ディーラ紛いのウィール   作:ムク文鳥

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出来損ないの蛮族

 店内を支配した静寂の後に訪れたもの。

 それは爆笑だった。しかも大爆笑。

 店の主人は腹を抱えて。ハイネも口を手で被いながらも肩を振るわせている。

 客たちもある者はテーブルを叩き、またある者は足を踏み鳴らして。

 中にはあからさまに男を指差して大笑いしている者もいる。

 これに戸惑ったのはもちろん、“霧の街帰り”を名乗った──いや、騙った男である。

 これまで“霧の街帰り”の名前を出して、このような反応を示した者などいなかった。

 “霧の街帰り”という名前を出せば、誰もが尊敬と畏怖の念を持って男を見た。

 この男が“霧の街帰り”を騙るようになったのは、ちょっとした偶然からだった。

 ダーレスブルグ以外でも“霧の街帰り”の名前が囁かれるようになってしばらくの頃、男が初めて訪れた冒険者の店でのことである。

 そこで男は店の店主に、“霧の街帰り”に間違えられたのだ。

「なあ、あんた。あんたが最近“霧の街帰り”って二つ名で呼ばれいる奴じゃないか?」

 男もまた、その二つ名は耳にしていた。なんでも最近蛮族の支配する霧の街と呼ばれる魔都から生還した英雄らしい。

 その英雄様がそこでどんな偉業を成し遂げたのかまでは知らなかったが、いい感じに酒が回っていた男は、店主のその言葉に思わず首を縦に振ったのだ。

 店主によるとその英雄の特徴は、二十歳前後の茶色い髪ですみれ色の瞳の青年で、戦士であり妖精使いであること、左頬に傷があること、そしてなぜか羽根を身に付けているらしいこと。

 男は傭兵上がりの冒険者だった。最初の頃は数人でパーティを組み、主にリーゼン地方で仕事を請け負っていが、パーティの他のメンバーとそりが合わず、そのパーティから離反して一人ザルツ地方へと流れて来たのだ。

 偶然にも男の容姿は茶色い髪ですみれ色の瞳。そして、パーティを離反する前に請けた仕事でハルピュイアを倒していた。その時手に入れた幻獣の羽根を、彼は記念にと外套に差していたのだ。

 それに実は男は妖精使いではない。男が持っていた妖精使いの宝石は、パーティを離反する腹いせにパーティリーダーの妖精使いが持っていた宝石を、こっそりとくすねたものなのである。

 顔の傷だって傭兵時代に訓練中にできたもの。このように偶然に偶然が重なって、たまたま特徴が重なっていた男は噂の英雄と勘違いされたのだ。

 以来、男は“霧の街帰り”を騙ってきた。“霧の街帰り”を名乗り、初見の冒険者の店で高額の報酬の仕事を請け負い、前金だけ受け取ってそのまま逃亡。それを繰り返しつつ、流れに流れて人族と蛮族の境界線である、このカシュカーンまでやって来たのだった。

 

 

 

「な……何が可笑しいっ!? わ、笑うんじゃねえぇっ!!」

 男は酒のそれとは別の赤で顔を染め、いまだに笑い続ける店主や客たちに怒鳴り散らした。

「お、俺が……俺が誰だか分からねえのかっ!? 俺は英雄だ! “霧の街帰り”だ! 俺を笑うな! 笑うんじゃねぇぇぇぇっ!!」

 叫べば叫ぶほど、客たちは笑い声を上げる。客たちにとって、“霧の街帰り”を騙り無様に喚ち散らしている男は、もはや侮蔑と笑いの対象でしかない。

 その事に気付かない男はさらに大声で喚く。

 しばらくしてようやく笑いが納まった店主が、呆れを含んだ声で男に問う。

「おいおい、ここがどこだか分かってその二つ名を出してるのか?」

「ど、どういう意味だ!?」

「ここはカシュカーン。人族と蛮族の境界線の町。そして霧の街に最も近い場所なんだぜ?」

「な……に……?」

 男の顔色が赤から蒼へと変化する。店主の言っている意味が男には分かったからだ。そして周りの客たちがなぜ自分を笑っているのかも。

「“霧の街帰り”が霧の街から帰還した場所こそ、ここカシュカーンだ。だからカシュカーンの住人は、皆“霧の街帰り”の顔を知っている。このカシュカーンの町外れには“霧の街帰り”の屋敷だってあるんだ。そう、“霧の街帰り”はここに住んでいるのさ。それにな……」

 そう言って店主が指差したのは、笑い過ぎて溢れた涙を指先でぬぐっていた真紅の髪の少女。

「ハイネ……その嬢ちゃんと彼女の兄さんやその嫁さんは、“霧の街帰り”と一緒に霧の街からやって来たんだよ」

 男の目が驚愕に見開かれる。この純真そうな少女が、魔都と呼ばれる霧の街から来たなど誰に想像できよう。

 男の驚きに満ちた顔を見て、ハイネが店主の言葉を肯定する。

「ええ、そうよ。私は霧の街で生まれ育ったわ。それも幼い頃に家族の元から攫われて、蛮族に仕えることは当然のことだと教えられて。あの時の私の夢は霧の街の支配者、翠将(すいしょう)ヤーハッカゼッシュに翡翠の像に変えられて永遠に愛でられることだったのよ? もちろん、今ではそんなことはないわ。それもこれも私たちを救い出してくれたウィール……“霧の街帰り”のウィールのお陰よ」

 静かに、だが高らかに。胸を張ってそう告げる少女に男は言葉が出ない。

「なあ、お前さん。悪いことは言わないから早くこの店から……いや、カシュカーンを出て行きな。そして橋の向こうへ帰った方がいい。それから二度と“霧の街帰り”は騙らないことだ」

 でないと本物の“霧の街帰り”の怒りに触れても知らないぜ、と店主から忠告とも脅しとも取れる言葉をかけられた男は、再び顔を真っ赤にして覚えてやがれとお決まりの捨て台詞を残して店を飛び出して行った。

 

 

 

「やれやれ。有名になるのも考えものだな。あまり有名過ぎると、ああいう輩が現われる」

 男が飛び出していった扉を眺めながら、店主は溜め息と共に呟いた。

「ウィールが帰ってきたら一応彼の耳に入れておくわ。あなたの贋物が現われましたって」

「ん? ウィールは今、屋敷にいないのかい?」

「ええ。バルクマン様に言われて、バルクマン様と一緒にダーレスブルグへ行っているわ。何でも姫将軍様からお呼びがかかったとか」

「なんだって? それじゃあ、バルクマンの旦那までいないのか? おいおい、大丈夫かよカシュカーンは? 守備隊長とそれに並ぶ英雄が不在の状態で」

 店主が不安を感じるのも無理はない。

 もちろん、蛮族との最前線であるここカシュカーンには、充分な戦力が常に配置されている。

 それでも守備隊長と英雄の存在は、住民にしてみれば精神的支柱である。その二本柱が不在の時に、万が一蛮族に責められたらと思うと夜もおちおち眠れない。

「あ……ごめんなさい。ウィールにこのことは人に話しちゃ駄目だって言われていたわ。おじ様、お願いだからこのことは誰にも言わないでね」

「分かっているさ。あの二人がいないと知れたら、パニック起こす奴だって出かねないからな」

 二人が小さな密約を交わしている頃、店の客たちの間では先程逃げて行った男の話がいまだに盛り上がっていた。

「それにしてもさっきの男、大笑いだな。あんな小さな羽根を自慢そうに“霧の街帰り”の証だなんてよ」

「ああ、全くだな。本物の“霧の街帰り”の羽根はもっと立派だって」

「まあな。最初にあの羽根を見た時は、流石に驚いたけどな」

「俺なんか蛮族が人間に化けてるんじゃないかと思ったぜ。でも冷静に考えてみりゃよ、一目で蛮族だとばれるような化け方はしねえよな」

「確かに。一発で見破られるようじゃあ化ける意味がねえ」

 客たちは口々に言葉を交わしながら笑い合う。そうしている内に、店主が店の奥から数本の酒瓶を抱えてきた。

「ほらよ、いつもの銘柄の酒だ。落とさずに持って帰れよ?」

 ハイネは酒瓶と代金を交換すると、店主や客たちに別れを告げて店を出る。

 店を出ると世界は朱色に染まっていた。この朱も直に藍となり、漆黒に変化するまでさほどの時間はかからないだろう。

「さて、と。暗くなる前に家に帰らないと。尤も、ここは霧の街の中じゃないから、夜中に出歩いても蛮族に襲われる心配はないけど」

 暮れ行く空を見上げてそう呟きながらハイネは、心の中でデミオを連れてくればよかったなと思う。

 デミオとは霧の街を脱出する際に一緒に連れて来た、蛮族たちが馬代わりに使用しているボーアという動物の名前である。

 人族の領域ではまず見かけることのない動物だが、ハイネはこのボーアのデミオを気に入って可愛がっていた。

「デミオが一緒だったら、あっという間に家に着くし、荷物だって運んで貰えたのに」

 酒瓶数本は少女の細腕には少々重過ぎた。それでも酒瓶を落とさないように注意して抱え、ハイネは自宅へと向かって歩き出した。

 この時ハイネの意識は、腕の中の酒瓶にばかり注意を向けられていた。そのため、背後から彼女を付けてくる気配に全く気付くことができなかった。

 

 

 

 カシュカーンから大陸間に掛かる橋を挟んだ反対側。ダーレスブルグ本国に存在するとある大きな屋敷の一室。高価であり、尚且つ決して品が下がらないよう留意されて配置された数々の調度品。それらからこの屋敷の主が、高い身分にあることを想像するのは実に簡単なことであろう。

 そんな部屋の中で、一人の年若い女性と二人の青年、そして一人の中年域の男性が会していた。

「久しいな、ウィール殿。霧の街では貴公には実に世話になった」

「こちらこそお久しぶりです、ドゥルマイユ卿。体調を崩していたと聞いていましたが、もう大丈夫なのですか?」

「ああ。さすがに霧の街の牢獄は老体には毒でね。ダーレスブルグに帰還してしばらくは床に伏せっていたが、もう大丈夫だ」

 そういって愉快そうに中年の男性が笑う。

 中年の男性、エルラーン・ドゥルマイユはダーレスブルグの貴族の一人である。彼はダーレスブルグの第四軍の将軍、通称“姫将軍”マグダレーナ・イエイツよりレーゼルドーン大陸西岸の海岸線の地図を作製するという任務を与えられたのだが、その途中で蛮族の海賊に襲われ、虜囚となり海賊たちの拠点である霧の街へと拉致されたのだ。

 その後、霧の街の牢獄に収監されていたエルラーンだが、霧の街一の豪商“魔神使い”のザバールと呼ばれるタビットからの依頼で、この場にいるウィールという青年により牢獄より救出されたのだ。

「それで、ウィール殿はもうダーレスブルグの騎士叙勲を受けたのかね?」

「そのことで貴公に来てもらったのだ、エルラーン」

 ドゥルマイユの質問に答えたのは、この場ただ一人の女性。

「ウィールはどうしても騎士にはならぬと言ってきかぬ。だからエルラーンからも彼を説得してもらえまいか? ウィールの名声は騎士の叙勲を受けるに十分なものだ。それに“霧の街帰り”が我がダーレスブルグの騎士となれば、兵たちの士気も上がろうというものだ」

 この屋敷の主人にして、十九歳でありながらダーレスブルグ公国第四軍の将軍を務める、“姫将軍”マグダレーナ・イエイツは、ほとほと困り果てたような表情でちらりとウィールと呼ばれた青年へと視線を向ける。

 ちなみに彼女が“姫将軍”と呼ばれる所以は、彼女が現公王の姪であり、第五位の継承権を持つ正真正銘の“姫”だからである。

「俺としても、お前がダーレスブルグの騎士となってくれると心強い。もちろん、今でもお前のことは無二の友だと思っているし、信頼もしている。だがやはりお前が騎士となり、俺と同じ立場になれば何かとやり易くなるのも事実なのだ」

 そう言葉を続けたのは、ウィールの隣りに腰を下ろした二十代半ばの青年だ。

 彼、ハウル・バルクマンはマグダレーナの右腕とも呼ばれる騎士であり、現在はカシュカーンの守備隊長の立場にある人物で“鋼鉄の騎士”の別名でも呼ばれている。

 どうだ、と問いかけるバルクマンの視線はウィールへと向けられる。それに応じるように、マグダレーナ、ドゥルマイユの視線もまた、彼へと集まることになった。

 ウィールと呼ばれた青年。年の頃は二十歳前後。おそらく十九歳のマグダレーナと大差はないだろう。

 茶色い髪にすみれ色の瞳。その左の目の上から頬にかけて二筋の傷痕が走っていて、その明藤色の瞳に宿る年不相応の凄味と冷静さに更なる拍車をかけている。

 身に付けているものは、有りふれた衣服。その上から室内だというのに、彼は外套を羽織っていた。

 しかもその外套の背部がややいびつに脹れ上がっているが、この場の誰もそれを気にしている様子はない。

 ここはダーレスブルグの王族にして将軍の屋敷の一室であるので、武器の類は誰も身に付けていない。一応ハウルだけはマグダレーナの護衛という名目上、略式の革鎧と剣を装備しているが。

「そうは言うがなハウル。お前も知ってのとおり、俺は霧の街で数回蘇生されて魂に『穢れ』が蓄積している。『穢れ』を持つ者が騎士になるのは問題だろう?」

 人の魂は死後、神の元へ召されると言われている。その際魂が充分に成熟していれば神の兵として来るべき『神々の戦い』に備えることになるという。

 もし魂の成熟が不充分ならば、魂はもう一度生まれ変わり現世で『修行』をすることになる。

 これがこの世界で一般的に信じられている転生のシステムである。

 蘇生とはこの転生のサイクルを乱す行為であり、蘇生を行うと魂に『穢れ』が生じる。この『穢れ』が一定以上になってしまうと、人はアンデットと化す。

 一般的に『穢れ』を持つ者は忌避される傾向にあり、冒険者以外ではまず蘇生は行われない。

 尤も、ウィールの場合は霧の街で自分の意志に係わらず、強引に蘇生されたのだが。

「それに俺はこんな身体だ」

 更に言葉を続けたウィールは、自分の背中を指差す。

「こんな身体の奴が正規の騎士にはなれないだろう」

 ウィールは苦笑するが、残りの三名は沈黙するしかなかった。応接室の中はしばらく静かな沈黙が満ちていたが、ドゥルマイユの小さな呟きがその沈黙を破る。

「“ディーラ紛い”……か……あ、いや、済まんウィール殿」

 思わず声にしていたことに気付き、ドゥルマイユがウィールに謝罪する。

「気にしないで下さいドゥルマイユ卿。俺が霧の街の蛮族たちの間では、“ディーラ紛い”と呼ばれていたのは事実ですから」

「だがお前の功績は、そのようなものを吹き飛ばすに十分なものだぞ? それに身体のことなら、事情を話せばきっと分かってもらえるはずだ」

「いや、無理だよマグダレーナ」

 一軍の将軍であり、王位継承者でもあるマグダレーナを呼び捨てにするなど、場所が場所なら斬首ものだが、ここはあくまでも彼女の私的な場所である。少なくともこの場ではウィールとマグダレーナは親しい友人同士。そのことを理解しているから、ハウルもドゥルマイユもそれについては何も言わない。

「現にカシュカーンでも最初のうち、俺は蛮族の手先呼ばわりされたんだよ?」

 苦笑混じりに言うウィールの言葉に、むうと唸ったのはハウルだ。ハウル自身、帰還した際のウィールの姿を初めて見た時は、蛮族が化けていると思ったのである。

「それにダーレスブルグに協力しないとは言っていない。これまで通り、カシュカーンの守備には協力するさ」

「そうか……ならばこれ以上は言うまい。だが、遠からず我々ダーレスブルグは、霧の街へと再度遠征を行う。その際は──」

「分かってる。協力するさ。それに俺じゃないと、霧の街の反抗勢力に繋ぎがとれないだろ? それにクレア・クレアが守っている『守りの剣』のこともある」

 ウィールが霧の街よりもたらした数々の貴重な情報を元に、現在ダーレスブルグでは霧の街へ再度攻め込む準備が行われている。今のところはまだ作戦の立案段階で、実際に軍を派遣するのは先のこととなるだろうが、ウィールはその際、もう一度あの霧の街へ赴くつもりでいた。

 霧の街に存在する反抗勢力の協力なくして、ダーレスブルグの霧の街攻略は成し得まい。そのためには、反抗勢力の信頼を得ているウィールが、直接連絡を取らなければならないだろう。

 そして霧の街の中には、“夏の思い出”クレア・クレアと呼ばれるエルフの女性がいる。彼女は〈大破局〉の際、霧の街にあった『守りの剣』を持ち出し、未だに隠し持っているのだ。しかし現在の『守りの剣』はその力の殆どを失っており、力を取り戻すには大量の剣の欠け片を用いた儀式が必要となる。

 そしてウィールは霧の街にいた時に、彼女に儀式に十分な量の剣の欠け片を渡しており、こちらの望むタイミングで儀式を行なってもらう手筈になっている。

 この儀式を行う連絡もまた、ウィール本人でなければ務まらない。彼以外ではクレア・クレアも易々とは信頼してくれないだろう。

「……霧の街攻略には、どうしてもウィールの協力は欠かせない、か。お前には随分と大きな借りを作ってしまったようだな」

 隣りに座る友の肩を叩きながら、ハウルは溜め息と共に呟いた。

 

 

 

 その影は静かに、だが確実に少女の後を尾行していた。

 先程自分に大恥をかかせた少女に、それ相応の仕返しを与える。その思いが人影──“霧の街帰り”を騙った男の胸の内を焼き焦がしていた。

 既に男の内部ではどういう思考が働いたのか、自身が“霧の街帰り”を騙ったことなど忘れ去られ、“霧の街帰り”こそが自分に恥をかかせた張本人であるという考えにすり変わっていた。

 あの少女が本物の“霧の街帰り”とどのような関係であるのかは知らないが、おそらく恋人か情婦といったところだろう。ならばあの少女を汚すことは、“霧の街帰り”に与える最大の屈辱となるに違いない。

 それに言っていたではないか。あの少女は霧の街出身であると。ならば蛮族が支配する街から来たのだ、どうせこれまでにさんざん蛮族どもの陵辱を受けているに違いない。ならば今更自分一人ぐらいがあの少女を汚したとしても、大したことでもあるまい。

 そのような自分に都合の良いことばかりを考え、暗い情熱に突き動かされて、男は少女の後を付ける。

 男に都合のいいことに、少女は町外れへと向かっているようだ。そのことが少女がまるで男を誘っているかのような思いに囚われ、男は下卑た笑いを浮かべながら少女の後を追う。

 そして辺りが闇に覆われ始め、いよいよ人気がなくなった時、男は少女を捕えようとその腕を伸ばした。

 その時である。なんとも奇妙な音が聞こえてきたのは。

 がしょん、がしょんとまるで金属同士を打ち合わせ、連続して落下させたような音。その音が徐々に町外れからこちらに近づいて来るようなのだ。

 謎の音に背後に迫った男が右往左往しているとも知らず、少女──ハイネの表情は男とは正反対に輝いた。

 やがて音の正体が視界に入って来る。それはまるで蜘蛛のような長い八本の脚を有していた。

 男にもそれが魔動機械の一種であることは知れた。だが、このような魔動機械は見たことも聞いたこともない。

 そしてその機械の蜘蛛の上には一人の女性が騎乗していた。周囲を支配しつつある宵闇を凝固したような黒髪の妙齢の女性。その美貌は黄昏の中でも冷たく輝き、黒曜石のごとき瞳で凡俗を支配する貴人のように魔動機械に座乗し、冷たく見下ろしている。

 その氷の視線がハイネを認めた途端、まるで母親が愛する我が子を見詰めるように優しく緩んだ。

「全く困った子ね。一体どこで道草をくっていたのかしら? わたくしはもう待ちくたびれて、こうしてここまで迎えに来てしまったわ」

 困ったといいつも、女性の表情はとても優しげだ。そしてようやくハイネの背後の男に視線を向けると、先程までのような冷たい声で男に問う。

「それであなたはどなた? どうやらハイネに何かしらの用事がおありのようだけど?」

 この時になって始めてハイネは背後にいる男に気付き、短い悲鳴と共に黒髪の女性の方へと後ずさる。

「あ……あなたは……」

「あら、ハイネのお友達? だとしたら感心しないわ。もう少し付き合うお友達は選びなさい」

 言外に侮辱されたと気付き、男の顔が怒りに染まる。そして怒りがそのまま言葉になって口から飛び出そうとした時、ハイネの方が先に口を開いた。

「ち、違いますサンドリーヌ様! この人は先程酒場にいた、ウィールの贋物ですっ!!」

「ウィールの……そう。そういうこと」

 それだけでサンドリーヌと呼ばれた女性は、何があったのかを大体推測した。そしてこの男が、おそらく腹いせのためにハイネに良からぬ真似をしようとしていたことも。

 だからサンドリーヌは氷原を渡る寒風の如き声で以って、“霧の街帰り”の贋物に告げる。

「直ちにわたくしたちの前から消え失せなさい。一度だけは見逃してさしあげるわ。しかし、次にわたくしたちの前に姿を現わしたら──」

 だが、サンドリーヌの最後の慈悲たる勧告も、男の耳には届いていなかった。

 この黒髪の女性が何者かは知らないが、どうやら“霧の街帰り”の関係者のようだ。ならば真紅の髪の少女共々、自分が陵辱すべき獲物が増えただけではないか。

 ただ問題なのは、サンドリーヌと呼ばれた黒髪の女性が騎乗している魔動機械だ。長い八本の脚に本体部分が支えられた形で本体部分が高い位置にあり、このままではそこに乗っている女性まで手が届かない。ならば少女の方を先に捕えて人質にして、黒髪の女性を魔動機械から降ろせばいい。

 男は方向違いの怒りから下劣な欲望だけが渦巻いている頭で、そのようなことを考えていた。

 それ故、サンドリーヌが魔動機械の上から嫌悪に満ちた表情で呪を紡ぎ、その腕の中に輝く稲妻を生み出したことにさえ気付いていない。

 男が彼女の腕の中の稲妻に気付いた時、その稲妻は彼女の白い繊手から放たれ、男目がけて空を疾走した。

 男の全身を文字通り痺れるような熱が駆け抜ける。この時になってようやく、男は目の前の女性が卓越した魔術の使い手である事に気付いた。

「もう一度だけ言うわ。消え失せなさい。さもなくば“宵闇の公主”の名にかけて、この場で焼き殺して差し上げてよ?」

 “宵闇の公主”──かつて霧の街でそう呼ばれていたサンドリーヌは、そう冷たく男に言い放つ。その氷柱の如き声から彼女が本気であることを悟った男は、くるりと背中を見せてあたふたと逃げ出した。

「あ……ありがとうございましたサンドリーヌ様」

 足元から聞こえたハイネの声に、サンドリーヌの視線が彼女へと向けられる。

 その視線には、先程男に向けたような冷たさは微塵も見受けられない。

「様はおよしなさいと何度も言っているでしょう? わたくしはあなたにとって義姉のつもりでいるのよ?」

「で……ですが……」

「まあ、いいでしょう。それよりもこれ以上遅くなるとクリス……あなたのお兄様が心配するわ。早く帰りましょう」

 サンドリーヌは魔動機械──これはアラクネという名の蛮族が用いる魔動機械で、霧の町を脱出する際に持ち出したものである。

 なぜかサンドリーヌは馬に乗るよりもこのアラクネに乗ることを好み、よくカシュカーンの町の外周部をアラクネに騎乗して散歩している。

 今ではこの珍しい魔動機械に乗って散歩する貴婦人の姿は、カシュカーンの新たな名物とまでなっている。その際には黒髪の貴婦人と共に真紅の髪の青年が、仲睦まじく魔動機械に寄り添うように騎乗しているのもよく見かけられていた。

 サンドリーヌはアラクネの脚を折り畳み、本体部分を地表へと近づける。ハイネは器用にアラクネに騎乗して、サンドリーヌの後ろに腰を下ろす。

 それを確認したサンドリーヌは、アラクネを操作してその方向を彼女たちの家へと向けた。

 その時、サンドリーヌは先程男が逃げて行った方をちらりと一瞥すると、呆れとも侮蔑とも取れる様子で言葉を紡いだ。

「人族といえどあのような下衆もいる……わたくしに言わせれば、ここも霧の町も大して差はないわね」

 その小さな声は、背後の少女にも届かないほど小さな呟きだった。

 

 

 

「……そう言えば……」

 ウィールたち四人が食事を終えて、食後のお茶を飲みつつ寛いでいた時、マグダレーナがとあることを思い出した。

「ウィールにルキスラ帝国のマギテック協会の会長から、手紙が届いているのを忘れていた」

「ルキスラのマギテック協会の会長……? 確かドルッケン・ガーデルとかいうドワーフでしたな」

 マグダレーナの言葉に、ドゥルマイユが確認するように続いた。

「ああ、そうだ。何でも、ウィールが手に入れたアラクネの解析がしたいらしい。それでウィールとは個人的にも友人である私が取次ぎを頼まれたのだ。さすがにルキスラのマギテック協会の会長の頼みともなれば断わる訳にもいかなくてな」

 マグダレーナは済まなさそうに言うと、室外に控えていた者に件の手紙を持って来るように告げた。

「あの蜘蛛に似た魔動機械のことですな……確かにあれは、人族の領域では見掛けない魔動機械ですからな。未知の魔動装置好きと噂のあの御仁なら、そのような行動に出ても不思議ではありませんな」

 ハウルがドルッケンというドワーフの噂を思い出しながら呟く。

「うーん……でも今、アラクネはサンドリーヌが気に入っていつも使っているからなぁ。まあ、帰ったらサンドリーヌに聞いてみるか」

 ウィールは首にぶら下げられていた装飾品を無意識の内に弄びつつ、霧の街より共に脱出し今では家族同様となった女性と、八本脚の魔動機械を順に思い浮かべる。

「ん? それは指輪だね? おやおや、どこかの女性への贈り物かね? それとも逆に女性から送られたか? ウィール殿も隅にはおけないね」

 ウィールの仕草に目敏く気付いたドゥルマイユが、笑いながら冗談半分に揶揄する。

「違いますよドゥルマイユ卿」

 そう言いながらウィールは、皆に見えるように首の装飾品を掲げる。

 それは冒険者たちがよく身に付ける、「幸運のお守り」と呼ばれる装飾品であった。これを身に付けた者は金運に見舞われると言われており、実際にウィールも霧の街でこの護符を手に入れてからというもの、倒した蛮族から得られる戦利品が高価になったと実感している。

 そしてその護符の鎖には、一つの指輪が加えられていた。

「これは霧の街で倒した蛮族の一人……マダム・ヘドロンと呼ばれていたリザードマンテイマーが持っていた指輪ですよ」

「マダム・ヘドロン……確か霧の街でも名のある蛮族の一人だったな」

 その名前にドゥルマイユも聞き覚えがあった。霧の街では殆ど牢獄の中に収監されていたとはいえ、見張りや同じく収監された者から様々な噂を耳にすることができた。そんな噂の中には霧の街の高名な蛮族の名前が幾つかあったのだ。

「ええ。俺と同じ妖精使いのリザードマンで、かなりの強敵でしたよ」

 堅い鱗に覆われ武器を巧みに扱うリザードマンは、蛮族の中でも強敵の部類に入る。とはいえ少し経験を積んだ冒険者ならさほどの脅威ではない。だがそんなリザードマンの中でも妖精魔法を修得したリザードマンテイマーは、普通種のリザードマンより手強い存在となっている。

「金銭的価値はないのですが、まあ、記念にね」

 ウィールの話にドゥルマイユだけでなく、マグダレーナやハウルまでもが興味深そうに耳を傾けている。

 マグダレーナたちも、有事の際には直接蛮族たちと戦うことになる。その時、相手のことを僅かでも知っていれば、それだけ戦い易くなるのは少し考えれば明白なことである。だから霧の街で様々なの蛮族と直接刃を交えたウィールの体験談は、極めて貴重な情報であるのだ。

「ああ、霧の街での記念品といえばもう一つ……」

 話の流れから、ウィールがふと思いついたようにその手を懐の内へと忍ばせる。だが、しばし思案した後、彼はその手をそのまま引き戻した。

「……いや、これは見ない方がいい」

「むむ、そこまで言いかけておいて止めるとは何事だ。却って気になるではないか」

 マグダレーナが、ややふて腐れたような態度でウィールに詰め寄る。

 食事の時に飲んだアルコールのせいか、目元がほんのりと紅い。その影響で普段の将軍としての彼女ではなく、素の十九歳の少女としての顔が覗いているようだ。

 そんな彼女を微笑ましく思いつつも、ウィールは首を横に振る。

「これには未だに強い呪いの力が残っている。迂闊に目にすると危険なんだよ」

 それは霧の街でとある因縁のある相手を、打倒した際に手に入れた物だった。

 初めてその蛮族と出会った時は、何も考えずに逃げ出した。あの時に逃げおおせたのは、相手にとって自分が羽虫にも等しく、興味の対象にすらならずに見逃してもらえたからだろう。それ程までにその蛮族と自分とでは力の差が有り過ぎた。

 二度目に相対した時は数度剣を交えてみたものの、やはり敵わないと悟って再び逃亡した。

 この時上手く逃げ切れたのは、僥倖以外の何者でもないと今でもウィールは思う。

 そして三度目。

 霧の街脱出の直前に三度まみえた時、互いの力は拮抗していた。

 蛮族の真語魔法とウィールの妖精魔法が乱れ飛び、互いの剣と剣が交差する激しい戦い。その戦いを制したのはウィールだった。

 勝利したとはいえ、ウィールも体力、精神力共にぎりぎりで、所持していた幾つかの魔晶石がなければ地に伏していたのは彼の方だったろう。

「ほう……そんなに激しい戦いだったのか……」

 ウィールの話に聞き入っていたマグダレーナが、感心したような溜め息と共にそう零した。

「それでその蛮族はどの種族だったのだ? 話を聞くに高位の蛮族であるのは間違いないようだが……」

 やはり騎士としての性か、相手の素性が気になるのはハウルである。ひょっとするといつか自分も剣を交えるかもしれない相手だけに、蛮族に対する興味は尽きないようだ。

「あいつはバジリスクだよ。名前をヒューリカ……霧の街では“出来損ない”のヒューリカと呼ばれていたな」

「“出来損ない”……? バジリスクといえば、蛮族の間でもドレイクと並ぶ支配階級であろう。そのバジリスクがなぜ“出来損ない”などという不名誉な名で呼ばれていたのだ?」

「それはですな、マグダレーナ様。私も霧の街でヒューリカという名のバジリスクの噂は何度か耳に致しました。それによりますと、そのバジリスクは魔獣に変化する能力を失っていたようなのです」

「魔獣に変化できないだと……それは何故だエルラーン?」

「は、はあ……そこまでは私も聞き及んでおりませぬ故……」

 マグダレーナの質問の答えに窮するドゥルマイユ。そして彼の窮地を救ったのは、他ならぬウィールである。

「あいつは左眼を失っていたんだ」

「左眼を……?」

「ああ、数十年前のダーレスブルグの遠征……そのダーレスブルグ軍との戦いの中で、左眼を失ったあいつはそれ以後、魔獣化する能力を失ったんだ」

 バジリスクとドレイクの両種族は、魔獣となる能力を秘めている。バジリスクは八本脚の蜥蜴のような魔獣に、ドレイクは竜形の魔獣にそれぞれ変化する。

 だがそのヒューリカというバジリスクは、魔獣化する能力を喪失したために“出来損ない”と他のバジリスクたちから侮蔑されていたのだ。

「“木漏れ日”のウルスラからその話を聞いていた俺は、あいつとの戦いの時、死角となっている左側を重点的に攻めたんだ。そのおかげで勝てたようなものさ。魔獣化できなかったことも大きな勝因の一つだけどね」

 肩を竦めて戯けるようにウィールは言う。確かにヒューリカが万全の状態だったら、彼に勝てたかどうか未だに疑問に思う。それほどバジリスクという蛮族は強力な力を持った存在なのだ。

「“木漏れ日”のウルスラ……? 確かその人物は反抗組織の一つ、“スエラの炎”の首領ではなかったか?」

「マグダレーナの言う通りだよ。ウルスラは霧の街の中で、浮民たち相手に施療院をやっていてね。その関係で彼女は、霧の街での一、二を争う情報通なのさ」

 ウルスラから得た情報のお陰で命拾いしたことは数知れない。情報というものはとても重要なものだとウィールは改めて思う。

「バジリスクか……幸い俺は今まで出会ったことはないが、その視線は相手を石にする呪詛となり、その身に流れる血は猛毒を秘めるという……できれば出会いたくない存在だな」

「だが、そうも言ってはおれん」

 ハウルの誰に言ったものでもない呟きに、きっぱりと言い返したのはマグダレーナである。

 その姿は先程までの年相応の少女のものではなく、一軍を率いる将軍のそれに戻っていた。

「何と言ってもかの霧の街を統べるのは、そのバジリスクの上位種にあたるジェイド・バジリスクなのだからな」

 蛮族が統べる魔の都、霧の街。そこを支配するのは、蛮族の中でも翠将(すいしょう)の地位にあるジェイド・バイリスク。

 その名をヤーハッカゼッシュという。

 

 

 

 男は闇雲に走った。

 すっかり日も暮れて闇に包まれた中を、まるで背後に死神でもいるかのような必死の形相で走り続けた。

 やがて疲労のため、足が縺れて男は大地に倒れ込む。男は慌てて身を起こすと周囲を見回した。

 どうやらあの女──“宵闇の公主”と名乗った黒髪の女は、自分を追いかけてはこなかったようだ。

 男はようやく安堵の息を零す。そして自分が今どこに居るのかを改めて悟った。

「……ここは……町の外っ!? お、俺はいつの間にか町から出ちまったのかっ!?」

 先程の黒髪の女と相対した時とは、別の種類の恐怖が男の全身を駆け抜ける。

 そもそも男はカシュカーンには来たばかりであり、町の地理に詳しいはずもない。恐怖にかられて無闇矢鱈と走り続けたせいで、男は知らぬ間に町の外へ飛び出していた。

「……ま、まずい……夜に町の外になんぞ出たら、どんな化け物に出会うか分かったもんじゃねえ……しかもここはレーゼルドーン大陸だぞ……」

 このレーゼルドーン大陸で、カシュカーンは唯一の人族の領域であると言っていい。そのカシュカーンから一歩でも外へ出れば、もはやそこは蛮族の領域でなのである。

 しかもレーゼルドーン大陸に存在する蛮族は、ドレイクやバジリスクといった凶悪な種族が多いと噂されている。

 そのような場所で夜の闇の中に一人きり。これでは自殺志願者と何ら代わりはない。

 男は慌ててカシュカーンへと戻ろうとする。その時であった。不意に男に声がかけられたのは。

「まあ、待ちたまえ。幸運にもこの私と出会えたというのに、いきなり立ち去ろうというのは些か無礼ではないかな?」

 低く落ち着いた響きのある声。だがその声は、見えない鎖のように男の身体をしばりつけた。

「これから先は、さすがに守りの剣の効果が厳しくてね。私といえども……いや、私だからこそこれ以上は町に近づけん。とはいえここまではこれたのだから、カシュカーンの守りの剣の力は大したものではないようだね」

 言語自体は人族の間で広く使われている交易共通語と呼ばれるもの。その口調も、丁寧でしっかりとした紳士的なもの。

 だがその声を聞けば聞くほど、男の身体は氷を差し込まれたように冷たく冷えていく。

 ぎ、ぎ、ぎ、と軋むような音を男は聞いた。

 その音は自身の首から聞こえていた。もちろん首がそのような音を立てるはずがない。だが男は、自分の首がゆっくりと背後へと振り返ろうとして、首の骨が軋んで音を立てているような気がしてならなかった。

 振り返ってみればそこには二つの人影。痩せた月と星の僅かな光の中、二つの人影が立っていた。

 一つは見るからに紳士然とした男性。見た目の年齢ならば四十代半ばあたりか。

 白いものが混じった黒髪を一つに束ね、洒落た口髭を生やしている。見るからに人の良さそうな初老の紳士だが、色付きの丸眼鏡がどこか剽軽な雰囲気を醸し出していた。

 そしてもう一つの人影は、その初老の紳士の背後で幽鬼のように音もなく立ち尽くしている。しかも頭からすっぽりと外套をかぶっているせいで、その正体は男とも女とも知れない。

 ただ、どこからともなく漂う腐臭が、恐怖に縛られている男の鼻をくすぐった。

「今君にカシュカーンに帰られては困るのだよ。なんせこの私と出会ってしまったのだからね。私のことを“鋼鉄の騎士”や、あの忌々しき“ディーラ紛い”に知られる訳にはいかんのでねえ」

 口調こそ相変わらず丁寧なものだったが、その声には確かに怒りと殺気が含まれていた。

「もう少し、君が私の趣味に適う人族ならば、石の像として持ち帰っても良かったのだが、生憎と君は私の趣味には合わないんでね。悪く思わないでくれたまえ」

 紳士の言葉で、男は目の前のいるのがどのような存在かに思い当たる。

「バ……バジリス……ク……」

「如何にも」

 震える声で呟く男に、紳士は嬉しそうに鷹揚に頷いた。

「ああ、安心したまえ。私はこれでも霧の街では料亭を営んでいてね、料理の腕には些か自信がある。君の身体は私自身が責任をもって料理しよう」

 紳士が右手を軽く上げると、どこからともなく幾つもの気配が湧き上がった。

 闇の中に輝く幾つもの双眸。その視線の中には、明らかに食欲と思しきものが満ち満ちていた。

「だから安心して死んでくれたまえ。君の身体は極上の料理となり、我が配下たちの飢えを満たすであろう」

 振り下ろされる紳士の右腕。迫り来る幾つもの禍々しい双眸。月と星の明かりを禍々しく反射する沢山の刃。

 自分の身体に食い込む爪。皮膚を裂き肉を抉る刃。骨まで砕かんと突き立てられる牙。

 それが男──“霧の街帰り”を騙ったあの男が、最後に知覚したものだった。

 




 「ディーラ紛いのウィール」第二話です。

 とりあえず、本日はここまで。明日も一話くらい投稿します。
 その後は正直、どれぐらいの頻度で更新できるかわかりません。
 9月はアルファポリス様にて行われている「ファンタジー小説大賞」に参加している関係で、当作の本格始動は10月以降の予定です。

 ゆっくりとした更新となりますが、お付き合いいただければ幸いです。

 ではー。
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