「やっぱり、切り札を過剰に使用したのが原因と見て間違いない……と思う」
「そっかぁ……」
マジか、と空虚な呟きが本の山脈を通り抜ける。
「ひょっとしたら」程度の発想に裏付けが取れてしまった、そんな状況に対して土居球子が出来たのは曖昧な表情で佇む事だけだった。
『ゲーム的には切り札って代償がツキモノなんじゃねーの?大丈夫か?』
調査遠征から帰還した直後に球子が発した、この言葉が全ての発端である。
それは調査遠征以前から「切り札」を頻繁に使用する千景に対して、球子が言い放った冗談だった。
何の意味も無い賑やかし──そして、
それが一体どうしてこんな事になってしまったのか。
普段は元気溌剌とした様子を見せる球子も、流石に困惑を隠せていない。
「つまり────アレか、千景は切り札の使いすぎで可笑しくなっちまったって事で、良いんだよな?」
「そうだと思うけど……ううん、素人の考えだから断言は出来ないよ」
「いや、でもそうだとすると辻褄が合ってくるんだ」
「え──?」
この結論が出てしまった以上、球子は己の迂闊さを認めるしかなかった。
そうだ、認めたくはないが
なぜなら────
「遠征前の千景が可笑しかったのも、戻ってきてからタマの体調がヘンなのも『切り札』のせいなら納得がいく」
別に怪我をした訳ではない。
病気にかかった訳でもない。
病院の検査でも異常はない。
だがしかし言葉に出来ず、解消する事も出来ない「違和感」を遠征から帰還した球子は抱えていた。
『……千景?笑って……るのか?』
『そう、そうかしら。土居さんにはそう見える?』
『見えるって……千景、何かおかしいぞ』
そして何より異常だったのが千景だ。
元から影のある、あまり笑わない人間だった彼女が四国に帰還した瞬間に浮かべていた
「もう全部終わりだ」と言わんばかりの悲壮感と、心の底からの安堵をない混ぜにした泣き笑いともつかぬ
だからこそこうして杏と共に文献を漁っていたのだが、最早全てが遅すぎたとしか言いようが無い。
せめて「彼」が健在であればまだ希望はあったかもしれないが、事は起きてしまったのだ。
「彼」が傷付き千景が壊れてしまった以上、今の2人に出来る事は殆ど残されていない。
「せめて、アイツが動けたらな」
「流石に目を抉られたなら無理だと思うよ……」
「ダメ、なのかな」
「……ううん、大社に掛け合って処分を遅延出来たらまだチャンスはあるよ」
「……やるか」
勇者という存在は、大社の行動に口出し出来るような立場にない。
だが、もうどうにもならないと頭の片隅で理解しつつも2人はまだ諦めきれずにいる。
勇者として、千景の友人として、ここで引き下がりたくは無いと魂が叫んでいるのだ。
「こう言う時って神様に──神樹様に祈れば良いのかな」
「……私にも、分からないよ」
本の山を掻き分け、夕陽のオレンジ色にぎらつく街へと杏と球子は踏み出した。
対象すら定まらぬ祈りが、香川の空に溶けていった。
少年は関節を極められ、その全身を非常階段の錆びた鉄に押し付けられていた。
完全無欠に、完敗だった。
「ぐっ、ぃ……」
「決着、付いたね」
最初から分かりきっていた話だ。
右目を喪失し手摺に掴まらねば満足に歩く事も出来ない程衰弱した少年が、勇者としての訓練を積み確固たる意志を持つ友奈に敵う筈も無い。
現にこうして組み伏せられているのだから、いくら少年が鈍感でも己の無力さを悟らずにはいられなかった。
「ちく、しょう……!」
「もう止めようよ。充分過ぎる位キミは頑張ったから、1度休もう?」
あくまでも少女の声音は優しく、少年を傷付ける事は無い。
否、傷付ける必要など何処にも存在しないのだ。
だって、少年は頑張ったから。
両親を喪い、故郷を捨て、目を抉り取られてもなお少年は不安定な千景の支えであり続けようとしていた。
──その姿勢は尊重しているが、もう少年は
「ふざ、けんな……!」
「ふざけてない」
拍子抜けする位あっさりと少年を制圧してから、友奈はその事実に気付いた。
少年の行動は無理無茶無謀を重ねて、とどめに無軌道だったのだ。
千景の為に尽くそうとする心に、身体が付いてきていない。
拳を握る事も、地を踏み締める事も今の少年には何より難儀な行動だと言うのに、それでも彼は動き出してしまった。
だから高嶋友奈は揺るがない。
罵倒されようが、恨まれようが、絶対に揺るがない。
少年の友人として、千景の友人として、彼の無謀を許す訳にはいかない。
「今頑張らなきゃ、いつ頑張るんだよ……!」
──だが、少年も揺るがない。
全てを擲って、千景の下に走る理由がある。
例えそれがどれ程無様でも、情けなくても、不可能に見えても少年は走らなければいけない。
「3年だ」
「え?」
「この3年間、僕は千景に何もしてやれなかった」
それは後悔だ。
空虚な時間を過ごしてしまった少年の、心の底からの悔恨だ。
「付き合い始めた時も、バーテックスに襲われた時も、こっちに来てからもずっとそうだ」
それは怒りだ。
無力なまま変われなかった少年の、心の底からの激憤だ。
「皆、誰もが戦っていた。千景だって戦っていた。なのに、僕は一体何だ」
悲壮なまでの絶叫が、非常階段を駆け抜ける。
世界中の誰が許しても、少年自身が己を許せないのだ。
「今までだって、ずっと支えになっていたんじゃないの?」
「それは違うよ友奈。これまでの行為は全部僕の自己満足だ」
何が「信頼している」だ。
何が「心配しちゃいけないのかよ」だ。
結局少年は、3年前から何も変わっちゃいないのだ。
自分の我が儘で
だからこそ千景を見送るしか出来ない自分が、苦悩に気付く事が出来なかった自分が殺したい程憎い。
──だが、事の本質はそこではない。
「結構前に誕生日プレゼントを一緒に選びに行ってくれた事、あったろ?」
「うん、イヤーマフだよね。ぐんちゃんも喜んでくれたって……」
「
「────!?」
そう、千景は無欲だった。
いや、既に欲しいモノを手に入れて満足していたと言うのが正しいのかもしれない。
少女が望んだのは少年と共にある事、ただ
その「それだけ」がひたすらに少年を苦しめている。
「その千景が初めて欲しいって言ったんだよ、友奈」
「何を、言ってるの?」
「この3年間で、初めて千景が何かを欲しいって言ったんだ」
友奈の困惑も、少年の耳には届かない。
欲しいから、あげた。
望んだから、捧げた。
無力な少年にとって唯一千景に対して「してやれる」行為がそれだった。
「──でも、そのせいで千景は自分を責めている。悪いのは僕なのに」
少年の愛が、今の事態を生んだ。
少年の愛が、千景を傷付けた。
善かれと思って受け入れた凶行が、2人を絶望のドン底へと突き落としたのだ。
「今この瞬間が、罪を償える最後の機会なんだ。もう千景の心はどうにもならない位壊れてしまったのかもしれないけど、最後の一欠片だけは僕に守らせてくれよ、ねぇ──頼むよ」
少年は床に頭を擦り付けて懇願した。
現実として、友奈をどうにかしなければ千景に辿り着くなど夢のまた夢なのだが、今の少年が力で敵う筈も無い。
だから、此処に至ってまでちっぽけなプライドにすがる意味などありはしない。
泣き落としでも何でも、使える物は全て使って少年は友奈を越えねばならないのだ。
「……」
友奈は動けなかった。
少年の気持ちも痛い位に分かるから。
それでも少年を止めねばならないから。
どうすれば良いのか、何が最善の選択肢なのか、友奈には分からなかった。
沈黙が、斜陽に照らされた部屋を支配している。
自業自得だった。チームのリーダーである私が、仲間の異常を真っ先に見抜いて然るべき私が招いた事態だった。
相互に深い猜疑心が根付いた今、大社と千景が関係を修復する事など不可能だろう。
最早事態は取り返しの付かない方向に転がり出している。
「彼」でも、ひなたでも、誰でもいいから教えてくれ。
どうすれば良い。
私はどうすれば良いんだ。
そしてそう、千景は────
「千景は、どうしたい?」
「私?」
千景はどうしたいのか。
どうすれば良かったのか。
解決策など何処にも存在しないが、それでも求めずにはいられない。
「そうね……どうしようかしら」
何とも情けない、すがるような問いを受けた千景は曖昧な笑みを浮かべた。
「強いて言うなら、3年前に帰りたい。私と『彼』だけがいて、2人だけで完結していたあの頃に」
「……それは」
「彼処で停滞したままだったら、こんな思いをしなくて済んだのに」
「それは、私達のせいか……?」
原因を考えるとすれば、間違いなくそうだ。
大社が千景を見出ださなければ、千景は勇者の使命に潰される事は無かったかもしれない。
私がちゃんと千景を気遣えていたら、凶行を止められていたかもしれない。
何もかも、私達が悪いのだ。
だと言うのに────
「ふ、ふふ……!」
「何で笑うんだ、千景」
「乃木さんは何も分かってないのね」
千景は笑った。
心底可笑しそうに、笑うのだ。
「『彼』を傷付けたのは私。『彼』を追い詰めたのは私。天恐に気付けなかったのは私。無理をさせていたのは私。結局私は3年前から何1つ変われない、自分の事しか考えられない人間のままだった」
「ねぇ乃木さん、私が『彼』と出会わなければこんな事にはならなかったのよ」
「この意味────分かるかしら」
投稿までにこれほど間隔が空いた事を謹んで御詫び申し上げます。
理由としましてはやはりプロットを立てず出たとこ勝負な執筆(?)スタイルが原因だと思います。
なるべく早期に次回を投稿出来るよう尽力致しますので、応援頂けるとありがたいです。