振り下ろされる悪魔の鉤爪と槍。
だが、それらが床に倒れるタビット・ヴァンパイアに届く直前、まるで何かに遮られたかのようにぴたりと停止した。
そして、足元をふらつかせ、数歩後ずさりしながら思わず片膝を着くナディアとディオン。
「くぅぅぅぅ……やっぱり太陽の光はきっついねぇ? もう少しでボク、やられちゃうところだったよぉ?」
ふらりと立ち上がったのは、タビット・ヴァンパイアのムギドである。
そういうムギドの身体の各所からは、いまだに黒煙が立ち上っている。ナディアが生み出した小さな太陽は、まだその効力を失ってはいないのだ。
「……くそ、ウサ公め……一体どうして……?」
片膝を着いた状態で、ディオンが忌々しそうにムギドを睨み付ける。
「ああ、ボクが立ち上がったことが疑問なんだねぇ? うん、いいよぉ、教えてあげるよぉ?」
にい、とムギドが口角を釣り上げる。その際、彼の口元から鋭い犬歯がちらりと覗く。
「この小さな太陽は確かに僕の身体を焼いているよぉ。こうしてキミたちと話しているこの瞬間もねぇ。でも、ボクはメティシエ様に仕える神官でもあるんだぁ、これが」
ムギドは服の下から、蛇が絡みついた髑髏を模した聖印を取り出した。それは間違いなく、死と不死を司る不死神メティシエの聖印だ。
「……そうか……【スティールライフ】……ですね?」
仕える神は違うとはいえ同じ神官であるナディアには、自分が何をされたのか理解したようだ。
「うん、大正解ぃ。キミたちに【スティールライフ】をかけて、キミたちから奪った生命力でボク自身を回復させたんだぁ」
【スティールライフ】。メティシエの信者だけが使える特殊神聖魔法で、対象の生命力を奪い、奪ったその生命力で術者の生命力を回復させるという、ある意味で実に合理的な魔法である。
強引に生命力を奪われて、まだ満足に動けそうもないナディアとディオン。ムギドはそんな二人を放っておいて、傍らに積み上げられているガラクタの山に自らの手を突っ込んだ。
「えーっとぉ……確か、以前にザバールから買い取ったマジックアイテムがこの辺に……おっと、これかなぁ?」
ムギドがガラクタの山から手を引き抜くと、そこに一本の
そしてムギドはその魔法棒で、宙に浮かぶ小さな太陽をこつんと軽く叩く。
途端、ぱぁんという弾ける音と共に、ナディアが作り出した小さな太陽が消滅した。
「イヒっ! これは『消魔の魔法棒』というマジックアイテムでねぇ? この魔法棒で触れた魔法を一瞬で解除しちゃうんだぁ。もっとも、一回限りの使い捨てなんだけどねぇ」
ムギドは魔力を使い果たした魔法棒を無造作に放り投げる。
「ふーむふむ、心地いい闇が帰ってきたねぇ。気分爽快だよぉ!」
ムギドの身体のあちこちに存在した火傷の痕。それが瞬く間に癒えていく。
小さな太陽が消えたことで、吸血種の持つ再生能力も甦ったのだ。
「さぁて────」
ムギドの剥き出しの目が、ぎょろりとナディアとディオンを睨む。
「────キミたちをボクのおもちゃにしちゃおうっかなぁ」
弾むような声で、ムギドが告げた。
ざしゅっ、という鈍い音と共に、ディオンの肩にムギドの爪が突き刺さる。
喉元まで込み上げた悲鳴を強引に飲み込み、ディオンは間近にある異形のウサギ顔を睨み付けた。
「くふふふ。いいねぇ、いいねぇ。いつまでその強気な態度が保つかなぁ?」
「ざ、残念だったな。身体に爪を立てられるのは慣れているんでな……抱いた時に爪を立てる女が多くてよ……」
口の端を釣り上げるディオン。そんな彼を見て、ムギドもまた楽しそうに目を細めた。
「そっかぁ。そいつは残念だねぇ。じゃあ、こっちのシャドウの女はどうかな?」
ムギドはディオンの身体から爪を引き抜くと、部屋の隅へと蹴飛ばした。そして、いまだに床に倒れているナディアへと、まるでスキップでもするかのように近づいていく。
「ふーむふむ。これはまた、健康そうな身体の女だねぇ。こういう健康そうな身体を見ると、どんな改造を施そうかとわくわくしちゃうよねぇ」
ムギドはにこにことした顔で爪を宙に走らせる。タビット・ヴァンパイアの鋭い爪が走る度に、ナディアが装備している防具の革紐が切断され、やがて彼女の身体から全ての防具が脱げ落ちた。
「いいねぇ、いいねぇ。ボクはタビットだから人間やエルフやシャドウの女の身体を見てもおもしろくはないけど、キミの身体にはそれとはまた別の興奮を覚えるねぇ」
実際に剥がされたのは防具だけだが、ムギドの異形の右目に見つめられたナディアは、衣服の下の裸体を見られているような錯覚を覚えた。
「生憎と……この身体を自由にしていいのは一人だけですので……」
いつものように表情を変えることもなく、それでいてふらつきながらも何とか立ち上がるナディア。
彼女は自らが信じる神に祈りを捧げ、自分とディオンの失った生命力を回復させる。
ナディアが用いたのは【キュア・イリンジャー】。上位の回復魔法の効果で、ナディアとディオンの生命力は瞬く間に回復した。
「ふーむふむ。やっぱり神官は厄介だねぇ。いや、ボク自身も神官だけどさ? だから──」
ムギドの瞳が赤く禍々しく輝く。
「──まずは君から片付けようかぁ」
「
ムギドは操霊魔法の高位呪文である【アシッド・クラウド】を唱える。
立ち上がったナディアの周囲の空気が一瞬で強酸に変化し、その強酸が吸い込んでしまった彼女の呼吸器系を焼く。
ナディアは激しく咳き込み、口から真っ赤な血を吐いた。
「まだまだこれで終わりじゃないよぉ?
次にムギドが使用したのは、同じく操霊魔法の【クリメイション】。
ムギドのタビット特有の短い指先から灼熱の炎が吹き出し、苦しげに咳き込むナディアの身体を舐めていく。
「うぐ……っ!!」
衣服に引火した炎を消すため、ナディアは床の上をごろごろと転がる。だが高熱の炎はナディアの衣服だけではなく、その下の灰褐色の肌までもを焼いていた。
鎧は剥がされ衣服もぼろぼろ。露出した肌は火傷の後が生々しい。気づけば愛用の槍もどこかに行ってしまい、今のナディアはまさに満身創痍だ。
「おぉっとぉ、回復させる暇は与えないよぉ」
ナディアが回復魔法を使おうとしたのを感じ取ったムギドは、その短い足からは考えられない速度でナディアに肉薄した。
がん、と短く柔らかな獣毛に包まれた拳が、ナディアの顎を捉える。
呪文を唱えようとしていたところを強引に口を閉じることになり、危うく舌を噛み千切りそうだった。
「……ぐっ!!」
「ほぅらほら、さっさと立ち上がろうねぇ」
床に倒れたナディアを、ムギドは彼女の頭を掴んで強引に立ち上がらせる。
「ふーむふむ。折角だから、キミの生き血をもらっておこうかねぇ。ほら、ボクってヴァンパイアだし?」
タビットの兔そっくりの口から、鋭い牙が覗く。
ムギドはナディアの襟元の衣服に手をかけると、そのまま強引に引きちぎる。
先程の炎で脆くなっていた彼女の衣服は、さして抵抗することもなく引きちぎられ、ナディアはその豊かな双胸をタビットヴァンパイアの目に晒した。
「イヒっ!! では、いただきまーす」
ムギドはその口を大きく開くと、鋭い牙をナディアの首筋へとそろりそろりと近づけていった。
「ぎぃやあああああああああああああああっ!!」
その悲鳴は、首筋に鋭い牙を突き立てられ全身を激しい痛みが駆け抜けたから。
首筋に噛みついたものは尚もぎちぎちとその首の肉を締め上げ、ついにはぞぶりと周囲の毛皮と共に首筋の肉を抉り取る。
そして、彼は素早く後方へ下がると、口の中に残った毛皮と肉を吐き捨てた。
「へっ、噛みつきがてめぇだけの専売特許だと思うんじゃねえぞ、このウサギ野郎!」
ぞろりと鋭い牙──テラービーストの牙の生えた口でそう言うのは、他ならぬディオンである。
【デモンズファング】と呼ばれる召異魔法で、文字通り悪魔の牙をその身に宿す魔法だ。
しかも、この牙は腐敗性の毒を含んでいる。牙から体内へと注入された腐敗毒が、血流に乗ってムギドの全身を犯しているのだった。
ヴァンパイア──ノスフェラトゥの一族は、よく勘違いされるが決してアンデッドではない。そのため、レッサーヴァンパイアであるムギドにも、毒は有効なのである。
ディオンは床でのたうち回るムギドを見下ろしながら、耳に着けている耳飾りに指先を触れさせた。
「おっし、ここで隠し玉の投入といくぜ!」
ディオンの命令と共に、彼の背後に青銅色の肌をした巨人が現れる。
長い尻尾と手に魔剣を持った3メートルほどの異界の巨人──魔神グルネルは、その尻尾を鞭のように操り、床でのたうち回るムギドをからめ取った。
そしてその巨体でムギドへと素早く近づくと、手にした魔剣を逆手に持ってタビット・ヴァンパイアの身体へと一気に振り下ろす。
だん、という大きな音と共に、ムギドの小柄な身体が魔剣で床に縫いつけられた。
「おっし、
何とか起き上がったナディアは、腕で胸元を隠しながら再び呪文を詠唱する。
彼女のが詠唱するのは、もちろん【デイブレイク】である。
ムギドは今、魔神の魔剣で身体を縫い止められ、身動きが取れない。
この状態で【デイブレイク】の光を受け続ければ、いかなタビット・ヴァンパイアとはいえども、数分で灰になるしかない。
そしてナディアの呪文が完成し、再び小さな太陽が姿を現す。
翡翠の塔の中を皓々と照らす白い神聖は光が、邪悪なるヴァンパイアの身体を焼いていく。
「ぎぃやあああああああああああああああっ!! や、止めろっ!! 止めてくれえええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!! こ、このままではボクが灰になってしまうぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「誰が止めるかよ、止める理由がないだろうが」
その身体を徐々に崩していくタビット・ヴァンパイアに、ディオンがそう吐き捨てた。
そして呪文持続時間が切れて小さな太陽が姿を消した時。
黒と灰と白の斑模様の毛皮を持ったヴァンパイアもまた、この世からその姿を消滅させていた。
何とか更新することのできた『ディーラ紛い』。
これにて魔改造屋も退場となり、遂に最後の戦いへと舞台は移行していきます。
次回はいよいよラスボス戦!
では、これからもよろしくお願いします。