ゆっくりと霧が流れていく中を、一人の男性と一人の女性が連れ立って歩いていた。
温和な印象の白髪の中年男性と、乱雑に切った短い髪と眼鏡が特徴的な二十代後半ほどの女性。
男性は首からル=ロウドの聖印を下げ腰には剣、女性は弓を背負いやはりル=ロウドの聖印を身に着けてる。
この蛮族の勢力下である『霧の街』において、第一の剣に連なる神々の聖印を身に帯びるということは、それだけで処罰の対象になりかねない。
であるにも拘わらず、こうして堂々とその聖印を身に着けているということは、二人はそれなりに腕に自信があるのだろう。
もっとも、ル=ロウドは蛮族にも信仰者がいる神なので、今回のケースは特殊といえば特殊かもしれない。
やがて、二人が歩く先の霧の向こうに建物が見えてくる。
掘っ建て小屋のような小さな家々が乱雑に建ち並ぶ中、その一軒だけは三階建ての立派なもの。
その建物の前には看板があり、そこには「ヤムールの酒場」と交易共通語と汎用蛮族語で書かれている。
「ここが『ヤムールの酒場』か……ヤムールとはこれまでいろいろとつき合いはあったが、こうして彼の店に来たのは初めてだな」
「はい、トホテル様。ですが、このままこの酒場の中に入っても大丈夫でしょうか?」
弓を背負った女性は、油断なく周囲に視線を向ける。どこかから自分たちを狙う者がいないか、慎重に慎重を重ねているといった風情だ。
「心配はないだろう、セイラ。今回の話を持ち込んだのは、他ならぬあの“ディーラ紛い”だ」
トホテルの言葉に、セイラも頷く。
今、蛮族反抗組織『風の旅団』の団長のトホテルと副団長のセイラは、“ディーラ紛い”の要請により、こうしてこの場まで足を運んだのだった。
酒場の扉を開け、トホテルとセイラは店の中へと足を踏み入れた。
多くの客が店内にはいる。その殆どが奴隷か浮民だが、稀にゴブリンやボガードといった蛮族の姿もある。
だが、この店の主人であるヤムールは名誉蛮族だ。この『霧の街』における名誉蛮族の立場はゴブリンなどの一般的な蛮族よりも上とされている。そのため、ゴブリンたちもこの店では大人しくしているのだろう。
カウンターの奥では、一人のドワーフがむっつりとした顔つきでグラスを磨いていた。
そのドワーフは店に入ってきた二人連れを見ると、何も言わずに小さく顎で二階へと続く階段を示す。どうやら、トホテルたちに上に上がれと言いたいようだ。
そのドワーフに小さく頷いて返答を示したトホテルは、店の中を横切って二階へと向かう。
いくつかの客室が並ぶ中、とある扉の前に一人の女性が立っていた。
灰褐色の肌を持つ、長身の女性だ。顔つきは美人と言っても十分通用するぐらいには整っていたが、同時に見逃せないものが額にあった。
眼だ。
その女性の額には、三つ目の眼があったのだ。
「シャドウ……」
トホテルは、背後のセイラが小さく呟いたのを聞いた。そして、同時に緊張を見せたのも感じ取る。
だが、扉の前にいたシャドウの女性は、トホテルたちに気づくとそっと頭を下げた。
「『風の旅団』の団長と副団長ですね? どうぞ、お入りください。中で他の方々がお待ちです」
「失礼だが、あなたは?」
「申し後れました。私の名前はナディアと申します。ここ最近、“ディーラ紛い”と行動を共にしている者です」
「“ディーラ紛い”と一緒に……? では、あなたはウィールの仲間なのか?」
「いいえ、違います。私はウィールの仲間ではありません」
思わず眉を顰めるトホテルとセイラに、ナディアと名乗ったシャドウは堂々と言ってのけた。
「私は単なる仲間などではなく、彼の愛人です。もしくは、愛奴隷でも可とします」
特に表情を変えることもなく、とんでもない宣言をするナディア。
そんなナディアを前に、トホテルとセイラは思わず顔を見合わせた。
トホテルとセイラが入った部屋は、客室というよりは会議室といった趣の部屋だった。
ベッドはなく、部屋の中央に大き目の机。その机の周りには幾つかの椅子。
そして、その椅子には既に何人かの人族が腰を降ろしていた。
その内の一人は、蜂蜜色の髪を後ろで乱暴に纏めたドワーフの女性。
おそらく、そのドワーフの女性は反抗組織『スエラの炎』の頭目であるウルスラだろう。
そのウルスラはと言えば、椅子に腰を降ろしたまま腕を組んで目の前に座る妙齢の女性を厳しい視線で見つめている。いや、睨み付けていると言った方が正しいだろうか。
ウルスラが睨み付けているその女性。彼女は真っ正面から睨み付けられていても、まるで気にした風もなく穏やかに微笑んでいる。
透き通るような白い肌と夜の闇を集めたような漆黒の髪の、目の覚めるような美しい女性だ。
トホテルは、こちらの女性も心当たりがあった。
娼婦街を根城にする反抗組織『月夜蜂』。彼女はその『月夜蜂』の首領であるアリアドネに違いない。
そして、部屋の中にはもう二人。
一人は短く刈り込んだ金髪と、エメラルドのような瞳が印象的な男性。だが、なぜか左目だけがやや大きく歪であった。
残る最後の一人は、トホテルもよく知っている人物だ。
左の頬に走る傷と、猛禽のような一対の翼を持つ人間の男性。
本来ならば人間にはないはずの翼を持つ彼こそが、この『霧の街』に存在する三つの蛮族反抗組織、その組織の首領を一同に集めた張本人、“ディーラ紛い”のウィールである。
ウィールは入ってきた二人を見て、穏やかな笑みを浮かべた。
「これで全員揃ったな。では、始めよう」
彼は改めて部屋にいる全員を見回して、そう宣言した。
今、この『霧の街』に存在する三つの蛮族反抗組織、その組織の首領たちが一同に会し、これからの『霧の街』の将来に大きく関わる事案が話し合われようとしている。
彼らの目的はただ一つ。この街の支配者である“翠将”ヤーハッカゼッシュを打ち倒し、『霧の街』の人族を解放することだ。
だが、そのためには三つの反抗組織の協力が必要不可欠。そうウィールに諭されて、各組織の首領たちはこの場に集ったのだ。
もちろん、この場を取り仕切っているのはウィール本人。その彼の傍には、最近彼と行動を共にしているらしい二人の仲間の姿がある。
先程廊下で会ったシャドウの女性。そして、左目だけがやや大きく歪な男性──おそらく、こちらはバジリスク・ウィークリングだろう。
この二人の実力は未知数だが、“ディーラ紛い”と行動を共にしている以上、かなり腕の立つ人物たちに違いない。
その三人と他の反抗組織、『月夜蜂』と『スエラの炎』の首領たちを順に見据えたトホテルは、今日の会合のホストであるウィールに問いかけた。
「我々『風の旅団』は、この街を蛮族から解放するために戦うことに異議はないし、そのためには全面的におまえに協力すると約束した。だが、具体的な手段はあるのか? ヤーハッカゼッシュを倒し、この街を蛮族から解放するための手段が?」
「もちろん、俺も何の手立てもなく“翠将”に挑むつもりはない。だがそれを説明する前に、互いが握っている情報をそれぞれ公開してみないか? 自分の知らない情報だって他の誰かは知っているかもしれないし、今俺が考えている以上の方策だって浮かぶかもしれない」
どうだろう、という意を込めて、ウィールは首領たちを見回す。
トホテルは神妙な顔で。アリアドネは妖艶に微笑んだまま。ウルスラは訝しげな視線をアリアドネに向けたまま。
それぞれ頷いてみせた。
「では、言い出した俺から公開していこう。これはアリアドネは知っていることだが、ヤーハッカゼッシュが所持している、“紅霧の魔剣”クルルガランの力についてだ。」
三人の首領たちは、自分が握っている情報をそれぞれ公開していった。
それらの情報は既に知り得ていたものもあれば、初耳のものもある。首領たちは他の首領の話を真剣な表情で聞いていく。
ただ一人だけ、それぞれの首領たちと交流を持っていたウィールだけは、それらの情報の中に真新しいものはなかったが。
一通りの公開が終わった時、トホテルは椅子の背もたれにその身体を預けて宙を見つめた。
「……いろいろと有益な情報ばかりだったが、特に驚いたのは“紅霧の魔剣”クルルガランに関してだな。只でさえ強力なヤーハッカゼッシュが更に強くなるとは……」
「私が驚いたのは、『守りの剣』の所在に関してね。既に『守りの剣』を発動させる条件さえも満たしてあったなんて……さすがは“ディーラ紛い”といったところかしら」
「私も情報屋を名乗っている手前、あれこれと情報は仕入れていたけど、まだまだ知らない情報があったんだね。さて、と────」
ウルスラは相変わらず腕を組んだまま、じっと厳しい視線をアリアドネへと向け続けていた。
「────最後に、私から一つ情報をぶちまけようか。情報っていうより、確認と言った方が正しいかもしれなけどね」
ウルスラは椅子から立ち上がると、びしっとその細くて小さな指をアリアドネへと突きつけた。
「あんたの目的は何なんだ? どうしてあんたが蛮族に反抗する組織の頭目なんてものをやっている? え? 『月夜蜂』のアリアドネ! いや──────」
ウルスラの視線が更に鋭さを増し、それに比例するかのようにアリアドネの表情から穏やかな微笑みが消えていく。
「──────リャナンシーのアリアドネ! れっきとした蛮族であるあんたの目的は何なんだいっ!?」
アリアドネの視線が、まるで刃物のように鋭く光った。
『ディーラ紛い』ようやく更新できました。
本当にどんどんと更新の間隔が広がっています。申し訳ありません。
でも、どれだけ間隔が開いても、必ず最後まで走り続けるつもりですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
では、今後もよろしくお願いします。