「それでは、ルールを確認させていただきますねっ」
日輪の下。館のはずれにある、芝生の庭に彼らはいた。
エマを狭むように対峙する二人の男女は互いを見据え、沈黙と共に仁王立つ。
「お二人に展開された防御魔法のうち、頭部もしくは胸部のバリアを破壊された時点で決着となります。気絶や降参など、わたしが戦闘不能と判断した場合も同様です。攻撃の手段は問いませんが、バリアの強度を向上させる手段は禁止とします! ……よろしいですか?」
「ええ。あなたは?」
「問題ない……んだが、シャロは鎧着ないのか? 流石に生身ってのはどうなんだ」
ヴィクターは簡素なプレートで急所を覆っていた。試合用とでも言うべき、最低限を守ることに特化した防具だ。
一方、シャーロットはそれらしきモノを何も纏っていない。
泉で出会った時と同じ、運動着らしきシンプルな軽装のみである。
「大丈夫よ。エマも言ってたけど、私たちの周りには魔法でバリアが展開されてるもの。限度はあるけど、物理的にも魔法的にも身を守ってくれる障壁ね。普通に痛みは通過するけど」
「なんで痛みだけ……」
「大昔の決闘魔法だからよ。痛覚までなくしたら、勝敗に納得できない敗者が試合後に暴れることがあったらしくてね。それを防ぐために、受けた衝撃から対象者に痛みを植える計算術式が組み込まれたらしいわ」
シャーロットが指を弾くと、互いの皮膚の上をぴったりと覆う、薄光の被膜がぼうっと姿を現した。
どうやらこれが鎧代わりのバリアらしい。頭と胸にはさらに、円盤状の障壁が重ねがけされていた
「このシールドのどっちかを壊されたら負け。分かった?」
再び指が弾かれ、障壁たちは空気へ溶け込むように姿をくらます。
「なるほどな。だがそんな頑強だってのに、なんで俺だけさらに防具を?」
「保険よ。魔力を使えないあなたと私じゃパワーが違い過ぎるもの」
「大事な生贄が壊れちまったら元も子もないからか」
「そういうこと」
シャーロットにとって避けたいのは贄である少年の死、あるいは
願い求めた王の復活の機会をここで失うわけにはいかない。ヴィクターの防具は必然だった。
「にしても、まさか決闘なんて挑まれるとは思わなかったわ。蛮勇だけどその勇気は買ってあげる」
「慢心してると足元すくわれるかもしれねーぜ」
「過小評価なんてしないわよ。一緒に過ごして、あなたのフィジカルの高さは十分理解してるもの」
「そいつは嬉しいね」
ヴィクターは拝借した
同じくして、シャーロットは組んでいた腕を自由に。眼光へ刃の鋭利を宿す。
空気が殺気を孕み、張り詰まっていく。
「最後の警告よ。降参なさい。無暗に傷つけたくないの」
「生贄を取り消すってンなら喜んで両手を上げるけどな」
「……悪いけど無理な相談ね。じゃ、さっさと終わらせてあげる」
流れが変わる。
異変は、シャーロットを中心に
艶やかな深海色の髪が水中のようにふわりと浮かぶ。
群青の
足元から波濤が生まれ、地を伝い、風を伝い、ざわざわと木々を騒がせていく。
ドクン、ドクンと。
魔力の波が、少女の中心に拍を刻む。
徐々に狭まる波の感覚。
連動するように、つむじ風のような空気の渦が、シャーロットの一歩前に姿を現した。
桃の唇は紡ぐ。
魔力を縛る
「『洛陽、
風と共に一点へ掻き集められる、可視化されるほどの黒の魔力。
大気を食い破る荒々しい極小の竜巻は、徐々に棘を剪定され、象られ、姿形を整えられていく。
それは存在を地に根付かせ、ついに産声を張り上げた。
「『剣よ、
終止符と共に、余剰な魔力が風にさらわれる花吹雪のように溶け消えた。
少女はかざす。常闇より迎え入れし純黒の剣を、古傷にまみれた細い五指で握りしめて。
「刮目なさい。『純黒の王』が権能の一端──これが魔剣ダランディーバよ」
柄の端から剣先まで、およそ1メートル。
身の丈160㎝ほどの少女が振り回すにはかなり大仰な、漆黒のロングソードだ。
(シャロが型稽古で使っていたものと同じ……いや、違う! 上手く言葉に出来ねぇが、気迫が段違いだ!)
かつて目撃したものは、ただの棒きれだったのではないかと錯覚させられるほどの魔力圧。
夜より深い黒で造られた剣身には、鳴動する血管のような青い筋が幾条も走り抜けている。それはシャーロットの瞳と同じ瑠璃の光をうっすらと帯び、不気味なまでに輝いていた。
決定的なまでに、あるいは絶望的なまでに、以前とは次元の異なる迫力。
(魔力ってのは、単体じゃ物質化なんてしないと本に書いてあった。あくまで魔法という現象を発動させるための燃料なんだ。どれだけ魔力を絞り出したって、すぐに霧散して消えちまう。だがどう見てもあの剣は純粋な魔力だけで、独立した物質として現れてやがる! これがアーヴェントの……黒魔力の特性ってヤツなのか……!?)
ハンマーを握る手に汗が滲む。
神経が熱を帯び、
気道は酸素を効率よく取り込むため拡張され、鋭敏になった知覚のパルスが、ざわざわと脊髄を突き抜けていく。
(初めて見た時はよく分からなかったが、今なら分かる!
腰を落とし、槌と盾を構え、付け入る隙を封殺する。
生まれた間合いを維持しながら、ヴィクターは少女を牽制しつつ時を待った。
シャーロットは剣を試すように、大気を斜めに一閃した。
青い軌跡が痕となって虚空へ刻まれ、やがて紙に吸われるインクのように消えていく。
満足したように瞼を閉じて。
再び開いた瞳は、星のように蒼かった。
「それでは──試合始め!!」
号令の刹那。末裔の少女は迅雷と化した。
黒の魔力がジェットの如く噴出し、シャーロットの体を砲弾と化す。
人間の動体視力を遥かに超越した加速を伴い、地表をドリルのように削りながら、一息でヴィクターに肉薄した。
「うおァッ!?」
反射神経が喝を入れ、ヴィクターは地に身を投げる。
転がりながらもすぐさま体勢を立て直す。
──はらりと舞い落ちる、前髪だったものの断片。
(速い! 速すぎる! 間一髪だった! あと一瞬でも遅れていたら、頭の障壁は木っ端微塵に破壊されていた!)
疾風は止まらない。少女は一切の容赦をしない。
ヴィクターが思考を回すことすら許さない。絶え間なく迅速に、追撃を叩き込んでいく。
大きく剣が振るわれた。
それはヴィクターを斬り捨てるためではなく、ただ空気を撫でるだけの空振り。
いいや違う。空振りなどではない。
剣の軌跡が意思を持ち、飛ぶ斬撃となって襲い掛かってくるではないか。
「うおおおおおおおおおおおおおッッ!!?」
寸前でかわす。暴力的な風圧が、ヴィクターの横を一息に通り抜けていく。
莫大な衝撃波が発生した。指向性を持ったソニックブームが、風切り音と共に背後の樹木へ叩き込まれ、あまりにも深い一条の傷を刻み込んだ。
バギバギバギッ!! と素手で木を引き千切るような、耳を
「やるじゃない。流石ね、まさか避けるとは思わなかったわ」
二転、三転。
大地を転がりながら距離を取りつつも体勢は崩さないヴィクターは、冷たい汗を夜風へ散らしながら薄く笑った。
「す、すげぇ……! これがアーヴェントの魔法か! はははっ、全くもってとんでもねぇな!!」
「あら、ずいぶん余裕そうね。心なしか楽しそうだし……自分の状況、ちゃんと理解出来てる?」
「ああ、バッチリな! けどよぅ、笑ってる場合じゃねえってのに、余裕なんざこれっぽっちもありゃしねーのに! なんか無性に楽しいんだよなぁ、不思議だ! はははっ!」
「……頭の留め具でも外れちゃったのかしら。自分の命がかかってるのにそんな風に笑えるなんて」
呆れたようにシャーロットは眉間を抑える。
毒気を抜かれる、というべきか。取り巻く状況は生殺権の奪い合いだというのに、まるでチャンバラの延長戦だ。
ペースに呑まれぬよう、少女は切り替える。
これは決闘。
「ところで私ばかり注目するのはいいけど、足元にも気を配った方がいいんじゃない?」
ハッとするように、ヴィクターは瞳を下げて。
しかし既に、異変の起爆は始まっていた。
ヴィクターの陰。足元の地面が異様な盛り上がりを見せ、今にも噴火せんばかりのマグマのように膨張しているではないか。
爪先から頭頂まで電流が駆け昇るように、ヴィクターの全神経が警報を散らし。
「私の手札がダランディーバだけだと思った?」
パチン、と。
しなやかな指が、乾いた音響が紡ぎ出して。
「『
それは魔たる
少年が距離を稼ぐより速く、大地が内から爆発した。
「がッッッッァああああああああああッッ!?」
咄嗟に小盾と槌で急所を守る。だが網目を潜るように、打ち出された小石の
障壁に守られ、物理的なダメージは無い。だが払うべき対価は変わらない。
鋭く、重く、筆舌に尽くしがたい激痛が全身を貫いた。
「これでもまだ笑ってられる!?」
シャーロットは待たない。ヴィクターの回復を優しく見守るなどしない。
ふたたび魔力のジェットを纏い、須臾の間に距離を圧殺する。
瑠璃の軌跡を空気のキャンバスへ描きながら、熾烈な斬撃を縦横無尽に叩きこんだ。
少年の反射神経がフルスロットルで回転した。
精密に小盾を振るい、迫る刃の側面を殴りつけて軌道を逸らしながら威力を殺す。
絶対に急所だけは──バリアだけは穿たれぬよう、紙一重の回避を幾度となく繰り返す。
(こ、こいつ……やっぱり強ぇ! 魔力だけじゃねぇ、ひとつひとつの動きが洗練され過ぎている! 一朝一夕で身に着くもんじゃない! やっぱりシャロの努力は本物だ……! 一撃いなすたびに腕ごと持ってかれそうになるこの重みが、俺に教えてくれる!!)
「へぇ、まだ笑顔でいられるんだ。でも下手に耐えると辛いわよ。早く降参してくれた方が、私としても嬉しいんだけど──ねッ!!」
斬撃三閃。
いなす。
久遠のような攻防が、無窮の如く広がった。
(なんてパワーとスピードだ、つけ入る隙なんて全然無い! 距離を取るための一息すら潰される! おまけに一撃一撃が必殺級! 一瞬でも気ィ抜いたら即終了ってか!)
「この私に喰らい付くなんて、さすが陛下が認めただけはある! けれど防戦一方で私を倒そうなんて、
(直接ガードしたら駄目だ、まともに受け止めちまえば盾やハンマーごとぶっ壊される! すべて逸らせ! 機を伺え! その一瞬が訪れるまで、極限まで全神経を集中させるんだ!!)
シャーロットは強い。想像の何倍も、何十倍も強い。
そんなの当たり前だ。だって彼女は、ヴィクターと出会う前からずっと努力を重ねてきたのだから。
うら若い少女がこれほどの強さを手に入れなければならなかったその背景に、背負う気高さと覚悟が、ありありと映し出されるほどに。
もはや頼れるものは、記憶なき肉体に根付く戦いの心得と、魂に刻まれた野生の勘だけだ。
もちうる武器を最大限に駆使して、ヴィクターは少女の猛攻を凌ぎ続けた。
ヴィクターがもし
巨人が金属の塊を殴りつけたかのような轟音が絶えず耳を
薄皮一枚の防御を根性論で繋ぎ合わせ、いつ訪れるかも分からない隙が生まれるのを、ひたすらひたすら耐え忍んで待ち続けた。
「やっぱりただの人間じゃないわね! ズブの素人が身体強化した
「一番知りたいのは俺だっつーの! というか
「そのくせお喋りに割く余裕はあるじゃない! 陛下が贄と認めたその資質、悔しいけど敬意を表してあげる。──ええ、だからこそ! これで終わりにしましょう!」
純黒の少女は大きく右手を振りかぶり、魔法をもって腕力をさらに
青黒い稲妻が炸裂した。バチバチと空気が弾け、シャーロットは羅刹と化す。
ヴィクターの脳天めがけて、動体視力で捉えられぬほどの一撃を見舞い────―
その一瞬を。
必殺の念が籠められた、壮絶で絶大な大振りを。
無銘の贄は、今か今かと待ち望み続けたのだ。
「ふんッッ!!」
「!?」
必殺の剣に呼吸を合わせ、
ほんの数ミリ違えれば、痛恨の一撃をもって勝敗を決した刹那の僅差を、正確無比に穿ち抜いた。
結果、刃は軌道を逸らされ肩に着弾する。
「あなた、何を────!?」
本来ならば肩ごと腕を斬り落とされるほどの一撃。
バリアのお陰で肉体的な損傷は最小限に抑えられたが、殺しきれなかったインパクトは痛烈な破壊を生んだ。
めり込む刃。バギバギバギッ!! と肉体の破壊を告げる生々しいまでの感触。
喉が裂けんばかりの絶叫を吐き出しそうな激痛が、一片の躊躇もなく襲いかかってくる。
しかし、
むしろその手は勝機を掴んだ。
ヴィクターの闘争心に、一迅たりとも揺らぎは無い。
髪の毛一本の差を見極め、尋常ならば耐えることなど叶わない苦痛を忍んだ先で。
ヴィクターは
「だらァッッ!!」
「あぐッ!?」
シャーロットの脳が揺れる。魔力障壁に稲妻状の亀裂が走り、淡い魔力の光が明滅した。
視界に星が瞬き、意識がぐわんと揺れ動く。
鈍い痛みが真菌のように根を張るが、しかしそれで彼女の思考は止まらない。
反旗を翻されてなお、シャーロットの双眼は戦況を捉えていた。
破壊されたはずのヴィクターの腕が、どうして武器と成りえたのか。
そのトリックを、その答えを、燦然と映し出していたのだ。
新緑に瞬く発光があった。
ダランディーバで砕かれた左肩から舞い踊る粒子があった。
見れば肩の服下から、小汚い布袋の破片が覗いている。
そこから謎の光がベールとなって患部を包み、出血を、創傷を、目を見張るほどの速度で再生させているではないか。
治癒の魔力。成育と再生、調和の力を持った生命波動の煌めき。そして仕込まれた癒しの術符。
それが左腕を再生させた、手品の正体だった。
「魔法って、便利なもんだよなぁッ……! 魔力と術符さえあればよォーッ!! 俺でもこうして、傷を治すことだって出来るんだからなァーッ!!」
「そんなのありえない! 魔力のないあなたがどうして魔法を────」
刹那。シャーロットは雷に打たれるように理解した。
魔力を持たないヴィクターが魔法を使うには、外部から調達することが必要不可欠。ならばその供給源は?
エマか? いや違う。アーヴェントの魔力はそう単純ではない。アーヴェントじゃないヴィクターには扱えない。
ならば、答えは一つ。
眼前に広がる森の住人。すなわち精霊である。
「魔力だけなら
「────」
否。シャーロットはヴィクターの行動を予見していた。
魔法を扱えないヴィクターがアーヴェントに勝つ。それはあまりに無謀な勝負と言える。
武器を持った兵士に素手で挑むようなものだ。たとえ身体能力が高かろうが、越えられない壁は悠然と存在する。
その壁を打ち壊す手立てがあったからこそ、ヴィクターは決闘を申し込んだ。そう考えるのが道理だ。
だから予想はしていたのだ。何かしらの
大方、森の精霊から魔力を抽出し、館の図書室から得た知恵で、魔法道具でも作成してくるだろうと。
そう。ここまでは予想通り。
だがその搦め手が、こうも無謀な玉砕特攻と誰が予測出来ようか?
武器への
それがどうだ。あえて痛打を喰らい、その傷を癒し、反旗を翻すなど正気の沙汰ではない。
覚悟を決めていたとしても、腕をもがれるほどの痛みを容易く受け入れる人間なんて存在しない。
けれど、ああ確かに。
そんな苦肉の策をあえて展開してきた意味を、シャーロットは文字通り身をもって理解した。理解せざるを得なかった。
──
人を驚かせる鉄則は、予測を完膚なきまでに破壊すること。
この男は己が身を犠牲にすることで、圧倒的格上であるシャーロットの虚を突かんと打って出たのだ。
それもたった一度限りの、ほんの一瞬ばかりの、小さなスキマを穿つために!
「あなた、なんて馬鹿な真似を──がッ!?」
「だァァああああああああああらッしャァああああァァァァ────ッ!!」
無謀にも等しい賭けは、確実な転機を生み出した。
動揺は精神に余白を生み、現実世界へ隙となって反映される。
ヴィクターはこの機を逃さんと、シャーロットの脇腹へ渾身の打撃を振り抜いた。
障壁は身を守るが完全ではない。屈強な肉の鎧に覆われた腕から放たれる槌のインパクトは、少女の体を
唾が弾けて地を濡らし、シャーロットは苦悶を滲ませる。
一撃では終わらない。二度、三度、同じ箇所を狙って正確に打撃を命中させてくる。
猛攻の中でも、確実に頭と胸だけは守り抜く。
最初にもらった一撃で頭のバリアは半壊だ。これを死守せねば、シャーロットの敗北は必然と化す。
普通ならあまりの痛みにのたうち回るほどの乱打を、精神力で絶え凌いでいく。
「しぃッッ!!」
シャーロットも易々と倒れはしない。
独楽のように身を翻したかと思えば、剣を持たない左腕を振るって、ヴィクターの頭蓋へ裏肘を叩き込んだのだ。
間髪入れず足が飛ぶ。およそ華奢な少女のものとは思えない熾烈な蹴りが男の
一転攻勢、斬撃三閃。
ヴィクターもすかさず急所を守る。だが手足と腹に、無視し難い切り裂かれるような痛みを植えつけられた。
歯を食いしばり、体勢を崩すまいと踏ん張りきる。
さらに飛んできた魔剣を槌で弾き、飛来する礫の雨を身を捩じってかわすと、小盾でシャーロットを突き飛ばし一次戦線を離脱した。
互いの乱れた呼吸が、静謐に流れる唯一無二の音楽となる。
ヴィクターは噛み締めすぎて血の混じった唾を吐き捨てる。シャーロットは切れた唇から伝う赤を指で拭った。
「存外っ……やるじゃない……! 想像以上よ、褒めてあげる。やはりあなたは王の贄に相応しい」
「そいつはどーもよ……けど……それはもう叶えられねぇ期待ってモンだ」
にぃっと歯を剥き、悪戯小僧のようにヴィクターは笑う。
指先は、己が腰元を指していて。
誘われるように、シャーロットは自分の腰に視線を落とした。
身に覚えのない瓶がベルトに括りつけられていた。
調味料を保存するための、何の変哲もないただの小瓶。
違う。
内部に赤熱したエネルギーが充填され、抜きたての心臓のように鼓動を繰り返しながら、密閉された容器の中で熱量を膨張させている。
炎属性の魔力。
他の魔力と異なり、ほんの僅かな量で莫大なエネルギーをもたらす魔力の焔。
悟る。
なぜヴィクターが、シャーロットの頭や胸ではなく、脇腹を執拗に狙い続けていたのかを。
意識を誘導し、反対の腰元へ軽業師のように爆弾を仕込むため。
攻撃を予測され、反撃を貰いかねない急所を突くよりも確実に、シャーロットを倒せる『罠』を選んだのだ。
瓶に走るは、蜘蛛の巣状に張り巡らされた亀裂の影。
圧縮された爆熱が、器の限界と共に解き放たれて、
「足元注意──いや、
「──ッ!!」
瞬間。
夜を食い散らかすほどの爆発が、容赦なくシャーロットを呑み込んだ。
◆
ヴィクターは咄嗟に身を放り投げ、大地へ平伏し頭を庇う。
熱波と砂塵、全身の細胞を振るわせるほどの大爆発が、周囲一帯へ放散した。
「お姉様っ!?」
エマの悲鳴が響き渡った。
しかし立ち昇る黒煙は、無情なまでに揺蕩い踊る。
ゼロ距離からの魔力爆発。バリアを加味したとしても、無傷では済まないだろう必殺の一撃。
それを。
「…………認めましょう。私はあなたを侮っていた」
それをまともに喰らいながら。
なお、少女は立ちはだかった。
「魔力を持たない、魔法を使えない身で、アーヴェントをここまで追い詰めたあなたに無上の称賛を。この痛みと傷は、私の傲慢に対する戒めと受け取るわ」
無傷ではない。
爆発は間違いなく、シャーロットの華奢な体躯を蹂躙した。
しかし、頭と胸のバリアは未だ健在。
あの一瞬、あの刹那で。
シャーロットは爆発の威力を、魔法をもって受け流していた。
「なんてヤツだお前ッ!?」
「ぜぇあッ!!」
煙幕を切り裂く稲妻があった。
音も無く、前触れもなく。ただ静謐に硝煙を穿ち、シャーロットが迅雷となって肉薄した。
「う、おッ!?」
速い。
先の攻防よりも、ずっとずっと速く鋭い。
この一撃で決着をつけるつもりだと、冷や汗を散らしながら悟る。
ならばと防御に徹する。左手に装着された小盾を振るい、魔剣を殴ることで斬撃を弾き飛ばす。
──それは成功したはずだった。
「!? 消えっ」
シャーロットの姿が視界から消えた。
濃霧に紛れた羽虫の如く、ふわりと煙に巻かれたのだ。
振るわれた小盾が虚空をむなしく空ぶって、それは残像だったのだと認識する。
刹那。ヴィクターの手にあったはずの槌が宙を舞った。
恐るべき速度で振り抜かれた魔剣が、ヴィクターの武器を吹っ飛ばしたのだ。
「────」
ヴィクターの胸のバリアを貫かんと、切っ先は既に放たれていた。
武器を失った。
防御は不可能だ。間に合わない。
この盤を覆す手は、どこを見たって見当たらない。
搦め手は通じず、正攻法などもってのほか。
ならばこれは、当然の結果と言える。
そう。当然の結果だ。
仕掛けた策を踏破され、敗北の袋小路に追い込まれるのは規定事項だ。
「──そうだ。俺はお前に勝てない。真っ向からの勝負じゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもないと言っていい」
にぃっ、と白歯を覗かせる、獣のように獰猛な笑み。
「悪ィが勝たせてもらうぜ! 泥臭く、みっともなく足掻いてでも!!」
ヴィクターは守りを取らなかった。
むしろ逆。あろうことかヴィクターは、迫りくる剣に向かって大きく一歩を踏み出したのだ。
まるで自らその身を捧げ、串刺しになろうとするかのように。
「捨て身のハッタリが二度も通じると思った!? 舐めるなッ!!」
虚を突かれたシャーロットは、しかし一切の動揺なくそのまま刃を穿ち抜ける。
今度は油断しない。たとえ捨て身だったとしても、それ以外の小手先だったとしても、そのまま切り捨てる勢いで。
しかし、たった紙一重がとどかなかった。
放たれた必殺を、ヴィクターは身を捩じりきるように回避したのだ。
──だからどうした。
かわされたから終わりではない。シャーロット・グレンローゼン・アーヴェントはそこまで軟弱な修練を積んでいない。
恐るべき速度で刃を返す。およそ肉眼ではとらえきれないほどの勢いで、影を縫うヴィクターを両断にかかる。
同時に魔法を発動。無詠唱ゆえに不完全ではあるが、土と風の弾丸を招来する。
逃げなければ切り裂かれる。逃げても魔法に削ぎ落される。
もはや退路も進路もない。
敗北以外に、ヴィクターが生きる道は無い。
「ハッタリ? そいつは見当違いってもんだぜ」
否。
ひとつだけ、活路を拓く術がある。
ヴィクターは姿勢を極限まで落とし、タックルのように真正面から激突した。
刃の懐を潜り抜け、シャーロットをがっしりと抱き留めたのだ。
「やっとこさ、
腕に抱かれ、男の豪気な笑みがシャーロットの瞳に大きく映る。
反射的に引き剥がそうともがくが、石像に組み付かれたようにビクともしない。
力を入れられないよう、関節を抑え込まれていた。
「この期に及んで何をっ……!? こんなことしても私は降参なんかっ!」
「ああそうさ、これで勝とうなんて思っちゃいねぇ。こんなちっこい体してる癖に俺より怪力で、素早くて、おまけに魔法なんてトンデモ技まで使いやがるヤツだ。たった一つの作戦で勝てるなんざ、端から思っちゃいなかったさ!」
バキッ──と、硝子が踏み砕かれるような音。
発生源は下。ヴィクターの足元より届けられたそれは。
靴と大地に挟まれ、ひび割れている
眩い雷魔力の輝きが、今にも溢れ出さんと燻る小さな瓶が。
「ま、さか」
緊急事態を前に、少女の脳は、処理能力を爆発的に向上させる。
シャーロットの中を流れる1秒が、極限にまで緩められた。
──魔力爆弾の本当の目的は、シャーロットの撃破などではなかったのだ。
むしろ真のフェイクとは、あの爆弾そのもの。
爆発で注意を逸らし、巻き上がる砂煙で視界を奪い、その隙に彼は雷の魔力を凝縮させた瓶を地雷のように仕掛けていた。
シャーロットが確実に首を獲らんと突っ込んでくることも予測して、追い詰められたフリをしながら定めた位置まで誘導し、弾かれたと見せかけて武器を手放した。
奥の手も破られ、万策尽きたと、シャーロットに刷り込むために。
「お前の一番厄介なところは、その出鱈目なスピードと隙の無さだ! 三文芝居を打ってようやく一撃くれてやれるかどうかってくらいの堅牢さだ! 普通のやり方じゃお前のバリアはぶち壊せねぇ。──だがよ、こいつならどうだ!? 俺の体ごと魔力の電撃を浴びせるって方法なら!! 流石のお前も避けようが無いんじゃあねぇかッ!?」
「気でも狂ったの!? そんなことしたら自分のバリアも木端微塵に────」
言いかけて、気付く。
頭と胸。勝敗を決するふたつのバリア。
ヴィクターとシャーロット、果たしてどちらの方が損壊している?
──追憶。
初めて反撃を貰った時。
予想だにしない逆襲にあった時。
あの時、渾身の一撃をこめかみに喰らっていたのはシャーロットの方だ。
「まさかあなたっ、あの時から既に!?」
全てはシャーロットという超人を欺くための盛大な小芝居。
かくして芝居の閉幕は、この瞬間をもって成し遂げられる。
「離しなさい、このっ!!」
「悪いが出来ねぇ相談だな! ちィとばかしブッ飛んで貰うぜ。なぁーに、二人一緒なら怖かねぇだろう!?」
一際強く、ヴィクターは瓶を踏み抜いて。
刹那。
またたき昇る輝きの柱は、まるで天を目指す龍のようだった。