がた、と音を立ててトホテルとセイラが立ち上がり、ウィールの背後に控えていたナディアも身構える様子を見せる。
そのナディアの隣にいたディオンは、その歪に大きな左目を更に見開いた。
一同が一瞬で緊張する中、全く動じていない者もいる。
たった今爆弾発言を投下したウルスラ本人と、その発言の対象であるアリアドネ。そして、この会談のホスト役であるウィールだ。
そして正体がリャンシーだと暴露されたアリアドネは、楽しそうな表情で動揺の見られないウィールを見ていた。
「どうやら、あなたは私の正体を以前から知っていたみたいね?」
「ああ。そこのウルスラから、アリアドネの正体は聞いていた」
「そう。でも、あなたは私の正体を知る前と変わらない対応をしていたわね。それはどうして?」
「俺は蛮族全てが敵ではないと考えているからな」
一口に
マーマンやケンタウロス、ライカンスロープのように、味方ではないものの中立的な立場を取る蛮族もいれば、ゴブリンやボガードなどのように絶対的な敵もいる。
中には、コボルトのように人族の社会に逃げ込んで来る者もいるし、ラミアなどのように生きていくためには人族と何らかの形で付き合わねばならない者たちもいる。
また、逆もありうる。
人族の中では忌み子であるナイトメアの中には、どうしても人族の社会に馴染むことができずに蛮族の社会に身を置き、そこで頭角を現すような者もいるのだ。
「俺は以前、この街で……『霧の街』で、一人の蛮族と出会った。その蛮族は人族を愛してしまい、その人族と生きるために、この『霧の街』を脱出しようとさえ考えていた。俺はその蛮族と協力して、一度はこの街を出ることができたんだ」
かつて、この『霧の街』で“宵闇の公主”という異名を持っていたその蛮族は、今ではウィールにとって家族と呼んでもいい大切な存在となっている。
真剣な顔で語るウィールの話を、この場にいる者たちは黙って聞いている。
特にトホテルとセイラ、そしてウルスラは、蛮族に対して深い敵対心を持っている。ウィールも、彼らに自分の気持ちを理解してもらえるとは思っていない。だが、ここでアリアドネと敵対することだけは避けたい。それがウィールの偽らざる本音だった。
そんな彼の内心を知ってか知らずか、当のアリアドネは椅子から立ち上がることもなく、ふわりと柔らかく笑った。
「そうだったの。最近、彼女の噂を全く聞かないと思えば、あなたとこの街を出ていたのね」
アリアドネは、以前にウィールが『霧の街』にいた時、とある上位蛮族の元に出入りしているという情報を得ていた。
そのため、彼のいう蛮族が誰なのか、すぐに思い至ったのだ。
「私には私の目的があるわ。私はその目的のためならば、どんな手段だって用いるつもりよ。例えば、一時的にとはいえ、人族と手を組むことだって……ね?」
と、アリアドネは妖艶な笑みを浮かべた。
「では、貴方のその目的とやらを聞かせてもらえるだろうか?」
厳しい声でそう言ったのは、鋭い視線をアリアドネに向けながら、腰に佩いた剣に手をかけたトホテルだ。
その背後では、彼の副官であるセイラが弓弦に矢を番え、ぴたりとアリアドネに狙いを定めている。
「私の目的は……というより、私の主の目的ね。それはバジリスクたちの勢力を衰退させることよ。私が仕えている主は、あのトカゲたちの勢力がこれ以上大きくなることを望んではいないの」
「それはつまり……この街の支配者である“翠将”の首を取る、って意味?」
トホテルと同じように油断のない視線をアリアドネに注ぎながら、椅子に腰を下ろして腕を組んだウルスラが問う。
「ええ。そうなるのがベストね。“翠将”はバジリスクの中でも高い地位にいるから、彼を倒すことができれば、それだけでもバジリスクの勢力は衰えるでしょう」
「だが、この街を人族の手に戻すことは、蛮族にとっては大きなマイナスではないのか?」
トホテルのこの問いに、アリアドネはゆるゆると首を横に振った。
「この街は蛮族にしてみれば、奴隷を仕入れる養成所であり、食料生産の場でもある。この街で得られる労働力や食料は、“翠将”が所属する勢力──つまり、バジリスク勢の元へと送られるわ。私が所属する勢力の本拠地はここから離れたテラスティア大陸にあるから、この街の利益は私たちには関係ないのよ」
「…………どうやら、蛮族と言っても一枚岩ではないようだな」
「ええ。そこはあなたたち人族と同じね」
相変わらず微笑みを浮かべるアリアドネを、トホテルはじっと見つめる。
「……いいだろう。貴方の話を信用しよう。だが、誤解しないで欲しい。確かに貴方を信用はするが、信頼したわけではないからな」
「ええ、それで充分よ。私たちは単に利害が一致しているだけ。それだけの間柄よ」
「……ふん。『風の旅団』が認めるなら、『スエラの炎』も認めるしかないね。それに『月夜蜂』の助力なしには、この街を蛮族から解放することはできないからね」
いかにも不承不承といった感じで、ウルスラもまたアリアドネと手を組むことを承知した。
「では、具体的な作戦の打ち合わせに入ろう。トホテルとセイラは改めて腰を下ろしてくれ」
ウィールは途中から黙り込み、三つの反抗組織たちの首領の話を聞くに徹していた。
ここで彼が仲介して、三つの組織の協力を取り付けることは可能だっただろう。
だが、それではいざという時に三つの組織の足並みが揃わない可能性もある。
どんな形でもいい。形だけでもいい。三つの組織が納得して力を合わせる必要があるのだ。この街を蛮族から解放するためには。
ウィールは二人の仲間を背後に控えさせながら、これまで考えていた作戦を三つの反抗組織の頭目たちに話していった。
それに対する三人の意見を聞き入れて、作戦の内容を修正する。どんなに優れた作戦と思えるものでも、一人で考えたものには必ず穴がある。その穴を埋めるため、他人の意見を聞くことは重要なのだ。
「へー、この街にそんな仕掛けがあったんだね。確かにその仕掛けが発動すれば、“翠将”の魔剣の力を封じ込むことはできなくても、結果的に打ち消すぐらいのことは可能だね」
「そして、この作戦を行うには、同時に多方面に人材を動かす必要がある。タイミングがずれれば、作戦の効果が半減するどころか意味を失うからな」
「ああ。だから三つの組織の協力が不可欠なんだよ。俺たちだけでは、精々一方面だけしか動けないからな」
ウィールのその言葉に、反抗組織の頭目たちは頷いた。
「それで? 誰をどの方面に展開するつもり?」
「まず、作戦の要である翡翠の塔の攻略に、俺とナディアとディオン……それから、アリアドネとウルスラも一緒に来てくれ」
「えー、あたしもこの女と一緒なのぉっ!?」
「うふふ。よろしくね、おちびさん?」
露骨に顔を顰めるウルスラと、そんなウルスラをおもしろそうに眺めるアリアドネ。
そんな彼女たちに苦笑を浮かべながらも、ウィールは手順の説明を続ける。
「トホテルとセイラには、荒れ果てた庭園へと向かって欲しい。そして、そこに隠れているクレア・クレアというエルフの女性に〈守りの剣〉の力を発動させてもらうように告げてくれ。その後は陽動のため、『風の旅団』のメンバーと共に、街の各所で暴動を起こしてもらいたい」
「了解した」
「承知しました」
「〈守りの剣〉が発動すれば、蛮族の力は著しく衰える。それは力の強い蛮族ほど顕著になるはずだ」
「そしてそれは、“翠将”と言えども例外ではない、ってわけね」
「ふん、いいの? あんたも蛮族である以上、〈守りの剣〉の影響を受けるはずでしょ?」
「残念ね。私たちリャナンシーは、〈守りの剣〉の影響を受けないのよ」
「ちっ、そういやそうだった……」
ウルスラとアリアドネのやり取りに、他のメンバーたちから小さな笑いが起こる。
彼女たちのやり取りは、良い意味で緊張を解してくれた。
もしかすると、ウルスラとアリアドネはわざと険悪な様子を見せることで、逆に場の空気を緩めようとしているのかもしれない。
いや、いくらなんでも、それは考えすぎだろう。ウィールが内心でそんなことを考えていると、セイラが小さく手を上げて発言を求めた。
「ですが、私たちが突然荒れ果てた庭園へ行っても、そのクレア・クレアというエルフの女性は会ってくれるでしょうか?」
「それなら、作戦を開始する前に一度、俺と一緒にクレアの元へ行けばいい。そこでトホテルとセイラのことを、クレアに話す」
「なるほど。それなら大丈夫ですね」
その後も細かいことを摺り合わせ、ウィールたちは作戦を更に煮詰めていく。
「それぞれの組織で実働できる人数はどれぐらいなんだ?」
「『風の旅団』は構成員のほとんどが浮民だが、実働部隊の数はそれなりに多いな」
「『スエラの炎』は奴隷たちで構成されているよ。中には上位蛮族の奴隷もいるから、そいつらを使って撹乱することはできるね」
「『月夜蜂』は娼婦や男娼の組織ね。でも、中には暗殺者として訓練を受けた者もいるわ。彼らを使えば多くの蛮族たちを討ち取れるでしょう」
「今回の作戦に伴い、三つの反抗組織には死力を尽くしてもらうことになる。かなりの怪我人……時には死者さえでるだろう。それでも俺に協力してくれるか?」
「無論だ。この街の解放は我らの悲願だからな」
「あたしたちだって、蛮族の支配から抜け出すのは夢なんだ」
「さっきも言ったけど、私には私の目的がある。そのためなら手段は選ばないわ」
決意を秘めた表情で、三つの反抗組織の首領たちが頷く。
そんな彼らの覚悟を感じ取り、ウィールはおもむろに立ち上がった。
「よし……今回の作戦、必ず成功させよう。そして……この街を蛮族から取り戻すんだ」
力強いウィールの宣言。
この瞬間、彼らの「『霧の街』奪還作戦」は始まりを告げたのだった。
『ディーラ紛い』更新。
また一ヶ月空いてしまいました。すっかり月イチ更新が決定事項になっている(笑)。
とりあえず、年内の更新はこれで終わりです。次は年が明けてからになります。
では、少し早いですが、皆様よいお年を。
来年もよろしくお願いします。