藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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藤原千花は笑いたい

 

 

 

 

 

「でね、萌葉ったら肝心なところで写真撮り忘れてて――――」

 

 帰国した藤原千花は、一人の男子高校生に旅行の思い出を話している。その相手こそ、藤井太郎。いつものようにラーメンを食べて店内で会話――――するところまではこれまで通り。

 

 しかし二人は今、近くの喫茶店に居た。

 これまでのように店で会話するとばかり思っていた彼にとって、これは思わぬ展開。自らが天使と崇める藤原千花と二人きりで向かい合っている。それだけで手汗がとんでもないことになっているのだ。先ほどから彼女の話が頭を経由せず通り抜けていく。

 

「ちょっと〜聞いてますか〜?」

「う、うん。もちろん!」

 

 喫茶店に来たと言ったが、正確には店主である藤井の父親の目を気にして仕方なくだ。客が少なく、迷惑になるわけでは無かったが、父親の隣で千花と話すのが恥ずかしく。年頃の男子高校生らしい悩みである。

 彼は視線で帰りを促すも、日本に帰ってきたばかりの彼女はそうはいかない。旅行の話をしたくてしたくて仕方ないのだ。そこで白羽の矢が立ったのが藤井。何せ、店に行けば必ずと言っていいほど会える。言い方は悪いが、千花にとっては都合のいい相手だった。

 

「なら今、私は何と言いましたか?」

 

 彼が慌てふためいているとは知らず、千花は問いかける。

 意地悪な質問ではあったが、楽しく話していた彼女にとって「聞いていなかった」と言われることはとても辛いことなのだ。ジッと彼を見つめる。

 藤井からすれば窮地である。絶体絶命。

 聞いていなかったことに加え、彼女のジト目。回答を間違えることは嘘の露呈になる。だが正解を導き出すだけの知力なんて今の彼が持ち合わせているはずもなかった。

 

「え、えっと……その……」

 

 あからさまに狼狽えれば、流石の千花も気付く。

 やっぱり聞いていなかったのだ。楽しかったのは自分だけ。自己満足だとは分かっていながら、藤井に話していた彼女。それでも、聞いてもらえなかったのは寂しさがある。

 だが、それを咎める気にはなれなかった。彼女も自分勝手だということは理解している。だから優しく微笑んで見せる。

 

「あはは。そうですよね。私ばっかりごめんなさい」

「い、いやそんなんじゃなくて……!」

「……いいんです。私、昔からこうなんです」

 

 実際のところ、話を聞かなかったわけではない。話を聞く余裕がなかったのだ。千花もそこには気付かなかったせいで、自分がつまらないからと結論付けたのである。

 これまでの彼であれば、間違いなく「重い」と感じてしまうその言葉。しかし、今は違った。藤原千花という人間に久しぶりに会えたことが嬉しかった。心が躍る。すっかり、藤井太郎の日常に彼女は組み込まれていたのである。

 そんな彼女が落ち込んでいる。それも自分のせい。ここで藤井に出来ることは二つ。一つは、励ますか。一つは、逃げるように帰るか。彼も一応男である。後者の選択肢は消え、方向性を絞る。

 問題は、何という言葉を掛けるべきか。聞く余裕が無かった、とハッキリ言えればどれだけ楽だろう。もう一度言う。彼も一応男である。それはさすがに、とプライドが許さなかった。

 

「今日はありがとうございました。また食べに来ますね」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 千花のダメージは彼の予想を上回っていた。

 普段から()()を踏み抜く彼女は、大好きな恋バナからも遠ざけられる存在になっていた。無論、それでも無理矢理入り込んでいくのが藤原千花という人間だが。

 だが、輪から外される辛さは消えるわけではない。誰にでも絡みに行ける積極性はあるが、その先で地雷を踏み抜く。そして誰かに悲しい思いをさせてしまう。藤原千花とはそんな人間なのである。だから、こういう時はいつも自ら離れて行く。席を立ち上がる。

 

 ――――それなのに。

 

 彼女の右手首に伸びる、藤井の左手。

 

「待って。まだ聞きたい」

 

 手汗で濡れた手のひら。手荒れは相変わらずひどいまま。ぐちゃりとした感覚があったが、思いの外、千花は気にならなかった。それよりも、しどろもどろしていた彼が真っ直ぐと千花を見ている。思わず視線を奪われそうになる。

 

「その……恥ずかしい話。俺こういう場面に慣れてなくて。緊張しちゃって……」

 

 プライドが許さなかった、とは言っても。彼にとってプライドというのは敷居が低い。白銀やかぐやとは正反対である。目の前の人間のためなら、平気で捨てることができる。白銀の予想通り、彼は優しい人間なのだ。

 藤原千花。硬直する。話を聞きたいと言われたのは、初めてだった。いつもなら適当にあしらわれるのが常。この瞬間だって、千花本人すらそのつもりだった。なのに、引き止められた。手首を握られ、目を見つめられ。意識していなくても、年頃の女子高生。胸は高鳴る。

 

「――――ってごめんっ!! うわぁ……汗付いちゃった……」

「あ、あはは。いいんですよ」

 

 我に返った藤井は、新品のお手拭きで自身の手汗に塗れた彼女の手首を慌てて拭く。「臭いついてないかな、ベタついてないかな」と心配する彼の様子に、千花は思わず笑みが溢れた。

 

(可愛いなぁ)

 

 そう思ったのは藤井ではなく、千花の方だった。

 母性をくすぐるような慌てた瞳、姿。ラーメン屋で大人びた彼しか知らない彼女にとって、それは抱きしめたくなるような愛嬌があった。

 と同時に、藤井太郎という人間もまた、年相応の男子高校生なのである。決して大人びてなんかいない。ただ働いているからそう見えるだけなのだ。

 

「え、えっとだから……もっと聞かせてよ」

 

 彼女の口元は緩んでいた。純粋に嬉しかった。彼なりの優しさであることには違いない。だが、千花はその事実から目を背けた。彼女なりの意地、とでも言えるだろうか。そこまで呼び止めたのだから、今度は彼に話してもらおうと。

 

「……藤井くんは何をしてたんですか?」

「え、俺? 俺のことより藤原さんの話が聞きたいよ」

「私は藤井くんの話が聞きたくなりました」

「えぇ……」

 

 千花の心変わりに気付くはずもない彼。せっかく呼び止めたのに。藤井は愚痴りたくなる感情を抑えた。あまりにも急である。グラスに入った冷たい紅茶を飲むことなく、ストローで掻き回す彼女。カラカラと氷がぶつかる音。思春期男子には刺激が強い妙な色っぽさがあった。

 まるで揶揄われているようで、彼はあまりいい気はしない。それでも呼び止めてしまった手前、ここで突き放すのも話が変わってくる。加えて、大して面白くもない彼の夏休み。話す内容と言えば白銀に会ったことぐらいだった。

 

「そう言えば白銀君がウチの店に来たよ」

「へぇ、会長も気に入ったんですね」

「みたいだね」

 

 無料券の件は言わないようにした。秀知院学園の生徒会長がラーメン一杯の金も払わないのはイメージ的にどうかと考えた。

 だが千花からすれば、尊い生徒会長のイメージはすっかり崩れ去っている。むしろ苦労させられているのだ。そんなことはどうでも良いのが本音。

 

「他には?」

「それぐらいかな」

「………え?」

「いやだから、それぐらい」

「何もしてないじゃないですか」

「ずっと手伝いしてたんだよ。それでなんだかんだ遊ぶ時間が無かっただけ」

「……それは私に対する嫌味に聞こえます」

「なんでそうなるのさ」

 

 遊ばずに家の手伝いをしていたと言われれば、呑気に海外旅行に行った自分が間抜けに思える。千花に限らず、誰しもそう思うだろう。でもそれを態度に出して、彼にぶつけてしまう。藤原千花も年相応の女子高生である一面だ。藤井太郎という人間は何も言わずに受け止めてくれる。また甘えているようで、そんな自分が嫌になる。

 こういう時に限って、店内のBGMが止まる。静寂。他の客の話し声も自然と小さくなる。

 ニコニコしながら抑揚のない声。機嫌が悪いわけではないが、胸の内につっかえがある感覚。藤井と話していると、自分がいかに子供なのか突きつけられているようで。

 

「でも……こうして話し相手になってくれて嬉しいよ」

「私が勝手に連れ出しただけです」

「怒んないでよ。本当に嬉しいんだから」

「……怒ってません」

 

 それに、藤井と話していると調子が狂う。同じ高校生とは思えない落ち着き。緊張しているなんて言ってたクセに、こうして茶化してくる。彼としてはそんなつもりは一切無いのだが、帰国したばかりの彼女は疲れもあって、いつも以上に面倒な女になっている。

 夏真っ盛り。長い髪をポニーテールにまとめて、彼女の細い首が強調される。それがやっぱり色っぽくて。少し下に視線をやれば、主張の強いバスト。そうなれば、藤井は彼女の目を見るしかなくなる。恥ずかしさで顔から火が吹き出そうだった。

 

「そういえばさ、前に藤原さんと白銀君、あと一人居たけど、彼女はどういう関係なの?」

「あぁかぐやさん。秀知院生徒会の副会長なんですよ」

「へぇ。すごく上品な人だったよね」

 

 黙ったらダメだ、恥ずかしさで死にそうになる。そんな彼は思い出したかのように声を掛ける。すると千花は声のトーンを抑え気味に答えた。藤井の中でも、かぐやのことは鮮明に覚えていた。

 むしろ、彼女が居たから三人のことを覚えていたと言っても過言では無い。彼らの中で一番、品があって纏っているオーラが平民のそれではなかったのだ。副会長と聞いて、半分納得する。

 もう半分は、あの彼女を差し置いて生徒会長になった白銀御行という人間についてだ。一体何者なのだろうか。考えたところで、彼には関係の無い話でもある。ここで千花に聞くことも出来たが、そのままオレンジジュースを喉に流し込む。

 

「じゃあ次は藤原さん。海外旅行の話してよ」

「聞いてなかったじゃないですか」

「……ま、まぁまぁ。仕切り直しで」

「嫌です。もう話しませんっ」

 

 ぷいっ、と顔を背ける彼女。藤井が思っていた以上に根に持っている様子。あざといと思われても仕方がない行動である。

 これに困ったのは藤井だ。子供のように拗ねた彼女を、どうやって宥めればいいのか。元はと言えば自分のせいなのだが、こんなことになるとは思わなかったのも事実。

 こんなことになるなら、呼び止めなければよかった。そんなことが頭をよぎる。普段の騒がしい藤原千花という人間に比べたら、今目の前にいる彼女はまるで別人。白銀をはじめ生徒会のメンバーが見たら思わず言葉を失うであろう。無論、これも藤井が話を聞いていなかったからであるが。

 

「面倒ですよね」

「えっ」

「友達からも面倒くさいタイプって言われるんです」

「……そんなこと」

「あるんです。ごめんなさい」

 

 つい数分前まではニコニコと喋っていた彼女があからさまに落ち込んでいるのだ。二人の空気は最悪そのもの。

 生徒会の時にはのんびりと過ごしている彼女は、無意識に周りの空気感を読んでいる節がある。爛漫な彼女の性格は、白銀とかぐやの二人が繰り広げる「恋愛頭脳戦」に巻き込まれ、知らず知らずのうちに擦り減っている。成績と同じように。

 最近では、特に白銀に対してハッキリと不満をぶつけることだってある。二人がやり合っていることに気付かず、精神的にも疲労が溜まっているのも事実だった。

 

「いやそんなことないよ。藤原さん」

「……藤井くんは優しいですね」

「ううん」

 

 千花が褒めると、まず彼は照れ臭そうに笑う。基本的に、彼は恥ずかしがり屋である。特に女子から褒められると、それだけでしばらく生きていけるような。ある意味、純粋な男。それは彼女にも十分伝わっていた。

 

「それと。ハンドクリーム使ってますか? 相変わらず手荒れが酷いですよ」

「使えないよ。藤原さんのお母さんがくれたんでしょ?」

「……どうしてですか。良いと言ったじゃないですか」

「返すよ。持ってきてるから」

 

 あれから一度も使っていないハンドクリーム。ポケットから取り出し、彼女に差し出す。あの時から姿形を変えていないソレは、千花にとっても見覚えがあるまま。元々は口封じで渡したつもりだったが、今となってはどうでもいい。ただ使って貰えなかったことが悲しかった。

 だが、藤井とて使いたくないわけじゃない。彼女のためにある物を、自分が使う気にはなれなかったのだ。そういった物に疎い彼でもわかるぐらい、このハンドクリームは質の良い高級品。使ってしまいたいのが本音だ。

 

「要らないです。受け取りません」

「ダメだよ。これは譲れない」

「どうしてですか」

「それは……」

 

 彼女が問い詰めると、彼は顔を背けた。理由を言いたくないのか、躊躇っている。「藤井くん」と呼び掛けると、一つ息をついて。引きかけていた手汗が、また。彼女の手首の感触とともに。左手を置いたジーンズの上に染みていた。

 

「藤原さんの綺麗な手に使って欲しいから」

「……え」

「ご、ごめん! 変な意味じゃなくて、その……」

 

 藤原千花という人間は、異性からかなりモテる。

 現に、生徒会メンバーの中で一番告白された経験があるぐらいだ。そして彼女に告白してくる男は、大体がキザついているタイプ。カーストの上位にいるような男子生徒。奪われたい願望の強い彼女でも、少女マンガのようなセリフで告白された経験があるが、全く心に響かなかった。

 それだというのに、この藤井太郎という男。

 恥ずかしがりながら、一生懸命言葉を紡ぐ。そんな彼が可愛らしくて、少しだけ鼓動が高鳴る。これまでの男たちの告白よりも、不思議と嬉しくて。

 

「あはは。分かりました。そこまで言うのなら使ってあげましょう」

「笑わないでよ……」

「もう可愛いですねぇ〜藤井くんは」

 

 彼女は面倒な人間なのだ。それは本人が一番理解している。

 気分屋のくせに空気を読もうとして、心に負担をかけて。でもこうして、最終的には笑ってしまう。相手を傷つけない優しさなんかじゃない。自分をそうやって守ろうとしているだけ。

 

 でもこの時だけは。

 この瞬間だけは、心の底から幸せな気持ちになったのだ。

 

 

 





 賢い、可愛い、藤原千花(ロシア感)

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