藤原千花は愛されたい〜天然彼女の恋愛無脳戦〜 作:なでしこ
アニメ三期が決まった頃にやってくる。
人間。生活が充実すると、見える景色も変わってくる。
季節は春。肌を逆撫でするような空気から、優しく包み込む柔らかい空気に様変わり。太陽が微笑んでいるようで、人はまさしく陽気な気持ちを抱き始めている。
藤井太郎と藤原千花も、進級して高校三年生となった。この一年間は、二人にとって大きな意味を持つ一年である。
進路選択。これから人生を走っていく上で、レール選び。今年の決断で全てが決まるわけではない。だが、進学するにしても、就職するにしても、社会に出る第一歩になる。まだ高校生の二人にとって、その決断の重さを感じているのも事実だった。
「太郎くんっ。桜が綺麗ですよ」
桜色のワンピースを身に纏った藤原千花の声。藤井太郎は意識を彼女に戻した。
こんな二人ではあったが、相変わらず仲良く交際を続けていた。クリスマスイブの日からこの四月まで約四ヶ月間。マンネリを感じるような期間ではないが、互いを思う気持ちは日に日に大きくなっている。
土曜日。桜が満開のこの季節にぴったりな、公園デート。周囲にはブルーシートを敷いて缶ビールを美味しそうに啜る花見客が大勢居た。
高校生の姿は割と少ない。いわばアウェー感を抱きつつ、二人はしっかりと互いの手を握って歩く。
「すごい人……花見って楽しいのかな」
「楽しいと思いますよ。お酒飲みながら、見る桜ってなんだかお洒落じゃないですか」
「そう……かな」
本音を言えば。
藤井は静かな公園で、二人で、桜を見たかったわけで。華やかな桃色が人の喧騒で汚れてしまっているようで、あまり良い気はしなかった。
その点、彼にとって千花の反応は意外だった。花見客の中を切り裂くように歩いているが、彼らには目もくれず。ただ桜の花びらを見上げている。
「人混み、苦手ですもんね。少し歩いたら休みましょう」
「そんなことは。気を遣わないでいいから」
「ダメですよぉ。太郎くんの方こそ気を遣わないでください」
藤井は、あまり人混みが得意ではない。それを彼女に言ったことは無かったが、デートを重ねていれば千花にもそれは理解出来る。だって彼女なのだから。藤井太郎のことが大好きな。
四ヶ月付き合ってみると、千花の新たな一面が見える。藤井から見ても、彼女はとにかく面倒見の良い女の子だった。
本人は意識していなくても、溢れ出る母性。彼女に包み込まれる子どものような、まるで新世界の扉を開けてしまったかのよう。
ごくり、と固唾を飲んだのは藤井。キスより先のことはしていない。彼にとって、意識するなという方が無理な話である。思春期の男子高校生にとって、藤原千花の存在は破壊力がありすぎた。
恋人なのだ。あんなことやこんなことをやってみたいと思う気持ちは自然。だが、それを彼女に言うことは気が引けた。純粋に、恥ずかしくて恥ずかしくて。
「人混み、抜けたみたいですよ」
「ホントだ」
桜並木はまだまだ続いている。
長くて綺麗な道。桜のアーチをくぐっているみたいで、千花は心躍った。
心なしか、藤井が手を握る力を強めた気がした。他にも人は居るが、自身たちと同じようなカップルが多い。だったら恥ずかしくないな、なんて日本人らしい感覚が彼女を襲った。
隣に居る愛しの彼の手のひらは、少し汗ばんでいる。かつて、自身の手首を掴んだ時。その時は、慌てふためいて拭いていたのに。
あの頃とは違う。気を遣わないでいてくれている。よそよそしくない彼。でも、自身のことをしっかり女の子として見てくれている。胸が高鳴る。
「千花ちゃんはさ」
「はい?」
「進路、どう考えてる?」
唐突だった。だったけど、いつかは触れないといけない話題だったから。不思議と驚きはしなかった。「うーん」と考えをまとめて、話し始める。
「外部進学を考えてますよ。都内で」
「そっか」
「太郎くんはどうするんですか?」
「俺は……」
歩きながら、藤井は頭を巡らせた。
実際のところ、大学進学を予定していた。父親もそのことを理解していたが、もう三年生の四月だというのに、ここに来て迷いが生じていた。
いい加減なのは、彼自身よく理解していた。なのに、決めきれない理由。それは、彼女にあった。
「……あはは。実はまだ決めてないんだ」
藤原千花に見合う男になるため。
交際を始めたあの日、彼女は「そのままで居てほしい」と言ったが、藤井としてはそういうわけにはいかないのだ。
彼女の隣に居るふさわしい男になるため。超名門校・秀知院学園に通う
「太郎くんは何か隠しています」
「えっ……?」
張本人ですら、どうしてそんな言葉が出てきたのか分からなかった。女の勘、としか言えなかった。
それ以外に根拠という根拠は無い。ただ、藤井はなんだかんだ言って先のことを考えているタイプの人間。そんな彼が、この時期になっても「決めていない」というのは違和感があった。
あぁ、きっと。気を遣ってくれたんだ。優しい彼のことだから。千花はそう、言い聞かせた。
歩みを止めて、ジッと藤井の顔を見つめる。怒っているようにも見える彼女の顔。彼は分かりやすく戸惑った。
「別に隠してなんか……」
「本当ですか……?」
「いや……」
千花は思った。自分は何と面倒な女なのだ、と。遠回りな聞き方と態度。率直に聞けばいいのに、素直に言葉をぶつけるのが怖い。
「都外に行くつもりなのかもしれない」自身が都内に残ると言ったから、もしかしたら。彼女の思考は巡る。愛しい彼と離れ離れになってしまうのではないか。遠距離恋愛なんてしたことがない千花にとって、大きな大きな不安材料。
暖かい風。春の風。ふわふわと。
来年の今ごろは、こうやって桜の風を浴びることが出来るのだろうか。これが最後になるのではないか。胸の中の暗闇から、伸びてくる魔の手。千花はどんどんと、ネガティブな感情に苛まれていく。
「その……正直に言うと」
「はい」
「良い大学に行くために浪人も視野に入れてる」
「良い、大学ですか」
胸の中の魔の手は、すぐに消えた。しかし、千花の頭の上に、クエスチョンマークが浮かぶ。自身の想像していた言葉ではなかったから。
桜並木の真ん中で、二人立ち止まって会話する。周りのカップルから見て、それは不思議な光景であることに違いない。しかし、喧嘩しているわけでもないため、そのまま通り過ぎていく。
「良い大学に行って何かしたいことでもあるんですか?」
「……特には」
「だったらどうして?」
「それは……その」
恋人とは言え、藤井は言い淀んだ。
結局のところ、家柄のことを考えていたから。それは千花も気にしていること。認めてもらうために、自分が努力しないといけないこと。「変わらないで良い」なんて言われても、藤井はそれを素直に飲み込むことが出来なかった。
あぁ、私のせいだ。
彼の表情を見て、彼女は直感的にそう思った。藤井太郎という人間は、本当に優しい人。常に恋人である千花のことを気遣ってくれる。だから、ずっと考えていたのだ。名門大学に進もうとするのも、きっと父親に負けない肩書きを身に付けるため。
変わらないで、なんて言っても、やっぱり出来ない。千花自身がそう思っても、赤の他人である藤井からすれば彼女の父親は雲の上の存在。
自分が知らないところで、彼は一人で悩んでいたのだ。
「……ばか」
「えっ?」
「ばかっ! 太郎くんのおばかっ!」
叱咤。軽い衝撃に、桜の花びらが舞った。桜色の風が二人を包む。背中を押されるように、千花は再び藤井の手を握った。優しく、強く。
「そんなところで……気を遣わないでください」
「で、でも俺は……」
「太郎くんの将来は、太郎くんが決めて欲しいです」
いつの日か。四宮かぐやに言われたセリフ。「薄っぺらい優しさもどきは捨てなさい」藤井太郎の頭をよぎったソレは、目の前の彼女を見て確信に変わる。
こんなのは優しさなんかじゃない。ただの独りよがりだ。あの頃とは違う。今、藤原千花は自身の恋人なのだから。相談する余地はいくらでもある。
「……ありがとう」
感謝の言葉。素直に、真っ直ぐな。
藤原千花の言葉に否定も肯定もしなかったが、意図はしっかり伝わった。それが分かっただけで、千花の心は潤う。
ぎゅっと握り返してくれる彼の手。暖かくて、心地が良い。このまま眠ってしまいたいような、春の心地。
「……遠くに行っちゃいますか」
「ううん。都内に残るから」
「……良かった」
コツン、と千花の顔が当たった。藤井の胸に。あまりにも唐突だったから。彼は驚くばかりで、何も出来ない。ただ、心臓の鼓動が早くなるだけ。
彼女の突飛な行動には慣れたつもりだった。しかし、それとこれとは話が別。周りに人が居るのに、こんなこと。慌ただしい藤井の思考。これからどうするべきか、考えが纏まらない。
「こういう時はギュッってしてほしいです……」
「あ、えっと、あ、ギュッと……」
「(可愛い)」
海が見えるベンチでキスした二人。とは言え、道の真ん中でこんなことになると藤井も恥ずかしさで顔を覆いたくなる。
幸い、周りにはカップルしか居ない。多少いちゃついてもご愛嬌だと見て見ぬふりをしてくれるはずだ。そう信じて、藤井は千花の背中に腕を回した。
こうして抱きしめたのは、初めてだった。自身の恋人は、思っていた以上に華奢で、柔らかくて、力を込めたらすぐに折れてしまいそうなほどか弱くて。でも、愛おしくて愛おしくてたまらない。
藤井太郎の腕の中は、本当に暖かい。千花は彼の胸に顔を埋めて、心を撫でてくれそうな香りを感じる。
彼は都内に残ってくれる。会いたい時に会える距離に居てくれる。それが分かっただけで、本当に嬉しくて。藤原千花の体温が上昇していく。
桜並木。満開の桜たちの下で、恋人。
それは見事な絵になって、周りのカップルたちもつい二人に見惚れていた。
「……どこかでお茶して帰ろうか」
「そう、ですね」
どちらが、というわけでもなく自然と。それでも、名残惜しそうに離れて。
代わりに、そのまま互いの手を強く握って、繋がりを無くさないように恋人のことを考えていた。
「……今度さ」
「どうしました?」
「俺の部屋、遊びおいでよ」
高まる体温。これでもかと言わんばかりの熱が、藤井の体を覆った。
もう、我慢出来ないのが彼の本音だった。抱きしめたときのあの感触。お腹周りに感じた、彼女特有の柔らかさ。もっと、もっと藤原千花のことを知りたい。もっと、触れたい。もっと、愛したい。純粋なほどアツい思いが溢れ出ていく。
全くと言って良いほど、いやらしさの無い誘い方。内心、千花は分かっていた。ここで頷くということは、そういうことだと。
恐怖心というのは、全く無かった。むしろ、藤井太郎と同じで触れたい欲が彼女の中に出てきていた。まるで、引き金を引いたように。
「……来週の土曜日も空いてます」
「じゃあ……その日」
千花は声を出さず、ただ頷いた。
来週の土曜日。ちょうど一週間後だ。高鳴る心臓。痛くて痛くて、この場から逃げ出したくなる。
「桜が、綺麗」
「うん。すごく」
「来年もまた、来れるかな」
この日一番の春風で、木々が揺れる。散る花びらに見惚れていた藤井に、千花の独り言に近い問いかけは届かなかった。
綺麗な光景に視線をやる藤井の横顔。彼女は見慣れていたつもりだったけど、今の彼はどこか大人びていて、きゅんと胸を締める。
春は桜を見て、夏は海に行って、秋は紅葉に埋まって、冬は雪に見惚れる。そんな当たり障りのないことでも、藤井太郎が隣に居たら全く違う光景に様変わりする。
ずっと、ずっと、彼と一緒に見たい。握る手の力を強めると、藤井は千花の方を向く。
「来年も来ようね」
満たされていく心の海。穏やかで、水平線がハッキリと。
同じことを考えてくれていた。言葉が届かなくても、しっかりと想いは通じていた。千花は嬉しくて嬉しくて、この感謝を伝える言葉を探す。
ボキャブラリーの少なさに、思わずため息を吐きたくなる。だからこそ、出来ることだってあるわけで。
「大好きですっ!」
勢いよく、藤井太郎に抱きつく藤原千花。驚きながらも、しっかりと受け止める彼の胸は、やっぱり高鳴っていて。
恥ずかしいのに、それにも増して幸福感が二人を包む。分かりやすく、真っ直ぐな恋心は、桜の風となって二人の体を駆け抜けた。
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その日の夜。二十時。千花は自宅のリビングでくつろいでいると、久々に父親である藤原大地が姿を見せた。
彼は普段、家に帰らないわけではない。政治家である以上、どうしても様々な付き合いが必要になる。そのため、娘たちが各々の部屋で寝る体勢になっている頃帰宅するのが常。だから、こうして顔を合わせるのも一週間に一度ぐらいなのだ。
「おかえりなさい、お父様」
「ただいま。千花だけかい?」
「二人は部屋に居ますよ」
「そうか」
父親と二人きりのリビング。少しだけ気まずかった。無論、それは千花の一方的な感情であるが。
彼には、恋人が出来たことを言っていない。これも大きな課題の一つで、タイミングによってはどんな反応をされるか分からない。だから慎重に事を進める必要があった。
「そういえば今日、公園に居たね。花見してたのかい?」
「へっ!?」
「そんなに驚く事なかろう」大地はそう言うが、千花はこれに驚かないわけがない。
公園であんなことやこんなことをしてしまったのだ。それを見られてたのではないか、という一抹の不安はすぐに消える。
彼の声のトーンは、至って普通。怒ってる様子も無い。とりあえずは安堵して、呼吸を整える。
「そ、そうなんです。見頃でしたし」
「誰と行ったんだい?」
「え、えっと」
「そんなに狼狽えることもなかろう。なになに? 実は彼氏とか?」
硬直していく体。千花は必死に考えた。
ここで否定してしまえば、告白するタイミングを見失うことになりかねない! だけど、告白するのは今じゃない! あぁどうしたら……。困惑すら覚える彼女の表情に、さらに困惑したのは、揶揄っただけのつもりだった大地だ。
「えっ、ちょっと、えっ?」
「え、えっと……」
「う、う、嘘だ、嘘だよ、ね?」
「(太郎くんごめんなさい……)」
藤原家に響き渡った野太い男の声。
藤井太郎の勝負の時は、案外すぐ目の前にやって来たのである。
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完全に話は変わります(私情)。
私の友人が「かぐや様の二次小説書きたい」とずっと言ってるんですが、中々書いてくれないんです。アニメ三期も決まりましたし、タイミング的には今が最高。待ってますね!
後日談はまだ続きます。
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