気合い一閃。
魔力で形成された刃が異界の獣を切り裂くと同時に、鋼の刃が
「────っ!!」
言葉では言い表せない咆哮を残して、異界の獣の身体は跡形残らず霧散した。
「さすがはヴェル。『
たった今、異形の獣を葬り去ったヴェルと呼ばれた人物は、剣を収めると声の方へと振り返った。
全身を覆う金属製の鎧。だが、その鎧の隙間から所々覗く肌の部分は、異様なまでに青白い。しかもその右頬には禍々しい痣が拡がり、頭部からは一本のねじくれた角が生えている。これらの特徴はナイトメアと呼ばれる種族のそれ。
「ナイトメアならではの魔法と剣の同時攻撃。相変わらず冴えている」
ナイトメアとは、産まれながらにしてその魂に「穢れ」を持つ者たちのことをいう。
人間、エルフ、ドワーフの赤子として生まれるが、極稀にリルドラケンからも生まれる場合がある。
その特徴はやや青白い肌と小さな痣、そして頭部に一から二本の角。
「穢れ」を持っていることと、生まれ落ちる際にその角が母体を傷付けるといわれていることから、ナイトメアの子供は忌み子とされ差別される場合が多い。ただし、リルドラケンの場合は少々特別で、卵生であるリルドラケンは角によって母親が傷付くことがないため、ちょっと変わった子供程度の認識でしかない。
だがナイトメアは総じて基本身体能力が高く、しかも異貌と呼ばれるナイトメア本来の姿に戻ることにより、魔法との親和性を高めることができる。そのためナイトメアは戦士と魔術師の双方の能力を持つ恐るべき魔法戦士となる。
このヴェルと呼ばれた青年もまた、剣と魔法の双方を高いレベルで操る魔法戦士なのである。
「そういうお前も相当な変わり者だな、ジェイ? ティダンの神官のくせに「穢れ」持ちのナイトメアと気安く付き合うなんてよ?」
神に仕える神官は、神が定めた転生のサイクルから外れた「穢れ」の持ち主を敬遠する傾向がある。だがそんな神官の中でも、自ら好んで冒険者となるような者はその限りではない場合が多い。
「なに、僕は冒険者だからな。「穢れ」のあるなしなんて些細な問題よりも、個人の能力の方を尊重するだけだ」
「それが変わり者ってだっての」
ヴェルの言葉にジェイと呼ばれた神官は苦笑して肩を竦める。
「それより、これからどうする? これで仕留めた意界の獣は二体だ。確か異界の獣を倒した報奨金は一体一〇〇〇ガメルだったよな?」
突如現われた多数の異界の獣。現在その獣たちはカシュカーンの町中で暴れている。その獣たちの殲滅依頼が、カシュカーン守備隊よりカシュカーン中の冒険者の店に伝達されたのはほんの少し前のことである。
依頼発生より大した時間は経っていないが、その短時間で既に二体もの異界の獣を退治したことから、この二人の実力を推し量るのは難しいことではないだろう。
「その通り。だが、異界の獣は魔神によって召喚されるという。一度にこれだけの数の異界の獣が現われたということは……」
「その主たる魔神も現われたってことか!」
ジェイはヴェルの言葉に首を縦に振り、確定した情報ではないがね、と付け加える。
「異界の獣を一体倒しただけで一〇〇〇ガメルだ。もしもその主たる魔神を倒せば、一体いくらの報奨金が出るんだろうな?」
「僕に聞かれても答えられんよ。その質問は報奨金を出す人物に聞くべきだろう」
「つまり、このカシュカーンの守備隊の隊長さんだな?」
「そう。カシュカーン守備隊長、ハウル・バルクマン卿だ。卿はおそらくこの事態を収拾するため、守備隊の隊舎で指揮を取っているだろう」
ヴェルとジェイは互いに頷き合うと、守備隊の隊舎を目指して走り出す。
報酬目当てに自ら好んで厄介事へ首を突っ込む、彼らのような存在を、世間は冒険者と呼んだ。
轟音と共にハウルの身体は、弾丸のように近くにあった建物に突っ込んだ。
魔神ラグナカングの翼の一撃を辛うじて大剣で受け止めたハウルだったが、勢い全てを殺し切ることはできずに、その大柄な体ごと後方へと吹き飛ばされた。
周囲にいる守備隊の隊員から安否を確かめる声が飛ぶなか、瓦礫を押しのけてハウルは立ち上がる。
正直言って、予想以上だった。
先程屋内で対峙した時よりも、魔神は遥かに手強くなっている。
屋内の限定空間内では思う様に使えなかった巨大な翼。その翼が重量級の一撃で以って襲いかかって来る。更に強靭な尻尾が、鋭利な牙が、灼熱の炎が立て続けにハウルへと浴びせかけられる。
それら魔神の攻撃をハウルは躱し、時に大剣で受け流してやり過ごす。しかし流石の彼も防戦一方で反撃に出る余裕はない。
そんなハウルを援護しようと守備隊の隊員たちが攻撃をかけるが、彼らでは魔神に一太刀浴びせるのも至難の技で、振るわれた剣のほとんどが空を切り、隊員たちは翼に吹き飛ばされ、尻尾に打ちのめされ、牙に貫かれ、炎に焼かれた。
それを見たハウルは、改めて隊員たちに魔神に手出しするのを禁じた。それ以降は彼一人で魔神に立ち向かっているのだが、幾ら彼が『鋼鉄の騎士』と呼ばれる程の存在とはいえ、このままではいつか力尽きるのは誰の目にも明らかだった。
よろめきながら立ち上がったハウルを、魔神の金色の眼が睨みつける。
その魔神の視線を真っ向から受け止め、ハウルは手にした大剣を握り締めた。
彼は負けられない。敗けるわけにはいかない。
彼はこの町、カシュカーンの守備隊長である。自分たちの隊長が敗けたと知れば、守備隊員たちは浮き足立つ。そうなったら守備隊の壊滅は免れない。守備隊の壊滅は即ち、カシュカーンが落ちることを意味する。
だから彼には敗北は許されない。
「──ぅおおおおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!」
周囲の隊員たちの士気を上げるため。相対する魔神に不屈の闘志を示すため。そしてなにより、自分自身を鼓舞するためにハウルは雄叫びを上げながら魔神に向かって突進する。
右の肩に担ぐように構えられた巨大な剣を、突進の勢いと共に振り下ろす。その際、でき得る限り身体を捻転させて、大剣の威力を更に高める。
空気を切り裂き迸る剣刃。
その巨大な剣は、狙い違わず魔神の首元の黒い皮膚に吸い込まれるように命中した。
だが。
だがしかし。
剣を振るったハウルの手には、魔神の肉を断ち切る感触が伝わってこなかった。
「────な──っ!?」
驚愕の表情で魔神の顔を見上げるハウル。そんなハウルを頭上より見下ろす魔神。その魔神の顔が、にたりといやらしく笑ったようにハウルは感じた。
見れば確かに大剣は魔神の身体を捉えている。その証拠に僅かだが、魔神の黒い皮膚が切り裂かれている。
しかしそれは言わば薄皮一枚だけのこと。魔神にとってみれば痛みさえ伴わない些細な傷。
先程、執政官の館の中で対峙した時、確かに己の大剣は魔神の身体を切り裂いた。それなのに今回はなぜ? 今の一撃は、館の中で振るった一撃よりも遥かに強力な攻撃だったはずなのに。
「──そうか! 魔法か──っ!!」
そしてハウルは思い至る。魔神が自分の攻撃を防ぎ切ったその理由を。
人族を導く第一の剣ルミエルに連なる神々。その第一の剣の神々に仕える神官たちは、宿敵たる第二の剣イグニスの眷族たちに対して極めて高い防御力を誇る魔法を使う。
神聖魔法の『セイクリッド・シールド』と呼ばれる呪文である。
そしてその逆に、第二の剣に連なる神々の神官たちは、第一の剣の眷族に対して防御力を高める呪文が使える。『ヴァイス・シールド』と呼ばれるそれを。
魔神ラグナカングは、第二の剣に連なるラーリスと呼ばれる神の使徒でもある。先程ハウルを吹き飛ばした時、魔神は彼が立ち上がって来るほんの僅かな間にこの呪文を己にかけていたのだ。
魔力による防御壁は、魔神の狙い通りハウルの攻撃を防ぎ切った。
魔神はハウルの攻撃を敢えて避けようともせず、甘んじて受けたのだ。その理由はもちろん、魔力によって高められた己の防御力を信じて。そして同時に、目の前に騎士に対して、もうおまえの攻撃は自分には通用しないぞ、という意味までも含めて。
「──────っ!!」
魔神の思惑を感じ取ったハウルはぎりと歯を強く鳴らす。
今の一撃が防がれた以上、彼の攻撃はもはや魔神には通用しないだろう。
魔法には持続時間というものがある。『ヴァイス・シールド』の呪文が効果を現しているのはそんなに長い間ではない。だが同時にその持続時間は、魔神がハウルの息の根を止めるには充分すぎる時間だろう。
そしてそれは、ほんの僅かな隙間だった。
この魔神には勝てない。自分では勝てない。
そんな僅かな心の隙間。
そんな少しの隙間を突くように、漆黒の何かが走り抜けた。
それは黒い鞭。黒い閃光。黒い衝撃。
ほんの少し心に湧き上がってしまった諦念によって動きを止めたハウルの身体を、魔神の漆黒の尻尾が強烈に打ち据えた。
再び空を舞うハウルの身体。そして落下。
「ぐ──がぁ────っ!!」
尻尾と落下の衝撃で強かに身体を打ったハウルの意識は、そのまま暗黒へと飲み込まれる。
倒れて動かなくなったハウルを見て、勝ち誇ったように咆哮を上げる魔神。事実、それは勝利を確信した雄叫び。
目の前の最も邪魔な騎士に止めを刺せば、後の人間たちは魔神にとって取るに足りない存在ばかり。
目的である『守りの剣』を見つけ出した後、思う様殺戮を繰り返せばいい。
遠くない殺戮の時を考え、人族ならば恍惚と呼べる感情に満たされて再び咆哮する魔神。
勝利を確信した魔神の咆哮が、カシュカーンの空気をびりびりと震わせた。
それはあっけなかった。
音で表わすならば「ぱりん」といった乾いた音。ガラスが割れるような音。
だが実際にはそんな音がしたわけではなく。
その音なき音が響いた時、魔神は己を包む魔力の障壁が消え去ったことを悟った。
続けて轟音。
今度は誰の耳にもはっきりと響いた。
がん、がん、がんと続けて三回。大きな破裂音が響くと同時に、魔神の黒い身体に孔が穿たれた。その孔の数は響いた轟音と同じく三つ。
次いで迸るは純白の稲妻。稲妻は真っ直ぐに魔神の身体を射貫く。
三度魔神は咆哮する。だが今度のそれは、先程のような勝利と殺戮の喜びの雄叫びではなく、苦痛と苦悶に支配された怨嗟の叫び。
魔神は見る。轟音と稲妻が飛来した方向を。
魔神の視線の先、そこに佇む二つの人影。それを周囲にいた守備隊の隊員や、遠巻きにこの事態を見守っていたカシュカーンの市民たちが視認する。
一人は金属製の鎧に身を包んだ二十歳前後の青年。片手に剣をぶら下げ、残るもう片方には楯を。その肌は異様に青白く、薄茶の髪の中から一本の角が見て取れる。
残る一人は純白の神官服姿。金属鎧の青年と同じ年頃で、黒い髪が純白の神官服に映えている。その耳元を飾るのは、太陽神ティダンの聖印。こちらの青年はその手に
「……魔神がいるとは予測していたが、まさかラグナカングとは。これは思った以上の強敵だ」
「だが、こうなった以上やるしかねえだろ? お前は守備隊長さんを頼むぞ」
「心得た」
神官服の青年が頷くと同時に、二人の青年が走り出す。一人は漆黒の魔神に向かって。残る一人は倒れ伏した『鋼鉄の騎士』の元へ。
突然現われ自分を傷付けた人族に、魔神は怒りに満ちた視線を向ける。
魔神の怒りは視線だけではなく、灼熱の炎となってその口腔から吐き出される。
「うぉっ!? いきなりそうくるかっ!?」
魔神に向かって走る青年は、迫り来る熱の塊に対して背に纏っていたマントを翳す。
彼が身に付けていたマントは『サーマルマント』と呼ばれる魔法のマントである。このマントは、寒さや暑さといった温度変化から使用者を守る効力を持っている。もちろん、今魔神が吐き出した炎に対しても、完全ではないものの充分な防御となって青年を守る砦となる。
自身が吐き出した炎の中から、何かが飛び出したのを魔神は見た。当然それはマントを翳した金属鎧の青年。
青年はマントを振って炎の残滓を振り払うと、剣と楯を構えて魔神に迫る。
対する魔神は迫る青年を迎え撃とうと、その鋭い鉤爪の生えた腕を振りかぶる。
そして魔神のその腕が届く距離のほんの数歩手前。そこで不意に青年が停止した。
これに驚いたのは魔神。今まさにその腕を走り寄る青年に向かって振り下ろしたところなのだ。一度振り下ろした腕を止めることは例え魔神といえども不可能。
無論魔神の腕は、青年の前の何もない空間を薙ぐ。そしてそれこそが青年の狙い。
青年の口より呪文が紡がれ、呪文は周囲のマナに作用し定められた効力を発揮する。
『リープスラッシュ』。真語魔法の斬撃属性の攻撃呪文。それがこの鎧姿の青年──ヴェルファイア・ローランドの得意とする呪文。
魔力で編まれた刃は、目の前の魔神の腕を深々と切り裂く。だが、ヴェルファイアの攻撃はこれで終わらない。
彼はその手にした剣を、魔力の刃と同じタイミングで繰り出していた。
これは冒険者たちの間で使われる『マルチアクション』と呼ばれる戦闘技法である。
そしてヴェルファイアが纏う鎧は『イスカイアの魔道鎧』と呼ばれるミスリル製の魔法の鎧で、この『マルチアクション』の効力を高める作用を持っていた。
鋼の刃と魔力の刃。これを同時に扱うことから、ヴェルファイアは『
腕を襲う二種類の激痛に、魔神は思わず身体を引いた。すると今度は横合いからその身体を揺さぶるような衝撃が数度襲いかかった。
魔神が衝撃が来た方向を見やれば、先程倒した騎士の側に、神官服姿のもう一人の人族がいた。そしてその人族はその手に銃を構えている。
それを見た魔神は、自分を襲った衝撃の正体がこの銃から吐き出された弾丸であることを悟る。
ラクシアでは、銃から弾丸を撃ち出すのに魔力を用いる。そして弾丸に魔力を込めたり、魔動機械を操る系統の魔法を魔動機術と呼ぶ。
だが実際に銃を扱うには魔動機術だけでは効果的に扱えない。確かに弾丸に魔力を込めるのは魔動機術だが、標的を狙い撃つには射手としての訓練も不可欠なのだから。
神聖魔法を操る神官であると同時に魔動機術を駆使する
「むぅ……隙があったので思わず身体が動いてしまったが……今はこちらのバルクマン卿の傷の手当ての方を優先せねばな」
そう独りごちると、ジェイナスは手の銃をホルスターにしまい込んで、倒れているハウルの傍らに膝を着く。そして彼が信仰する太陽神ティダンに癒しの奇跡を願う。
倒れているハウルの身体を、淡い光が包み込む。その温かな柔らかい光は、ハウルの怪我を瞬く間に癒していく。
「……む……ぅ……」
意識を取り戻したハウルは、自分の傍らに誰かがいることに気付いた。
「気が付かれましたか、バルクマン卿?」
「君は……」
「私の名はジェイナス・テスタロッサ。本日このカシュカーンに到着した冒険者です」
「ジェイナス・テスタロッサ……?」
その名前にハウルは聞き覚えがあった。カシュカーンの守備を預かるという任務がら、冒険者の情報は積極的に取り入れるようにしている。このカシュカーンにとって、冒険者という存在はあらゆる意味で重要なのだから。
「君は確か、ルキスラを中心に活躍している冒険者ではなかったか?……そう、二つ名は『聖なる銃使い』だったか……?」
確認するようなハウルの声に、目の前の神官服姿の青年が頷く。
「仰しゃる通りです。ちょっとした依頼で、本日このカシュカーンにやって来ました。尤も、到着早々このような騒ぎに巻き込まれるとは思いもしませんでしがね」
青年のその言葉を聞いて、ハウルは今の自分を取り巻く情況を思い出した。
「ま……魔神はどうなったっ!?」
「魔神なら現在、私の相棒が相手をしています」
そう言ったジェイナスの視線が移動する。それに釣られるようにハウルは、視線の先で一人の戦士が魔神と戦っているのを見た。
その戦士は魔神と互角に闘っていた。先程自分が防戦一方だった、あのラグナカングを相手にして。
「彼は……」
「彼の名はヴェルファイア・ローランド。私の相棒です」
「ヴェルファイア・ローランド……そうか。彼が『双刃』か」
ハウルの見たところ、戦士としての実力は自分とさほどの差はあるまい。だがヴェルファイアは、剣だけではなく魔法も同時に使用することで、あの強力な魔神と互角に渡り合っている。
「……私もこうしてはおられん。すぐに彼に協力しよう」
立ち上がったハウルの身体に痛みはない。傍らの青年が癒しの魔法を施してくれたのは明らかだ。
「すっかり世話になったようだな」
「いえ、お気になさらず。ですが、我々は冒険者です。後でそれ相応の見返りをお願いします」
「ああ、善処しよう」
そう答えてハウルは再び剣を手にする。だが、ここで思い出してしまった。先程自分の剣が、魔神にまるで効果がなかったことを。
そんなハウルの様子に気付いたジェイナスが口を開く。
「ああ、魔神の魔力障壁ならば、先程ヴェルが
「そうか。彼は魔法戦士──それも真語魔法を使うのだな」
ならば、ハウルに憂いはない。自分の刃さえ通用するのなら、例え相手が強大な魔神であろうとも恐れることはない。
ハウルは己の大剣を構えると、改めて魔神に向かって駆け出した。
「おっと、ようやく復活ですか、隊長さん?」
「君にも随分と世話になったようだな、『双刃』」
「ありゃ? 俺のことをご存知で?」
「こうみえても、この町の治安を預かる立場だからな。名の知れた冒険者の情報は仕入れているつもりだ」
冒険者と呼ばれる者の中には、英雄と呼ばれる者がいると同時に悪名高い者もいる。
前者ならばカシュカーンの治安を預かる立場として、何かと協力できることもあるだろうが、後者は治安を乱す存在になりかねない。
それ故、ハウルは常にカシュカーンに出入りする冒険者や、周辺で活躍する冒険者の情報は取り零しがないように心がけているのだ。
肩を並べて魔神と対峙しながらも、どこか呑気な会話を交わす二人。だが、そうしている間も魔神の猛攻は続いている。
暗黒の牙が閃く。漆黒の尻尾が薙ぐ。闇黒の翼が振るう。
そして紅蓮の炎。
黒と赤が連続して二人の戦士を襲う。
だが、そのことごとくを二人の戦士は身体を捻って牙を躱し、楯で尻尾を受け止め、大剣で翼を逸らし凌ぐ。
至近距離から浴びせられる炎は回避できないので、そればかりは気合いで乗り切るしかないのだが。
だがそんな傷も、背後に控えしもう一人の仲間がたちどころに癒しを施す。
先程は一人だった。だから防戦に徹するしかなかった。
先刻は一人だった。だから魔法を織り交ぜてなんとか絶えた。
だが、今は一人ではない。隣りに信用に足る戦士が、背後に絶対的な癒し手がいる。
例えそれが先程出会ったばかりの者だとしても。戦士としての勘が、冒険者としての閃きが、騎士としての経験が、彼らは信頼に足ると告げている。
対して魔神はといえば。
それまで一人に集中していた攻撃を、二人に分割した形になる。それは単純に考えても戦力の低下に他ならない。
更には幾らかのダメージを与えたとて、そのダメージを片っ端から背後に控えた神官が癒してしまう。
魔神とて癒しの奇跡は使える。だが、魔神のマナも無尽蔵ではないのだ。いつか底が見えて来る。いや、既に底が見えてしまっている。
逆に魔神に癒しが使えなかったとしたら、とっくに魔神は力尽きているだろう。
だから魔神は最後に残された力を振るう。残り少ないマナを掻き集め、衝撃波──神聖魔法の『フォース』を放つ。
標的は目の前の騎士と魔法戦士と背後の神官の三人。
今まで魔神は神聖魔法を回復にのみ使っていた。防御用の障壁を張っても、目の前の魔法戦士がすぐに破壊してしまうのだ。どうやらこの魔法戦士の魔力は、魔神と同等かそれ以上らしい。
だから残り少ないマナ効率よく使うため、回復のみに使用してきた。
だがここでそのマナを初めて攻撃に用いた。
それまで魔神の攻撃は、その強靭な肉体を使ったもののみ。だからハウルたちも、魔法による攻撃を失念していた。いや、失念させられていた。
魔神より発せられた無形の衝撃。その衝撃は騎士と魔法戦士と神官を直撃する。
魔法による攻撃に対する警戒を怠っていた三人は、その衝撃をまともに浴びた。
その場に踏み止まることさえ許されず、衝撃を受けた三人は思い思いの方向に吹き飛ばされた。
「──が……はぁ──っ!!」
飛ばされた騎士が苦悶の声を上げる。
「ち……いぃ……っ!!」
倒れた魔法戦士が舌打ちする。
「く──……しま……っ──!!」
臥した神官が後悔の言葉を零す。
確かに三人とも吹き飛ばされたが、魔法の衝撃そのものはさほど大きくはない。致命傷でもなければ気を失う程でもない。
三人はそれぞれ起き上がろうするものの、衝撃のせいか身体が思ったように動いてくれない。
何とか身体を動かそうと努力しながら、その視線だけは魔神から一時も外されることはないのは、彼らが一流の騎士、あるいは冒険者である証。それ故、三人の表情に驚愕が浮び上がることとなる。
三人が見たのは、大きく息を吸い込む魔神の姿。
どうやら魔神は三人が動けないこの好機に、今までで最大級の威力の火焔で以って止めを刺すつもりのようだ。
魔神の腹づもりを読み取った三人は、動かぬ身体に鞭打って強引に立ち上がろうと試みる。だが、その意志に反して身体はやはり動いてくれない。
そんな三人を嘲笑うように舞い踊った火焔が、周囲を真紅に染め上げた。
思わず閉じた瞳を開けた時、周囲には影が満ちていた。
「な……んだ……?」
思わず空を仰ぎ見たハウルの視線の先。そこには巨大な何かが舞っていた。
その姿形は、眼前の魔神に酷似していた。だが魔神と異なる点もある。魔神が四肢を備えて漆黒なのに対し、空を舞う影は後肢のみを有しその身体は赤味の強い茶色。大きさも魔神に比べると一回りほど小さい。
「く──っ、敵の新手か──?」
ようやく立ち上がったハウルが呟く。彼がそう思うのも無理なからぬことである。
だがハウルのそんな考えを、よろよろと近づいてきたジェイナスが否定した。
「いいえ、どうやらそうではないようですよ」
そう言いながら彼が指差す先。そこには火焔に焙られて悶え苦しむ魔神の姿があった。
「さっきの炎は、どうやら空のあいつが吐いたみたいだな」
近くに来たヴェルファイアが、相棒と同じように空の影へと眼を向ける。
「では味方か……?」
「ええ、間違いなく味方でしょう」
その証拠に、と続けたジェイナスは癒しの魔法を使用しながら己の考えを明かす。
「あれは
「ライダーギルドの騎獣──だと?」
その言葉で、ハウルの脳裏に閃くものがあった。
彼にはライダーギルドに縁があり、翼竜をも御すことができうるだろう人物に心当たりがある。
その人物こそ、カシュカーン守備隊長であるハウル・バルクマンが最も信頼し、心許している友であり──
──ここ、カシュカーンでは英雄と呼ばれる人物。
「そうか……ようやく帰ったのか──『霧の街帰り』のウィール!」
ハウルのその言葉に応えるかのように翼竜は一声吼えると、未だ炎が燻っている魔神へ向かって空を駆ける。
「さあ……初陣だウィングロード。あの魔神を片付けよう」
その翼竜の上で己の新たな騎獣の名を呼びながら、ウィールはその鋭い視線を眼前に迫った漆黒の魔神へと向ける。
ウィールがハウルよりもカシュカーンへの帰還が遅れた理由。それがこのウィングロードと名付けられた翼竜だった。
以前より本国ダーレウスブルグのライダーギルドに、ウィールは翼竜を発注していた。
だが、翼竜の存在はそれほど多くはなく、本国のライダーギルドでも入手に時間を要した。その翼竜が届いたとの知らせが、先日ようやくウィールの元に届けられたのだ。
その翼竜を受け取るため、彼は一人でダーレレスブルグに残り、翼竜を受け取ってからカシュカーンへと戻って来たのだ。
しかし結果から見れば、ウィールの判断は正解だったといえる。
彼がいつも駆っている愛馬は名馬ではあるものの、やはり魔神相手には荷が重い。そこでウィールは愛馬を『騎獣縮小の札』と呼ばれるマジックアイテムで小さな彫像のような姿に変え、はやり『騎獣縮小の札』で小さくしていた翼竜を元に戻してそれを駆ってこの場に急行したのだ。
魔神は突如現れた翼竜へと黄金の瞳を向けながら、翼を大きく打ち振るって身体に残った炎を吹き飛ばす。
おんっと大気が震える。それは己を炎で焼いた魔神の怒りの声。
そして、己を炎で焼いてくれた矮小なる竜もどきへの報復の宣言でもある。
魔神は翼を再度振るい、翼竜のいる空へと舞い上がる。
対する翼竜も数度翼を羽ばたかせ、咆哮を上げて魔神を迎え撃つ。
そして魔神と翼竜は蒼穹を舞台に激突する。
魔神が翼竜の翼を引き裂かんと爪を振るい、翼竜が魔神の喉笛を食い千切らんと牙を打ち鳴らす。
翼竜が魔神を打ち据えようと尻尾を振るえば、同じように魔神も尻尾をしならせる。
激しく攻守が入れ代わり、凄まじいまでの空中戦を繰り広げる魔神と翼竜。
地上からその戦いを見上げるしかないハウルたちには、二体の巨獣が繰り広げる死闘が果てしなく続くかと思われたが、その幕切れはあっさりと訪れた。
幕切れをもたらしたのは、翼竜にあって魔神にはないもの。
すなわち、翼竜の騎手たる英雄の存在。
そう。翼竜は一体で魔神と戦っていたわけではない。翼竜のその背には、主たる『霧の街帰り』のウィールが存在するのだから。
魔神と翼竜が離れたならば、ウィールは妖精魔法で魔神を攻撃し、彼我の距離が近づいたならば、その手にある剣を魔神の身体に突きたてる。
それに魔神はハウルたちとの戦いでその力の殆どを使ってしまっている。それに対して、ウィールと翼竜は万全の態勢で魔神を相手にしている。
どちらが有利かなど、考えるまでもあるまい。
魔神と翼竜が空中で激しく激突し、縺れた体制を立て直すため互いに距離を取る。
その時、ウィールは翼竜の背中に立ち上がると、そのまま翼竜の背を蹴って空へと身を踊らせた。
これに驚いたのは、地上から見上げていたヴェルファイアとジェイナスだった。
魔神と翼竜の距離は、優に十数メートルは離れている。空を飛ぶ術のない人間が跳んで届く距離ではない。
だからヴェルファイアとジェイナスは驚愕した。己の目を疑った。
なぜなら、空に身を踊らせたウィールの身体が、地面に落下するどころか空を滑るように滑空したのだから。
「な……に……っ!?」
「人間が……空を飛ぶ……だと!?」
ウィールは翼竜の背を蹴った際、その身に纏っていた外套を脱ぎ捨てていた。
その外套の下から現れたもの。
それは一対の翼。
猛禽のそれに酷似した翼を大きく広げて力強く羽ばたかせ、ウィールは空を自由自在に舞う。
魔神が吐き出した炎をひらりと避け、縦横無尽に振るわれる爪をするりと躱して。
そしてウィールは魔神の鼻先まで近づく。
彼の眼前には、驚愕を浮かべる金色の双眸。
「これで終わりだ──っ!!」
ウィールは握り締めた愛剣──魔化されたフランベルジュ──を、その金の双眸の中間に深々と埋め込んだ。
周囲から大歓声が巻き上がった。
空中で霧になっていく魔神を背後に再び翼竜の背に戻ったウィールは、その大歓声を一身に受けながら、ウィングロードと共にカシュカーンへとゆっくり舞い降りる。
ウィングロードの背から大地へと降りたウィールへと、カシュカーンの住人や守備隊の面々が彼を称える声を浴びせかける。
そんな大歓声の中、人ごみを掻き分けるようにしてハウル・バルクマンがウィールの元へとやって来た。
「さすがは『霧の街帰り』。実においしいところだけ持ってゆく」
にやりと口元を歪めさせながら、ハウルはその右手をウィールへと差し出す。
「ハウルが魔神を消耗させてくれたからな。お陰で実に楽な相手だった」
ハウルの親しみの籠った皮肉に苦笑しながら、ウィールはその手をしっかりと握り締める。
再び、彼らを中心に大歓声が湧きあがる。
『鋼鉄の騎士』と『霧の街帰り』。この二人がいれば、カシュカーンは安泰だと周囲から声が上がる。
そんな歓声の中、ウィールはハウルの背後に立つ、二人の青年に視線を向けた。
「彼らは? 見たところ冒険者のようだが」
「ああ、おまえが帰って来るまで、一緒に魔神と戦ってくれた冒険者だ。二人とも実に腕が立つ」
そう言いながらハウルが場を空けると、背後の二人がウィールの前へと進み出た。
「あんたが噂の『霧の街帰り』の英雄かい? 噂通りかなりの腕利きだなぁ。俺はヴェルファイア・ローランド。『双刃』って呼ばれてる冒険者さ」
「ご高名はかねがね、『霧の街帰り』殿。僕はジェイナス・テスタロッサ。時と場合によっては『聖なる銃使い』なんて呼ばれているけどね」
そして二人は先程のハウル同様、ウィールに向かって右手を差し出した。
二人の右手を順に握り返しながら、ウィールは初対面の二人に言葉をかける。
「『双刃』に『聖なる銃使い』か。その二つ名なら聞き覚えがある。確かルキスラ帝国を中心に活躍している冒険者だったな?」
「その通りさ。カシュカーンに来たのはちょっとした依頼のためだったんだがね。だけどまさか到着した早々、こんな騒ぎに巻き込まれるとは思わなかったぜ」
肩を竦めながらそう言うヴェルファイアに、となりのジェイナスも頷く。
「そいつはお気の毒、としか言いようがないな。だけど、ラグナカングを倒したんだ、それなりの報賞は出してもらえるんじゃないか? この街の守備隊長殿は実に気前がいいぞ?」
「ちょ、ちょっと待て、ウィール! 我が守備隊も決して潤沢な予算を貰っている訳ではないのだぞ!? 出せたとしても精々──」
慌ててウィールの言葉を遮るハウルに、周囲から笑い声が上がる。だが、そんな穏やかな雰囲気が緊張を帯びたものへと変わったのは、この後すぐのことであった。
「ん? ありゃ何だ?」
最初に気付いたのは誰だっただろう。そんな誰かが上げた声に引かれて、その場に集まっていた人々の視線が一方へと集中する。
それはこちらへと爆走して来る焦茶色の生物。そしてその焦茶色の生物の背には、真紅の何かが風に靡いて揺れていた。
「あれは……ハイネとデミオ?」
その正体に気付いたのはもちろんウィールだ。
彼の家族とも呼ぶべき少女が、いつも彼女が可愛がっている焦茶色の生物──ボーアのデミオの背に跨がり、その真紅の髪を靡かせながらこちらへ向かって一直線に駆けて来る。
「ハウル様っ!!」
ハウルの前でデミオに急制動をかけたハイネは、ひらりとその背から降りる。
そして、そこにウィールの姿もある事を知って、彼女の笑みは更に大きくなる。
「ウィールも一緒だったのね。丁度良かったわ。サンドリーヌ様からの伝言です」
「サンドリーヌ嬢から? 彼女は何と言っていた?」
ハウルがそう尋ね、それにハイネが答えた。
だが、彼女の言葉を聞いたこの場に居合わせた者たちは、それまでの沸き上がった高揚感を一気にどん底まで降下させる事となる。
なぜなら、ハイネはこうハウルに答えたのだから。
「蛮族が……蛮族の軍団がこのカシュカーンの町に近づいているかもしれないそうです。念のため、迎撃の準備をとるように、と」
本日の更新。
これにてストックが尽きました(笑)。以後は10月に入ってから本格始動します。
なお、作中の主人公であるウィールは、ハウル・バルクマンとマクダレーナ姫を名誉点を消費して「親しい友人」としてあります。特にハウルの方は「大切な友人」です(笑)。
では、10月以降から改めてよろしくお願いします。