藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
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「うわっ、入りづれぇ……」
晴れ模様。所々にまん丸の白い雲。ニコニコと友人達と談笑しながら、秀知院学園の生徒たちは下校していた。
その様子を眺める一人の青年。ラーメン「天龍」の一人息子。藤井太郎は、秀知院学園の校門前で立ち尽くしていた。
ここは本当に学校か? 自問する。一歩間違えれば、ホテルか何かにも見えなくない風格。耳をすませば「ご機嫌よう」なんて漫画の世界でしか聞いたことないセリフが聞こえてきそうな。そんな彼とは裏腹に、生徒たちは平然とした様子で校内を歩いている。彼らからすれば、これが
しかしだ。この由緒正しき秀知院学園に近づく他校生なんて滅多に存在しない。そのせいか、すれ違う生徒たちは彼に興味とは違う視線を投げかけていた。
(帰りたい!! めちゃくちゃキツいこれ!!)
場違いとはこのことである。藤井は昨日の出来事を憎んだ。
本来であれば、忘れ物は保管するのが常。しかし、生徒手帳で持ち主が判明している。それを知った店主、彼の父親は一言。
『お前が届けて来い。同じ高校生だろ』
店主の狙いは正しいのだ。秀知院学園の生徒が、また店に来るとは限らない。早めに手を打つことが重要だと考えた。
しかし、彼は違った。そうなんだけど違うんだよ――――。高校生同士にしか分からない違いがあるんだ。そんな願いも虚しく、生徒手帳の行く末は藤井に託されるのである。
高校生と言えど、同じなのは年齢ぐらい。学力も品も、生活習慣すら別次元にいる学校なのだ。この秀知院学園というのは。
考える藤井。どうやったらこの落とし物を届けることが出来るのか。
ふと、校門に設置されているインターホンが目に入る。これだ。ここで事情を説明して取りに来て貰えばいい。そうすれば、校内に入らず済む。導かれたように、彼は手を伸ばした。聞き慣れた呼び出し音に、少しだけ安堵する。
「……はい。秀知院学園・風紀委員会です」
出てきたのは女性の声。
風紀委員会。インターホン越しの彼女はそう言った。事務室の大人が出てくるとばかり思っていた彼は、「えっ」と声を上げそうになる。しかしグッと堪え、一つ息を呑み用件を話しはじめた。
「あ、えっと、突然申し訳ありません。貴校の生徒さんのものと思われる落とし物を拾ったのですが」
秀知院学園を前にしているからか、藤井はいつもよりも背筋が伸びていた。自らの語彙力を総動員させ、丁寧に丁寧に用件を伝える。
「左様でございましたか。わざわざご足労いただきありがとうございます。ただいま参りますので、しばらくお待ちいただいてもよろしいですか?」
「わ、分かりました」
そんな彼の気持ちに気付くはずもない彼女。決まり切った定型文をそのまま言霊にする。教室を出て、下駄箱で革靴に履き替える。モニター付きのインターホン。見慣れない制服を着た男子。普通であれば警戒はするもの。しかし、彼女はしなかった。下校時間で人の行き来も多い。可笑しなことはされないだろうと判断したのだ。
校門に向かう間も、校則スレスレの服装をした生徒たちへの指摘が止まらない。いつも通りの余裕。藤井とは正反対だった。その様子は、校門の外に居る藤井にもしっかり届いていた。
「お待たせいたしました。落とし物、ですね」
「え、えぇ。恐らく生徒手帳だと
藤井は風紀委員の彼女、伊井野ミコに差し出した。
「生徒手帳だと『思うんですけど』」と彼は言った。ここで中身を見たと告げるのは危ないと彼なりの危機感を感じたらしい。手帳の表に学校名が彫られているため、それを見てここに来たと説明が付くと判断したのだ。
彼女の手には木製のボード。何かプリントを挟んでいる。彼女の背が低かったからか、藤井は見るつもりもないのについ視界に入る。何かのチェック表。風紀委員なら、きっと服装とかのアレだろう。
彼の視線に気付いていない伊井野は、革製のそれを受け取る。丁寧に中身を確認すると、そこには確かに「藤原千花」の名前。彼女はドクンと胸が高鳴った。まさかの名前だったのである。
伊井野にとって、千花は憧れの存在だった。
幼少の頃から彼女の姿を見てきた伊井野にとって、千花は特別な人。直接話したことは無いが、憧れを胸に秘めて常に学校生活を送っていた。
そんな彼女の落とし物。これは接点を作るチャンスではないか。まさかこんなところで絶好のチャンスが巡ってきた。風紀委員でありながら、そんな
「間違いありませんね。ありがとうございます。これはしっかり本人に届けておきますので」
「あ、よかった」
一方の藤井は安堵する。これで今日の任務は完了だ。この場違いから脱することが出来る。だが、そう思ったのも束の間だった。
「ちなみになんですが、どこで拾ったか教えて頂いてもよろしいですか?」
本来なら無理に聞く必要も無い問いかけだ。しかし、ここは由緒正しき秀知院学園。落とし主の行動パターンを把握する上で貴重な情報になる。だが、そこは藤原千花。父親は政治家で、母親は元外交官。そのことを伊井野も知っていたため、業務として問いかけただけ。
「あ、あーえっと、僕の
ポトリ。地面に転がるボールペン。
「あ、あの落ちましたよ?」彼の言葉が耳に届くこともない。口を半開きにした伊井野は、藤井の言葉を噛み砕いた。
(い、い、家………?
この人の………? えっ、えっ、えっ???)
背の低い伊井野は、ブレザー姿の藤井を見上げる。
パッとしない普通の男。それが、千花を家に上げた。こんな地味な男が。黒髪短髪の地味男が。
年頃の高校生が異性を家に上げることの意味。それは伊井野。堅物であろうが、なかろうが。知らないはずもない。むしろ興味のある年頃だ。
「う、ウチとは……い、家……ですか…?」
「そ、そうですが何か?」
この男。自分の発言が不味いことに気付いていない。
『自分の家です。あぁラーメン屋やってるんですよ』と言えばこんなことにならなかったのに。
確かに彼の家であることは事実。しかし、実は彼。そこまで気が回らなかったのだ。
(あ、あれ……?
やばい変に浮き足立ってる……!)
藤井は緊張していた!!!
彼も思春期真っ只中の高校生。しかし、彼が通う都立桜川高校は、男子校なのである。
つまり、学校生活で女子と会話する機会がまず無い。人気のある男子は彼女持ちもいるが、藤井はそんなキャラじゃない。母親の居ない彼。同年代との女子との会話。それに面と向かっての会話は、実に何年ぶりか分からない。
さらに、伊井野ミコのルックス。かなりの美人である。ただでさえ女子に免疫のない彼が、余裕を持てるはずもない。良いところを見せようとしても、余裕が無いせいで見栄を張ることすら出来ない。したがって、説明不足が生まれるのである。一番ダサいパターンである。
「え、えっと………もうよろしいですかね…」
友人たちの会話では「女の子と話したいわー」なんて言う彼も、いざ面と向かえば何も出来ない。場の空気に耐えられなくなったようだ。しかし、話を切り上げたがる藤井に対して、伊井野はそれを許さなかった。
そもそも、生徒手帳が落とし物として届けられることはまず無い。なぜなら、秀知院学園の生徒は必ず身に付けているからである。自らの証明にもなるのだから、肩身離さず持っているのが普通なのだ。この高校では。
そんな大事なモノを落とした。カバンに入れていたとしても、外ではそんなにカバンを開く機会も無いはずだ。
なら、何故? 彼女は考える。財布を取り出す際に落とした?
いや待て。落とした場所はこの男の家。そこで落としたのだから、何かしらの
それがどういうことか。彼女の頭の中に一つの答え。
「――――ですか」
「は、はい?」
「ふ、藤原先輩とどういうご関係なんですか!?」
だが、あえて解答権を藤井に投げかける。伊井野ミコ、核心に迫る渾身の問いかけである。
勘違いなのか、友達なのか、恋人なのか――――。落とし物を拾ってくれた優しい男に向ける視線ではない睨み付けるような眼。
一方で。藤井に心当たりは無く、内心めちゃめちゃ焦っていた。
単純に質問の意味が分からないのだ。どういう関係と言われても、昨日初めて会った人。それだけだ。深い意味なんて無いのに、この子は何を言っているのだろうか――――。それをそのまま伝えたかったのに、今の彼に彼女を茶化す勇気は無かった。
「どういうって……昨日初めて会ったからよく分かりません」
伊井野ミコ、証明終了。Q.E.D。
あの憧れの藤原千花を、そんな粗末な扱いで。
伊井野。涙目になりながら、彼を睨み付ける。全くの誤解なのだが、今の彼女はそこまで考えることが出来なかった。
加えて、融通の利かない頑固な性格。一度思い込んでしまったら中々考えを変えようとしない。
藤井からすれば、理不尽な話である。事実をそのまま告げただけなのに、その表情は想定外だった。
「ひどい………けだもの………」
「は、はい?」
「ふ、藤原先輩をあんな目に合わせて善人面しないでください!!」
藤井太郎。突然の罵倒に困惑。「藪から棒に」とはこのことである。
落とし物を届けたというのに、けだものなんて言われるとは思わなかったようで。彼は苛つきを覚えたものの、ここで騒げば色々と不味いことは十分に理解していた。
「い、いや何のことですか?」
「惚けないでください…! 家で藤原先輩にひどいことを……!」
「だから何の話ですか? それに何もしてませんって!」
「嘘です……!! 連れ込んでおいて何もしないわけありません!」
「いやいや! 連れ込んでないし、向こうから勝手に来たんだよ!」
パリン、と心が割れる音がした。
(嘘……藤原先輩はそんなに軽い人じゃ……)
伊井野ミコ。イメージの崩壊である。
だが、これまで積み上げてきた千花の良いところを思い返す。
ピアノの腕前、マルチリンガル。伊井野の中で千花は、まさに高嶺の花。
(ち、違う違う!! 藤原先輩はそんなことしない!!
この男……藤原先輩を悪者に……!私を惑わすつもりだ……!)
千花が自ら男の家に上り込む、
いや、それ以前の問題なのだが。伊井野と藤井の会話は噛み合っていないのに妙に噛み合っているせいで、側から見ればただの痴話喧嘩にしか映らないのだ。
彼女である伊井野を差し置いて、彼氏の藤井が千花を家に連れ込んだ。そんなシチュエーションに見えなくも無い。通りすがる秀知院学園の生徒たち。あの堅物の伊井野ミコが男とそんな会話をしているもんだから、注目を浴びない筈もない。
「藤原先輩はそんな人じゃないです……!!」
「い、いやだから――――」
「帰ってください……! 貴方は女の敵です……!!」
女の敵です――――。
女の敵です――――。
女の敵です――――。
藤井の脳内を巡る言葉。ただ落とし物を届けただけなのに、全世界の女から否定されたような気持ち。何も言えず立ち尽くすしか無かった藤井と、逃げるようにその場を立ち去る伊井野。側から見て、悪いのは明らかだった。
(あれ、悲しい涙が止まらない。
嘘、恥ずかしい。けど、止まらないよ)
善意が空回りした、フワついた感覚が彼を襲う。手には彼女が落としたボールペン。せっかく拾ったのに、これを返すことも出来ず。
藤井は大人しく校門に背を向けたが、歩く気になれない。早くこの場から立ち去りたいのに、身体が硬直したようで動かなかった。
そんな時。一人の男子生徒が彼に声を掛ける。
「アイツの言うこと、そんなに気にする必要ないっすよ」
前髪の長い男。首にはヘッドホン。藤井は見て分かった。陰キャであると。だが、秀知院の学ランを着ていることで、何かしら
「ありがとう」と力無く答えると、彼は何も言わず立ち去った。
そのまま帰宅した藤井は、父親に「孫の顔見せられないわ」と謝ったという。
伊井野ミコに怒られたい。