前世を含めて、トランペット歴三十年。自他共に認めるトランペット馬鹿な彼は、生まれ変わった世界で自身を認めてくれる幼馴染の少女、高坂麗奈と出会い、恋に落ちる。

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トランペットと大切な恋人

 前世を含めれば、俺のトランペット歴は三十年を超える。青春の殆どを費やし、社会人になってからも貪欲に練習を続けていた。前世では経済的な理由でプロの奏者になることをやむを得ず諦めたわけだけど、今となってはもうプロの奏者になれなくてもいいと思っている。

 俺はトランペットが好きだ。二度目の人生では自由に吹いてみせる。

 ただそう考えていただけなのに。

「一緒に帰ろう」

 中学三年の冬頃になって、俺に恋人ができていた。

 高坂(こうさか)麗奈(れいな)、十五歳。同じ中学校に通う同級生。親同士の仲が良いこともあって俺は彼女のことを小さい頃から知っている。いわゆる幼馴染という奴だ。家も隣同士であるために家族の次に麗奈と顔を合わせることも多く、麗奈はもはや俺の日常だった。

『アタシと結婚を前提に付き合って』

 その幼馴染に近所の公園にわざわざ呼び出され、告白されたのはつい最近だ。

 昔から俺のことが好きだったのだという。思いを温めていたというのだから普段の彼女らしくなかった。麗奈は何でも即断即決。優柔不断な態度にやきもきする性格の人間であるため、こういう一面もあるということが知れて新鮮だった。

『それで、返事は?』

 顔を赤らめた麗奈に問い詰められ、俺は了承した。

 麗奈のことは好きだ。少し力押しの一面があるけど、何にでも積極的な姿勢が格好いい。俺と同じくトランペットをこよなく愛していて、小さい頃から吹き続けている。そんな一面にも共感を抱き、この子となら付き合っていけると思った。

 付け足すならば、麗奈は美少女だ。真っ直ぐ伸びた綺麗な黒髪。大きな眼の紫色の瞳は宝石のようで、彼女のいつも自身に満ち溢れた顔もまた美しい。スタイルもよく、麗奈に好意を寄せている異性は多いと思う。

『男は修二(しゅうじ)以外に興味ないから』

 抱き締められながら囁かれたのは記憶に新しい。

 そうして俺は麗奈と付き合うようになり、都合さえ合えば一緒に帰宅している。俺たちが揃って所属していた吹奏楽部はもう引退を迎えていて、遅くまで練習することもなくなったから一緒に帰れる機会も増えた。

 お互い、割と無口な性格のためか会話はあまり弾まない。だけど、麗奈との間に流れる沈黙は辛くない。特に何かを話していなくても傍にいるだけで心地いい。そんな風に思える異性は麗奈くらいだろう。

 通学路を歩いていると、麗奈の手が俺の手を握った。

「麗奈?」

「手くらい握ってもいいでしょ?」

「あ、うん」

 特に文句はない。むしろ嬉しいと思える。

 俺が麗奈に向かって微笑みかけると、麗奈は恥ずかしそうに顔を背けた。

 通学路は夕焼けに染まっている。だけど、そのときの麗奈は夕焼けとは別の理由で顔を赤らめていた。最近、麗奈はぼうっとしている。俺が笑っているときなんか特にぼんやりとしたまま見つめてくることが多い。何かあったのかと尋ねても、なんでもないと言って慌てて視線を逸らす。

 本当に、何があったのだろうか。思いはするけど、答えてくれないだろうから聞くことはしない。本当に問題があれば麗奈のほうから相談してくれるだろう。麗奈は悩みを溜めこむ性格ではないと知っている。

 おそらく爆発してしまうことはないだろう。

 そう思っていた。

「もう無理。修二の初めて、奪うから……」

 自宅に帰ろうとした俺は麗奈に無理矢理手を引かれ、麗奈の自宅に連れて行かれた。そして、灯りも点けずに麗奈の部屋のベッドに押し倒されたかと思えば、圧し掛かられて先の言葉を投げ掛けられた。

 麗奈の顔が赤い。息が荒い。口元を堪え切れずに緩めて、俺を見つめていた。

「ちょ、ちょっと、待った」

「待たない」

 制服姿のまま尻を俺の股間に押しつけてきている。

 本当にやるつもりだ。中学生なのに? 最近の中学生は進んでいるな、と呑気に思いながらも俺はどうにか麗奈を鎮めようと考えるものの、麗奈は俺の思考など待ってはくれない。

 制服のボタンが麗奈に外されていく。

「何で急に」

「急にじゃない。ずっと前からこうしたかった」

 まずい。本当にやるつもりだ。今の麗奈はまるで盛った獣で、俺を隅々まで味わおうとしている。瞳を妖しく光らせて、窓から差し込む夕日を浴びる麗奈は美しく、思わず息を呑んでしまいそうな色香を纏っていた。

「早く修二をアタシのものにしたかった。でも、まだ中学生だから我慢しなきゃって思って、耐えてたけど。もう無理。ねぇ、どうしてそんなに無防備なの? アタシのこと誘ってる? ねぇ、そうでしょ?」

 表情に恍惚とした笑みを湛え、麗奈が顔を近づけてくる。

 麗奈の瞳に俺が映し出される。慌てふためく俺の姿が。

 そんな自分の姿に気がつくと、頭が冷静になれた。

 いや、やっぱりこのまま流されるのはまずい。こういうのはもっと大人になってからするものだ。少なくとも中学生という年齢で行うべきではない。麗奈を大切に思うからこそ、この場は拒絶するべきだ。

 俺は顔を近づけてきた麗奈の肩に手を置き、そっと押し返した。

「嫌?」

「嫌じゃない」

「じゃあ、しよう? 大人のキス」

「しない」

 俺の言葉に麗奈は小首を傾げた。表情に少し不安の感情が広がった。

「アタシのこと嫌い?」

「好きだよ。でも、俺は麗奈のこともっと大切にしたい」

「十分大切にしてくれてると思うけど。いいでしょ? キスくらい」

 麗奈の問いに、俺は首を横に振った。凄く魅力的で首を縦に振りたいのはやまやまだったけど、やっぱりここで麗奈を受け入れるわけにはいかない。

「今キスすると麗奈のこと無茶苦茶にしそうだから」

 自分よりも圧倒的に若い恋人を前にして、一度暴走したら歯止めが利かなそうだ。俺だって男だ。若い体に溜まった欲を晴らしたいという想いはあるけど、想いに釣られて考えなしに行動するのは大人のやり方じゃない。

 だから、今はしっかりと断っておく。

「ごめん」

 俺が言うと、麗奈は動きを止めた。そして、小さく息をつく。

「いけると思ったのに……」

 呟いた麗奈は俺の体に倒れ込み、胸板に顔を埋めた。

「ちょっと……」

「これくらい、いいでしょ?」

 俺が肩を揺すると、麗奈は離さないと言わんばかりに俺の体に両手を回した。ガッチリと拘束されて身動きが取れない。俺は諦めて麗奈の枕に後頭部を預け、麗奈の頭を慎重に撫でた。

 さらさらとした黒髪。甘く優しい香りが漂ってくる。

「ねぇ」

「ん?」

「浮気、しないでよね」

「しないよ」

「女性に色目使われても相手にしないで」

「え……」

 断定するような声音に、俺は少し考えてしまった。

 俺が何かしたのだろうか。もしかして、それが原因で麗奈が暴走した?

 つまりは、そういうことだろうか。

「嫉妬してる? って、痛っ!」

 口にした瞬間、麗奈に体を締め上げられた。胸に麗奈の頭が食い込む。

「麗奈、痛い」

「うっさい。鈍感男」

「ごめんって! 悪気はないから!」

「余計に悪い!」

 麗奈に怒鳴られ、直接的な感情を叩きつけられたわけだけど、悪い気はしない。別に俺が特殊な性癖というわけではない。単純に、いつも大人ぶった麗奈の子供な一面を見ることができて嬉しいと思っただけだ。

「眠っているうちに襲おうかな……。でも、反応が見れないし……。眠らせてから手錠で……。それで、既成事実を……」

「え、何か言った?」

「何でもない……」

 小さな声で紡がれた言葉を聞き取ることができなかったが、何でもないようだ。

 少しの間、俺は麗奈に抱き着かれたままベッドで仰向けになった。

 窓の外は茜色から紺色に染め上げられつつあった。照明が消えたままの室内は段々と闇に浸食される。暗闇は少し怖い。死んだときのことを思い出して、その時抱いた無念さが心を支配する。

 だけど、麗奈の体から伝わる温もりのおかげでいつもほど恐怖は感じなかった。

「ねぇ」

 部屋が完全に暗くなった頃、麗奈が声を発した。

「修二のトランペットの音、聞かせて?」

「今から?」

「うん。泊まっていっていいから」

「いや、家近いから帰るけど」

「チッ……」

「ねぇ、今なんか舌打ちしなかった?」

「してない。ほら、早く行こう?」

 顔を上げた麗奈に腕を引かれ、俺は体を無理矢理起こされた。

 麗奈の父親はプロのトランペット奏者で、自宅には楽器を自由に演奏できる防音室がある。また、麗奈は自分のトランペットを父親から買い与えられているため、小さい頃からトランペットを続けてきた麗奈の腕前は非常に高い。

 いずれはプロになるだろう。麗奈自身もそれを望んで貪欲に努力を積み重ねている。

「早く」

「わかったって」

 そんな子に演奏を求められて、俺は素直に嬉しかった。

 求められるまま、俺は防音室で麗奈という一人の観客を相手にトランペットを吹いた。そんな俺を麗奈は真面目に、聞き惚れるように聞いてくれる。前世では俺のことをトランペット馬鹿だと言って愛想を尽かす人も多かったけど、麗奈はそうじゃない。俺の音を、俺の努力を認めてくれる。

 二度目の人生だけど、麗奈という子に出会えてよかったと心の底から思った。

 演奏中、もう我慢ならんといった様子で立ち上がった麗奈に襲われかけた。ちょっと困った子だけど、俺の大切な恋人だ。


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