藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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月は笑い太陽は涙する

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、えっと……ど、どうしたんですか……?」

「……言葉の通りだよ。今は、二人で居たい」

 

 藤原千花は素直に驚いた。目の前の男、藤井太郎の行動。自身の手首を掴んで、その場から立ち去ることを許さない行為。彼と一緒に屋上へ向かうつもりだった千花にとって、それはまさに予想外の行動であった。

 藤井の手は冷たかった。それなのに、手首から彼の体温が千花の体に伝わる。まるで彼の体を共有しているようで、千花の体は自然と熱を帯びた。

 

「だ、だから一緒に屋上へ……」

「怪盗のことは、見ないで」

「藤井くん……?」

 

 千花は彼の横顔を見つめる。真っ直ぐ、キャンプフャイヤーを眺めているだけ。藤井が今、何を考えているのか。彼女は読めなかった。せっかく名前を呼んだのに、藤井は何も言わない。

 

(藤井くん)

 

 心の中で、再び彼の名を呼ぶ。当然、反応は無い。

 自身の手首を掴んでいる彼の考えていることは分からない。それでも、一つだけ確かなことがある。

 二人で居たい。彼のその真っ直ぐな言葉は紛れもない真実。千花はこれまでの彼との日常を思い返す。そんなわがままを言ったのは割と珍しい。怪盗のことは相変わらず気になっていたが、ここは素直に折れることを選択した。

 

「分かりました。ここに居ますから」

「ありがとう」

「いいえ」

「優しいね。藤原さんは」

「……本当にどうしたんですか?」

 

 前日に続いて、藤井太郎の様子が気になった。千花が問いかけても、「特に何もない」と誤魔化す藤井。そんなはずはない。勘の鋭い方ではない彼女から見ても、今の彼はおかしかった。

 誰よりも優しくて、頼りになる友人。藤井太郎。そんな彼が今、何かに怯えているように見えた。一人になりたくない理由があるはず。千花はそう解釈する。

 

「どうして、手を離さないんですか?」

 

 燃える炎を眺めながら彼女は問いかける。さっきから質問してばかりだと気付いたが、特に気にする素振りは見せなかった。

 ここに居ると伝えたにも関わらず。藤井の少し大きな手は、千花の手首を掴んでいたままだった。千花は「案外暗がりが苦手なのかもしれない」なんて、一人で想像する。口元が緩むが、彼の回答は自身の想像の斜め上をいくものだった。

 

「実は暗いのが怖かったり?」

「そんなんじゃないよ」

「じゃあ何ですか?」

「今は藤原さんのことを離したくない」

「へっ」

「何処にも行かないでほしいから」

 

 だから何処にも行かないと。そう言っているのに、今の藤井には話が通じていなかった。だが、千花はそれを問い詰める気になれない。

 相変わらず、藤井は炎を見つめるだけ。千花の方を見ようともしない。だから、彼女の頭には「揶揄われている」なんて可能性が浮かぶ。でも、藤井の真剣な横顔を見つめると、その可能性は潰える。

 

「そんなこと……軽く言わないでください」

「ごめん」

「別に怒ってません」

 

 二人、先ほどよりも体温が上がっていた。

 キャンプフャイヤーで周囲の気温が上がったから。なんて思い込もうとしている千花に対して、藤井は握る手に少し力を込めた。

 冷たかった彼の手は、いつの間にか暖かくなっている。まるでカイロに包まれているようで、不思議と心地良かった。

 

「怪盗って何だったんでしょうね」

「俺にも分かんないな」

「ハートの風船だけ盗むなんて。告白でもするんでしょうか」

「案外そうだったりしてね」

 

 案外そうなのである。ラブ探偵・藤原千花。ここに来て推理が冴えている。ところが、彼女の意識はすでに藤井に向けられている。怪盗のことは間も無く、頭から抜け落ちようとしていた。

 

「……藤原さんさ」

「なんですか?」

「今日も告白されたんだって?」

 

 藤井からそのことを言われると思わなかったのか、千花は苦笑いする。

 

「あはは……そうですね」

「断ったの?」

「はい。お断りしました。お父様が許してくれないでしょうし」

「そっか」

 

 漫画を読むのも検閲が必要な藤原家。それが彼氏となれば、父親である藤原大地の検閲は最大級に厳しいものになる。接点のない藤井ですら、そのことは容易く想像できた。

 千花はそれを理由に断ったと言う。なら。藤井の頭に浮かぶ疑問。

 

「お父さんが許してくれたら付き合ってた?」

「あはは。いえ。考えたこともなかったです。基本的に、まずお父様の顔が浮かんじゃうので」

「そう、なんだ」

 

 それはつまり。藤井太郎も同様だと言われているようなものだった。彼は軽いノリで聞いてしまったことをことを後悔する。

 藤原千花にとって、それは至って普通の話。これまでもずっとそうやって生きてきた。高校生になって少しずつ緩くなっているとは言え、まだまだ親の力が必要な年頃であることには変わりない。

 秀知院生でもそうやって断られたと言うのなら。藤井太郎はどうなるのか。話を聞く限りでは、土俵にすら立てていないのではないか。

 

「藤井くん?」

「ご、ごめん。少し寒くて……」

 

 自分には脈が無い。全く無い。現実を突きつけられた気がして、涙が出てきそうになって。藤井は必死に堪えてみせる。代償として、体が震えて止まらない。みっともない姿を見せてしまったと後悔しても遅い。千花は心配そうに彼のことを見つめていた。

 どうして、そんな悲しそうな顔をするのだろう。

 藤原千花は考える。何か気に障るようなことでも言ってしまったのだろうか。悪口なんて言ったつもりはないのに、申し訳ない気持ちになっていた。

 思い返せば、昨日からそうだった。藤井太郎のことを困らせてばかりで、その度に彼は優しい言葉をかけてくれる。それに甘えて甘えて、今もまた甘えて。出会った時からずっとそうだった。

 

「私は藤井くんの味方ですよ」

「えっ……」

「大丈夫ですから」

 

 だから、その恩返しを。

 千花もまた、彼に対して優しいのだ。彼だけに特別な優しさ。本人はそれに気づいていないだけで、藤井だけへの想いなのだ。

 

「あはは……ありがと」

「お安い御用ですよ」

 

 彼女は笑う。キャンプフャイヤーにも負けない輝いた笑顔。涙が出そうでたまらなかった藤井も、それにつられて頬が緩んだ。

 

 ――――隣にふさわしい男になればいい。

 

 こんな時に、白銀御行に言われた言葉が藤井の頭をよぎる。

 彼は簡単に言ったが、それには相当な努力が必要。だが、藤原家を納得させるのに一番効率的で確実な方法であることは間違いない。

 藤原千花の隣にふさわしい男。それはどんな男なのだろうか。藤井はもちろん、助言した白銀にもそれは分からなかった。

 

「ねぇ、藤井くん」

「なに?」

「好きな人とか居ないんですか?」

「えっ」

 

 唐突である。素っ頓狂な声を出したのは藤井太郎。これまでの低い声とは正反対の声だった。千花は笑う。あまりの慌てように、彼女は察してしまう。彼は今、恋をしているのだろうと。

 恋バナは藤原千花にとって、何よりも甘い蜜。学校の中でも人の話に入り込んでいく積極性があるほど。

 先ほどかぐやに問いかけた時とは、まさに逆の構図。藤井はあからさまに千花から顔を背ける。

 

「分かりやすいですねぇ〜」

「な、何も言ってないよ」

 

 その態度。千花は赤くなる彼の顔を見ながら、口元を緩ませた。相変わらず手を離そうとしない藤井。そんな彼が可愛らしく、つい手を握り返そうとする自分が居た。

 

「彼女居ないならいいじゃないですか。告白してみても」

「そんな簡単に言わないでよ……」

「私は応援しますよ? 藤井くんに彼女が――――」

 

 言いかけて、千花は言葉を飲み込んだ。

 心の中に、引っかかりを覚えたのだ。言葉が針に突き刺さって取れない感覚。不思議な感情だった。

 藤井太郎に彼女が出来ることは良い事。そうだと頭の中で理解していた。これまで触れてこなかっただけで。ところが、そこに引っかかる。彼に恋人、隣を歩く女性。自身が否定する要素はないというのに。

 

(あれ……あれっ……)

 

 千花の心の奥深く。突き刺さった言葉の剣が燃える。図書館で勉強した時のように熱く。いや、その時より熱を帯びて、それはまるで太陽のように彼女の心の中を照らし出す。

 隠れていた感情にも、スポットライトが当たる。彼女が無意識に逃げていた想いたち。藤井太郎の言葉が照らされるのと同時に、直接千花の脳内を刺激する。

 

 ――――笑ってる藤原さんが見たい。

 

 藤井くん。

 

 ――――大切な人。

 

 藤井くん。

 

 ――――また、明日。

 

 藤井……くん。

 

 まるでこの時を待っていたかのように。藤井があげた言葉たちは、千花の体の中で燃え盛っている。そしてそれは、しっかりと彼女の体に広がっていく。体温の上昇とともに。

 なら、今千花が言おうとしている言葉はどうなるのか。宙に浮いたままの発言。藤井太郎に彼女が出来ることを応援する旨の。まるで、彼に恋人が出来ることを推奨するかの発言。

 心が痛い。胸が痛い。頭が痛い。藤原千花は今まで感じたことのない痛みを覚えた。冬風に当たっているからなんて思い込もうとしても、それは無駄だった。藤井太郎に彼女が出来ること。その事実を突きつけられたから。

 

「藤原……さん?」

「あれっ……どうして………」

 

 熱と痛みを逃すように、溢れる涙。その意味を分かっていない千花は、慌てて目元を拭う。ポツリポツリと零れる滴。さっきまで笑っていたのが嘘のように。

 情緒不安定さすら覚える急展開。しかし、藤井は冷静だった。

 今、自身の想い人が涙を流しているのだ。理由はどうであれ、なんとかしたいと思うのが男である。

 彼は、勇気を振り絞る。千花の手首を掴んでいた手は、落ちて行く。やがて、彼女の小さな掌に重なった。先ほどよりも、彼女の熱を感じる。藤井の鼓動はこれでもかと高鳴った。

 

「ふ、藤井……くん」

「俺は藤原さんの味方だから。大丈夫」

「……ま、真似しないでください」

「本心だから」

 

 そう、紛れもない本心。それなのに、千花は彼を茶化す。少しだけ笑顔が戻る。

 手首を掴むことと、掌を握ることは、大きく意味合いが変わってくる。藤井は三割の力で彼女の手を握っている。それも長続きしない。その僅かな時間で彼は考えた。

 藤井太郎は藤原千花のことが好きなのだ。恋をしているのだ。悲しんでいる彼女のことを、守りたいと思ったのだ。たったそれだけ。それだけの想いで、ここまですることができる。

 

 ――――そんな優しさもどきは捨てなさい。

 

 家柄のこと、千花の父親のこと。それを気にして自分に嘘をつく。四宮かぐやの言う通り、それは優しさなんかじゃない。ただの()()である。藤井が一番よく理解していたとはいえ、今になってかぐやの言葉が胸に響いた。

 

「ねぇ藤原さん」

「何ですか……?」

「さっきの話だけど」

 

 千花の手を握る力が、少し強くなる。小さい手が、確かに藤井の掌に収まっている。それだけで愛おしくて愛おしくて。

 彼女の顔は赤く染まっている。目元も涙を流したせいか、少しだけ腫れている。だからこそ、彼は決意する。藤原千花を、守りたいと。

 

「嫌いな人にこんなこと、すると思う?」

「……えっ」

 

 千花の手を握る力が、また少し強くなる。

 藤原千花は、藤井太郎の顔を見上げる。さっきまでキャンプフャイヤーにしか視線がいかなかったのに、今は彼女のことを真っ直ぐ見つめていた。

 今日初めて、目が合った。藤井の真っ直ぐな目が、千花の心臓を直撃する。痛い。今日一番の痛みだ。それなのに、視線を逸らすことが出来ない。彼の目から、目を離さない。彼の中に吸い込まれそうな。

 ここまで来たのだ。もう、藤井太郎は止まらない。後先のことを考える余裕なんてない。今はそれで良いのだ。彼女が他の誰かのモノになるぐらいなら、それで。

 千花の掌にうっすらと汗が滲む。今、目の前にいる彼は。考える余裕なんて無い。ただ、彼の言葉が気になって気になって仕方がない。これから何を言われるのか。察してしまった。

 

 瞬間。ざわめきが起こる。

 生徒たちの視線は、夜空に向けられる。屋上付近で、巨大な風船玉が割れ、中から盗まれたはずのハートバルーンが姿を見せたのだ。

 月夜に映えるハートたち。グラウンドにいる生徒たちの殆どの視線を釘付けにする。歓声に近い賑やかさ。それなのに、藤井太郎と藤原千花は違った。二人の世界に入り込んで、もう溺れてしまっている。

 

 

「俺の好きな人は、藤原さんだよ」

「……………ぇ」

 

 

 藤原千花は、戸惑った。

 多くの男から言われ慣れた言葉。それなのに、今までとは明らかに違う。同じ言葉なのに、響き方が全く別物。冗談で切り返すことなんて出来ない。そんな余裕がない。

 藤井太郎は、口が渇いた。

 生まれて初めての告白。言うまで何度も何度も足踏みしたのに、言ってしまったことで肩の荷が降りたような感覚に陥る。もう友達には戻れない。なのに、後悔はない。

 

 藤井は藤原千花の手を離さない。今日一番、強く優しく握る。

 痛い。痛い。痛い。千花は藤井の目を見つめたまま、考える。掌じゃなく、胸が痛いのだ。締め付けられる痛み。

 考えようとしても、答えがまとまらない。こんなことは初めてだった。千花の脳内は今まで無かったほどフル回転。オーバーヒートを起こす寸前まで来ていた。

 

「……答えを聞かせて欲しい」

「あ……え……えっと……」

「まだ、お父さんの顔が浮かぶ?」

 

 浮かんでいない。それが千花の答えである。何せ、オーバーヒート寸前の脳内。それを言う余裕すら無いのだ。

 真っ直ぐな彼の目は、藤原千花の心に深く刻まれる。それは紛れもない事実だった。

 

 月。

 奉心伝説になぞれば、ハートを捧げた者は結ばれる。そして、この月夜に浮かぶのは、一人の男の愛の形である。

 太陽。

 秀知院学園のグラウンドの中心で燃え盛る。そして、この陽光に照らされるのは、一人の男の愛の形である。

 

 月に一番近い二人は、互いの想いを通わせる。

 太陽に一番近い二人は、互いの想いが入れ違う。

 

 四宮かぐやは、白銀御行の唇を奪い。

 藤原千花は、藤井太郎の手を振り払ったのである。

 

 

 

 

 





 青春はまだ終わらない。


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