俺が倒れた日から大体三週間が過ぎた。結局あの後三日ほど休みを貰って、学校自体も休んで。といっても倒れたのが木曜だったからそのまま金曜日一日休んで残りは土日だったのだが、その間学校の勉強だったり楽器弾く時間だったり本を読んだりだったりに使ってまあダラダラと過ごした。あとは、あれだ。有栖川さんがまとめて送ってきた疑問点に対する回答とか文章にまとめることもした。
休み期間中にやったことがバレたら叱られそうだと思ったので、その紙を渡したのは火曜日。だったのだが、どういうわけか樋口にバレてその流れで有栖川さんにもバレて樋口からは嫌味、有栖川さんからはお小言というダブルパンチを貰ってしまった。
そんなこんなはあったが、ひとまず復調したことに変わりはない。
それから、現在。例の社交ダンスとアイドルのイベント。社交DEアイドルの前日となる今日。
練度は上々。基本だけじゃなく、少し目立つフィガーも身につけて全員が全員自分の振り付けをちゃんと自分のものにしていたし、今日はコンディションの調整ということでレッスンはなし。
つまるところ、俺の事務所における仕事も実質昨日で終わりであとは明日のイベントで顔を合わせるのが最後なわけだ。
一月近く働き詰めだったし、これで生活費はしばらく安心できそうだ。
そんな少しホクホクとした心持ちで、授業を受けていると顔の緩みを見透かした樋口にとんでもなく冷たい目で見られた。それでも一向に落ち着かない心のウキウキに浮かされながら、夕飯の献立を考えていると気がつけば放課後。
今日は部活もないし、久しぶりにのんびりとした平日を過ごそうかなあとか思いながら帰り支度をしていると、樋口がいつかのように机の前にやってきた。
今度は何の用だろうと思って、仁王立ちする樋口を見ると目が合って逸らされる。どうしてか少し顔が赤い気がする。
しばらくそんな感じでもじもじと似合わない躊躇をみせている彼女の様子に首をかしげているとやっぱりそっぽを向いたまま彼女は言った。
「あの、少しいい?」
「あ、ああ。いや別にいいけど……どうかしたか」
「……どうってほどのことでもないんだけど、少し聞きたいことがあって」
それに分かったと返事して、荷物を持って一緒に教室を出た。
何気に、一緒にこうして学校を出るのは初めてだなあなんて考えながら靴を履き替えて外に出た。
レッスンを担当していると言っても流石に教えてる期間ずっと部活を休むこともできない。一応俺の所属するバンドは高文連の大会に出る予定だし、学校祭だって近いから課題曲だとか学祭用の曲とかの練習をしなくてはいけなくて、一時間半ほど部活に出てから事務所に行くようにしていた。
必然的に、ノクチルメンバーとは同じ学校でも放課後になって顔を合わせるのは事務所に着いてからだった。一度だけ雨の日に部活へと向かう途中に玄関で立ち尽くす浅倉と遭遇した時「傘ないわ」とか言ってたので傘を貸してやったぐらいのことはあったが、そんなものだ。
そもそもそれがなくても大抵一人で校舎を出ることが多いので、今の状況は少し新鮮だ。どんな話をされるんだろうか、と人と一緒に帰るという慣れない経験と相まって少しドキドキとしながら歩くがしかし、校舎を出てからしばらくしても樋口は一向に話し始める気配がない。
急かして良いのかも分からずに、俺も黙って彼女の隣を歩く。
そのまま数分ほど歩いていると、いつかの公園の近くまでやってきていた。
このまま歩いていても樋口は一向に話し始める気がしないし、と思って俺は樋口に声をかけた。
「少しそこの公園寄ろうぜ」
「……わかった」
頷く樋口に先に公園のベンチで待っているように言って、近くの自販機で二人分の飲み物を買う。樋口が好きな飲み物とかわからないから、自分の分はブラックなコーヒー。樋口の分は同じメーカーのカフェラテにした。
先にベンチに座っていた樋口の元に近づいて、飲み物を手渡す。すると彼女は財布を取り出そうとし始めたのでそれに「いいから」とだけ言って、少し間を開けて隣に座った。
「で、話ってなんだよ」
直截に聞くと、樋口は一瞬迷ったあと口を開く。
「……どうしてやめたの。その、ダンス」
それに少し面を食らった。イベントの前日だから、最後に気になった部分とかあるかもしれないとは思ったがまさか彼女がそんな踏み込んだことを聞いてくるものだとは思わなかった。
どう答えたものだろうか、と考える。
「そんなことが聞きたいのか?」
ふと口に出たのはそんな問いだった。質問に質問で返すなんて、と自分でも思うしそう言われるのではないかなとも思うのだが樋口の答えは違った。
「聞きたいから聞いてるの……答えたくないなら別にいい」
「……いや、答えるさ」
もうどうしようもないほどに、終わってしまったことだ。聞かれて困るなんてことはない。
「……俺の家族みんな競技ダンスをやってるんだ。両親はもちろん、俺には姉と弟がいるんだが、その姉さんと弟もな」
そして俺はその姉と幼少の頃からカップルを組んで踊ってきていた。
カップルバランスもさることながら、長い時間を一緒に過ごすこともあってお互いのことをよく理解していた。しているつもりだった。
「けどまあ、才能ってのはあるものでな。姉と弟にはあってどういうわけか俺にはなかった」
弟がその才能の片鱗を俺に見せつけてくれたのは俺が小学六年のころ。そして、姉との差に気がつき始めたのもその頃だ。
もちろん置いていかれたくなくて努力はしたさ。周囲から無茶だと言われてもそれまでの倍以上の練習を俺は自分に課していた。
それでも差は開き続けるのだから笑ってしまう。
何故だ、とそう思った。社交は。競技ダンスはそこまで才能を必要とするスポーツだったか? ああ確かに才能は必要だろう。だがそれは本当に努力でねじ伏せられないほどのものか。
しかし、現実は非常だ。突きつけられた現実を前にして、中学二年の時、俺はついに姉とのカップルを解消した。最後まで反対した姉さんには悪いと思ったが、その頃にはもうどう考えても、どうやっても、俺と彼女とでは、釣り合わなかったのだ。
才能は努力でねじ伏せられるか。ああできるだろうとも。
だが、どうやっても努力する才能には敵わない。
「俺は父さんに相談したんだ。これ以上どうやったら上手くなれるか。どうしたら俺は、プロのダンサーになれるか。そしたらなんて言われたと思う?」
俺の問いに樋口の表情が強張った。
そんな顔をさせるつもりはなかったから少し、申し訳なくなる。
「“無理してダンサーになる必要はない”だって、笑っちまうよな」
あの不器用な父さんが俺を気遣った言葉であったからこそ余計におかしくて、悲しくて、どこかで期待されていなかったのだと気づいたその時、もう全部が嫌になった。
「いっそ死んでしまおうかとも考えた。だってそうだろ。世界のどんなダンサーよりも憧れた人に、夢を全否定されたんだから」
けれどもこうしているのは大吾さんが、あの時落ち込むどころか荒れに荒れた俺の話を聞いてくれたからだ。本当にいくら感謝してもしきれない。
「それで俺はダンスをやめたわけだ。元々勉強はできたからうちの高校の特待生にもなれた。どうせだからと肩身が狭いから家も出て、仕送りも全部拒否して自分で暮らしてる」
別にダンスが無ければ生きていけないということはないのだ。
事実、俺は今ではだいぶプライベートの時間にダンスのことを考えなくなった。
毎朝踊るのだってなんてことはない。身体の調子を整えるためにやっているだけだ。踊るためだけに作られた身体は踊らなければ軋む。
未練がないとは言えないのが情けないところではあるが、俺がダンスのことを考えているのなんてせいぜいその朝ぐらいだった。
まあ、最近はそうもいかないがメリハリはついているし、前ほど踊りに対しての執着はない。
ちょっと無理したのだって、自分の現時点での限界を把握していなかったからで……いや、可愛い女の子に囲まれたらそりゃあ気張るさ。
「ダンスをやめてよかったと思う?」
本当に今日はどうしたというのだろうか。ずいぶんとぐいぐい来るじゃないか。
「……よかったさ」
結局、俺がダンスにこだわっていたのはそれ以外知らなかったからなのだろう。
今は色々とやることも、やりたいこともある。
小説を読みたい。書きたい。音楽だってしたい。ギターを弾いていたい。歌を作ってみたい。ライブをしたい。仲間と打ち上げにだって行きたいし、それに……
「最近、283プロのアイドルがこの先どうなっていくのか。ちょっと興味が出てきたんだ」
「は? なにそれ。プロデューサーにでもなるつもり?」
「まあ、それも悪くないが違うな」
あはは、と笑うとちょっとムッとして樋口は言う。
「じゃあなに」
「一人のファンとしてお前とかノクチルの他のメンバーもそうだが、有栖川さんだとか白瀬さんたちがどうなるのか。楽しみなんだよ」
最初はノクチルにしか興味がなかった。というか、アイドルそのものにあんまり食指が働かなかった。
だが関わるうちに彼女たちの人柄だとかも知っていって、その上で曲も聞いて、“ああ、いいな”ってそんなことを思うようになったのだ。
「だから、俺はもう十分なんだ。雛奈さん風に言うなら幸せ〜って感じだな」
言って笑う。
我ながらヘタクソな物真似だ。
「なにそれ……馬鹿じゃないの……」
「だよな」
自分でもそう思う。
そう言おうとして、樋口の方を見て俺は固まった。
「ほんと、ばか」
口から飛び出す罵倒の言葉に反して、樋口は楽しそうに笑っていた。
長くなるので短く一区切り。
新人賞に向けて色々やってるので、投稿はだいぶ遅れるかと思いますが、頑張って完結はさせるのでよろしく。
拙作オリジナルは塩梅が気になる方がいれば、プロフィールから飛べるのでご随意に。