程よい、ちょっとくどいという方も一定数いらっしゃったようなので少し説明量と描写を増やすぐらいでいこうと思います。
283プロダクションで社交ダンスの講師を始めてから、二週間が経過した。
みんな飲み込みが良くて、教えたことをすぐに出来るようになってくるから十日目辺りからパート合同の練習に変えて実際に組んで踊ってのカップル練をしてもらっている。
最初の一週間は毎日のように練習をみなくてはいけなくて、部活も休みがちになってしまったのだが今はカップル練に進んだこととアイドルたちの仕事の都合なんかもあって週に四日程度まで仕事が減った。とはいえ、毎日事務所に行ってプロデューサーさん――一緒に働く都合周囲に習ってそう呼ぶことにした――と練習の進捗、ダンスの完成度、アイドルたちの体調面に関する相談などを行っているので、ほぼ一週間全部で働いていると言えなくもない。とはいってもそこまで無茶な動き方をしているわけでもない。
その過程で、事務員のはづきさんとも話すようになったり社長さんとも話す機会があったりなどして今ではだいぶ事務所に馴染めているし、結果オーライというべきだろう。
シューズとかは男性パートを踊る人には俺のお古だとかを貸して、女性用のは事務所に用意してもらうという経費削減も含め概ね順調。しかし、問題が全く発生しないわけがないのがカップル練である。特に初心者同士なら尚更。
……あと、同じユニット同士のカップルであったら多分起きなかった問題でもあるとは思う。
「……智也、ごめん。今日もお願いしていいかい。雛菜はもう帰ってしまって」
「ああ、いいですよ。ちょっと待ってくださいね」
白瀬さんから声をかけられたので小宮・西城組のサンバの練習を見ていたのを一度切り上げて彼女のもとに向かう。
「すまないね。今日も残ってやろうと言ってはみたんだけど……」
「仕方ないですよ。レッスン時間はとっくに過ぎてるわけですから」
困ったような顔で言う白瀬さんに努めて明るい調子でそういってやる。実際、学校終わってから事務所まで来て二時間も練習している時点で立派なものだし、市川さんが終了時間を守って帰宅することで全体に程良い脱力を生んでいる。
ただ、カップルで二人の呼吸を合わせて踊らなくてはいけない以上は、リーダーとパートナーなるべく合わせられるように長い時間練習をしたいと思うものだ。それに白瀬・市川組はラテンの中でも足型が難しいジャイブを踊ることになっている。
ただカップルバランスは悪くないし、ジャイブはリードとフォローの感覚を掴みやすい。加えて傍から見ていても、ラテンのホールドの感覚もだいぶ掴めているようだし、よく踊れているとは思うのだがそれでもこういう形式で合わせて踊るのは初めてだから不安になるのだろう。
同じ別ユニット同士の浅倉と三峰さんのカップルが息ピッタリだというのもその焦りに拍車をかけているのだろうか。
「市川さんには市川さんの白瀬さんには白瀬さんのペースがあるんですから、あんまり気にしすぎないで行きましょう」
そうかな、と不安げに頷く白瀬さんを見届けてから、スマホに入っている今回の課題曲であるランアラウンド・スーを流す。日本語版を浮気なスーといって、スリー・ファンキーズというバンドが歌っている。ちなみに直訳はスーから離れるんだ! だったり。
どういう曲かというと、まあ題名の示す通り一人の男が浮気性な女に惚れて振り回されるという曲だ。
どこか今の白瀬さんの状況に近いなと思って笑いそうになるが、こらえて踊る。
しばらく曲に合わせて踊って、やっぱり最初よりも格段に踊りやすくなっているな。
「いやあ、え……失礼。ずいぶん、色っぽく踊れるようになりましたね」
一曲通して踊り終えて、そう言った。危うく社交ダンス仲間に言う時の調子でエロいって言いそうになった。もし言ってたらセクハラで訴えられてたかもしれない。幸い、白瀬さんに気づかれた様子はなく彼女は嬉しそうに「そうかい」と言ってくれた。
しかし、「え」の部分を聞き逃してくれないやつもいたらしい。
「セクハラ……」
「樋口さん、ごめん。その通話待機状態のスマホをしまってはもらえませんか」
「はあ……不用意な発言、これで何回目?」
わからん。
「まあまあ円香、智也は褒めてくれただけなんだ。格好いいと言われたことはあるけど色っぽいといわれるのも悪い気はしなかったから」
白瀬さんがそうフォローをしてくれたおかげで樋口は手に持ったスマホをしまってくれた。
その様子にホッと胸を撫で下ろして、白瀬さんに声をかける。
「白瀬さんありがとうございます。それとどうします? 後一回ぐらい通しておきますか」
「流石に連日、君を拘束しすぎているからね。あと一時間ぐらいシャドウ練をしてから帰ることにするよ」
そう言ってありがとうとこちらに言ってから白瀬さんは開いてる場所で練習を再開する。
さてと、俺は少し水でも飲もうかしらんと思って自分のカバンやら楽器ケースやらを置いてある場所に足を向けようとするのだが、そこで腕を掴まれた。
「智也! 次はこっちを教えてちょうだい!」
有栖川さんだ。
「えっと、ちょっと水飲んできていいですか。その後で教えるので」
「ええ! 智世子と待ってるわね」
笑顔で元の場所へと戻っていく有栖川さんを尻目にカバンの中に入れてある水筒をとってゴクゴクと飲んだ。
運動した後の水ってどうしてこんなに美味いんだろうなあ、と思いながら水筒を置いて有栖川さんたちの元へと向かう。有栖川さんと園田さんが踊るのはチャチャチャ。軽快でスピード感とメリハリのある踊りが特徴のダンスだ。加えて、ワルツなどと違いラインオブダンスというフロア上を反時計回りに回るというルールにそこまでしばられることなくその場に留まり続けることが多いダンスでもある。
正直、現時点ではこのカップルが一番完成度が高くて今回のイベントに関するだけなら正直、もう教えることはない。それでも、と貪欲に完成度の向上に努める有栖川さんのトップに対する姿勢と、それに文句も言わずについていく園田さんには驚嘆した。
だから出来る限りこちらも厳しく見ることにしている。カップル間でのワンテンポ未満のズレすら許さない。極論、競技ダンスはカップル間の一体感ですべてが決まる。そのためには脳内でピタリと同じリズム、カウントをとっている必要があるのだが、そこはまあ同じユニットということもあって割と問題がなかった。
ただやっぱり若干のズレがあって今はそこを少しずつ直しているというところだ。
それから三十分ほど二人の練習を見てから、次は浅倉と三峰さんの方の様子を見に行く。
俺が近づくのに気がついて、浅倉がふっと緩く微笑んだ。
「どうだ、調子は」
「ん、だいぶコツ掴めてきたって感じかな。楽しいねクイックステップって」
「そうだろう。俺もクイックはワルツの次に好きだ。三峰さんの方はどうですか。クイック慣れました?」
俺がそう問うと三峰さんはニッと人好きのする笑顔を浮かべて返事をしてくれる。
「バッチリー! とおちゃんのリードが上手だから踊りやすいし、ともくんの教え方もいいから絶好調って感じ!」
でも、と言葉を濁して三峰さんは白瀬さんの方を見た。
「さくやんとひななんの方が少し心配かも。ううん正確にはさくやんの方が、かなあ。ひななんはひななんのペースで出来てるけど、さくやんは少しペースを掴み切れてない感じがするかな」
「それは確かにそうですね。けど……」
きっと心配するまでもないと俺は思うのだ。
「大丈夫ですよきっと。なるようになりますから」
「あはは、ともくんは意外と楽観的なんだね」
でもそうかも、と三峰さんは少し目を閉じてからよしっと声を出して浅倉の手を取った。
「じゃあ、続き! やろうかとおちゃん!」
「あ、うん。そうだね」
「ああ、じゃあ折角だし曲に合わせたらどうですか」
「おお! とおくん流石! 気が利くね!」
端末を操作し音楽をかけると二人は表情を変えず笑顔のままでクイックを踊り始める。曲名はアンブレラ。ザ・ベースボールというオーストラリアのバンドの曲で、まあこれも愛の曲だ。
クイックステップには笑顔がよく似合うが、浅倉のクールな微笑みと三峰さんの快活な笑顔の両方ともきっと見る者の心を奪ってくれることだろう。ちなみに俺はもう奪われている。
初心者だからクイック特有のホップアクションは少なめにしているのだが、それでも全身から溢れる楽しんで踊っていますという空気がもうまさにクイックだ。最高だ。
「さて、と……」
あまり浅倉たちに注目しすぎていると、どっかの樋口さんが怖いので端末を適当な場所に放置してその場を離れる。
ふうと息を吐いて、壁に背中を預ける。少し、疲れた。
しばらくそんな風に遠巻きに練習を眺めることにした。本当に二週間前とは見違えるほどにみんなうまくなっている。カップルとしては有栖川・園田組が、個人だと樋口が頭ひとつ抜けているはいるが全体の技術の水準も十分高い。
社交ダンスの世界では大学から始めた人がジュニアからやっている人の実力を抜かすなんてよくあることだ。単純に才能だけの話ではない。練習に取り組むときの熱量、それをどれだけ持続できるか。何事にも言えるがそれが顕著に現れてくる。やらなければその分、目立つ。
俺が市川さんの心配をしていないのは、技量で劣っている部分が周囲と比べて少ないというか全く無いからだ。
きっと彼女は彼女なりに頑張っている。なら、どこかで絶対に白瀬さんと噛み合うはずだ。それはイベントが近づいてくればどんどん如実になってくるだろう。
他のカップルもどんどん息が合って来ているし、中でも樋口と福丸さんなんかはカップル練の初日からは考えられないぐらいだ。
福丸さんが樋口に対して若干遠慮して踊っていたから、最初はどうなることかと思っていたがもうその心配もいらないだろう。
それにしても……
「しかし樋口、本当にタンゴうまくなったな……」
彼女はあれから毎朝俺の練習を見に来ている。俺が踊ってるのもベーシックだからどんどん見て技術を盗まれているし、疑問点は有栖川さんと同じぐらい逐一細かく聞いてくる。まあ、ある意味で秘密の特訓をしているようなものなのでそれぐらいやってもらわないと困るわけだが、それにしても飲み込みが早い。
力強く情熱的な踊り、そして強気でギラギラとした表情。いつもの冷めた表情からは想像もつかないその踊りに目を奪われる。福丸さんまで彼女が放つ雰囲気に飲み込まれて、いや、福丸さんは樋口の熱気に張り合っている。そして、そんな二人の踊りは圧倒的な存在感を放つ。
優秀なリーダーはパートナーの魅力を引き出すものだ。地力があるとはいえ、二週間でここまでハッとさせられるような踊りをされるとは思いもしなかった。
アマチュアのコンペだったらC級戦までなら通じるだろう。
しばらくそんな感じで樋口・福丸組のダンスを見ていた。
小宮さんを連れた放課後クライマックスガールズの四人がレッスン室を去っていくのを見送って、腰をおろした。最後の方はほとんど小宮さんたちのダンスをみていたが、本当に楽しそうに踊ってくれるのでいつも元気をもらっている。西城さんは最初少し恥ずかしがっていたけど、今ではちゃんとサンバのリズムに乗れているし、今では有栖川さんに張り合うようにして、小宮さんと一緒に色々聞きにきてくれる。
さて、みんなが帰り、今のレッスン室に残る人影は俺を除けば一つだけ。
その人影がこちらに声をかけてくる。
「最近、いつも事務所にいるのみるんだけど……大丈夫なの」
樋口はぶっきらぼうにそう聞いてくる。
「おう。大丈夫じゃなきゃ来てないさ」
そう言って返すと、樋口は露骨に不機嫌になった。
「そんな明らかに疲れてますっていう顔で言われても説得力ないんだけど」
「お前の目は節穴か? これ以上ないぐらい元気だっつの」
そう言って立ち上がると、いちにと体を動かして元気だということをアピールしてみせる。
してみせたはいいのだが、樋口の凍てつくような眼差しは変わらない。その表情は心無しか呆れているようにも見える。
「くっだらねえと思うよ。俺だって」
だからだろうか。誤魔化すための言葉をいうよりも先に自然と、そんなことを口にしていた。
俺のその言葉に樋口は目を見開いた。問いかけるような静かな視線にふっと笑った。
「お前らを通していつかの夢を見そうになってるんだ」
どうしようもなく身勝手でくだらない。けれど、浮かんでくるのだ。
小宮さんと西城さんのサンバ、有栖川さんと園田さんのチャチャチャ、白瀬さんと市川さんのジャイブ、浅倉と三峰さんのクイック、そして樋口と福丸さんのタンゴ。もしも、もしも俺が踊ることをやめていなかったらきっとここにはいなかっただろう。だがそのもしもを考えてしまう。
もしも、あの時やめるという選択肢ではなくどこかで続けるという道を選んでいたのなら、俺はどんなダンサーになっていたのだろうか。
――世界一のダンサーになる。
我ながら身の程を知らない夢だった。それがどれだけの苦難と挫折の道程かなんて考えることすらしていなかったなあ。
でも、きっと少しはその夢に近づけていたはずだ。
だがそれはもう叶わない。叶える気もない。けれどいや、だからこそか。わからない。
熱が入ってしまう。入れ込んでしまう。より良く、悔いのないように。そんなことを考えると居ても立ってもいられなくて、毎日こうして事務所に来ている。
「……ほんと、自分勝手。勝手に自己投影して、馬鹿じゃないの」
「おっしゃる通りでお嬢さん」
返す言葉もないというのはこのことだ。
「そもそもそんな話、突然するなんてどうかしてる」
「悪かったよ。お前だし言ってもいいかなって思ったんだ」
「なにそれ」
睨まれるがそれに適当な笑顔で返してやる。
「……聞いてあげたんだから、練習付き合って」
「はいはい。かしこまりましたよ」
諦めたようなブスッとした顔で告げられた言葉に黙って従い、樋口の踊りを見て注意点を洗い出してまた踊りを見て。あと彼女はさも理由付けをするかのように言っているが、実際は最初の練習の時から変わらず彼女の居残り練習に最後まで付き合っているので今更である。
それから小一時間ほどして同じ帰り道を別々に帰った。プロデューサーさんが送ってくれるといつも言うのだが、最初の時以降樋口がざっぱり断っている手前俺も断っている。
そんなこんなで家に着くのはいつも九時を少し過ぎたぐらい。それから夕飯の支度をして、明日の朝と昼の準備をしているのだが……今日は少しやる気が出なくて夕飯を適当に済ませてシャワーを浴びると髪も乾かさずに布団に倒れ込んだ。
それがいけなかったのだと思う。
翌日の朝。目がスマホに登録してあるアラームでいつもの通り覚め、布団から這い出したまではよかった。問題はベッドから立ち上がろうとした時。
足元がふらつくのだ。踏み出した先から足が泥に沈むようにして覚束ない。
「あ、れ……」
力が入らずに膝をつく。その際、ギターかけにに少し引っかかってギターが倒れた。大きくはないが弦の音が室内に響く。
いったいどうして立てないのだろう。ぼんやりとはっきりとしない思考。まるで熱に浮かされてるように……
無理矢理立ち上がって、台所にあるコップで水道水を流し込むようにして飲んだところで少しだけ意識がハッキリとした。とはいっても朦朧としたままであることに変わりはない。
不味いな、まだ休めるような状況ではない。もう少し、あと一週間保てば基礎技術がそれなりになるのに……
「くそ……」
ダメだ。思ったよりもずっと全身に力が入らない。
こんなのいつ以来だ。わからん。頭が本格的に回らない。
一先ず、学校とプロデューサーさんには連絡を入れようと中間先生の連絡先に体調が悪いから休むというようなメッセージを送る。送ってから、熱を測った。
「……はあ」
ため息しか出ない。どうやら発熱もあるらしい。
薬ともう一杯だけ水を飲んでベッドに戻った。食欲もないので何も食べずにそのまま目を瞑った。
ああ、ギター転がしたままだったなとか思いながらも意識はどんどん暗いところまで落ちて……
ガチャリと聞き慣れた音が聞こえた。同時に、人の気配が玄関の方からこちらまで近づいてくるのを感じた。
しばらくは熱のせいか気にならなかったのだが、気配がベッドの近くまで来たところでおかしいな、と思って目を開ける。
日差しがオレンジだ。そういえばカーテン昨日から閉めてないんだった。あとなんだろう……足……?
「……ほんと、間抜けな顔。自己管理もできないなんてトレーナー失格じゃない」
「あ、ひぐちか……」
なんで樋口が俺の家にいるんだろう。
「熱、あるの」
「あー、うん。さっき測った時はあったけど、あれ、そういえば学校は?」
「もう夕方だから、プリントどこに置いておけばいい」
「あー、机の上に適当に置いておいてくれれば」
「ん……」
樋口が机にプリントをおいてくれているうちにスマホをみる。なんか信じられないぐらい通知が来てる。大吾さんと風炉出さん、中間先生とあと何故か有栖川さんと小宮さんとそれぞれ連絡が来た。
五人は基本はお大事にという連絡。風炉出さんからは数日休むようにとのお達しと、有栖川さんからはお小言と自主練中に出た疑問点についてあとでまとめて置くから次来る時に教えてほしいという連絡、小宮さんはなんかヒーローのお面の画像を送ってくれた。
「で、樋口はどうしてここに……」
「ねえ、ちゃんとご飯は食べてるの」
遮るように樋口が言ったことで最後まで言葉を続けることが出来なかった。
「昨日の夜は食べたけど、朝は食欲なくてとってない」
「……はあ、お粥で良ければつくるけど」
「いや、流石にそれは申し訳ないからいいよ。ていうかどうやって入ったんだよ」
「チャイム押しても出てこないし鍵開いてたから勝手に入った。不用心にも限度があるでしょう」
小言を言いながら俺の遠慮ガン無視で樋口は台所に立った。なんで聞いたんだ。
思わず寝かせていた体を持ち上げると、めちゃくちゃ怖い目で睨まれる。恐ろしくて布団を被って見ないふりをした。起き上がってみてチラッと見えたのだが買い物袋の中にネギやら何やらが入っていた。
最初から作るつもりだったのではないか、と思うがまあ何も言うまい。
一日寝ていたおかげか朝よりはだいぶ頭が回るので、今のうちに返信だけでもしておこう。そう思ってポチポチと簡易ではあるが、一つ一つメッセージを仕上げて送っていく。
五人にありがとうを返し終えてスマホの電源を切ってふと、あることを思い出す。ああ、そういえば借りてた本、色々重なって延滞してたから今日返すって図書のやつに言ってたけど無理だったな。明日には学校いけるかなあ。
なんだか落ち着かなくて、スマホをもう一度開いて枕元にあるイヤフォンをとってこそこそと音楽を聞くことにした。
シーディーから取り込んだタイマーズのアルバムを適当にかけていく。聞いているとギターを弾きたくなってくるが我慢する。絶対樋口に怒られる。というか、今日は音楽聞いてるのバレても怒られそうだな。
と、思った矢先である。ばさりと布団を捲られた。
「馬鹿じゃないの」
嫌だこの子。声が冷たいったらないわ。
「あの、いや、これはな……」
「はあ、とにかくそのイヤフォンとスマホ預かるからちゃんと休んで」
「そ、そりゃあないだろ……」
しかし、俺の嘆きなど意に介しもせずイヤフォンとスマホをひったくって台所に戻っていってしまった。
こうなってしまうとベッドで楽しめるものは何もない。漫画とか本棚まで取りに行かないとだし。大人しく布団の中にいることにした。
程なくして軽い眠気が襲いかかってきた。それに逆らう気も起きず、眠気に身を任せてうつらうつらとしていたところで樋口から声がかかった。
「できたから起きて。座るぐらいはできる?」
「おう、大丈夫だ」
「もしかして、寝かけてた?」
「ちょっとだけ、でももう起きたわ」
言ってからムクリと起きあがると、お粥の入った器とスプーンを持った樋口がこちらに歩み寄ってくる。
「はいこれ。足りなかったらおかわりもあるから」
「迷惑かけて悪い……」
「……はあ、別に謝ってほしいわけじゃないんだけど」
呆れたような表情をする彼女に頭を傾けながら、渡された器を受け取ってお粥を食べた。
久しぶりに人の作った飯を食うわけだが、お粥かあ……
どうせ作ってもらうならもっと濃い味のものとか作ってほしかったなあ……
「うまっ……」
一瞬前の自分の思考を反省する。お粥ってこんな美味かったっけ。
「……どうやって作ったんだこれ」
「別に特別なことはしてないけど、そんなに美味しい?」
「おう、おかわりもらってもいいか」
あっという間に平らげて、樋口にそういうと彼女は少し顔を赤らめてブスッとしながら何も言わずにおかわりを用意してくれる。
それも平らげて、だいたい満足すると器とスプーンをテーブルに置いて手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
人に飯をつくってもうなんていつぶりだっただろう。母さんは元気にしてるだろうか。いや、元気にしてるか。たまに親父殿と一緒にダンスルックのインタビューとか受けてるみたいだし、あの人に限って体調を崩すとかありえない。
食器を台所に持っていく樋口を見ているとなんか、不思議な気分だ。というか、競技ダンスしてた頃でさえ部屋にあげることは終ぞなかった女の子が俺の部屋にいるってなんかあれだな、わけがわからないな。
というか、本当になんでこいつが俺の家に来てるんだろう。しかも無理矢理だったけどお粥まで作ってくれたし……
「なあ、樋口」
「……なに」
蛇口から流れる水の音。食器を洗う時の陶器の擦れるカチャカチャという音。ぶっきらぼうな樋口の声がその合間から返されてくる。
「いや、どうして家に来たのかと思って」
俺と樋口はそういう関係。まあ恋人はもちろん友人と呼べるような間柄でもない。強いて言うなら新進気鋭のアイドルとほんの一時だけのトレーナー。だから彼女がここに居る理由はわからない。
「さっきも聞こうとしたんだけどなんで家に来たんだよ」
「……」
いや、まあさっき答えたくなさそうに遮ってたから素直に答えてくれるとは思ってはいなかったけど全く誤魔化しもせず黙り込むほど答えたくないのか。
聞かなければよかったなあと思いながら、悪いと言おうとすると水の音が止まった。
「……どっかの誰かさんが思っているほど、私はその誰かさんのことをどうでも良いと思ってるわけじゃないから」
「……は?」
それはいったいどういうことだ。
「わからないならそれでいいから、頭使ってる暇あるなら横になったらどうなの。寝るのは得意なはずでしょうミスター・スリーパー?」
「……風邪で寝込む時と授業で寝るのとはわけが違うんだっつの」
誤魔化すようにそんな皮肉を言って、樋口はこちらを馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。
その言い草に反論をしつつも、温かい食べ物を摂って腹も膨れて体も温まったからか俺は程良い眠気を感じていた。布団をかぶればすぐにでも眠ってしまえるだろう。
「ほら、もう眠そう。それじゃあ私もう帰るから……」
「ああ、うん。悪い」
「申し訳ないと思ってるならさっさと治して復帰して」
それだけ言ってさっさと玄関に向かっていく樋口に慌てて、声をかけた。
「ち、ちょっと待て」
「なに。帰りたいんだけど」
良いから帰らせろというような威圧的な声音を無視して俺は続ける。
「プリントとそれからお粥も、ありがとうな」
「……」
俺が言い終えて次の瞬間。ガチャンと扉が閉まる音がした。
感謝すらまともに受け取ってもらえないとは思わなかったが、まああいつなりの照れ隠しなのだと勝手に思い込むことことにしよう。
彼女が部屋からいなくなってからしばらく、目が開いているか開いていないかというような微睡みの中でぼんやりと今日の不可解な樋口の態度について考えながら、やがてゆっくりと埋没しはじめた意識に身を任せた。
余談だが、この日みた夢には樋口が出てきた。細かい内容は伏せることにする。
最近、どうしてか彼との練習を楽しみにしている私がいる。
だから、朝の部室が開いておらず、彼が学校に来ていないのではないかと気がついた時には胸の奥がざわざわとして仕方がなかった。
いつも授業中に居眠りをしている馬鹿な人。その姿が見えないだけで、どうしてかこんなに落ち着かないのだ。
まるでパズルのピースが一つだけ埋まらないときのような苛立ちだ。
そしてその苛立ちが彼がいないというだけで胸の中で暴れるのか。それが私にはわからなくて、それがまた私の機嫌を逆撫でした。