今、高嶋友奈の前には紛うことなく
概ね千景のそれを踏襲しつつ、少年に合わせて有り合わせの布地を無理矢理縫い合わせたような、急場凌ぎと表現するしかない勇者装束を纏った少年が其処にいるのだ。
「どうして────?」
受け止められていた。
完全無欠に受け止められていた。
ほんのちょっとでもつつかれたら倒れてしまいそうな程ボロボロな少年が、確かに友奈と手を重ねたのだ。
現に友奈のガントレットに覆われた五指は、少年の指抜きグローブを嵌めたそれと絡み合っている。
どうあっても否定しようのない現実だが────それ故に恨めしい。
「なんで、変身しちゃったの……?」
友奈の問い掛けはあまりにも悲痛で、切実だった。
今にも決壊しそうな己をギリギリの所で抑え、決意と使命感だけを支えに両足を突っ張る悲壮な少女の姿が其処にある。
絶対に、この場で膝を折る訳にはいかないのだ。
なぜなら────
「勇者に変身するって事は、バーテックスと戦わなきゃいけないって事なんだよ?」
「分かってる」
「ううん、分かってない。キミはぐんちゃんの気持ちを分かってないよ」
勇者に変身する事が何を意味するのか、少年は理解していない。
仮にだ。
仮に少年が千景の心を救って、千景が少年と共に再び歩み出せたとしよう。
だがその先にあるのは残酷過ぎる現実である。
実際に変身してしまった以上、人類を守る為なら恐らく
「……死んじゃうよ、これじゃ」
激しさを増す戦いの中にマトモな訓練を受けていない少年が今更参戦した所で、待ち受けているのは当たり前のような「死」だ。
況してや片目が見えないというハンデを抱えた人間を戦わせるなんて、友奈は大社の正気を疑いすらした。
これでは重傷者に貧弱な武器だけ持たせて戦地へ送り込むようなモノだ。
それは少年に「死ね」と言っているに等しい。
そして言葉通りに少年が死ねば誰が悲しむのか、この場に集った3人こそよく理解しているだろうに──
「ぐんちゃんを悲しませるつもりなの?」
「僕は死なないし、千景も助ける。その為に僕は此処にいるって、友奈も分かってる筈だ」
「キミこそ……!ぐんちゃんを勇者に縛り付ける事が1番良くないって、『勇者』が全部悪いってどうして分からないの!?」
千景は勇者などと言うおぞましい役目に呪い殺されるべきではない。
それが友奈の偽らざる本音であり、己に立てた誓いだ。
勇者が優しい千景を狂わせた。
勇者が千景の忍耐を越えさせた。
勇者が少年に無茶を強いた。
それが友奈にとっての全てなのだ。
今や友奈にとって勇者は忌むべき名ですらある。
なるべく遠ざけて、2人の記憶からも消してしまえば良いと考えるのはそんなに可笑しい事なのだろうか。
「分かってるよ、全部」
「だったら────!」
「でも、過去は消せない」
「そんな事っ……!」
「あの村で起こっていたクソみたいな村八分も、バーテックスが襲ってきたあの日も、この3年間も絶対に消えたりはしない」
「──────っ!」
あまりにも無情で残酷な答えに、友奈の喉からは細い悲鳴が漏れる。
「何で……!?何で、そんな事……!?」
気ただ垂れ下がるばかりだった友奈の左手が少年の襟を掴む。
理解不能だった。
例え苦しくても、忌まわしき記憶は消さないと。
逃れる事すら拒絶すると。
誰よりも逃げる権利を持つ少年が言うのだ。
何故そんな事を言うのかと、友奈は具体性を欠いた問い掛けを吐き出していた。
「──だって、そうじゃなければ今の僕は此処にいないんだ」
それでも、少年の決意は微塵も揺るがない。
絡めた手から力が抜ける事も無い。
鉄の床を踏み締めた両足が崩れ落ちる事など、万が一にも有り得ない。
それだけの理由を、命を賭けられる動機を少年は得たのだ。
「今なら分かる。千景に告白したあの一瞬も、ただひたすら悩み続けたこの3年間も、全て今日この日の為にあったんだ」
「勇者として戦う為に……?」
「違う。千景を助ける為だ」
少年にとって、千景は文字通り自分の全てだ。
親と家、即ち共に生きる者と帰るべき場所を喪った少年に最後に残されたのが千景だった。
それだけならまだ良かったのだが、世界は少年に無力感を刻む事に対して一切余念が無かった。
実際は、せめて千景だけは人の悪意や星屑から守りたい────そう思って、しかし逆に彼女によって守られているだけだったのだ。
戦いに赴く千景の背中を見送り、無事を祈るだけの日々がどれだけ苦しかったか!
高々日光の射す場所に出る程度の事すら躊躇ってしまう己に、何度毒づいたか!
折れそうになった。
潰れそうになった。
消えてしまいたくなった。
「やっと千景の隣に立って、手を握ってやれるようになったんだ。だからこの3年間は絶対に不要なんかじゃない」
────けれど、無駄じゃなかった。
苦しみ抜いた意味があった。
少年の苦悩と苦闘は、今此処で「勇者」として結実しているのだ。
だからその過程は決して否定してはいけない。
否定してしまったら、2度と前には進めない。
「別に千景が嫌だって言うんならそれで良いよ。逃げたいならどうにか四国の中を逃げ回ってもみせる。死にたいって言うなら絶対に止めるし」
「──そう、なんだ」
「でも、何もせずに流されるのは嫌だ。千景が悲しんでいるのはもっと嫌だ」
「──そうだね」
「そりゃこんな時代だし、いつだって笑っていられる訳じゃないけど……千景には心の底から笑って欲しい」
分かる。
今の友奈には、少年の言う事が痛い位に分かる。
千景に笑顔でいて欲しいと願うのは、友奈もまた同じだ。
無論、千景の全てを知っている訳ではない。
何やら暗い過去がある事も、少年への異様なまでの執着も断片的にしか把握していない。
だが、それが何なのだ。
友奈と千景は友達だ。
千景がどう思っているかは分からないが、少なくとも友奈はそう信じている。
「キミの気持ちは分かるよ。分かるけど……!」
だが、友達の大切な人が引き起こした無謀を諌める事がよもやこんなに辛いとは、友奈は思いもしなかったのだ。
友達の為なら揺らぐ事なんて有り得ないと、全てを甘く見積もっていた────いや、決してそれだけではない。
(ううん、分からないのは──私。私は、私の心が分からないんだ)
友奈は迷っていた。
止めるべきなのか、背中を押すべきなのか。
きっとどちらも正解で、どちらも間違っている。
そしてだからこそ友奈は、その中から「どちらか」を選ばなければいけない。
今の友奈は中途半端なのだ。
左手で繋がって、右手で襟を掴んでいるけれどそれじゃ何も始まらない。
自分だけの答えを選んで、それを実行に移さなければいけない。
分かっているけど、未だ中学生の少女にはそれが何より難しい。
「──友奈」
もう強行突破はしない。
友達に拳を振ったりもしない。
既に
「僕は千景を助けたい」
キミはどうしたい────?
日暮れの冷たい風を背負った少年は、そう続けた。
「すべき」で行動した友奈とは、対照的な言葉だ。
「何を、したいか……」
「そうだよ。友奈は何をしたくて、今此処に立ってるんだよ。勇者の使命感とか、そう言うの堅苦しいのじゃないだろ。それが聞きたい」
今大切なのは何をしたいかであり、何をすべきなのかではないと少年は暗に宣っている。
成る程、強ち間違った事を言っている訳ではない。
どちらも正解である選択肢から敢えて片方を選ぶとするならば、その明暗を分けるのは回答者のエゴであり、結局は個人の感性だ。
だがしたい事だけやって生きていける程、この世界は簡単ではない。
皆、秩序を保つ為に己を律して「やりたい事」ではなく「やるべき事」を優先している。
単純な欲求に身を委ねるのはただの馬鹿者なのだ。
「
────そして、少年は馬鹿野郎だった。
考えて、ひたすらに考えて、その果てに自分の欲求に従った空前絶後の超大馬鹿野郎なのだ。
何年間も無意識で封じ込めてきた、本来の自分を思い出しただけでもある。
「私は、勇者で──」
「それ以前に中学生だ。僕も友奈もまだまだ、その……ガキなんだよ、ガキ。
「……もう
「良いんだよ別に!ちょっと位誤差だろ!」
少年の言葉は詭弁だ。
「子供だから」が通じる程この世界は甘くない。
星屑は老若男女等しく食い尽くすし、手段を選んでいては人間は滅んでしまう。
故にこそ誰もが勇者を受け入れた。
年端も行かぬ少女達を戦わせる事を、当然のように受容した。
そうでなければ皆死んでしまうから。
そうでなければ誰かに覚えていてもらう事すら出来なくなるから。
「んでその子供が全人類の運命背負って戦ってんだから、ちょっと位我が儘言ったって許されるだろ?多分だけど」
「そう、なのかな」
「誰が許さなくても僕が許す。少なくとも千景に関係する事なら絶対許す」
「……あんまり甘やかすと、ぐんちゃんがサボり魔になるよ」
「なれば良いんだよそんなの。寧ろ遅すぎたまである」
しかし、その正論が気に食わない。
乃木若葉が、伊予島杏が、土居球子が、高嶋友奈が、郡千景が大人達の理屈に押し込められて戦わされるのが許せない。
半ば無理矢理象徴として祭り上げられ、人類の運命を勝手に背負わされたのが受け入れ難い。
結局の所はそれだ。
少年が選んで、友奈が
「戦う理由は自分で決めるんだよ、友奈!」
「───そっか」
だからこそ、少年は行く。
千景を助ける為に、千景の望みを聞きに行く。
逃げたいのなら、手を引いて一緒に逃げ出そう。
戦いたいなら隣で一緒に戦おう。
他の誰でもない、郡千景が
ここ数年で失われていた行動力が、少年本来の取り柄だった。
「なら、私も行く」
「そっか」
そして「友奈が何をしたいか」も、当の昔に決まっていた。
最初から──少年を止めようとした時から、この一点において友奈がブレた事は無い。
今更律儀に階段を降りる必要など無い。
鉄の床を蹴って手摺を飛び越した少年少女が、日暮れの街へと駆け出していく。
「────行きました、か」
勇者としての能力を存分に発揮した2人が瞬く間に視界から消え失せるのを、上里ひなたはただ受け入れた。
安堵するべきなのか、悲しむべきなのか分からないが、何にせよ既にひなたの役目は終わったのだ。
それら全てを確認して──ひなたはその場に崩れ落ちた。
「あぁ、若葉ちゃん……私は、どうすれば良かったんですかね……?」
全く以て彼女らしくない弱音を、聞く者はいない。
こんな時、普段だったら眩しすぎる程の実直さをぶつけてくれる筈の幼馴染みは隣にいないのだ。
「ごめんなさい……!本当にごめんなさい、千景さん……!」
懺悔が。
懺悔がひなたには必要だ。
上里ひなたは間違いなく郡千景を裏切ったのだ。
何故なら──────
「彼は、もう保たない────」
少年の命は、今この瞬間も神樹に捧げられているのだから。
多分次が最終回です。