ディーラ紛いのウィール   作:ムク文鳥

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霧の街──ミストキャッスル──

 常に晴れることのない霧で覆われた街がある。

 その街はエイギア地方の南部にあり、魔動機文明時代はかつてのダーレスブルグ王国に属し、ジーズドルフの名前で呼ばれていた都市だ。

 だが〈大破局〉で蛮族に奪われ、以後はそのままエイギア南部を統治するジェイドバジリスク、“翠将(すいしょう)”ヤーハッカゼッシュによって支配されている。

 シェス湖から湧き上がる霧で常に覆われ、遠くに宮殿が霞んで見えることから、いつの間にかこう呼ばれるようになった。

 

──霧の街、ミストキャッスル──と。

 

 ダーレスブルグは、押し寄せる蛮族を迎え撃とうとするも失敗、都市陥落の際には集まった兵士と市民合わせて三万人が蛮族に降伏したと伝えられている。

 現在も蛮族の支配は続いており、奴隷を生み出し、人族の開拓地から攫い込み、他の蛮族の領地へと輸出する奴隷流通の拠点でもある街。

 また、奴隷ではない人族も暮らしており、彼らは「浮民」と呼ばれて奴隷よりも蛮族に虐げられる毎日を送っている。

 ここでは人族は、蛮族の奴隷であり、家畜であり、そして食料に過ぎないのだ。

 蛮族は戯れに人族に難題を降りかけ、気まぐれに殺し、奪い、貪る。

 蛮族の社会では強さこそが正義であり、全てなのだ。

 力ない者は虐げられ、力のある者は全てを得る。

 人族ではあり得ない社会。それが霧の街なのであった。

 

 

 

 太陽の光が殆ど届かない霧の中に、断末魔の叫び声が響き渡る。

 霧に見え隠れする半ば崩れた廃墟の中にいる人族たちは、その断末魔の叫び声を聞きながら様々な思いに捕らわれた。

 断末魔の叫びを上げたのが、自分ではなかったという安堵感。

 叫びを上げた見知らぬ誰かに対する憐憫の思い。

 そして、ほんの僅かだが加害者に対する憎しみ。

 人族──浮民と呼ばれる奴隷ではない人族──は、蛮族の狂気が自分に向けられぬよう祈りながら、廃墟の陰で身を竦ませる。

 彼ら浮民と呼ばれる人々は、奴隷よりも立場が低い存在なのだ。

 奴隷は蛮族の間でもれっきとした財産であり、他者の奴隷を勝手に傷つけることはない。

 傷つけた奴隷が自分よりも高位の蛮族の所有物であった場合、その高位蛮族の報復が恐ろしいからだ。

 だが、浮民と呼ばれる人々は違う。

 蛮族にとって、浮民は野生動物と大差ない。腹が減ったからといって狩ることもあれば、おもしろ半分に玩具のように扱うこともある。

 今もまた、ボガードと呼ばれる下位の蛮族数体が、この辺りに点在する廃墟を塒にしている浮民を単なる娯楽として虐殺していた。

 びしゃり、と湿った音と共に、赤い液体が廃墟の崩れかけた壁を染め上げる。

 次いで、再び響く断末魔の声。同時に、どさりと何か思いものが倒れる音。

 倒れた何かからは赤い液体が溢れるように流れだし、霧に覆われてあまりよく見えないが、土が剥き出しの地面の上をどんどんと広がっていく。

「ぐへへへへへ。上手そうな人間を狩ったぜ。今日はご馳走だな!」

 濁ったダミ声を発したのは、血に濡れた剣を携えたボガードだ。

 ボガードはやや細身で引き締まった身体つきの、人間と同じ大きさの蛮族である。

 生産性は殆どなく、必要なものは他者から奪うのが常であり、残忍な性格と合わせて非力な人族にとっては恐るべき存在である。

 また、ゴブリンと並んで最も数の多い種族でもあり、よく人族の領域でも見かけられる蛮族でもある。

 そんなボガードが数体、手に手に剣呑な得物を持って人族を狩っていた。

 目的は食料の確保と同時に、弱い人族をいたぶる楽しみのためだ。

 ボガードたちは、仕留めた獲物をその場で貪り始める。

 やがて狩った獲物が骨だけとなった時、ボガードたちは廃墟の片隅へと目を向けた。

 そこには粗末な衣服を纏った人間の雌が二体、互いに身体を抱き締めながら震えていた。

 よく似た容貌と年齢から、おそらくこの二体の雌──二人の女性は母子(おやこ)であろう。とすれば、先程蛮族の食事となった人間は父親だったのかも知れない。

 人間一体分では数体のボガードの腹は満腹にはならない。ボガードたちは、次の獲物へと粘ついた視線を向ける。

「ぐへへへへ。さぁて、次は人間の雌だぜぇ。やっぱり、雄より雌の方が肉が柔らかくて美味ぇよなぁ」

 溢れる涎を拭うこともせず、ボガードたちは血に濡れた剣の切っ先を母子へと向けた。

「おい、人間の雌。助けて欲しいか? 見逃して欲しいか?」

 相変わらずのダミ声。だがほんの僅かに優しさを込めた声でボガードは母子に問う。

 気まぐれで訪れようとしている蛮族の慈悲に、母と子は涙に濡れた顔を必死に縦に振った。

「そうか、そうか。じゃあよ……ここで着ているものを脱いで素っ裸になりな。そうしたら、見逃してやるぜぇ?」

 一体のボガードの提案に、残りもげらげらと一斉に嘲笑する。

「ははははははっ!! そりゃいい案だ。おい雌ども。さっさと着ているものを脱ぎな!」

「お、オレ知っているぞっ!! そういうの、人族の社会ではストリップとか言うんだろ? おもしろそうじゃねえか!」

 蛮族たちのとんでもない提案に、それまで真っ青だった母子の顔色が羞恥の赤に染まる。

 実のところ、蛮族が人族の裸を見ても何を感じるというわけでもない。

 単なる性欲の捌け口として、蛮族が人族の女性を凌辱することは確かにあるが、それでも裸を見たからといってより興奮するわけではないのだ。

 要は人間が猿を見ても全く興奮しないのと同じである。

 ではなぜ、このボガードたちがこのようなことを強要するのかといえば、それは単に人族に屈辱感を与えるためだ。

 屈辱を与えつつ、それでいて僅かな希望も与える。そして、最後には嘲りながらその僅かな希望をも握り潰すつもりなのだろう。

 その方がより強い絶望感を与えられるのだから。

 自ら裸になるという屈辱を与え、それでいて助かるかもしれないという希望も与える。だが、最後には結局殺して食う。そうすれば、この人間の雌どもは更なる絶望を感じながら死んでいくだろう。

 そんな卑しいことを、この蛮族たちは考えていたのだ。

 だが、このような一方的で理不尽なできごとは、この霧の街ではいつものことなのである。

 

 

 

 そうとは露知らず、母と子は僅かな希望に縋り付き、震えながらも着ているものを脱ぎ捨てていく。

 母親の方は三十前後。娘の方は十六、七だろうか。

 浮民だけあってその身体は薄汚れており、肉付きも良くはない。

 やがて、霧に包まれた薄暗い廃墟の中で、二人分の裸身が浮き上がった。

 その裸身を見て、ボガードたちがげらげらと大笑いする。

「げへへへへ。やっぱりおまえら家畜に服なんざいらねぇな。裸がお似合いだぜぇ」

 一体のボガードがそう言えば、残りも同じように口汚く罵る。

 それでも、母子は屈辱に耐え、思わず腕で隠しそうになる裸身を必死に蛮族たちに晒していた。

「あー、笑った、笑った。笑い過ぎて、余計に腹が減っちまったぜ。ほんじゃまぁ、目の前に美味そうな肉もあることだし、早速いただくか」

 にぃと嫌らしく口元を歪め、ボガードは手にした剣を母親へと突きつけた。

「そ……そんな……っ!! 約束が違うじゃありませんか、蛮族様っ!? は、裸になったら見逃してくださると……」

「ああぁっ!? 知らねぇな、そんな約束はよぉっ!!」

 縋るように赦しを請う母親。娘の方も涙ながらに裸のまま跪き、必死に頭を地面にこすり付けるようにして慈悲を願う。

「お願いします! お許しください! お見逃しください!」

 だが、そんな姿こそが蛮族たちが見たかったもの。必死に赦しを請う二人を、ボガードたちは虫けらでも見るように見下ろすばかり。

「ああ、もういいよ。すっかり飽きちまったぜ。だから……死にな」

 一方的な殺害宣言と共に、ボガードは手にした剣を高々と振り上げ、そのまま目の前の母親へと一気に振り下ろす。

 だが、鋼が肉を断つ鈍い音が響くことはなく、代わりに轟いたのは金属と金属を打ち合わせた甲高い音。

「んだぁっ!?」

 ボガードが振り下ろした剣は、突然どこからともなく割り込んだ人物の剣に受け止められていた。

 顔以外は薄汚れた外套ですっぽりと覆った、年若い人間の男性だ。

「あぁん? 何だぁ、てめぇはぁ?」

 自分の剣を受け止めた生意気な人間に対して、ボガードは精一杯凄んで見せる。

 だが、目の前に突然現れた人間の雄は、ボガード数体を前にしてもまるで恐怖を感じた様子を見せない。

 そのことに、逆にボガードたちの間に動揺が走る。

 その動揺を押し隠すように、ボガードは改めてこの人間の雄を観察した。

 茶色い髪で、すみれ色の瞳。左の目の上から頬にかけて二筋の傷痕が走っている。

 そしてなぜか、外套の背中の部分が大きく歪に膨らんでいた。

 目の前の人間のこれらの特徴に、ボガードの貧弱な脳味噌に何かが走る。

 しかし、ボガードの脳味噌はその肉体ほど優れてはいなかった。脳裏に走った何かをすぐさま忘れ去ると、仲間と共に生意気な人間を取り囲む。

「よくも俺たちのお楽しみを邪魔してくれたなぁ? どうなるか分かっているんだろぉなぁ?」

 再び凄んで見せるボガード。しかし、やはりこの人間の雄──青年は冷めた瞳でボガードを見つめ返すのみ。

「か、構うこたぁねぇ。こいつもばらばらにして、俺たちの食事にしちまえっ!!」

 一体のボガードが号令を発すると、残りのボガードたちが一斉に青年に向かって凶器を繰り出す。

 剣、槍、斧、戦棍(メイス)など、多種多様な凶器が青年を挽き肉に変えようと振り下ろされる。

 だが。

 だが、数々の凶器は全て空を切った。

 ボガードたちの得物が青年を捕えようとした瞬間、標的の青年の姿が急に消え失せたのだ。

 突然消えた青年の姿を求めて、ボガードたちは慌てて周囲を見回す。

「ど……どこへ行きやがったぁっ!?」

 消えた青年を罵りつつ、ボガードはでたらめに手にした剣を振り回す。

 この時になって、ようやくボガードの一体が廃墟の片隅で踞っている母子の様子に気づいた。

 母子は相変わらず全裸のまま、呆然と崩れ落ちた廃墟の天井に開いた穴を見上げている。

 それに釣られて上を見上げるボガード。果たして、件の青年はそこにいた。

 背中に生えた大きな猛禽のような翼を、力強く羽ばたかせながら。

「せ……背中に翼だと……? ま、まさか……まさか、あいつは……っ!?」

 ボガードはとある噂を聞いたことがあった。

 その噂とは、かつてこの霧の街にいた一人の人間に関するものだ。

 その人間は、たった一人で数々の同胞を打ち倒し、遂にはこの街の支配者である高位蛮族でさえ、数名をその手にかけたという。

 時に敗北し命を失うも、無理矢理蘇生されて魂に穢れを帯びつつ、それでもなお蛮族に対して抗い続けた憎むべき人族。

 “塚人いらずの”ムギドによって、その身体に魔獣の翼を植え付けられたその人間は、その翼さえも己の力の一部にして更に同胞を殺して回った。

 いつしか、その人間はその背中の翼から“ディーラ紛い”と呼ばれ、蛮族たちを震え上がらせるようになる。

 だが、ある時を境にその人間の噂は聞こえなくなった。

 何らかの方法でこの霧の街を出ていったのだとか、この街の支配者である高位蛮族の誰かに殺されたのだとか、様々な憶測が飛び交ったが、それも時間と共に忘れられて行った。

 その、“ディーラ紛い”が、再び霧の街に現れたのだ。

 呆然と上空を見上げるボガードたち。

 獲物を見定めた猛禽のように、“ディーラ紛い”は上空からボガードたちへと襲いかかる。

 そして、数体のボガードが物言わぬ骸と化すのに、それほどの時間は必要なく。

 瞬く間にボガードたちが葬り去られるのを、母子は抱き合ったまま呆然と見つめる。

 しかしこの時、二人には確かに見えたのだ。

 決して晴れることのない霧を切り裂く、一筋の光明が。

 今まさに、蛮族たちにとっての悪夢が再び幕を開けようとしていた。

 




 『ディーラ紛いのウィール』更新しました。

 またもや随分と間が空いてしまい、本当に申し訳ありません。
 今回より、舞台は霧の街──ミストキャッスルに移行します。
 再び霧の街に舞い戻ったウィール。狙うはもちろん、この街の統治者“翠将”ヤーハッカゼッシュ。


 ところで、巷ではサプリメント『ミストキャッスル』の後続にあたる『ミストグレイヴ』が発売されましたが、諸事情で購入を見合わせており、当作には未導入ということで進めていきたいと思います。
 ええ、主に金銭的な理由からです(笑)。
 未購入のため中身はよく知らないのですが、ちらっと聞いたところによると、ヤーハッカゼッシュが何やらとんでもなく強くなっているとか。
 一体、どのようになっているのか興味ありますな。
 うん、いつか買おう。

 では、次回もよろしくお願いします。
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