翡翠の塔の外側にいる巨大なトカゲ。八本もの足を持つその翡翠色のトカゲは、窓からじっと室内のウィールをじっと睨み付ける。
その巨大なトカゲの視線に晒された時、ウィールの身体を見えない何かが包み込んだ。
「く……っ、石化の呪いか!」
ウィールは身体に宿るマナを活性化させ、自分に纏わり付く呪いに抵抗する。
窓の外にいる巨大なトカゲ。それは間違いなく、“翠将”ヤーハッカゼッシュが魔獣と化した姿だろう。
魔獣と化したヤーハッカゼッシュの石化の呪いは、人の姿だった時よりも強力である。
呪いはじわじわとウィールの身体を蝕み、彼の身体を端からゆっくりと石化していく。
「────くそっ!!」
ウィールは更にマナを活性化させ、必死に呪いに抗う。
どれぐらいの時間、ウィールは呪いと戦っていただろうか。じわじわと彼の身体を蝕む呪いが、遂にその抵抗を打ち破ろうとした時。
不意に、彼に纏わり付く石化の呪いが消え去った。
ほっと一息付く間もなく、ウィールの背後から彼がよく知る声が聞こえてきた。
「よう、“ディーラ紛い”の大将。やっぱりまだ生きていたな!」
「ご無事でなによりです、マイダーリン」
彼の背後より現れたのは、ナディアとディオン。
二人ともかなりぼろぼろで、ナディアに至ってはその身体を見覚えのないマントに包んでいる。
それだけ、“塚人いらずの”ムギドとの戦いが激しかったという証左だろう。
「二人とも無事だったようだな」
二人の無事な様子に、ウィールは笑みを浮かべる。そして、すぐに二人から視線を離すと、急いで窓辺へと駆け寄った。
ウィールが窓から外を見てみれば、相変わらずそこに魔獣はいた。
だが、その魔獣の身体を、天空から伸びた半透明の拳が打ちすえていた。どうやらその一撃を受けて、翡翠色のトカゲはそれまでいた位置から強制的に移動させられたようだ。
「あれは……神聖魔法の【ゴッドフィスト】……? そうか、ナディアに助けられたようだな」
「お気になさらず。妻として夫を助けるのは当然のことです」
相変わらず表情を変えることもなく、しれっととんでもないことを言うナディア。しかも何気に「情婦」から「妻」にランクアップしている。
しかも。
「ようやくここに宿った命……この命のためにも、あなたに死なれては困るのです」
ナディアは嬉しそうに自らの腹に手を当てる。だが、ウィールはそんな彼女を一切無視。
そもそも彼にはナディアが言うような、命が宿るようなことをしたことを彼女にした覚えは全くない。
そんな戯言を置き去りにして、ウィールは窓から身を踊らせる。そして、背中の翼を大きくはためかせて空を舞う。
この『霧の街』には、魔動機文明時代の遺産である対空兵器が存在する。その対空兵器は街の各所でその砲門を空へと向けており、一定以上の高さを飛ぶものを自動的に攻撃するように設定されている。。
だがその対空兵器も、さすがに翡翠の塔へは砲門を向けていないようだ。
この街の中心であり、支配者の居城でもある翡翠の塔。もしも対空兵器の砲門が塔へも向けられていたとしたら、塔の近くを飛んだ鳥などに反応し、塔を誤射する可能性だってある。
そのため、翡翠の塔付近には、対空兵器も作動しないのだろう。
塔から離れ過ぎることなく、注意深く旋回したウィールは、巨大な翡翠色のトカゲを改めて見据えた。
魔獣は翡翠の塔の表面に鋭い爪を突き立て、空を飛ぶウィールを追うように頭部を巡らせている。
「……行くぞ、翠将。これが最後の戦いだ」
ウィールは背中の翼を折り畳むと、そのまま巨大なトカゲへ向かって急降下した。
高速で迫ってくるウィールに向けて、翡翠色のトカゲはその長い尻尾を振る。
鞭のようにしなった、太い尻尾。その太さはちょっとした丸太ほどもあり、まともの受ければ大きなダメージとなるだろう。
だが、既に空はウィールの領域である。
魔獣ディーラの翼を植え付けられてから、もうかなりの時間が経っている。彼はすっかりその翼の使い方を覚え、更には効率的に飛行する技術も身につけていた。
翼を使って空中で巧みに姿勢を制御。それにより、自分に向けて振るわれた尻尾を、ウィールは容易に回避した。
しかも、躱しざまにその手の剣を一閃。鋭く振り抜かれた剣は、見事に魔獣の尻尾を中程で両断する。
大トカゲの口から、苦しげな咆哮が漏れる。
ウィールは更に速度を上げて魔獣へと迫る。その際、手にした剣を両手でしっかりと保持し、頭上へと掲げる。
大口を開けてウィールを迎え撃つ翡翠色のトカゲ。その口にはぞろりと鋭い牙が生え揃い、人間一人ぐらいは容易に食いちぎることができるだろう。
その口へと、自ら飛び込んでいくウィール。だが、トカゲの口に飲み込まれる直前、再び翼を使って微妙に軌道を修正する。
そしてすれ違い様に、掲げていた剣を一気に振り下ろす。
「クラウゼ流一刀覇王剣──《覇王・
《覇王・輝斬剣》。それはウィールが修めたクラウゼ流一刀覇王剣の奥義の一つ。全身全霊の力で剣を振り下ろし、相手に多大なダメージを与えるその奥義は、幾分力業であることは否めない。
だが、その効果は絶大であり、今もウィールの剣は、大トカゲの右眼を見事に斬り裂いた。
大トカゲの右眼は、石化の魔眼でもある。これでもう、魔獣は石化の魔眼は使えないだろう。
魔獣とすれ違ったウィールは、巧みに姿勢を制御してそのまま地上へと降り立つ。
そしてその後を追うように、魔獣もまた地上へと降りてきた。
ウィールと魔獣。両者は翡翠の塔の基部で再び相対することとなった。
「
魔獣の口から真語魔法の詠唱が流れ出る。
バジリスクは魔獣と化しても、魔法を使う能力を失うことはない。尤も、その威力は人間形態に比べると幾分劣ってしまうのだが。
それでも、蛮族の中でも最高位の種族の一つであるジェイド・バジリスク。そのジェイド・バジリスクが放つ攻撃魔法は並大抵ではない。
ウィールが立っていた場所を包み込むように、紅蓮の爆発が生じる。
高熱を伴ったその爆発は、その周囲に熱風を撒き散らす。この熱風に炙られただけで、並の人族ならば即死しかねないだろう。
だが、そんな熱風と爆発を突っ切って、バジリスクへと近づくものがいた。
しかし、それは背に翼を持つ人間ではなくて。
「────ドワーフに炎は無効なんだよねっ!!」
それは人間よりも更に小柄な、ドワーフの少女だった。
ドワーフの少女は魔獣の懐へと素早く飛び込むと、まるでハンマーのような回し蹴りを、巨大なトカゲの腹へと叩き込む。
続けて、その小さな拳を、突き上げるようにして魔獣の腹へと突き刺す。見かけは小さな拳だが、その威力はメイスの一撃にも等しく、トカゲの身体に大きな衝撃を叩き込んだ。
そして、炎を突き抜けたのはドワーフの少女だけではない。
ウルスラとは違って上空へと舞い上がったそれは、翼を広げて上空で一時滞空する。
バジリスクの【ファイアボール】はウィールに大きなダメージを与えていたが、その怪我がみるみる内に回復していく。
翡翠の塔の最上部。その窓から身を乗り出したナディアの【キュア・イリンジャー】だ。
神聖魔法による回復を受けたウィールは、上空で炎の槍を生み出す。
「炎の妖精よ! 炎の槍で敵を貫けっ!!」
妖精魔法の【ファイアジャベリン】。文字通り炎で構成された槍は、空から落ちる雷の如く魔獣の身体を射抜いた。
ウィールの魔法とウルスラの直接打撃を受けた翡翠色の大トカゲは、再び苦悶の咆哮を上げるのだった。
「ウルスラ! そっちも無事だったか!」
上空から地上を見下ろすウィール。その彼に向けて、地上のドワーフの少女──ウルスラはにっこりと笑いながら右手の親指をつき出した。
「地下の方はもう大丈夫のようだからね。こっちの応援に来たってわけさ」
「ウルスラ一人だけか? アリアドネはどうした?」
ウルスラの傍らに着地したウィールは、もう一人の仲間の姿が見えないことを問い質す。
「ああ、あの女なら、身体が思うように動かないからって地下に残ったよ。あいつの妹分も一緒にね」
「妹分……?」
それが誰にことか分からないウィールは、僅かに首を傾げる。だが、アリアドネがここにいない理由は理解できた。
『シェラーシスの光』。蛮族に対して悪影響を与えるこの魔法装置は、リャナンシーであるアリアドネにもその効果を及ぼしているのだ。
おそらく、今の彼女は満足に動くこともできないのだろう。ならば、無理に戦場に姿を現す必要もない。
「それよりも、今はこのデカブツを何とかしないとね」
ウルスラは剣呑な光を浮かべた瞳で、翡翠色のトカゲを見る。
紅霧の魔剣が生み出した赤い霧は既にない。そのため、魔獣と化したヤーハッカゼッシュも、『シェラーシスの光』の影響を正面に受けている。
先程から妙にその動きが鈍く、ウィールたちの攻撃をほとんどまともに受けているのも、それが原因だろう。
「ウルスラの言う通りだな。一気に決めるぞ!」
「了解っ!!」
ウィールは改めて剣を握りしめ、ウルスラは拳を握り締める。
そして、二人同時に地を蹴って、八本足の魔獣へと疾風のように駆け寄って行った。
「……地上では盛り上がっているけど、俺って何もやることがねえよなぁ。どうして俺、こんな所にいるのかねぇ?」
窓から地上で戦うウィールたちを見下ろしながら、約一名がそんなことをぼやいていたが。
『ディーラ紛いのウィール』ようやく更新。
いよいよ、本当のラストバトル。ウィールも仲間たちと合流し、最後は総力戦といったところ。
約一名、それに参加できない者もいるようですが(笑)。
では、もう少しだけおつきあいください。よろしくお願いします。