銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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55.「宿る鼓動、散らすは火花、舞えや乙女」

「はァ。ヴィクター様の好きなもノ?」

「うん。あなた情報通って聞いたから、何か知ってるかなって」

「う~んそうですねぇそうですねェ。金、暴力、女! これ外れナシ! お嬢がスッパになりゃ世の男性みな媚びへつらう猿と化すのは自明の理。即ちプレゼントはア・タ・シ! きゃ~我ながらナイスアイディ~ア」

「あなたを頼りにした私が馬鹿だったわ……」

「あ~んお待ちを~ン! 折角お嬢ジキジキにこうべを垂れやがったんですから、成果をあげなきゃサボる口実がもといアーヴェント宗家執事長としての名折れになりまス!」

 

 本当に人選ミスだったかもしれない。安直に数少ない男性仲間(?)だからとアテにしたのが裏目に出たか。

 

 イレヴン。賢者オーウィズに仕える完全自律型生体ゴーレム……らしい。

 

 透明感のある薄紫と黒のメッシュがあわさった奇抜極まりないオールバック。黒白目な黄金の瞳。濃いアイシャドウに、道化のごとき口紅。華美なワインレッドのタキシード。

 

 一目で異様とわかる出で立ちが示す通り、奇天烈が自我を得たような突飛で混沌的性格の持ち主だ。

 口にするのは狂言やブラックジョークばかり。歌劇俳優のように大げさな口八丁手八丁で、相手をからかうことを生き甲斐にする万年おふざけ男。

 

 端的に言うとろくでなしのカスなのだが、意外にも仕事は卒なくこなす、契約に対する忠実性を持ち合わせたアンバランスな一面もある。

 

 正直、シャーロットはあまりイレヴンが得意ではない。

 リリンフィーの教育に悪いという一点張りだが。

 

 

「そもそも如何様な目的デ? ひとくちに好物と言ってもシチュエーションで異なりましょウ。例えばディナーに誘うなら食べ物、プレゼントならば注目グッズ、お嬢の理想込みなら二人のニーズに合わせたペアルック……といった具合にネ。時、場所、場合において適切に選択する必要性がありまス」

「い、意外とちゃんと考えてくれてるのね。見直したわ」

「まァ男なんざ脱げば脳死解決なんですガ。あァ! 妹様と裸エプロンで姉妹サンドなんかどうで()"────ッッ!! お嬢スネはおやめくださイ! スネはおやめくださいお嬢!」

「次リリンの下品な冗談言ったら蹴り潰すからな」

「ガチギレじゃン……シスコン怖……」

 

 当たり前だ。あの小さな天使を汚す輩はたとえ聖女であっても慈悲は無い。万死に値する。

 

「それデ? 何目的なんでございますれバ?」

「えっと……いつもお世話になってるから、お礼がしたくて。ほんとに、それだけ」

()ァ~~んまァ~~~~鼻から角砂糖の絞り汁食ってる気分! う~ん似た者同士のアオハルですねェ」

(似た者同士……?)

「そうと決まればこちらはどうでしょウ。彼が今、最も注目しているのは~こちラ!」

 

 どこからともなく極秘ノートと書かれた謎メモを取り出したかと思えば、パラパラとページをめくって眼前にずいっと突きつけてきた。

 

「……え。こんなの欲しがってるの? 本当に?」

「ワタクシ、情報に関しては誓って噓は吐きませン。正確無比の安心安全クオリティ! しかし信用に足らぬとおっしゃるならば、我が諜報力の一端をご覧に入れましょウ。う~んそうですねェ、一昨日ヴィクター様あてに書いては消し書いては消しをくり返し最終的に火魔法(フランマ)ったお手紙……失礼、ゲロアマおぼこラブレターを全文朗読できますが如何?」

「ほわぁ──────ッッ!? なななっ、何でそれを知ってんのよっ!? まさか部屋に入ったの!? 最低! 変態っ!!」

「ホホホホホお~やおやおや随分な慌てようじゃあないですか我らが若き青き麗しき当主様ァ~? よろしイ! バラまかれたくなければ、明日から給仕服でワタクシの椅子兼お茶くみ係として奉仕することを誓いなさイ。あ、肩もみマッサージおやつ付きでよろしくお願いしまス」

「クソ執事」

「あ、あれレ~~? マスターったらお早いお目覚メ! 統計的に今日は昼まで堕落した家畜に負けじと爆睡こきかましてやがるはずじゃ……あ、いや、待ってくださいワタクシ仰せつかった私室不可侵の契約はしっかり尊守しておりましてこれは虚滅焼却炉からゴミを復元解析して入手した至極真っ当かつ合法的手段に基づく極めてクリーンな情報ですので無罪も無罪はい釈放ってねあっ無理? 駄目? 死刑? ふーん、そウ。マ"──────────────ッッッッッッッ!!!!」

 

 

 

 ◆

 

 関係が進んでしまうことで、逆に関係を壊してしまうかもしれないという矛盾。

 傍から見ればなんだそれはと一蹴するような些事である。しかしシャーロットにとって、これ以上切実な問題は存在しなかった。

 

 だって、少女には恋が分からない。そんなものはフィクションで眺めるだけの他人事でしかない。

 小さなころに憧れたこともあったが、家族を失った日にどこかへ捨てた。

 

 だから、シャーロットには分からない。

 好きという気持ちも。誰かと恋仲になるという状況も。

 だから、シャーロットには恐ろしい。

 彼を幻滅させてしまうのではないか。期待に応えられないのではないか。

 

 果てに縁まで切れてしまったら、もう二度と元の関係には戻れない。

 今まで共に過ごしてきた時間が。分かち合ってきた日々の数々が。すべて消えてしまうかもしれないなんて耐え難い恐怖だ。

 足をすくませるには十分だった。送られてくる好意に応えられないほど重い楔だった。

 

 

 かと言って嬉しくないわけがなくて。むしろもう、爆発しそうなくらい嬉しくて。

 生まれてから経験したことの無いくらい胸が弾んだし、湧きあがる気持ちに抑えが効かなくなったほどだ。

 

 好意を受け入れる下地は無いくせに、ドクドクと胸を突き動かす衝動はまさにブレーキの壊れた暴走機関車も青ざめるほどで。

 この二十日間ひっつきむしだったのは、つまりは猪的恋心の発露であった。

 

 が、しかし。

 それが逆にシャーロットの首を絞めていたとくれば、焦りを覚えるのは必定も必定だ。

 

 考えてみれば当然のことだ。真摯な気持ちを袖にされ続けたら、誰だって傷つくに決まっている。

 こんな簡単なことさえ頭に回らなくなっていたのだから、自分はよほど有頂天で能天気で、頭の奥まで茹っていたのだろうと顔が熱くなる。

 

 もういい加減、向き合わなければ。

 覚悟を固める時は近づいているのだから。

 

 

(う~~~~)

 

 

 なのに、怖い。

 どうしようもなく怖い。情けなくて仕方がない。

 でも、怖いのは彼だって同じはずだ。甘えるなシャーロット。

 言い聞かせるように、ぺちぺちと頬の赤を追い払うべく叩く。

 

 

「…………」

 

 

 リリンフィーは今日一日、ヴィクターの後をつけろと言った。

 いわくシャーロットに勇気を与えるとか。どうとか。

 

(リリンが賢い子なのは知ってるけど、こんなことして何の意味が……お姉ちゃんわかんないよ~~!)

 

 ──場所はダモレーク。もはや馴染みに馴染んだ港町。

 誰に言うでもなくフラッと出かけたヴィクターを追ったらここだった。いつも通りと言えばそうなのだが。

 

「彼、鋭いからなぁ……見つからないようにしないと」

 

 どうも野生の勘に近しいものをもっている。気配に関して人一倍敏感なのだ。

 距離をあけて人混みにまぎれつつ、時にはわざと道路を挟むように後をつけていく。

 

 一方のヴィクターは、なんとも神妙な面持ちだった。

 おでかけにしては固い。変な気迫を感じる。まるで道場破りを控えた武闘家のようなオーラである。

 

「どこに向かってるのかしら」

 

 変装で着けたなけなしのサングラスとマスクを正しながら様子をうかがっていると、どうやらある民家に向かっている様子だった。

 大きな家だ。邸宅と呼べるほど豪勢である。

 

(あれ、ここって)

 

 答えは表札にあった。ダモラス夫婦の名前が記されていたのだ。

 ダモラス老は彼がダモレークと馴染むきっかけになった人物だ。定期的に顔出ししていると聞いているから、今日もそれなのだろう。

 

「…………ん?」

 

 いや、待て。様子がおかしい。

 流石に人の家に侵入するなどありえないので、当然外で待つつもりでいたのだが、彼の方からビビアンと共に庭先に現れたのだ。

 

(え。なにあれ)

 

 なぜか。そう、なぜか上半身裸になっており。

 ビビアンはと言えば、これまた神妙な顔つきで。

 バチバチ空気を食む雷を帯びた警棒のような物騒を握り締めており。

 

「これより煩悩払いの儀を執り行う」

「押忍」

(マジでなにやってんの?)

 

 我が目を疑うシャーロットなど露程も知らず、半裸のヴィクターは庭の真ん中に置き石のごとく粛々と座り込んでしまう。

 不動。不動である。瞑想顔負けに目をつむり、巌のごとく微動だにしない。

 

 すると、ビビアンは帯電を解いた棒をおもむろにヴィクターの肩へと置いた。

 すぅっ──大きく息を吸って、

 

「いいかい! 女の子の扱いで最も重要なのは下心のコントロールだよッ! どんなに仲を深めたとしても、カラダばかりのドバカになりゃあ千年の恋も冷めるってもんだ!!」

「押忍!」

「ただし下心は敵じゃあない! 手綱を握れば互いの距離をグッと縮めてくれる頼もしい味方にもなる! 大事なのは状況だ! 相手の気持ちなんだ! 欲望を押し付けるなよ、己が内の怪物を味方にするんだッ!」

「押忍!」

「女という属性ではなく、一人の人間だという大前提を忘れるなッ! 人としての敬意と尊重を五臓六腑に刻み付けなぁッ!!」

「押忍!」

「声が小さぁいッ!!」

「押忍っ!!」

 

 

 めまいでぶっ倒れるかと思った。

 

 

「よぉーしその意気だ坊や。この女帝ビビアンの男磨き最終試練、みごと制してみせるがいいさッ!」

「押忍!」

「では────」

 

 ス──と、ビビアンが棒を構える。

 刹那。空気の切れ味が明らかに変わった。

 

 落ちる木の葉を触れただけで両断せんばかりの、あまりにも鋭い気迫。

 抜き身の剣を喉元に突き付けられたかのような圧迫感に、思わずシャーロットさえ息を吞む。

 

 ぴたり。

 ビビアンの棒が、再びヴィクターの肩を捉えて、

 

「────お尻」

「……」

「ふともも」

「……」

「うなじ」

「……」

「おっぱい」

「──」

「喝ァァあああああああああああああああああッッッッッッッ!!」

「いッッッでェああああああああああああああッッッッッッッ!?」

 

 

 崩れ落ちるなってほうが無理だ。

 

 

「このマヌケがぁぁ──ッッ!! 言葉だけで鼻の下ァ伸ばしてどうするんだいッ! お前は乳とデートするつもりか!? そういう視線は一瞬でわかるんだッ! 相手は人間であって脂肪の塊じゃあない! ケツの穴ギチギチに締め直しなぁッ!!」

「お、押忍!」

「次ィいくよ! 覚悟おし! ────巨乳」

「──」

「喝ァァあああああああああああああああああッッッッッッッ!!」

「いッッッでェああああああああああああああッッッッッッッ!!」

 

 

 なんだろう。もう帰ろうかな。

 胸下で腕を組みながら、少女は乾いた息をこぼした。

 

 ◆

 

「お前例の殺人鬼をぶっ飛ばしたらしいな。やるじゃねーか! 流石このザルバ様に土を着けただけはある」

「俺だけの力じゃないっスよ。本当、色んな人が助けてくれた。美味しいトコだけ持ってった感じで」

「だが町の平和を取り戻したのは事実だ。手柄ァ認められて『金冠級(ゴールド)』に昇格したんだろ? なら胸を張れよ、お前はこのオレ様が認めてやった男なんだからな」

「そういや千年果花の霊薬も入手出来たんだってな? 病気の子は治せたのか?」

「ええ、もうバッチリ! 見違えるくらい元気になりました」

「そうかぁ! そいつはよかったなぁオイ! …………よかったなぁ」

「ここだけの話、ザルバの奴おまえたちをずっと心配してたんだよ。だから絶対に祝勝会したかったんだと。イカつい悪人面のくせに乙女みてーな奴だろ」

「ザルバの兄貴ぃっ……!」

「キラキラおめめでこっち見んな潤ませるな気色悪ィ。ジェドも余計なこと言うんじゃねえ!」

 

 

 武者修行もとい永遠にシバかれ続ける謎の儀式を終えたヴィクターは、どういう流れかザルバたちと町で宴を始めていた。

 あらかじめ予定があったという感じではない。たまたま町で出くわして、ノリでこうなった感じである。

 

(ヴィック、意外と交友関係広いわよね)

 

 ザルバ一行に限らない。ダモラス邸を出て彼らに会う少しの間だけで、シャーロットの知らない人たちがヴィクターに声をかけている場面をよく見かけたのだ。

 

 老若男女問わずである。どうやらギルドの依頼関係や、困っているところを偶然助けて……といった具合で知り合いを増やしていたらしい。

 今さらっと男子会に混ざってきた褐色肌の女の子もそうだ。このあいだ暴漢から助けてもらったのだとか。

 読唇術がこんな形で活きるとは思わなかった。

 

「……」

 

 店の端。ずごごごご。底尽きたコップがストローを揺らす。

 

「…………」

 

 人が増えてる。

 褐色の子が友達を呼んだのだ。

 

 清楚という概念をベールにして羽織っているような、淑やかな空気を纏う黒髪ロングの美人さん。

 ほどよく焼けた肌が健康的で、快活な印象のボーイッシュな美人さん。

 大人の色気があって、けれど尖り過ぎずフレンドリーで、なんかもう如何にもモテそうな美人さん。

 

 

 

 この町可愛い子おおすぎでは? 

 それはいいとして。ちょっとデレデレしすぎでは? 

 

 

「…………………………………………」

 

 もや。

 もやもや。

 もやもやもや。

 

(いや。べつに。嫉妬なんかないし。彼が好きなの私だし。人当たり良い性格だから異性の友達くらい普通だろうし。本命私だし。余裕だし。べつに)

 

 ああそうだ。特に気にすることはない。

 友達くらい許容すべきだ。彼には彼の付き合いがある。たかだが異性の知り合いがいる程度で束縛的思考を喚起するなどアーヴェントの女にふさわしくない。

 

 広い心をもつ。常に鷹揚たる淑女であれ。

 それが正妻の余裕というものいや正妻ってなんだ違う言葉のあやでべつにそんな意味じゃない違うちがう違う。

 

 

「お客様大丈夫ですか?」

「すみませんなんでもないですごめんなさい」

 

 火事になった頬を鎮火すべくテーブルに墜落した。凄い音した。心配された。

 間一髪きづかれてはいないらしい。向こう側から死角になる席を選んでてよかった。

 

「…………」

 

 リリンフィーの言葉がいやに輪郭を帯びてくる。

 愛想尽かされちゃって。島を出て、別の相手を見つけちゃう。

 現実味のなかった妹の叱咤激励が、急にはっきりと解像度を上げてきた。

 

(リリンが言ってたのって、もしかしてこういうこと?)

 

 フラッと町に出るだけでこれだ。おそらく、シャーロットの想像よりずっと顔が広いのかもしれない。

 つまりライバルの潜在的母数は着実に増えているということだ。リリンフィーはこれを知っていたのだろう。

 

 

 おかしい。

 ジュースをおかわりしたはずなのに、水と頼み間違えただろうか。

 

 ◆

 

 

 そもそもヴィクターは何をするためにダモレークへ来たのだろう? 

 妹が出かけることを知っていたということは、少なくともスケジュールを組んだ行動で間違いない。

 

 ただ、ちょっぴり腑に落ちない。

 彼はいつも、出かける時に一言だけでもシャーロットに告げていくのだ。

 今回はそれがなかった。つまり、シャーロットに言えない理由があるということだ。

 

 

 

 なるほど、確かに。

 女の子と二人でショッピングなんて、言いづらいことだったのかもしれない。

 

「はァ?」

 

 今の声、ひょっとして自分か? 

 悪霊とか魔物の怨嗟かと思った。

 

 

(誰あの子。知らない。え。だれ)

 

 自分にはない、イマドキ感に溢れた子だった。

 

 可愛いネイル。ばっちりなメイク。透き通りそうな白い肌。パーマの似合う素敵なブロンドヘア。

 露出が多い。胸元は空いてるし、スカートなんか不安になるくらい短い。

 けれどそれは、彼女なりのポリシーがあっての格好なのだとひと目でわかるコーデだった。

 だってあんなに可愛いのだ。自分の魅力を最大限発揮できる術を理解していなければ、絶対に引き出せる形ではない。

 

 問題はなぜそんな子と一緒にいるのか。

 どうしてショッピングモールで楽しそうにしているのか。

 

(うん。これは、そうね。見張っておかなきゃ。あの子がスケベ猿の毒牙にかからないように。そうそう。これはあの子の身の安全のために必要なことだから)

 

 べつに怒ってない。

 そもそも怒る道理なんてない。だってヴィクターと──しているわけじゃない。

 なにも後ろめたいことはない自由の身なんだから、彼が誰と遊ぼうが勝手だ。

 

 だから、怒ってない。断じて。イライラしてもいない。

 最近考えることが多かったから、すこーし情緒が不安定になっているだけだ。そういう日だってある。

 

(おちついて……落ち着きなさいシャーロット。きっと理由があるのよ。ギルドの依頼とか)

 

 たまにあるのだ。買い物代行だったり、荷物持ちだったり、もっというとボディガードだったり。

 一見するとデートにしか見えないが、何かしら事情があってのことに違いない。シャーロットにはわかる。わかるったらわかる。

 

 

 セーダンを買って食べていた。

 

 

(私だって一緒にスイーツ食べたし)

 

 

 アパレルで服を吟味して購入していた。

 

 

(買ってもらったこと、あるし)

 

 

 女の子に手を引っ張られて連れてかれている。

 まんざらでもなさそう。

 

 

(手くらい繋いだもん。なんなら、ぎゅってしてもらったことも、ある、もん)

 

 

 主にバッグなどで有名な、シャーロットも憧れのあるハイブランド店──星雫(アスティア)に入っていった。

 

 

「────」

 

 

 ない。

 そんなところ行ったことない。

 買うのか。その子に。

 

 

()っ……やば、薬)

 

 

 ちょっぴり調子が悪い日なので、隠れてポーチから痛み止めを放った。

 持っていた水を口に。

 ない。

 手が冷たいと思ったらボトルを握り潰していた。

 

 

(ばかーっ! なにやってんのよ私!)

 

 

 幸いミニ水筒がある。こういう時のために備えていてよかった。

 手が滑ってこぼした。

 

(~~~~~~~っ)

 

 だめだ。

 なんだか今日は、だめな日だ。

 

(落ち着け、こんなの大したことじゃない。たまたま悪い日もある。とにかく水を買わないと。ああもう今日に限って)

 

 自販機を探す。まだ普及率は低いけれど、最近は小銭があれば簡単に飲み物を買えるようになった。ありがたい話だ。

 こういう時に限って見つからないことに目をつむれば完璧だったのだけど。

 

「あれー、さっきこっちで買ったはずなのになぁ……」

 

 頭がぐるぐるする。お腹がじくっとする。

 おかしい。いつもはここまでじゃないのに、今日は特段に酷く感じる。

 

 はやくしないと彼を見失う。急がなきゃ。

 

 いや、待て。

 別にもう追いかける必要性もないんじゃないか。

 これ以上は無粋だ。そもそも人の日常を監視する真似がよくない。

 体調も最悪だし、今日のところは帰った方がいい。

 

 見ていられない。見ないほうがいい。そんな状態じゃない。

 今だけは普通でいられないから、もし勢いで割り込んじゃったりしたら、それこそ最悪な女だ。

 

「ふぅー」

 

 でもキツいから、帰る前にちょっと休憩。

 

 

 

「こんなとこで何してんだ?」

 

 背中をなぞられたみたいにビクッと肩が跳ねた。

 今は絶対に聞こえないはずの声が、近くで鈴のように鳴ったから。

 

「大丈夫か? かお、真っ青だぞ」

「ぇ……?」

「ほれ水。買ったばっかだから気にすんなよ。あ、待て。いま開けてやるから」

「あ、ありがとう。って、なんでアンタがここに────」

「ひぃ~~、兄ちゃん足速すぎだって~! てか急に置いてくなし! ケツ叩かれた猪みたいにすっ飛んでいきやがって……ん? あーっ! このまえの超絶かわいいおねーさんじゃん!!」

 

 

 ぜぇぜぇ息を切らして追いかけてきた女の子が、シャーロットを目にした途端いきなり指をさしてきた。

 何がなんだかわからない。瞬きを繰り返すことしか許されない。ぱちくり。

 

 ◆

 

「へぇ~兄ちゃんが言ってた子ってお姉さんだったんだぁ~偶然~! あたしビクトリア。よろよろ~」

「よ、よろ……?」

「お姉さんこの前さ~公園らへんで浮かぶ椅子に乗ってる女の子と一緒にいたっしょ? あの子妹ちゃんよね? も~姉妹そろってちょ~美人すぎて顔みた瞬間一発でわかったん! てかマジ可愛いすぎ。まつ毛なっが。おめめ大っきい。肌ぷるつや髪サラサラ。顔よすぎん? 永世財宝か?」

 

 なぜかテンション爆上げで小鳥のように跳ねながら喜ぶ少女。

 すごいグイグイくる。今までにないタイプだ。とにかく明るい。明るすぎる。

 

 でも嫌な感じは全くしない。どことなく元気ハツラツな小型犬のようで、愛嬌溢れんばかりの無邪気な女の子だった。

 それにまぁ、リリンフィーの魅力がわかる人間に悪い子はいない。

 

「彼女は師匠(ビビアン)のお孫さんだ。色々あって買い物に付き合ってもらっててな」

「彼ピ取ったんじゃないから安心して~! あたし細めのイケメンがタイプだから。ムキムキだとパパみたいで()なん」

「は!? かかか彼ピじゃないんだけど!?」

「マ? 付き合ってないん? うそん。兄ちゃん遠目でお姉さんの不調見抜いてさ、もうズバババーッて感じだったからてっきり」

「つーかその兄ちゃんってなんだよ」

「ビクトリアとヴィクターだから。名前似てんじゃん? だから兄ちゃん。マッチョなのもパパそっくり」

 

 なるほどと首肯するヴィクター。いや納得するのか。

 

「ところでお姉さん名前なんてーの? 教えて教えて~」

「えと、シャーロットよ。よろしく」

「シャロちゃーん! ()~名前! ねね、今度いっしょに遊ぼーよ。服買いにいこー。絶対にあうコーデが無限湧きしてくんの!」

「う、うん、いいけど」

「ほんと!? 絶対だかんね! やくそく! これあたしの連絡先。いつでも連絡して!」

 

 有無を言わさず小さな紙を渡される。かわいらしい丸みのある文字で番号や記号が並んでいた。

 

 おそらく妖精通信(フェイター)と呼ばれる、ここ10年程度で発達したあたらしい通信手段のアドレスだろう。

 妖精が水面をつかって行う独自のテレパス式コミュニケーション技法をモチーフに、叡聖ヴァイスダム・エイブラハムが編み出したマジカルテクノロジーである。

 特定の術式を付与した鏡を用いることで、遠くからリアルタイムで連絡をとれる画期的なアイテムなのだ。

 

 たしか、フォトンパスでも通信は可能だったはず。

 冥脈を利用したゼロ時間大容量通信と妖精通信(フェイター)は少し仕組みが異なるらしいが、扱う波長(チャンネル)を合わせさえすれば応用できるのだという。

 

「あと兄ちゃーん、これ忘れてんぜ。せっかく買ったってのに置いてくなし」

「うわすまん。うっかりしてた」

「いいってことよ。甘いもの奢ってくれたし~シャロちゃんとも会わせてくれたし~今日は最高の日かも! てなわけで、あたしもう要らないと思うから退散すんね!」

「おう、ありがとな。助かったよ」

「う~いお安い御用で~い。シャロちゃんは絶対連絡してよ! してくれなきゃヤだかんね!」

「ええ、明日にでも。約束するわ」

「決まり! にしてもいいな~シャロちゃん。あたしも彼ピ欲しいな~どっかに細めのイケメンおちてないかな~」

「だから彼ピじゃない!」

「にしし。じゃあまたね、ばいば~い!」

 

 

 

 なんだか嵐みたいな子だった。あれは間違いなくビビアンの血を引いている。

 シャーロットはまだビビアンの娘(ビクトリアの母)と会ったことはないが、なんだかんだ濃い人なんだろうなぁと想像。

 

「……んで。なんでこんなとこに居たんだ?」

 

 ぎく。

 

「てかサングラスなんて持ってたっけ? まるで変装してるみたいな格好だが」

 

 ぎくぎく。

 

「なんだ。俺の後でもつけてたのか?」

「は~~~~? そんなわけないでしょこの私が。これはその、偶然居合わせたけど気まずかったから、気付かれないように即席で」

「あやしい」

「というかっ、アンタこそ何でここにいたのよっ! あの子と何してたの?」

 

 ──ああ、もう。まったく本当に嫌になる。

 自分のことは棚上げして、そんな資格も無いくせに、まるで責めるような口ぶりで。

 嫌な女だ。舌を嚙み切ってしまいたくなる。

 

 一転、ヴィクターは図星を突かれたとき特有のすぼませ顔になって、見るからに汗をかき始めた。

 

「あ~、えーっとな、それはな、え──っとな、う────ん…………ええいクソ! 俺にゃ誤魔化すとか器用なマネなんざ無理だ! ほれ」

 

 頭をガシガシかいて、そっぽを向かれながら袋を突き付けられた。

 星雫(アスティア)の袋を。

 包装においても美しく凝られた、品位(ブランド)にふさわしい紙袋を。

 

 

「え。私?」

「他に誰がいる」

「だってこれ星雫(アスティア)じゃん。こんな高いの、なんで」

「本当は明後日に渡すつもりだったんだよ。いや正直にいうとプレゼントにゃ重いかな~って思ったんだがな。でもこのまえ遊びに来た時、店の前で憧れてるって話してたろ? 目ェキラキラさせてたからさ、叶えたくてカッコつけた。やっぱ特別な日にゃ特別なモンじゃないとって」

「特別な日、って」

「決まってんだろ。誕生日プレゼント」

 

 

 まるで遠い国のことわざのように親しみを覚えないものを耳にして、一瞬思考が断線した。

 誕生日。たんじょうび。

 ぷっつり切れていた脳みそが繋がる。

 漂白された瞳に色が戻って、ハッとするように生まれた日のことを思い出した。

 

 

「なんで知ってるの?」

「少し前にリリンフィーから。おねえちゃん絶対忘れてるからお祝いしてあげてってな。その様子だと当たりか?」

 

 そうだ。確かに言う通りだ。完全に忘却の彼方へと葬っていた。

 もう何年も祝ってないし、祝ってくれる人もいなくなったから、とっくの昔に頭から消した。幸せだったころを思い出すと、胸が張り裂けそうだったから。

 今だって現実味がない。ああ言われてみればそうだったな、くらいの実感しかない。

 

「こんな場所で言うことじゃあねーけどよ。……俺はお前が思っている以上に、シャロに出会えて本当によかったと思ってるんだぜ」

 

 なのに。ああ、なのに。

 どうしてこんなに、悶えそうなくらい熱い。

 

「シャロがいなきゃ俺はここに立っていない。きっと、毎日が楽しいとも思えなかった。こんなことで貰った恩を返せるとは思っちゃいねーが、少しでも報いたくてさ」

 

 

 ──思い出した。

 

 彼を目で追いかけるようになった理由。彼に一喜一憂するようになった始まり。

 あの夜。命を狙った一人の少女のために東奔西走した彼のひたむきな姿が、月の影法師のように胸の奥へとやきついた。

 打算も何もなく。ただひたすら実直に、真摯に。

 

 いつもそうだ。彼はいつも、そうやって。

 

「ちょっと早いけど……誕生日おめでとう、シャロ」

 

 

 宿る鼓動は火花を散らして加速する。

 胸の奥の奥、一番深いところまで、抱かれているみたいにきゅうっとして。

 

「本当はサプライズだったんだけどなー。驚かせてやろうと思って。けどブランドとかよく分からなくてさ、欲しがってたやつ間違えちゃいけねーと思って、ビクトリアに教えてもらってたん──どゥおわッ!? なんで泣く!? や、やっぱ重かったか? だだだよな、正直自分でもキモチワリィかなって」

「──き」

「え?」

「すき。だいすき」

 

 止まらない。

 一度言えたら、言えてしまったら、もう止められない。

 

「待たせてごめん。もう逃げたりしない。好きだよ。私も、あなたが好き」

 

 ああ、けれど。燃えそうなくらい耳が熱いから、唇がいうことを聞かないから。

 封をするために彼を()()()

 

 

 

「────」

 

 

 

 一瞬の永劫を植え付ける。

 浅く、ほんの微かな接触。

 なのに薪をくべられたように昂るのは、きっと不十分だからか。

 

「ぇ。おま、今何を────むぐっ!?」

 

 もう一度。

 封じるために、もう一度。

 首に手を回して抱き寄せる。爪先をたてて背を補う。

 交換する熱量は痺れるように甘くて、触れるだけで蕩けるようで。

 

 

「っ、待、シャロ、ストップ、ストップ!」

「やだ」

「ヤダじゃなくてぇっ!?」

「やだもん。やっと言えたんだもん。やっと、応えてあげられたんだもん」

 

 ふわふわする。考えが追いつかない。

 けれど、開放感に似た心地よさが少女を支配していた。

 

 ジクジクと膿むようだった『関係を進めることを恐れる気持ち』なんて、藁の家のように吹っ飛んでいる。

 ずっと待ってくれていた彼が、ずっと想い続けてくれていたことが、嬉しくってしょうがない

 マグマのように込み上がる歓喜の赤熱が、押し留められていた少女へ自由を与え、星を突き破らんばかりに羽ばたかせた。

 

 その結果どうなるか。

 もとより愛情に一直線な少女は、はたしてどうなるのか。

 

「えへへ。好き。大好き。ヴィック。ヴィクター」

「ちょ、落ち着け、落ち着きなさいってうぉお力強ッ!? 嬉しいけどここ公衆!! ショッピングモールのど真ん中ァッ!!」

 

 

 

 ぱちくり。

 周りを見る。

 いつのまにか二人を囲うように人だかりができていた。

 

 にやにやしている衆人。指笛を鳴らす若人。口に手を当てて黄色い声をあげるお姉さんがた。

 ついでに何故か戻って来て「ふぉおおお──────ビッグルァァヴいぇえええええええ──っっ!!」と爆上げのビクトリア。

 

 

 

 

 

「ぴっ」

 

 

 

 

 竜よりデカい声で叫ぶなとは、後日彼の言葉である。

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