藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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藤原千花は満足したい

 

 

 

 

 

 月が照らす路地裏。反社会的人間が蔓延っていそうな雰囲気の場所に、白銀たちは居た。男一人の白銀。万が一、絡まれた時のことを考えて慌てて思考を巡らせていた。

 

(聞いてない!! こんな場所にあるラーメン屋だなんて聞いてない!!)

 

 最近のラーメン屋と言えば、人通りの多い街中に出店されることが多い。女性でも入りやすい店も増え、テレビでも取り上げられる店は、そういったラーメン屋らしからぬラーメン屋が多い。その先入観。白銀の脳内にこびりついていた。

 だが元々は、飲み会帰りのサラリーマンのシメ。店構えなんて気にすることなく、ただ鍋と湯切りが有れば一級品を作れるような職人たちが蔓延っている。ラーメン界というのは、そういうモノだった。

 したがって、白銀たちが路地裏に居るのも一昔前なら至って普通なのである。東京都において、裏路地にあるラーメンは数知れず。一般家庭の白銀でさえ、その事実を知らない。

 

 となれば、超が付くほどの貴族である四宮かぐやが知るはずもない。

 

「ふ、藤原さん? こ、こんな所にお店なんてありますの?」

「大丈夫ですよぉ。怖かったらくっついてもいいんですよ?」

「だ、誰がそんな……」

 

 白銀。刹那の思考。

 

『会長、くっついてもいいですか……?』

(あ、めっちゃ良い)

 

 そんなことを考える余裕があったことに、白銀は安堵した。少しばかり冷静になった頭で、周囲を確認する。

 怯えるかぐやに対し、千花はかなり落ち着いていた。白銀は考える。彼女からの提案。「四宮が居る」というだけで二つ返事。裏を返せば、それ以外何も考えていなかったのだ。

 無論、ラーメンは好きな白銀。微かに香るパンチの効いた豚骨が、彼の鼻を抜ける。目的地は近い。再び千花に視線を送る。

 

「良かったー。まだ開いてましたー」

 

 壊れかけの街灯が照らす道。その先に輝く光。明かりというのはこれほどまでに人を安心させるのかと、かぐやは胸を撫で下ろした。無論、白銀もである。たが互いに、そんなことを口に出してしまえば、何と言われるか分からない。目を見ることなく、千花に続く。

 

「こんばんはー」

「……らっしゃい」

 

 アルミ色の引き戸。ガラガラと音を立てて三人を誘う。

 瞬間。鼻腔を駆け巡る豚骨の匂い。かぐやは衝撃を受けた。

 

(こ、これが……ラーメン!?)

 

 しなやかさ、なんてものは存在しない。

 敢えて表現するなら、硬く、ゴツゴツとした香り。頭をガツンと殴られたような初めての感覚を受ける。臭さすら覚えるというのに、不思議と嫌悪感が生まれない。これは好きな匂いだ。かぐやは固唾を飲む。

 

「なんというか……渋い店だな」

「ここの醤油豚骨が絶品なんですよぉ」

 

 一方で白銀。質素でカウンター席しかない店内。小慣れた様子の千花に若干の驚きを抱いていた。

 それもそのはず。藤原千花という人間も、かぐやと同じように庶民とはかけ離れた生活を送っているのだ。そんな彼女が、そんな小慣れた感。どちらかと言えば、ヨレヨレのサラリーマンが立ち寄るような店構えのこの場所に。全く持って溶け込んでいない。

 そんな彼を余所に、千花は「こっちですよー」と手招きする。店内の香りに気を取られていたかぐや、千花の浮き具合に注目していた白銀。自然と二人は隣合って座る。

 

「ご注文は?」

「醤油豚骨、薄めでー」

 

 千花の注文に続くように白銀とかぐや。考える。白銀はまだしも、かぐやにとってはメニューの全てが初めてづくし。どれが良いのか分かるわけもなく。「彼女と同じものを」と続ける。

 白銀。考える。ここで二人と同じモノを注文するのも悪くない。だが……隣には世間知らずの四宮かぐや。きっとラーメンすら食べたことがないだろうと察する。

 

 ラーメンというのは奥が深い食べ物だ。

 ダシによって全く味を変える、カメレオン。その魅力を知らないかぐやは、当然ラーメンにも種類があることを知らないだろう。

 

『味噌味のラーメン……(羨望の眼差し)』

 

 ふっ、白銀は心の中で笑う。首を垂れて「一口ください」と言われてしまえば、もうこっちのモノだ。それは「男であるとしても貴方が食べたラーメンが食べたい」と言ってるようなモノ。すなわち告白なのである!!

 世間知らずというのは、単純で良い。世間という湯船に浸かってしまえば、一般庶民に分があるのは明らかなのである。

 

(庶民の味を見せつけてやる。覚悟しろ四宮!)

 

「そうだな……俺はみ――――」

 

 味噌ラーメン、と続けるつもりだった彼の喉。しかし、緊急回避命令が脳から伝達される。白銀の視界には壁に貼られたメニュー。しかし、そこには「味噌ラーメン」の文字が無い。それどころか、豚骨以外のラーメンが無いのだ。

 

(待て……この店の匂い。明らかに豚骨のソレだ。裏を返すとそれ以外の匂いがしない……ここはソッチ側か!!)

 

 福岡県福岡市・博多。豚骨ラーメンの聖地である。

 その味に感銘を受けた職人たちが全国に散らばって、魅力を発信する。それにより、豚骨ラーメンの知名度は全国区となった。この店の店主は体格の良い、頑固オヤジのような風貌。豚骨の魅力に取り憑かれた男が他のラーメンに手を出すわけが無い!!

 

『ウチ、豚骨以外やってませんので』

『あらあら。会長とあろうお方がメニューもしっかり見ていなかったのですか? もしかして何か期待されてたりして』

『い、いや……』

『お可愛いこと……』

 

(駄目だ!! あまりにもリスクが高すぎる!!)

 

「――――水を三つ。それと塩豚骨、濃い目で」

「はいよ」

 

 白銀、無難を選択。

 知識で自らのポジションを獲得した彼にとって、「無知」は死よりも恥!! 特にかぐやの前で知ったかぶりをしてみようモノなら、スープの鍋に身を投げたくなる。

 体格の良い店主は、彼らに背を向けたまま作業に取り掛かる。二人の間でそんな頭脳戦が繰り広げられているとは露知らずに。

 

 店内に客は白銀たち三人だけ。

 厨房には店主と思われる男と、若い男。年は白銀たちと同じぐらいに見えた。

 

(バイト、か)

 

 ふと、白銀は考えた。

 学校終わりにバイトをする大変さはよく理解していたからだ。何も言わず皿を洗い続ける青年は、まるで修行僧のように神妙な面持ち。店構えからしても、チェーン店ではないだろう。そんなところでバイトをするのだ。余程のラーメン好きか、職人を目指しているのか。どちらにしても肝が座っていて、白銀は微笑む。「俺以外にもそんな男が居るとは」と。

 

「お水どうぞー」

 

 青年、コップを三つ差し出す。躊躇いもなく受け取る白銀と千花。遅れて、恐る恐るかぐやが手に取る。普段水道水を飲むことのない彼女にとって、何とも言えない感情になる。

 日本の水道は、世界的に見てもかなり整備されている。そのため直接飲んだところで腹を下したりする可能性はほぼゼロに等しい。

 とはいってもだ。四宮家の人間である彼女が、蛇口に口を向けたことがあるはずもない。庶民には無い抵抗感。隣で美味しそうに飲む白銀を横目に、彼女は手を付けることは無かった。

 

 それからすぐ、千花とかぐやの前に置かれる醤油豚骨・薄め。

 かぐやは目を見開いた。店内に入った時のゴツゴツとした匂いは、角が取れ洗練された食欲をそそる匂いに変わり。彼女の鼻を抜け、脳天に直撃する。

 だが、ラーメンの食べ方すら知らない彼女。白銀の隣に居る千花の真似をするように、割り箸をパキッと二つ。生まれて初めて見るレンゲにスープを汲み、ふーっと息を吹きかける。

 

 そして――――舌に広がる旨味。

 

(こ、こ、これは………!!)

 

 衝撃だった。これまで彼女が食べた料理のどれにも当てはまらない。一歩間違えれば「毒」のような濃い味。薄めでこれなのだ。濃いラーメンはどうなってしまうのだろう。そんなことを考えながら、丁寧に麺を啜る。スープとよく絡み、これが堪らないハーモニーを奏でている。

 まもなく白銀の前にも、熱々の一品が置かれる。すでに割り箸はスタンバイ済み。かぐやと違い狼狽ることもなく、一気に麺を啜る。男らしく、音を立てて勢い良く。

 

(な、なに……? この会長なんか凄く良い!!)

 

 その夜。寝る前に、かぐやは早坂愛にこう言ったという。「「生」を感じた」と。「『性』の間違いでは?」早坂の問いかけには、決して首を縦に振ろうとしなかったらしいが。

 麺を啜るという行為に深い意味なんて存在する訳はない。しかし、今の彼女は相当拗らせている。故に、白銀のそんな動作にもツイツイときめいてしまうのである。白銀についても、同様であるが。

 二人を横目に、千花は慣れた手順で食べ進めていた。かぐやに貰った饅頭を平らげていたというのに、残す素振りは一切無い。計画性のあるかぐやにとって、それは大きな誤算である。しかし、本来なら早めに手を打つ彼女も「ラーメンの美味さ」と「隣に居る白銀」に気を取られてしまい、すっかりと頭から抜け落ちていた。

 

 厨房。調理を終えた店主は裏に消えていき、青年が一人残った。

 そんな彼も洗う皿が無くなったらしく、手持ち無沙汰感を隠さずにいた。

 

 チラリと白銀たちを確認する。夕飯時にしては、珍しすぎる客だった。普段であれば、この時間に客が来ることはまず無い。路地裏。家族連れは有名なチェーン店に行くことが多く、独身の疲れたサラリーマンが仕事終わりに顔を覗かせる程度。しかし、「知る人ぞ知る名店」としてSNSに取り上げられることもしばしば。というのに、客層は一向に変わることがないのだ。

 そんな時に、白銀たちの来客。自身と同年代の彼らがこの店を見つけてくれたことに、心なしか喜びを覚えていた。

 

(え、リボンの人めっちゃ巨乳じゃん。黒髪の人は……まぁ)

 

 かぐやは鼻で笑われた。(よこしま)な考え。今はうるさい店主(父親)も居ないのだ。少しぐらいボーッとしてもいいだろう――――。彼は開き直ったように三人に視線を送る。

 

(柔らかいんだろうなぁ……いいなぁ……)

 

 何がいいのか。彼は自分でも良く分かっていない。

 しかし、彼も思春期真っ只中の一人の男。異性の身体に興味が無いわけがない。店の客にそんな視線を送ることに、若干の申し訳なさを感じつつ、誤魔化すように店主が読んでいた新聞に手を伸ばした。

 

 そんな彼に興味すら示さない千花。気が付けば、スープまで飲み干してしまい、満足感に満ちた表情を見せた。

 

「あれ、二人ともまだ食べ終わってないんですか?」

「藤原書記が早すぎるんだよ。おい四宮、俺たちも早く食べ終わるぞ。帰って勉強したいんだ」

「え、えぇ……そうですね」

 

 かぐや、ここで当初の作戦を思い出す。

 が! 時すでに遅し。作戦に不可欠な千花のラーメンは既に空っぽ。白銀も、かぐやに目もくれずラーメンを啜る。帰って勉強したい、と言われた時点で、彼女は察した。「こうなった会長はここに長居しない」と。勉学だけで登ってきた彼にとって、勉強の時間は精神安定剤と化しているのだ。それはかぐやも十分に分かっている。だからか、不思議と何かを企てるつもりにならなかった。

 

 白銀、完食。

 かぐや、遅れること数分で完食。

 

 思惑とはかけ離れた結果となったのは確かだ。しかし、初めてのラーメン屋、初めて見る白銀の姿。かぐやは満足感に包まれて店を後にした。

 

「あーとーございやしたー」

 

 三人が店を出て、青年は皿を下げるために立ち上がった。

 カウンター席に回り込み、一つずつ落とさないよう丁寧に厨房に運ぶ。そして最後。千花が座っていた座席の前に立った彼。

 

「ん?」

 

 丸椅子の側に、手帳のようなモノが一つ。店内に不釣り合いの高級そうな革手帳。見覚えのなかった彼は、一瞬で落とし物だと判断する。

 慌てて店を出ても、とっくに三人の姿は無く。念のため大通りに出ても、辺りは大人たちだけ。「はぁ」と大きくため息を吐く。

 最初に皿を下げていれば、追いついたのかもしれないのに。今さら考えたところで、もうどうすることも出来ないのだが。

 

 ラーメン「天龍」の看板。立地の悪さが「隠れ家感」を出しているらしいが、彼的にはそうは思っていない。店内に入り、誰も居ないの良いことに客用のカウンター席に腰掛けた。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 大事なモノであれば、気付いて取りに来るケースがほとんど。それまでしばらくは保管しておくのだが、彼はあることに気付いた。革に文字が彫られていたのだ。

 

「秀知……院……学園。ってアイツらめっちゃ金持ちじゃん……」

 

 この近辺に住む人間であれば、秀知院のことを知らない人間は居ない。まして、その印象は彼の言う通り「金持ち」。モラルからかけ離れて、自由に過ごす印象が抜け切れていないのも事実なのだ。

 何も考えず、パカっと手帳を開く。そこには先ほどスープまで飲み干していた彼女の顔写真。

 

「藤原、千花」

 

 青年、藤井太郎(ふじいたろう)は呟いた。

 

 

 






 ラーメン食いてぇ。



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