藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
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桜川高校の体育祭が終わり、藤井太郎にも日常が戻ってきた。彼の両腕はまだ日焼けの跡が新しい。ポロポロと皮が剥けていくのは少し先になりそうだった。
学校を終え今日もまた、ラーメン天龍での手伝い。皿洗いをする彼の後ろ姿を眺めながら、学校帰りの藤原千花は頬杖をついていた。ご機嫌ナナメの彼女。手元には何周目か分からない「壁ドン・ロマンス」の六巻が置かれていた。最新刊が待ち遠しかった。
「会長って本当に酷いです。すぐかぐやさんに乗り換えて」
「だから乗り換えたわけじゃないでしょ。元はと言えば藤原さんが突き放したんだから」
「石上くんみたいな正論やめてください」
「そう言われてもね……」
千花がおかんむりな理由。それはなんともまぁくだらないこと。
彼女は時折、白銀御行専任の鬼コーチと化する。勉強に関しては右に出る者がいない白銀だが、基本的なセンスは壊滅的。運動や音楽といった芸術系を苦手としていた。
だがそれは、常に完璧を求める彼にとって死活問題。特に生徒会長としての立場を意識しすぎるが故、練習もトコトン突き詰める。その都度、千花は付き合わされてきた。そしてそのたびに思う。これっきりだと。
そう言いながら、彼女は弱っている男に弱い。白銀が子犬のような目をすれば、すぐに前言撤回するレベル。そうやってこれまで練習に付き合ってきた。
そんな彼が体育祭の演目、ソーラン節を練習したいと言ってきた。これまで通りまぁ酷い出来だったのだが、千花は面倒事に巻き込まれたくないと白銀を突き放した。
すると彼は、四宮かぐやに教えを乞うようになった。千花からすれば、見事な乗り換えである。それだけで激怒する理由に値する。そう思っているのは彼女だけだが。
「まぁ結果的に上手くなったならいいじゃん」
「よくありません! 私としてはすごく複雑なんです!」
「(めんどくさ……)」
皿洗いを終えた藤井は、水道の蛇口を締め、濡れた手をパッパッと払う。向かい合う彼女は、中々に拗ねている。
藤原千花は中々に独占欲が強い。一度、白銀御行を
そんな話を聞いたところで、藤井にはどうすることも出来ない。出来るのはただ愚痴を聞くことだけ。ラーメン屋に来ておきながら、最早ラーメンを食べなくなった彼女は、客でも何でもない。側から見れば冷やかしである。だがそれは、千花がここに来る理由が大きく変わったことを意味していた。
「今『めんどくさい』って顔しましたね」
「してないしてない。そうやって八つ当たりしないの。ラーメンでも食べて元気だしなよ」
「太っちゃうので要りません」
「それラーメン屋で言う?」
彼女の神経の図太さが垣間見えた発言。藤井は苦笑いするしかなかった。そんなことが気にならないほど、千花は落ち込んでいた。
だが千花が会いに来てくれること自体、彼は嫌ではなかった。むしろ嬉しい。夕方の暇な時間帯。静かな店内が賑やかになるのだ。店主も悪い気はしない。ラーメンを食べてくれれば完璧なのだが、彼女の発言。注文されることはないだろうと、店主は店の奥へと消えて行った。
「そう言えば、秀知院の体育祭って今週だったっけ」
「そうです」
「はぁ。まだ拗ねてるの?」
「拗ねてません」
「可愛いお顔が台無しだよ」
「……思ってないくせに」
「割と思ってるよ」
「何ですか割りとって。素直に思ってるでいいじゃないですか」
「冗談だって」
言ったところで、彼女の気が晴れるわけではない。だが、言われないよりは幾らかマシなのも事実。男子に人気のある彼女だったが、男から面と向かって「可愛い」と言われたことはあまり無かったりする。そう考えると、損した気分にはならなかった。
「秀知院の体育祭ってどんな感じ?」
「桜川高校とはまた違った雰囲気ですよ。賑やかで」
「そうだよね。女の子も多いし」
藤井は納得したように笑う。賑やかと言った彼女の言葉がしっくりと来たらしい。確かに、男子校は賑やかというより「うるさい」の方が当てはまる。
高校に入ってから一度も他校に行っていない彼にとって、秀知院学園の体育祭は純粋に興味のあるイベントであった。かと言って、行くことには若干の抵抗。校門前で
「だったら来てくださいよ! 楽しいですよぉ〜」
話の流れから言えば、彼女の提案は至って普通である。
「どう?」との問いかけに対して、悪い反応を示さなかった藤井。きっと興味があるのだろうと察するのは彼女に限った話ではない。
「どうしようかなぁ……」
話の流れから言えば、彼の反応は可笑しいのである。
「興味がある」風を装ったただのリアクションであると自ら言っているようなもの。少なくとも、千花は良い気はしない。ジトっと湿ったような視線で藤井を見る。
「来たくないんですか。私がお誘いしてるのに」
「いやそういうわけじゃないんだけど……」
「女の子の誘いを断る藤井くんには天罰が下りますよ」
「怖いこと言わないで。割とマジで起こりそうだから」
藤原千花と出会ってから、冗談が冗談に聞こえなくなってしまった。特に四宮かぐやの存在が、彼の心にしっかりと爪痕を刻み込んでいる。白銀とは違い、精神的に降伏させようとした彼女の行動はある意味正解だったのだ。悲しいことに。
「そもそも他校生って来るのかなって。ほら、敷居高そうだし」
彼の発言に千花は「あーっ」と謎の納得を見せる。
「確かにあんまり見ないですね。でも来たら駄目とかじゃないですよ」
「そうなんだ。けどなぁ」
「可愛い女の子も多いですし」
「ふーん。行こうかな」
「……」
「……あ、いや。そういう意味じゃなくて」
「何も言ってませんけど」
何事にもタイミングというものは重要である。
この場合、千花の目にはただの「女好き」にしか見えない。無論、彼がそんな人間でないことは彼女も理解している。しているが、思い切り藤井の頬をつねってやりたい気分だった。
彼には千花の痛い視線が突き刺さる。ナイフよりも強烈な視線。これまでなら軽口で済ませることが出来た言葉も、不思議と今はそれを許さなかった。
「女の子目当てで来るなら来ないで下さい」
「言い出したのは藤原さんだけどね」
「何ですか」
「いえ何も」
「……藤井くんは意地悪です」
「なんでさ」
「なんでもです」千花は誤魔化すように言う。
妙な気まずさが二人を包む。千花はともかく、藤井はそれをヒシヒシと感じている。何か不味いことを言ったわけではない、いつものように彼女が勝手に拗ねているだけだ、と。言い聞かせる。
「でもせっかくだから行ってみたいな」
「好きにしたらどうですか」
「冷たいなぁ。藤原さんの応援に行きたかったのに」
「……やっぱり藤井くんは意地悪です」
自身の応援に行きたい、そんなことを言ってくれる人間はどれだけいるだろう。千花は考える。
両親は毎年顔を出してくれている。でも、学年を重ねていく毎にそれは応援とは呼べなくなっていた。カメラにその様子を収めてはいるが、応援と言われたら少し違うモノ。他の子と同じように少しはだけた服装をしていれば父親に注意され、納得いかないながらもその都度本心を噛み殺してきた。
ただ仲が悪いわけではない。彼女は父親と母親のことを尊敬している。二人のおかげでここまでやって来たという事実をしっかりと理解していた。だから、素直に反抗出来ない自分が情けなくもあった。
この藤井太郎という男は、自分が知らないことを沢山知っている人間。千花の認識は初めて出会ったあの日から大きく変わっていた。だから、こうして店に通うようになったのだ。
「藤原さんはソーラン節と何に出るの?」
「あとは……障害物競走ですね」
「へぇ。意外だね」
「そうですか?」
「俺たちとほとんど変わらないっていうか。もっと上品なイメージ」
「あはは。そんなんじゃないですよ〜」
彼の秀知院学園に対する偏見。白銀たちと触れ合うようになって少しずつ変わりつつあるが、それはあくまでも彼らに対しての話。学校に関してはまだ根強い偏見が心の中に残っている。
ただイベント事に関しては、一般の高校とさほど変わりはない。生徒の立ち振る舞いが変わるだけで、やることはほぼ同じなのである。
「来てくれるなら差し入れ待ってますね」
「えぇ〜……」
「………」
「だからその目は何」
目を細めて、彼を見る。色々な想いが詰め込まれた。
藤井はそれを受け入れないように、視線を逸らす。水道の蛇口の締まりが緩かったらしく、水滴が垂れる。彼はそこで初めて彼女との会話に夢中になっていたことに気付いた。慌てて蛇口を締め直す。しっかりと。
「藤原さんは持ってきてくれなかった」喉まで出かかった言葉。彼はそれを抑え込んだ。今の彼女に、これを言うのは野暮な気がして。
それに、彼女は何も持って来なかったわけではない。藤原千花という存在が来てくれただけで、藤井太郎の心は満たされたのだから。無論、彼は恥ずかしくてそんなことを口にするはずもないが。
「何が良い? 暑いだろうから、冷たいモノでも買っていくよ」
「……だったらアイスが食べたいです」
アイス。アイスクリーム。
体育祭。炎天下の下で舌の上に広がる冷たさと甘み。想像するだけで、彼女は頬が緩む。アイスにとっては炎天下は相性が悪い。だがそれを食べる人間にとっては、それはそれは最高のマッチングなのである。
藤井は少し拍子抜けだった。藤原千花のこと。何かとんでもないモノをねだられるのではないかと、密かに不安だった。しかし、そんなこともない。なんなら「コンビニに売ってるアイスでも良い」ぐらいの軽いノリだ。
「了解。校門を普通に通っていいの?」
「はい。体育祭の日は解放してるので、自由に出入り出来ますよ」
「そっか。楽しみだ」
藤井は笑う。週末が待ち遠しいのは久しぶりだった。
とは言っても、最初から最後まで居るわけではない。先日の千花のように、昼休み頃に顔を出して少し覗いて帰るぐらいが丁度良い。実際、彼女もそんな疲労感は無く、楽しさだけが心の中に刻み込まれていた。
会話が終わり、二人の間に静寂。しかし、千花は帰る素振りを見せない。外は夕焼けが地面を照らしている。他に客が来る様子もないため、藤井は何も言わずスマートフォンに手を伸ばした。
「藤原さんは休みの日とか何してるの?」
「ペスのお散歩行ったり、お買い物だったり。色々ですね」
「買い物ね。しばらく食材の買い出しにしか行ってないな」
「……そだ。藤井くんっていつもその格好ですよね」
「まぁ……Tシャツにジーパンが楽だし」
別に誰かに見せるわけではない。彼の言う通り、楽な格好でいいのだ。むしろ厨房にいるのにお洒落をする必要なんて無い。
だから、千花は気になったのだ。彼の本当の私服が。藤井太郎という人間はどんなタイプの服が好みなのか。人の私服にはさほど興味を示さない彼女だったが、彼のことだけはかなり気になっていた。
「だったら、体育祭終わったらみんなでお買い物行きましょうよ」
「買い物って……何の?」
「お洋服とか、色々です!」
ここで言うみんな、というのは生徒会メンバーを交えてのこと。白銀御行と四宮かぐやからすれば、それはまあ絶好のチャンス。二人で買い物に行ける最高のチャンスなのだ。正確には二人ではないが。
二人が断るわけもない。かなり現実的な彼女の提案。藤井も少し考えたが、断る理由は無い。素直に頷いて見せた。白銀たちには千花の方から提案することになった。
少し前なら「部外者だから」なんて言って断っていただろう。藤井は考える。藤原千花を通じて、本当に交友関係が広がったとしみじみと感じていた。
店内の明かりが先ほどよりも明るくなる。それだけ、外が暗くなったということだ。頃合いだろうと千花を促すと、彼女は名残惜しそうに席を立った。気が付けば、白銀に対するイラつきも治っていて、不満を発散することが出来た満足感に包まれる。
同時に、藤井への感謝も。店を出る度、大通りまで見送ってくれる彼の優しさが荒んだ心を覆ってくれる。今日もまた、彼は彼女の隣を歩いていた。
わずかに残る制汗剤の匂い。その中にも、藤井太郎の存在がある。生理的に、彼女は彼の匂いが好きだった。心から安堵できる匂い。恥ずかしくて顔を見ることが出来ない。面と向かうとは平気なのに、隣に並ぶと変な緊張感が千花の心に居座っている。
「体育祭、待ってますね」
「うん。着いたら探すよ」
「人沢山ですよ? 見つけられますか?」
大通りに出て、彼女は茶化すように言う。
人の流れがあって、安心したからか。二人きりじゃなくなったからか、どこか俯瞰している自分になっていた。
「見つけるよ。藤原さんならすぐ分かる」
「……いじわる」
そんな時に限って、彼は真面目な顔で言葉を紡ぐ。
藤原千花は、この日三度目の感情。どう返していいか分からないから、結局同じ言葉になってしまう。彼のことだ。自身と同じで、ただ茶化しているだけに違いない。
それなのに、心が躍る。頬が緩んだ彼女は、隠すように背を向け人混みに消える。タクシーを呼ぶことなく、駅まで歩く。週末が待ち遠しいのは、藤井太郎だけではなかった。
藤原千花はやっぱりヒロインだ(断言)