「……確か、あなたが操る召異魔法には、【デモンズウイング】という空を飛ぶ魔法があったはずですが?」
地上で繰り広げられるウィールたちの激闘を見下ろしながら、ぶちぶちと文句を言うディオンに向けて、相変わらず変化の乏しい表情のナディアが問う。
空を飛ぶことができれば、窓から飛び出して地上の戦いに参加できるだろう、というナディアの疑問である。
「ああ、確かにあるけどよ。俺にはまだ使えねぇんだよ……あとちょっとで使えるんだけどな」
ディオンの操る召異魔法には、真語魔法のような遠隔攻撃を可能にする魔法がほとんどない。
あったとしてもその射程はあまり長くはなく、翠将の居室のある翡翠の塔の最上階からでは地上までは届かない。
「…………この役立たず」
「いや、そうはっきり宣言されると、さすがにヘコむんで止めてください。お願いします」
冷めた目できっぱりと告げるナディアに、いたたまれなくなったディオンはぺこぺこと何度も頭を下げた。
もちろん、土下座で。
巨大なトカゲの魔獣が、咆哮と共に魔法を詠唱する。
「
詠唱の完成と同時に、魔獣へと駆け寄っていたウィールとウルスラの目の前が一瞬で白く染まった。
真語魔法の高位攻撃魔法、【ブリザード】だ。
突然発生した雪と氷と風が、その内側に飲み込んだウィールとウルスラを激しく傷つける。
「く……っ!!」
「ちくしょ……っ!! どうせなら、さっきと同じ炎の魔法を使えばいいのにっ!!」
足を止めて体内のマナを活性化させ、二人は猛烈な吹雪に必死に耐える。そのため攻撃魔法の効果は最低限に抑えることができたが、それでも少なくないダメージが二人の身体に刻まれた。
だが、ウィールとウルスラが受けたダメージは、次の瞬間に瞬く間に癒えていく。
もちろん、塔の上からナディアが行使する治癒魔法の効果だ。
「あんたのお嫁さん、本当、有能ね」
「…………あれは嫁じゃない」
にやりと意地悪く笑うウルスラと、げんなりとした表情を浮かべるウィール。
「……だが、彼女のマナも無限じゃない。いつまでも回復魔法が使えるわけじゃないぞ」
「分かっているって。んじゃま、早いところ勝負を着けようじゃないの」
頷き合った二人は、左右に別れて同時に駆け出す。
魔獣の右側へと回り込んだウルスラは、更に加速してその勢いを殺すことなく魔獣に肉薄。八本ある魔獣の脚の一本へと、助走の勢いを乗せた蹴りを繰り出した。
「せりゃあああああああああっ!!」
裂帛の気合いと共に繰り出された彼女の足が、翡翠色の鱗に覆われた魔獣の足を直撃、その直後にごきりと何かが砕ける音が周囲に響いた。
「まだまだぁっ!!」
振り抜いた足を地面へと着けたウルスラは、逆側の足をやや上へと振り上げる。
後ろ回し蹴りの要領で振り上げられたその足が、今度は魔獣の腹に突き刺さった。
どごん、という激しい打撃音と共に、魔獣の口から苦しげな咆哮が漏れる。
そして、魔獣の左側へと回り込んだウィールが、手にしたドミネイターを鋭く一閃。一瞬後に、ウルスラとは別側の魔獣の脚が一本、切断されて宙に舞う。
再び魔獣が咆哮を上げる。それは苦しみの咆哮であると同時に、怒りの咆哮でもあった。
怒りに燃える魔獣の隻眼が、ぎろりと自らの脚を破壊した二人の人族へと向けられた。
耳をつんざく魔獣の咆哮。
巨大なトカゲが無事な脚の一本を振り上げ、そのまま猛烈な勢いでウルスラへと振り下ろす。
その巨体からは想像できないような素早い攻撃に、ウルスラは慌ててその身を翻して回避する。
同時に、魔獣はその大きな口はがばりと開き、ずらりと生えそろった鋭い牙で、ウィールの身体を食いちぎろうと頭を振る。
背中の翼を巧みに操り、空中での軌道を強引に変化させ、ウィールは魔獣の牙を何とか避けることに成功した。
「ったく、デカブツのくせに素早いなっ!!」
次々に頭上から振ってくる魔獣の鉤爪を躱しながら、ウルスラが忌々しそうに吐き捨てる。
「ジェイドバジリスクは最高位の蛮族の一種だ。少しでも油断するとやられるぞ!」
ウルスラへと視線を向けることもなく、ウィールも迫る牙を剣で弾いて魔獣の猛攻をなんとか凌ぐ。
翼を折り畳み、ウィールは地上へ降りる。そして、ウルスラと肩を並べて巨大なトカゲと対峙した。
魔獣へと向かって全力で駆け出すウィール。その背後にウルスラも続く。
迫るウィールに向かって、魔獣が鉤爪の生えた脚を持ち上げた。
しかし、その脚が振り下ろされるより早く、ウィールは翼を広げて上空へと舞い上がる。更に、その背中から小柄な影が飛び出した。
もちろん、その影の正体はウルスラである。ウィールが翼を広げた瞬間、その背中にしがみついたのだ。
ウィールの背中を蹴って宙へと跳んだウルスラは、そのまま魔獣の顎の下へと飛び蹴りを見舞う。
ちょうど、脚を振り下ろそうとしていた魔獣にとっては、カウンターを食らったようなものであった。
どん、という大きな打撃音と共に、魔獣の巨大な頭部ががくんと上へとかち上げられる。
そして、がら空きとなったトカゲの喉元に、ウィールはドミネイターの切っ先を深々と突き刺した。
バジリスクの血液には猛毒が含まれている。
その毒血を敢えて浴びながら、ウィールはドミネイターの切っ先を更に魔獣の身体へと押し込んでいく。
ウィールの身体に降りかかった毒血が、じわじわと彼の身体を蝕む。
魔獣と化したバジリスクの生命力は強靭である。そのバジリスクに致命傷を与える機会は、おそらくこれ以上のものはないだろう。
時間をかければ魔獣を倒すことができるかもしれないが、ウィールもウルスラも、そしてナディアもこれまでの戦いでかなり消耗している。
このまま持久戦へと持ち込まれれば、先に息が上がるのはウィールたちの方に違いない。
そう考えると、これが魔獣に止めを刺す最後の機会。
この最後の機会で確実に止めを刺すため、ウィールは身体全体に襲いかかる苦痛に歯を食いしばって耐えながら、全身全霊の力で愛剣を巨大なトカゲの喉へと突き立て続ける。
剣を突き立てることによって更に魔獣の出血が増し、ウィールの身体に益々毒血が浴びせられる。
「ウィールっ!!」
心配そうに彼の名前を叫ぶのは、ウルスラだろうか。それともナディアだろうか。
全身の感覚が毒で麻痺しつつある。それでもウィールは意志の力だけで、剣の切っ先を魔獣の身体へと押しつけ続ける。
魔獣の息の根が止まるのが先か。それともウィールの身体が毒で朽ちるのが先か。
果てしなく長く感じられる、僅かな時間。遂にその時間に終焉が訪れた。
ずるりとウィールの手がドミネイターから外れ、そのまま彼の身体が地面へと落下する。
既に意識がないのか、ウィールはそのまま地面へと激突。ぐふっと詰まった息を吐き出した後、大地に倒れ込んだ。
それでも僅かに胸が上下しているところから、まだ息はあるのだろう。しかし、それも時間の問題かもしれない。
このまま放置しておけば、遠からずウィールは四度目の死を迎えるだろう。だが、魔獣はそれを待つつもりはないらしい。
魔獣が巨大な口を開け、そのままのしかかるように大地に倒れるウィールへと襲いかかった。
魔獣の口の中には、一つひとつが
だらだらと唾液を零しながら、翡翠色の巨大なトカゲがウィールの身体をその口で捕えた。
きん、という鋭い金属音。
それは人族の切り札の一つが完全に起動した音だった。
トホテルとセイラ、そしてクレアクレアの目の前には、光り輝く一振りの剣がある。
「〈守りの剣〉……起動に成功しました」
長い儀式で疲れ果てたのだろう。激しい疲労の色を浮かべながらも、クレアクレアが背後のトホテルたちへと微笑みながら振り返った。
今まさに魔獣の口がウィールを捕えるという時。
不意に、魔獣の身体が硬直した。
びきびきと激しく痙攣しながら、それでも身動きできないのか、魔獣は苦しげに身悶えるばかり。
「……一体……何が……?」
突然動きを止めた魔獣を目の当たりにして、ウルスラは状況が判断できない。
穢れを持つ者の行動を阻害する〈守りの剣〉も、穢れを持たない人族である彼女には何の影響も与えない。
そう。
翡翠色の魔獣は、完全に起動した〈守りの剣〉の影響を受けて、その動きを封じられているのだ。
呻き声一つ上げることもできず、ただただ身悶えするばかりの魔獣。
理由は分からないが、それでも魔獣が動きを止めたのは事実。ウルスラは慌てて倒れたウィールへと駆け寄ると、腰のポーチから治療用のポーションを彼の身体へとぶちまけた。
「くそ……っ!! これだけじゃ足りないよ……」
バジリスクの毒血の影響はかなり激しく、ポーションを一本消費した程度ではまさに焼石に水。
「そ、そうだっ!! ウィールの嫁さんなら解毒の魔法だって使えるはず……っ!!」
翡翠の塔の最上階にいるナディアは、高位の神官である。彼女ならばバジリスクの毒血の影響を消すことだってできるだろう。
そう思ってウルスラが上を振り仰いだ時。
彼女の瞳に、上空から落下してくるものが映った。
「おおおおおおおおおおりゃぁあああああああああああああっ!!」
それは禍々しい魔神の鉤爪を生やした一人の男。
彼は身悶えする翡翠色の大トカゲ目がけて、翡翠の塔の最上階から飛び降りたのだ。
彼の魔神の鉤爪が、魔獣の残された左目を深々と抉る。
しかも、落下の衝撃も加えたその一撃は、魔獣の目を破壊しただけでは留まらず、眼窩を突き抜けてそのまま脳まで到達した。
指先に柔らかな感触を感じた彼は、そのまま力任せに腕を動かす。
魔神の爪が、守るもののない魔獣の脳を蹂躙していく。
びくりびくりと激しく断末魔の痙攣を繰り返す魔獣。そして、遂にその翡翠色の巨体が大地へと倒れた。
「おっしゃああああああああっ!! “翠将”はこのディオン様が討ち取ったりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
魔獣の毒血を浴びてぶすぶすと嫌な匂いを放つ右手を高々と掲げながら、ディオンが勝利宣言をする。
それは、数百年以上も蛮族の支配が続いた『霧の街』が、人族の手に奪還された瞬間だった。
『ディーラ紛いのウィール』更新。
実においしい所をアイツが持っていきました(笑)。
長々と続いた当作も、後はエピローグを残すだけ。
最後のエピローグは、極力早めに仕上げます。
では、次回は遂に最終回。あと一話だけおつきあいください。