藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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 物語も佳境。もうしばらくお付き合いください。




ねぇ、私を見つけて

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬の中でも、特段世間の盛り上がりが強い日が存在する。

 十二月二十四日、クリスマス・イブ。世のカップルたちは愛の形を確認し合う恋愛スケジュールにおいて不可欠なイベントである。

 そして、その階段を登ろうとする人間にとっても、クリスマス・イブというのはまるで魔法。不思議な力で、いつもなら出ない勇気が溢れ出る。

 

「うぅ……」

 

 それとは対照的に。桃色のPコートとニット帽姿の藤原千花は、一人。行き交う人々を眺めながら、スマートフォンの画面を眺めていた。場所は、学校から程近いショッピングモール。大人だけでなく、高校生カップルが多いのはクリスマス効果だろう。

 彼女がここに居る理由。一言で言えば、無い。意味なんて無いのだ。あるのはただ、ここに来れば藤井太郎に会えるのではないか。そんな願望だけ。

 世間は広い。クリスマス・イブに、この場所に。約束も何もない人間とバッタリ遭遇すること自体、奇跡なのだ。でも、今の彼女はその奇跡にすら縋り付きたいのである。

 

(……会えるわけないですよね)

 

 千花自身、彼に会えるなんて思っていない。

 会いたいのに、藤井に声を掛ける勇気がない。先ほどから見つめているスマートフォンの画面は、彼とのチャット履歴。送ろうか、送るまいか。立ちっぱなしで考えること三十分。答えは否。その勇気が出なかった。

 たった一言。「会いたい」と文字を送るだけ。それだけなのだ。なのに、右手が岩のように固まって動かない。こんなにも会いたい気持ちが強いのに、頭でも理解しているのに。ここまで来ても、素直になれない。そんな自分が、千花は許せなかった。

 足にも疲労が溜まる。座りたい気分であったが、座ってしまうと余計な思考に頭が追いつかなくなりそうで。彼女はモール内をぶらつくことを選んだ。

 時刻は十六時。もうすぐ暗くなる時間帯であるせいか、行き交う人の数も増えつつある。これから訪れる聖夜に備えて、下準備をしているような雰囲気を醸し出していた。

 彼女は、彼の行動パターンを把握していない。普段どこに遊びに行くのか、どこで買い物するのか。分からないから、一度だけ藤井に遭遇したこのショッピングモールに足を運んだ。たったそれだけの根拠。奇跡を信じることすら、おこがましいほどに。

 

 彼と出会った日のことを思い返す。

 テーブルゲーム部で遊ぶモノを選んでいた時、藤井に声をかけられた。そしてそのまま、彼を本屋に誘った。

 思えば、それが無かったら。ここまで藤井太郎と関係を築くことはなかったのではないか。

 

(本屋さん……懐かしい)

 

 自然と足が向く。クリスマス・イブの煽りをあまり受けないせいか。久しぶりに見た本屋はえらく空いているように見えた。そして、その足で少女マンガコーナーを目指す。

 この本屋独特の匂い。マンガの匂い。単行本を読むことができる喜びを教えてくれた藤井太郎。そんなに昔のことじゃないのに、千花は懐かしくて懐かしくて。切なさを逃すように、一つ息をついた。

 

「あ……最新刊……」

 

 自身のわがままで、彼が買ってくれた少女マンガ「壁ドン・ロマンス」。あれだけ最新刊を心待ちにしていたのに、すっかり頭から抜け落ちていたのである。当然、自分では買うことが許されない。手に取るだけ取って、そっと本棚に戻す。

 藤井に向かってプレゼンしたこともあった。あまり興味無さそうだったのに、いつの間にか買ってくれていた。それはきっと、彼なりの優しさなのだろう。今になって、千花はそれを痛感することになる。

 本当に、彼は優しい人だった。いつもいつも、千花のことを励まして、支えてくれる。誰にもそういうわけではない。藤原千花だからこそ、彼は優しく声をかけるのだ。

 切なくなるから、彼女はそのまま本屋を出た。彼女の両側にはズラリと店が並ぶ。お洒落なコスメ店やアパレル。カップルたちで賑わいを見せていた。

 人酔いに近い感覚を覚えた千花は、人気の無い場所を探す。ふと、トイレ近くにある長椅子のことを思い出す。そこを目掛けて早歩きすると、彼女の予想通り、人は少なめだった。腰掛けると、誤魔化してきた疲労感が溢れ出る。ため息を一つ。疲れが取れるわけでも無いのに。

 

(私、何してるんだろう……)

 

 白銀御行に話を聞いてもらったことで、心が軽くなったのは事実。しかし、あと一歩踏み出す勇気は足りないままだった。その勇気さえ有れば、藤井に声を掛けることができたというのに。

 自身がこんなにも臆病だなんて、千花は思いもしなかった。これまで告白されても、相手を傷つけることなく断り続けてきた彼女。初めて抱いた感情に、未だ戸惑っているようにも見えた。そういったところは、白銀やかぐやと同じで、案外奥手な一面がある。

 

(藤井くん……)

 

 スマートフォンをチェックしても、誰からも連絡は無い。

 世間はこんなにも賑やかだというのに。自身の世界には誰も居ない気がして。楽しい楽しいクリスマス・イブに独りぼっち。例年は姉妹や白銀の妹、白銀圭を誘ってパーティーをすることが定番。それなのに、今年は企画することすら頭から抜けていた。萌葉たちは集まって遊ぶ予定を立てていたが、それに混じる気分でも無い。結果、独りぼっちなのだ。

 時刻は十六時三十分。特に音沙汰も無い現状を見ても、このままここに居ることは、本当に無意味。

 

(………帰ろう)

 

 あと一歩、本当にあと一歩なのに。その足を踏み出せないまま、彼女のクリスマス・イブは終えようとしている。藤井太郎に会いたい。その気持ちだけで、何も行動に起こさない自分が、彼女は本当に情けなかった。

 だが、藤井太郎は違う。震える藤原千花のスマートフォン。彼女は恐る恐る、画面を見る。

 

『藤原さん』

 

 力が抜けそうになるのを、必死に堪えた。

 来た、来た、来た……!

 誰かからのメッセージが、こんなにも嬉しいものだとは知らなかったようで。千花は思わず、スマートフォンを握る手に力が篭る。すぐに既読を付けてしまったが、今はそんなことどうでも良かった。

 

 藤井は、言葉を続ける。

 

『会いたい』

『今、秀知院近くのショッピングモールに居るから』

『しばらくロータリーで待ってる。もう一度話してくれるなら、来て欲しい』

 

 彼女に考える時間を与えないようにも見えた。初期設定の着信音が続く。普段意識したことのないその音色。今は千花の脳内を優しく刺激する。

 千花にとって、この展開は奇跡だった。

 特に約束もしていない藤井太郎。今一番会いたい人が自身と同じタイミングで同じ場所に居る。絶対に有り得ないと思っていたことが現実になる。彼女は浮き足立った。

 どちらかといえば冷静さを欠いている今の千花。既読を付けてしまったことで、彼女には考える時間が少ない。返事をするかどうかは置いておいて、とりあえずロータリー近くへ向かうことに。先ほどよりも、足取りは軽い。まるで雲の上を歩いているような違和感があった。

 

 ロータリーには、大勢の人が集まっている。

 行き交う人よりも、待ち合わせに使っている人がほとんど。そのおかげで、藤井を探すのには丁度良かった。

 とは言っても、人が多いことには変わりない。本当に彼がこの場所にいるのかすら分からない。

 

(藤井くんっ……)

 

 足が勝手に進む。人波をかき分けて、右側、左側、視線を揺らしながら。必死になって、藤井太郎の存在を探す。

 少女マンガではこういう時。その彼だけ輝いて見えるなんてことがありがち。でも、現実はそんなことない。淀んだ人混みの中に溺れている感覚に気持ち悪さを覚える。藤原千花は俯きたくなる欲を必死に堪えて彼の姿を探す。

 

(……藤井、くん)

 

 ピタッと足は止まる。視線の先。およそ五メートル。藤井太郎はスマートフォンを眺めながら、時折行き交う人々に目をやっていた。

 ロータリーという限られた空間だからこそ、見つけられた。それは間違いない。それなのに、千花は広い砂浜からたった一人の男を見つけ出したような感覚。ようやく、ようやく。見つけた。奇跡だ。

 幸か不幸か。藤井の立っている場所から、千花の姿は確認できない。人波に上手く紛れ込んでいて。彼はこの場に彼女が居ることを知らない。ただひたすら待つしかないのだ。

 

 だから、動くなら藤原千花しかいない。

 彼女の小さな手に力が込められる。きゅっ、と握り拳。

 それなのに。足が地面に張り付いたように、動かなかった。

 

 どんな顔をして会えばいいのだろう。一度逃げたというのに、ノコノコと彼の前に現れてもいいのだろうか。白銀から背中を押されたとは言え、いざその場面に直面すると体が硬直してしまう。

 

「ふ……ふじぃ……くん」

 

 震える声。独り言にもならない声。誰の耳にも届かない。

 喉が枯れた感覚。気持ちが悪い。口が渇いて、上手く言葉を紡げない。

 

 ねぇ、気付いて。

 ねぇ、声を掛けて。

 ねぇ、優しく微笑んで。

 

 言いたいことは沢山あるのに、素直に言えない。

 藤原千花は苦しさのあまり、胸が張り裂けそうだった。一度逃げておきながら、また彼の行動を待っている自分。それが嫌で嫌で、可愛くなくて。面倒な女だと。

 

 ――――覚悟を決めた男は、無茶をするものだ。

 

 白銀から言われた言葉が、彼女の脳内をよぎる。

 無茶、なんて言われても分からない。でも、今はそんな言葉に賭けてしまいたい気持ちもあった。

 白銀の言葉が真実なら、きっと藤井は藤原千花の全てを受け入れる覚悟が出来たということ。だから、この「気付いてほしい」気持ちも汲み取ってくれるはず。彼女は、脱いでいたニット帽を深く被る。髪の毛も結って、なるべく分かりにくく。

 

(藤井くん。わがままでごめんなさい)

 

 ここまで来て、藤井のことを試そうとする自身の性格。恥ずかしさを乗り越えられない弱さ。千花は自分自身で全てに嫌気が差している。でも、彼の隣に居るためには、彼の力が必要なのだ。

 藤原という大海原から出たことがない彼女。深く、暗い場所に沈んでいた千花の本心。それが今、自らの意思で顔を出そうとしている。最後の最後。手を伸ばすのは、藤井太郎の役目だから。

 

(気付かれなかったら……)

 

 もう今後、こんなチャンスは無いかもしれない。千花にとって、これが最初で最後だ。気付かれなかったら、きっとまた自分の心に蓋をしてしまう。そうなるのが目に見えていたから。

 だから、お願い。神様が居るのなら、今だけは。千花は祈る。声を掛けられない代わりに、精一杯、祈る。それだけしか出来ない。

 意を決して、固まった足を動かす。ゆっくりと。パキッと骨が鳴る。

 

 その距離、四メートル。

 思い返される、藤井太郎の困り顔。

 

 その距離、三メートル。

 思い返される、藤井太郎の笑顔。

 

 その距離、二メートル。

 思い返される、藤井太郎との時間。

 

(藤井、くんっ……)

 

 こんなことで、彼との時間が終わるかもしれない。

 自身の決断は間違っていることは、彼女も承知の上だ。それが分かっていても、自分から声を掛けるということは藤原千花として出来なかった。そのジレンマにずっと苦しめられてきたのだ。

 

 その距離、一メートル。

 思い返される、藤井太郎の告白。

 

 これまでの千花の人生。その中で、あんなにもドキドキした時間は初めてだった。告白というシチュエーションは何度も経験したというのに、比べ物にならないほどの甘酸っぱい時間。

 

 その距離、ゼロメートル。

 

 願う藤原千花。俯いて、存在感を消して、藤井太郎の正面を通る。やがて、通り過ぎる。

 彼は――――スマートフォンに視線を送っていた。

 

「うぅ……うっ、うぅ……」

 

 奇跡なんて、二度も起きない。そんなこと、分かっている。この場に彼が居ること自体が奇跡なのだ。二度目なんて、千花から声を掛けることができれば必要のない願いなのだから。

 千花の目から、涙が溢れる。白銀と話した時よりも沢山、行き交う人の視線を集めるぐらい。人目を気にしたいのに、止まらない。抑えが効かない。苦しい。俯くしか無い。

 藤原の看板なんて要らないから、普通に彼に会いたい。声を掛けたい。紛れもない千花の本心だ。それなのに、彼のことを想う度、父親の顔。母親の顔が頭に浮かぶ。だから、引っ張り出して欲しい。そんな願いも虚しく、終える。

 

 ――――藤井太郎は、藤原千花に惚れている。

 

 人は恋をすると、その相手のことを知ろうとする。掴み取ろうとする。そして気付かないうちに、相手のことには敏感になるものだ。例えば――――匂い。

 人が通った後に残る香り。それが好みであれば、ついつい目で追ってしまうのが人間である。加えてそれが――――覚えのある匂いならどうか。スマートフォンに意識があっても、一瞬で顔を上げる。目だけでなく、顔でその香りを追おうとする。

 

 そして今この瞬間も、一人の少年は顔を上げて香りの跡を追う。

 彼の大好きな香り。甘くて包み込まれるような匂い。

 その匂いが仮に、好きな人の匂いだとしたら。ついつい、相手のことを見つめてしまう。

 その相手が仮に、好きな人の背丈に似ていたら。人は、動く。僅かな可能性に賭けて、その後を追う。後ろ姿で分からない時は、どうするか。

 

「藤原さん……?」

 

 絶妙なボリュームで問い掛ける。相手に聞こえる程度で、でも、決めつけないような言い方で。相手の反応を伺う。

 その声に、後ろ姿は一瞬。足を止める。

 

 ――――藤井太郎は藤原千花に惚れている。

 

 目の前にいる彼女が、自身の好きな人なら。その確証が得られたら。人間、多少無茶をすることだってある。今の藤井太郎に、怯えなんて感情は存在しない。彼女――――藤原千花の右手首を、優しく掴んだ。

 

「藤原さん」

 

 二度目の問いかけ。千花にとっては、二度目の奇跡だった。

 恐る恐る振り返る。今日初めて会う彼は、彼女の知っている優しい雰囲気で、全てを包み込んでくれそうな表情をしていた。こんなに泣いているのに、何も言わず、ただ黙って見つめてくれる。

 少女マンガなら、この場面。胸が高鳴って高鳴って周りのことが視界に入らない。なんて台詞が出てくるはず。

 現実に直面すると、分かる。そんなのは、嘘だ。そんな余裕なんてない。今にも心臓が爆発してしまいそうなほどに。

 

「ふ、ふじ……藤井くん……」

 

 今の千花は、彼の名前すらまともに言えない。あれだけ「気付いてほしい」なんて言いながら、いざ本当に気付かれると恥ずかしさで死んでしまいそうになる。それだというのに、藤井は優しく笑って見せる。

 

「見つけた」

 

 かくれんぼをしていたような言い草。優しくて微笑ましい言葉。藤原千花の心に染み込んでいく。

 同時に、藤井太郎の手が、彼女の心の中に伸びていく。深く深く、沈みかけた藤原千花を見つけ出し、そして、手を優しく掴んで。これから知らない世界に連れて行ってくれる。そんな期待感と共に、湧き出る感情。本心。ようやく、広がる海から顔を出したのである。

 

 私、この人が好きだ。

 

 

 

 

 


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