授けちゃいねえよ。俺はただ返しただけだぜ。そもそも指輪の使い方なんざ知るか」

 

 音が死んだ。

 そう錯覚するほどの耳が痛むような静寂は、アマルガムの意識が、ヴィクターの声を除くすべてを雑音(ノイズ)として排除したががゆえだったのか。

 

「魂を修復できたのは、お前の頭を読んで能力の核だと知ってたからだ。だから俺の腕で干渉して力の向きを変えられた。ハンドルを捻るようなもんだ、簡単だったよ。だが別に指輪の力を理解していたわけじゃない」

「な、に?」

「知ってることはひとつ。()()()が人体にとっちゃ猛毒だってことだけだ」

 

 ──心臓をねじられたような音がした。

 

「指輪は『純黒の王』の遺産だ。お前がどう解釈してるかは知らねえが、かつて魔王を討った魔滅の騎士王の魔力が秘められている。だから初めは禍憑きだけを優先的に祓った。だが」

「……っぁ、が、がぶっ!? ばはっ!?」

「純粋な黒魔力は不死者でもなけりゃ耐えられる代物じゃない。そろそろ効いてくる頃合いだろうな」

「ぎぁっ、が、がああああああああああッッ!!?」

 

 肉が裂ける。骨が捲れる。

 内側から若木をへし折るような耳を塞ぎたくなるほどの異音が響いた。

 魔力が搔き混ぜられる。心臓を木べらで捏ねられているみたいに。

 

「しゃ、べっていたのはっ、時間稼ぎか……!? ゆゆ、指輪の魔力が僕に流れ込むまでの!? き、騎士団に、引き渡すって、言ったくせに……この大噓つきがぁあッッ……!?」

「一緒にするな、命までは取らねえよ。だが刻印の力を残しておけば、お前は確実にまた暴れる。それだけは阻止しなくちゃならねえ」

 

 刻印の左目が熟れたトマトのように破れる感触がした。

 王の魔力は宿主の魔力を優先的に侵食して破壊する。天然の術式回路である刻印は言うなれば格好の餌だ。実験に使った刻印使いの末路が鮮明に脳裏を過ぎ去った。

 

 

 終わる。

 (ぼく)が、終わる。

 よりにもよって、白薔薇の聖女に倒された叛逆の愚王(あく)の力で。

 この生まれ持った腐敗の魂が救われることもなく、永遠に。

 

「ヴィクタァあああああ────ッッッッ!!!!」

 

 認められない。断じて。

 救われるまでは。救世主に裁かれるその日までは。白薔薇の聖女の下に集った正義の焔に焼かれるまでは。

 

 残された全魔力を開放。これまで奪い続けてきた数多の叡智を総動させ、強制的な魔力の逆流循環を引き起こす。

 血に混ぜられた毒を血液ごと瀉血するかのような荒業だが、効果はあった。黒魔力を強引に排出。指輪の結合を引き剝がし、治癒魔法の重複で造血を無理やり補うことに成功した。

 

 牙を剝く。

 自ら棄てた血を触媒に、命を薪に、王の力を傀儡へ変える。

 

 両の手のひらに極限圧縮した闇魔法の大渦を召喚。万物を喰らい呑み込む破滅のつぶてが産み落とされた。

 例えるならばそれは、極小のブラックホールのようなものか。

 

「正義がなくてはならんのだ! 僕など虫けらに等しい、大いなる邪悪の時代がやって来る! 今の世の軟弱な魂では抗えない! 必要なんだよ、世界を救う英雄が! 魔を祓い輝く勇気の証明がッ!! 救世主を見つけるまで、僕は、僕はぁっ!!」

 

 ザリザリと自らの手を吞み込ませながら、アマルガムはヴィクターもろとも山一帯を消し飛ばさんと振りかぶる。

 

「てめえに裁定される筋合いなんざ、誰にもありはしねェんだよ」

 

 しかし、突き刺さる。

 闇が解き放たれるよりも(はや)く、雷の拳が暗黒の渦を砕き割る。

 

 刹那。空を裂き、龍が哭いた。

 神速の一閃が邪悪の中央(みぞおち)に喰らいついた。

 深く、強く、一縷の望みすら断たんばかりの暴威をもって。

 

「贖え、アマルガム。てめえが奪った人生をその心に刻みながら、永久に」

 

 

 

 ──強引な黒魔力の流用が招いた副作用か、それともヴィクターの拳が何かを仕込んだのか、もはやアマルガムには分からないけれど。

 刻印の完全消滅と共に、アマルガムの世界から一切の光が消えた。

 

 

 生きているのか死んでいるのかも曖昧な、真っ暗になった世界の底で。

 瞼の裏に焼きつくように、朧と浮かび上がったそれは。

 辱め、喰らい、踏み潰してきた死者たちの、張り付いたような笑顔の群れ。

 

 

 

 

 ◆

 

「……ヴィクター君」

「! 先生、目が覚めたんスね」

「……アマルガムは?」

 

 問いかけに、少年はゆっくりと首を振った。

 

「奴はもう、何も出来ませんよ」

 

 鉛のように重い悪夢から解き放たれて最初に目にしたのは、壊れた魔導駆機(ゴーレム)のように茫然自失となってへたり込むアマルガムと、それを前に佇む少年の背中だった。

 

 決着はついたのだと直感が告げる。

 憎むべき(かたき)の容態を見て、もはや手の施しようがないと理性が断ずる。

 

「ぼくは、ぼく、ぼくぁ、悪、あ、救われない、世界が、魔の手に、ぼく、ぼくの魂は、救われっ」

 

 知っているはずの男がいた。

 髪は抜け落ち、蒼褪めるを通り越して真っ白で、何十年も風雨に晒されたかの如く老けて、瞳は掴みどころもなく虚空に焦点を探している。

 重度薬物中毒の末期患者のような風貌には、邪悪の限りを尽くした若人の面影は見当たらない。

 

「……」

「先生」

「わかってる」

 

 不思議と殺意は湧いてこなかった。

 あれほど憎んだはずなのに。今でもあの時を思い返すと、八つ裂きにしてやりたい衝動に駆られるはずなのに。

 手元に『燦然たる刃の仔(ルクスフェルム)』を呼び寄せて、喉元に刃を突き付けても、滑らせようとは思えなかった。

 

 遠くから殷々(いんいん)と声が聞こえる。

 既に『朧々たる城塞(カストラム・オカルトゥス)』は消えていた。

 騒ぎを聞きつけた近隣住民が通報したのだろう。あの声は、きっと慌てた騎士団のものだ。

 

 朝焼けに、吐息。

 

「……やっと、終わるんだな」

「……ええ」

「……そうか」

 

 

 

 ──悪夢の終わりとは、なんて沁みるような茜色だ。

 

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