藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜   作:なでしこ

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 本編最終回です。




一緒に帰ろう、喜んで

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡というのは、思いもしないことが起きるから奇跡なのだ。

 願ってもなかなか起きないから、人は願うことをやめない。一生をかけて、一つのことを願い続けることだってある。

 たった一度の奇跡。甘い蜜よりも舌に残る快感。その一度が、次を願う引き金となる。人はいつまでたっても、奇跡を祈り続ける生き物なのだ。

 この日の藤原千花と藤井太郎には、それが当てはまった。

 二人の行動が重なったのは奇跡である。クリスマス・イブの忙しい時期に同じ時間に同じ場所。片方が少しでもズレていたら、起き得ない状況。

 加えて、千花のわがまま。普通なら気づかないであろう行動に、藤井は応えた。優しく手を握った。彼女にとって、その行動は百点満点。

 

 二度も続けて、奇跡が起こる。そのこと自体が奇跡なのである。

 だが二人の場合。これまで想いを積み重ねてきた。藤井太郎と藤原千花。互いのことを想い、惹かれて、そして動く。タイミングが重なることは必然で、それは奇跡なんかじゃない。二人はこうなる運命だったのだ。

 

「ふ、藤井くん……」

「なに?」

「手が……」

 

 ショッピングモールを出た二人。歩みを進める。

 まだ残る人混みの中で、藤井は千花の手をしっかりと握っていた。告白した時よりも、優しく。暖かく。

 

「嫌なら離していいから」

「……ずるい」

「知ってる」

 

 告白してきた時と同じ行為。それなのに、その時よりも数倍、千花の鼓動が高鳴っていた。驚いたことよりも先に、心の中を占めていくのは喜びだった。

 目の前の大切な人。誰よりも心の中を包み込む人。藤井太郎。ようやく想いが通じ合ったような気がして。千花の掌から想いが溢れ出るのを防ぐように、彼女は初めて、彼の手を握り返した。

 きゅっ、と音が鳴る。皮膚と皮膚が擦れる音。その感触はとても苦しいのに、心が満たされる。藤井は少し驚いた表情を見せた。

 

「藤原さん……」

「嫌なわけ、ないじゃないですか」

 

 吹っ切れたように、千花は笑う。一度逃げ出したことを棚に上げる発言。それでも、藤井の心に直接響いた。

 もうそんなことはどうでもいい。藤井は、逃げ出したことを問い詰める気になんてなれなかった。どうであれ、彼女はここに居る。そして手を握り返してくれた。たったそれだけで、充分なのだ。

 

「だったら、俺の恋人になって欲しい」

 

 人混みを抜けて、彼の声がよく響いた。

 周りの騒音が全く気にならない。藤井太郎の二度目の告白。真っ直ぐ歩いている方向だけを見る視線。一度目は顔を見てくれたのに、二度目はそっけない。

 だから、一度目と同じ言葉を使わず恋心を伝えた。勇気を振り絞った感覚は無い。純粋に、自分の気持ちを素直に投げかけた。それが出来るようになったのも、藤原千花が手を握り返してくれたから。藤井が千花の本音を引っ張り上げたように、千花もまた、藤井の本音を引っ張り上げたのだ。

 

 ものの五秒。間が空く。藤原千花は隣に居る彼のことを、ひたすらに考えていた。家柄の差なんて、どうでもいい。ただ好きな人の隣に居ることの何が悪いのだ。開き直りの域に入ったのは藤井だけではない。

 それに、彼女は予感がしたのだ。家柄の問題に直面したとしても、藤井太郎という人間は自身の手を離さないと。根拠も何もない直感。だけど、今はそれを素直に信じたい。だから、藤原千花も覚悟を決めるのだ。

 

「はい」

 

 たった一言。藤井のように、あっけなくて、そっけない。

 だから彼女は、彼の手を強く握り返す。もっと伝えたいことがあるのに、それなのに。藤井の掌が暖かくて、雲に包まれているような浮かれ気分。本当にふわふわと、空をも飛べそうな気がして。

 

「……本当は少し怖いんです」

「なにが?」

「きっとこの先、藤井くんを傷つけてしまいます」

 

 僅かな不安でも、膨らんでいけば心を支配する。吹っ切れたとは言え、藤井のことを考えたら自然と言葉が出てきた。

 付き合ったところで、家にバレたら。両親から何と言われるか分からない。すぐに「別れろ」なんて言われた日には、家を飛び出す覚悟。

 だがそれは、藤原千花のエゴに過ぎない。そうなれば、藤井に迷惑が掛かることは間違いない。それが根本にあるから、この不安は消えることがない。

 

「なのに、逃げ出して分かったんです」

「うん」

「藤井くんに会えなくなる方がもっと嫌だって」

 

 エゴ。個人的な感情。千花自身、そんなことを思う。だがそれはあくまでも、投げかける側の思い込みでもあるのだ。

 藤井太郎にとって、それはエゴでも何でもない。藤原千花の紛れもない本心を、受け取らないわけがない。彼女のためなら、何でも出来るような気になっていたから。

 

「もう一人で抱え込まないでいいんだよ」

「え………?」

「俺も頑張る。藤原さんの隣にふさわしい男になれるように」

 

 横断歩道。信号待ち。立ち止まった二人。彼は彼女のことを見て、彼女も彼のことを見上げる。視線が合う。互いに頬が赤い。

 藤井からそう言われたことに、千花はさほど驚かなかった。

 分かっていたから。彼は本当に優しくて、言って欲しい言葉を掛けてくれる。それだけで、これから先の困難を乗り越えることができる。そんな錯覚に陥る。今はその錯覚に溺れていていい。だけど、千花は陸に上がるように感情を誤魔化した。

 

「藤井くんはそのままで居てください」

「でも」

「変わらないでください。私はずっと、隣に居ますから」

 

 誰しも変化を恐れる。人間とはそういう生き物だ。

 隣に居る男は、彼女が好きになった藤井太郎。彼が変わってしまえば、いずれ自分のところを離れていくのではないか。そんなことを考えるだけで、胸が締め付けられる。

 

(あぁ、本当に好きなんだ)

 

 今の幸せを手放したくないが故の言葉だった。

 ずっと、藤井太郎の隣に居たい。生まれて初めての感情。彼に対する恋心。これから少しずつ大きくなって、いずれは愛に変わる。

 信号が青に変わって、待っていた数人が動き出す。遅れて二人も、前を向いて歩き出す。

 世の中というのは、常に変化で動いている。

 日頃から新しいビジネス、新製品が世間の波に流され、消費者の手に渡る。そうやって人々の生活は豊かになってきた。今、信号が赤から青に変わることだって、変化の一つでもある。

 そんな世界で生きている限り、人間変わらない方が難しいのだ。藤井太郎にしても、藤原千花にしても、これからどんどん大人になって、やがて価値観も変わるであろう。二人がずっと一緒に居れる保証なんてどこにもないのだから。

 

「こうして藤原さんの隣に居れること自体、幸せなんだと思う」

「……はい」

「大人になっても、好きで居てくれるように頑張るから」

 

 純粋で、健気で、真っ直ぐで。

 好きな人のことの言葉を、信じることしかできない。今の彼女に出来ることはたったそれだけ。人を信じるということは簡単で、でも難しくて。不安に陥ることだって沢山あるはず。

 そんな時に、声を掛けてくれるのが藤井太郎なのだ。それが、藤原千花を守る男の役目なのである。

 

「藤井くんは本当に優しいです」

「藤原さんだけにだよ」

「……嬉しいです」

 

 藤井の手を握る力が、今日一番強くなる。ゴツゴツしていて、手荒れが酷かった彼の手は、あの頃よりも少しだけ綺麗になっていた。

 何度も甘い言葉を掛けてくれて、それを素直に受け入れられる。そんな関係になれたこと自体、千花は嬉しかったのだ。

 

「藤井くんに言ってなかったことがあります」

 

 突然足を止める彼女に、藤井は少しだけ驚いた。だが何も言わずに彼女の言葉を待つ。

 藤原千花。息をすっと吸って、吐く。手を繋いだまま、藤井太郎の目を見つめる。

 

「好きです」

 

 恋人同士になったのだから、それは至って普通の言葉。

 それなのに、藤井太郎の心に染み込んでいく。心臓が高鳴って高鳴って痛みすら覚える。

 順番が違えど、自身の告白に対する返事でもある。嬉しくないはずもない。視線を逸らしたいのに、逸らせない。藤原千花の瞳の中に吸い込まれそうになる。

 

「俺も、藤原さんが好きだ」

「はいっ、知ってますよ」

 

 茶化しているつもりなのに、頬が緩んでしまう。これでは揶揄うことも出来ない。藤井も何も言わず、ただ笑う。見慣れた互いの笑顔。それだけで満たされていく。

 誰かから愛されるということは、本当に幸せなことなのだ。自分のことを一番に考えてくれる人。家族以外の人間が。赤の他人だった一人の少年が今、大切な人間に変わる。あの日、生徒手帳を落とさなかったら今頃何をしていただろうかと、千花は自問した。

 きっと、これまで通り。学校に行って、生徒会で過ごして、家に帰る。これまでの、彼の居ない日常。それを日常と受け入れることが出来ない。

 

 愛される喜びと愛する喜び。それは常に隣り合わせだ。

 藤井太郎が愛してくれる分だけ、藤原千花も彼のことを愛す。この二人は、そうやって心を育てることができる。先のことなんて分からない。すぐに別れる可能性だってある。

 

「ご飯でも食べて帰る?」

「……だったら、ラーメンがいいです」

「クリスマス・イブに?」

「藤井くんの家でラーメン食べましょうよ」

 

 聖夜の空気感にマッチしていない彼女の提案。藤井は苦笑いを浮かべながら、その提案を受け入れることにした。

 二人の原点でもあるラーメン天龍。藤井は記憶を思い返す。少女マンガを置かなかったら、藤原千花はあんなに足繁く通ってくれなかったかもしれない。そうなると、彼女の魅力に気付くことなく終わっていた。

 いや、少女マンガを店に置くことを決めた時から。心の奥底では、彼女に惹かれていたのかもしれない。そんなことを考えて、藤井は笑う。

 

「何がおかしいんですかー?」

「思い出し笑い。藤原さんが可愛いから」

「ならいいです」

 

 藤井自身、千花は自分には勿体ないほど美人だった。そんな子が好きだと言ってくれて、告白を受け入れてくれた。人生で初めて出来た恋人。愛し方なんてわからない。これから手探りで深めていく。

 

「電車で行こうか」

「……はい」

 

 元々駅をめがけて歩いていた二人。彼の提案は至って普通。だが、千花は言葉を飲み込んで、藤井の言葉に同意した。

 

 ――――タクシーで行きましょう。

 

 きっとこれまでだったら、そう言っていたに違いない。

 でも、こうして藤井の提案に乗ることで、知らないことを知ることにもなる。滅多に電車を使わない彼女にとって、その決断は案外大きいモノなのだ。

 藤井太郎の考え方に歩み寄ろうとする。藤井太郎の価値観を知ろうとする。藤井太郎のことをもっと理解しようとする。彼の恋人として、藤井に染まろうと心が動く。自身にそんな一面があるとは、千花自身思ってもいなかった。

 

 改札をくぐって、駅のホーム。電車を待つ間も、藤井は千花の手を離そうとはしなかった。電車に乗るイメージの無い彼女を守ろうと、彼なりの優しさ。恋人らしさ。すっかり陽も落ちて、聖夜が幕を開けた。

 

「人、少ないですね」

「そうだね。まぁまだ時間も早いし」

 

 十八時前。千花の言う通り、クリスマス・イブとは思えないほど人は少なかった。大人たちにとって、聖夜はこれからなのだ。高校生の二人にはあまり理解できることではないが、夜遅くまで騒ぐイメージはすぐに湧いた。

 

「寒くない?」

「大丈夫です」

 

 生憎、ホワイトクリスマスにはならなかった。二人はそれが心残りだったらしく、つまらなさそうにビル群を眺めている。電車が来るまであと少し。

 少女マンガにありがちな、クサい台詞に憧れていた藤原千花。なのに、今はそれを全く魅力的に思えない。藤井太郎のなんでもない言葉が、心の中で燃える。一言心配するだけの言の葉でも、破壊力が抜群で。

 

「……あ。あと一つだけ、言い忘れてました」

「ん? なに?」

 

 同時に、駅のアナウンスとともに、電車が近づく警告音が響く。

 これでは、何を言い出すのか聞こえない。だから藤井は、彼女の声が聞こえるように、膝を曲げて千花の顔に耳を近づける。二人の距離が近づいて、相手の体温がよく伝わる。

 彼の匂い。直感的に好きな匂い。不快になることなんてない。ずっと彼の首元に顔を埋めていたくなるような。

 これから先。二人を待ち受けるのは困難。大きな壁。でも、それを超えるだけの愛に包まれた日常が待っている。

 

 大人たちに負けないように、藤井太郎。

 大人たちに負けないように、藤原千花。

 

「メリークリスマスっ」

 

 藤井は笑う。同時にやってくる電車。冷たい風が吹き付けて、自然と二人の距離が近くなる。結ばれて、片方だけの想いでは無くなった今。二人で愛を育てていく。

 それが、家柄の差を覆す切り札になる――――。彼らがそれを知るのは、まだ少し先の話である。

 

 雪の降らないクリスマス・イブ。

 藤井太郎は、誰よりも藤原千花を愛したい。

 

「帰ろう。俺の家に」

「はい」

 

 二人の恋は終わる。愛に変わっても、これまで通り。明るい未来を信じて、ただひたすら互いを信じるしかない。

 高校生には、かなり酷な恋愛である。それでも、二人は乗り越えるための一歩を踏み出した。

 

 そこに、憂鬱な気持ちなんて無い。

 大きな壁に挑むことになるというのに。二人は、笑っていた。

 きっと未来は来る。明るくて、光り輝く未来が。

 

 そのために。

 そのために。

 藤原千花は、誰よりも藤井太郎を愛したい。

 

 

 

 

 






 本編おわり。本当にありがとうございました。
 後日談を数話投稿する予定ですが、区切りも良かったので一旦終わりということにしました。沢山の方に読んでいただけて、本当に嬉しかったです。

 新たに評価してくださった皆様(敬称略)。

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 本当にありがとうございました!
 


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