星奈ひかるは、冷たいベッドの上で目を覚ました。
こういう時に「知らない天井だ」なんて発言するネタが、20年以上前に流行ったらしい。
ぼーっと、しながら暫く天井を見つめていると、人間の足音が聞こえた。
白衣を着ている大人たちの姿を見て、ひかるは現在地が病院だと理解した。
それからさらに時間を空けて。
母親と祖父母が病室にやってきて、ひかるは退院することが出来た。
だが、病院の外に出たところで、ひかるは背筋が凍った。
雪が、降っていた。
おかしい。
ひかるの認識では、今は2019年の6月のはずだ。
「お母さん……? 私、どれぐらい寝てたの……?」
「ちょうど大晦日に事故にあって、今日で1週間よ」
病院の前で、家族と一緒にタクシーに乗りながら。
母親へと質問をなげかけた星奈ひかるは、嫌な予感が募るばかりだった。
何かが間違っている。
クマリン星へ行った後、灰色のペンで変身して……そのあと、何がどうなった?
タクシーの窓から、観星町の商店街が見えた。
その中に……見覚えのある金髪が目に入った。
ひかるは、大声を出してタクシーを止めてもらった。
困惑する家族を車内に残して、ひかるは花屋のソンリッサへと駆け寄った。
「えれなさんっ!!」
「チャオ、いらっしゃいませ! ……お客さん、どうしたの? そんなに慌てて?」
ひかるが話しかけた相手は……。
花屋ソンリッサの看板娘で、観星中の太陽だなんて呼ばれる、天宮えれなだ。
息を切らしている星奈ひかるの様子に、えれなは困惑しているようだった。
「あのあとっ、クマリン星に行ったあと、ロケットの皆はどうなったの!? ララ達は無事なの!?」
天宮えれなの両肩を正面から掴んで。
ひかるは、必死に詰め寄った。
焦燥感に突き動かされていた。
「クマリン? ロケット? ええっと……何のことだろ? ララって、誰かの名前?」
「え…………」
えれなの目は、知らない人を見る目だった。
突然知らない人にまくしたてられて、対応に困っている人間の顔だ。
ひかるは、目の前の何もかもが歪んで見えた。
ぐにゃぐにゃと、世界の全てが不安定なものに思えた。
「ひかる! どうしたんだ、急に走り出しおって!」
「ごめんなさいね、天宮さん。この子、たぶん混乱してるのよ。長い夢をみていたみたいで……」
遅れて追ってきた祖父と母親によって、天宮えれなから引き剥がされて。
ひかるの視界に、花屋の片隅に置かれた日めくりカレンダーが映り込んだ。
2019年 1月 6日
「夢、だった……? ぜんぶ、わたしの、もうそう、だったの……?」
血の気が引いた。
全部、星奈ひかるが脳内で作り出した、都合の良い夢だったのだ。
初めての親友だった……宇宙人のララなんて、最初から居なかった。
観星中の太陽である……スクールカーストの最上位に居る天宮えれなと、ギークのひかるに接点なんてある訳無かった。
観星中の月と名高い……生徒会長の香久矢まどかだって、雲の上の人だ。
目に映る全てが、灰色に見えた。
もはや、ひかるは自分の足で立っていられなかった。
母親と祖父が自分を呼ぶ声が、どんどん遠くなっていった。
冷たい雪とともに地面に倒れて。
ひかるは……そっと、目を閉じた。
「ひかる、しっかりするルン! ひかる!」
「…………う、ううん?」
見覚えのある個室の中で、ひかるは身体を揺さぶられて目を覚ました。
ロケットの中に備わった星奈ひかるの個室で、ひかるはベッドに寝かされていた。
そして、ひかるを悪夢から目覚めさせてくれたのは……。
「ララっ! ララぁっ!!」
「オ、オヨ……?」
頭からサマーン星人特有の極細触覚を生やした女の子に、ひかるは抱き着いていた。
怖い夢から覚めた幼子の動きだった。
ララは、優しく星奈ひかるを抱きとめて、背中を撫でてくれた。
「怖い夢を見ていたルン?」
「……うん。ララのことも、プリキュアのことも、全部夢オチで無かったことになっちゃう、苦しくて本当に……怖い夢だった」
ひかるは、恥も外聞も無く、泣いていた。
そんなひかるを、ララは静かに抱きしめてくれた。
「酷い話ルン」
「……ララ?」
星奈ひかるを抱きしめている、ララの声が少しだけ低くなったように思った。
ララの腕に、少し力が籠ったような気がした。
「本当の私達は、クマリン星で暴走したスターの手で犠牲になったのに。それを無かったことにするなんて、ひかるは本当に酷い人ルン」
「え……。ララ、何を言って……?」
ララの胸元に抱き留められていた星奈ひかるは、思いもよらない返答に困惑を隠せなかった。
ひかるは、上を見た。
いつもの、黄色のハイライトが入った瞳が見つめ返してくることを期待して、ララの顔を見ようとした。
ララの首から上には、何も存在しなかった。
「うわああああああああああああああっ!!!」
「ひかる? 起きてください! もう地球に着きますよ?」
そこで、ひかるは次の夢の中で目を覚ました。
悪夢は、連鎖する。
誰にも、止められない。
『あくいのオトモダチ』
第8話:ララルンちゃん……っていうの?
「ナユタぁっ! 大変でプルンス! ひかるが、ひかるがぁっ!!?」
「まさか、ネビュラペンを変身に使ったのか!?」
急発進したロケットに揺られて。
ナユタが辿り着いた先には、疲弊しきった仲間たちの姿があった。
錯乱一歩手前といった様子のプルンスが、ひかるを抱えてロケットへと飛び込んできた。
他の3名も、2倍の重力のもとで、緩慢な動きでロケットへと戻ろうとしているようだった。
「応急処置を始めるぞ! 酸素吸入器と栄養剤点滴の設備はロケットに積んであるか!?」
「酸素吸入器はすぐに用意できるでプルンス! 栄養剤は……地球人なら、コスモグミの原液を少し調整すれば代用できるハズでプルンス!」
「ナユタ……お願いルン。ひかるを、助けて……!」
ララの泣き顔は、予想以上にナユタの心に沁みた。
もちろん、星奈ひかるをここで死なせるのは、春日部ナユタとしても有り得ない。
宇宙の命運がかかっているのは当然のこととして、一人の人間としても星奈ひかるには生きて欲しいと思った。
「ララたちは体力の回復に努めて。談話室に作ってあるドーナツは好きに食べて良いよ! あとロケットの針路は任せた!」
それだけ言い残して。
ナユタは、ロケット内に備わった自身の個室へと、ひかるとプルンスを連れて引きこもった。
あっという間に、ベッドに寝かされた星奈ひかるは、点滴と酸素吸入器の御馴染み入院セットを装備されて。
滝のように汗をかきながら、苦しそうに息を吐き続けていた。
「プルンス君。ひかるちゃんが意識を失ってから、何分ぐらい経つ?」
「灰色のキュアスターに変身したと同時に意識が飛んでいるように見えたでプルンス。……たぶん、30分ぐらいでプルンス」
「そうか……マズいな。早く起こしてやらないと……」
「灰色のペンの中毒症状でプルンスか……?」
ナユタは、ネビュラガスの中毒症状について、プルンスへと軽く説明してやった。
ネビュラガスを過剰に摂取すると、風邪や違法ドラッグ中毒者に似た多くの合併症を引き起こす。
そして、合併症の中でも特異なのは……患者に悪夢を見せることだ。
中毒患者はエンドレスに悪夢を見せられ、長くとも30分程度で飛び起きるのである。
「30分……ということは、そろそろひかるは飛び起きるでプルンスか?」
「だと良いんだけどね。疲労とダメージが激しいから、起きられないかもしれない。そうなったら……時間が経てば経つほど、危険だ」
ナユタは、プルンスへの説明を続けた。
悪夢に苛まれた中毒患者は、30分で起きるというよりも、30分しか眠っていられないのだ。
永久に終わらない悪夢から精神を守るための防衛反応として、意識を覚醒させるのである。
では、睡眠薬を服用した場合や、極度の疲労で覚醒できない場合は……どうなるのか?
最悪の場合、精神が壊れて廃人になる。
そんな説明をしながら星奈ひかるの様子を見る二人だが。
一向に、ひかるは目を覚ます気配がない。
時間は、ひかるが意識を失ってから40分に到達しようとしていた……。
小まめに二人が揺さぶったり、声をかけたりているのだが、ひかるは無反応のままだった。
「何か、気付けに使えそうなものは無いかな……?」
「それなら……調理用の酢があるでプルンス!」
最悪、消毒用エタノールを経口摂取させることも検討していたナユタだったが。
栄養士のプルンスが、食糧庫から酢を持ってきてくれた。
ひかるの酸素吸入器を一時的に外してやって。
ナユタとプルンスは、調理用の酢をひかるの口から投入してやった。
祈るような気持ちで。
二人は、ひかるの様子を観察した。
「げほっ! げほっ、ごほっ!!」
大きく咽込んで。
ひかるは、ようやく意識を取り戻したようだった。
とはいえ、かなり意識が混濁している様子で、目のピントが合っていなかった。
「ここからが、キツいかもしれない。精神にどんな異常が出ていても不思議じゃないからね。ララ達が入ってこないように、外で見張っていてもらって良いかな」
「……分かったでプルンス。キツい役目を任せて、済まないでプルンス」
部屋の扉を開けて出て行ったプルンスを尻目に。
ナユタは、ひかるの介抱を続けた。
ひかるの背中側を手で支えて、上半身を起こしてやった。
また昏倒されると、どんな悪い影響が出てもおかしくないからだ。
もし、目覚めた星奈ひかるが、精神に異常をきたしていたら……ララたちに見せるのは、キツ過ぎる。
だから、他のメンバーが入ってこないように、プルンスにも外に居てもらうことを決断した。
そのまま数十秒待っていると……ようやく、ひかるは意識がハッキリし始めたのだろう。
ナユタと、目が合った。
「……ナユタ、ちゃん?」
「ああ、そうだよ。笑顔が胡散臭い、年齢不詳なオトモダチの、ナユタさんだよ……!」
ようやく目のピントを合わせた星奈ひかるが、ナユタの名前を呼んでくれた。
それだけで……ナユタは、目元に涙が溜まったのが分かった。
自分で思っている以上に、この時代の星奈ひかるへとナユタは入れ込んでいたのかもしれない。
ララの事を言えないな、なんて心の隅で思った。
「意識レベルの確認のために、いくつか簡単な質問をするよ。気負わないでストレートに答えておくれ。アタシの指は何本立ってるかな?」
「3本だよね」
「合ってるよ」
ここで気を緩めずに。
ナユタは、ひかるのコンディションの確認を始めた。
ネビュラガスによる悪夢に40分も晒されていたのだから、脳や精神に異常が出ても不思議ではない。
油断せず、しっかりと後遺症の有無を見極めるべきだ。
「観測史上で最も長いシュヴァルツシルト半径は?」
「530億kmとかだっけ?」
「合ってるよ」
そんなん暗唱してる女子中学生いねーよ。
日曜の朝からシュヴァルツシルト半径とか熱弁しても誰も付いてこないでしょ……。
まぁでも、これは星奈ひかるなら知っていそうだとナユタは踏んでいた。
「今年は、西暦と和暦でそれぞれ何年かな?」
「2019年の、平成31年……で、合ってるよね?」
「合ってるよ」
正しい。
正しいのだが……ナユタは、ほんの少しだけ嫌な予感を嗅ぎ取った。
今は2019年の6月だ。
平成31年でも間違いではないが、令和元年と呼ぶ人の方が多そうなものなのに。
「自分のプロフィールを言ってみて。名前、趣味、年齢を」
「私、星奈ひかる! 宇宙と星座が大好きな13歳!」
「合ってる……よな?」
星奈ひかるは、中学2年生だ。
6月の今なら、中学2年生の半分以上は13歳なのだから、おかしくはない。
……あれ?
星奈ひかるの誕生日って、いつだっけ?
ひかるの部屋に行けば、財布と一緒に保険証あたりが見つかるかもしれない。
ちょっとそのまま待っていておくれ、なんて言い残して、ナユタは自室を出た。
出ようとした。
部屋を出ようとした、まさにそのタイミングで。
「ひかるっ!!」
「げぶぅっ!!?」
内開きのドアが突然開かれ、ナユタはドアに跳ね飛ばされて壁に激突し、壁に血のシミを作る羽目になった。
そんなドアの影の惨劇に気づかないままに。
ララが、部屋へと踏み込んできた。
待つでプルンス、なんていう声を振り切って、ララが駆け込んだのである。
おそらく、部屋の外に出てきたプルンスの様子から、ひかるが目覚めたことをララは察したのだろう。
「ひかる……本当に良かったルン……!!」
「……え? ええっと……?」
ぼろぼろと涙を零して。
ララは、ベッドの上で座っている星奈ひかるを抱きしめた。
ひかるは、点滴のチューブがつながったままの腕を強張らせて、困惑していた。
「体調は戻ったルン? また一緒に、ドーナツ食べられるルン?」
ダウンから復帰しようとしているナユタは、何とかララを制止しようとした。
嫌な予感がしたのだ。
このままララとひかるの話を続けさせては、いけない。
だが、ナユタが声を出す前に。
ひかるは……致命的な一言を、口に出してしまった。
「ええっと、あなた、誰? ナユタちゃんの友達?」
「…………!」
頬を人差し指でかきながら。
困ったような顔をして目を逸らしている星奈ひかるの様子は。
起き上がろうとしているナユタから見ても、演技や悪ふざけの類には見えなかった。
ララは、一瞬ひかるが何を言っているのか分からなかったようだが。
瞳を震わせながら、ひかるの二の腕を両方とも掴んで、ララはひかるを正面から見据えた。
割れそうな声で、ララは必死に目の前の現実を否定しようとした。
「ひかる……? つまらない冗談は、効率が、悪いルン……! 私ルン、ひかるの友達の、ララルン……!」
「ララルンちゃん……っていうの?」
ララは、そのままの体勢でしばらく動けなかった。
天宮えれなと香久矢まどかも、部屋に入って来ようとして、途中で立ち尽くしてしまっていた。
ナユタ達に差し入れをするつもりだったのだろうか。
二人が持ってきた皿から、ドーナツが転がり落ちた……。
ひとまず容態が安定した星奈ひかるを相手に、さらに少しばかりの質疑応答をこなして。
ひかるを個室へ隔離して、見張りにプルンスを付けてやって、ようやくナユタは一息つくことができた。
ナユタは、経過報告のために、他のプリキュア変身者を談話室兼操縦室へと集めた。
談話室に作り置いてあったドーナツには……誰も、手を付けていないようだった。
極度の疲労に加えて、ひかるが意識不明の重体という状況からストレスを感じて、何も喉を通らなかったのだろう。
「いただきまーす、っと」
ナユタは、自作のドーナツを手にとって、齧った。
甘味が、いつも以上に心地よく感じられた。
自覚は薄かったが、ひかるが倒れたことによって重度のストレスを感じていたのは、ナユタも同じだったようだ。
思えば、ナユタも冷静さを欠いていた部分があった。
ナユタは、ララがひかるへと話しかけるのを制止しようとしたが……ナユタの目的から考えれば、制止する必要なんて無かった。
ひかるとララに必要以上に仲良くならないで欲しいというナユタの方針を踏まえれば、むしろ現状が最適解だと言って良いレベルだ。
それなのに……ナユタは、ララを止めようとしてしまった。
その理由を、ナユタは疲労とストレスのせいにした。
そう思い込もうとした。
思考に一区切りつけて、ナユタは2個目のドーナツに手を伸ばした。
「……私達に、話があるんじゃないルン?」
じーっ、と。
3対の視線が、ナユタへと集中していた。
沈痛な面持ちで、ララ達はナユタへと説明を要求している。
そういえば、そうだった。
思考に没頭していたが、ララ達3人に経過報告をするために、談話室へと集めたんだった。
「いやぁ、悪いね。自分の発明のせいだっていうストレスも結構あって、これでも結構参ってるんだ。甘い物食べさせてくれ、ホントに」
医者にだけはなりたくないモンだね、なんて軽薄に笑いながら。
ナユタは、2つ目のドーナツを頬張り始めた。
「というか、皆も食べなよ。疲れた頭に効くよ。ひかるちゃんなら、少なくとも峠は越えたし、すぐに死ぬような状態は脱してるからさ」
「「「……」」」
早く説明を始めろ、という無言の圧力がナユタに突き刺さった。
仕方なく、ナユタは腹ごしらえもソコソコに、説明を始めた。
とは言っても、先程プルンスに対して行った説明の焼き直しだったが。
もちろん、「どうしてそんな事を知っているんだ」と突っ込まれそうな部分は隠した。
特に悪夢に関する説明は、半分以上の情報を秘匿する他ない。
睡眠薬を併用して眠り続けた人間が廃人になる件なんて、現代で知っているとすれば人体実験で犠牲者を出していると思われかねないからだ。
「要は、記憶障害だね。一時的なものなのか、一生戻らないのか、そこまではアタシも分からない」
ララが飛び込んできたあとに行った、手短な質疑応答によると。
ひかるは、2019年3月にナユタと一緒に試験勉強をしたところまでは覚えていた。
およそ、3か月分の記憶が無くなっていることになる。
参考までに、ララが地球に初めて来たのは2019年4月27日だ。
つまり……。
「オヨ……。やっぱり、私のことは全く覚えていないということルン……」
「わたくしを連れ出して、学校帰りに寄り道をしたことも……」
「あたしをプリキュアに誘ってくれたことも、だね……」
どんより。
視線をやや下向きにしたまま、3人娘は暗くなっていた。
気まずい。
何が気まずいって、多少ひかるとの付き合いが長いナユタだけは、ひかるから忘れられていないというのが気まずい。
ここでナユタが下手なことを言えば、煽っていると思われかねない。
「ナユタでも、ひかるの記憶を取り戻させるのは難しい?」
「正直、厳しいね。人間の脳に関する治療薬なんて、臨床試験も難しいし、そうそう作れるもんじゃないよ」
質問してきた天宮えれなも、あまり芳しい答えを期待していた訳では無さそうだった。
アルツハイマー病みたいに治療薬の研究がされている事例は、被験者が一定以上居るから研究が可能なのだ。
病状が悪化するリスクを負ってでも不治の病を克服したいという被験者が、新薬の開発に協力するからこそ、研究は進む。
逆に言えば、類似症例も無い星奈ひかるのための特効薬をこの時代で作るのは、絶望的だ。
「ガスの成分を体外に排出するために新陳代謝を高めろ、ぐらいしか今言えることは無いよ。つまり、沢山食べてゆっくり風呂入れ、ってぐらい」
運動も新陳代謝を高めるのには有効だが、さっきまで命がけで戦っていた奴にさらに運動しろとは言いづらい。(本人が覚えていないとはいえ)
なので、結局ナユタが言えるのはそれぐらいなのだ。
一応、ネビュラガスの人体内における半減期は2時間ぐらいという知識がナユタにはあるので、さほど心配はしていない。
おそらく、今晩に星奈ひかるが悪夢を見て飛び起きることは無いだろう。
なお、物理学的な意味でのネビュラガスの半減期は300年ぐらいである。
ナユタの説明も一区切りつき、また気まずい沈黙が流れ始めた。
「わたくしも、いただきます」
しばしの沈黙を破り、香久矢まどかが発した一言は……ひかるの容態に関するものでは無かった。
まどかも、机の上に置かれていたドーナツに手を伸ばして、食べ始めた。
黙々とドーナツの咀嚼を始めたまどかの態度に、えれなとララは困惑の目を向けた。
ふぅ、なんて1つを食べ終わった香久矢まどかは一息ついて。
「わたくし達が落ち込んでいても、事態は好転しません。であれば、これからの事を考えるべきです」
毅然とした表情で香久矢まどかは言い放った。
ちらり、と一瞬だけナユタへとアイコンタクトを送りながら。
正直、まどかの言葉は、ナユタが言いたくても言えなかった一言だった。
お前らが落ち込んでも何も変わらんぞ、なんて趣旨の発言をナユタがしたら怒りを買うのが目に見えていたからだ。
というか、「そもそもナユタが危険な発明なんてするからだろうが!」とキレられて袋叩きにあう展開すらナユタは覚悟していた。
どうやらナユタが言いづらいことを察して、まどかは自分の口を開いたようだった。
「確かに、そうだね。落ち込んでたって、何も始まらないよね」
いつの間にか、えれなもドーナツを手に取って食べ始めていた。
その顔には、太陽のようだと噂される笑顔が戻りつつあった。
やはり、糖分には人間のストレスを緩和する効果があると見て間違いない。
「……確かに、みんなの言う通りルン」
ララも、まどかの提案に肯定的な返事をした。
だが……目は口ほどに物を言う、というヤツだろう。
全然、ひかるの記憶の件を割り切れていない様子だった。
それなのに、無理をして周囲に歩調を合わせようとしている。ナユタからは、そう見えた。
「一度、ひかるちゃんの様子を見に行ってくるよ。ひかるちゃんは押しが強いから、プルンスが心配だしね」
キラやばーっ、なんて普段通りの声で、プルンスを調べ回す星奈ひかるの姿を、談話室の面々はアリアリと想像できた。
たぶんクラゲ型異星人のプルンスが身体を嘗め回すように調べられているだろうな、と目視せずとも状況が理解できた。
えれなとまどかは、顔を見合わせて小さな笑顔を零していた。
記憶が多少失われても、星奈ひかるは星奈ひかるのままだ。
少しだけ明るさが戻った面々を載せて。
ロケットは、一路地球へと飛んだのであった。
「ルン……」
ララは……結局、ドーナツへ手をつけようとしなかった。
・今回のNG大賞
ナユタ「サイダーを飲ませてゲップをさせれば、ネビュラガスを排出できるぞ」
ララ「唐突な浦沢脚本やめろルン」