銘無しの贄の英雄譚   作:河蛸

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8.「逆転。暴走の覚悟」

「ぶぁはッ!? げほっ、えほっ! ぐぅお、おお……!!」

 

 もんどりうって地を転がる。

 無理もない。雷撃で身を裂かれたのだ。

 肉体的損傷は魔障壁のおかげで抑えられていようと、透過された身を裂くような重苦は筆舌に尽くしがたいもの。

 あまりの激痛に呼吸すら忘れ、体を動かすことすらままならなかった。

 

「くそ……ば、バリアは……よし、よし、破れてない。ヒビは、入ってるみてぇだが……計算通りだな……!!」

 

 顔や胸に触れ、障壁が健在なのを確認する。

 雷魔力の爆弾には、一撃でバリアを破るほどのパワーを内包しなかった。そんなことをすれば双方のバリアが壊れて引き分けになってしまう。

 だからこれでいい。頭の障壁が半壊だったシャーロットは、間違いなく壊れているはずだ。

 

 どう見積もっても、勝敗は決した。

 

 

「………………おい、冗談だろ」

 

 決したはずだった。

 君臨する少女の姿を、その眼に映すまでは。

 

「頭のバリアが壊れてねぇ!?」

 

 シャーロットは立っていた。

 頑強なヴィクターすら痛みに悶え、昏倒しかけたほどの雷電をまともに喰らいながら、剣を杖のように突き刺し、崩れ落ちるの辛うじて防いでいた。

 それどころではない。破壊されたはずのバリアまで、生き延びてしまっているではないか。

 

「はぁーっ、はぁーっ、かひゅ、ぅ、ぐ、く、ううぅっ……!」

 

 決して無事ではない。ダメージはある。

 むしろヴィクターより甚大だ。

 

 体が小刻みに震えている。(そで)(すそ)は裂け、露わになった白い肌を侵す火傷が見えた。

 右頬には樹状に張りめぐるミミズ腫れ。電撃が皮下の血管を破裂させた時にできる独特の創傷だ。

 濡れ烏のようだった髪は乱れ、目尻や鼻から赤黒い血潮が這っている。鬼気迫る形相のシャーロットに、もはや目を奪われるほどの端麗さは見当たらない。

 

(──いやまて、火傷だと? ありえねぇ、バリアがある以上、生傷なんて負うはずがない!)

 

 決闘前から入念にエマと打ち合わせたのだ。あの爆弾のパワーでは、たとえ半壊状態だろうとバリア越しに体を傷つけることは無いはずだ。

 事実、ヴィクターは無傷に等しい。痛みだけを透過させる魔法のお陰である。 

 なのにシャーロットは、まるで雷をそのまま浴びたかのような重傷を負っていた。

 

 仮説が芽吹く。

 シャーロットは傷を負い、バリアは無事というこの状況は。

 本来なら魔障壁が受け止めるはずの衝撃を、シャーロット自身が肩代わりしたかのようだと。

 

「お前ッ……!! バリアを壊されて負けないために、わざとその身で喰らったってのか!?」

「……純粋な魔力が引き起こす作用なら、魔法でどうにでも指向性を操れるのよ。一瞬の出来事過ぎて外に散らしたり出来なかったし、私が受け止める以外に方法は無かったんだけどっ……ぜひゅ、は、ぅく……捨て身の覚悟は、お互いさまってわけね……!」 

 

 シャーロットは魔剣の柄を握る両手に力を籠め、全力を振り絞って上体を持ちあげた。

 満身創痍を思わせる困憊(こんぱい)。にも関わらず、凛と仁王立つ不屈の姿は、もはや王威すら感じられるほどの威風に満ちていた。

 

「私は負けない……! 負けられない……!! 絶対にッ……負けるわけにはいかないのよッ!!」

 

 止まない喘鳴を奏でながらも、断固として崩れぬ意志。

 己を鼓舞する言葉を零し、一歩ずつ迫る姿は修羅の如く。

 

 覚悟。それはまさしく、覚悟という執念を焚き上げる鬼であった。

 けれど決して、醜いと切り捨てることの叶わない、眩しいまでの覚悟の体現だった。

 美しいとさえ思えるほどの、金剛の如く気高き覚悟。

 

「……なんて清々しいやつだお前は。俺を生贄にするなんて言い分には納得できねぇが、その覚悟には敬意を表さずにいられねえ」

 

 譲ることの叶わない芯を貫くために、精神力だけで雷撃を耐えきったその覚悟を、どうしても卑下することができなかった。

 ならば、ヴィクターの応えはただひとつだけ。

 全身全霊をもって、この戦いに決着をつけるのみ。

 

「だァァらッしゃああああああああああああああッッ!!」

「ぜぇええあああああああああああああああああッッ!!」

 

 雌雄、咆哮。

 女は限界を越え、魔剣を稲妻の如く一閃する。

 男は槌を手に、あらん限りの全力をもって迎え撃つ。

 

 

 ──終結は須臾の間に到来した。

 

 

 双星がぶつかり、ひとつは堕ちた。

 硝子が砕けるような音。散って空に溶ける薄紫の破片たち。

 放たれた決着の一撃が、頭顱(とうろ)の障壁に絶命をもたらした。

 

「……私を恨みたければ恨みなさい。怨嗟を吐きたければ吐けばいい。あなたにはその権利がある」

 

 気高く、強く、燦然たる勝利を掴み取ったのは。

 その血に王威を継ぐ末裔──シャーロット・グレンローゼン・アーヴェントだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

「づ、ひゅふ、うう……」

 

 完全に沈黙したヴィクターを見届けて、シャーロットは魔剣を地面に刺して寄りかかり、片膝を崩しながら座り込んだ。

 激しく肩で息を切らす。

 ポタポタと大地を篆刻(てんこく)する血の雫を指で拭って、ぎゅっと拳を握り締めた。

 

 掴んだのは勝利の実感──ではない。

 

(情けない……! 何よ、この体たらくっ……! 魔法を使えない彼を相手に……げほっ、ここまで追い詰められるなんて……!)

 

 シャーロットは日々研鑽を積み重ねてきた少女だ。

 アーヴェントとして相応しくなれるよう、何年も何年も己を磨き続けてきた。

 休んだ日なんて一度もない。家族を焼かれ、幼い妹を失った日から、足を止めたことなど一度もない。

 

 そんなシャーロットが、記憶を失くした男に一歩手前まで消耗させられた。

 己の非才を噛み締める。アーヴェントのため、矜持を破ってまで無辜の彼を生贄にすると決めたのに、情けなくてしょうがない。

 まだまだ理想にほど遠いと、さらなる覚悟が、心へ根を張るように植え付けられていく。

 

(強かった。彼は、ヴィクターは間違いなく強かった。純粋な身体能力だけじゃない。咄嗟の判断力も、決して折れることのない闘争心も、戦いの流れを読む眼力も、全部、ぜんぶ、強かった)

 

 魔法を使えないヴィクターから見たシャーロットは、一回りも二回りも強大な怪物だったはずだ。

 それに臆さず勝機を導き、あと一歩のところまで追いやった恐るべき手腕。

 認めざるを得ない。間違いなく、ヴィクターは『純黒の王』へ捧ぐに相応しい強者であった。

 

(それに……疑問も確信に変わった。どうして彼が決闘なんて申し込んだのか。切り札の出所はどこだったのか)

 

 最初から半信半疑ではあったのだ。

 大きすぎるハンデを持つ少女を相手に、なぜこうも正々堂々と対決する選択を選べたのか? 

 そのハンデを埋めるアイデアは、本当にヴィクターがひとりで編み出したのか? 

 

 ヴィクターには疑いようの無い才覚(センス)がある。記憶を喪ってなお、アーヴェントに喰らいつくほどの恐るべき潜在能力が。

 ()()()()()()()()()()()()()()、きっとシャーロットもここまで苦戦することは無かったはずだ。

 

 彼はまるで、シャーロットの動きや魔法の癖を最初から知っているかのようだった。

 だからこそ、身体強化を発動させたアーヴェントにあそこまで対応できたと言える。

 

 魔法爆弾もそうだ。魔力を扱う心得も無い素人が簡単に作れるような生易しい道具ではない。一歩間違えれば自分を危険に晒してしまう。

 それを実用可能なレベルまで持ち上げたのは、本当にヴィクターの独断か? 

 

 ありえない。

 どう考えても、たった独りでは不可能だ。

 

「お姉様、こちらを! 薬です!」

「……ありがとう」

 

 かたわらに駆けつけ、気を失ったヴィクターに手当てを施していたエマは、懐から薄緑色の液体が入った小瓶を姉に手渡した。

 受け取ったシャーロットは中身を一息に飲み干し、深く瞳を閉じる。

 魔力の輝きが体を包み、肉体の修復が始まった。

 

 これは治癒力促進剤だ。

 腕や足をもがれるような重傷でなければ、アーヴェントの類稀な再生能力を更に向上させ、目まぐるしい早さで傷を塞いでくれる。

 

 乱れていた呼吸は徐々に整えられ、痣や火傷が薄まっていく。

 ぼやけていた視界が定まって、エマの顔もよく見えるようになった。

 

「……エマ、あなたね? 彼に入れ知恵をしたのは」

「…………はい、その通りです。ヴィクターさんに決闘なんて無茶なお願いをしたのも、魔力爆弾の作り方を教えたのも、全てわたしです」

 

 エマは誤魔化すこともしなかった。

 見透かされていると、自分を見つめる瞳で十分知った。

 しかしシャーロットから返されたのは叱責ではなく、むしろ理解を示す言葉で

 

「裏切りなんて言わないわよ。理由はわかってる。私を止めるためなんでしょう? アーヴェントじゃない彼が礼式に則った決闘で私を倒せば、それで止まると思ったから。ちがう?」

「っ! ……だったら何故!? そこまで分かっているのに、自分でも間違っていると気付いているのに、どうして!? もう、もう見てられないんです! たとえ陛下を復活させたとしても、罪の無い彼を生贄にした事実はお姉様の心を蝕んでしまう! もう体は限界なのに、心まで冷たくなっていくお姉様なんて見たくない!」

 

 張り裂けるような訴えだった。

 お願いだからもう止めてくれと、これ以上はあなたが無理だと、なにより無関係の少年を巻き込むなんて間違っていると、慟哭のような嘆願(たんがん)だった。

 

「お姉様、エマはもう大丈夫です。昔みたいに、お姉様に守ってもらわなくてもいいんです。もう頑張らなくたっていいんです。これから先も二人で、静かに暮らせていければそれでいいじゃないですか……! だからお願い……もうやめて! これ以上自分を傷つけないで! お姉様のためにも……ヴィクターさんを……解放してあげて……!」

 

 縋りつき、零れる涙をそのままに、エマは心の底から訴える。

 けれど。

 

「ごめんね、エマ。私には無理なの。ただただ静かに暮らして、時を流れるように生きていくなんて、もう私には出来ないのよ」

「どうして!?」

「あなたはまだ小さかったからね。記憶が曖昧で、実感が薄くても仕方ない。でも私は……家族が焼かれた日を、リリンを失った夜を忘れた日なんて一度もない。頭に焼きついて離れないの。何も悪いことなんてしてないのに、理不尽に命を奪われた家族の無念を、そのままにしておくなんて出来っこない」

「だからってお父様やお母様が、ましてやリリンが、お姉様に人殺しの咎を背負わせてまで無念を雪いでもらおうなんて、望むわけないじゃないですか!!」

「ええそうよ。家族も従者も望まないでしょう。そんなの最初から分かってる」

「だったらっ」

「私が許せないからよ」

 

 鋭く、強く。

 シャーロットは、エマの説得を切り伏せるようにそう言った。

 

「こんな辺境の島に追いやられた先祖の無念を、理不尽な運命に弄ばれた家族たちの嘆きを、ぜんぶ無かったことにして、土の下に葬っておくだけなんて許せない。それを忘れて自分だけのうのうと生きていくなんて私には出来ない。私がアーヴェントである限り」

「お姉……様……!」

「……あなたにも辛い思いをさせるわね。ごめんなさい。でも私は止まれない」

 

 シャーロットも自分で理解している。これは妄執に等しい過ちだ。

 無関係の少年を巻き込んでいいわけがない。ましてや人の命を、己の都合で奪うなんて正しいはずがない。

 けれど、綺麗ごとで終わるならとっくの昔に選んでいた。

 

 汚れる覚悟は出来ている。例え家族の意志に反しても、シャーロットは決して意志の灯火を曇らせない。

 それが家族への弔いという根底に矛盾していると、自分自身でも自覚しながら。

 

「彼を運んであげてちょうだい。私は少し休んでから行くわ」

「……わかりました」

 

 渋々承諾して、エマは少年を抱えると館の方角へ姿を消した。

 

 残されたシャーロットは、草原に寝転がって空を見る。

 雲一つない快晴だ。キラキラと輝く太陽が、睫毛に引っ掛かるように眩しい。

 

「あいたた……まったく、とんでもない真似をする男ね。本当に何者なのかしら」

 

 独白が、そよ風と共に空へ吸い込まれていく。

 

「湖から現れた記憶喪失の男。アーヴェントじゃなきゃ使えないポータルを通らずに島へ現れたなんて、本当はすごくすごく怪しいはずなのに……不思議と、信用できる」

 

 胸の内を吐露するように、シャーロットは誰に聞かせるわけでも──否。誰にも聞かれたくないからこそ、孤独に心中を吐き出した。

 

「アーヴェントは負の歴史の生き証人。千年たった今でも、無暗に名を明かすものではない……って昔おじいちゃんが言ってたっけ。ずっと心に留めてたはずなのに、彼にあった時、どうして喋っちゃったんだろう。まるで大切な人と再会したみたいに、ポロッと口から零れて……」

 

 出会って間もない彼に、それも水の中から湧いて出たあからさまな不審人物に、自ら名を明かしてしまった違和感。

 その行動に何の疑念も抱くことは無かった。それが至極当然とでも言うかのようだった。

 

 不思議だ。

 あの記憶も名前も無い謎の男は、不思議で満ち溢れている。

 出自も、底知れない潜在能力も、どうしてあんなに心を許せるのかも。

 

「っ……頭が、痛い」

 

 そして、ヴィクターと出会ってからたびたび訪れるようになったこの頭痛も。

 

 普通の痛みではない。まるで脳の奥にかけられた錠前を無理やりこじ開けられるかのような、他に経験の無い感覚があるのだ。

 それと同時に、霞がかった映像のようなものが脳裏をよぎる。

 

 日光で焼けた絵画のように不鮮明なナニカ。

 思い出せそうで思い出せない……そんな記憶が海の底から浮かび上がってきているような、曖昧模糊な感覚。

 

 頭を振って靄を払う。

 時間が経てば落ち着くと知っているから、シャーロットは瞼を閉じて息を吐いた。

 

「しっかりなさい、シャーロット。彼はアーヴェントの最後の希望、王に捧げる贄。手を汚す覚悟なんて、とうの昔に決めたはずでしょう」

 

 握り拳の甲を額に当てる。

 コツン、と浸透する幽かな音は、まるで日輪へ誓いを捧げるかのようだった。

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