藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
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秀知院学園の体育祭が終わり、季節は本格的な秋に入った。
木枯らし。夏、栄養を行き渡らせた木の葉たちは力尽きたように塵となる。街中に緑が戻るのは、また春が来るまで。しばしのお別れ。
移りゆく景色とは対照的に、白銀御行と四宮かぐや。二人の関係性もまた、これまでとあまり変わらず。少しずつ、互いの想いが見え隠れする機会が増えたぐらい。それでも、なんだかんだで生徒会の活動を楽しんでいた。
そして、この日もまた。夜の九時前。
四宮かぐやは、侍女の早坂愛に無理難題を押し付けるのである。
「……またですか」
「何よ。またって」
「いえ、ですから彼の身辺調査のことでしょう」
分かりやすく呆れる早坂。ここ最近のかぐやは、以前にも増して面倒になっていた。原因は一つ。白銀御行だ。彼のことを想うがあまり、救急車で運ばれるという失態を犯す。それを決して認めようとしないのもまた、面倒だと思う所以。
ところが、かぐやは彼女の言葉を真っ向から否定した。
「身辺じゃなくて、進展調査よ。し・ん・て・ん」
「進展? 何のことですか」
早坂は首を傾げる。身に覚えのない話だ。
かぐやからそんな話は聞いていない。仮に聞いていたとしたら、それは自身の不手際になる。一瞬だけ体が強張った。
「藤井さんと藤原さんのことよ」
「あぁ……それですか」
安堵と呆れが混じったため息。
早坂愛にとって、それはもうどうでもいいことなのだ。
何故、二人の行く末を調べないといけないのか。放っておけばいいじゃないか。やるなら自分でやればいいじゃないか。黙っているとかぐやへの文句が止まらなくなりそうだった彼女。慌てて口を開いた。
「自分でやれば?」
「……言い方にトゲがあるわよ」
「あ、すみません」
主人に対しての口の利き方では無かった。だが、今は別にいいだろうと開き直る。かぐやも普段から無理難題を飛ばしているからか、特に何も言わなかった。
早坂は記憶を呼び起こしていた。過去にも同じようなやり取りをしたではないか、と。あの時は藤井とかぐやに接点が無かったが、今は違う。必要最低限、メールでのやり取りをするぐらいの仲にはなっている。状況は変わっている。早坂の言うことはごもっともなのだ。
大抵、かぐやがそんなことを言う理由は二つ。
一つは、藤井太郎と藤原千花を使って白銀に告らせるため。
一つは、藤井太郎と藤原千花の行く末が気になるため。
そのどちらか、あるいは両方。早坂は疲れた頭を回転させ、導き出した。正解かどうかは分からないが、ほぼソレだと断言できた。
「別にこれまで通りじゃないんですか。書記ちゃんも見たところ変わりないですし」
「私もそう思ったわ。でもおかしいのよ」
「何がですか」
「最近の藤原さんよ」
言っていることが矛盾していることに、かぐやは気づいていない。
これまで通りなのに、おかしい。日常生活を送る中で、滅多に感じることのない違和感。早坂はそうでもなかったが、かぐやは毎日生徒会室で顔を合わせている。そのわずかな違いを見逃すことは無かった。
「何がどうおかしいんですか」
「生徒会室で突飛な発言をしなくなったの」
「一大事じゃないですか」
藤原千花を知る人間なら、それがとんでもない事態だということに気付く。早坂も例外では無かった。
これまで、かぐやから聞かれる愚痴には、必ずと言っていいほど千花の発言が含まれていた。それによって、大きく計画が崩されることも少なくなかった。かぐやの感情はある意味必然である。
そんな彼女が、突飛な発言をしない。いわば、大人しくなったと言うではないか。大して興味を示さなかった早坂にも、心情の変化は顕著に表れた。
「それにボーッとしてることも増えたわね」
「……それも全て、藤井太郎が絡んでいると」
「ええ。私はそう睨んでる」
かぐやの推測に、早坂は同意する。
藤井太郎という男。すでに早坂の想定を大きく超える存在になっていた。あの藤原千花を手懐けている。それだけで四宮家の
そして何より、二人の存在が四宮かぐやと白銀御行の関係にいい影響を及ぼしていた。動かなかった時計の針が、この半年で一気に動きかけている。その瞬間に、早坂愛は立ち会っている。もどかしかったあの時を思い返し、不思議な高揚感が包み込んだ。
かぐやがその話をするということは、結局のところ彼女はまた彼らを利用するつもりなのだろう。早坂は察する。本音を言えば、早く仕事を終わらせて部屋で休みたい。しかし、どこか興味のある自分を否定出来なかった。
純粋に興味があった。二人の行く末に。侍女の早坂愛ではなく、高校二年生の早坂愛として。特に何も言わず、黙ってかぐやの言葉を待つ。
「これはチャンスかもしれないわ」
「何がですか」
「あの二人が交際するとなれば、会長が慌てふためくのは目に見えています。分かる?」
「ソウデスネ」
最早テンプレ化しているかぐやの発言。毎回毎回聞いている早坂にとって、耳にタコが出来るほど。すでに飽きた流れである。そのせいで、早坂の返事もかなり雑なものに。
そして、四宮かぐやという人間はその先を考えていない。二人を利用するにしても、どうすれば良いのか。肝心な部分を早坂に投げつけるのである。彼女からすればただただ迷惑な話。
「試験も近いですし、図書館で勉強会とかいかがでしょう」
それを見越して、早坂は先手を打つ。進展調査とは呼べないような咄嗟の思いつきではあったが、中々に的を得た提案だと考えた。
秀知院学園では、二学期期末試験が再来週から始まる。試験のことになると目の色が変わる白銀御行。彼のことを誘うのなら、勝負は早い方が良い。一週間前になって彼がうつつを抜かすとは思えなかった。
かぐやも、少し考えて早坂の提案を受け入れた。引っかかるところはあったにしろ、一番現実的だと判断。その表情は納得そのものだ。
「でしたら、まずは藤井さんを誘うべきかしら」
「まぁ、かぐや様の誘いなら断ることないでしょうし」
「それもそうね」
以前より関係は柔らかくなったとは言え、藤井にとって四宮かぐやという人間は恐怖。何をされるか分からない底無しの恐ろしさを感じていた。そのため、ある程度の誘いは断らないだろうと早坂は踏んだ。
善は急げの精神で、かぐやにメールをするよう促す。ようやくスマートフォンに代えた彼女の手つきは、機械音痴全開だった頃に比べるとこなれたモノに変わっている。
『今週末、会長と藤原さんを誘って勉強会をやりませんか?』
当たり障りのない文章。早坂の校閲を通し、メッセージを送信した。
ひと段落つける、そんな早坂の考えは甘く。二人が思っていた以上に、彼からの返信は早かった。
『勉強は一人でした方がいいから遠慮しておくよ』
「ねぇ早坂」
「なんでしょう」
「断ってきたわよ?」
「そうですね」
想定外の出来事に巻き込まれた人間は、間抜けな顔で顔を合わせる。それを体現しているようで。早坂愛は若干の申し訳なさを抱く。
だが1番タチの悪いのは、彼の言うことが正論そのものだということ。基本的に、かぐやは一人で勉強をしたい人間。藤井の発言を否定したいのに、それが出来ない自分に苛立つ。となれば、その矛先は自然と藤井に向けられる。
「頭に来ました。電話して問いただします」
「それを白銀会長にやればいいのに」
「何か?」
「いえ何も」
かぐやのやっていることは、実に回りくどい。
良く言えば、外堀を埋めていると表現出来るが、そんなことをせずとも
しかし、早坂愛。
藤井太郎と藤原千花の関係を見守るのと同じぐらい、いやそれ以上に二人のことを気にかけているのも事実なのだ。毎日かぐやの話に付き合っていれば、何かしら情が湧くのは自然な話。ただそれは、目の前でイラついて電話をかける一人の少女の、侍女として。そう自分に言い聞かせた。
「ご機嫌よう。藤井さん」
「(あ、めっちゃキレてる)」
早坂は電話越しの藤井に同情した。
口調こそ優しいが、その優しさはイラつきの裏返し。長年彼女を見てきた早坂にとって、気付かないはずもなかった。
「どうして断るのです? いい機会ではありませんか」
「いや〜……。一人の方が集中できるし」
「分からないところは人に聞くことが出来ますよ」
「で、でもなぁ」
彼女の圧に、藤井はたじろいだ。そして蘇る記憶。
どうして素直に頷かなかったのだろうと、自身の言動を悔いた。が、もう遅い。電話越しの彼女はかつて恐怖を覚えたあの
藤井は、誰かと集まってするほど勉強には関心が無かった。特に行きたい大学も無く、ただ卒業を待っているだけ。そんな彼が、かぐやの提案を受け入れようとしないのは、ある意味当然の行動。
何より。
藤井は、千花に会いたくなかったのだ。
秀知院学園の体育祭以来、一度も顔を合わせていない。もちろん、連絡も取っていない。一人の女友達と頻繁に会う方が珍しい光景でもあるため、それは至って普通なことである。
思い返せば、以前までの彼は結構な頻度で千花に会っていた。特に何も考えず。それが藤井太郎にとって普通だった。
でも、それは彼にとって普通じゃなかった。
会わないのが普通なのだ。特に、藤原千花という人間は。
彼女との時間を重ねていくにつれ、生きる世界が違うことを痛感させられる。その都度、彼は考え、現実から目を背けるようにした。
だから、今彼女に会わないこの時間が、彼にとっては都合が良い。
――――はずだったのに。
体育祭の時。二人きりになったあの瞬間。藤原千花という人間が、一人の女性として彼の目に映ってしまったのだ。色っぽい香りと顔。思い出すだけで、心臓が跳ねる。
そして、彼女に会えるかもしれないと分かった途端、心の中が蠢いた。四宮かぐやの提案を、すんなり受け入れようとした。
ここで一線を引いておかないと、手遅れになる。彼なりの優しさ。いや、自分自身への嘘。
「藤原さんに、会いたくないのですか」
「……っ」
電話越しでも、考えていることが分かるのか。藤井は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
その発言は、早坂のカンペによるもの。彼の思うように、かぐやが心理掌握をしたわけではない。早坂自身、かぐやのような回りくどい作戦は好みではない。加えて、藤井太郎の性格を考慮。思い切って問いかけても問題無いと踏んだ。そして、彼は分かりやすく言葉を失った。
「喧嘩でもしましたか? 藤原さんは怒っているように見えませんでしたが」
「いやそういうわけじゃなくて……」
「じゃあ何なのです。ハッキリ言ったらどうですか」
かぐやは冷静に言う。それが自身を棚に上げている発言だと知らず。藤井にも、彼女の言わんとすることは理解出来た。
だがここでハッキリと言えるかと言われれば、話は大きく変わる。それを口にすることは、自分への嘘を暴くのと同じ。
「まぁいいです。藤原さんには私の方から声を掛けておきますので、藤井さんは会長に連絡お願いしますね」
「ちょ、俺は行かないって――――」
「来てくれますよね?」
二度目の圧。蘇る忌まわしき記憶。
千花のことはすっかり消え失せ、かぐやの言葉をそのまま受け入れた。そのまま電話を終え、かぐやは一つ息をついた。
黙って眺めていた早坂も、ここでようやく口を開ける。かと言って、特に言うこともない。黙り続けていたが、かぐやは何かを言って欲しそうな顔をしている。その何かが分からないのだから、四宮かぐやという人間は面倒なのである。
「書記ちゃんと何かあったみたいですね」
「えぇ。まぁ別に二人がどうなろうと私は構いませんが」
かぐやのその言葉に嘘は無い。だが本心も無い。
彼女もまた、一人の女子高生であることに変わりはない。友人の交友関係、特に異性関係の。それが気にならない筈もない。だが、侍女の早坂愛を前にすると、強がる。
早坂は、彼女の言葉に眠る意味を探ろうとしなかった。そんなことをしなくても、よく分かるから。
「……本当に、彼は藤原さんのことを」
「だとしても、別にいいんじゃない」
「そう、ですね」
早坂は、かつて千花から言われた言葉を思い返していた。
――――顔も全然タイプじゃないですし。
あの言葉が真実なら、彼の歩く道は困難を極める。同情に近い不思議な感情が湧き出てきた。
絶対に叶うことのない恋。それは儚く美しい。
小説にありがちなフレーズが頭に浮かぶ。
そんなのは、ただの理不尽だ。叶わないことが美しいだなんて、そんなの、負け惜しみじゃないか。心の中で、早坂は毒を吐く。
早坂にとって、藤井太郎の印象は薄い。千花と同じように、顔もタイプではない。万が一、彼から告白されても、数秒で断る自信がある。
でも彼女から見て、藤井は悪者じゃない。むしろ、優しい好青年である。そこに、藤原千花が惹かれる可能性は否定出来なかった。
恋とは、どんな気持ちになるのだろう。
早坂愛、高校二年生。純粋な疑問が浮かぶ。
目の前の主に聞けば、答えてくれるだろうか。いや無理だ。恋のことを認めていない彼女に聞いたところで、ロクな答えは返ってこない。
「何よその顔は」
「いえ、なんでもありません」
少なくとも、今は四宮かぐやの行く末を見てから。
そうやって、いつもいつも自分を押し殺してきた。それが彼女の仕事だから。開き直りとも受け取れる境地。
でも、もう高校生活は半分を過ぎた。このままだと、卒業まであっという間。
だから、早く。早く。かぐやと白銀には、次のステップに進んでもらいたい。本音を言えば、無理矢理にでも、彼女の背中を押したいのだ。でもそれは、かぐやが嫌がるから。主が嫌がることはしない。早坂のポリシーでもあるそれは、しっかりと心の中に植え付けられている。
「私も恋をしてみたいです」
「……そう」
恋は、悪いものではない。
かぐやは、そんなことを口走りそうになった。
恋してくれ、早坂。