ごうごうと音を立てて、翡翠の塔の最深部に広がる巨大な空洞に、大量の水が流れ込んでいる。
そして、その流れ込む水の中心で、一つの巨大な魔法機械が静かに可動しつつあった。
「……これが、ウィールが言っていた「シェラーシスの光」……を起動させるための装置なんだね……」
「ええ。これこそが、私たちの反抗作戦の要……何とか確保できたわね」
魔法機械「シェラーシスの光」の起動装置の確保に成功したウルスラとアリアドネは、唸りを立てて可動する装置を見下ろしている。
「おっねっえっさっまぁ~っ!! 見て見て~っ!! こんなの、見つけたよ~」
そんな二人の元へ、異形の怪物がうきうきとした表情で近寄ってくる。
蠢く触手の塊の上に、美しい人間の身体。触手の先端は魔獣の頭になっており、その口元にはべっとりとした血が付着している。
裸体を剥き出しの人間の身体の方も同様で、口元から豊満な胸へかけて真紅の斑模様が広がっていた。
「お姉様に言われた通り、あっちに転がっていた魔獣……ガド・ボデックの死体を食べたんだけど……あの魔獣がこんなの持っていたの~」
そう言って異形の怪物──ヘルスキュラのオンディーヌが差し出したのは、銀色の輝く水晶と思われるプレートだった。
「……何かしら、これ?」
「こいつはおそらく、この『霧の街』の霧を払うことができるっていう、魔法装置の制御に使う銀水晶のプレートじゃないかな? 確か……ウィールの話だと、【常夜の回廊】の奥にそれを制御する装置があるって話だけど……」
「よく知っているわね?」
意外そうな表情を浮かべるアリアドネに、ウルスラが自慢気な笑みを向ける。
「こう見えても、私は情報屋でもあるからね。いろいろとこの手の情報は掴んでいるんだ」
えっへんとばかりに胸を張るウルスラに、アリアドネは苦笑を浮かべた。
そして、再び目の前で可動を続ける魔法装置を見つめる。
「翡翠の塔の最深部……この巨大な空間にシェス湖の水が満ちる時、「シェラーシスの光」は完全に起動する……現在、空洞に満ちる水は七割ってところかしら?」
今、アリアドネたちは翡翠の塔の最下層に広がる巨大な空洞を見下ろす高台にいて、そこから空洞に水が満ちていくのを見下ろしているのだ。
「……「シェラーシスの光」が起動するまで、もうそれ程の時間は必要ないわね……」
「なあ、この銀水晶のプレート、私が貰ってもいい?」
「だぁめっ!! これはアタシがお姉様にあげるのぉ~。ね、お姉様っ!!」
「あら、私が貰ってもいいの?」
「うん、いいよぉ~。だって、これ、食べられないもん」
にこにこと笑顔を絶やさぬまま、アリアドネへと銀水書のプレートを差し出すオンディーヌ。
オンディーヌからプレートを受け取りつつも、どこか困ったような表情のアリアドネ。そのアリアドネの脇腹を、意味深な笑みを浮かべたウルスラが肘で突く。
「随分と可愛い妹ができたじゃない?」
「よしてよ。本当にこんなのは趣味じゃないんだから」
と、アリアドネはげんなりとした表情を浮かべた。
襲いかかってくる
鋭い悪魔の鉤爪は、腐り落ちる寸前だった屍人の身体を易々と破壊する。
だが、その際に腐肉と腐汁、そして悪臭が周囲に飛び散り、ディオンは思わず顔を顰めた。
「……ったくよぅ。ここの屍人どもは弱いのはいいが、こう臭くちゃ堪ったものじゃないっての」
今、彼は破壊した屍人の返り血ならぬ返り腐肉を浴びて、全身から悪臭を漂わせている。
「全くですね。このような臭いをつけてしまったら、愛しのダーリンに抱き締めてもらえません」
相変わらず表情を変えることなくそう告げるのは、槍を振るって屍人よりも上位の
だが、ナディアはディオンとは違い、その身体を腐肉で汚してはいない。飛び散る腐肉や腐汁を、ちゃっかりと回避しているようだ。
「…………なんか、納得いかねぇなぁ……」
「これも美女の嗜みです」
「いやまあ、
二人が詰まらない会話をしている間も、屍人や死体食らい、そして
それら不死者たちを二人は危なげなく破壊し、どんどんとこの階層──翡翠の塔の中層部──を突き進んで行く。
どれぐらいの数の不死者たちを破壊しただろう。押し寄せる波のように、無数の不死者たちがディオンとナディアへと群がって行き、二人はそれを触れる端から破壊していく。
だが、唐突に二人に襲いかかってくる不死者が途切れた。
二人がそのことを疑問に感じるより早く、その光景は視界の中へと飛び込んでくる。
ぼんやりとした灯りに照らし出されるのは、山のように積み上げられた人族の身体──いや、死体。
人間、エルフ、ドワーフ、ルーンフォーク、リルドラケンなどなど。様々な種族の人族の死体が、そこかしこに積み上げられている。
よくよく見れば、死体は人族だけではない。
ゴブリンやボガード、オーガにトロールといった蛮族のものも無数にある。
得体の知れない葛のような植物らしきものや、魔獣のものらしい爪や牙もある。
中には魔道機械と思しきガラクタまでもが、その空間のあちこちに散らかっていた。
そして。
「切り飛ばぁしてぇ~、繋ぁいでぇ~、突っ込ぉんでぇ~……イヒっ!!」
そんな死体とガラクタの山の中央に、それはいた。
机の上に乗せられた人間と思しき死体に、何やら不気味な器官をもつ植物のようなものを植え付けながら。
一メートル程の身長と、全身を覆う柔らかな毛皮と長く飛び出した耳。それはタビットと呼ばれる人族の特徴そのままだ。
タビットとは直立歩行する兔といった外観の種族で、不器用でのろまで非力だが、恐ろしいまでの知力を誇り、優れた魔法使いとなる者が多い。
そして、そのタビットの毛皮は黒と白と灰色の斑模様で、なぜか右の目だけがぎょろりと不気味に飛び出していた。
「イヒ……ひ……おやぁ? どうやらお客さんのようだねぇ。こいつぁ、新しい素材が向こうから来てくれたよぉ?」
その異様に剥き出しとなった右目がぐりぐりと動き、ディオンとナディアへとその濁った眼球を向けた。
「……このウサギ野郎が……」
「はい……“塚人いらずの”ムギド……タビット族のヴァンパイアで、ウィールの身体に翼を植え付けた張本人です」
ムギドは、ぎょろりとした右目だけではく、首を捻って顔全体をディオンたちへと向けた。
「ふーむふむ、こいつは珍しいねぇ。バジリスクのウィークリングとシャドウかぁ……うんうん、どっちも健康そうでいい素材となりそうだねぇ。そそられるねぇ。ボク、興奮してきちゃったよぉ?」
ムギドの兔と同じ形の口が、むにっと歪む。
本来ならば愛らしさを感じるだろうその仕草も、このタビット・ヴァンパイアがすると不気味に見える。
「じゃあ、さくっと殺しちゃって、ボクの実験材料にしちゃおうかなぁっ!?」
ムギドの赤い目がらんらんと輝く。
それは吸血種が持つ魔眼。
標的の行動を束縛させる効果を持つ、恐るべき吸血種の異能である。
その魔眼がディオンを睨み付ける。
魔眼に魅入られたディオンは、一瞬だけその身体を硬直させたものの、すぐに魔眼の拘束を振り切った。
そして。
「魔眼持ちはウサ公だけじゃねえってのっ!!」
ムギドほどではないものの、やはり片方だけが異様に大きなディオンの片目が輝く。
バジリスクの血を引く彼は、石化の呪いを魔眼を通して相手にかけることができるのだ。
石化の呪いはタビット・ヴァンパイアを捉える。ぴしりという乾いた音と共に、タビット特有の短い指先が僅かに石化した。
「ふーむふむ。これがバジリスクの石化の魔眼かぁ。うん、キミを殺した後にその魔眼を摘出して、そっちのシャドウに植え付けてみようかなぁ」
言葉が終わると同時に、タビットの矮躯がふわりと宙に舞う。そして、ふわふわした毛皮に包まれた指先から、鋭い鉤爪が飛び出した。
「さぁ、実験材料になってもらうよぉ?」
宙に舞い上がったムギドの身体。その身体が前へ進もうとした時。周囲を包んでいた闇が一瞬で切り裂かれた。
「ぎゃああああああああああああああああっ!! こ、これは太陽の光ぃぃぃぃぃぃっ!? ど、どうして、ここに太陽の光が──────っ!?」
吸血種は太陽の光に、その身を焼かれる。
太陽の光を浴びた吸血種は、徐々に身体を焼かれていき、わずか数分で灰になると言われている。
だが、ここは太陽の光の届かぬ翡翠の塔の中。当然ながら太陽の光がこの場に差し込むことはない。
「私は太陽神ティダンの信徒ですので」
表情を変えることもなくしれっと告げたのはナディアである。
その彼女の頭上には、燦々と光輝く球体が出現していた。
その輝き、その暖かさはまさしく太陽と同じ。
これは太陽神の高位信者のみに使用できる特殊神聖魔法【デイブレイク】だ。
その効果は、まさに小さな太陽を生み出すこと。そのため、この魔法の光は太陽と同じように吸血種の身体を焼く。
しかも、吸血種が持つ様々な特殊能力を封じる効果もあるのだ。
床へと落下し、眼を抑えながらごろごろと転がるムギド。
その身体からは絶えず煙が立ち上り、小さな太陽に焼かれていることを明確に現していた。
「凄えな、姐さん。これが姐さんが言っていた吸血種に対する切り札か」
「はい。この光の元では、吸血種の驚異的な再生能力も封じられます。さあ、一気にとどめを刺してしまいましょう」
ナディアは再び呪文を唱える。呪文の終了と同時に、彼女の槍と悪魔の鉤爪と化しているディオンの両腕に光が宿る。
蛮族や不死者に対して攻撃力を高める【セイクリッドウェポン】の呪文の効果だ。
二人は各々の得物を構えると、相変わらず床でのたうち回っているタビット・ヴァンパイアへと近づいていく。
とはいえ、無防備に近づくことはない。いつ反撃されても対処できるように、慎重に警戒しながらの接敵である。
そして構えた得物の射程距離にまで近づいた時。二人は迷うことなくタビットの小さな身体に聖なる力が宿った武器を振り下ろした。
『ディーラ紛いのウィール』更新。
今度は何とか早めに更新することができました。
次もこれぐらいのペースで更新できるように心掛けたいところです。
では、これからもよろしくお願いします。