ディーラ紛いのウィール   作:ムク文鳥

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汚水の女王

 

 ぼんやりとした灯りの灯った階段を、ウィールとナディア、そしてディオンがゆっくりと登っていく。

「……他の連中、大丈夫かねぇ?」

 誰に尋ねるでもなく、ディオンが呟く。

 ディオンの呟きは、薄暗い通路に吸収されるように消えていく。

 後に残るのは、かつかつかつという規則正しい三つの足音のみ。

「他人の心配をしている場合じゃないぞ、ディオン」

 先頭を行くウィールが、背後を振り返らず告げた。

 彼の視線の先には、一枚の扉が見てきた。

 どうやら、翡翠の塔の中層部分に到達したようだ。

「……確か、この階層にいるのは……」

 いつものように、平坦な調子のナディアの声。

 そのナディアの声に、ウィールは低く唸るような声で応じる。

「“塚人いらず”のムギド……タビットのバンパイアにして、俺の身体にこの翼を植え付けた張本人だ」

 

 

 

 どさり、と重いものが落ちた音が周囲に響く。

 それと同時に、くちゃくちゃという咀嚼音が、ウルスラとアリアドネの耳に届いた。

 暗がりの奥。

 そこに何かがいる。それも、先程倒した“万里の咆哮”ガド・ボデックよりも、遥かに強力な何かが。

 ウルスラはぎゅっと拳を握り直し、アリアドネも鋭い爪を揃えて身構える。

 やがて、ゆっくりと暗闇の中からソレが姿を見せる。

「す、スキュラ……?」

 呻くようにウルスラが呟けば、それをアリアドネが否定した。

「いいえ。あれはスキュラの上位種、ヘルスキュラよ。ヘルスキュラのオンディーヌ……二つ名は“汚水の女王”……」

 水辺に棲息する蛮族であるスキュラ。

 その上半身は美しい人間の女性だが、その下半身は蛸のような触手で構成されている。

 水辺で溺れる女性の振りをして、哀れな犠牲者を誘き寄せる。その性格は残忍であり、スキュラたちにとって人族は食料でしかない。

 その上位種であるヘルスキュラは、蛸のような触手ではなく魔獣の頭の生えた触手を有する。

 魔獣の頭たちは常に飢え、食欲を満たすために時には蛮族であろうとも食べてしまう恐るべき魔物である。

 現に今、三つもある魔獣の頭は何かを咀嚼している。

 床を見れば、上半身のないボガードと思しき蛮族の死体が転がっていた。おそらく、先程聞こえた何かの落ちる音は、魔獣の頭に食いちぎられたボガードの下半身であろう。

「あぅー、こんな所に美味しそうな食べ物がいるよー。今までの数百年、ずっと動かなかった魔法装置が突然動きだしたから、何事かと思って上の階まで様子を見に来てみたけど……来たかいがあったよー」

 魔獣の頭を有する下半身の上にある、美しい人間の女性の姿をした上半身が、じーっとウルスラとアリアドネを見つめる。

 その視線に含まれるものは、明らかな食欲だ。この恐るべき魔物にとって、ウルスラとアリアドネは美味しそうな獲物に過ぎない。

「じゃあ、いただきまー…………」

「お待ちください、オンディーヌ様!」

 オンディーヌが行動を起こそうとするより早く、アリアドネが数歩前に進み出てその場に片膝ついて畏まった。

 そして、懐より一つの指輪を取り出してオンディーヌによく見えるように掲げる。

「あれ? あれれれれ? それはマダム・ヘドロンに渡しておいた指輪だよね……? ってことは、君たちはヘドロンのお友達? なーんだ、ごはんじゃないのかー。ざんねーん」

 オンディーヌは指輪を確認すると、大きく肩を落とした。

 マダム・ヘドロンとは、常に空腹を抱えるオンディーヌへと浮民を供給する役目を負ったリザードマンテイマーである。

 だが、マダム・ヘドロンは既にいない。かつてウィールが『霧の街』にいた時にと刃を交え、彼に倒されている。

 その時このマダム・ヘドロンの指輪を、ウィールは手に入れていた。

 この指輪があれば、オンディーヌから一方的に襲われることはない。そう彼に教えたのは、『霧の街』で情報屋も兼ねるウルスラ本人だった。

 翡翠の塔の地下へと赴く際、この指輪が役に立つかもしれないと思ったウィールは、これをアリアドネに託しておいたのだ。

「でもでも、その指輪を持っているってことは、私にごはんを届けにきたんだよね? どこどこ? どこにあるのかなー、私のごーはーんー!」

 なぜかにこにこと上機嫌のオンディーヌ。

 そんなオンディーヌに、アリアドネは立ち上がって優雅に近づいていき、ウルスラは背中に冷たい汗を流しながらそれを見守る。

「オンディーヌ様に献上するお食事は…………でございます」

「え? 何て言ったのー? 聞こえなかったよー!」

「聞こえませんでしたか? では、申し訳ありませんがお耳をお近づけいただきたく」

 アリアドネの言葉にオンディーヌは素直に頷き、不気味な触手の蠢く下半身に支えられた上半身を、ぬうっとアリアドネへと近づけた。

 ちなみに、人間の姿をしているオンディーヌの上半身には、何も身に纏っていない。そのため、剥き出しの巨大な二つの乳房が、オンディーヌの身体が動く度にたわわに揺れる。

 しかし、同性であるアリアドネやウルスラには、オンディーヌの巨大な乳房は何の誘惑にもならない。いや、例え男であろうとも、この“汚水の女王”の姿を見れば下手な下心など湧かないだろう。

「それでそれで? 私のごはんはどこー?」

「はい、お食事は…………ありませんわ」

 言葉の終了と同時に、アリアドネは鋭い爪の生えた腕を素早く振るう。

 そして、彼女の腕が通りすぎた後。

 “汚水の女王”の首筋に朱線が一筋走ったかと思うと、その朱線は徐々に大きく深くなり、最後にはぼとりと首が床に落下した。

 

 

 

「ちっ」

 鋭い舌打ちを一つ。

 アリアドネは素早く後ろに下がると、トンファーを握り締めて身構えていたウルスラと並んだ。

「いいいいいいいいいいい痛い、痛い、いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」

 オンディーヌが涙を流しながらのたうち回る。

 アリアドネの爪は、狙い違わずオンディーヌの人と同じその首を両断した────はずだった。

 だが彼女の爪がオンディーヌの首に触れる直前、そこに魔獣の頭を有した触手の一つが割り込んだ。

「…………もう少しだったのに」

「ふん、あんたもツメが甘いね!」

 苛立たしそうに、アリアドネは床に転がる首を見る。

 彼女の視線の先に転がるのは、魔獣の首。アリアドネの爪は、割り込んだ魔獣の首を確かに断ち落としていたのだ。

「よ、よくも……よくも……よくも私の触手の首をおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉっ!!」

 オンディーヌが咆哮する。美しい人間の上半身からは想像もつかないような、まさに獣のような咆哮。

「許さない! 許さない! ゆーるーさーなーいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 奇声を発しながら、ヘルスキュラの巨体がアリアドネとウルスラへと躍りかかる。

 だが、アリアドネとウルスラがそれを甘んじて受けるはずもなく。

 二人は素早く左右に散開すると、それぞれ反撃へと転じていく。

 獲物を捕えることなく床に着地したヘルスキュラの巨体が、翡翠の塔の地下を揺らす。

 その揺れに負けることなく、ウルスラの鍛え込まれた強靭な下半身が、力強く床を蹴る。

 まるで放たれた矢のように、ウルスラがオンディーヌへと肉薄し、手の中のトンファーをくるりと旋回、彼女を迎撃せんと迫る魔獣の首の一つへと叩きつけた。

 がん、と重い音が響き、魔獣の首が激しく揺れる。

 だが、強靭な生命力に支えられた魔物の首はそれでへし折れることもなく、悪臭のする涎をだらだらと垂らしながらその(あぎと)を開いて、ウルスラを捕食せんと再び迫る。

「臭いってばっ!! 近寄るなっ!!」

 迫る魔獣の首に、ウルスラは回し蹴りを叩き込む。

 トンファーの一撃にも劣らない重い蹴りが、魔獣の顎を蹴り砕いた。

 

 

 

 がちん、と打なら去れる魔獣の牙。

 だが、本来その牙と牙の間に捕えられるはずだった獲物は、するりとその牙を回避した。

 更には、回避しつつその長い爪を揮い、魔獣の真紅に輝く瞳を射抜かんとする。

 爪は狙い通りに魔獣の瞳の一つに突き刺さり、魔獣が苦痛に満ちた咆哮を上げた。

 くすりと小さく笑った獲物──アリアドネは、そのまま力任せに腕を引く。腕と一緒に引き抜かれた爪は、その先端に魔獣の眼球を貫いたまま、眼球そのものを眼窩から引き抜いた。

 ぶちぶちと音を立てて引きちぎられる視神経。

 アリアドネは小さく手を振って爪に刺さった眼球を床に打ち捨てると、もう片方の目を狙って逆の腕を突き出す。

 だが、目を潰された激痛で、触手は激しくのたうち回る。アリアドネはもう片方の目を狙うことは諦めて、触手から距離を取った。

 あのまま触手の近くにいると、のたうち回る勢いで身体ごと吹き飛ばされかねない。

ヘルスキュラから一旦離れたアリアドネの元に、こちらも一時戦線から離脱したウルスラが並ぶ。

「このまま一気に行けそうじゃない?」

「油断しないことね。相手は“汚水の女王”オンディーヌ。この『霧の街』では翠将の次ぐ実力者よ」

 アリアドネの厳しい指摘に、ウルスラは口を尖らせる。

 だが、アリアドネの言い分が正しいことは、ウルスラも認めざるを得ない。ただでさえ強敵であるスキュラの、更に上位種であるヘルスキュラ。決して油断していい相手ではないのだ。

 ウルスラはゆっくりと腰を落とし、トンファーを構えながらいつでも動けるように猫足──つま先立ちになる。

 アリアドネもまた、両手に生えた鉤爪を顔の前に掲げ、臨戦体勢を整えた。

 

 

 

「いいい痛いよぉぉぉぉぉっ!!」

 オンディーヌが流れる涙を拭うこともせず、まるで幼子のように泣き叫ぶ。

「痛いよぉぉぉぉぉぉっ!! 私の身体に一杯一杯傷ができちゃったよぉぉぉぉぉぉっ!! でもでも…………っ!!」

 ぴたり、と突然オンディーヌが泣き止む。

 それまで幼い子供のような泣き顔だったのが、不意に悪魔のような粘ついた笑みを浮かべた。

「それ以上にお腹がすいたよぉぉぉぉぉぉぉっ!! 一杯、いっぱぁぁぁぁぁぁぁぁい食べれば、きっとこの痛みも消えるよねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

 悪魔の()()となったオンディーヌが、呪文の詠唱を開始する。

「魔法っ!? こいつ、魔法が使えるのっ!?」

「スキュラは操霊魔法の使い手よっ!!」

 魔法を警戒して、ウルスラとアリアドネが左右に別れる。

 二人がそれまでいた空間を、不気味な色の雲が覆う。

 上位の操霊魔法である【アシッドクラウド】だ。

 この魔法は周囲の空気を強酸に変化させる。その強酸の空気を吸い込めば、呼吸器などに深刻なダメージを受けることになるだろう。

 魔法を警戒し、左右に散開した二人。だが、二人の危機はまだ終わっていない。

 オンディーヌの下半身に遺された、二つの魔獣の頭。

 顎を砕かれ、片目を抉られはしたものの、その二つの頭はまだ健在なのだ。

 ウルスラとアリアドネが左右に別れるのを前もって予測していたかのように、二人が移動した先に魔獣の頭たちが待ち構えていた。

 かっと広げられた魔獣の顎。

 そこから、二人に向けてどす黒い瘴気を含んだ息が吐きかけられた。

 

 




 『ディーラ紛いのウィール』更新。

 さて、舞台は再び翡翠の塔の地下部分へ。
 ウルスラとアリアドネは、オンディーヌと連戦となります。


 では、これからもよろしくお願いします。
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