ぎしり。
身体の軋む音が響く。
べこり。
骨が歪む音がする。
そんな音を幾つも響かせながら、それは身体をどんどん異形へと変形させていく。
二本の腕と二本の足。それがばきりばきりと異音を発しながら二つに分かれ──合計八本の脚が出現する。
その身体は長く長く伸びていく。しかし、蛇のような細長さではない。太くどっしりとした身体は、全身から禍々しい気を放っている。
いつの間にか生え出した尾。それはまるでしなやかな鞭のようで、恐るべき力を秘めていることが見ただけで伝わってきた。
全長五メートルを超える、八本脚の巨大な蜥蜴のような魔獣。それがバジリスクのもう一つの姿であった。
「間に合わなかったか……」
目の前に出現した巨大な魔獣。その姿を見て、ウィールは悔しいそうに顔を歪めた。
バジリスクが普段の人の姿とは別に、もう一つの姿を持っていることは当然知っていた。
それなのに、むざむざとその変貌を許すとは。実に彼らしくないミスである。
しかも、異形へと変わる際、バジリスクは身体を骨格から作り直すため、それまで受けていたダメージをなかったことにしてしまうのだ。
つまり、折角ジャバディーンを瀕死間際まで追い込んだというのに、全て振り出しに戻ってしまったわけだ。
しかも、それだけではない。
魔獣の姿へと変貌したバジリスクは、人の姿の時よりも体力や石化の邪眼の力が強力になる。反面、知能は低下し、冷静さも欠けるという欠点も持ち合わせてはいるが、それでも魔獣形態となったバジリスクが恐るべき敵であることには間違いなかった。
更に、バジリスク自身も、魔獣の姿は醜いと思っており、その姿を見た者は必ず息の根を止めるという。
魔獣となったバジリスクは、様々な意味で恐るべき存在なのである。
ウィールは、上空で旋回していた自身の騎獣である
「ウィングロード。サンドリーヌとクレアを家に運んでくれ」
主に対して忠実な騎獣は、近くで左腕と下半身を石化させたまま横たわっていたサンドリーヌに近づくと、身体を傷つけないように器用に咥え、そして完全に石化しているクレアもまた、後ろ脚で掴み上げてそのままカシュカーンの中にあるウィールの自宅へと飛び去って行った。
これで、この場にいるのはウィールと魔獣と化したジャバディーンのみ。
正真正銘、一対一の真っ正面からの対決である。
ウィールは、妖精魔法の『ブレイブ・ハート』を改めて自身にかけ直す。これで、邪眼による石化はしばらく無効となった。警戒すべきはその鋭い牙と鉤爪と真語魔法、そして、その身に流れる猛毒を含んだ血液だ。
ウィールは背中の翼を大きく、そして力強く羽ばたかせて地上ぎりぎりを這うように飛ぶ。もちろん、目標は魔獣と化したジャバディーン。
飛行しながらウィールは、数発の『ファイアボルト』をジャバディーンへと放つ。
ウィールもこれが決め手となるとは思っていない。単なる牽制として、そして少しでもダメージを蓄積させるために魔法を放ったのだ。
放たれた火弾は全段命中する。しかし、ウィールの予想通り、大した被害は与えていない。
ウィールは飛翔速度を一切落とすことなく、魔獣と化したジャバディーンへと突っ込んでいく。
対するジャバディーンも、纏わりつく炎と煙を振り払うように身を震わせると、大きな咆哮を上げつつその咆哮に呪文の詠唱を含ませる。
「
それは、先程と同じ『ファイアボール』。真紅の火球が突っ込んで来るウィールを再び飲み込む。
だが、魔獣形態となり、知能が下がった今のジャバディーンの放つ魔法は、先程よりも威力が下がっている。魔獣となることの弊害が、こんなところにも現れていた。
そんな火球を突き抜けて、ウィールが姿を見せた。彼はジャバディーンが『ファイアボール』の詠唱を開始すると同時に、自身に炎によるダメージを軽減する『ウォータースクリーン』をかけたのだ。
火の粉を撒き散らせつつ、ウィールがジャバディーンに肉薄し、そのまま両手で構えた『首切り刀』を地面と水平に凪ぎ払うように振るう。
しかし、魔獣と化したジャバディーンは回避力も防御力も上昇している。ウィールが渾身の力で振り抜いた『首切り刀』は、バジリスクの首付近の鱗を数枚弾き飛ばすに留まった。
それでも、魔獣の首筋から僅かに血が迸る。ウィールはその猛毒を含んだ返り血を浴びないように、素早く身を翻す。
そこへ、狙い澄ましたようなバジリスクの鉤爪が迫る。
例え翼を持っているとはいえ、空中では下半身の踏ん張りが効かない。それでも、ウィールはその卓越した技能で迫る爪を剣で弾くことに成功した。
しかし、ジャバディーンの攻撃はそれだけでは終わらない。今のジャバディーンには脚が八本もあるのだ。その内の半分を巨体を支えるのに回したとしても、残る半分を攻撃に使える。
更に牙も尻尾だってあるし、呪文も行使できる。身体は一つだけだとしても、ウィールは複数の敵を相手にしているのと大差ない。
だが、ウィールとて只者ではなかった。“霧の街帰り”の二つ名は伊達ではないのだ。
不安定な空中から地面へと降りたウィールは、バジリスクの猛攻を尽く防いでいく。
迫り来る爪の猛攻を素早く交わし、襲い来る牙を剣で受け止める。そして、呪文の猛攻は持ち前の強靭な精神力と、妖精魔法の回復魔法を織り交ぜながら何とか耐える。
人族と蛮族が激しく争う最前線とは遠くかけ離れたところで、人知れず行われていた事実上の大将対決。それは人族がやや不利なまま、じりじりと持久戦にもつれ込んでいった。
カシュカーン防衛戦線。その最前線で愛用の大剣を振るっていたカシュカーン守備隊の隊長、ハウル・バルクマンは、眼の端に映り込んだその光に思わず視線をそちらへと向けた。
彼が見せたその隙を突いて、一体のボガードソーズマンが両手に持った剣を振りかざして迫るが、ハウルはそちらを振り向くことさえせずに、大剣を振り下ろして迫るボガードソーズマンを頭から股間まで真っ二つに両断する。
「今の光……魔法による光……いや、炎か……?」
眼の端に映ったその赤い輝きは、光というよりは炎だろう。それが幾つも連続で、爆発するように爆ぜては消える。
その状況から、ハウルはすぐに察した。あの男が、蛮族の別動隊と戦っているのだ、と。
「ヴェルファイア! ジェイナス!」
ハウルは彼の傍で戦っていた二人組の冒険者の名を呼ぶ。
「おまえたちはここを離脱し、あいつの援護に回れ」
「いいのかい、隊長さんよ?」
ナイトメアの青年が、ゴブリンを叩き斬りながら振り返ることなく尋ねる。
「構わん。ここは俺に任せろ!」
自信たっぷりにそう言う守備隊長に、ヴェルファイアは呆れたように肩を竦めると、その横で銃を構えている神官服姿の相棒へと振り返る。
「守備隊長殿のご命令だ。俺たちは“霧の街帰り”の援護に行くぜ、ジェイ」
「承知した」
そう返事を返した神官服姿の青年は、置き土産とばかりに手にしている銃の中の弾丸を全て目の前のレッサーオーガに叩き込むと、素早く身を翻して戦線を離脱しにかかる。
「おいおい、俺を置いて行くなって」
相棒の素早い行動に、ヴェルファイアも慌ててジェイナスの後を追う。
現在、カシュカーンの防衛戦線は人族側が押している状態だ。これは押し寄せる蛮族軍は数こそ多いものの、指揮官に該当する者がおらず、数にものを言わせているだけなのが大きな要因であった。
残る蛮族はゴブリンやボガードなどの低位の種族ばかりだ。これならば、ハウル率いる守備隊と志願した冒険者たちで十分に防げるだろう。
「任せたぞ、二人とも」
遠くなった二人の背中に、ハウルは小さく語りかける。
カシュカーンを巡る攻防戦の戦局は、徐々に終盤へと差しかかりつつあるようだった。
真横に勢い良く振るわれた尾を、ウィールは愛剣で受け止めようとした。
しかし、尾に込められた力はウィールの予想より遥かに強く、彼の身体はその一撃を受け止められずに大きく吹き飛ばされてしまう。
それでもウィールは翼を使い、空中で姿勢を立て直す。もしも彼に翼がなければ、そのまま背後の城壁に激突し、大きなダメージを受けただろう。
いくらウィールが腕の立つ戦士であり、卓越した妖精使いであろうとも、所詮は人族に過ぎない。体力や持久力といった面で、どうしたって人族は蛮族には劣る。
その差を、ウィールは鍛え抜いた剣技や魔法、その他の戦闘技術で埋めている。しかし、その内の一つである魔法がそろそろ打ち止めになろうとしていた。
魔法を行使するには、その代償として精神力──魔法使いの中には、この精神力をマナポイントと呼ぶ者もいる──を消費する。
既に、ウィール自身の精神力は底を突きかけている。それでも彼が妖精魔法を行使し続けられているのは、大量に所持していた魔晶石を代用していたからだ。
だが、その魔晶石も有限である以上、いつかは使い切る。そのいつかが間近に迫っていた。
現在、ウィールは妖精魔法を回復限定で使用している。既に攻撃に回すだけの精神力がないのだ。
その回復用の魔法もあと何回使えるか。ウィールは目の前の巨大な魔獣と対峙しながら、内心で冷や汗をかいていた。
そんなウィールに向けて、魔獣の口がまるで笑みを浮かべるように大きく歪められた。
いや、それは実際に笑ったのだろう。
おそらく、ジャバディーンはウィールの現状を見抜いているのだ。そして、それを見抜いた上で、まるで猫が鼠をいたぶるかのように、じわじわと攻撃を繰り返してくる。
振るわれた鉤爪を真横に構えた剣で受け止めるウィール。しかし、そのすぐ後に振るわれたもう一つの鉤爪が、彼の脇腹目がけて振るわれる。
剣を封じられた形となったウィールは、剣を手放して身体を捩るようにしてこの攻撃を躱す。しかし、魔獣の鋭い鉤爪は、ウィールの
脇腹から鮮血を撒き散らしながら、それでも翼を使って後方へと退いたウィール。だが、愛剣を手放し、魔法も殆ど使えない。いよいよ、彼は追い詰められてしまった。
どくどくと出血を続ける脇腹に片手を当て、残り数回の少ない『プライマリィヒーリング』を使う。だが、脇腹の傷は深く、一度の『プライマリィヒーリング』では回復しきれない。
元々、妖精魔法の回復魔法は、神官たちが使う神聖魔法に比べると回復の効率が悪い。神聖魔法の『キュア・ウーンズ』なら一度で回復しきる傷も、『プライマリィヒーリング』では二度、三度の行使が必要となる。
だが、ないものねだりをしてもどうにもならない。ウィールは魔獣を真っ正面から見据えつつ、数歩後ずさって距離を取る。
その時、彼の足が何かに触れた。
正面の魔獣を視界から一瞬だけ外し、素早くそれが何かを確認する。
それは一体の骸だった。
死後もその遺骸を
そのぽっかりと窩が空いた二つの眼窩が、まるで何かを告げるかのようにウィールの方を向いていた。
「────────っ!!」
その眼窩を見た時、ウィールの脳裏を閃光が駆け抜けた。
彼は残された魔晶石の精神力を使い、数発の『ファイアボルト』をバジリスクの頭部目がけて一斉に放つ。
そして、着弾による炎の輝きと煙が魔獣の視界を一瞬奪った隙に、懐からとあるものを取り出した。
それは、かつての宿敵から入手した、呪いの力を残した戦利品。
カシュカーンの本国ともいえるダーレスブルグ公国、その第四軍の将軍にして王位継承者、そしてウィールにとっては気心のしれた友人でもあるマクダレーナ・イエイツにも、危険なものだからと彼女にも見せることを断ったモノ。
それを、魔の前の邪眼の魔獣に向かって、ウィールは力一杯投擲した。
小賢しい、と彼は心の中で嘲りの笑みを零す。
人族の間で英雄と持て囃されている“ディーラ紛い”。その男が放った威力の低い炎の弾丸。
まさか、こんなもので魔獣と化した自分を倒せるとでも思っているのか。
ジャバディーンは、当たるがままに任せた火弾が爆ぜる光と爆煙を振り払うために、その巨体を大きく震わせた。
そして視界が回復した時、自分に向けて飛んでくる小さな物体がある事を敏感に感じ取った。
──“ディーラ紛い”め。何を投げて寄越した?
何を投げつけようが、“ディーラ紛い”が自分に大きな打撃を与えられるとは思えない。しかも、飛んでくるのが石ころのような小さなものとあっては、ジャバディーンがそう考えるのも仕方のないことだろう。
だが。
だが、その慢心こそが彼の命取りとなった。
苦し紛れに“ディーラ紛い”が投げたものが何なのか。それを見定めようと、ジャバディーンは自分に近づいてくるものに視線を定める。
途端、ジャバディーンは自分の身体が動かなくなった事を自覚した。
──な、何だっ!? 何が起きたというのだっ!?
もがくように身体を打ち震わせるジャバディーン。しかし、その身体は既に動くことさえしない。
そして、ジャバディーンは見る。
自分の身体が、脚や尻尾の先から徐々に石化していくのを。
ここに至り、ジャバディーンは先程“ディーラ紛い”が投げたものが何なのかを悟る。
──“ディーラ紛い”いいいいいいいっ!! き、貴様、バジリスクの邪眼を────っ!!
そう。
ウィールが投げたのは、かつて“出来損ない”と呼ばれたバジリスク、ヒューリカの右目だったのだ。
彼は『霧の街』でヒューリカとの戦いに勝利した時、戦利品としてバジリスクの邪眼を手に入れていた。
その邪眼には僅かだが石化の呪いが残っており、それを目にしたジャバディーンは、その呪いに囚われて石化していくのだ。
石化の呪いを有したバジリスクが、同じバジリスクの呪いを受けて。
そんなジャバディーンに、ウィールは冷たい視線を向けたまま告げる。
「──それは、貴様が遺骸さえも弄んだヒューリカの報復だと知れ、ジャバディーン」
それが、“黒こげにする”という異名を持った、『霧の街』の上位蛮族の一人であるバジリスクのジャバディーンが、最後に耳にした言葉となった。
大変遅くなりました。『ディーラ紛いのウィール』、ようやく更新できました。
年末年始を跨いで、実に一ヶ月振りの更新です。本当に申し訳ありません。
今年も、おそらくはこんな調子で更新していくことになると思いますが、最後までは必ず書き続けます。
それこそ、病気や事故で自分が急死でもしない限り(笑)。
それでは、今年もよろしくお願いします。
※今回、バジリスクの戦利品である「石化の瞳」に石化能力があるように描写しましたが、ゲーム上ではこの能力はありません。あくまでも、小説上だけの表現です。念のため。