空気を斬り裂きつつ、ドミネイターが“翠将”の首に迫る。
だが、研ぎ澄まされた刃が“翠将”の首に食い込む直前、真紅の刀身がドミネイターの軌道を遮った。
下から掬い上げるように振られた紅霧の魔剣が、ドミネイターの刃を弾き上げたのだ。
『シェラーシスの光』の影響を受け、満足に立つことさえできないヤーハッカゼッシュ。
だが、それでも彼は恐るべき戦士だった。片手で振った愛剣で、ウィールのふるった死を呼ぶ刃を撥ね除けたのだから。
しかし、ウィールとてこれは想定済み。この程度で“翠将”が無力化できるとは思っていない。
弾き上げられたドミネイターの勢いを逆に利用し、ウィールは素早く二の太刀をふるう。
頭上に振り上げた形となったドミネイター。ウィールはその勢いを殺すことなくその場で身体を一回転させ、遠心力を乗せた第二撃を放つ。
床と水平に振られるドミネイター。十分に勢いの乗ったその刃を、ヤーハッカゼッシュはよろめきながらも何とか躱す。
──今のを躱すか!
ウィールは内心で吐き捨てる。だが、好機はまだまだ終ってはいない。
再びドミネイターが翻り、今度はヤーハッカゼッシュの不安定な足元を狙う。
先程よりもかなり低い軌道の剣閃。先程の回避でふらついているヤーハッカゼッシュは、この一撃を回避することはできないだろう。
だが、またもやウィールの攻撃は防がれた。今度は“翠将”が床にクルルガランを突き立てて、足元を狙ったウィールの攻撃を受け止めたのだ。
だが、それはウィールの狙い通り。彼は最初から受け止められることを承知で剣を繰り出していた。
そして、用意しておいた魔法を解き放つ。
「炎の妖精よ! 我が敵の武具を熱っせよ!」
彼が使用した魔法は、妖精魔法の【ヒートメタル】。標的が装備している武器や防具を赤熱化し、熱のダメージを与える魔法である。
この時ウィールが標的と選んだのは、当然ながら彼の剣を受け止めている紅霧の魔剣クルルガラン。そして、ウィールの本当の目的は直接ダメージを与えることではない。
【ヒートメタル】で武器を標的に選んだ場合、咄嗟に手放せばダメージを受けることはない。つまり、ウィールの狙いはヤーハッカゼッシュに愛剣を手放させることなのだ。
“翠将”の愛剣であるクルルガランは、恐るべき魔力を秘めている。その魔力を解放されると、『シェラーシスの光』による優位を簡単に覆されてしまう。
そのため、ウィールは今の有利な状況を維持するため、ヤーハッカゼッシュから愛剣を奪うことを選択した。
だが。
じゅう、という肉の焼ける臭いと音が部屋の中に満ちた。そして、同時に“翠将”が凄絶な笑みを浮かべる。
「甘いぞ、“ディーラ紛い”。この程度でこの私がクルルガランを手放すと思ったか?」
右手を熱で焼かれながらも、ヤーハッカゼッシュは愛剣を床から引き抜いた。
確かに当初の目的とは違ってしまったが、これもまた悪くはない。いわば、次善の結果と言えるだろう。
確かにヤーハッカゼッシュが愛剣を手放すことはなかったが、それでも魔法のダメージは入った。
そしてそのダメージは、“翠将”と言えども無視できるような軽いものではない。
加えて、『シェラーシスの光』の効果もある。
まだまだ状況は自分に有利。そう判断したウィールは、この好機を逃すことなく一気に畳みかけることにした。
彼とてもその魂に「穢れ」を帯びており、『シェラーシスの光』の影響は受けている。だが、その影響は目の前の“翠将”に比べれば軽いものだ。
だん、と床を砕く勢いで鋭く踏み込み、一気にヤーハッカゼッシュを剣の間合いに捉える。
そして、ウィールはドミネイターを腰の高さで床と水平に構えた。
呼気と共に滑り出すドミネイター。だが、ヤーハッカゼッシュもその剣の軌道は見切っている。
鈍い動きながらも、“翠将”は防御の構えを見せる。と、その翡翠色の瞳の前を何かが不意に横切った。
ほんの一瞬、“翠将”はウィールの剣先から意識を逸らした。逸らしてしまった。
目の前を何かが過れば、どうしたって意識はそちらを向いてしまう。それは蛮族とて同じこと。
ヤーハッカゼッシュの目の前を横切ったのは、ウィールの翼。
ウィールは背中の翼を不意に広げ、ヤーハッカゼッシュの目を幻惑したのだ。
瞬きもできないほどの僅かな隙。だが、ウィールには十分過ぎる隙だった。
僅かに動きが遅れたヤーハッカゼッシュの剣を掻い潜り、ウィールのドミネイターが“翠将”の脇腹を見事に捉える。
ウィールの手に肉を切り裂く感触が伝わり、同時に“翠将”の脇腹から血が吹き出す。
本来ならばここで追撃を加えるか、それとも脇腹に食い込んだ刃を更に押し込むかするところだが、ウィールはすぐに後方へと飛び退いた。
一瞬前までウィールがいた場所の床を、ヤーハッカゼッシュの脇腹から吹き出した血が汚す。
と、血に濡れた床に使われていた石材が、じゅうと嫌な音を立てて煙を吹き出した。
バジリスクの血液には猛毒が含まれている。その猛毒は自らを傷つけた者を汚染させる。
これまでに何体ものバジリスクと戦ってきたウィールは、当然ながらそのことを知っている。そのため、傷口から吹き出した血を浴びないように、すぐに後ろへと下がったのだ。
「…………知っていたか。我らが血に宿る毒のことを」
「ああ。これまでに嫌というほど味わってきたからな」
傷口を片手で押さえながら、ヤーハッカゼッシュがなぜか楽しそうに言う。そうしている間も、脇腹の傷口からはどくどくと血が溢れだし、彼の手を瞬く間に赤く染めた。
楽しい。
それが“翠将”ヤーハッカゼッシュの、今の偽らざる思いだ。
彼は生まれついての強者だった。蛮族の中でも支配階級であるバジリスク。そのバジリスクの中でも、更に己に磨きをかけ、ジェイド・バジリスクの地位にまで上り詰めた彼は、正真正銘の強者と呼ぶに相応しいだろう。
剣技を覚え、魔法を覚え、経験を積み重ねて。
だが、生まれながらの強者にして才能にも恵まれ、強くなるための努力を惜しまなかったた彼は、比較的簡単に“翠将”とまで呼ばれる地位に辿りついた。
だからだろうか。彼の人生は簡単過ぎて、いつしか色を失っていた。色を失った世界に、彼は飽きていた。
その彼が、初めて味わう苦痛。その苦痛が、これまで灰色の詰まらない彼の人生をどんどんと色鮮やかにしていく。
彼の人生に色を添えていくのは、目の前の人間。これまでに何度も死を経験し、その度に蘇生してきた者だ。
その人間もまた、様々なものを積み重ねて強くなった者である。
蛮族に比べれば、人族などひ弱な存在である。特に人間は、人族の中でも秀でた能力を持たない。
ドワーフのような頑丈は肉体も持たず、エルフのような優れた頭脳も持たない。そして、リルドラケンのような強靭な膂力も持ち合わせていない。
人間の長所を敢えて上げるとすれば、その繁殖力とどんな環境でも生きていける対応力ぐらいだろうか。
だが、時としてその人間の中からは神にも匹敵する力を持つ者が現れる。
このラクシアにおいて、一番最初に神となったライフォス。彼も神となる前は人間だったと言われている。
その人間に秘められた力を宿した者。それを世間では英雄と呼ぶ。
今、ヤーハッカゼッシュの前に立ち塞がっている人間こそ、まさにその英雄と呼ばれる存在なのだろう。
だから、ヤーハッカゼッシュは楽しい。
目の前に英雄がいる。もしかすると、将来は神の階梯にまで手を伸ばすようになるかもしれない者。
そんな者と刃を交えることこそが、“翠将”の楽しみであり、夢であった。
その夢が今、実現していた。
ならば、まだまだ夢の中にいたい。そのためには、このまま負けるわけにはいかない。
この楽しい一時を、もっともっと味わいたい。
ヤーハッカゼッシュは、手にした愛剣へと意識を向ける。彼が手にする魔剣が秘めた力。その力を解放するために。
──さあ、まだまだ楽しもうではないか、“ディーラ紛い”。
“翠将”が更にその口角を楽しげに釣り上げた時。
彼の愛剣であるクルルガランから、真紅の霧が吹き出した。
『霧の街』のあちこちで皓々と輝く『シェラーシスの光』。
その光を浴びた蛮族たちは、苦しそうに踞ることしかできない。
そして、そんな蛮族たちは、この街の蛮族反攻組織の者たちに、次々に討ち取られていく。
蛮族に刃を向けているのは、何も反抗組織に属する者たちだけではない。奴隷たちが、浮民たちが、手に手に棍棒や石を持って、動けない蛮族たちに襲いかかっている。
「相手が動けないからと言って油断するな! 必ず数人がかりで蛮族を仕留めるんだ!」
周囲にいる奴隷たちに指示を飛ばしているのは、かつてはウィールを奴隷として所有していたヤムールだ。
彼は名誉蛮族の地位にあり、奴隷の所持が認められている。その所有する奴隷たちと共に、彼もまた蛮族に反旗を翻していた。
そのヤムールが、突然苦しそうに倒れ込んだ。
いきなり倒れたヤムールを心配して、彼の奴隷たちがその周囲に集まってくる。
もちろん、奴隷たちの一部は蛮族を警戒しているが、残る奴隷たちは慌ててヤムールを抱え起こした。
そして、彼らは見る。
ヤムールの腕に装着されている、名誉蛮族の地位を示す腕輪。本来なら鉄色のその腕輪が真紅に染まっているのを。
『霧の街』には、ヤムールと同じように名誉蛮族と認められた人族がかなり存在する。
名誉蛮族の地位は、ゴブリンやボガードのような下位の蛮族よりも上とされており、この街に暮らす人族の中には、この名誉蛮族となることを夢見ている者もいるぐらいだ。
その名誉蛮族たちが、街のあちこちでヤムールと同じように苦しみ、次々に倒れていく。
そして一人の例外もなく、その名誉蛮族の腕輪は赤く染まっていた。
実は、この腕輪にはとある仕掛けが施されている。
この腕輪はヤーハッカゼッシュの愛剣であるクルルガランと連動しており、魔剣がその秘めた力を解放する時、その代償として装着者から生き血を吸い上げるのだ。
ウィールとの戦いで苦境に追い込まれたヤーハッカゼッシュは、この魔剣の力を発動させた。それに合わせて、名誉蛮族の腕輪もその力を発揮し、装着者から生き血を吸い上げ始めたのだ。
装着者から集められた生き血は、ヤーハッカゼッシュの魔剣へと集まる。そして、真紅の霧となって翡翠の塔の頂上を瞬く間に覆うのだった。
『ディーラ紛いのウィール』、ようやく更新できました。
遂に紅霧の魔剣の発動まで漕ぎ着けました。
いよいよ、当作品もラストが近づいてきたようです。さあ、もう一踏ん張り!
では、これからもよろしくお願いします。