どこか剽軽な印象のある色付き眼鏡の奥で、“黒こげにする”という異名を持つバジリスクはその呪いを秘めた両の瞳をすぅと細めた。
発動された石化の呪いは、電撃に焼かれて地に臥せる“ディーラ紛い”を確実に捉える。
「………………む?」
しかし、その手応えの無さに逆にジャバディーンが眉を潜める。
ジャバディーンがそうしている間に、ウィールは自分自身に『プライマリーヒーリング』を施してダメージを回復させると、ふらつきながらも何とか立ち上がった。
その様子を、目を細めたまま冷ややかに見詰めるジャバディーン。レブナントと化したヒューリカも、支配者でるジャバディーンの命令がないためか、彼を守るかのうようにその傍らに音もなく立ち尽くしている。
「そうか、分かったぞ。妖精魔法の『ブレイブハート』だな? そういえば貴様は手練の戦士であると同時に、卓越した妖精魔法の使い手でもあるのだったな」
その推理は正しい。ウィールは相手がジャバディーン──バジリスクであると分かると同時に、予め一定時間内の全ての呪いや精神に影響を及ぼすものを無効化する『ブレイブハート』の呪文を我が身にかけておいたのだ。
そのため、今のウィールには呪いの一種であるバジリスクの石化の視線は無効となっている。
「ふむ、さすがは“ディーラ紛い”。その用心深さは誉めてやろう」
戯けたようにぱちぱちと手を叩くジャバディーン。そのジャバディーンに向けて、ウィールは風属性の妖精魔法である『ウィンドカッター』を放つ。
だが、ウィールに命じられた風の妖精が生み出した刃は、標的であるジャバディーン切り刻むことはなかった。
その傍らに立っていたヒューリカが、身をもってジャバディーンを庇ったからだ。
当然、ヒューリカの身体は風に切り刻まれることになるが、元より『ウィンドカッター』はそれほど高威力の攻撃魔法ではなく、アンデットと化したヒューリカの身体の機能を停止させるには及ばない。
ヒューリカは風の刃を受けても平然としたまま、逆に右腕に移植されたオーバーイーターの蔓をウィール目がけて伸ばす。
鞭のようにしなりながら、蔓は横薙ぎにウィールを襲う。ウィールはそれを翼をはためかせて上空へと逃げると、上空からジャバディーンとヒューリカに向けて『ファイアボルト』を二発同時に発射する。
しかし、二発の炎の弾丸は、再び振るわれたオーバーイーターの蔓が空中で迎撃した。その代償として蔓が焼け、所々焼き切れかかっているものの、本体であるヒューリカにも、当然ジャバディーンにも被害はない。
忌々しそうに舌打ちを一つすると、ウィールは更に上昇する。
近づけばオーバーイーターの蔓が、中距離ではバリンガーの電撃が。となれば、ウィールに残された手段は遠距離からの魔法攻撃に限定されるが、生憎と今の彼は契約した妖精の内容がそれほど攻撃的なものではない。
それは相手にバジリスクがいる事が予想され、その石化の視線を無効化するために闇の妖精との契約を深くし、他の属性の妖精とはそれほど深く契約していないためだ。
妖精との契約の内容は時間さえかければ組み替えることも可能だが、戦闘中に行えるようなものではない。そのため、今のウィールには低威力の攻撃魔法しか行使できず、結果として決定打に欠けているのだった。
上空へと逃れた“ディーラ紛い”を仰ぎ見て、ジャバディーンはにんまりとその口角を釣り上げた。
“ディーラ紛い”なぞと言われてはいるが、所詮は人族。その力は蛮族──引いてはその支配階級にある自分には到底及ばない。
同じバジリスクである“出来損ない”が“ディーラ紛い”に遅れを取ったのは、やはりこの木偶の坊が出来損ないだからに他ならない。
操り人形と化し、傍らに佇むかつての同胞に侮蔑の視線を向けつつ、ジャバディーンは上空の“ディーラ紛い”に追い打ちをかけるべく、真語魔法の呪文を紡ぐ。
「私の存在を忘れてもらっては困るぞ、“ディーラ紛い”──
ジャバディーンが放ったのは、真語魔法では
先程、サンドリーヌに対して使用した『ブラスト』に比べて威力は劣るものの、近距離専用の『ブラスト』とは逆にその射程が長い。上空へと逃れている“ディーラ紛い”へと追撃を行うには格好の呪文だろう。
ジャバディーンが突き出した手より放たれた一条の赤い矢は、上空のウィールまで到達すると彼のすぐ傍で急激に膨れ上がり、最後には爆発して周囲に熱と炎を撒き散らした。
夜空に咲く赤い花。その赤い花弁はウィールを飲み込んで上空で咲き誇る。
だが。
上空で赤い花が咲くと同時に、地上でも同じ赤い花が咲いた。地上で咲いた花は、ジャバディーンとヒューリカを飲み込む。
やがて地上で咲き乱れた炎が消えると、そこには少なくないダメージを負ったジャバディーンとヒューリカの姿があった。
「────おのれっ!! よくもやってくれたなっ!!」
それまでの飄々とした雰囲気は完全に消え去り、殺意を露にしたジャバディーンは、その燃える瞳で今の『ファイアボール』を唱えた敵を睨み付ける。
即ち、地面に倒れたまま呪文を行使したサンドリーヌへ、と。
彼女の左腕はジャバディーンによって石化している。とはいえ、それで彼女の魔法を封じ込めたことにはならない。
呪文の行使には多少の支障をきたすものの、サンドリーヌの攻撃魔法は見事に炸裂してジャバディーンとヒューリカに痛手を与えた。
殺意を込めた視線に、ジャバディーンは更に呪いをも乗せる。
「くう────っ!!」
その呪いに抗えず、サンドリーヌの下半身の蛇体が見る間に石になっていく。
しかし、苦しげな声を出しながらも、サンドリーヌの顔に浮かぶのは笑み。
そのことにジャバディーンが訝しむより早く、上空から飛来するものがあった。
「な、何っ!?
思わず驚きの声を上げるのはジャバディーンだ。
ウィールは上空で『ファイアボール』に巻き込まれつつも、彼は地上でサンドリーヌの護衛に当たらせていた騎獣の飛竜を呼び寄せていたのだ。
自分の傍から飛竜が離れたことにより、ウィールの狙いを察したサンドリーヌは目眩ましの意味で『ファイアボール』を使用。そしてジャバディーンとヒューリカが炎に飲み込まれている内に、上空から飛竜が奇襲をしかける。
これこそが、ウィールの施した策であった。
驚くジャバディーンの目前で、かっと開かれる飛竜の
そして、その炎は一気に膨れ上がり、飛竜の口腔から炎の奔流が吐き出される。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
炎はジャバディーンとヒューリカを纏めて絡め取り、灼熱の抱擁を与える。
だが、それでも上位蛮族であるジャバディーンと、アンデットと化したヒューリカに止めを刺すには至らない。
ヒューリカは、その背の皮膜状の翼を広げると、ジャバディーンを抱えて上空へと逃れる。
しかし。
しかし、それもまた、ウィールの策の内であった。
飛竜の放った炎も、サンドリーヌの『ファイアボール』同様目眩ましに過ぎなかったのだ。ヒューリカに抱えられ、飛竜の炎の奔流から逃れたジャバディーンはそこに見た。
──蒼く冴え渡る上空の月を背に、翼を大きく広げて愛用の『首切り刀』を両手で上段に構えたウィールの姿を。
「でぃ、“ディーラ紛い”……っ!! お、おのれえええええええええええええええええっ!!」
空中ではその斬撃を逃れること能わず。ましてや、今のジャバディーンはヒューリカに抱えられている状態だ。
ジャバディーンの絶叫と、空気を切り裂いて振り下ろされるウィールの剣風が交差する。
ウィールの『首切り刀』はその威力を遺憾なく発揮し、二つの火炎による攻撃で大打撃を受けていたジャバディーンとヒューリカを捉える。
特にヒューリカは、二つの炎からもその身を呈してジャバディーンを庇ったのだろう。ジャバディーンよりも受けた被害が大きく、身体のところどころが炭化している有り様で。
そこへ振り下ろされたウィールの斬撃。その斬撃は半ば朽ちかけていたヒューリカの身体を左の肩口から右の腰へとかけて見事に両断。同時に、そのヒューリカが抱えていたジャバディーンの身体も深々と斬り裂いたのだった。
身体を二つに断たれ、地上へと叩きつけられるように落下したヒューリカ。
そのヒューリカが抱えたいたジャバディーンもまた、ヒューリカ同様に地面へと墜落した。
斬撃と落下の衝撃で苦悶の声を上げるジャバディーン。蛮族のその驚異的な生命力は、身体をほぼ両断されかけてもまだ生き長らえていた。
そのジャバディーンを一瞥し、ウィールは身体を両断されても手足を蠢かせているヒューリカへと近づいた。
アンデットと化した今のヒューリカに、感情というものはない。両の眼球を失い、ぽっかりと空洞を覗かせている眼窩は、虚ろに虚空を見上げている。
ウィールにとって、ヒューリカは宿敵と言っていい相手だった。
『霧の街』でウィールは三度、ヒューリカと剣を交えた。
最初の邂逅は、剣を交えたと言うのもはばかれるようなものだった。まだまだ駆け出しでしかなかったウィールは、ヒューリカの姿を見た途端、だらしなくも逃げ出した。あの時、無事に逃げおおせたのは、彼が何の力も持たない存在だったからだ。
ヒューリカからしてみれば、その時のウィールは虫けら同然。相手にする価値さえ見出せずに放置されたのだろう。
二度目に出会った時、数度剣を交えたものの勝てない事を悟ったウィールは再び逃亡を選択。その時には既に背中の翼もあり、何とか逃げ延びることができた。
そして三度目。三度目にまみえた時、ウィールとヒューリカの実力は拮抗していた。
繰り広げられる激戦の末、ウィールはヒューリカに勝利する。
そして今日、ウィールとヒューリカは思わぬ形で四度の邂逅を果たした。それほどまでに、ウィールにとってヒューリカは因縁のある相手であった。
カシュカーンへと帰還し、その後も冒険者としていつくもの依頼をこなして来たウィール。
そのウィールに破れ、“塚人いらず”のムギドによって死体さえも冒涜され、アンデットと化したヒューリカ。
くっきりと明暗を分けてしまった二人。
ウィールはいまだに身体の各所を蠢かせているヒューリカの身体に、様々な思いを乗せて愛剣を振り落とした。
どぷり、と濁った音と共にヒューリカの身体に突き立つ『首切り刀』。そしてそれが合図だったかのように、ヒューリカの身体は二度と動かなくなった。
かくりと力なく項垂れたヒューリカの頭。ウィールは、その頭がなぜか自分を見ているような気がした。
因縁に終止符を打ったウィールは、踵を返して今度はジャバディーンへと向かう。
驚いた事に、身体を深々と斬り裂かれながらも、ジャバディーンは立ち上がっていた。
「おのれ……おのれ“ディーラ紛い”めぇ……よくぞこの私に、こ、ここまでの真似を……」
憎悪に燃える目を、ジャバディーンはウィールへと向ける。その視線に既に呪いの効果はない。呪いを発動させる力さえ、今のジャバディーンにはないのだ。
そんなジャバディーンから数歩の距離を空けて、ウィールはその歩みを止めた。
今、ジャバディーンの足元には大量の血が血溜まりとなっている。
バジリスクの血は猛毒を含んでおり、触れただけで身体を蝕む。実際、ジャバディーンを斬りつけた際、飛び散ったその返り血がウィールの皮膚をじわじわと蝕んでいた。
『ブレイブハート』の魔法は呪いや精神的なものは無効にするが、毒には無力なのである。
だから、それ以上ウィールはジャバディーンへとは近づかない。そして、今のジャバディーンならば、ウィールの魔法でも止めを刺すことが可能だった。
ジャバディーンに向けて手をかざすウィール。契約している妖精に命じて、『ウィンドカッター』を発動させようとしたその時。
「いけないっ!! 早くジャバディーンに止めをっ!!」
背後からサンドリーヌのせっぱ詰まった声が響く。
この時、ウィールは自分がとある事を忘れていた事を思い出した。それはバジリスクと対峙する際、最も重要なことの一つ。
ウィールほどの熟練の冒険者がそれを忘れるなど本来ならあり得ないが、ヒューリカと思わぬ対面をした事で彼も些か混乱していたのだろう。
毒に侵されることさえ厭わず、剣を構えて血溜まりの中へと足を踏み入れるウィール。
しかし、彼のその行動は遅かった。
あと一歩で『首切り刀』の切っ先がジャバディーンへと到達する直前。
ジャバディーンの身体が見る見る膨れ上がり、その姿を異形のそれへと変えていく。
「し、しまった……っ!!」
口惜しそうに吐き捨てるウィールの目の前で、ジャバディーンは──いや、バジリスクはその真の姿へと変貌をとげたのだった。
『ディーラ紛いのウィール』更新しました。
今回も随分と更新が遅れて申し訳ありません。またもや二週間近くも間が空いてしまいました。
次はもう少し早く更新したいところです。できれば、年内にもう一本いきたいですね。
では、次回もよろしくお願いします。