『四国最強』とも呼ばれた初代勇者『乃木若葉』。
そんな彼女が、『勇者』であることから逃げ出した話。

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乃木若葉は逃げ出した

 乃木若葉は勇者と呼ばれることから逃げ出したことがある──と言ったら、あなたは信じるか? きっと信じないだろう。私は一部では四国最強と呼ばれるほどに強い勇者と呼ばれる存在だったから。誰もが『勇者』に希望を見出していたあの時代を知る者ならなおさらだろう。

 

 そんな時代に、私は自分によく似た女性──『わかば』と出会った。

 

 

 

 

 強い雨が降り注ぐ夜。夜を照らす明かりも消え、闇に包まれた街を私は歩いていた。

 

「……これからどこへ行こうか」

 

 ポツリ、と呟いた言葉に答える人はいない。いつもなら傍にいるひなたが何か答えてくれるのだが、今は私一人だった。住んでいた丸亀城を一人、抜け出してきたのだから。

 

 

 今日もいつものように空から降り注ぐ化け物、バーテックスとの戦いがあった。

 

 いつものようにバーテックスと戦い、

 いつものように多勢に無勢の戦況で傷付き、

 いつものようにひなたが傷を治療してくれた。

 

 そして、いつものようにひなたは私の傷を見て泣いていた。

 

 見慣れてしまった光景を見た時、今日の私は急に虚しくなった。

 

 こんな終わりの見えない戦いが一体いつまで続くのだろうか? 

 バーテックスは日に日に強くなっているが、私は勝ち続けることが出来るのだろうか? 

 

 我ながら精神的には強い方だと自負していたが、考え始めるとどつぼにハマったかのようにどんどんネガティブな思考が止まらなかった。先に逝ってしまった仲間──歌野さん、球子、杏、そして千景──のためにも四国を守るために戦わなければならないことは自分でもよくわかっている。わかっているけれど。

 

 これ以上戦って何になるんだ? 

 

 自分でも考えられないほどに私は弱り、とどめを刺したのは見舞いに来た人々の放った言葉だった。彼等は異口同音にこう言ったのだ。

 

「これからも頑張ってください、『勇者様』」

 

 と。その言葉が今の私にとってはとても重かった。

 

 世界中がバーテックスで埋め尽くされ、そんな状況から四国を守るのが精一杯で、仲間を守ることすらできなかったというのに、まだ私は頑張らなければならないのか。

 

 不意に涙がこぼれた。もう限界だった。

 

「……すまない、ひなた」

 

 ここにはいないひなたに謝りながら、私は丸亀城から──『勇者であること』から逃げ出した。

 

 

 

 勇者になるためのスマホを置いて、ただの人間『乃木若葉』として逃げ出した。大社はまだ私が逃げ出したことに気づいていないけれど、恐らく夜が明ける頃には気が付く。それに、私の顔は勇者として世間一般に知れ渡っている。逃げ出したところで、結局行き先なんてどこにもない。

 

 それでも構わなかった。どこかへ、どこかへ。今はただ逃げたかったのだ。こぼれる涙が溶ける冷たい雨が今の私には心地よかった。

 

 勇者として鍛え上げたこの体は私の赴くままに行きたい場所へと連れて行ってくれた。遠くへ、遠くへ。丸亀城から遠く離れた知らない街へと容易に運んでくれた。どれだけ歩いても痛まない足をこれほどありがたく感じたことはない。ただ──あくまでそれは体の話。

 

「あっ」

 

 気力の方が先に底をつき、ふらついた私はそのまま道の真ん中で倒れ込んだ。体の方はまだ逃げられると訴えていたが、もう逃げる気にはなれなかった。せめて人目に付かないところで夜を明かそう。何とか立ち上がり、私は見知らぬ街の路地裏で座り込んだ。

 

 目を閉じると、瞬く間に意識が眠りへと誘われた。

 

 

 

 翌日、目覚めた私は知らない部屋にいた。寝起きでぼんやりとした思考でもここが病室である、という事は見て取れた。大方私を見つけた市民が通報して病院に担ぎ込まれたのだろう。

 やはり私は『勇者』からは逃げられないのだろう。自嘲気味に笑っていると、ちょうど部屋に看護婦が入ってきた。目を覚ました私を見ると、彼女は優しい笑みを浮かべて問いかけてきた。

 

「──―?」

 

「……えっ?」

 

 相手が何を言っているのかはちゃんと聞こえたが、その言葉は日本語ではなかった。恐らくは中国や韓国のあたりの言葉。そのあたりの知識が薄い私は何を言われているのか理解できなかった。

 看護婦もそれが分かったのだろう。ここで待っていろ、というジェスチャーをすると誰かを呼びに行った。しばらくすると医者らしき男性とくたびれたコートを身に纏ったくすんだ金髪の女性が部屋にやってきた。彼女を見た私は驚いた。

 

「……わた、し?」

 

「あなたによく似ているとは言われるよ」

 

 その人は私によく顔が似ていた。ただ、声は相手の方が低かったし、背も少し高かった。私が年を取って大人になったら彼女の様になるのだろう、と思えるほどに似ていた。女性はうんざりしたように言い放つと、先ほどの看護師と似たような言葉を医者が女性に話していた。

 それを聞いた女性も同じような言葉で返し、私に向き直る。

 

「彼はこの病院の医者だ。私は彼の通訳代わりとして立ち会っている。今からいくつか体の状態を聞くから正直に答えてほしい。いいね?」

 

「は、はい」

 

 医者の質問を女性が翻訳し、私が答える。戸惑いながらもそれを何度か繰り返すと医者は私を「ただの疲労だろう」と診断した。

 

「後で滋養強壮の薬を手配しておくからちゃんと飲むようにとのことだ。ああ、そうだ──」

 

 女性は医者に私にはわからない言葉で話しかけ、それを聞いた医者は頷いて部屋から出て行った。

 

「しばらく席を外すように彼には言った。色々と聞きたいことがあるんだろう、乃木若葉さん?」

 

「……私のことを知っていたんですね」

 

「連日テレビや新聞で報道されていたら知っているさ。それに私は一応こういう者なんでね。勇者についても多少は聞いているのさ」

 

 そういって彼女はコートのポケットからこげ茶色の物体を取り出した。それは警察手帳で彼女の写真と階級、そして名前が記されていた。

 

「『成宮わかば』。生活安全課の刑事をしている者だ。あなたにたまたま見た目が似ている上に名前まで一緒という事でしょっちゅうからかわれるから結構私としては困っているよ」

 

「え、えっと……ご迷惑をお掛けします」

 

「敬語」

 

「えっ?」

 

「別に謝らなくていいし、敬語は使わなくていい。聞いていて喋り慣れてない、向いてないってことがよくわかる。そんな喋り方だとお互いに話しにくいだろう」

 

「は、はぁ……わかりまし、わかった。わかばさん、ここはどこなんだ? どうも普通の病院じゃないみたいだが」

 

 ジト目で見られて言い直す。相手は納得したように頷くと会話を続けた。

 

「ここは外人町にある韓国系の病院だ。日本語ができるスタッフはほとんどいないが腕は確かだ。朝のパトロール中に街の路地で倒れているあなたを見つけてここに運び込んだんだ」

 

「外人町……?」

 

「知らないのか? 勇者だからてっきりと知っているものかと思ったが……いや、勇者だからか。ここは二年前のバーテックス襲来時に香川に逃げ込んできた外国人たちが住んでいる街だ。外国人一時避難所とか初期は呼ばれていたが今はすっかり外人町と呼ばれているよ」

 

「……そんな街があったのか。大社からは何も聞いてないぞ」

 

「だろうな。ここに住む人々は皆勇者のことをあまり良く思っていなかったんだよ。生まれ故郷の国を守ることが出来ず、四国を守っているだけの勇者に対して暗い感情を持った人々がこの町には多かった。そんな町があることを勇者に伝える意味なんてどこにもないさ」

 

「──っ」

 

 わかばさんのその言葉は、私を攻めているかのように聞こえ、「当然じゃないか」と納得しつつもあった。言葉でいくら誤魔化したとしても私のことを嫌う人々はいるはずだ、と心のどこかで思っていたから。千景が住んでいた村の人々の様に。

 

「今度は私からの質問だ。勇者様がどうしてこの外人町にいるんだ?」

 

「それ、は……」

 

「言いたくない、か」

 

 こくり、と頷いた。素直に「逃げ出してきた」と言い出す勇気がなかったから。だけど、彼女はそれすらも見透かしていた。

 

「大体勇者の責務に耐え切れずに逃げ出してきた、と言ったところか?」

 

「あ……」

 

「どうしてわかるのか、と聞きたそうだな。外人町には今のあなたみたいに複雑な事情を抱えていた人々が何人もいて、彼等の心のケアも私はしてきたんだ。彼等と似ているからカマをかけてみたが図星だったか。まあ、当然だろうな。子供に勇者なんて務まるわけがないだろうに」

 

 硬い表情で放たれたその言葉にはとげとげしさがあった。

 

「……あの、わかばさんも私のことをよく思ってないんですか」

 

「当たり前だろう。人々がいくら称賛したところで所詮は子供じゃないか。実際に会って見て確信したよ。こんな小さな子供に勇者なんて大役を任せていたら心がいずれ壊れるよ」

 

 心が壊れる。その言葉に仲間の姿がちらつく。

 

「心当たりもあるみたいだな。まあいい。あなたの事は大社から捜索命令が出ているが通報していないし、町の人々にも私を尋ねてやってきた中国系の子供という事で話しているから問題はない。あなたが好きなだけこの町にいるといいさ、乃木若葉さん」

 

「通報していないのか?」

 

「あなたみたいな少女を捕まえて連中に差し出すほど私は鬼じゃない。この外人町は有事という事で戸籍もちゃんとしていない人間も山ほどなだれ込んだからあなた一人が紛れ込んだところで気づかれないさ。私のアパートで良ければ住む場所も貸してやる。

 もちろん、大社のところへ帰りたいのなら手配はしてやるが……どうするかはあなた次第だ」

 

「……一つだけ、聞かせてくれないか。どうして私にそこまでしてくれるんだ?」

 

「何かと思えばそんなことか。私は警察だ、と言っただろう」

 

 警察が困っている人を助けるのは当然じゃないか。

 

 当たり前の様に、わかばさんはそう言ったのだ。

 

 

 

 それから一週間が過ぎた。私はわかばさんの言葉に甘えて彼女のアパートに住ませてもらっていた。アパートは外人町の中にあり、そこに住んでいると外人たちと接する機会が非常に多かった。

 

「また遊ぼうねー、大橋お姉ちゃん」

 

「ああ、またな」

 

 一緒に遊んでいた子供たちと笑顔で別れた。今の私は『大橋さん』と偽名を名乗っている。なぜかこの名前がしっくりくるのが不思議だ。

 

「こんにちは、大橋さん。今日も一日お疲れさんだね」

 

「見ていたんですか、キムさん」

 

 広場の隅の方からエプロン姿のおばちゃん──キムさんがやってきた。わかばさんの部屋の隣に住んでいる中国人で、外人町でも日本語が非常に上手い人。彼女の指導で私も拙いが外人町の人々と簡単な会話をかわせるようになってきた。

 

「今日も朝から子供たちと遊んでたんだね。あいつらは元気有り余ってるからなぁ……大変だったでしょう?」

 

「はい。子供たちとサッカーしていたんですが、皆私より年下なのに凄く上手でついつい本気で遊んでしまいます」

 

 逃げ出してきた形とはいえこの町にお世話になっている以上、私も何か手伝いたかった。そんな私にわかばさんは町の子供たちを紹介してくれた。

 この町には親を亡くした子供も少なからずいる。そいつらと遊んでやってくれないか、と頼まれたのだ。子供と遊ぶというのはあまり経験はなかったが、今ではだいぶ親しくなれたと思う。

 

「ふふっ、そうかそうか。ここに来た頃と比べると大分明るくなったねぇ」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうさそうさ。子供はいつだって笑顔が一番さね! ……ところで、また寝癖そのままなのかい?」

 

「うっ……その、自分では直したことがないもので……」

 

「前の場所では勇者様に似ているから酷い目に遭った、と聞いたけどそんな簡単な身だしなみにすら気を使う余裕すらなかったんだねぇ……」

 

 カバーストーリーに悲しんでいるキムさんだが、ごめんなさい、それは元々からです。いつもはひなたが髪型のセットなりなんなりをしてくれくれたから自分でやってなかっただけです。ここにいるうちに少しくらいはできるようにならなければ……

 

「ところでわかばさんがどこに行ったのか知りませんか? 最近仕事が忙しいから、と言って家に帰ってくるのも遅くて心配なんです」

 

「わかばちゃんはこの町中の人々の面倒を見てるからね。そのために毎日町中を駆けまわっているからなぁ……ごめんね、ちょっと思い当たらないや」

 

「……そうですか」

 

「あ、でも最近のわかばちゃんは夕方に『ジャスティス』ってバーに顔出してるって聞いたよ。もうちょいしたらいい時間だし行ってみたらどうだい?」

 

「なるほど。ありがとうございます」

 

 キムさんは「またうちの食堂にご飯食べに来てね」と言って町の喧騒へと消えて行った。

 たった一週間しかこの町にはいないのに、なんだか昔からこの町に住んでいる気がしてきた。それほどに暖かい街だというのに、勇者に対していい感情を持つ人がいないという。それについてわかばさんに聞きたかったが、すれ違いを起こすことが多い。今日こそは事情を聞いてみたかった。

 

 ジャスティスというバーは外人町でも表通りにある方で、一般人の目につきやすい。もらった紺色のパーカーを深くかぶって顔を隠すようにして目的地へと向かう。

 

「──ふざけないでください!」

 

 その途中、路地裏の方から男の怒鳴り声が聞こえた。気になって様子を覗いてみると……

 

「やれやれ……人の話を聞かないな、あなたたちは」

 

「わかばさん……!?」

 

 三人の男たちにわかばさんが囲まれていた。男たちの服には見覚えがある。大社職員指定の制服だ。なぜわかばさんが大社の職員に囲まれているんだ? わかばさんは私を見つけると「隠れていろ」と視線で指示してきた。指示に従って物陰から様子を見る。

 

「成宮わかば、あなたが若葉様をかくまっていることはもうバレています。大人しく差し出せはおとがめなしにしましょう。抵抗せずにどこにいるのか教えてもらいたい」

 

「確かにうちには乃木若葉にそっくりな女の子がいるが、彼女は別人だ。誰に聞いても同じように答えるさ。私は乃木若葉なんて勇者がどこにいるかは知らないよ」

 

「例え別人だったとしても構いません」

 

「……なぜだ?」

 

「本物の乃木若葉様がいない以上、このままでは人々に不安を与えてしまいます」

 

 人々に不安を与えてしまう。その言葉に心が痛くなる。曲がりなりにも私は『勇者』として人々に希望を与えていた存在。そんな私が逃げ出してしまった以上、いずれ人々に不安が広がることはわかっていた。わかっていたけれど、考えないようにしていた。

 

「偽物でも乃木若葉という勇者がいるという事実こそが大切なのです。彼女が別人だったとしても構わない。偽物の『勇者』として人々に希望を与える存在になっていただきたいのです」

 

「尚更差し出す気にはなれないんだが。あの子は乃木若葉扱いされることに傷ついてこの町に流れ着いてきた少女だぞ。そんな彼女に勇者『乃木若葉』になれ、と?貴様ら、外道か」

 

「外道でも構いません。世界を救うためなのです」

 

「話にならんな。子供を犠牲にして掴みとった平和なんてろくな味がしないぞ」

 

 うんざりとした様子でわかばさんは立ち去ろうとした。そんな彼女を大社職員は引き留める。

 

「話にはならないのならそれでも構いません。力ずくで場所を聞きだします。ああ、その許可は上の方からも下りていますので……ご覚悟を」

 

 三者三様に大社職員は構える。その姿から熟練者であることは見て取れた。このままでは不味い。飛び出ようとした私を止めるかのように若葉さんはため息を吐きながら首を横に振った。

 

「そこまで言うのなら、相手してやろう。ただ、一つ言っておくとしよう。私はお前たちのようなクズが大っ嫌いだが――お前たちの様に人をぶん殴る趣味は持ち合わせていないんでね」

 

「……この状況で我々を舐めているのですか?」

 

「もちろん。ああ、こちらからは手出しはしないのでお好きにどうぞ?」

 

「本当にふざけるのが好きなお方だ……お前ら、やれぇ!!」

 

 男たちの一人が若葉さんに襲い掛かる。振りかぶった拳に片手を添えて軌道をそらし、わかばさんはあっさりとかわす。鋭い蹴りも勢いをいなしつつ受け止め、そのまま相手を軽く投げた。

 

「どうしたそんなものか?情けない」

 

「ッ――!!」

 

 挑発をいり交えながらわかばさんは踊るように、流れるように攻撃をかわしていく。腹を抱えながら笑うそぶりを見せたかと思えば、そのまま後ろからのパンチを背負い投げで応戦したりととことん相手を馬鹿にしていた。

 

「そんな実力でここに来たのか……大社はたいしゃたことないな!なんてな」

 

 そのギャグは面白くないです。それでも相手を怒らせるのには十分で、最初の頃と比べると技のキレはすっかり落ちていた。もう彼らにわかばさんを倒すことは不可能だろう。

 

「っ……こいつめ……!!」

 

「やめておけ、今のお前らが何を言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえんよ。ハンスさん!」

 

 不意にわかばさんは上を向いて叫ぶ。その方向を見ると、黒人の男性がわかばさんに向かってサムズアップして英語で語りかけていた。流暢な英語だったが、「準備完了だ」といったことを言っているのはわかった。

 

「実はお前たちが言っていた言葉の一部始終と襲い掛かってきた場面を彼が録画していたんだ」

 

「なっ!? い、いつの間に!?」

 

「お前たちがこの外人町に入ってきた瞬間からずっと町の人々に監視されていたのに気づかなかったのか?この町の人々は大社のことを好ましく思っていないからな。何かしないように監視したり動画を撮ったりしているのさ……さて、ここで一つ交渉しようか?

 このまま私が彼に許可を出せば動画はネットにアップロードされる。どうせ大社がすぐに削除指示をするだろうが……勇者への批判消しにすら手が回らないお前たちのことだ。すぐに四国中に乃木若葉が行方不明であることとそれをごまかそうとしていることが知れ渡るだろうよ」

 

「くっ……何が望みだ?」

 

「外人町に二度と手出しするな。私は寛大だからな。その程度で許してやるさ」

 

「……わかった。行くぞ」

 

 三人の職員は渋々と指示に従ってここから去って行った。それを見届けると、私はわかばさんに駆け寄った。

 

「大丈夫か、わかばさん!」

 

「あの程度大したことないさ。これでも結構喧嘩の場数を踏んでるんでね……格闘術をいくら磨いたところで実戦経験者にはかなわんよ。あ、タバコ吸ってもいいか?」

 

「……またですか?タバコは健康に悪いと言ったじゃないですか」

 

「それでもやめられない大人の魅力があるのさ。まだあなたにはわかるまい」

 

 にいっ、と笑ってコートからライターとタバコを取り出して吸おうとするが、どうやらライターのオイルが尽きているようで上手く火が付けられていなかった。

 仕方ないな。持っていたマッチを使って火をつけて差し出す。

 

「おっ、すまないな……フゥー。いったいどこでマッチなんて手に入れたんだ?」

 

「食堂の出前で雀荘にラーメンを届けに行ったときに店のおじさんからもらいました」

 

「なるほど。すっかり街に溶け込んでいるようだな」

 

「おかげさまで……あの、わかばさん。最近帰るのが遅かったのはもしかして……」

 

「今日みたいに大社の馬鹿どもがよく町に尋ねに来るからだよ。そいつらの処理してたら帰るのが遅くならざるを得ないんだ」

 

 うんざりしたように放ったその言葉を聞いて、思わずうつむいてしまう。

 

「……私はこの町にいない方がいいんじゃないのか」

 

「気にするな。私にとってあれくらいなれたものさ」

 

「あなたが気にしなくても私は気にするんだ。あなたはどうしてそこまでして私を守ってくれるんだ? 警察は困っている人を助けるのは当然だ、といったが本当にそれだけなのか?」

 

「さぁてねぇ。ま、そろそろ話してもいい頃だろうな。よし、乃木若葉――」

 

 ひとっ風呂付き合え。

 

「……はい?」

 

 

 

 

 外人町内にある温泉施設。そこの家族風呂で私はわかばさんと一緒に風呂に入ることになった。その時、初めてお互いの裸を目にすることになったのだが……

 

「驚いた。勇者だというから体は傷だらけだと思ったんだが意外と綺麗なんだな」

 

「精霊、という神樹様から与えられた力のような物のおかげで治癒力が常人以上なんです。それに驚いたのはこちらもです。あなたは……そんな体でよく生きていられますね」

 

 わかばさんの体は信じられないほどに傷跡で埋め尽くされていた。殴られた痣、切り傷、火傷、等々。体中が様々な傷が体の至る所にあった。彼女が「他人には余り裸を見せたくない」と言って家族風呂を選んだ理由がよく分かった。

 

「くたばるわけにはいかない理由があったからな。その理由を話すためにここに連れてきたんだ。実はこの傷は全部な――外人町の連中が私に刻んだんだ」

 

 その言葉を信じられずあっけにとられた。優しくて誰もがわかばさんのことを頼りにしていた外人町の人々が、彼女を痛めつけたというのか?

 

「私は乃木若葉によく似ていたからな。私を痛めつければ外人町の人々の勇者に対する怒りが少しは晴れたのさ。キムさんもそうだし、あの子供たちも私を殴ったよ」

 

「なんでそんなことを許したんですか!?」

 

「そうすることを人々が望んだから――としか言えないな。警察の上の連中もわかっていて私を外人町に配属させたのさ。スケープゴート、生贄というやつだったんだよ、私は。人間がたった一人犠牲になって人々が笑顔になるのならそれは幸せなことなのだと思わないか?」

 

 笑みを浮かべながら言ったわかばさんの言葉を、私は否定した。

 

「思えません。第一、本当にあなたがそれが正しいと思っているなら、あなたは大社に通報して私を差し出したはずだ。たった一人の人間――『勇者』を犠牲にして人々を救わせるはずだ」

 

「ふっ、あなたの言う通りだよ。こう言ったが、当時の私も犠牲にすることは間違っていると思ったよ。それに、外人町の人々も好き好んでやっていたわけではない。どうしても行き場がない感情をぶつける場所が欲しくて困っていた結果ああなっただけだったんだ。

 だから、私は外人町の人々に手を差し伸べた。『困っている人を助ける』のは私の警察官としての信条だったから。傷つきながらも、必死に彼らの言葉を勉強し、彼らの思いを知るように努力して……いつの頃からか彼らは私を痛めつけることがなくなったよ。

 長い時間がかかったが、私は彼らに寄り添って共に歩めるようになれたんだ」

 

「……それが今の外人町の人々なんですか」

 

「ああ。今の外人町はとても居心地がいい。ただ、外国人は時の流れと共にどんどん減っていき、外人町はいつか消えてなくなるだろうな。それでも私にとっては大切な場所だよ」

 

 どこか遠いところを見つめながら、わかばさんは小さく優しい笑みを浮かべた。

 

「さて、ここで一つ謝っておくとしよう。実は私は一つ嘘をついていた。実はこの町で倒れていたあなたを最初に見つけたのは私じゃないんだ。キムさんなんだよ」

 

「えっ……!?」

 

「あなたが乃木若葉だという事も彼女は気づいていた。そして、キムさんが見つけたことがきっかけで「『勇者』乃木若葉が町に流れ着いた」ことはすぐに外人町中に知れ渡った。だけど、町の人たちはあなたを匿うことに決めた。私があなたの事を聞いたのはその後なんだよ」

 

「なん、だと……!? どうしてそれを教えてくれなかったんですか?」

 

「照れ臭かった、とでも言っておこうか。もちろん祖国を今も取り返してくれない勇者に対しての恨みはある人はいた。だけど――皆あなたに手を伸ばすことを選んだんだよ。勇者とは言え、複雑な事情を抱えて流れ着いたであろうあなたを見捨てることを選ばなかったんだ。

 彼等がその選択をしたのは大なり小なり私の影響もあるだろうね。だから、私もあなたに手を伸ばすことにしたのさ。それが私があなたを守ろうとする理由さ」

 

 もっとも、警官として子供を放っておけないっていう信条があったのもあるけどね。

 

 口元に指を当てて片目を閉じ、照れ臭そうにわかばさんは言った。

 

「……ボーっと見つめてどうしたんだ。私の顔に見惚れたか?」

 

「割と。わかばさんはそんな顔もできるんだな……」

 

「あなたも似た顔してるからできるさ。それじゃ、少しここで可愛い、および美しい表情の特訓でもしてみるか? マスターすれば男をある程度手玉に取れるぞ」

 

「もしかして……街の人々に寄り添うためにその表情使ってないか?」

 

 目をそらされた。何をやっていたんだこの人は……

 

 

 

 

「これから私は『ジャスティス』で一杯飲みに行くつもりだが、あなたも一緒に来るか?」

 

 風呂屋を出たところでわかばさんは私に提案してきた。

 

「いや、いい。私は未成年だからまだ早いだろう」

 

「それもそうか。じゃあ今晩はキムさんの食堂で晩御飯を食べるといい。お金を渡しておこう」

 

「お金はもういらない。もうキムさんのところに行くつもりはない」

 

 若葉さんは私の答えを聞いて一瞬呆けると、私の考えを察して表情を険しいものに変えた。

 

「外人町から出て、『勇者』に戻るのか?」

 

「そうだ。ここで生きていくのは楽しい日々だったけれど、それは現実から逃げているだけだから。私はどんなに辛い道だとしても『勇者』でありたいと思った。

 あなたが警察として『困っている人を助ける』という信条があるように、私にも『何事にも報いを』という信条があるから。私がこの町の人々から受けた恩に報いを返すためには、『勇者』として戦って平和な時間を一日でも長く続かせることが一番だと思ったんだ」

 

「……そうか。あなたが決めたのなら止める理由はないさ」

 

 そう言って、わかばさんは私を強く抱きしめた。

 

「本音を言うともう少し止めたかったけれど、初めて会った時と比べると見違えた今のお前ならきっと大丈夫だろう。だけど……また辛くなったら逃げ出しておいで。

 私もこの町も何度でもあなたを受け入れるから。頑張れよ、『勇者』乃木若葉。」

 

「……はい。今までありがとうございました」

 

「あなたが大人になったら一緒にジャスティスで飲もう。約束だぞ」

 

「ふふっ、考えておきます」

 

 耳元で囁かれた言葉にわかばさんから教わった笑顔を返し。わかばさんが抱きしめるのをやめると私は背を向けて外人町を後にした。その途中、私は出会った外人町の人々にこう言われた。

 

「これからも頑張って、『勇者様』」

 

 情報の出回る速さに苦笑しつつ。その言葉を私はもう重圧に感じることはなかった。

 

 

 

 

 人は運命から逃れられない。逃げたところでいつか運命と向き合うことになる。そして、どれだけ苦しくても、這いつくばってでも運命という現実に立ち向かって生きるしかない。

 

 私はそれでも構わない。『乃木若葉は勇者である』という運命からもう逃げない。

 

 私が背負っている『勇者である』運命が辛くて苦しいことだという事はよく分かっているけれど、それが誰かのためになるのなら私は何度でも立ち上がり、戦えるから。

 

 

 

 その後、大社に帰還した乃木若葉は職員に質問攻めにされた。

 

 どこに行っていたのか、何をしていたのか――その質問に彼女は外人町を出すことはなく、適当に誤魔化した。世話になった外人町に迷惑をかけるわけにはいかないから。

 

 上里ひなたをはじめとした彼女を知る人物は、彼女の思いを察して問い詰めなかった。大社の人々は彼女が逃げ出したことを問題視したけれど、失踪前と比べると迷いなく戦闘に向かう姿を見て、彼女を咎めることはなかった。

 

 そして、外人町の人々は神世紀と名を変えた時の中で次々に寿命で亡くなったことで外人町は自然消滅して玉藻市と名を変えた。その過程で大社――もとい大赦による情報統制が行われた。

 

 

 こうして、乃木若葉が外人町に逃げ出したという事実は後世に伝えられることはなかった。

 

 


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