樋口と俺   作:ナルミユズル

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未来になれなかったあの日々に

「本日は社交DEアイドルに、ご来場いただきありがとうございます。本日のイベント内容につきましてはお手元のパンフレットをご確認いただくとともに、普段とは違うアイドルの方々のダンスをお楽しみいただくとともに……」

 

 いよいよ持って、イベントが始まる。

 関係者席に座り、主催者の開会の言葉を聞き流しながら、俺はさきほど起こった一連の出来事を思い返していた。

 親父と有紗が来ていたということは、母さんと弟もどこかに居るのだろう。きっと話は行っているだろうから、帰りは気をつけなくてはな。

 

「井藤くん、ぼーっとしてるけど、どうかしたか?」

 

 ぼんやりと考え事をしていると、プロデューサーさんが心配そうにこちらに声をかけてきた。

 

「いえ、別に。少し考え事をしていただけです」

「……そうか」

 

 プロデューサーさんは納得したようにそう言って姿勢を正したが、表情が少し硬い。どうも、この人は察しが良すぎるらしいな。

 

「あんま気にしなくていいですよ」

「そう言われても、な。ほら、君に無理を言って頼んだのは俺なんだし」

 

 それを言われると、弱い。だが、

 

「受けたのは俺ですから」

 

 そう言うと、プロデューサーさんは「ははっ、それもそうか」と笑ってこの話を終わらせた。これ以上の問答は意味がないことを悟ったのだろう。本当に、察しが良くて助かる。樋口と話す時とは違う。また妙な落ち着きがあるんだよな、この人。

 それから主催者の話が終わるまで、しばらくやはりぼんやりとしながら過ごし、一度主催が引いたタイミングで不意に声をかけられた。

 

「井藤智也くん……ですか……?」

 

 有紗の時とは違う恐る恐るといった声音だった。

 

「……はい?」

 

 一瞬、誰だかわからずにそう返事を返すとにわかに声をかけてきた人物の声色が高くなる。

 

「やっぱり! 私、覚えてる? 小中学生の頃、何度も一緒のコンペに出てたんだけど」

「……」

 

 知っていた。

 

「……ああ、覚えてる。真野だよな、真野陽子」

「よかった! 覚えててくれてるんだ!」

 

 目の前でニコリと人好きのする笑顔を浮かべる真野に、乾いた笑いを返す。

 

「井藤くんの知り合いか?」

 

 俺の様子がおかしいことに気がついたプロデューサーさんが、訝しむような声音で真野に訪ねる。しかし、真野はプロデューサーさんや俺の様子に全く気がつくことなく、続けた。

 

「はい! 私、社交ダンスやってるんですけど、智也くんとは何度も戦ったことがあるんです! 智也くん、本当にすごくて、私なんて全然勝てなかったんですよ!」

 

 ニコニコと嬉しそうにそう語る真野に反して、俺は表情を強張らせた。

 不味い。思っていたよりもずっと声が大きい。

 周囲からちらほらと、俺のことを探すような声が聞こえ始めている。

 

「小学生の頃にはもう10ダンスのベーシックなんか完璧に踊れてて、私、憧れだったんです! いつか、一緒に踊りたいなあって、そう思ってたんだよ?」

 

 そう俺に問いかけるように、純粋な言葉を向けてくる。そういえば、そんなことを言われたこともあったか。

 

「あはは……それはリーダー冥利に尽きるな。元、だけど」

「そう! 元って、どうしてダンスやめちゃったの? あんなにすごかったのに!」

「いや、どうしてって言われてもな……」

 

 俺はお前が思うよりすごくはないんだよ。

 

「ま、その話はいいだろ。そろそろ始まるし、席に戻ったらどうだ?」

「えー、もうちょっとだけお話しようよ。せっかく会えたんだよ? それに、智也くんもここに来てるってことは、社交ダンスに興味なくしたってわけじゃないんでしょ?」

 

 アホっぽく見えると思ったら、こいつ案外図星を突いて来やがる。無くせていたのなら、どれだけ良かったかと現在進行系で思っているところだよ。

 周囲の声が収まり、代わりにいくつかの視線がこちらへと向かってきている。

 

「っていうか、あれ? ここって関係者席だよね? もしかして……」

「ああ、それはね」

 

 何かを思いついたような様子だった真野に、プロデューサーさんが説明を始める。

 だが、その内容は「俺がプロデューサーさんの知り合いで、今日は縁があってたまたま誘っただけ」というようなものだ。

 

「なんだ、そうなんだ……」

 

 落胆したように、急に気落ちした声で真野は言う。

 

「でも、やっぱり気になるよ。どうして社交ダンスやめちゃったの?」

「君、それ以上は……」

「大丈夫です。プロデューサーさん」

 

 止めようとするプロデューサーさんを制するように、俺は声を出す。

 辞めた理由を話すぐらいどうってことない。

 

「俺には、ダンスの才能がなかったんだよ」

 

 そう告げると同時に、真野の瞳が揺れる。

 

「そ、そんな、だってやめたのってまだ中学生でしょ? 人生これからでしょ? 大学生からダンス始めてプロになる人だっているのに、どうして……」

 

 疑問を捲し立てる真野。

 ああ、そうだ。確かに、大学生から始めてプロになる人は普通にいる。

 

「ああ、お前の言ってることは正しいよ」

 

 けどな。

 

「俺はその器じゃなかった。まあ、形だけってなら出来なくもないだろうが、海外どころか日本でもトップに上がるのは無理だ。だから、辞めた」

 

 言い切ると、真野は瞳に涙を溜めて背を向けて行ってしまう。

 俺なんかのためにあんなに感情的になれるのだな、なんて他人事みたいに考えながら背もたれに体を預けた。

 

「よかったのか?」

「いいんですよ、昔は競うべき相手でも、今は他人ですから」

 

 そう言って笑うと、プロデューサーさんは苦笑する。

 

「なんていうか、君と円香はどうしてそう似てるんだろうね。やっぱりアイドルにならないか?」

「キャラ被りなので遠慮しておきます」

 

 いつかの冗談にそう返して、互いに笑う。これもまた話を落ち着けるための話題だったのだろうな、と思う。

 実際俺も、プロデューサーさんも本気で笑ってなんかいなかった。

 

 笑う表面とは別に心はどこまでも暗く暗く沈んで行く。

 ダンス、ダンス、ダンス。どこに行っても、ダンスが付き纏う。

 それはきっと、俺自身に問題があるのだろう。

 だが、やはり考えてしまうのだ。「もしも」ってやつを。

 

 我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。

 そんな一文がどこかの小説に書いてあったことを思い出す。その一文を読んだ時、俺はその本を破り捨て、投げ出し、どこか遠くへと走り出したくなった。

 何故か。

 それはたかだか小説に書かれてある一文に、己の苦悩の理由をずばり言い当てられたからに他ならない。

 ああ、全く恥ずかしいことに、俺は夢想していたのだ。

 ブラックプールダンスフェスティバル。

 世界でもっとも有名で、由緒ある社交ダンスの競技会。出場するという親父に一度だけ連れて行ってもらって、そこで踊る親父を、世界のトップダンサーたちを見て、憧れたのだ。

 

――いつか、俺もあの舞台に立ちたい。

 

 そこに参戦し、優勝する。そして、世界一のダンサーになるという愚かし夢を抱いた。

 ブラックプールは世界最高レベル選手が集う競技会だ。

 つまり、才能も努力も桁違いの化け物共が集うことになる。

 三笠宮杯で優勝するような選手が出ても、準決勝まで残れるかどうかという魔境を果たして、才能のない人間が優勝など出来るはずがあろうか。

 言い切らせてもらおう。無理だ。

 これ以上ないほどに最高のパートナーを最低の結果に導くようなクズが、いつまでも夢を見られるような世界ではない。

 人生これから? まだ中学生? ふざけるな。

 だってそうだろう? どうすればバランスもリズムも、心まで見透かして読めるほどに近づいた血を分けたパートナーを台無しに出来る。

 それでも諦めずに、違う誰かと組んで。ダメで。

 親父の言葉を聞いて、嫌ってほどに痛感したんだよ。

 

 自分の限界を……

 

 だから、辞めた。

 未練だとか後悔だとか、全部持ったままあり得べく「ない」夢想に沈む。

 どこまでも深く、やがて光さえ届かない底の底まで沈んで、そして消えるのではないか。

 

 だが、そんな中で何かを見逃している気がした。何か、大切なものを見逃して、忘れてしまっている気が……

 

 そんなことを思った時、音楽が鳴った。

 

『第一種目! チャチャチャ!』

 

 色々と、本当に色々と突っ込みたい事はあった。

 元々知っていたとはいえ、今回は新鮮さをウリに出しているようだったがそこを新しくてどうする、とか本当に色々と、だ。

 だが、始まってしまえば何のことはない。

 さきほどまでの暗い思考をかき消すほどの光が、そこにはあった。

 

『私を見なさい』

 

 目眩がするほどの強い意思が、伝わってくる。

 誰だ、と思って見渡すと丁度目の前を過ぎていく有栖川さんと目が合った。

 

『私を見なさいッ!』

 

 煌々と光る好奇心の熱に合わせて、ギラギラと燃え盛るように有栖川さんの瞳は輝いている。

 心の底から楽しむように踊っているのに、同時に誰にも視線を譲らないという強い気持ちが溢れんばかりに湧き出ている。そして、その熱がただでさえ魅力的な園田さんを更に鮮やかに映し出す。

 会場全体にも、彼女の熱は伝わっているだろう。

 元々踊ること自体はあったのだろうが、一月とちょっとでここまで、成長するのは想定外だ。

 

「ははっ、すげえ」

 

 思わずそう漏らすと、プロデューサーさんも同意するかのように静かに頷いた。

 辺りからも有栖川さんたちの話をする声がちらほらと聞こえてくる。

 中には「有栖川!」と応援する声も聞こえてくる。今回のイベントはゼッケンに番号の代わりとしてリーダーの名前が書かれているのだが、おそらく以前から彼女たちを応援していたファンなんかも、その声の中にいるのだろう。

 完全に競技会の空気だ。

 他のアイドルたちが下手くそなわけではない。フィガーの完成度で言えば俺が教えるよりもずっとプロの指導者に習った方がいいに決まっているのだ。

 それで、ここまで空気を支配してしまっているのは一概に有栖川さんと園田さんの努力があってこそだろう。現に、少しだけつけた無理ならやらなくていいと言ったアレンジですら、ミスもなく完璧にこなしている。それは何物にも代えがたい「輝き」だった。

 その輝きを見て、俺は少しだけざわつきを感じた。何か、大事なことを掴めそうなそんな感覚だ。

 そうして、会場の熱気が最大級に盛り上がったところで音楽は止まった。

 大歓声と指笛が飛び交う中で、一礼を終えた有栖川さんがこちらを見る。

 なんだろうか、とそう思い視線を外さず見ていると、パチリとウィンクをして、そのままボールルームを後にした。

 なんつー、置き土産をしていきやがるんだ、有栖川さん。

 

「井藤くん……?」

「あれは教えてないですよ」

 

 若干、威圧の入った声で俺の名前を呼ぶプロデューサーさんに冷や汗を垂らしながら、俺はそう言った。

 あれは完全にいたずらだと思う。

 

 

 ▽

 

 

 その後は白瀬さんと市川さんの出るジャイブ、そして浅倉と三峰さんの出るスタンダード種目のクイックステップを行い、一時休憩となった。

 二種目とも有栖川さんたちの時と変わらず、会場全体は常に熱気だってイベントは大いに盛り上がっている。

 白瀬組は最初こそどうなることかと思っていたが、二人共完全にペースを掴みきっていたし、浅倉組はもうなんか浅倉がその辺のイケメンよりもイケメンで、三峰さんが綺麗だったことしか記憶にない。

 いや、もちろんダンスも十分上手かったのだが、それはそれとして浅倉って燕尾似合い過ぎないか? 女性ファン、増えたんじゃなかろうか。

 けれども、そんなに素晴らしかったその二組を見ている間も、ずっと何かが心に引っかかっていた。

 さて、休憩の間は特に面倒なことも起こらず、何度かダンス雑誌の記者なんかが来たそうだが、幸いなことに俺はこっそり抜けてトイレに行っていたし、プロデューサーさんも軽い応答で済ませたそうでやはりなんてことはなかった。

 そして今、とうとう小宮さんと西城さんの溌剌とした、本当に楽しそうなサンバが終わり、最後の種目。

 

 樋口と福丸さんのタンゴが始まる。

 

 緊張している様子の福丸さん。だが、ホールドはしっかりと組めている。

 それに彼女も特に熱心に取り組んでいたうちの一人だ。その努力は、情熱は、きっとこの場において最も強い武器になる。

 

 会場中に走る緊張。

 誰もが呼吸を忘れるほんの刹那。その静寂を破るように、音楽が鳴った。

 

 そして会場に、情熱の花が舞う。

 誰よりも力強く、それでいて荒々しくはない静かな情熱が迸っていく。

 今、彼処で踊っている誰もが思っているだろう。

 

――呑まれる、と。

 

 それほどまでに彼女たちの雰囲気は濃密だ。

 ともすれば、さきほど有栖川さんたちよりもずっと。

 

「円香ァ!」

 

 隣から叫び声が聞こえた。

 他の組の時も、それぞれの名前を呼んでいたプロデューサーさんだったが、今度のは前までより少しだけ大きい。

 冷めたような雰囲気を出している割に、うちに秘めるものはきっと誰よりも大きい樋口。そして、おどおどしてはいるが芯の強い福丸さん。この二人はタンゴにバッチリと噛み合う。

 そんなことを考えているとふと、樋口がこちらに視線を向ける。

 

『……見てるの?』

『見てる』

『……あっそ』

 

 視線だけを交わらせる小さな会話の冷たい返事に苦笑する。

 彼女はもう俺を見ていなかった。

 だが、その瞬間樋口の雰囲気がさらに強さを増した。

 まるで、俺に何かを伝えんとするかのように。

 本当に、何から何まで生意気というか、なんというか。

 そう思った瞬間、ぐっと、樋口が力強く踏み出した。

 心にある引っかかりが、外れていくようなそんな気がした。

 

『御託をダラダラと並べて何やってるの』

 

 分かったようなことを言うな。

 

『並べてるでしょ、御宅』

 

 ……ぐうの音も出なかった。

 次は動きのキレが増した。

 

『井藤は結局、今、何が大切なの』

 

 わからない。が、少なくともダンスではない。

 一瞬、馬鹿を見るような目で彼女はこちらを見る。

 

『はあ……なら、そろそろ向き合って見たら?』

 

 ああ、分かったよ。でも、心の準備が……

 

『さっさとしたら?』

 

 甘やかしてはくれないのね。本当に樋口らしい。

 

「プロデューサーさん」

「ん? どうした?」

「俺、この仕事出来て良かったです」

「……そうか」

 

 俺は今まで、向き合うことから逃げてきた。

 親父にしろ有紗にしろダンスにしろ、さっきの真野にしてもそうだ。

 逃げたツケは必ず何処かに回ってくる。そして、きっと今がその時だったのだろう。

 そして、タンゴが終わる。

 

「プロデューサーさん、ちょっと行ってきますね」

 

 礼が終わるのと同時に席を立つ。

 

「行って来い」

「休憩終わるまでには戻ってくるんで」

「おう」

 

 会場を少し歩いて、人を探す。

 一人目はそれほど苦労せずに見つけ出す事ができた。

 

「真野」

「……井藤くん」

 

 名前を呼ぶと、驚いた様子で彼女はこちらを見る。

 

「さっきのこと、ちゃんと話をさせてくれ」

 

 そう言うと、真野は黙って頷いた。

 

「……正直に言う。俺は競技ダンスが好きだ」

「じ、じゃあ、やっぱり!」

 

 期待いっぱいにこちらを見る真野。その顔に少しだけ悪いな、と思う。

 

「けど、同じぐらい競技ダンスが嫌いだ」

「え……」

「だから、もう俺は競技ダンスは踊らない。競技ダンスに、金輪際関わることはない」

 

 結局はそういうことだ。

 俺はもう踊らない。では、何故踊らないのか。

 

「……どうして?」

「どうして、か……」

 

 そう言われて少し考える。親父に言われたから? 才能がない? そうじゃない。確かに始まりはそうだった。だが、今はもう違うだろ。

 いつまで悲劇のヒーローを気取るつもりだ。

 シャッキリしろ。

 

「俺にはもう必要がないから、だ」

 

 その言葉は驚く程、すんなりと出た。

 そうだ、俺にもうダンスが必要じゃないんだ。いや、もうダンスだけではない、と言った方がいいのだろう。

 生まれてからずっとその世界ばかりを見てきた。その輝きに照らされて、憧れて、夢を見た。

 ずっとダンスが中心で、いつしかそれが唯一、俺がこの世界に生きる理由になっていた。

 

「俺にはもう、他に誰かと繋がるための方法があるからな」

 

 それはダンスを辞めなければ得られなかったことだ。

 部活、勉強、小説、音楽。世界にはこんなにも色々なものが溢れていて、それら一つ一つが人と人を繋いでくれる。

 ああ、もしかしたら親父が言いたかったのはそういうことだったのかもしれないな。

 

「そして、俺はダンスに戻ったらまたその方法を忘れてしまうんだと思う」

 

 一月の間、俺は樋口たちにダンスを教えたわけだが、周りのものが見えなくなるほどにのめり込んで、そのためなら他の大事なものも無駄だと全て投げ捨ててしまう。

 それでは良いダンスが踊れるわけもない。部室で多少踊る事はあったとはいえ、一年距離を置いてもこの有様だ。染み付いた癖はそう簡単に治ることはない。

 なまじ治ったとして、きっとダンスの世界に戻ったら再発する。そういう類の歪なものだ。

 

「それに俺はこの大切なものを忘れたくないんだよ」

 

 だから、もう俺は踊らない。

 

「……そっか。納得した。ううん、やっぱりちょっと不満だけど納得することにした」

「……すまん」

 

 それじゃあ、と言って俺は真野に別れを告げる。

 それからまたしばらく歩いて深呼吸を一つして、気合を入れる。

 今を逃せば次はない。もしかしたら、二度と会うこともなくこの先を行ってしまうだろう。

 幸いなことに、あの人達は関係者席の密集しているところを探せば見つかるはずだ。有名人だからな、一応。

 

「……あれだな」

 

 小さくつぶやいて、標的に狙いを定める。

 こういうのは勢いが大事だ。猛突進するような心持ちで、集団に突っ込んでいく。

 声をかけようとしている人たちを押しのけて、俺はそこに立つ。

 

「と、智也?」

 

 最初に声を上げたのは有紗だった。

 

「よお」

 

 周囲がざわつくのが聞こえる。ちょっとばかり鬱陶しいが社交ダンス一家の辞めた方の息子として、俺も俺で有名だからな。諦める。

 

「少し、話がある」

「今更、兄貴がなんの……」

「うっせえ、祐介。お前に話してねえ」

 

 何か言おうとする弟、祐介を睨めつけると、それだけで黙ってくれる。昔から扱いやすいところが変わってなくて安心するよ。

 

「……少し、待ってくれ」

「ああ」

 

 親父は俺が頷くのを見届けると、集まっていた人たちに何やら話し始めた。引き取り始めたのを見るに、親子の話だからと説明してくれたのだろう。俺もそれを見届けて、空いている椅子に腰を下ろした。

 

「急に悪いな」

「いや、大丈夫だ。それより、話というのは……」

 

 その言葉に、一呼吸置いて俺は話し始める。

 

「タンゴ、見てたか?」

「もちろん、見てたけど……」

「あの樋口って組とその事務所のアイドルにダンスを教えたの、俺だ」

 

 言うと、弟だけぽかんとした顔をして両親と有紗はやっぱりかと言ったような表情をする。

 

「は、え? 兄貴がノクチルにダンス教えたの?」

「そうだって言ってんだろ」

「し、資格は?」

「十六になる前にやめてるんだからあるわけ無いだろ。祐介、馬鹿かお前」

 

 冷たく返してやると、祐介はしょぼくれた表情を作った。昔からいじり甲斐もあって可愛がってこそいたが、申し訳ないが今はうざいだけだ。ちょっと黙っててくれな。

 

「それで、それは分かったけど話ってそのこと?」

 

 母さんがそう問いかけてくる。

 

「もちろん違う。というか、本題はここからだ」

 

 もう一度、深呼吸をした。

 心を落ち着けるために、ちゃんと言葉を紡ぐために。

 

「これが俺の最後のダンスだ。もう踊らないよ」

 

 そうはっきりと言い切ると、母さんと親父は納得したような顔をする。しかし、有紗は納得がいかないのか勢いよく立ち上がる。

 

「なんでよ! あんなにちゃんとダンスを教えられるんだったら智也だって!」

「……有紗、座りなさい」

「だって!」

「有紗」

「ッ……!」

 

 立ち上がって、今にも俺に掴みかかりそうだった有紗は母さんに嗜められて、不満さを隠そうともせず座り直した。

 

「まず大前提として、俺は競技ダンスが好きだし嫌いだ」

 

 だが、それもやはり大事な話じゃない。

 さっき、真野と話してそれは分かった。そして、あそこで気づけたことがもう一つある。

 

「親父、あんたの言った言葉の意味がさっきようやく分かったんだ」

「……そうか」

 

 ずっと、俺は言葉の本質を見抜けていなかった。いや、こればっかりは親父が言葉足らずなのも悪いとは思うのだが、ただ、それでもあの時の俺は本当に周りが見えていなかったらしい。

 大吾さんはそれが分かっていて、俺のことを見ていてくれたのだと、今なら分かる。

 同時に樋口は最初から気づいていたんじゃないか、とも思った。あいつ、言葉の裏を読むの得意そうだし。

 

「ダンスに縛られてた俺に、もっと周りを見ろって言いたかったんだよな。あれ」

「……」

 

 それが「無理してプロを目指さなくてもいい」という言葉になったのだろう。

 多分、それはダンスを続けた上での話だったのだろうけど。

 

「ダンスから離れて、一人で暮らして、俺は色々なことを学べたと思う」

 

 必要なことも、必要ないことも、本当に色々と。

 

「きっと、あの頃の俺じゃわからなかった」

 

 そして、俺一人でもわからなかった。

 

「そのうえで、俺はダンスを辞める」

 

 それが一番尊敬していた人の思いを裏切ることであったとしても。

 

「わかった」

「お父さん!」

 

 また有紗が叫ぶ。

 

「有紗、聞いてくれ」

「いや! 聞きたくないから! 辞めるなんて言わないでよ!」

 

 駄々を捏ねるように、いやいやと首を振る有紗に俺は笑いかける。

 言わなければならない言葉がある。例え、それが彼女にとってどれだけ残酷な言葉だったとしても。

 

「お前は最高のパートナーだよ」

 

 俺は一度たりとも彼女にその言葉を伝えたことがなかったのだから。

 

「ずるい! ずるいずるいずるい! 智也は、いつもそうやって自分だけ……ッ!」

「すまん」

「許さない!」

「それでも、すまん」

 

 我儘な姉だ。これじゃあ、昔誰かに言われた年逆じゃないの? って言葉が真実味を帯びてきてしまう。けど、今ばかりは仕方がない。

 彼女を待たせてしまったのは俺だ。「きっといつかは」なんて、そんなことを思わせてしまったのは他ならぬ俺なのだ。

 言うべきことは言った。あとはもう、時間に任せるしかないだろう。

 

「それじゃあな、後、連絡先はどうしても知りたいなら大吾先生にでも聞いてくれ。きっと教えてくれるから」

 

 そう言って椅子から立ち上がると、それまで黙ってくれていた祐介が口を開いた。

 

「兄貴、帰ってこないの? 一人暮らし、大変だろ?」

 

 俺はそれに笑って返してやる。

 

「知ってるか、祐介。全部自分でやるってのは大変だけど楽しいんだぜ」

 

 それだけ言って、俺は今度こそ家族に背を向けた。

 これは決別だ。未来になれなかったあの日々と、夢たちと、全部投げ出して逃げ出した己との決別。

 これは決別ではない。また会える。そう遠くないうちに。

 家族なのだから。

 

 

 

 ▽

 

「戻りました」

 

 283プロの関係者席に戻って、プロデューサーさんにそう声をかけると彼は軽く手を振って返事をする。

 

「お帰り。その、なんだ、お疲れ」

「ありがとうございます。めっちゃ疲れました」

 

 ぐでーとテーブルに体を伸ばす俺の様子にプロデューサーさんは苦笑を零す。申し訳ない。品がないのは百も承知だが、あと十秒ぐらいは許してほしい。

 

「まあ、何はともあれスッキリしたんじゃないか?」

「はい、だいぶスッキリしましたよ。ただ、まさか樋口に気付かされるとは思いませんでしたけど」

「はっはっはー、うちのアイドルはすごいだろ」

「まったくですね。敵う気がしません」

 

 本当に心の奥底まで見透かされたような気分だった。あいつに嘘は吐けなさそうだ。

 今思えばあの「勝つから」ってのも、誰に対して言ってたんだろうなって感じである。

 

「ま、今からもっとすごいところが観れるからもうちょっと頑張れ」

「はい」

 

 返事をして、体を持ち上げる。

 記念すべき、このイベント恐らく多くの人にとっての大本命アイドルライブ。その一番手は、ノクチルだ。

 簡単な自己紹介も今回はない。参加してるユニットの数が数だけに、時間も考えたら一曲歌って、捌けてと言った感じになるだろう。

 だからこそ、ただの一音たりとも聴き逃がせない。

 

 ライブが始まる。

 

『遠く鮮やかに――』

 

 四人にスポットライトが当たる。

 いつもなら四人全員を俯瞰して見るのだが、どうしてか今日はたった一人を目で追っていた。

 不思議と鼓動が早くなる。今まで彼女たちを、いや、彼女を見て、こんなにも心躍ったことはあるだろうか。

 

 恐らく今夜は眠れないだろう。

 

 なんとなく、そんな気がした。




社交ダンスパート【完】
脚注の入れ方が分からないので、ここで書かせていただきます。
※資格:社交ダンスの講師ライセンスのこと。種類がこれまた豊富なのだが今回扱っているのは、JDACの認定ライセンス。一番初めに取らなくてはならないライセンスは講習で取ることが出来るのだが、取得条件が16歳以上である。

駆け足気味になった感は否めないのですが、ダラダラ続けるとマジでダレるので、一段落です(あとで直すかもじゃ)。
まだまだ阿呆の息抜き小説はぼちぼち更新されるんじゃよ。


あとたまにエゴサしてます。みんな、感想ありがとうね。

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