翡翠の塔とシェス湖を繋ぐ運河が開かれると、シェス湖の清涼な水が勢いよく運河へと流れ込み始めた。
運河へと流れ込んだ水は、やがて翡翠の塔の地下へと流れ落ち、そこに設置された魔法装置へと供給されていく。
やがて、魔法装置の中に充分な量の水が溜まると、魔法装置が静かな起動音を発した。
魔法装置の起動に合わせて、「霧の街」の全体に設置されている街灯が一斉に煌々と輝き出し、その光を浴びた蛮族たちが苦悶の表情を浮かべ始める。
今、輝いている街灯の光には、“穢れ”を払う力を秘めているのだ。その光が“穢れ”を持つ蛮族たちを苦しめている。しかも、その身に帯びた穢れが強ければ強いほど、蛮族を激しく苦しめていく。
“穢れ”を払う聖なる光を放つ魔法装置。
それこそが『シェラーシスの光』と呼ばれる、この街を築いた始祖たちが施した防御装置なのであった。
後に『霧の街』──いや、ジーズドルフと呼ばれる街を興した始祖は、四人の兄妹であると言われている。
年長者から順に“堅牢なる”ゾラエンテス、“才知あふれる”セランシュ、“猛々しき”スエラ、“慈悲深き”シェラーシスと呼ばれ、度重なる蛮族の襲撃から民を守り、人族が暮らす土地を切り拓いたと伝承に残されている。
“堅牢なる”ゾラエンテスは、蛮族の刃を防ぐ御盾。我らを守り給う。
“才知あふれる”セランシュは、街の礎を築きたる英知。我らを導き給う。
“猛々しき”スエラは、蛮族を討ち滅ぼしたる御剣。我らを慰め給う。
“慈悲深き”シェラーシスは、“穢れ”を払いたる御光。我らを治め給う。
伝承に残る四人の兄妹は、街と民を守るために蛮族と激しく戦ったという。
「──その中でも、“猛々しき”スエラは『湖畔の蛮族をことごとく焼き払った』と言われていてね。それにあやかって、私は自分の反抗組織を『スエラの炎』って名前にしたんだ」
翡翠の塔の地下へと続く階段。
真っ暗なその階段を下りながら、ウルスラは隣を歩く長身の女性──アリアドネにそう言った。
本来ならばウルスラは、蛮族であるアリアドネとは積極的に関わりたいとは思わない。そのウルスラが自らアリアドネにあれこれと話しかけるのは、これから待ち受ける困難に対する不安からだろう。
「もちろん、私も四人の始祖の伝承は聞いたことがあるわよ。でも……翡翠の塔の地下に、四祖の末姫の名前を与えられた魔法装置があることまでは知らなかったわ」
二人の声以外には、二人分の足音だけ。今、塔の地下へと向かっているのは、ウルスラとアリアドネの二人だけだ。
翡翠の塔への侵入は予想以上に困難だった。
運河の中に存在する人工島。その人工島に上陸するまでは問題なかったのだが、そこからが大変だった。
翡翠の塔の周囲には数多くの蛮族の見張りがいた。
その見張りは数も多く質も高かったが、攻め手側もウィールを始めとした手練ばかりであり、見張りを撃破するのはそれほど難しくはない。
では、何が大変だったのかといえば、翡翠の塔には中に入るための入り口がなかったのだ。
塔の基部を一周したウィールたちだが、入り口らしきものがないことに唖然とするしかなかった。
とはいえ、入り口がないはずがない。となれば、入り口は巧妙に隠されているのだろう。
ウィールたちは手分けをしながら、隠された入り口を探した。だが入り口はなかなか発見できず、探している間に何度も蛮族の襲撃を受け、その度に入り口探しを中断して蛮族たちを撃破するしかなかったのだ。
そして遂に塔への入り口をウィールが発見した時は、彼らは四度に渡る蛮族の襲撃を退けてからだった。
翡翠の塔の一階部分は広い空間だった。その空間のあちこちに数多くの蛮族が思い思いにたむろしていた。
そしてその蛮族たちは、塔に入って来たウィールたちに殺気を振り撒きながら襲いかかってきた。
彼らはこの塔の見張りであり、ウィールたちは侵入者である。その両者の間に何事も起こらずに済むはずがない。
とはいえ、この場にいた蛮族たちは明らかにウィールたちよりも劣っていた。いや、ウィールたちが強すぎると言うべきだろう。もしも塔の侵入者が普通の冒険者たちならば、瞬く間に蛮族たちに蹂躙されていただろう。
見張りの蛮族たちを鎧袖一触で殲滅したウィールたちは、十分な休息を取った後に予てからの予定通り二手に別れた。
敵地で戦力を分散させることは悪手の一つである。だが、ウィールたちは敢えてその悪手を選択した。
その理由は、塔の地下にある『シェラーシスの光』の本体を確保するためだ。
『シェラーシスの光』の発光部分である街灯は街のあちこちにあるが、地下にある本体を破壊されてしまえば全ての『シェラーシスの光』はその光を消す。
翠将ヤーハッカゼッシュならば、『シェラーシスの光』の本体の在り処をすぐに突き止め、そしてそれを破壊するだろう。
それを防ぐため、ウィールとナディア、そしてディオンはヤーハッカゼッシュの牽制のために翡翠の塔の上階へ。もちろん、可能ならばそのまま翠将の首を取るつもりだ。
そして、ウルスラとアリアドネは、『シェラーシスの光』の本体を確保するために塔の地下へ。
正直仲のあまり良くないこの二人を組ませるのは、ウィールにも不安が残る。それでも上階にいる敵のことを考えると他に選択肢がない。となれば、今はこの二人に任せるしかない。
ウルスラはアリアドネのことを信用していないようだが、それでも目的が一致する間はアリアドネは裏切らないとウィールは思っている。
事前に得た情報によれば、塔の地下にいるのは“万里の咆哮”ガド・ボデックと、“汚水の女王”オンディーヌである。
ウルスラとアリアドネならば、キマイラであるガド・ボデックに遅れを取ることはないだろうし、オンディーヌに対しても少しは有利になるものをアリアドネに渡してある。後は二人の実力を信じるしかないだろう。
こうして、ウィールたちは二手に別れた。
ウィールたちは上階へ、ウルスラたちは地下へと。
どちらも強敵が待ち受ける死地であることは間違いない。それでも、誰も文句を言うことなく、上下へ続く階段へとしっかりと足を踏み出していった。
地下へと下る階段が終わる。
周囲は真っ暗闇だが、ドワーフであるウルスラも蛮族であるアリアドネも、暗視能力があるため行動に不自由はない。
「……だだっ広いだけの空間だね……」
「油断しないで。ここにはあいつがいるはず──」
言葉の途中で、突然アリアドネが横っ飛びに身を翻す。同時に、ウルスラもまた前方へと身を投げ出すように飛び込み、見事に前転を決めて素早く立ち上がる。
そして、二人は足元に小さな揺れを感じた。先程まで自分たちがいた地点へと目を向ければ、そこに逞しい獅子の前肢が見えた。
前肢に生えた鋭い鉤爪が床に突き刺さっている。間違いなく、この獅子の前肢が先程の揺れの正体だろう。
そして、闇の中からそれがのっそりと姿を現す。
「我が住み処に足を踏み入れるは何者ぞ?」
そう言葉を発したのは、三つの頭──獅子、山羊、竜──のうちのどれであっただろうか。
「疾く、去れ。さすれば、今回は見逃そう」
低い唸り声と共に、再び声がする。そこ声に合わせるように、ウルスラとアリアドネは臨戦態勢を取った。
「こちらにもいろいろと事情があってね。はいそうですか、と帰るわけにはいかないのよ」
アリアドネの形の良い爪が、ぎちぎちと音を立てて鋭く伸びる。この爪こそがリャナンシー・アサシンである彼女の武器だ。
そして、ウルスラもまた構えを取る。彼女は徒手空拳を武器とする
一撃一撃の重さは戦士のそれに及ばないが、その速度は戦士の振るう武器よりも速く、手数では圧倒的に戦士を上回る。
速度こそが拳闘士の最大の武器であり、そのため速度を殺すような重い鎧は身に着けない。
今、ウルスラの両手両足には、素手格闘専用の武器であるトンファーとアクセスブローグが装備されている。
ウルスラは両手に持ったトンファーをくるくると回し、ぴたりと獅子頭の眉間へと突きつける。
「この女と同意見なのはちょっとアレだけど、今はそんなことを考えている時じゃないからね」
にぃ、とウルスラが好戦的な笑みを浮かべる。
次の瞬間。
まるで申し合わせたかのように、ウルスラとアリアドネは同時に床を蹴り、敵──キマイラの“万里の咆哮”ガド・ボデックへと飛びかかっていった。
先手を取ったのはガド・ボデックだった。
二人が飛びかかってくるのを待ち受けていた幻獣は、竜の口から真紅の炎を吐き出す。
吐き出された炎は周囲の闇を赤く照らしながら、小柄なウルスラへとその灼熱の腕を伸ばす。
目の前まで迫る炎。だが、ウルスラは回避する素振りさえ見せず、更に勢いを増して自ら炎へと突っ込んで行く。
そして、灼熱の炎がウルスラの小さな身体をあっと言う間に飲み込んだ。
にやりとどこか人間臭い笑みを浮かべる竜頭。だが、その笑みはすぐに凍りつくことになる。
真紅の壁を突き抜けて、ウルスラがまさしく弾丸のようにキマイラの竜頭へと豪快な飛び蹴りを見舞ったのだ。
ばくん、という激しい激突音と共に竜頭が仰け反る。
「生憎だけど、私たちドワーフには炎は一切効かないんだよねっ!!」
彼女たちドワーフは、その身に「炎身」という加護を持っている。そのため、炎属性の攻撃は物理・魔法とも一切効果がない。そして、その加護はドワーフが装備するものにまで及ぶのだ。
炎を突き抜けたウルスラは、その速度を最大に活かして攻撃を途切れさせることなく更に追加の連続攻撃を繰り出す。
ウルスラの小さな拳や足。だが、それは
獅子の前脚が小さな嵐を仕留めようと繰り出されるが、ウルスラはトンファーを手に沿うように持ち、爪の一撃を弾き上げた。
「甘いねっ!! そんな遅い攻撃じゃ私を捉えることは無理だよっ!?」
ウルスラの小柄な身体が竜巻のように勢いよく回転し、遠心力を乗せた重い蹴りが轟音と共に幻獣の竜頭を再度カチ上げた。
嵐のようなウルスラとは正反対に、アリアドネは静かにそして確実にガド・ボデックにダメージを重ねていった。
鋭い鉤爪を生やしたアリアドネの両腕が、音もなく忍び寄り確実にキマイラの身体の各所を貫いていく。
今も山羊頭の頭突きを掻い潜ったアリアドネが、獅子の脇腹にその爪を突き刺した。
ぷすっという小さな音。そしてすぐさま爪を引き抜いたアリアドネは、素早く身を翻してガド・ボデックから距離を取る。
爪が穿った穴からキマイラのどす黒い血が吹き出し、床を汚していく。
傷による苦痛のためか、獅子頭が苦しげに咆哮する。
それを好機と捉えたアリアドネとウルスラは、幻獣に止めを刺さんと同時にキマイラに駆け寄った。
だが。
二人の渾身の一撃はどちらも空を切る。
ガド・ボデックは背にある皮膜状の翼を打ち振るわせ、ふわりと宙に浮かんで女傑たちの攻撃を回避したのだ。
そして、再び獅子頭が咆哮。
その咆哮が終わった時、獅子の身体のあちこちに穿たれていた爪の傷痕が、みるみる塞がっていく。
「……今のは……?」
「おそらく、練技による回復……〈リカバリィ〉ね」
この世界には、
彼らは特殊な呼吸法により、体内のマナを活性化させて己の肉体を強化、変容させる。
その技術は練技と呼ばれ、その効果は一見すると魔法のようだ、魔法とは明らかに異なる技術なのだ。
そして、練技を操るのは人族だけではない。蛮族の中にも練技を駆使する者は多いし、ガド・ボデックのような幻獣もこの技術を用いる。
その練技によってダメージを回復させたガド・ボデックが、宙に留まりながら三度目の咆哮を上げる。
咆哮はこれまでの苦悶のものや、練技のためのものではなく、明らかな闘志を漲らせた力強いものだった。
『ディーラ紛い』更新。
というわけで、ウルスラ&アリアドネの二人の女傑VSキマイラのガド・ボデック戦です。
まあ、ゲームのデータを比べる限りでは、キマイラ(Lv.9)はリャナンシー・アサシン(Lv.15)には歯が立ちませんが(笑)。
そこはあくまでも小説である、ということでひとつ。
では、これからもよろしくお願いします。