樋口と俺   作:ナルミユズル

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ハレルヤ

 それは土曜日の夜のこと。何度目かもわからないがノクチルが出てたバラエティ番組のいつだって僕らはの部分を見返していた時だった。

 プルルルと着信音が鳴り響き、ぶるぶると携帯が震える。

 俺は着信先を見てげぇっと思いながらも、一度録画を止めてから電話を取る。

 

「もしもし」

『おう、俺だ俺。元気にしてるか』

「まあ、それなりに。大吾さんは?」

『こっちもそれなりだ』

 

 人の良い笑い声が電話越しに聞こえる。

 倉持大吾。彼は俺の中学時代の教師で、一緒に暮らしていたとか親権があるというわけではないが、まあ親よりも世話になった大人ということで親代わりのような人でもある。

 気のいい人で、俺もこの人のことは好きなのだが……まあ、こういうタイミングで電話してくる時は大抵面倒事を持ってくる。だから、げぇっなのだ。

 

「まあ、前置きとかいいから用件言ってよ」

『流石俺の教え子。話が早いな。じゃあ、言わせてもらうが』

 

 明日と明後日連休だけど暇か。と大吾さんは言う。

 

「暇だけど、今度は何をさせるつもりなんだ」

『いや何、知り合いに頼まれてな。近くオールアイドル感謝フェスティバルってのがあるんだが、搬入の人手が足りないらしいから行ってやってくれないか』

「……毎度思うんだが、あんたの人間関係どうなってるんだ」

 

 確かこの前は知り合いのバンドのライブにサポートギターとして入ってくれないかとか頼まれて行ったらめちゃくちゃ有名なバンドだったし、その前は知り合いがコンサートするからとか言って無理矢理連れて行かれたのがピアノのかなり大きいコンサートだった。

 それに今大吾さんが出したオールアイドル感謝フェスティバルというイベントは、アイドルに興味なくても名前ぐらいは知っているような大きいイベントだ。

 

『ははッ、いやあ。お前のこと話したらぜひってさ。こき使われるだろうが、その分時給はいいし搬入さえ終われば会場見て回ってもいいって言ってるから行ってみたらどうだ?』

「いや、俺アイドルとか興味ない……」

 

 と、そこまで言って言葉を止めた。

 

『どうかしたか?』

「なあ、大吾さん」

『ん?』

「そのイベント、ノクチルってアイドル出るか?」

『ちょっと待ってな』

 

 そう言うと、大吾さんはしばらく静かになった。俺も黙って大吾さんの返事を待つ。

 

『ノクチル、でいいんだよな。今知り合いに聞いてみたが明日の部に出るみたいだぞ』

「……そうか」

『なんだ? アイドル好きなのか?』

 

 通話越しでもニヤニヤしているとわかるぐらい露骨ににやけた声音に少しイラッとするが、あながち彼の言っていることも間違っていないので否定はしない。まあ、俺が好きなのは曲であってノクチルそのものというわけではないが……

 なんにせよ、生で聞けるなら聞いてみたい気持ちはある。

 

「まあ、嫌いではないけど」

『ははは。恥ずかしがることないぞ。俺もアイドルは好きだ! ウサミンとかな!』

「知ってる」

 

 というか、大吾さんが去年辺りから会うたびにウサミンの話ばかりするからアイドルといえばウサミンみたいな認識をしていたぐらいだ。

 

『それじゃあそういうことで、また明日の朝な』

「え、大吾さん送ってくれんの?」

『おう、送迎ぐらいしてやるよ』

「悪い、助かる」

『いいってことよ。それじゃあな』

 

 大吾さんとの通話を終えて、ソファに体を預けて止めていた録画を再生する。

 明日、これを生で聞けるのだ。

 

「やっべ、眠れるか。これ」

 

 興奮からそんな言葉を口走ったのはいいが結論から言えば、俺はこの時無事に寝ることが出来た。

 前日までそれはもうアホみたいに無理矢理アレンジしたのをまたアレンジし直してさらに直してをろくに寝ないで繰り返していたからだろう。俺の体力はもう限界で、気がつけば死んだように眠っていた。

 そして、翌日。

 

「帰る時だけ連絡してくれればいいから、俺はその辺で適当に時間潰してくる」

 

 俺とその「知り合い」を引き合わせると早々にそう言って大吾さんは去っていく。いつものことなので、俺は黙ってその知り合い――風炉出さんと言うらしい――の指示を聞いて、搬入を手伝っていく。

 彼の話を聞く限りだと、今いるステージの設営・搬入が今回の業務内容らしい。それからフェス形式はフェス形式だが、事務所ごとにステージがわかれているのだと言うことも聞いた。

 

「いやあ、倉持さんが言ってた通りだいぶ仕事になれてるんだね。この調子だったら、八時の入り時間までに終わりそうだ」

 

 そう言って風炉出さんはニコニコと人好きのする笑顔を浮かべて話しかけてくる。

 

「まあ、あの人に振り回されてたら必然的にというか……」

 

 褒められたのが照れくさくて、頬をポリポリと掻く。

 

「はは。うん、倉持さんがよく君のことを話してるよ。自慢の教え子だ! ってさ。色々聞かせてくれたよ」

 

 いや、なんで他人にそんなに俺のこと話すんだあの人。どんだけ俺のこと好きなんだ。

 

「変なこと言ってませんでした?」

「いや、だいたい褒めるようなことしか言ってなかったけど」

 

 それはそれで恥ずかしいので、少しぐらいダメな部分とかも話ししてくれと思う。

 けどやっぱり俺も他人にあの人の悪口とか言うかと聞かれたら絶対に言ったりしないけれども。

 

「それにしても、昨日突然君がうちのアイドルのファンだって倉持さんに聞いた時は驚いたなあ」

「あはは、ファンってわけじゃないんですけ、ど……はい?」

 

 今この人なんて言った。うちのアイドル?

 

「あれ、聞いてなかった? ノクチルってうちの事務所のアイドルなんだ」

「……マジですか」

「あはは、本当だよ。いやあ倉持さんこういうときに連絡が雑なところ変わらないなあ」

 

 あのクソ教師、なんでいつも大事なことばかりボカして伝えるんだ。

 

「まあ、仕事終わったらゆっくりライブ見ていきなよ。うちの他のアイドルも出るし、あまり興味なくても楽しめると思うから」

「いやあ、はは。ありがとうございます……」

 

 じゃあ、ここの設営は任せるからまた後でと言って別の作業員の元へ向かう風炉出さんを見送ってから頭を抱える。

 いや、どうする? どうすればいい! 俺がここに居るって樋口に知られたら不味くないか。いや不味い。絶対不味い。見方によっては完璧にストーカーだ。

 ……終わったのでは?

 いや、待てしかしアイドルの入りまではまだしばらく時間がある。早急に持ち場の作業を終わらせ、他の場所の手伝いに周り全体の作業効率を大幅に上げて搬入を完了させればまだ逃げられる。きっと、大丈夫……な、はず! 持ち場でやることも大方前やったバイトと変わらないし、いけるいける!

 

 そう思った時だった。「おはようございます」という綺麗な二つの声が聞こえたのは……

 思わず振り向きそうになる体を理性で押し留めたが、内心の動揺まではどうしようもない。

 あれ? さっき風炉出さん八時入りとか言ってなかったっけ? 今七時ちょっと前だしまだだいぶ時間あるはずなのだが……

 いや、まさかなあ……

 

 そう思って風炉出さんの方を見ると、彼はこちらにサムズ・アップしている。いやなんでだよ。

 俺が話と違う! と言う顔で彼を見るが風炉出さんは素知らぬ顔だ。しかし俺も譲れない。

 しばらく、見つめ合うような状態が続く。すると当然、様子のおかしいこちらに注目する人も増えるわけで……

 

 風炉出さんとは違う視線を感じた。

 ゆっくりとそちらを見ると樋口と目が合う。

 

「……あのプロデューサー、ちょっといいですか」

 

 あ、風炉出さんってプロデューサーだったんだ。じゃなくて、俺の顔を見るなりすげえ嫌そうな顔で風炉出さんに声をかけるのなんでだ。

 なんか向こうでめっちゃ風炉出さんが弁解をしてる声が聞こえる。そしてめっちゃちらちら俺を見ている。

 

「え、や、ストーカー? いやあ、俺の知り合いの紹介だからそれはないと思うぞ? 偶然じゃないか」

 

 あ、やっぱりそういう方向ですか。

 

「はあ、いいです。私が自分で話をつけてきます」

 

 やっべ。樋口こっち来るじゃん。風炉出さんめっちゃ手を合わせてこっちに謝っている。しかも口パクで「どうにかして」って無茶言うな。

 

「どうしてここにいるの。ミスター・ストーカー」

「いやもうお前の中で確定してるじゃんそれ。違うからな」

 

 でもミスター・ストーカーってなんかこう格好いいな。直訳で忍び寄るものって意味なのもそうだけど、やっぱりブラム・ストーカーだ。吸血鬼ドラキュラの作者と同じ呼称をされているのだと思うと、続けてもらいたい気もする。

 現代日本に置いては、それが犯罪者を示す言葉なのでやめてもらわなければならないのだが……

 

「じゃあどうしてわざわざここの搬入に?」

「風炉出さんに聞いてただろ。俺と風炉出さんの共通の知り合いが居て、その人が行けって言うから来たんだよ」

「あくまでも自分の意思ではないと」

「少なくとも、どこの誰々が所属する事務所ってのは知らなかったな」

 

 そもそも論を話してしまえば、俺はこのアイドル全盛の時代に置いてもやっぱりアイドルにはそこまでの興味はない。曲がいいな、声がいいなと思ってもそれまでで事務所とかまでわざわざ調べたりはしないのだ。少なくともこれまではそうだった。

 

「はあ……まあ、噂の邦ロック馬鹿がアイドルに興味あるはずもないか」

 

 全くその通りだが、噂の邦ロック馬鹿ってなんだ。確かに好きだが邦ロックしか聞かないというわけじゃないぞ。それに少し間違っているのだが、興味が全く無いなんてことはない。あくまでも「そこまで」の興味がないってだけで……

 

「興味ゼロってわけじゃないんだけどな」

 

 思わずそう漏らすと、樋口はすごい形相でドン引きしたように言った。

 

「それはストーカーの自白? 実は邦ロックよりアイドルに興味津々でついつい追い回しちゃうんだとでも言う気?」

「いやいやいや、飛躍の仕方に悪意あるだろ。つーか何、お前俺のことそんなにストーカーにしたいの?」

「別に」

 

 なんなんだこいつ、という目で俺は樋口を見るがそ彼女は素知らぬ顔で続ける。

 

「話しながらやってるけど、もしかして慣れてる?」

「それなりにな。そっちこそ、入時間までまだだいぶ時間あると思うんだが」

「予定まで把握……」

「いや、業務内容的に把握してないと不味いだろ」

 

 樋口は俺のその言葉を聞くとそれもそうか、という顔をした。

 

「別に、浅倉が早く行くって言うから一緒に来ただけ」

「ほーん」

 

 彼女がちらりと風炉出さんのいる方をみる。つられて俺も視線だけそちらに向けると、楽しそうに談笑する風炉出さんと浅倉透がそこに居た。

 

「仲いいんだな」

「浅倉とあの人は、ね」

 

 自分は違うとでも言うようなその言い方に首を捻る。

 

「お前もな」

「……は?」

 

 何いってんだこいつと彼女の目は雄弁に語る。なんでこいつこんなに俺に対する当たり強いのかしら。それとも今の地雷だったりするの? 分かり辛すぎるだろ。

 

「いや、風炉出さんの様子見てたらわかるんだがあの人だいぶお前のこと信頼してるだろ? 普通、暫定ストーカーの方にアイドル一人で寄越さねえよ」

「それはそっちが信頼されてるからでしょ。私は、別に……」

「風炉出さんって結構用心深そうだから、俺がどうとかあんまり関係ないと思うんだよな。いつだって『もしも』はあるわけだし、お前が俺のことをああいう風に話したなら少しは警戒するだろ」

 

 だから、きっと風炉出さんは樋口が俺に自分で声をかけると言った時、その彼女の発言から「井藤智也は樋口円香が自分で声をかけても大丈夫な相手」として受け取ったんだろう。俺に対する疑念はまあ多少あったのだろうが、樋口自身の発言から俺を無害と判断した。

 つまり、この場合信頼されてるのは俺でも俺を紹介した大吾さんでもなく樋口自身ということになる。なるよね?

 

「まあ、だから仲が良いって表現が適切なのかはわからないが信頼関係はできてるんじゃねーの」

 

 作業を続けながらなので、雑にそう結論付ける。

 

「なにそれ、適当すぎるでしょ。ふふっ……」

「それは適切って意味で?」

「違う」

「さようで」

 

 笑う顔を間近で見るのは初めてで、少しドキッとしてからかっちゃったのは内緒だ。

 やっぱ顔も声もいいから破壊力が違うなあ。と、そうこうしているうちに作業が終わる。

 

「持ち場終わったし、別の場所行くわ。お前もさっさとあっち戻ったら?」

「ん、そうする」

 

 それにしても二度と話さないだろうと思ったのに、一週間も経たずにこんな形で会話をすることになるとはなあ。もう今度こそ次はないだろうと、そんなことを考えながら去っていくを樋口を尻目に持ち場の荷持をまとめてその場を離れようとしていると、思い出したように樋口がこちらを振り返った。

 

「ねえ」

「なんだ」

 

 かけられた声に振り返らず返事をする。

 

「また聞きに行くから」

 

 一瞬、言葉の意味を捉えきれずに固まる。

 

「おい、それってどういう……」

 

 しかして、そう口に出した時に樋口はもうそこには居らず遥か遠くで浅倉透と一緒に歩き始めていた。

 かけるべき言葉をかけれなかった俺はというと、その場に立ち尽くすわけにもいかず近場でわたわたとしてそそっかしいお兄さんの手伝いに行くことにした。そこが終わってからはお兄さんと二人で、重い荷物を運んだりなどをしていたら、あっという間に搬入は終わり解散になった。

 

「井藤くんお疲れ様。さっきは円香がすまなかった」

「……いえ、別に」

 

 はははと相変わらず愛想の良い笑いを浮かべながら話しかけてくる風炉出さんを見ていると、何も言えない。そもそも彼を咎める気など全く無いのだが……

 

「それにしても、君が円香たちと同じ高校だったってのは驚きだなあ。円香とは同じクラスなんだろ?」

「そうですね。樋口以外も同じ高校なのは初めて知りましたけどあいつとは同じクラスで、一応隣の席です。まあ、この前まで話ししたこともなかったんですけど」

 

 なんなら、この寂れた高校生活で彼女のような美少女と会話する機会があるなんて思ったことすらないのである。

 

「そうなのか? 随分と仲良さそうに見えたけど」

「どの辺が仲良さそうに見えたんですか……」

 

 別に険悪でもなかったとは思うが、やり取りはかなり淡白ではなかったか。

 

「なんかこう、全体的に見ていて安心感があるというか。ほら、ミスターってやつにも軽口で返してただろ? あれとか、その後の円香の返しとかも落ち着いてたし」

「いや、だって怒るような事言われてませんし」

「いやいや、あれは怒っていいからな」

 

 そう言いつつもどうせこの人も怒らないタイプなんだろうなあと思う。

 

「これ以降関わるかもわからない相手に怒るなんて、疲れるだけじゃないですか」

「お、なんかその言い草円香っぽいな」

 

 そう言ってニコニコと笑う風炉出さんを見て、道理で大吾さんと仲が良い訳だと思った。

 

「あの、それだけなら俺もう行ってもいいですかね……」

「ああ、ごめん。手渡しで悪いんだけどこれ今日のバイト代」

 

 そう言って、茶封筒と関係者であることを示すために必要な通行証とそれから小さな紙。名刺を風炉出さんは渡してくる。

 

「いや、なんで名刺?」

「はははっ、いやアイドルになりませんか。なーんて」

「大吾さん並に面白くない冗談やめてください」

「……ごめん」

 

 全く俺が本気にしてぜひ! とか言い始めたらどうするつもりだったんだこの人。一人の純情な青少年の心を弄んだという罪がその瞬間に発生するとわかっているのだろうか。

 

「アイドルは冗談だけど、何かあったら連絡してよ。きっと助けになれるから」

「……大吾さんにどこまで聞いてます?」

「おおよそ、全部かな」

 

 あのクソ教師。マジで全部話したのかよ。

 

「すいません。その時はお願いします」

「うん。なんでも頼ってよ」

 

 大人らしい表情を浮かべてそう言う風炉出さんに、どうしてこうも大吾さんの知り合いには良い人ばかりなのだろうと思う。やっぱり類友ってやつなのだろうか。

 

「あ、それからそういうところは円香と違って素直だな」

「それじゃあお疲れ様でした」

 

 思い出したようにそう言った風炉出さんを無視して、裏から出て関係者入り口の方へと向かった。

 なるほど、これは間違いなく類友である。

 

 風炉出さんと別れてから数時間が経ち、フェスの熱気は最高潮。放課後クライマックスガールズ? というアイドルの手番が今終わったらしい。しかし、放課というには明らか一人高校生以下とは言えない人がいる気がしたがそれは言及しない方が良いのだろう。明らかにあれ、大学生である。

 

「疲れた……」

 

 熱狂冷めやらぬ中で、そう呟いた。

 いや、実際の話をするならこういうのに慣れてはいるのだ。慣れてはいるのだが、なんというかこう綺麗な女の子ばかりで目眩がする。視覚で無意識に取り入れようとする情報が多すぎるのだ。

 小さく深呼吸をする。さて、次のユニットは……

 

 汗を拭ってパンフレットを確認しようとしている間にイントロが流れ始めた。

 思わず勢いよく顔をあげる。幸い周りの人にはぶつからなかったが、今のはちょっと危なかったかもしれない。しかし、好きな曲が流れた人間なんてだいたいこんな反応をするもんだ。

 イントロの中で、登場するノクチルの四人。そして加速度的に会場にあった熱気が特有の蒸れたものから、爽やかな清涼感のある空気に変化し始める。いや、これは多分俺の体感だ。

 前のユニットたちの楽しい空気や、疾走感のある格好いい曲、とにかく可愛らしい雰囲気の曲とも違う。確かに他の曲たちも良いと思った。聞いてると自分も楽しく慣れたし、ワクワクしたし、萌えもした。けれども、やっぱり俺は今日この時までで聞いた曲と比べても彼女たちの歌が好きだった。

 

 周囲のように熱狂するわけじゃない。メンバーの名前を呼ぶこともなければ、コールをすることもない。いや、できない。体がその場に拘束されてしまったかのように動けないのだ。

 ステージに視線が奪われる。聴覚が周囲の喧騒を無視して旋律と歌声だけを選び取る。全身を突き抜けて、己に内在する生きることへの活力が奮い立たせるそれらはこんなにも近くてあまりにも遠い。

 隣の席でいつも退屈そうにしている樋口を知っている。でも、きっとそれだけだったのだ。

 俺はあいつの何も知らない。俺は彼女にとって知人Bですらなかったわけだから、それは当然のことで残念だと思うことももちろんない。ただ、一つだけ今彼女に思うことがあるとするならば。もしも、それを赤の他人である俺が言葉にして表してもいいのなら……

 

 風炉出さんではないがどこか、樋口は俺に似ていると勝手に考えていた。同じ凍えたレールの上にいると思い込んでいた。でも、きっと彼女は違う。俺とは違う。だって、彼女は……

 

 曲が終わる。ステージのうえで満足そうに誇らしげな表情を浮かべて四人は笑っている。

 そうして彼女たちの去り際ふと、樋口と目が合った気がした。気がしただけなのだと思う。

 

 だって彼女は「今」を生きているのだから……




一先ずここまで

社交ダンスネタについて

  • もっと全力で書いてよし
  • ほんの少し濃くしてほしい
  • 程良い
  • ちょっとくどいけど、耐えられる
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