藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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意気地なしの隣に居たい

 

 

 

 

 

 

 

 藤井太郎と藤原千花の奉心祭は、二人の想像以上に疲労が溜まるものになっていた。コスプレ喫茶で紅茶を飲み、出店で食べ歩き。たったそれだけだと言うのに、それに見合わない疲労感が二人を襲う。

 楽しい時間だというのに、藤井は危機感を覚えていた。千花と過ごす時間が幸せすぎて、心の奥に沈めたはずの感情がチラチラと姿を見せる。そしてそれは言霊となって彼女に届く。コスプレ喫茶での自身の発言を思い返しても、恥ずかしさで背中に汗が浮かんでいた。

 時刻は午後二時を回っている。これまでブラブラと回っていた二人の足には乳酸が溜まっている。藤井はどこかに座りたかったが、千花はそういうわけではなかった。

 

「藤井くんは怖いの平気ですか?」

 

 唐突な質問だったせいか、彼は何も考えずに素直に答える。

 

「ん。まぁ嫌いじゃないけど」

「でしたらミコちゃんのクラスが面白いですよ。アトラクション的なところ行ってないので、せっかくですから」

 

 彼女のいうことも一理あった。藤井は頷いて見せる。

 高校の文化祭において、ホラー系の出し物はもはや定番となっている。男女の関係を深める場所としても使われるソレには、怖さを求めていなかったりするのが参加者の本音でもあるが。

 加えて、今日の二人は飲んで食べているだけ。妙に物足りなさを感じているのも事実。二人の足が一年生の教室を向くのは自然の流れであった。

 

「そこってどんなお化け屋敷?」

「お化け屋敷というか、音響系ホラーですよ」

「音響か。なるほどね」

 

 近年ではバイノーラル音響、いわゆる立体音響を活用したお化け屋敷もあるぐらいだ。そういうのに疎い藤井でも、理解できるほどメジャーなものだった。

 さらに、準備の時間を大幅に短縮できたにも関わらず、完成度は一般のお化け屋敷に引けを取らない。今年の奉心祭の中でも人気スポットになっていた。

 

「どんな感じなんだろ」

「二人でロッカーに入って楽しむんです」

「あー二人でロッカーにね………え?」

 

 千花の説明はかなりざっくりしたものだった。

 間違いではないのだが、それだけだとどうしても誤解を招く。現に、藤井は立ち止まり、思考を巡らせている。

 

(ロッカーに二人きり……あぁ死んだな)

 

 どう想像しても、ロッカーという密室に二人で入るのは不味い。特に、藤原千花というダイナマイトを抱えた状態なら、理性が木っ端微塵に吹き飛ぶ自信があった。

 

 立ち止まった藤井に、千花は懐疑的な視線を送った。

 

「どうしたんですか?」

「あ、あぁいや。なんでもないよ」

「……もしかして」

「な、なに」

「緊張してるんですかー?」

 

 顔を覗き込んでくる千花に対して、彼は頭を掻きながら考えた。緊張と言えば緊張だし、そうでないと言えばそうでない。藤井は複雑な感情に苛まれた。

 

「その……藤原さんはいいの?」

「何がですか?」

「俺と二人でロッカーに入るの」

「全然いいですよ。男女で入るのは普通みたいですし」

「そうなの……? かなりハードル高い気がするけど」

 

 男子校で女子に耐性が無い藤井からすれば、ハードルの高さだけで世界記録を取れるレベル。しかし、共学だと少し訳が違う。特に世間とかけ離れた秀知院学園。感覚がズレていたところで、さほど驚きは無かった。

 藤井は、再び歩き出す千花の隣に並んだ。自身の胸元ぐらいまでしかない身長の彼女。これが密着するのだ。今の段階から心臓の音がうるさい。聖者でもなんでもない並の男である藤井。それ相応の反応を示す危険もあった。もしそれがバレれば、完全に彼女に合わせる顔が無いのだ。

 だが嫌いじゃないと言った手前、今から断るのも気が引けた。それに、話の流れ的にここで断れば「千花と一緒に入るのが嫌」と受け止められる可能性もゼロでは無い。完全に詰んだ展開だった。

 

「ここですよ」

「あれ、藤原先輩! ……と」

「ど、どうも」

 

 教室の前。二人を出迎えたのは、占い師が着るようなマントを羽織った伊井野ミコ。どこか神妙な面持ちで二人を眺めていた。

 体育祭のあの日。藤井への誤解は解けた気でいた伊井野であったが、いざここに連れてくる彼の気持ちを考えると、グツグツと湧き出る怒りと嫌悪。自然と彼を見る目が変わる。

 

「すみませんが、男女は別々になりますので!」

 

 事実、このアトラクションは()()()ホラーを楽しむことが目的である。ロッカーに二人きりだからと言ってやましいことをしたり、イチャイチャすることを推奨しているわけではないのだ。

 ところが、あろうことかそれを破った性欲神(柏木渚)は存在した。これに伊井野は激怒。その瞬間から男女で一緒になることは禁止されたのである。

 そのせいか、それ以降の客足は激減。暇を持て余していた彼女たちの元に、藤井が現れた。それも伊井野が尊敬してやまない藤原千花と一緒に。

 

「そっか。だって藤原さん」

「えーっ! つまんないです」

「(あれ?)」

 

 伊井野の予想を裏切る会話が繰り広げられた。

 こう告げると、大抵の場合は男の方があからさまに落ち込むもの。実際そういうシーンを見てきたのだから、否定しようのない既成事実のようなモノ。

 しかし、二人の場合は逆だった。少し安堵した表情の藤井に対して、分かりやすく不満を漏らす千花。伊井野の思考は乱される。

 

「ミコちゃーん。そんなのつまんないよ〜」

「で、ですが……不純異性交際は禁止ですから……」

「そうだよ藤原さん。ルールなんだから」

「(あ、あれ?)」

 

 伊井野は話を聞きながら首を傾げる。これではまるで、誘っているのは千花の方ではないか、と。

 ここに来る客のほとんどはしっかりホラーを楽しむ人間。この二人もその部類に入るのだが、何せ性欲神(柏木渚)のインパクトが強すぎて、伊井野は正確な判断が出来なくなっていたのも事実だった。

 藤井にとって、伊井野の存在はありがたいようでそうでない。彼女が居ることで、千花との密着を逃れることができる。しかし、そんな機会はこの先一生ないかもしれないのだ。彼は心の中で頭を抱えた。

 

「藤井くんは一緒に入りたくないんですか?」

 

 そんな心情を読んだように、千花は藤井の顔を覗き込んだ。

 ただでさえ顔が整っている藤原千花。その上目遣いというのは、男を落とすのに必要な破壊力をこれでもかと有していた。

 

(あぁ不味い)

 

 揺らぐ藤井の心。視線を逸らす。

 ここで頷いてしまえば、きっと千花は押し通すに違いない。彼の直感が訴えかけた。

 それは彼の心の中もそうだ。デフォルメされた藤原千花に押されて押されて、友人として振る舞おうとする藤井太郎は崖に追いやられる。

 

「……入りたいです」

 

 そして荒れた海に突き落とされる。代わりに、もう一人の自分。藤井太郎の本心が姿を見せる。それに気付いたところで、何も変わりはない。強いて言えば、千花の手を引くことも出来ない奥手な彼になっただけで。

 

「ほら〜! 藤井くんも言ってるじゃないですか」

「だ、駄目ですっ! そんなこと言って――――」

「ミコちゃん。細かいことは気にしちゃ駄目だよ? 平気だから」

「……うぅ」

 

 藤井の直感通り、千花は、伊井野ミコに対して強気に出る。

 そして案の定、そう言われてしまうと何も言い返せないのが伊井野ミコである。特に、尊敬する藤原千花のこと。彼女から直接言われてしまえば、簡単に折れてしまうのもまた、伊井野ミコという人間であった。

 これに困ったのは藤井だった。伊井野ミコがこんなにも簡単に折れると思っていなかったようで、分かりやすく戸惑う。

 「絶対に何もしないでください!!」と藤井は念を押され、教室に足を踏み入れる。室内は外の光を一切遮断している別世界だった。やけに余裕な千花。藤井はどこか感心しながらも、説明を聞かずただ彼女に見惚れていた。

 

「チョキ子さんです! 早くこのロッカーに隠れて!」

「え、あ、はい」

「中に入ったらヘッドホンとアイマスクを付けてください」

「はい、どうも」

 

 ストーリーをガン無視する必然性ゼロの説明。しかし、今の藤井はその話すら聞いていない。言われるがままそれを受け取り、ロッカーに体を預ける。続けて、千花が彼の右隣にぴったりと付いた。

 扉を閉めると、藤井が想像していた以上の密閉空間が生まれる。彼は焦った。

 

(ち、近すぎる……)

 

 体の凹凸が人よりも激しい藤原千花。藤井の右腕にはその凸の部分が柔らかく当たっている。それはそれはもう生まれて初めての感触であった。「もにゅ」と目に見えない効果音が聞こえてきそうな。

 藤井は逃げるようにヘッドホンとアイマスクを装着しようとする。本来はそれが目的なのだから、彼の行為は至って普通。当たり前の行動なのである。しかし、千花はそれを許さなかった。

 

「藤井くんの意気地なし」

「えっ」

 

 ポツリ、と溢れる声。千花は顔を背けたまま、小さな声。

 辺りが静かだからか、藤井の耳にもしっかり届いた。加えて、想像もしていなかった言葉。彼は素っ頓狂な声で反応するしかなかった。

 千花の顔を見ようとしても、かなりの至近距離。伊井野の目もあり、下手に動くことは避けたかった。そのせいで、今の彼女の表情を見ることが出来ない。

 伝わるのは、互いの呼吸音だけ。他に客が居ないせいで、辺りは静かなまま。

 

「えっと……なんで拗ねてるの?」

「知りません」

「藤原さんってば」

「分かりません」

 

 千花はイラついていた。心が痛む。

 何に対してのイラつきなのか。それは彼女自身も理解している。元々奪われたい願望のある千花は、どちらかと言えば引っ張ってもらいたいタイプ。あの時だって、本当であれば藤井に言って欲しかったのだ。

 ところが、彼氏でもない藤井に対してそのイラつきは可笑しい。彼に当たるのは筋が通らないと分かっていたのに、あからさまな態度として表に出てしまっただけ。本気で藤井に怒っているわけではないのだ。

 

 藤井は後悔していた。手に汗が滲む。

 先ほどの千花の態度。彼女は純粋に楽しみたかっただけなのだ。男女問わず、二人でロッカーに入って、ワイワイするのが醍醐味でもある。藤原千花という人間は、そういうモノを心から楽しむことができる純粋さを持っているのだ。先ほどの藤井の発言は、それを否定したことになる。

 

「ごめん」

「何がですか」

「その……恥ずかしいだけ。こんなに、藤原さんの近くに居れるのが」

「可愛いですね」

「悪かったね……」

「それは藤井くんの良いところですよ」

 

 藤原千花の甘い香り。二人の空間を包み込む。

 今この瞬間、藤井は彼女の世界に溺れていく感覚を覚えた。二人だけの世界。他の誰からも、何も言われない二人きりの空間。存在するのは、藤原千花に対する特別な感情だけ。

 

「今日はこれから生徒会室に行くので、これで()()()()ですね」

「……そか」

 

 でも、そんな都合の良い時間は長くは続かない。ずっと昔から決まっている。藤井は薄い返事をしただけで、それ以上は何も言わない。

 千花は口を結んで、チラリと藤井のことを見上げた。暗がりでよく見えないが、彼の視線は自身と違う方を向いていた。それだけで、心が締め付けられる。

 

(……そっか。そうだよ)

 

 ()()()()なんて回りくどい言い方をしたのは、藤原千花のわがままである。

 解散、お別れ、バイバイ。後ろ向きな言葉たち。たった一言それを言うだけで、相手に意図が伝わる言葉。彼女は、ただそれを言いたくなかっただけなのだ。

 きっとまた会える。すぐ会える。決まってラーメン屋に居てくれる。それなのに、彼女は不安になる。これまでの日常が崩れてしまうのではないか。今日一日。自身の悪いところが彼に露呈した気がして。

 だから、今日を終わりたい。早く忘れたい。今日のことを。そうすれば、また彼は笑ってくれるのだから。

 

 なのに。

 

 ――――大切な人

 

 なのに。視線が泳ぐ。

 

 ――――もう少し見つめていたい

 

 なのに。唇が震える。

 

 藤井太郎から言われた言葉が、頭から離れない。意気地なしが背伸びしたようなセリフなのに、頭と心にこびりついて剥がれない。油汚れよりも頑固なソレは、細胞を侵食するように広がっていく。

 こんな嬉しい日を、忘れたい――――。そんなのは、嘘だ。彼女の心の中で微かに見えた変化。その僅かな隙に、偶然にも入り込んだのは藤井太郎だった。

 

「明日また来るから」

「え……」

「キャンプファイヤー、一緒に見たい」

 

 会いに来てくれる。藤井太郎が。これまで通り。その事実が千花の心を潤していく。忘れたいだなんて、もう言わずに済む。この先もずっと、今日のことは覚えていていいのだ。

 藤井は、千花にとって都合の良い人物だった。漫画を読ませてくれる友人。その事実が消えることは無い。加えて、どこか彼のことを下に見ていたのも事実だった。

 でも、実際は違った。藤井は千花から見て、誰よりもしっかりしている。大人びている。今みたいに照れ隠ししたりする。何も変わらない。千花と同じ高校生なのだ。

 

「……待ってます」

「ありがとう」

「いいえそんな」

「だから、おしまいじゃないよ」

「えっ……?」

「また、明日」

 

 千花はこれまでの記憶を呼び起こす。

 学校では毎日言われている言葉。友達から、それこそ生徒会メンバーから。でも、彼からそう言われたことはない。初めてだ。

 明日も藤井太郎に会える。隣に居る彼に会える。高鳴る心臓。血液が沸騰するような高揚感。

 

「また明日、ですね」

「うん。今日は楽しかった」

 

 瞬間、伊井野ミコが扉を開ける。アトラクションのことはすっかり頭から抜けていた二人。

 伊井野から見た彼らは、恐怖からかけ離れて。

 とても優しく、笑っていた。

 

 

 

 





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