シャドウ。
ここ「霧の街」が存在するレーゼルドーン大陸で主に暮らす人族である。
その名が示す通り、影のような灰褐色の肌と、暗闇を見通す第三の目を額に持つ。
人間よりもやや高い身長にしなやかな四肢を有しており、人間よりも敏捷性、器用度に優れる。反面、知力や精神面ではやや劣る。
その優れた器用度や敏捷性を活かして隠密や密偵、傭兵として活躍し、時には暗殺者としても暗躍する。
また、額の第三の目は魔を祓う力を有しているといわれており、魔法に対する抵抗力は並々ならぬものがある。
古来より暗殺者や傭兵として生きてきたという歴史を持ち、契約を重視する傾向にある。一度交わした約束は決して破らないことは、彼らの特性の一つとして上げられるほどである。
そんなシャドウの女性が、訝しげな視線でじっとウィールをみつめていた。
「……蛮族……ではなさそうですね。ですが……」
彼女の視線は、ウィールの背後にある翼に注がれている。
「……そのような翼を有した人族の話など、聞いたこともありません…………はっ!? もしや、あなたは珍種のリルドラケンですかっ!?」
彼女の言うリルドラケンとは、直立歩行する小型の竜といった外見を持つ人族の一種である。
これまで背中の翼のせいで、蛮族に間違えられたり魔物扱いされたことは多々あるウィールだが、さすがにリルドラケンに間違われたことはない。
人族の範疇であるリルドラケンに間違われたことを喜ぶべきか。それとも外見が人間とは似ても似つかない竜族と言われて腹を立てるべきか。
思わずウィールが思い悩んでいると、件のシャドウが目の前まで近づいてきた。
「……ですが、リルドラケンとは思えませんね……ここで少々あなたにお尋ねします。あなたは何者なのですか?」
「……最初からそう尋ねれば良かったんじゃないか?」
「それは言わない約束ですよ、お父さん」
「………………」
頭痛がした。
どうにも掴み所のないシャドウの女性。
がんがんと鳴り響く頭痛を抑え込みながら、ウィールは改めて目の前の女性を観察した。
奴隷の首輪をしていないところを見ると浮民のようだ。それとも、外部から何らかの目的で入り込んだ冒険者か。
青い瞳に肩口で切り揃えられた白色の髪。
顔の造形そのものは美人と呼んで差し障りない。
だが。
「……ノリの悪い人ですね。こういう場合は『おまえにはいつも苦労をかけて済まない……』と、悲痛な表情で告げるのがお約束では?」
口を開いた途端、全て台なしになった感が途轍もない。
正直、あまり関わらない方が良さそうだ。そう内心で判断したウィールは、適当な理由を告げてこの場を去ろうとした。
「あ」
しかし、女性の口が再び開かれる方が早かった。
「これは私としたことが! 『おまえにはいつも苦労をかけて済まない』が先で、『それは言わない約束でしょ』が後でした!」
なぜかウィールは精神力をごっそりと奪われたような気がして、落ちていた適当な石材の一つに腰を下ろすとがっくりと両肩を落とした。
「私の名前はナディア・ノート。見た通り、シャドウの美女です。あ、詳細な年齢は聞かないでください。ただ、二十歳前後とだけ言っておきましょう」
「………………ウィール・ビアンテだ」
半端なない脱力感から抜け出せないながらも、結局ウィールはナディアと名乗ったシャドウの女性と話をしてみることにした。
ウィールが彼女を敵ではないと判断した理由は、彼女がティダンの聖印を身に着けており、
第一の剣に連なる神を信仰するということは、この街では蛮族に従わないことを意味する。
そのため、第一の剣に連なる神の聖印を身に着けている者は、それだけで人族からは信頼の対象となり、蛮族からは問答無用で攻撃を受けることになる。
「はて? ウィールという名前はどこかで聞いたような……」
軽く握った右の拳を口元に寄せ、ナディアが何やら考え込む。と、その視線が再びウィールの背中の翼へと向けられた。
「もしや……かつてこの街にいたという、“
「…………“ディーラ紛い”だ……」
石材に腰を下ろしながら、ウィールは更なる脱力感に襲われて、右手で自分の顔の右半分を覆った。
とぼけているのか。それとも本気で言っているのか。本気だとすれば、悪気がない分余計に性が悪い。
「……それで、君は何をしていた?」
「
「………………」
「それとも、あなたは私がここでどこかの男性と、きゃっきゃうふふなことをしていたとでも?」
「………………」
「生憎ですが、こう見えても私は処女でして。そうそうこの身体を安売りするつもりはありませんので、悪しからず」
「………………もういい」
まるで両肩に何かがのし掛かるような倦怠感を感じつつも、ウィールは何とか立ち上がった。そして、神殿の地下室を後にしようとする。
「どちらへ行かれるのですか?」
「俺にもいろいろと予定がある。そうそう油を売ってばかりはいられないんだ」
地下室から外へと続く階段の手前で、ウィールは肩越しに振り返って背後を見た。
「いくら君がティダンの信徒であっても、あまりここには近寄らないことだ。ここに出入りしているのを蛮族に見られると、どんな因縁をふっかけられるか分かったものじゃない。例え君がどれだけ腕に覚えがあったとしても、だ。なんせ、ここは『霧の街』。予想外の実力を持った蛮族など、いくらでもいるんだからな」
それだけ言い置くと、ウィールは再び地上を目指した。
その場に残されたナディアはしばらく遠ざかるその背中を眺めていたが、不意ににこり微笑むと、ウィールの後を追うように地上へと続く階段に足をかけた。
ぴたり、と。
突然足を止めたウィールは、苦々しい表情を隠そうともしないで後ろを振り返った。
「どうしてついて来るんだ?」
「はい。私なりに思うところがありまして」
しれっとそう答えたのはナディアだった。
彼女はティダン神殿の廃墟から、ずっとウィールの後ろをついて来たのだ。
「私はあなたと行動を共にしたいと思うのです」
「どこがどうなってそういう結論に達したのか、聞きたいものだな」
なんせ、ウィールと彼女が交わした会話は、短い上に互いに噛み合わないものばかり。
そんな奇妙な時間の中で、どうしてナディアはそんな結論に辿り着いたというのか。
「そうですね。理由はいろいろとあります。あながた噂に聞いた通りの実力者だとすれば、あなたと協力することは私には多大な利点となります。もちろん、協力する以上は私もあなたの力になりますよ。うっふん」
「…………なんだよ、最後の『うっふん』というのは?」
「もちろん、色仕掛けです」
「口で『うっふん』というだけの色仕掛けなんて、聞いたこともないがな……」
ウィールの言う通り、ナディアはしなを作るわけでもなくければ、流し目を送るわけでもなく、ただ単に平素な表情で「うっふん」と口にしただけ。これで靡く男がいるとすれば、そいつは余程特殊な趣味の持ち主に違いない。
それに、どうもこのシャドウと話していると疲れ方が半端ない。
こういう輩にはあまり近づかない方がいい。ウィールの冒険者としての勘がそう告げていが、そうはいかないようだった。
街中に立ち籠める霧を押しのけて、突如巨大な人影が現れた。
ウィールよりも遥かに高い身長。そして高いだけではなく、横幅もそれに比例するかのようにがっしりとしている。
そんな巨漢の頭部だけは、人ではなく牛のそれ。
ミノタウロスと呼ばれる怪力を誇る蛮族である。
ミノタウロスは取り巻きか部下であろう数体のボガードを引き連れ、その牛面を醜悪に歪ませながらウィールとナディアを見下ろした。
「ヒヒヒヒ。こんな所に人族の雌がいるとはな……おい、人間の雄。その雌をこっちに渡しな。そうすれば、おまえは助けてやるぜ?」
ミノタウロスは人族の女性を好む。様々な方法でいたぶった後で最後には食い殺すのだが、その「いたぶり」の中には性的な凌辱も含まれている。
そんな凌辱のお零れを期待しているのか、それとも単に食料として見ているのか。取り巻きのボガードたちも、その顔ににやにやとした愉悦の表情を浮かべていた。
「だが、断る!」
はっきりとした拒否の言葉に、思わず蛮族たいがぽかんとした表情になる。
なぜなら、先程の拒否の言葉を口にしたのが、人族の雄ではなく雌の方だったからだ。
「俺の最愛の女性を貴様らのような薄汚い蛮族に渡せるわけがない! 彼女を渡すぐらいなら、ここで貴様らを血祭りに上げてやろう、と、こちらの人族の雄が心の中で叫んでおります」
相変わらず表情を変えることなく、しれっとしたナディアが指差したのはもちろんウィールだ。
確かにウィールとしても蛮族の言う通りにするつもりなど毛頭なかったが、それでもナディアがそう言っているのを聞くとどっと疲れた気がしてしかたない。
ほぅと大きな溜め息を吐きながら、それでもウィールは腰から剣を抜く。
抜かれた剣を見て、蛮族たちが思わず数歩後ずさる。
その剣はそれまでの彼の愛剣だった首切り刀ではなく、更に大型の両刃の直剣であった。
非常に長い柄と左右に張り出した鍔が特徴的なその剣は、片手両手兼用で斬撃刺突のどちらも可能な万能さを誇る。
反面、重量そのものは極めて重く、誰にも扱えるようなものではないのは一目瞭然。蛮族たちが後ずさったのも、その剣が持つ迫力に押されたからだ。
ドミネイター。
それが新たなウィールの愛剣の名称だ。
クラウゼ流一刀覇王剣を修めた者だけが所持することを許される、極めて強力な剣である。
ウィールはこの剣を、『霧の街』に入り込む前に、ルキスラ帝国皇帝、ユリウス・クラウゼより直々に与えられていた。
「お、おまえ……人族の分際で蛮族様に逆らおうってのかっ!?」
巨大な剣を構えたウィールに気圧されながら、ボガートの一体が錆の浮いた剣を手に前へ進み出る。
ざん、という何かを断ち斬る音は、とても澄んでいた。
上段から振り下ろしたウィールの剣が、不用心に間合いに踏み込んだボガードの身体を縦に両断したのだ。
白い霧の中にどす黒い赤を混入させながら、ボガードの身体が左右に別れて大地に沈む。
その音で我に返った蛮族たち。彼らは手に手に得物を構えて、ウィール目がけて突進する。
先頭はもちろんミノタウロス。
ミノタウロスは、本物の牛のように頭に生えた角を振りかざして、ウィールをその角で貫かんと爆走する。
だが、ウィールは至極冷静にその突進を見据えていた。
「……大丈夫ですか? ミノタウロスが突進して来ますが?」
「大丈夫だ。君はどこかに隠れていろ」
相変わらず表情を変えないナディアに、ウィールは振り返ることなく簡素に告げた。
そして気配で彼女が離れたことを悟ったウィールは、十分にミノタウロスを引きつけてひらりと宙に舞う。
この『霧の街』には古代の強力な防空システムがあるため、空高く上昇することはできない。
それでも、低い姿勢で頭から突っ込んでくるミノタウロスを躱す程度には、空を舞うことは可能だ。
翼を巧みに使い、空中で姿勢を制御。
身体を目一杯捻った捻転の力を利用して、ウィールは空中でドミネイターを一閃させた。
ばさり、と翼を翻して着地するウィール。
その背後では、勢い余ったミノタウロスが崩れかけた建物の壁に思いっ切り激突した。
がらがらと崩れる建物に埋もれ、そのまま動かなくなるミノタウロス。
そのことに、不審そうに首を捻るのはその配下であるボガードたちだった。
そんな彼らの足元に、何かが空から降ってきてごろりと転がる。
反射的にそちらへと目を向け、それが何なのかを確認したボガードたちは、一斉に引き攣ったような悲鳴を上げた。
彼らの足元に転がったもの。それは見事に両断されたミノタウロスの首だった。
擦れ違いざまの一撃で、ウィールはミノタウロスの首を刎ねたのだ。
目の前にいる人族が普通ではないと今更ながらに悟ったボガードたちは、一斉に逃走へと移る。
だが、その背中を次々にナディアが手にしていた槍が貫いていく。
目にも留まらぬ速度で突きを繰り出し、数体の蛮族を屠ったナディアは、にこりともせずにウィールを振り返った。
「どうです? 少しは役に立つと思いませんか?」
自らを指差しながら、自らの実力を誇示するナディア。
確かに、彼女の槍捌きは大したものだとウィールも思う。
それに彼女は神官である。神官たちの扱う神聖魔法は、回復魔法としては極めて強力である。
その力は、これからのウィールの助けになるに違いない。
「いいだろう。ついて来い」
ぶっきらぼうにナディアに告げたウィールは、そのまま背中を見せてすたすたと歩き出す。
が。
「あ、待ってください。蛮族たちから戦利品を剥がなくては!」
どこか嬉しそうにいそいそと蛮族の死体を漁り出したナディアに、ウィールは再び大きな溜め息を吐くのだった。
「……噂通りの実力ですね、“ディーラ紛い”」
彼女は蛮族たちから戦利品を剥ぎながら、くすりと小さく笑みを浮かべた。
ボガードを一刀両断にし、そして一瞬でミノタウロスの首を刎ねたその手際と実力。
それは、噂に聞いたものと遜色のないものであった。
それに。
「……あなたが優しいから、でしょうか」
それは、なぜ自分のについて来るのかという、先程彼が彼女に問うた問いの答え。
この生き馬の目を抜く『霧の街』で、他者を心配するような者は殆どいない。
それなのに、彼は初対面の彼女を気遣ったのだ。
──いくら君がティダンの信徒であっても、あまりここには近寄らないことだ。ここに出入りしているのを蛮族に見られると、どんな因縁をふっかけられるか分かったものじゃない。例え君がどれだけ腕に覚えがあったとしても、だ。なんせ、ここは『霧の街』。予想外の実力を持った蛮族など、いくらでもいるんだからな──
彼がそう告げた時、まるで神の啓示を受けたような感覚を覚えた。
もしかすると、それは錯覚だったのかも知れない。しかし、彼女はそれが単なる錯覚とは思えなかった。
彼のあの言葉を聞いた時、彼女は決心したのだ。
この男に──“ディーラ紛い”と呼ばれる彼と共に行こう、と。
蛮族たちからしっかりと戦利品を奪った彼女は、少し離れたところで呆れた顔をしている彼の元へと近づいていく。
その顔はいつもの通りに変化に乏しい表情で。しかし、内心ではしっかりと笑みを浮かべながら。
『ディーラ紛いのウィール』更新。
今回はシャドウのお姉さんの紹介の回。
この作品にはお堅い連中が多いので、少しはっちゃけたキャラにしてみました。
いかがだったでしょうか?
自分としては結構気に入っています。
次あたり、予定していたもう一人が登場……できたらいいな(笑)。
では、次回もよろしくお願いします。