藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
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「体育倉庫って雰囲気ありますよねぇ」
朝晩の風が少しだけ冷たくなってきた頃。藤井太郎は自室で藤原千花からそんなことを言われた。電話越しに。
学校の課題を片付けていた彼にとって、彼女からの突然の電話は決して都合の良いモノではない。ただ、課題に嫌気が差していたのも事実。休憩にいいだろうと、目の前の現実から目を背けたのである。
藤井的にも、何かしらの用があって電話を掛けてきたと考えていた。だというのに、挨拶もそこそこ。いきなりそんなことを言われたのだから、彼としても何とリアクションするのが正解かは分からなかった。
「いきなりどうした」
「だっていいじゃないですかぁ。薄暗い体育倉庫で男女二人きり……憧れます」
「まぁ……否定はしないけど」
右手でペンを回しながら、左耳から聞こえる彼女の言葉を聞き流す。中々本題に入ろうとしない。しかし、少し考えると分かる。きっとこれが彼女にとっての本題であるということ。この電話に深い意味なんて無い。
それを分かってしまった藤井は悩んだ。このまま電話に付き合えば結構な時間になってしまう危険性。決して楽しくないわけではないが、今は課題の方が重要。適当に受け流して話を切り上げるのがベターだ。
ところが、そう言ったことには妙に鋭いのが千花。電話越しではあるが、彼があまり興味を持っていないことを察してしまう。この興奮を誰かに伝えたいと思い立ったのはいいが、それを気軽に言える相手は限られている。特に、今回は白銀やかぐやに話せる内容ではないのだ。
何故なら、彼女は聞いたのだ。同じ生徒会の伊井野ミコから。体育倉庫で白銀御行が四宮かぐやを押し倒していた、と。漫画のような出来事が現実で起こるのだから、元々恋愛脳の千花にとって、それはとてもとても甘い蜜のように感じられた。
「もし藤井くんがそうなったら、女の子を押し倒しますか?」
「そんなことしないよ。無理矢理っていうのはちょっと」
「では、女の子の方が誘ってきたらどうしますか?」
「……まぁ押し倒すかもね」
「それが本音ですね。一言目は建前です」
「………」
となると、話し相手は必然的に限られてくる。交友関係は広い千花であったが、電話を掛けることに抵抗感のない相手となれば話は変わってくる。普段は普通に話せても、電話になるとたどたどしくなる友人も少なくない。その点、藤井太郎は気軽に話せる人種であったのだ。
そして、その彼が油断したところに針を刺す。
こうすることで話を聞く姿勢になってもらうのが狙い。藤井としては、男の本音を言い当てられて何とも複雑な感情。千花の声色は怒っているわけではないが、話を聞かないと後々面倒なことになりかねない。止むを得ずテキストを閉じ、ベッドに横になった。千花の狙いに乗ることになってしまったが、仕方がないと自分に言い聞かせて。
白銀とかぐやの件については、後々誤解は解かれることになる。しかし満更でもなさそうな二人の顔が、千花は印象的だった。
特に、かぐや。中等部からの付き合いであるが、あんな色っぽい顔をした彼女は見たことがなかった。押し倒される、いわゆる床ドン。あの彼女を変えてしまうほどの力がある、魔法のような。一度でいいから味わってみたいというのが千花の本音である。
「――――で、本題は?」
「本題ですか? 特にありませんけど」
「え、体育倉庫の話だけ?」
「……何も無かったら電話しちゃダメなんですか?」
「いや……その言い方はズルいよ」
千花は自室の広すぎるベッドの上で横になって話していた。
彼の言い方。ついつい意地悪を言ってしまう。苦笑いする藤井に、彼女は若干の申し訳なさを覚えた。
足をパタパタを動かす度に、ベッドの衣擦れの音が部屋に響く。それはもちろん、藤井にもしっかり届いている。それが妙な色っぽさを醸し出す。まさにプライベートの彼女を覗いているような気がして。
「そう言えば、もうそろそろ体育祭の季節ですね」
「俺らは再来週。毎日毎日練習だよ」
「男子校の体育祭ってどういう感じですか?」
「共学には無い馬鹿らしさと盛り上がりがあるかな」
男子校の祭典、体育祭。
共学では出しきれない迫力ある演目、競技。地元では根強い人気のあるイベント。
だが、当の本人たちにはその自覚は無い。あるのは
「ねぇねぇ、行ってもいいですか?」
「体育祭に?」
「楽しそうじゃないですか。私、他校の体育祭に行ったことないんです」
藤井は返答に困った。
彼的に来てもらうことは全然問題が無い。しかし、いかんせん男子校。秀知院学園しか知らない彼女には少々刺激が強い可能性があった。
いや、それより。彼女がグラウンドに来た瞬間から、男子どもの視線を集めるに違いない。制服ではなく、私服姿の彼女。その破壊力は藤井はよく知っていた。大袈裟ではなく、学校が混乱する危険性が高いのだ。それぐらい、男子校というのは馬鹿で真っ直ぐなのである。
「あまりオススメは出来ないかなぁ」
「どうしてですか?」
「だってほら、藤原さんみたいな可愛い人が来ると変な意味で盛り上がるから」
したがって、ふんわりと断ることにした。ただ彼の言うことは紛れもない事実。嘘をついているわけではないため、藤井としても罪悪感が無かった。
しかし、これに納得しないのは藤原千花。誰でも気軽に足を運べる体育祭というイベント。「来ても良いよ」を期待していただけに、彼の言葉は彼女の耳に届かない。それがどれだけ彼女のことを思った言葉でも。
「そんな理由は聞き入れられません! 私は一人でも行きます!」
「止めた方がいいよ。マジでナンパされると思うし」
「ばっちこいですよ!」
「女の子がそんなこと言わないの」
藤原千花という人間は、周りが思っている以上に頑固者である。自分が好きなこと、気になったことはトコトン突きつめる。長続きするかどうかは置いておいて、今の彼女はそんなゾーンに入っていた。
加えて彼女は、かなりモテる。現に秀知院学園に通う多くの男子生徒から告白された経験がある。だが、彼女に告白してくる男子も中々の変わり者が多い。千花が適当にあしらえば、それを真に受けて踵を返すことがほとんど。
しかし、秀知院学園の外に出れば話は変わる。藤井が止めたように、中々ゲスなことをする男も多いのだ。それを知っているからこそ、彼の口は素直に受け入れることが出来なかった。
「じゃあ、こうしましょう」
「なに?」
「藤井くんが私のボディーガードになってください」
そうして、こんな言葉を恥ずかし気もなく言ってくる。
男からすれば「あざとい」と感じる言葉。しかし藤原千花という人間は、このフレーズを自然に扱うことが出来る希少な人種である。グッと来ない男はこの世の中に居ない。
藤井は頭がグラつくのが分かった。電話越しでも分かるその威力。電話越しで良かったと心の底から安堵した。対面していれば、二つ返事でうなずいていたに違いない。
電話の分だけ冷静な彼。ボディーガードと言われても、藤井もいくつか競技に出場することが決まっている。そもそも、自らのチームで固まっておく必要があるのだから、一日中彼女に付きっきりになるのは不可能だった。
「それは無理だよ。俺だって競技出るし」
「だったら普通に観に行きます!」
「……本当に?」
「ほんとにホントです」
「そっかぁ。ならいいんじゃない」藤井は背伸びをしながら答える。諦めが混じったような間抜けな声になってしまった。しかし、千花は特に何も言わない。彼女は彼女で、違う思考を巡らせていた。
あれだけ止めてきたのに、投げやりになった彼。まるでもうどうでも良くなったような印象を受けたのである。藤原千花。それはそれでご不満なようで。
「藤井くんは私が連れ去られてもいいんですか?」
「だから来ない方が良いって言ったじゃん」
「そもそも、どうして藤井くんは止めたんですか。別にいいじゃないですか」
面倒なタイプの女であるが、千花の問いかけも、実はかなり核心に迫ったモノ。それは藤井が一番よく分かっている。
何故? 止める必要なんてないじゃないか。その通りだった。一友人の彼女が何処に行こうが何しようが、藤井太郎には一切関係の無いこと。
でも、純粋に千花のことが心配だった。彼女が変な男に引っかからないか。ただそれだけ。深い意味は一切無い。マセたことを言うくせに、ピュアな心を持った藤原千花という女の子が、とにかく心配で心配で。
「心配したら駄目なの?」
「……駄目ではないです」
「俺は心配なんだよ。純粋に」
「何が、ですか」
「藤原さんが変わってしまうのが」
上手い言葉が見つからなかった藤井。やんわりとした発言に留めた。しかし、千花にはしっかりと届く。
変わってしまうのが心配。言い換えると、変わって欲しくない。今のままで良い。そう言われている気がして、胸が暖かくなる感情。そのままでいいなんて、ここ最近両親にも言われてなかった言葉。ずっとずっと昔に言われたような気もする。だけど、今はそんなことどうでも良かった。
嬉しかった。素直に、彼の心遣いが。本当に心配してくれているんだと心に染みる優しさ。自然と口が緩んでしまう。
「藤原さんは変わらない方がいいから」
「……どうしてですか」
「だって、君は、その――――」
本来なら交わることなかった二人。生きる世界が違った二人。
日に日に関係が近くなっているのが、本人たちも分かっていた。無意識のうちに。だからこそ、藤井は思った。「彼女が庶民に染まってしまうのはいけない」と。千花の家柄は、彼が思っている以上に名家。それはこれからも変わらないであろう。
だから、怖かったのだ。藤原千花とこれ以上仲良くなってしまうのが。一線を引いていないと、彼女はドンドン
それも全て、藤井太郎と出会ってしまったから。彼がいなければ知らなかった世界。親の引いたレールの上を歩いて来た千花にとって、それは眩しくて眩しくて。もっともっと、沢山知りたい感情が止められない。だから、藤井に甘えてしまう。それを、彼は受け入れてくれる。
「俺とは生きる世界が違うから」
事実。事実なのだ。だからここで突き離すのが、自分にとっても、彼女にとっても幸せなこと。
店に来る分には良い。何処かで話す分には良い。だけど、こちら側の生活に染まってしまっては駄目だ。高校生なりの彼の優しさ。しかし、藤原千花と藤井太郎。ラーメン屋で出会った時点で、それはもう遅いのである。
「――――そんな風に思っていたんですか」
「……いや」
「…生きる世界は一緒です。私は藤井くんと同じ時を生きてます」
「………うん」
「友達、ではないんですか」
藤井は、何も言えなかった。あからさまに彼女の声は落ちる。
一方の千花は、フワッと浮いたような感覚。まるでジェットコースターに乗っているような気分だった。あんな優しい言葉の本音がこういうことだったなんて、信じたく無かった。
だが、藤井の優しさであることには変わりはない。決して突き離したくてこうしているわけではないのだ。だから、だから、心には千花が付け入る隙だらけなのである。
「……友達に決まってる」
「分かってます」
「……」
「何か言うことありませんか」
「……ごめんなさい」
「普段の優しさに免じて、許してあげます」
だからこうして、すぐ彼女に気を遣ってしまう。
いや、当の本人は気を遣っているつもりなんて無い。純粋に、笑っている藤原千花が好きだった。魅力的だった。男として、落ち込んでいる彼女よりも元気を振りまく藤原千花で居て欲しいという願望が強かった。
彼の思い通り、千花は笑って許してくれる。心から安心したような声をしている。彼女もまた、彼から突き離されることが怖かった。彼の言う「生きる世界が違う」という発言も理解できる。そうやって、周りのことを考える人間ばかりだから、秀知院学園に通う生徒は。
藤井太郎も、立場は違えど彼らと同じ悩みを抱えていた。それでも、自分に素直になってくれた。それだけで、彼は千花にとって友達と呼べるにふさわしい人物なのである。
「……体育祭、おいでよ」
「変わって欲しくないんじゃないですか?」
「変わらせないために、良い案を思いついたから」
「何ですかそれ〜?」
気が付けば中々の長電話になっていた。電話越しの彼女は若干眠気が襲って来ていたこともあり返答が雑になっていた。それを察した彼は電話を終わらせるように言うと、彼女は素直に従った。
電話を終え時間を見ると、夜の十一時過ぎ。彼は迷ったが、再びスマートフォンを右耳に当てた。期待半分に待っていたが、電話の相手は普通に応答する。
「いきなり悪い。ボディーガードを依頼したいんだ」
電話の相手はあまりにも唐突な発言に驚く。藤井が事情を説明するとため息をつきながら彼の提案を受け入れた。「四宮かぐやを誘う」という交換条件で。
やがて短い電話を終えた藤井。閉じたままのテキストを見て課題のことを思い出す。時間も時間。明日の朝やるかと諦めて、そのまま目を閉じた。
笑ってくれ、藤原さん!